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終末東京で、俺は戦器を握らない  作者: くらげマシンガン
最終章 『スカイツリー』編
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第五十話 向こう側に立っていた人間に、俺は

 全ての幻影が、霧散した。


 過ぎてしまえば、それは一瞬の幻。或いは、流れ星のようなものだ。自分が本当にそれを経験したのかどうかさえ、定かでは無くなる。


 だが、その幻影を『意図的に作り出す』という、この男の能力。そして奴が隠した、自身のアビリティについての情報――……それが、俺を混乱させる原因となっていた。


 俺は流れるような手捌きで、懐から銃を取り出した。元、怜士兄さんだった存在。クリス・セブンスターへと、数発、銃弾を撃ち込む。


 この男がミスター・パペットの引き起こした、『NPC化現象』に関与しているのかどうかは、分からない。加えて、この男が今、NPCなのかどうかも、当然確認しなければならない所だ。


 俺の攻撃をひらりと踊るように躱すと、クリス・セブンスターは俺を見た。


「お前のアビリティは…………『災難は二度繰り返す(ダブルトラップ)』。全く同じ現象を、『状況下に関わらず』もう一度起こす事が出来る能力だ」


 思えば、不自然だった。クリス・セブンスターが何者かに撃たれたかのような顔をして、その場に倒れ込んだ時だ。


 あの時『ヒカリエ』でララの身体が光り、ログアウトされたのは、引き起こされたNPC化現象を城ヶ崎が解除した事によって、ララの属性が変わり、必然的に起こされたものだ。しかし、若しもそうであるとするなら、クリス・セブンスターがNPCに変化した事は説明が付かない。


 つまり、あの時クリス・セブンスターに、何かが仕込まれたのだ。


 クリス・セブンスターがNPCになった事の真相を、この場で解き明かす必要はない――……必要なのは、クリスがそれを把握するタイミングがあった、と云う事だ。事情を話し始めたクリスは、既に自分がNPCに変わっている事実に気付いていたと考える。


『…………まいったね。どうやら、用無しは死ね、って事らしいよ』


 恐らく、あの時。


 その後は全て演技。敢えてデッドロック・デバイスを俺に与え、NPCの称号を受けたまま自身の死を見せる事で、クリス・セブンスターは確実に役割を遂行した。


 銃声が聞こえた時から、既に幻覚は始まっている。俺は何処から銃弾が撃ち込まれたのかを推理し、検討し、自身に納得の行く解答を見出すしかない。


 クリス・セブンスターが拳銃を使う人間である以上、あの大聖堂内で穴は無数に空いていた。俺がそれを勘違いしただけだ。


 そうして、俺はクリス・セブンスターは死去したのだと、錯覚するに至った。


 これが、『ヒカリエ』事件の真相だ。


「すごいな。……内容はともかく、まさか名前まで当てられるなんて」


 いや。……それだけではない。偽名と云い、態度と云い、この男は何から何までブラフだらけだ。


 この場所に、クリス・セブンスターを配置する理由。……当然、此処に上がってきた瀕死の俺に、止めを刺す為だ。俺は、あの凶悪な最終ダンジョンを乗り越え、ぼろぼろの状態で此処に来るものだと思われている。


