エピローグ
空はやがて、この大地へと落ちて来るだろう。
『終末東京オンライン、全フィールドに告げる。……間もなく、世界は終末に向かう。君達は助かる。今すぐ左腕のプレイヤーウォッチから、『ログアウト』を選択して欲しい』
俺は巨大な岩の上で寝転び、朝焼けを見ていた。
何も装備されていない空の左手で、空を仰ぐ。
『終末東京オンライン、全フィールドに告げる。……間もなく、世界は終末に向かう。君達は助かる。今すぐ左腕のプレイヤーウォッチから、『ログアウト』を選択して欲しい』
連続して世界中に流れているのは、俺が録音した声だ。
プレイヤーとしての存在を失った俺は、もう一度『スカイツリー』の敷地で蘇る事となった。どうせ聞いた所で意味はなかった言葉だったものが、後になってから効力を持ったと云う事に気付いたのは、散々ここが死後の世界なのではないかと疑った後の出来事だった。
『現在『スカイツリー』を始めとする、全地域のプレイヤーは『NPC』になっている。この銃をプレイヤーに向けて撃てば、自身の保有しているNPCラベルを、撃った相手に押し付ける事が可能だ。当然、プレイヤーもNPC化はするが、死亡した一定時間後に復活する』
あの高さからバトルスーツの恩恵を殆ど受けずに落下すれば、確実に死ぬ事は分かっていた。だが、ミスター・パペット――遥香姉さん――の言った通り、俺はプレイヤーとして死んだ後、一定時間後に『NPC』として復活したのだ。
よって俺は何も出来ずにたった一人、この世界で生き返る事となってしまい、今に至る。
電波塔に登り、万一まだプレイヤーが残っていた時の為に、俺はミスター・パペットの残した物を使って録音をリピートさせた。聞こえていないプレイヤーも、このメッセージを聞けばログアウト出来る事に気付くだろう。
…………エリザベス・サングスターの姿は、電波塔には無かった。
ログアウトしていなければいい。……現実世界へ転移する道筋を示したから、そうあってくれればいい。
NPCマークが外れた時、リズはこれからどうすれば良いのかを考え、俺の台詞を思い出すだろう。……どうか気付いて、無事に現実世界へと帰っていてくれれば良いと、思っている。
思い返してみれば、俺は最後の最後まで、戦器を向けられる側でいた。
今となっては、苦笑を禁じ得ない。
「…………後、どのくらいだ?」
誰も居ない世界でたった一人、俺はそう呟いた。
頭上の巨大な闇は、既に空を覆い尽くさんと云う勢いだ。巨大化しているのか、それとも近付いているのか――……俺には、分からない。
不意に、岩の上に登って来る存在があった。
「…………ジャイアント・ラットか?」
余りにも圧倒的な頭上の存在に、怯えているようだった。一人、何処からか逸れて来たのか。ジャイアント・ラットは今掛との戦いで見ていたが、牙を剥いていない時はこんなにも可愛らしいものかと云う見た目だった。
こちらに駆け寄って来ると、ぶるぶると震えた。
「…………ごめんな。お前達はどうしても、現実世界には送れないからさ……こんな世界にしちまって、ごめんな」
ジャイアント・ラットの背を撫で、俺はそう伝える。
せめて、創られた世界が終末東京で無ければ良かった。
そうすれば、この世界に閉じ込められても、たった一人でも、寂しくは無かったのかもしれない。
しかし…………そろそろなのか。
俺は立ち上がった。
「見届けてやるよ。……この世界の末路ってやつを」
たった、独りで。
喉を鳴らした。頭上の巨大な闇が、少しずつ地上に風を生み出していた。心臓の動悸は激しく、ふとすると口から飛び出してしまいそうだ。
掛かって来い。これは、俺が勝ち取った権利だ。……俺が選び、俺が望み、俺自身の手で掴み取った真実だ。
そう、心の中で自分に言い聞かせた。
「――――――――来い」
信じられない程、激しい音がした。――――いや、したような気がした。一瞬にして鼓膜の破けてしまった俺には、その先の出来事は無音だった。
両耳に襲い掛かる激痛と、全身を震わせる程の強大な音。衝撃は全身に伝わり、立っているのも限界な程に揺さぶられる。
…………何だ、あれは。
空が、呑み込まれていく。――――いや、空気が吸い込まれて、いるのか。巨大な闇の塊に向かって、まるで吸い込まれるように、空の青が無くなって行く。空の青が、暗闇と同化して行く。
常軌を逸脱した状況。ジャイアント・ラットは、駆け出していた。巨大な暗闇から逃げるように、精一杯の速度で走り。
…………いや。ジャイアント・ラットだけではない。
岩の上に立っていた俺は、背後を見た。出来るだけ見晴らしの良い場所に立っていようと思っていたが、そのせいで俺は、見たく無いものを視界に捉える事となってしまった。
クリーチャーが…………逃げている。
地上に生息するクリーチャーは、まるで天災を恐れるように逃げ惑っていた。小さなクリーチャーも、大きなクリーチャーも、一様に。どうせ逃げ場などない。それを心の何処かで理解しているようにも感じられた。
俺は――――――――走り出した。
クリーチャー達は、何処に逃げようとしているのか。そこに何も無いと分かっていたとしても、つい生存本能に従って逃げてしまう自分が居た。自身の声さえ聞こえず、全身に激痛を感じながらも、俺は走る。…………そして、逃げた。
漠然とした心境の中、心の中でもう一人の俺が、俺に問い掛ける。
――――――――既に死んでいるようなもの、だって?
