第四十九話 全てを、明かす
重たい銀色の扉を全員で押すと、やや錆び付いたような軋む音が辺りに響き、徐ろに扉は動き出した。
光が漏れる。
「げっ…………なんだ、こりゃあ」
城ヶ崎が目を丸くして、ぽつりと呟いた。……誰もが、その空間を予想する事は出来ていなかっただろう。
無音の空間。まるでそこだけ異次元に通じているかのようにも見える――……いや。俺は、幾度と無くこの空間を見て来たような気がしていた。
一歩、前へと踏み出した。
「ポリゴン……?」
椎名の言葉は、恐らく間違っていない。
何処までも続く、X・Y・Zの境界線。それは空間がブロック分けされているようにも見え、或る意味では境界線のようでもあった。架空の世界に何か立体物を作る時、よく目印にされるものだ。
真っ白な世界に、グレーの線。空間は無限に続き、地平線のようなものは見えない――……いや、何処までも続く線はやがて一つにまとまり、それが地平線のような意味合いを持っている。
遥か前方に、俺達が入って来た扉と同じように、銀色の扉が見える。…………あの場所まで辿り着けば、その先は電波塔の上階なのだろうか。
クリーチャーの姿は見えない。
「何も、ありませんね……」
ララの言葉と同時に、俺達全員が白い空間の上に立った。すると、人知れず扉は閉まった。
限り無いが、確かに存在する地面の上に、俺達五人は立っていた。……不思議な感覚だ。下を見れば、透明な立方体を幾つも並べたかのように、何処までも続いて行く世界。しかし、俺達は確かに、この平面上に立っている。
床の感覚も、殆どと言って良いほど無い。俺達の動きも別段軽やかではないが、今まで通りだ。俺には、余りに中途半端な世界にも見えた。
まるで、終末東京世界を作る際、この部分だけ作り忘れたかのようではないか。
「まあ……これはこれで、ラスボスっぽいな」
城ヶ崎はそのように言ったが、どうだろうか。案外、本当に作り忘れただけ、と云う事も……無いか。この場所は、他に何の障害物も無く、スペースによる不都合も無い。敵と戦うには充分な場所だと考える事も出来る。
しかし、姿が見えない。先に進めば現れる、というタイプのボスなのだろうが。……この展開は、あまり期待していなかった。姿が見えれば、どのような攻撃が繰り出されるのかを予想する事も、ある程度の戦術を選択する事も出来る。事前情報は寄越さないと云う事なのだろう。
「行こう」
俺達は歩き出した。前方の扉を目指す――……そこまでは、大した距離も無いように思えた。
「ゲームの世界ってさ、こういうのがあるから良いよなー」
不意に、城ヶ崎がそんな事を言い出した。
「こういうの? って、どういうの?」
「ほらさ、美々ちゃん。現実の世界には、少なくともこういう、まあ何ていうか……次元を落としたって言うの? 四次元が三次元になったみたいな、三次元が二次元になったみたいな世界って、存在しない訳だよ。何処かにはあるかもしれないけど、俺達はそれに触れられないってわけ」
椎名は首を傾げているが。……成る程。そういった考え方も、確かにあるのかもしれない。この場所は、現実には存在し得ない空間。世界だ。まるで方眼紙の上――……二次元の座標上に、自分達が召喚されてしまったかのようにも思える。
ダンジョンにせよ、突然変異にせよ、俺達は現実に体験していない事を、ゲームと云う媒体を通じて擬似的に経験している。例えばリズのように、酸素の存在しない場所から地球の進化を眺める、といった事も可能になる。
何も存在しない、世界。
『…………ナンジ……スベテヲ……アカス……モノカ…………?』
何処からか、声がした。
天からの呼び声のようにも聞こえた。耳から聞いているようでいて、どこか心の中に直接届いているかのような声。だが、その一言を聞いて俺は確信した――……これは、ミスター・パペットの用意した障害ではない。ゲーム内に予め、設定されていたものだ。