 現にバトルスーツは半壊し、『敗者の拳』も相当な回数、使っている。そう思うのは当たり前だ。


 だが。


 俺が一歩前に出ると、クリス・セブンスターは二丁拳銃を構えた。


「初めに言っておく。……お前は俺に敵わないどころか、指一本触れる事は出来ない」


 俺の宣言に、クリス・セブンスターは嘲笑した。……まだ、気付いていない。当然だ。この状況で、俺が切り札を持って現れると考える筈がない。


 だが、それは勝手な思惑――勝利の確信が生み出した、怠慢であると言わざるを得ない。


「指一本だって? ……『きみ』が? おいおい、勘弁してくれよ!!」


 一度は構えた二丁拳銃を、素早くホルスターに戻した。次にクリスが取る行動は。当然、前へと出て来る。


 その余裕を見て、クリス・セブンスターは俺の事実に気付いていないと、確信を得るに至った。


 俺の挑発に乗ったのだ。……俺が何かを隠していると開示した所で、そんなものは真正面から打ち破って見せるという、余裕の表れでもある。


 自遊人ニートで、負け犬の勘違い(ピュア・ハート)で、敗者の俺に何が出来るのか、と。


 一瞬で距離は詰まり、俺の視界一杯にクリスの顔が映った。悪意の嘲笑に満ちた表情は歪み、躊躇無く俺の首に手を伸ばす。


「ほら。…………もう、触れちゃうよ」


 だが。それでは、駄目なのだ。


 いい加減、見せてやる事にしよう。


 俺は僅かに、『リオ・ファクター』に意識を込めた。


 ゆらりとした意識の向こう側。今度はクリスの背面を、視界に捉える。




「えっ――――――――?」




 驚愕に、クリスの表情が変化する。俺はその様子を、全く別の位置から眺めていた。俺の首を絞めようと向かった右手は、虚しく空を切った。


 暫くの、間があった。


 クリスは徐ろに、俺へと視線を向ける。何もせず、腕を組んだままで立っていた俺は、特に笑みを浮かべるでもなく、クリスに向かって肩を竦ませた。


「どうした? 首を絞めるんじゃなかったのか?」


 混乱している様子だった。


 俺は、クリス・セブンスターと名乗る男に、怒りを感じていた。


 無言のまま、クリスは二丁拳銃を引き抜いた。……余裕を見せている状況では無いと、ようやく気付いたのだろう。俺の言葉が単なるハッタリ、或いはトラップの類では無いことに、今更ながらに気が付いたのだ。


 銃が乱射される。その速さは二丁拳銃を持っていながらにして、マシンガンのようにも思えた。そのまま進めば、俺の身体を貫通し、俺は蜂の巣になっていただろう。


 だが、その弾速は、俺の半径二メートル以内に入った所で、急速に衰える。


 そのまま当たる事もなく、俺はゆっくりと大きく三歩、右に避けた。


 クリスは、目を見開いた。


「なっ…………なんっ…………」


 戦器を握る者の怠慢。自分より弱い者に対する油断。準備は足りず、気付いた時には全てが遅い。


 だから俺は、お前のような強者が大嫌いだと、心の裏側で思っていた。


 今度は、俺の番か。戦器を構える事もなく、俺は左手を静かに、クリス・セブンスターに向ける。


 何にしようか。……あまり、時間も無い。だが、確たる現実をクリスに教えなければ。二度三度、この男は俺の所に向かって来るかもしれない。


 それでは、いけない。俺がやらなければならない事は、奴の戦器を奪い取り、無力化し、完全な敗北を提示してから、その仮面だらけの思考の裏に隠された真実を暴く事だ。そうしなければ、例え終末東京の世界で無くとも、この男は再び牙を剥く可能性がある。


 今度は一切の油断をせず、ハイエナのように狡猾な思考で。


 意識すると、巨大な爆炎がクリス・セブンスターを襲った。


「はあっ!?」


 何が起こっているのか、分からないのだろう。……無理もない。


 だがクリスは横っ飛び、俺の攻撃を避ける。大した反射神経だ。元々、バトルスーツを焼き切る為の加減した爆炎だったが――――当たらなければ、どうと云う事は無い、か。


 クリスは拳銃による攻撃を諦めたのか、ジャックナイフを取り出して俺に向かって来る。……今度は体術と云う訳か。


 俺は地面から呼び起こすように、下から上へと指を持ち上げた。


 瞬間、俺の目の前に盾になるように、巨大な大木が出現した。それは恐ろしいスピードで『成長』し、クリスの行く手を阻む。


「くっ…………!!」


 それでも飛び込むしかないクリスは、大木の出現を避け、どうにか俺と距離を詰めようと試みる。だから俺はクリスに向かって右手を向け、その手に『リオ・ファクター』を込める。


