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終末東京で、俺は戦器を握らない  作者: くらげマシンガン
第一章 『アルタ』編
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第八話 重力を扱う労働者

 湧き上がる疑惑と、尽きない疑問。


 リズの部屋は、とても女性の部屋とは思えない程に散らかっていて、見た事も無いような機械があちらこちらに転がっていた。一部屋しかないマンションにはシャワールームとキッチンだけがあり、冷蔵庫には出来合いの惣菜ばかりが入っていた。


 喫茶店『ぽっぽ』を離れた俺達は、一度人目の届かない場所で、これからの行動について相談する事に決めた。……何しろ、得体の知れないジャイアント・ラット侵入事件の当事者として巻き込まれてしまった格好になるからだ。


 俺は自身の左腕に装着された腕時計を、実際に外した。


 …………やはり、簡単に外れる。これが隠されてしまえば、死亡以外に現実世界へと戻る手段はない、という事だろうか。


 若しかしたら、自分以外の人間は外す事が出来ない等、何らかのセキュリティが設けられている可能性はあるが――……こうして外す事が出来る以上、如何なるセキュリティがあったとしても、束縛する事は可能と云う事だ。


 ゲームの中とは言えど、実際にアイテムが指定期日までに引き渡されなければ、椎名の身に何が起こるかは分からない。椎名の腕時計は外されていた。どのような状況であれ、自分の意思でログアウトする事が出来ない状態にある可能性は、極めて高い。


「『デッドロック・デバイス』ってのは、多分さっき鳩が持って来たアイテムの事だよな?」


「……まあ、十中八九そうだろうな」


「捕まる事を見越して、鳩に持ち出させたって所なんだろうなあ」


 城ヶ崎がコンピュータの前にある椅子に腰掛けて、入口近くで立ち尽くしている俺に問い掛けた。俺は腕を組んだまま、城ヶ崎を見る。


 リズはベッドに腰を下ろしたまま、不安気な表情で俺と城ヶ崎の行末を見守っている。


「どうする? 俺、三日後は休みだから朝から来られるけど」


「じゃあ、頼めるか? ……悪いが、この中でクリーチャーと戦える可能性があるのは、未だにお前だけなんだ」


「あたぼーよ……って言いたい所だけど、未だに戦えないんだよな、俺もさ」


 両手を上げて、降参のポーズを取る城ヶ崎。リズが立ち上がり、城ヶ崎を見て――……位置を入れ替わるよう、促した。城ヶ崎の座っていた椅子に腰掛けると、コンピュータと向き合う。


 城ヶ崎がリズの行動に興味を示して、モニターを覗き込んだ。


「リズリズ、どうかしたのか?」


「『労働者』の戦器を調べてみる。……材料の金額さえ安ければ、私のお金でどうにかなるかも」


「おお……!! 良いのか!?」


 リズは城ヶ崎の言葉に笑みを見せて、再びモニターと向き合った。俺はどうにも頭の中が混濁して、まともな思考をする事が出来なくなっていた。


 幾重にも積み上げられた、キーワード。無数のパズルを前にして、靄がかかったように先へと進む事が出来ずにいる。


 何かが、おかしい。何処が不自然なのかを特定したいのに、そのきっかけが掴めずにいる。


 煩雑な思考を一度消去し、俺は視界をクリアにして溜め息をついた。


 ……考えるのは、止めるべきだ。兎に角今は、四の五の言っている状況ではない。三日後までに『デッドロック・デバイス』を引き渡す事が出来なければ椎名は解放されないし、解放されない状態が続けば、良く無いことが起こる可能性もある。


