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終末東京で、俺は戦器を握らない  作者: くらげマシンガン
最終章 『スカイツリー』編
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第五十一話 終末東京で、俺は戦器を握らない

 俺は、ミスター・パペットに――――いや。木戸遥香に、そう言った。


 その後、暫くの……沈黙があった。


 確かに、予想外ではあったのかもしれない。木戸怜士がミスター・パペットだと言っておいて、その正体はエリザベス・サングスターだった。それは、完璧なシナリオだった。


 一度も、木戸遥香とミスター・パペットが関係している所を見せていない。俺が気付いているとは、思っていなかったのだろう。


 だから、現実世界と繋がっているネットワークを、切る事もしなかった。


「……もう、分かっているんだ。ミスター・パペット。お前は、エリザベス・サングスターじゃない。……『木戸遥香』なんだ」


 俺は、辺りを見回した。


 この場所は広いが、見晴らしが良い。最上階で、この上に行く事は出来ない。そして、特に隠れる場所も見当たらない。未だサバイバルゲームが続いている現状で、『スカイツリー』の下と云う事は考え難いし、人質確保という目的がある以上、何処か別の場所から監視しているとも思えない。


 最初から、気付いては居たのだ。エリザベス・サングスターが……リズが、『存在の不確定フローティング・ゴースト』と云うアビリティを持っている以上は。


 この場に居ながらにして、この場に居ないと云う事が可能なのではないか、と。


 俺はアビリティを使う――――使うのは、全てのアビリティを無効化するアビリティ。この世界には、そんなものもある。


 隠れているのは、リオ・ファクターが密集している場所。感じようとすれば、それを感じる事も出来る。


「巧いこと、やったと思うよ。……でも、この作戦はたった今、破綻した」


 直ぐ頭上の空間が、不自然に歪んだ。そうすると、ある筈の無いものが、そこに浮かび上がって来る。


 ……外野が騒ぎ始めた。俺は歪んだ空間の真下を歩き、ミスター・パペットに近付いた。狼狽えている様子を見ると、俺にそんな事が出来るとは思わなかったのだろう。……無理もない。誰かが自遊人でこのレベルに到達するまで、誰も仕様を確認しようとは思わなかったのだろう。


 この世界は、『ファンタジア』をベースに作成された。恐らく終末東京として外側を装飾された後も、当時の仕様が残っていたのだ。


 或る意味ではこれは、結果として怜士兄さんが俺に残した、唯一の『希望』。


「……やめろ、近寄るな……!!」


 最後の、この瞬間だけは、隠れる場所が無い。それは分かっていた。サンシャイン・シティでは、俺が兄さんの幻影に惑わされている内に、何処かに隠れる事も可能だった。だが、今はどうだろうか。


 今の俺は、例え怜士兄さんが現れたとしても動揺しない。その種が分かっているからだ。


『アビリティは?』


『秘密』


『なんでだよ』


『だって、アビリティって、本人のコンプレックスに関係するものが多いでしょ? 私、恭一に見られたくないもの』


 木戸遥香のアビリティは、怜士兄さんを創り出す能力だったから。


「『最愛の人の幻想ディア・ファンタジア』。…………そうだな」




 ――――――――俺は、ミスター・パペットの仮面を外した。




 その先に現れた人物と、目を合わせる。




 音は無い。モニターの向こう側でこちらの状況を確認している人々の顔も、半透明のドームの中で未だ拘束されている人々の顔も、嘘のように思える。


 不自然に歪んだ空間から、エリザベス・サングスターの身体が現れた。出現すると同時に重力の影響を受け、地面へと落下した。


 リズは、気を失っている。


 リズの隣に、何か小さな機械も落下した――――これはまさか、このNPCゲームを引き起こしている機械だろうか。


 エリザベス・サングスターは、都合良く扱われただけの存在だ。何度も登場し、何度もその顔を晒し、まるで覆面の意味など無いかのように、ミスター・パペットとエリザベス・サングスターはイコールで結ばれた。


 余りに、露骨だった。だが、それでもリズが常に候補に上がっていたのは、その作戦に抜け目が見えなかったからだ。


『他の誰でもない』と云う事だ。消去法なら、可能性が最も高いのは常にリズだった。


 露骨でも、構わなかった。犯人として候補に上がる人間の中に、自分さえ居なければ良いのだから。


 城ヶ崎の可能性もあった。神宮寺の可能性もあった。……ニコラスの可能性だって、『スカイツリー』事件の直前までは残っていた。


 …………だが。ミスター・パペットの正体は、木戸遥香だった。


 分かっている事だっただろうか。明らかに不自然、だっただろうか。盤上に当然配置されていなければならない駒を、何故俺が考慮しないのかと、若しも第三者が居れば、そう思ったのだろうか。