 跳び上がった筈のクリスは、恐るべきスピードで地面へと逆戻り。張り付き、動く事が出来なくなった。


 クリスが驚いているのが、手に取るように分かる。


 だが、俺には何の負荷も掛かっていない。捉え、身動きの取れないクリスに向かって歩き、俺はホルスターから二丁拳銃を奪った。


「なっ…………何なんだ…………何なんだよ…………これは…………!!」


「何って、重力だよ。城ヶ崎が使ってただろ?」


 わざと、意地の悪い事を言った。クリスが歯を食い縛り、俺の豹変振りに悔しさを覚えているようだった。


「……そもそも俺達は、『自遊人』という職業に対して何も理解していなかった。……そういう話だよ」


 気が付いたのは、『サンシャイン・シティ』の屋上で、リズ救出の為に窓から飛び出した時。


『退け!! 兄さんっ――――――――!!』


 怜士兄さんの姿を通り抜け、リズに向かって手を伸ばした。あの時の俺は、それまでから考えれば絶対に不可能なスピードでリズの所へと到達し、その身体を捕まえるに至った。


 何かがおかしい。違和感は覚えていた。しかし、それが何なのかを特定するには時間が掛かり、そして何かを特定した後も、絶対に誰かに見せる事は叶わなかった。


 共有してはいけなかったのだ。


 それは同時に、ミスター・パペットに俺の潜在能力を開示するきっかけにも成り得るからだ。


「俺は、この職業である以上、自分のアビリティに恩恵があるなんて考えもしなかった。俺の『自遊人』という職業と、『負け犬の勘違い』というアビリティを知っているお前達は、最初から俺の武器は『敗者の拳』一択だと信じて疑わなかった」


 クリス・セブンスターは、既に俺に逆襲する事は不可能だと理解したのだろうか。相変わらず鋭い眼光は、俺を捉えていたが。


 だが、これはお前の怠慢が招いた結果でもあるのだ。若しも本当に俺を監視していたとするなら、気付くタイミングはあった。


 当たり前だ。


 俺は気付く事が出来たのだから。


「何も出来ない職業、『自遊人』。それは、元素関数が無いからだ。行き場のない『リオ・ファクター』はどれだけ育とうとも、何かに変化する事が無い。従って、無用の長物という訳だ。……それは、途中まで間違っていなかった」


「…………途中、まで」


「分からないか。……まあ、お前達はゲームをやらないんだろうから、分からないかもしれないな。……俺は途中で気付いて、ずっと考えていたよ。『自遊人』は、何に変化するのかってな」


 クリスは、大きく目を見開いた。


「変化、だと…………!?」


 まあ確かに、現実世界では早々無い話ではあるだろうか。


「最弱で何も出来ないジョブってのは、どんなゲームにも存在するもんだ。だけど、夢を追い掛けてそのジョブに変える人間も一定数、存在する。それは、未来があるからだ。何も出来ないながら経験値を積んでいくと、ある時、他のジョブでは成し得ない強力な技を覚えたり、強力な何かに変化したりするもんなんだよ」


 最弱のモンスターが、強力な技を。最弱の職業から、最強の職業へ。元が弱かった分、反動も強大で、順調に育っていったキャラクターとは一味違う強さを発揮する。それは、現実には存在しない、ゲームならではのボーナスステージだ。


 俺の懸念点は、ミスター・パペットがジョブについて操作を加えていたか、と云う部分だけだった。だが、それは無いだろうと考えた。一つのヒントは、俺以外にも『自遊人』のジョブは存在していて、それを背負ってゲームをプレイしているプレイヤーが存在していた事。


 そしてもう一つのヒントは、彼等が『自遊人』の本当の実力を発揮していなかった点だ。


 終末東京は、ログインする瞬間にプレイヤーのパラメータを解析し、職業とアビリティを決める。初めてログインした時から、それぞれの職業・アビリティは決まっていた。


 つまり、俺が『自遊人』になるかどうかを、ログインする前にミスター・パペットが予め知り、仕込んでおくのは難しかったのではないか、と云う事。何を基準にしているのかは分からないが、『俺のパラメータ』をゲーム開始以前に知るのは難しい筈だ。


 それが、『自遊人』の成長に先があると予測する為の、貴重な仮定となった。


 この世界では死んだ所でログアウトされるだけだが、その痛みはプレイヤー本人に与えられる。誰も好んで無力のまま、外界のクリーチャーと戦おうとは思わないだろう。それが、『自遊人』と云う職業がこれまで育って来なかった、一つの障害だった。だが逆に言えば、それは『ゲームのセオリー通り』とも言えるだろう、と考えたのだ。