誰もが、生きている意味さえ見付けられなかったとしても、生きている。意味など無く、浮遊するかのような生でも、確かにそれは生きていた。それは、忘れてしまっただけだ。
余りにも平和な時の中で、『生きる』と云う言葉の意味を。
大地が揺れる。激しい音の次は、激しい地震だ。俺と同じようにクリーチャーもその場から動けなくなり、地面に張り付くのがやっとの状態となる。
逃げたくても、逃げる事が出来ない。
その状況で、初めて気付く事もあった。
生きたいと思っている自分が居たのだ。何度も命を捨てようとし、人として何の価値も持たないような生活をして来た俺にも、願望が生まれた。それは、俺自身に驚きを齎していた。
死にたくない。……誰だって、生きていたい。生きているだけで良いんだ。
そんな簡単な事に、こんな所に来るまで気付かないなんて――――…………
「おお…………おおおおお…………!!」
地面が、剥がれる。木々や水までもが、巨大な暗闇に吸い込まれて行く。
俺は星そのものに張り付くようにして、その強烈な吸引力から逃れようともがいた。……いや、吸引力ではない。これは、重力だ。
重力が反転しているのだ。……もう、そうとしか考えられない。
それが証拠に、先程まで吸い込まれていた筈の空は、少しずつ巨大な闇に近付いて行く。
星ごと、呑み込もうとしているのか。
「うおおおおおおおお――――――――!!」
声は聞こえない。だが、俺はがなり立てるように叫んだ。
くそ。――――俺は、望む。
俺は、この結末を、望む。
これは、全てを救った俺だけに与えられた特権。これ以上無い程の、名誉だ。
最愛の人を、救うと云う名誉だ。
「うああああああああああああああ――――――――!!」
呑み込まれて行く恐怖と、それにどうにか意識だけでも抗う為に、俺は叫ぶ。
そうだ。……クールじゃなくたっていい。格好良く無くてもいい。
平静な振りをして、頭の中ではいつも洪水から逃げ惑う群衆のように、パニックを起こしていてもいい。言葉の端から感情が溢れ出る事を人に見られるのが嫌で、いつも黙っている。それでもいい。
まだ、俺を認めていない存在がいる。
それは、俺自身だ。
固く、心を閉ざした。俺を傷付ける、すべてのものに。いつも警戒し、周囲に意識を張り巡らせる事で、外敵から身を護ろうとした。何より裏切られる事に恐怖を感じ、裏切られるならば初めから付き合うべきでではないと、他者を遠ざける為に素っ気ない態度を取った。
俺とは。木戸恭一とは。そのように、弱い人間なのだ。城ヶ崎に指令隊長だのと持て囃されて、俺がどれだけ内側で緊張していたか。いつか失望し、俺から離れて行くのではないかと、何度想い、胸を掻き毟りたくなる程のストレスに見舞われ、夜も眠れずにいたか。
何も感じない、鉄の心を持った、強い人間など居ない。
そう見えるのは、危機意識に呑まれているからだ。俺から離れて行った全ての大切なモノが戻って来ないと分かり、それでも自分を保つ為にはどうすれば良いのかと、考えを纏めた結論だったのだ。
そうして、何時しか俺は、涙を流すことをやめた。
「リズ!! …………俺は、お前が好きだ!!」
未練も、後悔もすべて、意味の無いものだ。
戻って来ないモノは、二度と戻っては来ない。だからこそ、強くならなければ生きて往く事が出来なかった。強くなると云うのは、通り過ぎる全ての人々に活力や魅力を与えるような、美しい覚悟ではなかった。
冷たく暗い闇の中を、永遠に歩いて行かなければならなかった。その為に、全てを捨てる覚悟をしなければならなかった。強くなると云うのは、俺を助けようと差し伸べられた手を、自ら振り払う覚悟をすると云う事だった。
罵声を浴びせ、醜く吐き捨てるように詰り、そんなものは要らないと、背を向ける事だった。
この場所に来るのは、俺一人だけで構わないと。
「俺を好きになってくれて、ありがとう…………!!」
そんな『正義』があってもいい。
俺が自分の人生に自信を持てなかったのは、その行動を俺が正しいと思えなかったからだ。心の何処かでは違うと、こんな事は間違っていると思いながら、自分自身を認められなかった結果だ。
良いじゃないか。
吐き捨てるように醜く無様な、『正義』があってもいい。
そこに心があるなら、その行動だってきっと、正しかった。
正しかったんだ。
「ああああああああああ――――――――!!」
地面に張り付いていた筈の自分が、真っ逆さまに落ちて行く。……巨大な、暗闇の中に。