『あなたは弱いの!!』


 出来るものか。


「…………恭一、どうするの? …………私、犯罪者に、なったよ?」


 俺は歯を食い縛り、俯き、拳を握った。


 敢えて、故意に、俺は木戸遥香の可能性を考えなかった。『木戸遥香が、木戸怜士の姿を利用し、ゲームの世界で犯罪を起こす』等と云う展開は、考えてはならなかった。……あってはならなかったのだ。


 それは、怜士兄さんが追い掛けて来た夢を踏み躙る行為だからだ。兄さんと共に歩いて来た沢山の仲間を陥れ、全てを無に返す選択だからだ。


 遥香姉さんは、そこまで愚かではない、と。


 いや。愚かかどうかは、問題ではないのか。


「よく、出来たな。……こんな、事が……このゲームは、元を返せば怜士兄さんが作ったゲーム、そのものの姿なのに」


 震える唇が、それでもどうにか、言葉を紡いだ。


「何それ? どういうこと? ……ああ、怜士が作ったものを使って、怜士の姿を借りて、怜士の仲間を犯罪者にしたり、殺そうとしたりしたこと?」


 笑顔が、引き攣る。


「怜士は、『夢』を追い掛けて死んだんじゃない。殺されたのよ。……怜士の信頼するゲームと、怜士の信頼する仲間にね。……これは、戦争。そうでしょう?」


 遥香姉さんに、悪意は見えない。




「怜士の敵は、私が討つわ」




 俺は、怜士兄さんに関わる全ての人間を、赦した。……遥香姉さんは、それを赦さなかった。それだけの話だ。


 赦さなかった遥香姉さんにとって、怜士兄さんを取り巻く全ての環境は、『敵』になった。トーマスも、ニコラスも、或いはリズや、城ヶ崎だってそうだろう。


 その一切を赦さなければ、後は駆逐するだけだ。そこに何の情も、相手の都合も要らない。……ただ、目的の通りに破壊すればいい。


 破壊する事で怜士兄さんが生き返る事は無いが、全ての『敵』は居なくなる。そういうことか。


「――――姉さんは、強いな」


 俺は、目を閉じた。身体の震えは、治まっていた。


 姉さんは黒いローブを脱いで、顔を公開する。……どうせ今から顔を隠した所で、遥香姉さんの事など直ぐに騒ぎになるだろう。そして、怜士兄さんの妻である情報が明かされるに違いない。


 もう、終わっているのだ。ミスター・パペットとしての、木戸遥香の計画は。木戸恭一が、エリザベス・サングスターは無罪だと解き明かした事によって。


 木戸遥香は『敗け』、そして『悪』になった。


「ねえ、いつから気付いていたの? 本当の本当に、始めから?」


 俺は、腹の底から湧き上がる想いに、呑み込まれていた。


「…………いや。勿論途中までは、遥香姉さんの事なんて考えもしなかったよ。……初めて違和感に気付いたのは、『ガーデンプレイス』から戻って来た後。『アルタ』の喫茶店で、初めて姉さんがログインして来た時」


「あはは、すごいね。そんなに前からなの?」


 姉さんは素直に驚いたようで、黒いローブを捨てて俺と向き合った。俺は姉さんと目を合わせる事が出来ず、視線を地に落としたままで言った。


『アレックス、ちゃんとご主人様の所に行かなきゃ。ね』


 あの時。


「俺達は、明智とララを待っていた。その時、遥香姉さんが背中から現れて、俺に抱き付いてきた。店から出て来る時に付いて来てしまった、リズの肩に留まっていた鳩を見て、遥香姉さんが『アレックス』って言った」


「確かに、言ったけど――……」


「別に、不自然と言うほどじゃない。……でも、違和感があったんだ。もし遥香姉さんがあのタイミングで初めて終末東京に来たのなら、あの環境の全てとファーストコンタクトって事になる。……この世界に来たのも初めてなのに、『ご主人様の所に行かなきゃ』なんて。……まるで、喫茶店のマスターが鳩の主人だって、最初から知っていたみたいじゃないか」