 幸い椎名は仕事をしていないから、現実世界に取り立てて目立つ問題はないが――……何れ両親が椎名の不在に気付けば、騒ぎになる可能性も否定できない。


 今は、外堀を埋める時だ。戦う為の、外堀を。


「……じゃあ、俺は資金調達して来るか」


 そう言って、俺は部屋の出口へと向かった。


「資金調達? って、何処にだよ」


 意外そうな顔をして俺を見る城ヶ崎に振り返り、外を指差す。頭の上に浮かんだ疑問符が見えるようだ。


「四百万ドル迄なら、多分すぐ用意出来るよ。リズ、それで良いか?」


 コンピュータを眺めていたリズが、キーボードを強く叩く。驚愕の眼差しで俺に振り返り、椅子から立ち上がった。


「よんっ!? ……ど、どうやって?」


 どうやら、全員忘れているらしい。あの時口から飛び出さなければ、俺は自分の資金を崩すしか無かったのだが。


 意外と、絶望的と思わしき状況でも、救済策というものは何処かに転がっているものだ。


 俺は目を丸くしている二人に、笑みを浮かべた。


「多分、口説き落とせると思うよ」




 ◆




「……と云う訳で、年利七パーセント、返済期間一年間で俺に貸して貰えませんか」


 深夜帯。人が居なくなった頃合いを見計らって、俺は喫茶店『ぽっぽ』のマスターと正面から向き合い、そう言った。リズ宅のコンピュータを用いて即席で作った契約書をマスターに突き付けると、マスターは困惑していた。


 人に金を貸す、という躊躇からだろう。マスターは少し困ったような顔をして、俺の顔を見ていた。


「美々ちゃんの事は、このゲームに入るようになってからよく話しているけどねえ……金の話になると、ちょっとな……」


 俺の隣で、城ヶ崎が一体どうやって人の金を借りるつもりなのかと、腕を組んで様子を見守っていた。俺はカウンターに置いた契約書を示し、真剣にマスターと向き合った。


 急な頼みで、無理がある事は重々承知の上だ。ならば、誠意が示されていなければ話にならない。


「だから、借入金という扱いにさせて頂きたいんです。所謂冒険者と投資家の契約として、この場で結ばせて頂きたい」


 一般的な消費者金融というと年利十八パーセントだったりするものだが、地下都市『アルタ』の規定はそれと比べると幾らか良心的な利率だった。ゲームに参加している人数が少ないから、まだ厳しく取決めを行う所まで行っていないのかもしれない、と予想する。


 コア・カンパニーで投資家と冒険者との契約を確認すると同時に、喫茶店『ぽっぽ』の情報についても集めて来た。この店が別の地下都市でも運営していると聞いて、ピンと来たのだ。


 只のカンパニー経営者なら、宝くじが当たったとして、経営に金を回すかもしれない。だが、このマスターは雇われ店主だ。直接的に資金を扱っている人間ではない。


 ならば、まだ資金が手元にある可能性は高いと見ていた。通常の心理なら、一先ず貯金しておきたいと思う筈。


 カウンターの椅子に座ると、未だ困惑しているマスターと向き合い、俺は腕を組んだ。


「失礼ですがマスター、現実世界でのお仕事は?」


「配送業者……だけど」


「仲間!?」


 城ヶ崎が驚いていたが、取り敢えず今はどうでも良い事だった。


「一応、俺の話を聞いてくれませんか。この状況では、カンパニーに所属する事は難しい。コア・カンパニーは口座こそ作る事が出来ますが、銀行のように個人に金を貸し付ける制度が無いし、現実世界で銀行から金を借りようと思ったら、借りる為の用途を明確にしないといけない。……だから、彼女を助ける為にマスターの資金提供が必要なんです。マスターもテレビ、見たでしょう」


「うーん……私には、どうにも騒ぎ過ぎのような気がしてねえ……」


 仮にもゲームの世界、という感覚は問題だな。俺達も未だ若干の麻痺が残っているような気がしてならないが、危機意識がどうしても薄くなる。


 ここから先は、俺のトークスキル次第だろうか。人が良さそうな店主だから、どうにかなるつもりでは居るのだが。


 別に、怪しい事をしようと思っている訳ではない。この中年男性を、仲間に引き込みたいのだ。


 ……それが、正しい形で伝われば良いのだが。


 一応、わざわざコア・カンパニーの規定を見て、それが現実世界の法律と殆ど同じである所まで確認しているのだ。……まあ、こればかりは現実と資金価値が共通である以上、ある程度同じだとは思っていたが。