「何だ……?」
先頭を歩く城ヶ崎を筆頭に、一同が空を見上げた。
『スベテヲ……アカスモノ……ココヲ……トオスワケニハ……イカナイ……』
現実の事件にもなっている状態だ。今更、このような演出――――小細工をする必要も無いだろう。ゲームに見せ掛ける需要が今、此処には無い。
だとするならば、これはまだダンジョン内の現象。従って、登場する敵も終末東京世界の仕組みで解決可能な領域である――……俺は今一度、『敗者の拳』の装着感を確かめる。自遊人に装備可能なバトルスーツは限られていたから、俺に装備を変える余地はない。……しかし、同じものを二つ持っておく用意は必要だったと、今更ながらに後悔した。
終末東京内のボスとは云え、俺達は今、死ぬ事が許されない状態。ならば、この状況で最も弱点に成り得るのは俺だ。
「なあ、木戸よ……」
明智の言葉に、俺は顔を上げた。
「これは、このゲームの……終末東京オンラインの、敵なんだよな……?」
「…………ああ、そうだと思うが」
咥えた煙草を明智は一度離し、ふう、と口から煙を吐き出した。
そうか。……どうやら明智も、同じ事を考えていたらしい。
「この戦い――……木戸を送り出すのが、再優先って事だな」
俺である必要があるかどうかは――……いや。この先の状況を想定するに当たり、動かなければならないのはやはり、俺だろう。
風が吹き荒れる。己の立っている位置さえ覚束なくなりそうな強風だったが、どうにか堪えた。やはり、そうだ。今から出て来るのは、終末東京の。
――――上。
上空から、巨大な何かが落下して来る。その姿は小さな……いや。遥か上空から落下しているだけだ。その姿は、瞬く間に大きくなって行く。
ロボット……いや、銅像、だろうか?
「伏せろ!!」
誰がそう言ったか、俺達は飛び跳ねるように後退し、地面に伏せた。着地した巨大なオブジェクトが、その場に有りもしない砂埃を巻き上げる。それは僅かな煙のようになり、俺達の視界を奪った。
口を塞ぎ、砂を吸い込まないように意識する。……隣でララが咳き込んでいた。出遅れたか。
しかし、これは――――…………
「何だこりゃ……鋼の鎧?」
真っ先に城ヶ崎が立ち上がり、その巨大なオブジェクトを見上げる。続いて、俺も立ち上がった。
「……どうやら、こいつが門番、って事らしいな」
見るからに屈強な鋼の鎧。先程までダンジョンで見掛けていた、木彫の戦士とは全く事情が違う。見るからに硬質の、艶めかしく光る鎧を身に纏い。巨大な両腕には、棘のある腕輪が装備されている。兜はまるで亡霊のように浮かんでおり、首から上は存在しないようだが。
足はある。両腕に比べると遥かに小さく、その身体を支えているのが不自然な位に小さな足だ。
「なんか、一撃がヤバそうな感じがするなァ……」
くたびれたような声色で、明智が弱音を吐いた。
「……魔法なんて、効くのかな」
椎名もまた、その圧倒的な存在感を前にして、青褪めた顔をしている。ララは、ようやく呼吸を整え、立ち上がったようだった。
白紙の空間に現れた巨像。俺達が構えると、ゆっくりとその腕が動き……振り被られた。何をして来るのか分からない俺達は、一度様子見。相手の行動パターンを見る状況だ。
この段階でのキーマンは、いつも城ヶ崎だ。俺達の前に出て盾になり、周囲から来る攻撃を重力の能力で落としながら、勝機を見出す。城ヶ崎もそれは分かっているようで、俺達の中から率先して、巨像に挑むかのように前へと出た。
「…………よし」
何かの覚悟を決めたようだが。……俺には、その内容は知れない。
瞬間。
「オラアァァァァッ――――――――!!」
城ヶ崎が叫んだ――同時に、巨像が振り被った右の拳を城ヶ崎に向かって突き付けた。