『現実世界では、光速度を超える素粒子――――つまり『光子』を超える速度の物質は存在しないとされたの。質量=エネルギーの法則にも示されているけど、物体は質量を持っている限り、絶対に光速度には到達できない、という理論があるのね』
『そうなのか? あんまり、そういうのは詳しくないから……』
物体が分解されていく。……だが、俺は分解されない。何故なのか。……それは俺が、たった一人の『NPC』だからなのか。
だが、俺は落下し、高速化していく。遂に岩盤を掴む事も出来なくなり、俺は巨大な暗闇の中を、落下するに任せるしか無くなった。
同時に、周囲に散りばめられていた星か、やがて一本の線のように――――寄って行く。
不思議な光景だ。
まるで三次元が、三次元では無くなってしまったかのようだ。
『フォトンは、『質量』を持たない素粒子だから。物体が光速になる時、全ての質量はエネルギーに変わってしまう。つまりそれは、物体が物体では無くなってしまう事を意味しているの。だから、全ての物体は光速には成れない』
リズの言葉を思い出した。
俺は今、若しかしたら『光速』とやらになっているのだろうか。
『同時に、光速度に近付けば近付くほど、そのエネルギーについて、時間の進み方が速くなるんだ』
『時間の進み方が、速くなる……?』
やがて光速に辿り着くと、その速度は一定になってしまう。それは即ち、時間の進み方が速くなる、と云う事を意味している。……不思議だ。こんな事が、現実に起こるのか。
いや、これは架空の世界だったか。
分からない。……だが、唯一つ言えるのは、美しいと云う事だけだ。
リズが一生懸命に勉強していた事を、体験しているようにも感じられた。……既に痛みはなく、俺は何処に落下しているのかも分からない程に、抽象的な世界の中を進んでいた。
『下らないとか、つまらないとか、『本物』に生きている人は言うんだと思う。……でも、私にとっては、この世界が『本物』だから。ここが、私の生きる世界だから』
本物、だ。
この世界は、誰がどういった経緯で創ったにせよ、本物だ。決して、架空なんかじゃない。リズがやってきた事は、無駄なんかじゃない。
凄いじゃないか。
こんな世界がこの世の何処かにあるって、現実世界でも思いたいじゃないか。
間もなく、視界は真っ白な光に覆われた。
白銀色と翡翠色に光る顆粒状の何かが、空虚とも思える真っ白な光の中を、竜巻のように渦巻いている。その中心に一人、まるで深海に溺れ沈み逝く人間のように、天地を逆転させて脱力した自分自身が落下していく。
産声を上げる前の赤子が、現世に産み落とされる瞬間のような。あどけない、幼い少年の心のまま。
目を閉じ、何とも判別の付かない運動力に身を任せる。そこには表現の出来ない心地良さがあった。
…………不思議な気分だ。
それは例えるなら、池に丸石を落とした時に似ていただろうか。
波紋を描く運動力。発生した大きな波は、水面に立てた棒など恰もそこには無かったかのように、些細な障害物は無視して広がって行く。
…………ここは、何処だ?
何か、向こうに見える――――…………
「――――兄さん」
その向こう側に、怜士兄さんと遥香姉さんが、立っていた。
俺に向かって、笑みを浮かべている。
「兄さん!! 姉さん!!」
俺は、二人に向かって走り出した。
「待ってくれ!! ……俺、言いたい事があるんだ!!」
決して、二人に辿り着く事はない。だが、俺は走っていた。どうにかその身体に手を伸ばそうと、強い意思を持って。
言う事など、一つしかない。
「助けられなくて、ごめん…………!!」
それだけが、俺の無念だった。俺は純粋に、それだけを目標にしていた。……怜士兄さんの時も、遥香姉さんの時も、俺は力及ばず、二人を助ける所まで視野に含める事が出来なかった。
本当は、助けたかった。
二人共、俺の大切な家族だった。
何だ? ……二人は、俺に向かって首を振っている。
二人に近付こうと走っている俺に対し、指を差した。
俺は立ち止まり、振り返った。
「…………兄さん?」
走れ、と言っているように聞こえた。
…………訳も分からず、俺は言われた方向に向かって走り出した。
◆
『終末東京オンライン、全フィールドに告げる。……間もなく、世界は終末に向かう。君達は助かる。今すぐ左腕のプレイヤーウォッチから、『ログアウト』を選択して欲しい』
俺は巨大な岩の上で寝転び、朝焼けを見ていた。
あれ?