 無理に、『面白さ』まで奪う必要はない。


「そして、『自遊人ニート』は何にでも成れるが故に、『自遊人ニート』を極めるとあらゆる元素関数・アビリティが使える、という結論に達した訳だ。自分で変換するからなのか、相変わらず戦器は持てないみたいだが――……これなら、戦力にもなるだろう」


 俺は、動けずに居るクリスの左肩を露出させ、その内側を確認した。


 確かに、NPCマークが光っている。……この状況下では、クリスも例外ではないと云う事だ。……流石に、気付いただろう。幻影を霧散させた段階で、俺は相手の元素関数を破るアビリティを発動させている。……二度、同じ手は使う事が出来ない。


 今度は、逃げられない。


 クリス・セブンスターのあらゆる手段を、完璧に封殺した。既に戦闘にはなっていないのだ。


 暴れていたクリス・セブンスターの動きが、大人しくなった。


「…………そうか。でも君は、ショッピングモールでも、ダンジョンでも、一度もその能力を使わなかったじゃないか。それは、どうして?」


 俺は出現させていた大木をその場から消滅させ、辺りを見回した。


 上階へと続く階段がある。……更に上があるようだ。ミスター・パペットと囚われた人々は、もう一つ上の階になるのか。


「このタイミングじゃないと、意味無いだろ。対策を立てようと思えば、立てられるさ。戦う人間を増やしたり、俺の能力を無効化する何かを投入したりな――――それじゃあ、切り札にならない。ジョーカーってのは、最後の最後まで取っておかないと機能しないもんだろ」


「…………監視している事も、ばれていたのか」


 ショッピングモールでの出来事を、俺は思い出していた。


「現実世界に、『スカイツリー』の状況を中継していただろ。そんな事が可能なら、幾つもカメラがあって、俺の動向を探る事が出来て当然だ」


 クリスは笑い出した。今度は嘲笑ではない、諦めにも似た笑いだった――――誰も居ない『スカイツリー』のフロアに、乾いた笑い声が響いていた。


 時刻は……大丈夫だ、まだ余裕がある。今からフロアを上がり、トーマス・リチャードを解放して、NPC問題を元に戻させる。不可能な話ではないだろう。


 ……ようやく、走り切ったのか。


「参った、僕の負けだよ。……君には完敗だ。流石、木戸怜士の弟さんって所かな」


「…………怜士兄さんは、関係無いよ」


 少なくとも怜士兄さんの後ろを歩いていただけの俺なら、この障害を突破する事は出来なかっただろう。


「もう、何もしないよ。どの道、僕はもう『ミスター・パペット』から愛想を尽かされているだろうし、報酬も出ないだろうし。……だから、重力の枷を解いてくれないか?」


 俺は既にクリス・セブンスターに興味を無くし、上階へと続く階段に向かって歩き出していた。……クリスをこれ以上、拘束しておく理由もない。俺は重力を解除し、階段に足を掛けた。


 瞬間、クリスの姿がそこから消える。立ち上がり、移動するまでの僅かな時間は、俺には視認する事は出来なかった。




「――――――――馬鹿だな。油断したのか?」




 俺の直ぐ背後で、声がした。


 ジャックナイフを構えたクリス・セブンスターは、俺の心臓に狙いを定めていた。狡猾な笑みを浮かべ、俺の視界の届かない場所から一突きにする。既に無効化したと慢心する俺に、制裁を加える。


 そう、思っただろうか。


 俺の身体に、クリスのジャックナイフが突き刺さった。心臓への攻撃。バトルスーツは既に、殆ど無力化している――……勝利を確信したのだろう。クリスは嘲笑し、俺の身体に刺さったジャックナイフに力を込めた。


「教えてやるよ。……お前の兄貴と、ニコラス・サングスターと、トーマス・リチャードの三人が持って行った金の額は、報酬なんかとは比べ物にならない程の損失だってな…………!!」