「何なら、俺としてはカンパニーを作っても構わないのですが……今はどうしても、スピードが必要になってくる。あの予告、イベントでは無いんです。ジャイアント・ラットの一件と、深く関わっている――……マスターも、椎名を現実世界から失踪させたくはないでしょう?」


「……そうなのかい? そんなに大変な話では無いと思うんだけど……だって、これはゲームじゃないか」


「いいえ。この世界はゲームであって、ゲームじゃない」


 俺は強く、その部分を強調した。


「俺達の仲間に、エリザベス・サングスターという女性が居ます。彼女は終末東京の世界に随分古くから参加していますが、こんな出来事は過去に起こっていないと話しました」


 平和的解釈。人間は危機に直面した時、パニックに陥らないようにする為、目の前で起きている出来事は大した事では無いと、平常心を保つ傾向にある。


 ならば、危機意識を植え付けることは、何よりも大切だ。マスターの表情が変わった所を見て、俺は続けた。


「殺された時に、痛みを感じる世界です。加えて、本人の意思を無視して、ログアウトを制する方法がある」


 多くの人間は、そんな事を試してもいないだろうが。俺は左腕に装着された腕時計を外して、マスターに示した。


「こいつを、奪う事です」


「えっ……!?」


 目を丸くして、驚いている。……これが、ゲームの世界から離脱させずに、人質を人質として拘束する為のひとつの手段だ。これで、事態が一刻を争う状況である事が分かるだろう。


「映像の中で、椎名の腕時計は外されていた。彼女は今、ログアウト不可能な状態にある――……唯のゲームで、ここまでやると思いますか?」


 マスターは暫しの間、唸っていた。俺の言葉を信じて良いものかどうか、悩んでいるのだろう……もう一押し、マスターを安心させる要素が欲しかった。例え契約書があったとしても、『ゲームの世界で金を奪われました』等と、公の場で裁判に成るのかどうか。


 まあその辺りは地下都市にも裁判所があったり、借入金は現実世界に持ち込めない等、配慮はされているのだが。この世界で金を一度も貸した事の無い人間なら、絶対に不安は覚えるだろう。