 リズは、『喫茶店に戻らなきゃ』と言ったのだ。


 染谷が鳩の主人だとは、一言も言っていない。


 姉さんが驚いたような顔をした。……まさかそこから、と思っているのが、表情からも分かった。


「だから……もしあの『アレックス』を姉さんが操作出来たとしたら、『アルタ』で『デッドロック・デバイス』を盗まれた事にも納得が行くんだ。最初に椎名が居なくなって、アレックスが俺達の所に『デッドロック・デバイス』を持って来た時は、確かに本物だった。すり替えられたのは、リズに『デッドロック・デバイス』を渡した日だ…………それだけだとリズがすり替えたように思えるけど、俺はリズに渡した日の朝、偶然リズの部屋でログインしたから知ってるんだ」


 遥香姉さんは、納得したような顔で笑みを浮かべた。……まるで、ゲームを楽しんでいるかのように。


 俺は、遥香姉さんを睨んだ。


「リズの部屋、窓が開いていたんだ。何でだろうと思った……別に部屋の中が暑かった訳でもない。それで、思い出したんだ。『あの鳩は夜でも飛べるんだ』ってことに」


 夜でも飛べるなら、夜中の内にもう一度リズの部屋を訪れる事も、『デッドロック・デバイス』をすり替える事も不可能ではない。そう、考えた。


 そうすると、どうだろう。リズしか其処に居ない、すり替えられないタイミングに、もう一つの要素が加わる事になる。恰も、罪を押し付けるようではないか。


「『ガーデンプレイス』の予言は?」


「仲間内に犯人が居ると思わせる為のフェイク。……いや、結局はフェイクじゃないけどな。姉さんは、城ヶ崎が俺の家に押し掛けて『海に行こう』って言ってるのを聞いてる」


 アレックスを操作していたとするなら、遥香姉さんは『アルタ』で騒ぎが起きた時からログインしている事になる。当然、『ガーデンプレイス』の電源が落ち、シェルターの出入りが不可能になる前から『ガーデンプレイス』に侵入しておく事が可能になる。


 アタリではない、本物のミスター・パペットは、騒ぎが起きる手前から『ガーデンプレイス』に居た。だから、事件が解決して直ぐに俺へと手紙を残す事も出来た。


「でも、『ヒカリエ』では私も戦ったよ? 恭一は私の事、ずっと見てたじゃない。でもあの時、リズちゃんは姿を消したわ。どうやって私は事件を起こしたの?」


「……仮想パーティーの日、リズが消えたのは姉さんが来る少し手前だ。それまで、俺は仲間の誰も発見出来ていない。空白の時はあった」


「それは、リズちゃんが遅れてきたからでしょ? 本来は一緒に行った筈なんだから、あれは偶然」


「偶然じゃない」


 俺は遥香姉さんの言葉を遮った。


「知っていたんだ。遥香姉さんは、リズのアビリティが必要以上に『リオ・ファクター』を消費する能力だって事に。そして、消費し切れば意識を失うって事にも――……今もそうだったけど、リズの能力を無理矢理引き出す仕掛けがあるんだろ?」


 仮想パーティーに行く手前、リズが言っていた。


『随分、遅かったもんだな』


『なんか、途中で調子悪くなっちゃってね。休んでたんだよ』


 リズの能力を外部から発動させる手段があるのは、今まで『スカイツリー』でリズが能力を使っていた事からも明らかだ。遥香姉さんは何時でも意図して、リズの仮想パーティーの参加を遅らせる事ができた。……他の人間に対して使えない所を見ると、リズだけに特化した能力か装置なのだと予測する事は出来るが。


 今の俺に対して、その装置が使われていない事を考えると、やはりリズだけに効果のある物なのだろう。


「じゃあ、私がクリス・セブンスターと仲間だったっていう根拠は? どこで分かったの?」


 姉さんは、楽しそうだった。


 遥香姉さんに、余裕が有り過ぎる。……それは、俺に違和感を与えていた。普通、これだけ大掛かりな事件が暴かれれば、多少なりとも動揺して然るべきではないのか。……何故、こんなにも平常でいられるのか。


 ……それとも、まだ何か策でもあるのか。


「クリス・セブンスターは、NPCの称号を持っていた。あれも幻覚だったと想定する事は出来るけど、俺はそうではなかったと考えた……クリスは自信家だ。大聖堂での戦いの後、あの状態からでも、何らかの手段で逆転する事を考えていたんだと思った。だけど、クリスには下手に足掻いて、完敗して欲しく無かったんだ。この『スカイツリー』で俺を迎撃する為に、姉さんにはクリスがどうしても必要だった」