爆風が舞う。目を開ける事も敵わなくなり、俺達は城ヶ崎の後ろで再び組み伏せた。一瞬、城ヶ崎が視界から消える――……大丈夫だ。城ヶ崎なら、相手の攻撃を受けるのには慣れている。
案の定、砂煙が晴れると城ヶ崎は、当然のように巨像の拳を受け止めていた。……だが、笑みは無い。脂汗を浮かべて、どうにか身体を支えているように見えた。
砂煙は、巨像のものだ。地面を滑る事の無いこの場所では、城ヶ崎がどれだけ後退したのかは分からない。だが、確かに城ヶ崎は後退していた。
それだけ、衝撃が強かったと云う事だろう。
「恭一!! 頼む!!」
「ああ…………!!」
城ヶ崎の言葉に反射して、俺は走り出した。城ヶ崎が俺に何を頼んだのか、俺には直ぐに分かった――……敢えて俺達を避けさせず、城ヶ崎が攻撃を受ける事を選んだのは、俺に突撃させる為。……つまり、巨像の攻撃をすり抜けて一直線に銀色の扉まで走ることが叶うか、と云う問題を確認する為だろう。
もしそれが可能なら、俺達は巨像の猛撃を躱し、銀色の扉まで辿り着く事が可能になる。もしそうで無ければ――……倒して行く他に道は無い。
巨像の右腕を確認しながら、俺は走った。小さな両足には、蹴る動きは含まれていないように感じられた。巨像は俺を見据え、俺に向かって別の攻撃を繰り出して来る。
兜の奥が、一瞬だけ光った。
「木戸くん、危ない!! 下がって!!」
頭上で、火花が舞った。
巨像が兜の隙間から光線を放ったかと思うと、俺の背後から炎が追撃し、それらが衝突して爆発を起こした。……可燃性の何か……? 分からない、この状況では。
だが、足を止める訳には行かない。椎名の援護もあり、俺は更に先へと走る。巨像の腕よりも内側に入り、そのデッドスペース――……攻撃出来ないように見えるスペースへと、その身を滑り込ませた。
瞬間、異変を感じた。
「ブオオオオオォォォォ――――――――」
鼓膜が張り裂けそうな程に大きな音が、直ぐ近くで聞こえる。堪らず、両耳を塞いだ。空手の筈の左腕は、先程までの動きとは比べ物にならない程に素早く動き、俺を攻撃の範囲内に捉える。
俺は『敗者の拳』を構えた。目には目を。俺には防御と云う手段が無い。攻撃には、攻撃をぶつける他に無かった。
無言のまま、右の拳を巨像の腕へ。……目の前の有り得ない光景に、俺は苦笑を漏らした。今自分が戦っているのは、自分とは比べ物にならないサイズの相手だ。盾になる訳でもなく、魔法のような攻撃を持つ訳でもない。……だが、確かにこれが俺の『最善の手』なのだ。
さて、どうなるか――……
瞬間、意識がぶれた。巨像に殴られたのだと気付いた時には、俺の身体は宙に浮いていた。衝撃に、全身が悲鳴を上げる――……俺のリオ・ファクターでは、足りなかったか。バトルスーツの効果は万全ではない。明智のお陰で、体力は幾らか回復しているが……それだけだ。俺には、身を守る術が無いのだから。
遅れて、激痛が全身に疾走った。
だが。『敗者の拳』を突き立てる行為は、それなりに意味があっただろうか。
「木戸!!」
「木戸さん!!」
明智とララが、同時に叫んだ。
俺は空中で姿勢を立て直し、弾き返された身体のコントロールを自分に戻す。遥か下に見える仲間の姿に向かって、一直線に落下して行く。
どうやら、詰められるとスピードが増すタイプのクリーチャーらしい。再び、巨像の動きは鈍くなっているようだが――……まさに門番、か。この様子では、体力が減るに連れて強化されて行く展開も考えなければならないだろう。
しかし。……気が付けば、俺は笑みを浮かべていた。
「――――城ヶ崎!!」
「やっぱりか!!」
二人、笑みを合わせる。
着地した俺は、直ぐに城ヶ崎の背後に付いた。俺と城ヶ崎のやり取りが分からなかったようで、椎名は口を開いたまま、頭に疑問符を浮かべていたが。
「いけるぞ、皆。巨像は倒す必要がない」