 だから、資金的な信頼性を提供しなければ、首を縦には振らない。


 俺は予め借りておいたリズのスマートフォンを取り出し、インターネットに接続した。


 実は、この終末東京のスマートフォン、現実世界のインターネットに繋がるのだ。其処から、自身の口座にアクセスした。


「担保もあります。だから、返済不能には成りません。これを見てください」


 マスターは怪訝な瞳で、俺の握っているスマートフォンを見る。そして――――驚愕に、目を見開いた。


「えっ!? …………ええっ!?」


 一瞬にして変わった反応に、城ヶ崎が何事かとスマートフォンを覗き込もうとした。だが、俺はその前にスマートフォンをポケットに戻した。


 目の色を変えたマスターの空気が変わるまで、およそ十秒。……あまり、こういうやり方は好きではないが。他に手段が無いのなら、仕方がない。


「いざという時は、これを切ります。……その上で、資金提供をお願いしたいと思っています」


「…………済まない、君の事を一介の青年だと思っていた。資金に関しては、私の方が教わらなければならないらしい」


「いえ。……信頼して貰えたなら、幸いです」


 城ヶ崎が俺とマスターのやり取りを見て、一体何が起こったのかと、驚愕に視線を忙しなく動かしている。


「分かった、お金は貸そう。それと――……現実世界の連絡先を聞いても良いかな?」


「勿論。住所と身分証明書も提示します」


 最後の駄目押しが効いたのか、契約書にサインと押印をするマスター。その名を、染谷そめや満成みつなりと云うらしい。素早く書類にサインをすると、俺に頷いた。


 俺も笑みを返して、染谷と握手を交わした。……無事に契約が終わった事を、心の底から安堵しながら。


「……本当に、危険なんだね。実際に日本円を提示されないと気付けなくて申し訳ないが、事情は理解したよ」


「この世界で起こった問題は、多分警察が介入し難いでしょうから」


 染谷は深刻な表情で、頷いた。ステータスウィンドウを開いて、俺と染谷はフレンド登録を交わす。


 …………どうにか、綱渡りを乗り切ったか。


「それじゃあ、資金はどうしようか? 直ぐに必要なんだろう?」


「コア・カンパニーに、エリザベス・サングスターの口座があります。そこに振り込んで頂けると」


 リズに手渡されたメモを渡して、俺と染谷は話を終えた。


「分かった。……健闘を祈るよ」


 一仕事終えて、店の外へ。コーヒーの代金もきっちりと払って、次を考える。手を振って、俺達は染谷と別れた。


 話の分かる人で助かった。椎名が染谷とそれなりの関係を築いていたのと、譲渡ではなく借入にしたのが功を奏したか。


 さて、やる事は沢山ある――――まだ俺達は、戦器と防具、それから戦型についての知識が無い。その辺りはリズに聞いて、最善なものを選択しなければならないだろう。


「お、おい、恭一。一体何を見せたんだよ」


 投機を知らない多くの人間は、運用資金と自由に使う事の出来る金に区別が付かないという所から始まる。


 俺は城ヶ崎の言葉を無視し、先を急いだ。……投機への反応は人によって様々だ。必要が無いのなら、隠しておいた方が無難だろう。


 兎にも角にも、これで資金問題はクリアだ。絶望的とも思えた『地上への進撃』作戦は僅かに希望の光を見出し始め、舞台は次なるステップへと移る。


 即ち、『城ヶ崎仙次郎、改造計画』だ。




 ◆




 深夜帯になると、城ヶ崎はログアウトして早朝からのアルバイトに備える。俺は今日から暫く終末東京の世界に可能な限りログインし、リズと共に作戦を考える事にした。


 リズの部屋に、二人。勿論泊まる訳では無いので、もう直俺もこの場を離れるが。


 時刻、一時。それでも俺は、どうにかこの場を解決する方法を探していた。


『デッドロック・デバイス』とやらを持っている人間。ご指名は俺達だ。このアイテムを地上に向かう事が出来る人間に任せてしまえばそれまでだが、椎名が助かるかどうかという点については、誰に任せた所で信頼は出来ない。


 何れにしても、椎名を助けたいのならば、俺達が何かをしなければならない、という事だ。


 ……そこまで、椎名美々という人間を信頼するべきなのか。そう聞かれてしまえば、腕を組んで考えてしまう所だろう。


「恭くん! ……アレックスが」


 リズの呼び掛けに気付いて、顔を上げる。見ると、リズの部屋に先の白い鳩、アレックスが飛んで来ていた。


 随分と、懐っこい鳩だ。人間に飼われているからなのか、終末東京の世界だからなのか。窓を開けてリズが迎え入れると、アレックスは一声鳴いて返答する。


「夜なのに、飛んで来るんだな」


 リズはアレックスを左手に乗せ、その背中を撫でながら言った。


「一応、この子もクリーチャーなんだよ。害は無いけど……種別は何だったかな。忘れちゃった」


 鳩も鳥であり、動物だからか。この世界には、新型寄生虫の影響を受けていない動物は居ないのだろうか。


 俺は多分、椎名美々に対して、同種のような親近感を覚えている。社会から後ろ指を指され、居場所を無くした者としての――……意識しないようにしていたが、そういう事なのだろう。


 今掛時男も、椎名を助ける途中で捕まってしまったらしい。椎名は事実上、救いを求める対象を失っている。逆に言えば、救いの手を差し伸べる人間は、現実世界にも終末東京の世界にも、一人も居ないと云う事だ。