「だから、NPCの称号を後から私が付与した、と言いたいのね」


 あの戦いは、姉さんにとって『スカイツリー』事件を起こす為の前哨戦だ。だから、クリスをNPCにする事で、あの意地を張りがちな男に、撤退のサインを送った。


「タイミングは、椎名が動き出したすぐ後だった。きっと姉さんも、椎名の行動の異変に気付いたんだろ?」


『いっ……!?』


『恭一に……手を、出さないで……』


『――――手を離せよ、女』


 足首を掴まれたにしては、痛がり方が尋常ではなかった。あの戦闘に慣れている男が、だ。


 NPCになったのは、あの時だ。遥香姉さんが、クリス・セブンスターをNPCに変化させたのだ。


「犯人は、木戸遥香だ。……この発言は、報道されているんだろ。もう、逃げ場はない。大人しく全ての人質を解放して、自首するんだ」


 俺は、姉さんから目を離さない。


 何が起こるかと、思っていた。遥香姉さんからたった一度でも目を離せば、それが起こるような気がして――――まだ何かを仕掛けられているような気がして、気が気ではなかった。


 木戸遥香は。……木戸怜士の妻は、やはり妻だった。思慮深く策を練り、それは針の穴を狙うような攻撃にも耐え得る強度を持ち、そして、何にも屈しなかった。




「…………大丈夫。恭一の、勝ちだよ」




 片や、澄んだ笑みで。……片や、身も心もぼろぼろになって。


 俺達は今、最後の戦いをしている。


「あーあ。……結局、全部暴かれちゃった。……やっぱり私は、怜士にも、恭一にも、この世界じゃ敵わないのね」


 姉さんは、俺に背を向けた。そのまま、電波塔の窓へと向かって歩いて行く。


 ……犯人は明かした。既に、姉さんにミスター・パペットとして出来る事は、何もない。姉さん自身も、顔を晒してしまった。


 終わりだ。……本当に姉さんの言う通り、この戦いは――――


「ねえ、恭一。ひとつ、聞いていい?」


「…………ああ」


 遥香姉さんは、懐からリモコンを取り出した。


 ボタンを押下すると、先程までホログラムのスクリーンとして出現していたテレビモニターが消える。……撮影も、終わったのだろうか。この状況でわざわざスイッチを切ると云う事は、そうなのだろう。


 半透明のドームに捕まった人間達は、成り行きを見守っている。……それしか、術が無いのだ。今、この世界と彼等の命を抱えた全ての決定権は、俺と遥香姉さんにある。


 遥香姉さんは、振り返った。




「本当に最後まで、協力してくれなかったね」




 俺は、目を見開いた。


 振り返った遥香姉さんの顔に、俺は装備していた銃を、捨てた。


 決着は付いた。俺の勝利という形で。遥香姉さんは涙を流し、俺が姉さんに牙を剥いた事を嘆いているようにも見えた。


 俺はミスター・パペットの正体が分かってからも、一度も遥香姉さんに協力しようとは思わなかったし、助けようとも思わなかった。……遥香姉さんの事が嫌いになった訳ではない。今でも相変わらず、きっと俺は、この人が好きだ。


 だが。姉さんが起こした事件については、俺は共感出来なかった。……それだけだ。


「……気持ちは、分からないでもない。……でも、やられたからやり返そうって考えは……俺は、間違っていると思う」


「綺麗事を言うのね。……だから恭一は、弱いのよ」


 吐き捨てるように、姉さんは言った。




「間違っていても、戦わなきゃいけない時があるの。残酷でも、救われなくても、やらなければならない時があるの。勝てば正義、負ければ悪になる世界があるの。……あなたは、何も分かってない」




 俺は、そんな姉さんの言葉が、堪らなく悲しかった。


「でも、もうそれも終わり。……私は、負けたの。負けた私が悪よ。……それで良いわ。それ以外には、もう何もいらない」


「違う……!! 姉さん、それは違う。まだ、やり直せる……!!」


 銃声があった。


 電波塔の窓硝子が割れたのだと云う事に、俺は粉々になった硝子を見るまで気が付かなかった。突如として強風が吹き荒れ、俺はその強風に引きずり込まれそうになった。


 遥香姉さんは、直ぐそこに立っていた。手すりで身体を支え、銃を構えた。それを、俺に向けた。


「姉さん!!」


「甘えないで!!」


 遥香姉さんは、激昂していた。


「恭一。……あなたは、私と戦ったの。私の敵になったの。……そして、勝ったのよ。でも、私も勝った。私は私の目的を遂げたの。これでもう、思い残す事は何も無いわ」


 違う。


「決して私を赦さないで。決して私を認めないで。……あなたは、こっちに来てはいけない」


 気付いた。……何かがあるんじゃない。遥香姉さんは、終わらせようとしているんだ。その全てを、本当に。


 それが分かった時、俺は走り出していた。壊れたバトルスーツは、既に本来持っている運動能力を失っていた。リオ・ファクターで速度を加速させるが……銃が抑制力にならないと分かった遥香姉さんは、直ぐに体重を後ろに掛けた。


