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春風と共に思い出を

作者: ざる蕎麦。

 大変短い作品ですが、お楽しみいただければと思います。

 都会へと変遷を迎えきらない町の風景と咲きかけの桜。

少し肌寒さの残る早朝の商店街を歩く。まだどの店もシャッターが閉じており人の気配は薄い。

 

―――――すぅぅぅ・・・はぁぁぁ・・・


 息を大きく吸い込み、吐き出す。

清涼な空気が体中に満たされ全身が洗われるような感覚になる。興奮していた頭も少しは落ち着きを取り戻してきたように感じる。

 彼女が駅に到着するのはもっと後だ。こんなに早く家を出てきていったい何がしたかったのか。しかし出てきてしまったものは仕方ない。町をぶらぶらと歩き時間を潰すことにする。


◇◇◇


 浜辺に着いた。

 もう日は昇っており日光が海面にきらきらと輝いている。

ここには小船の渡し場があり、乗っていこうとする人間が一人二人見られる。仕事に行くのだろうか。

 ふと風が吹く。潮の香りがその風に乗せられ鼻腔をくすぐる。なんとなく落ち着く香りだ。

 海に背を向けると小綺麗な老人ホームがある。そこに出入りする自動車を見ると、今しがたそこを出発した小船などは時の流れに取り残された遺品のように思える。

 子供のころ彼女とあの船に乗ったことを思い出す。初めて乗った時の彼女はひどく怖がっていた。あのころはそれが何故だかわからなかったが今になって舟を見てみるとなんとも頼りなさげに見える。ふと思い出した彼女との思い出は心に暖かいものを与えたようだ。

 再び海へと目を向けると一匹の魚が水面から飛び出し、ぽちゃんと音を立て姿を消した。なんとなくいたたまれない気持ちになりこの場を後にする。


◇◇◇


 既に太陽は真上まで昇り彼女を迎えに行く時間まで後一時間程度というところだ。坂を上り近所の神社まで来ていた。

 秋と元旦の日にこの場所で祭りが開かれる。本当に少しだが屋台なども出たりする。なんだかんだで毎年彼女と足を運んでいた。

 隣に公園があり、坂道に作られたこともあり、あまり安全とはいえない小さな起伏の多くあるその場所を駆け回る子供達を不安そうに眺めていた彼女の横顔はよく覚えている。転んでしまった女の子に駆け寄ろうとして、彼女が転んだときは心臓が止まるかと思った。心の中心には彼女がいたのだと実感させられる体験だった。すぐに駆け寄り手を差し伸べようとしたが、恥ずかしそうな笑みを彼女に向けられた時また心臓が止まるかと思った。結局僕も転び二人して笑っていた。転んでしまった女の子は同じくらいの男の子に助けられていた。

 

◇◇◇


 駅に向かって坂をゆっくりと降りてゆく。家を出たときの興奮が嘘のように穏やかな気持ちだ。それでも頭の中は彼女のことでいっぱいだ。時間は既に夕方。朝食も昼食も食べていないことを思い出す。帰り道で彼女と団子でも食べながら帰ろう。そんなことを考えながら歩みを進める。

 駅が見えてきた。耳を澄ますと踏み切りの音が微かに聞こえる。この電車だ。気がつけば走り出していた。


◇◇◇


 呼吸は乱れ、汗も滝のように流れ落ちる。学校を卒業しめっきり運動する機会が減ってしまったことが災いし、俺が駅に着く前に電車は到着してしまったようだ。

 膝に当てていた手を外し、顔を上げる。汗で湿った体を撫で付ける風が心地良く、思考もだんだん明瞭になっていく。 

――――――見つけた。

 吹いた風に揺れる長髪と純白のワンピースの裾を押さえ、こちらへまっすぐ視線を向ける女性を。

 これは団子なんて食べさせられないななどと、抜けたことを考えながらゆっくりと近づいていく。

 一年ごとに会う彼女はその度に美しく。そして愛おしくなっていた。もう俺も彼女も自立できる年齢だ。数年前彼女の両親の転勤で彼女は引越し、一年ごとにしか会うことができなくなってしまったが、もう既に俺も彼女も自立できる年齢だ。そのことは手紙で話した。そして彼女はこの故郷で共に暮らすことを選んでくれた。本当の意味で帰ってくることを選んでくれた。だから今まで言うことのなかった言葉を一歩先の彼女に向ける。


―――――――――おかえり。


 その言葉を待っていたように彼女は残りの一歩を詰め涙を浮かべ返事をした。

―――――――――うん。ただいま。


 二人の姿は重なり合う。

 どこからか風に乗ってきた桜の花びらが肩にとまった。

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