 地下都市の夜は、現実世界の夜と比べると、照明がある為に若干明るい。俺は窓の近くでアレックスと戯れるリズを見ながら、漠然と考えていた。


 両親を除いて、仮に現実世界から居なくなったとしても、騒ぎ立てる者は居ないのだろう――……引き篭もっていたとしたなら、発見されるまでに時間も掛かるのかもしれない。終末東京の世界に入ってある程度の時間が経っているなら、椎名が部屋に居なかったとしても、両親はある程度、許容する筈だ。


 陰謀の裏に隠された、真実。人は目で見えないものを追い掛けず、目に見える真実だけを信じようとする傾向にある。


 椎名の両親が転移型オンラインゲームに触れる事で、どの程度の驚きがあったのかは分からないが。慣れてしまえば、特に意識もしないのだろう。


 ジャイアント・ラットの一件で、連中が人間の『目に見えるものを追い掛けようとする性質』を利用して作戦を進めようとしている傾向がある事は、何となくではあったが理解していた。


 今まさに存在する、目の前にある危機。


「でも、何度も外に出てると、居ない事が当たり前だと思われちゃうよ?」


 ――――――――不意に。


 リズがアレックスに向かって呟いた一言が、パズルのピースを探していた空手の俺に、検討の余地を与えた。


 何度も外に出ていると、居ない事が当たり前だと思われる……。


 一瞬硬直して、頭の中に浮かんだヒントを再度、追い掛ける。生み出された思考の欠片を掴んで、その手触りを、重みを確認する。


 宙に吊り上げられた林檎は、支えが無くなれば地上に向かって落下する。


 それは、誰でも知っている万有引力によるものだ。思い浮かんだ思考は、当たり前のような仮定と実験を繰り返し、やがて或るひとつの結論を導く。


 ジャイアント・ラットの襲撃。大通りに向かって集中した鼠の群れは、冒険者達の防衛線を突破し、地下都市『アルタ』を襲撃するかのように見せ掛けた。


 その裏側で、別の目的を持って実行された作戦があった。そのカモフラージュの為、都合二度、ジャイアント・ラットは使われた。


 同じだろうか。


 その場で立ち上がり、黙ったままで思考する俺。そんな俺の様子を見て、リズがアレックスを窓の外に帰した。不安そうな眼差しのまま、俺に結論を求めるかのような視線を向けて来る。


 ――――いや。――――であるとすれば、――――となり、――――は――――であることになる。


 仮説。検証。実験。結果。検討。想定。問題定義。そして、仮説。


 脳裏に描かれたPDCAサイクル。それを加速度的に回転させ、考えられる事実の中から確定に近い要素だけを抜き出す。


「当たり前だと、根底に植え付けたのか?」


「え?」


 照明も点いていない部屋の中、コンピューターのディスプレイだけがバックライトとしての光を放出し、薄暗い空間に不気味な印象を与えている。


 ……フェイク、か。


 この事件は、何から何までフェイクだらけだ。


 ならば、どのような解決方法が考えられるだろうか。リズはただ、俺の言葉を待っているようだった。


 車の音が聞こえない、静寂に満ちた空間。だが、これは仮想世界だ。ひとたび現実世界に舞い戻れば、数多の雑音に包まれる。当たり前のように音が聞こえる世界でリアリティを感じ、最早静寂は幻想的でさえあるのだ。


 例えるならば、そのような違和感。当たり前であったことが、当たり前では無くなる瞬間があった。


 森の中に、木を隠した。まるでそれが当然のように、仕組まれた出来事は霧に紛れ、俺達の目の前を素通りする。


 居るじゃないか。……たった一人、椎名の言葉を他所で聞いていた人間が、俺以外にも。


「リズ。……普通、止まっている人間が走っている電車を見る時、どういう風に見る?」


「……どういう、風に? ……って?」


 言葉の本質が理解出来ず、リズは頭を悩ませていた。その様子を見て、俺は確信する。……そうだ。これまでの過程を辿らなければ、誰も気付かない。注視していない事とは、それ程に大きな影響を与えるものだ。