 遥香姉さんが、電波塔から、落ちる。


 手を、伸ばした。




「ごめんね。……だから私も、恭一の事を赦さないよ」




 泣きながら、姉さんは言った。


 こめかみに、銃を。落下の寸前、俺は見えてしまった。黒いローブを脱いだ遥香姉さんの左肩が光っていた。服の上からでも分かる程に、煌々と照らされた、『NPC』の文字。


 やめろ。


 その声は俺から発されず、遥香姉さんの返答は銃声だった。俺は手すりから身を乗り出し、割れた窓ガラスの穴から手を伸ばしたまま、硬直していた。


「姉さっ――――…………!!」


 なんだ、これは。


 どうして、誰も彼もが苦しまなければならないのか。


 正義とは、何だ。……悪とは、何だ。何故無理をしてまで、戦わなければならない。永遠に恨み続けなければならない。何を持って、白黒を付けようと言うのか。その定義は、何処にある。


 何故、戦うんだ。


 誰もがその腹に、戦器を握り――――…………




 ◆




 風は、穏やかに吹き込んでいた。


 俺は身動きを取る事が出来ず、その場に崩れ落ちていた。まるで、嵐の後のようだった。


 不意に、俺の肩が何者かの手で叩かれた。振り返ると、そこには見知った顔があった。


「…………トーマス?」


 トーマス・リチャードが、俺に笑みを向けていた。


「恭一、ありがとう。木戸遥香が倒れた事で、ドームが崩れたみたいだ……君のお陰で、どうにかなりそうだ」


 直ぐにトーマスはコンピュータを広げ、操作を始めていた。リズが出現した時に、同時に落下した機械を調べているようだった……まだ、時間は幾らでもある。生き残っている人間は、もう戦う理由も無くなる。