 再度、思う。


 俺は、クリス・セブンスターに怒りを感じていた。


 両手でジャックナイフを握り締め、俺に一突きを加えたクリスの両腕を、俺は重力の力で拘束した。背を向けたまま、クリスを一度も見る事は無かった。


 見る価値も無い。そう、感じただろうか。


 容易く、クリスのジャックナイフは根本から折れる。


 そうして、そのナイフの先端は、『俺をすり抜け、地面へと落下した』。


 クリスが、目を見開いた。




「馬鹿だな。……油断するとでも思ったのか?」




 その言葉を、そっくりそのまま、俺はクリスに返した。


 今の俺は、リオ・ファクターを暴走させる事が出来る程、余裕を持っている。重力一つ取っても、既に真下に対する力で無くとも、相応のエネルギーを加える事が可能だった。


 ジャックナイフを避けたのは、リズの使っていた存在の不確定性を利用したものだ。位置を変更せずとも、俺が今居る場所を『曖昧に』する事は出来る。


 バトルスーツを持っているかどうか等、関係無い。既に俺は、この終末東京の世界に於いて破格の存在になっているのだから。


「俺が一番、怒っているのはな。……お前が無関係の振りをしていた所だ」


 恰も雇われたかのような顔をしていた。……だが、そのミスター・パペットへの貢献の仕方は、異常な程だった。今にしても、NPCにされ、ログアウト出来ない状況でもなお、ミスター・パペットに協力しようと言うのだ。


 金の為ならば、もっと遥かに効率の良い方法が幾らでも存在する。それを知らない程、この男は馬鹿では無い。ならば、他にどのような動機を考える事が出来るか。


 直ぐに、分かる事だった。


「ぐぎぎ…………や、やめろっ……!! やめっ…………!!」


 両腕を拘束し、それでも負荷を掛ける。同じように、両足にも負荷を。ぐつぐつと腹の底から煮え滾る怒りは、俺を支配した。


 だが、構う事はない。この男は幾度と無く俺を殺そうとし、そして今もミスター・パペットの作戦に命を賭けている男だ。ニコラス・サングスターに恨みを持つ男。


「ニコラスの部屋で話を聞いた時、思ったよ。あの『ファンタジア』ってプロジェクトの活動資金は、何処から出ていたのか、ってな。特に深く考えた所で何かが変わるとも思えなかったから、意識もしなかったけどな」


 更に、力を。更に更に、力を。クリスのバトルスーツが破壊され、両腕と両足が剥き出しになる。骨は軋み、筋肉繊維が悲鳴を上げ始める。


 だが、俺は決して手を緩めなかった。


「投資ってのはな。必ずしも資金が増える魔法の薬じゃないんだよ。当然、資金を失う事もある。……そんな事も分からないなら、大金を扱うべきじゃない」


 何より、『そんなことで』、この男は殺人に加担しようとしていたと云う事実に。


 俺は何よりの悲しみと、怒りを覚えた。


「やめろ!! …………や、やめてくれ!!」


 一思いに。


 鈍い音がした。俺はそのまま階段を上がり、クリス・セブンスターという偽名でこの事件に参加した男から、完全に興味を失った。


「ぎゃあああああああああ――――――――!!」


 四肢の骨は折れ、しかし死ぬ事は無く、ログアウトする事も出来ない。身動きは取れないが、回復する人間も居ない。このまま事件が収束するまで、この男はこの場所で悶え苦しむしかない。


 心が折れてしまえば。事件が終わってしまえば、この男とはもう二度と、会う事も無いだろう。どの道、事実が明るみに出れば殺人未遂。……いや。既に殺人を犯している可能性もあるだろうか。


 何れにしても、俺にはもう、関係の無い話だ。




 ◆




 ダンジョンの長さから比べればほんの少ししか無い階段が、随分と長いように感じられた。考えられる障害は全て突破し、俺はフロアの最上階へと足を運んだ。


 一つ下の階と、何かが変わっている様子は無い。中央のエレベーターは一階とこのフロアを結んでいるようで、下の階からは見えなかった出入口がある。その直ぐ隣に、映像で見た、囚われた人々の姿があった。