俺は起き上がり、辺りを見回した。
……これは、終末東京の世界が崩壊する直前の状態だ。一体、何が起こった……? 俺はどうして、こんな所に居るんだ。
巨大な闇は、再度俺に向かって襲い掛かろうとしていた。
立ち上がり、俺は辺りを見回した。――――…………まさか、ループするのか? 何回繰り返せばいい?
頭は混乱していた。だが、程なくしてある事に気付いた。
「クリーチャーが…………居ない」
綺麗さっぱり、終末東京の世界には、何も居なかった。
ジャイアント・ラットも登って来ない。何処を見ても、逃げ惑うクリーチャーの姿を発見する事は出来ない。……俺に、どうしろと言うんだ。
風が、巻き起こった。段々と強さを増して行くそれに、俺は恐怖を覚えた。
それが、どうしたと言うのだ。またあの恐怖を繰り返さなければならないのは、目に見えている――……ゲームの世界だ。何が起こっても、不思議ではない。
俺は立ち尽くし、その圧倒的な存在を前にして、歯を食い縛った。
「くそ…………何でだよ…………」
俺の意識とは関係無く、呟きは漏れた――……
強風に煽られ、俺は屈んだ。……間もなく、激しい音の脅威に晒され、両耳が潰れる。分かっていた俺は、意味が無いとは知りつつも、両手で耳を塞いだ。
――――――――いや、待て。
空間が一部、歪んでいる…………? 丁度、前回はジャイアント・ラットが走って来た位置だ。これはまるで、リズの『存在の不確定』のような――……
――――その、――――歪んだ空間から、――――手が、
「――――――――――――――――恭くん!!」
俺は、その手に飛び付いた。
泣きながら、上半身だけを俺に見せて手を伸ばしたリズ。その右手に引っ張られ、俺は歪んだ空間の中に入って行った。
視界が反転する。急速に俺達は落下し、その中で――……俺は、リズの身体を抱き寄せていた。
暖かい――――…………
真っ白な光を抜け、世界は今一度、反転する。
仮想的な夢物語にも似た空間。奇妙な体験から一転して、まるで現実的な感覚が蘇ってきた。
五感は正常に機能している。歪んだ空間に吸い込まれた自分に、何が起きたのかを特定出来ずにいた。
何かの異変が起こった様子はない。しかし、少なくとも自分は無骨でろくに装飾も施されていない岩石の上に立ってはいなかった。その場所は少しだけ、不安定なようにも思える。
「…………成功、したのか」
誰の声だ?
初めて、双眸を開く。
前に広げられた、自身の両手が見える。抱き締めたリズの背中が見える。別段肌理細やかでもない手指の向こう側に見えるのは、まるで病院のような白い壁と、白いベッド。その隣には、よく分からない大きな機械があった。
明智?
「うそ…………上手く行った…………」
椎名。
「リ、リズさん!! 上手く行ったんですよ、『タイムマシン』!!」
これは、ララ、か?
「うおおおおおおおっ!! いよっしゃあああああ――――――――!!」
城ヶ崎。
訳も分からず、周囲を見回した。機械の前で笑みを浮かべているのは、トーマスだ。……背中が冷たい。抱き締めたリズの身体は、少し震えていた。
「……………………リズ。……どうして?」
俺は、いつか言われたリズの言葉を、思い返していた。
『タイムマシンがあれば、このゲームが終わる時に、皆が遊んでいる時代に戻れるかもしれないでしょ? 夢物語でもいいよ。寂しくない方がいい』
ああ。……そうか。意味の無い事なんて、この世にはない。無駄な事なんて、この世にはないんだ。それは一見無駄なように見えても、点と点は何処かで繋がり、一本の道筋を示していくんだ。
リズと、皆と、話したい事が、まだ幾らでもある。
俺はどうやら、まだ死ねないらしい。
「あんな言葉ひとつで裏切られた、なんて、思うとでも思ったの? バーカ!! …………って、言ってやりたかったっ…………!!」
最愛のひとの唇は柔らかく、そして少しだけ、塩辛かった。
Fin.
ご読了、どうもありがとうございました。
『終末東京で、俺は戦器を握らない』これにて完結となります。
一年掛かってしまった……長かった……
今後の活動については活動報告に後日、書きたいと思います。
改めまして、遅筆ながら最後までお付き合い下さいまして、ありがとうございました。
次作はより面白さを追求出来るよう、精進して行きたいと思っております。
それでは!