 そして、その場面だけを見ていても、気付く筈もない。


「普通、何か別の理由が無ければ、ずっと電車を見てるよな?」


「……言葉のまんま?」


「そう、言葉のまま」


「…………まあ、そうだと思う、けど」


 俺は何処か胡乱な顔をしているリズを見て、苦笑した。


「椎名を入れた檻は、そうじゃなかったんだ。檻の扉が閉まって、カメラが上を向いて、一旦檻が画面から消える。それからゆっくりと、檻はチェーンに引っ張られて上がって行った」


 天井にカメラを向けて固定する、理由。


 檻が上がる速度がそれなりにあり、カメラを動かして追い掛けるのが難しいと云うなら、それは分かる。しかし、くさび形のチェーンが引っ張られる速度は適当で、無理のない速度だった。


 十数秒に渡る間、無言で天井を映し続けるカメラ。それまでは明らかに、檻を映すために使われていた。


「それは、たまたま、じゃない?」


 そう、勿論偶然の可能性もある。少し気が向いて、例えば天井のチェーンが擦れる様子を映したかった、等といったように、思考にバイアスが掛かったのかもしれない。


 ピンポイントでその状況だけを見れば、そうだ。だが、たまたま気が向いたにしては、次のシーンは更に不自然だった。


「……ちょっと、説明し辛い。後で城ヶ崎も交えて、話すよ」


「わ、分かった」


 違和感の正体。たったひとつ理解出来るのは、何れにしても俺達が動かなければ事態は解決には向かわない、という事実だけだった。


 となると、益々戦力が必要になって来る。コア・カンパニーのロビーで、ある程度の実力を持っている連中に声を掛けてみるか? ……いや。コア・カンパニーの内部から反逆者が出現した事は、ジャイアント・ラットの襲撃事件からも明らかだ。まだ内部に別の仲間が潜んでいる可能性――……無くはない。


 やはり、城ヶ崎が強くならなければ、勝ち目はないだろうか。


「城ヶ崎の装備、どうなってる?」


「うん、一応用意はしてあるよ。私達も地上に出るんだったら防御力を強化しないといけないから……まあ、お金はあるから、ジャイアント・ラット程度ならどうにか成ると思う」


 リズが再びコンピュータの前に向き直り、俺に商品カタログのような物を見せた。戦器はリズが造るとして、問題は防具と戦型だ。防具は俺とリズにも必要となってくるし、そうすると今ある資金の中で、全員が総合的に強化される道を考えなければならない。


 その辺りのチョイスは、リズに一任するべきだろう。俺達よりも、圧倒的に知識を持っている筈だ。


「ところで、城くんの元素関数って何だった?」


「元素関数?」


「あ、ごめん。リオ・ファクターが戦器に流し込むエネルギーの……属性の話。コア・カンパニーで検査したでしょ? ……まあ、城くんも『労働者』だから、威力についてはあんまり期待出来ないとは思うけど……精一杯、やってみるから」


 そういえば、城ヶ崎の検査結果は見ていなかった。少し考えるが、情報が無いものは提供出来ない為に、直ぐに諦める。


「それは分からなかったけど、アビリティは『重量変化』だったな」


 黙々と何かの情報を記録していく、リズの両手。キーボードを叩き続ける指が、ふと停止した。


 モニターを漠然と眺めたまま、リズは固まっていた。俺には沈黙の理由が分からず、暫しの間、その場に硬直する結果となったが――……リズは俺の言った言葉の意味について反芻し、やがて飲み込んだようだった。


「……重量変化、って、ヘビーウェイト?」


「ああそう、それだよ。初めてログインした時に二人で確認していたから、間違いない」


 そうか。リズは俺のステータスウィンドウについては背後から見ていたが、その手前、つまり城ヶ崎がステータスウィンドウを開いていた時は、まだ到着していなかった。あの時の城ヶ崎は、現れた自分のアビリティに憤慨して、直ぐにステータスウィンドウを閉じてしまったから。