 硬直している俺に、トーマスが言った。


「君は、君の出来る事をやった。……それだけの話だよ。君は悪くない」


 …………そうだろうか。


 俺は遂に、遥香姉さんを救う事が出来なかった。……いや、あれで姉さんは救われたのだろうか。今となっては、それさえも分からない。


 遥香姉さんは、俺を仲間に引き入れて、どうするつもりだったのだろうか。……他に仲間など居ないだろう。後は二人でひっそりと、何処かに隠れ住む予定だったのだろうか。


 何れにしても、まともな未来はない。


 ……まともな未来など無いと、始めから分かっているのに。


「元気を出すんだ。……君が出来る事は、まだ残ってるだろ?」


「……出来る、事?」


 トーマスは俺に笑みを向け、親指で、自身の背後を指差した。


 俺は、顔を向けた。


「うわっとっと…………おいリズリズじゃねーか!! ……やばい? 寝てんのか?」


 …………城ヶ崎。


「これ城ヶ崎、やめとけ。意識を失ってるみたいだ。リオ・ファクターの枯渇っぽい反応が出てる」


「え、分かるのかよ……明智、医者っぽいじゃねえか」


「俺は医者だよ!!」


 城ヶ崎と明智が騒ぎながら、歩いて来た。椎名が俺を発見すると、華のように可憐な笑みを浮かべて、駆け寄って来る。


「木戸くん!! 良かった、無事だったの!?」


 呆然として、俺は一同を見ていた。何も考えられず、真っ白になった頭で、ただ、状況を眺めていた。


「…………どうして、ここに?」


「倒せたんですよ、ボス!! 誰も死にませんでした!!」


 快挙を達成したと、ララが俺にピースマークを送る。……そうか。俺を通した時点で、引き返すのが最も安全かと思っていたが。彼等もまた、戦ってくれていたのか。


 何故かと問い掛けるのは、愚かだろう。


 俺を助ける為だ。


「やっぱ、小凪ちゃんの実力あっての事だったよな!! いやー、マジで助かったぜ」


「あ、いえ、あの、私は…………」


 すっかり城ヶ崎効果で仲間に引き入れられた工藤が、照れて縮こまっていた。明智も工藤の肩を叩き、煙草に火を点けた。


「本当だよ。お前さんが居なかったら、前衛の城ヶ崎が殺されていておかしくねえ。まあ、それはそれでアリだったけどな」


「どういう意味だよ!!」


 ……すっかり、仲良くなっている。大したものだ。若しも俺が彼等の立場だったら、突発的に現れた後衛などに背中を任せる事は出来ない。


 俺だけは事情を知っているので、頼りに出来ると分かっていたが。


 城ヶ崎が声も出さずに、何故か騒々しさを感じさせる足取りで、駆け寄って来た。


「恭一!! ……恭一、良かった。やっぱ、ミスター・パペットを倒せたんだな!!」


 そう云えば、まだ仲間には、本当の事を話していなかった。俺は苦笑して、城ヶ崎と目を合わせた。


「……いや。ミスター・パペットは、遥香姉さんだったんだ」


 そう言うと、彼等の動きが止まった。『ヒカリエ』で、遥香姉さんとは皆が顔を合わせている。……それがどういう意味を持っているのか、理解したのだろう。


「俺が巻き込んだだけ、みたいなものだよ。……ごめんな、わざわざ助けに来てくれたのに、結果がこんなんで」


 沈黙が訪れた、かと思われたが。


 不意に城ヶ崎が、俺の肩に腕を回した。




「……なあ、恭一よ。お前はそう思ってるのかもしれないが、ここに居る奴等は皆、お前に救われたんだぜ?」




 そう言われて、俺は気付いた。


 半透明のドームが崩れた事で、トーマスを始めとする全ての人々は解放された。成り行きを見守っているようだったが――……やがて、拍手の音が聞こえて来た。


 …………ひとつ。…………ふたつ。やがてそれは連鎖し、気が付けば俺は、拍手の音に囲まれていた。


「ありがとう!!」


「やっぱり助けてくれていたんだな、青年!!」


「あんたのお陰だ!!」


 誰もが、俺に笑顔を向けていた。僅かに涙している者さえ居た。


 ……俺は、こんなにも沢山の人から感謝をされたのは、初めてだ。


「なあ、恭一。これは、喜んでも良いんじゃねえか?」


 俺は――……遥香姉さんが飛び降りた時に、自分は間違った事をしてしまったのかと、そう思った。……いや。誰が間違っていて、誰が正しいのかなど、誰にも分からない事なのかもしれない。


 他人事のように言うのであれば、何時の世も、犯罪者には犯罪者の真理があるのだ。それが世間一般的に『犯罪』だと定義されているだけで、本人は罪を犯している気など全く無い事もしばしばあるものだ。


 だから、今回俺が取った行動もまた、間違っていない。そう示されているように感じた。


 俺が取った行動が、ここに居る人々を救ったと云う事実もまた、真理としてあるのだろう。


「よし……いける。彼女が作り変えた設定は、やっぱりそんなに難しいものじゃなかった」


 トーマスはゲーム世界そのものにアクセスし、何かを操作しているようだった。目まぐるしく指が動いている……既に、終末まで二十四時間を切っているのだ。確かに、時間はない。


 俺だけに出来る事――……そうか。


「皆、聞いてくれ!! ミスター・パペットは下の連中に向かって、モニターを使ってゲームの内容を説明した!! 何処かに、そのモニターがあるはずだ!! もう戦いをする意味はない、そう伝えよう!!」


 俺の仲間を含む、半透明のドームから出て来た全ての人々に、俺は言った。




「俺達は、助かる!!」




 やがて、希望の色に満ちていく。


 我先にと、人々は下の階へと向かった。撮影が行われたのは、此処の筈だが……彼等はミスター・パペットが状況を説明した、更にその後を見ているから、撮影機器の場所が分かっているのかもしれない。


「恭一、行くぞ。この世界のNPC人数を最低まで下げる。……それで、全ての人々がNPCからプレイヤーに変わる事になる」


「……出来るのか、そんな事が」


 何時になく、トーマスの表情は輝いていた。


「プレイヤーがNPCに変わる事が出来るなら、逆だって可能だ。ずっと、何をキーにしてその現象を発動させているのか、それが気になっていたんだよ。……リズと共に隠されていた、これだ。今からこれを使って、全てのNPCをプレイヤーにする。勿論、終末東京で生まれた人々も助かる」


 世界が、変わる。


「行くぞ!!」




 ――――トーマスは、プログラムを実行した。



このまま完結まで行きます。

一時間後、最終話・エピローグが公開されます。


すいません、一話分伸びちゃいました。


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