 階段から俺が上がって来ると、歓声が上がったように感じられた。感じられたと云うのは、どうやら音が遮られているようで、こちらには一切届かなかったからだ。


 だが、叫んでいる者が居た。……泣いている者も居る。最上階のフロアに掛けてある時計は、ミスター・パペットが時間を測る為の物なのだろう。


 二十四時間。


 ぴったり、一日分。俺の宣言通りの時間帯だ。


 ようやく、辿り着いたのか。


「…………長かったな」


 ぽつりと、呟いた。


 人々が拘束されている半透明のドームに視線を向けた。その向こう側で、黒いローブの人間が一人、立っていた。ガラス張りのフロアは光が差し込み、外の様子がよく見える。終わりに向かう終末東京の世界を、眺めているようにも感じられた。


 その黒いローブの内側が誰なのか。……俺は、何度も提示された。


「恭くん。……来たんだね」


 俺は静かに、ミスター・パペットに近付いた。


「…………ああ」


 半透明のドームから見えるように、巨大なホログラムのモニターが映っている。その向こう側には、政治家、総理大臣……錚々たる顔ぶれがあった。涙に濡れたリズの言葉は、しかし喜びに満ちていた。


 何が起こったのかは、直ぐに分かった。この状況では、考えられる事は一つしか無かった。ミスター・パペットは誰かと電話をしていた。……それを、切断した。


 仮面が、こちらを向く。




「――――――――勝ったよ」




 ニコラス・サングスターは、有罪になった。


 元々、ブラックボックスだった裁判だ。判決が決まったとは云え、事実が覆された。これだけの騒ぎを起こせば、引っ繰り返っても不思議ではないと考える。何より、ニコラス自身、今有罪だと迫られたら、無罪を主張する事は無いだろう。


 勝てる戦だ。これ程までに残酷な舞台を用意する程、大きな話では無かったように思う。


 …………いや。俺がそう思っているだけで、一度決まった判決を覆すと云う事は、そんなに簡単な話ではない。当時の裁判が最高裁判決まで行ったのかどうか、俺は追っていないが――……手があるなら、他の手を使っていただろう。


 仕方が無い事だったのか。


 …………本当に、そうなのだろうか。


「直ちに人質を解放して自首しろ、だって。……私がもう助からないって分からないから、仕方ないね」


 モニターの向こう側では、こちらに向かって何かを話している様子が伺える。……政府が折れた。折れたのなら、ミスター・パペットの目的は達成されたのだ。


 これ以上、悲劇を続ける必要はない。


 現実世界の人間にも、俺の姿が見えているようだ。何やら俺を指差して、騒いでいるように見える。『スカイツリー』の惨状は放映されているのだから、俺の姿も当然映ると云う訳か。


 未だに、突入すら敵わない。それだけの堅牢な檻を、ミスター・パペットは作成したと云う事だ。


「じゃあ、皆で仲良く――――世界の終わりを見に行こうか?」


 元々、そのつもりだったのだろう。こうして捉えた人間に、『ファンタジア』の関係者が多い事は偶然では無かった筈だ。半透明のドーム内が、また騒ぎ出す――……こちらの声は、どうやら聞こえているらしい。


 終末東京の空が、不自然な色に変わりつつあった。いや――――上空に何かが出来ている、と表現した方が良いだろう。光を発しない黒い塊が宙に浮き、少しずつ巨大化しているようだ。


 俺は、漠然とした悲しみを抱いていた。それは、この出来事そのものに対する、どうしようもなく行き場の無い悲しみだった。


 足の引っ張り合いだ。……この世は、足の引っ張り合い。気付けば、誰かに恨みを持ち、誰かの妨害をする。その誰かは、誰かの妨害を。そうして永遠に、そのサイクルが繰り返される。


 俺は、首を振った。


「…………もう、やめよう」


 誰もが、戦器を握っているのだ。


 己の為、仲間の為、生き残る為に、誰もが戦器を握っているのだ。


 そうしてそれは、見知らぬ誰か――……己の為、仲間の為、生き残る為に戦器を握っている誰かを、攻撃しているのだ。


 なんと、愚かな話だろうか。




「もう、やめよう。…………遥香姉さん」




 ミスター・パペットの動きが、止まった。



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