 リズはまだ、城ヶ崎のアビリティについて認識していなかった。だからなのか、リズは椅子を反転させて、俺の瞳を覗き見る。


「それって、戦闘を専門としない職業……『科学者』とか、後はリオ・ファクターの直接的な力をメインに戦う『気象予報士マジシャン』とか、その辺りが持つアビリティだよ。前衛下っ端の『労働者』が持っているの、聞いたことない」


 確認するようにそう話すリズの様子を見て、それが中々に珍しい現象である事が分かる。一体どのような効果があり、実際の戦闘にどのように役立つのかは、まだ城ヶ崎が能力を発揮していない以上、なんとも言えない所ではあるのだが――……


 リズは再びモニターに向き直り、今までよりも幾らか軽やかなタッチでキーボードを叩き始めた。


「……じゃあ、元素関数は『重力グラビトン』。……そんな戦器、見た事無いな。オリジナルで造らないと、ベースも無いかも」


「それって、造れるものなのか?」


 問い掛けると、リズは何処か得意気な顔をして、不敵に笑った。


「任せてよ。……これでも、カンパニー・バイオテクノロジーに居た時は最前線に立つ科学者だったんだから」


 頼もしい言葉と共に、幾つかの情報がモニターに表示される。3DCGによるスケルトンモデルが、画面の向こう側で回転していた。


 細長い、円柱状の物体。……間違いなく言えそうなのは、剣ではなさそうだ、ということ。銃でもなければ、弓でもない。


「杖……か? 椎名と同じ武器?」


「ううん。これは、鉄パイプ」


「鉄パイプ!?」


 思わず、驚愕の眼差しを向けてしまった。リズは俺の態度の苦笑して、今度はスケルトンモデルに色を付けて、物体として表示させた。


「実際は鉄じゃない事もあるけど、戦器の種類としては『鉄パイプ』なんだ」


 光り輝く銀色。……確かに、鉄パイプだ。二昔以上前の不良が好んで持っていたような、或いは不動産建築の足場になっているようなパイプ。


「『労働者』って、前衛は前衛だけど、チェスで言う所のポーンみたいな……捨て駒の扱いだからね。カンパニーでも、一番簡単なランクの仕事しかやらせて貰えない事が多くて。……戦器も、こういうモデルなの」


 唖然としてしまった。……このゲーム、優遇職と不遇職の差が激し過ぎるだろう。一体、ゲームバランスはどうなっているのだろうか……いや、その為に希少性のあるアビリティが、俺と城ヶ崎には付与されているのだろうか? ……しかし、俺に至っては職業とアビリティが完全に破綻していて役に立つ場面も無いし、どうにも不思議だ。


 リズはコンピュータの電源を消し、席を立った。


「明日、城くんがログインしたら防具と戦型を揃えて、研究室に行こう。最後にひとつ、戦器を造るくらいは許して貰えると思うから」


 随分と、遅くなってしまった。俺も明日に備えて、さっさと寝るべきだろう。首を軽く折り曲げて、疲労を癒やした。


 何にしても、城ヶ崎がどうにか戦える様子で良かった。無力の状態からは脱する事が出来るだろうか――……俺も無属性が仇にならなければ、戦う事が出来たのだが。


「リオ・ファクターが単体でもエネルギーになったりすれば、俺も戦えたんだけどな。実際、放出は出来ているみたいだったし」


 まあ、この場は城ヶ崎に任せるべきだろう。


 リズがふと目を丸くして、俺を見た。何やら、驚いたような顔をしている。俺はステータスウィンドウを開いて、ログアウトの画面を表示させた。


「それじゃあ、起きたらまた来るよ」


「あ、う、うん」


 腑に落ちないリズの様子に若干の疑問はあったが、俺はリズに笑みを返して終末東京の世界からログアウトした。



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