思わず、そう口走っていた。
「えっ、どうして?」
若しも仮に銀色の扉が巨像を倒すまで開かないのなら――……巨像は、銀色の扉を『護る必要が無い』。今の巨像の動き、そのブーストの掛かり方……それは明らかに、開く可能性のある銀色の扉を護る行為であり。そしてそれを掻い潜る事で抜ける事も可能だと、言外に示していた。
城ヶ崎はそれを俺に試させる為、敢えて巨像の隙を作りに行ったのだ。見るからに、巨像の動きは『最も自分に近い者から順番に攻撃する』と云うプロセスを辿っている。その『最も近い者』がルーチンワークの中から外れた時にどう云う動きをするのか、俺達は確認しておく必要があった。
「成る程、そういう事かい。……いきなり木戸が飛び出すもんで、どうしたもんかと思ってたが」
明智が不敵に笑い、懐から薬を取り出した。
「分かりました。巨像の動きを止めれば良いんですね!!」
ララもナイフを構え、臨戦態勢に入った。
「えっ……? …………えっ?」
椎名が一人、全く事情を理解していないようで、呆然と周囲を見回していた。
……仕方ないな。
「皆、そのままで聞いてくれ。今から、作戦を説明する…………!!」
◆
時間が無い。
真正面から倒しに掛かる事など無謀だ。例え出来たとしても、それを達成するのに何時間も掛かるようでは。既に、この場所に辿り着くまでにかなりの時間を消費してしまっているのだから。
ミスター・パペットとの約束の時間は、四十八時間。しかし、それまで事件が長引くとは限らない。内容は、ニコラス・サングスターを有罪判決にする事だ。
ニコラスについては確かに、そのような見方もあるだろう。木戸怜士を死なせた者として、それだけの罪を背負うべきだと考える事もあるだろう。
だが、今になって思う。あれは、『事故』と云う側面もまた、あったのだ。
「行くよ、皆!!」
事情を理解した椎名が、真っ先に炎の壁を作り出した。椎名の得意分野は、『範囲攻撃』。だから、こういった作戦の初動は、椎名に任せる必要がいつもあった。
話さずとも、伝わる。俺と城ヶ崎が、前方に向かって走り出す。
「ただの銃なんざ、当然効かねえか……!!」
兜に向かって銃を撃ち込んでいた明智だったが、諦めてそれを捨てた。
巨像はゆらりと俺達を確認し、攻撃の優先順位が変わった事を俺達に告げていた。豪腕を振り被り、俺達に向かって猛然と拳を突き出す。
だが、明智がそれを食い止める。いつか、『ガーデンプレイス』の『ゴースト』事件――――アタリとの一戦で利用した手段だ。明智が地面に薬を埋めると、そこから勢い良く木々が飛び出した。
それは成長し、走り、俺と城ヶ崎に追い付く。巨像の拳をまるでクッションか何かで受け止めるように、木々のネットが防御した。更にそれは進行し、巨像の腕に絡み付く。
「恭一、俺の後ろに!!」
城ヶ崎の言う通り、俺は背後にポジションを取った。万一の事を考えてだろう――……作戦の全貌は、『俺が銀色の扉を潜る』事を目的にされているのだから。
右の拳が駄目なら、左の拳――――と来るのは、当たり前だろう。俺と城ヶ崎が巨像のパーソナルスペースに入った瞬間、巨像の速度は向上する。一瞬にして振り被られた左の拳は、俺と城ヶ崎を目標に捉える。
「大丈夫です!! そのまま、進んでください!!」
だが、ララがそれを食い止める。ナイフを投げ、器用にもそれを巨像の関節部分に向かって差し込んだ。俺達を殴ろうとしていた右腕が、不自然な動きでその場に留まった。
「ララちゃん、ナイスアシスト……!!」
城ヶ崎が笑った。
……城ヶ崎には、分かっていたのかもしれない。この状況で、俺が前に出ると公言した事の意味を。
『出来れば、巨像の撃破は皆に任せたい。理由は、時間が無いのと……ここを抜ければ、俺としてはもう半分以上クリアしている想定だからだ。ミスター・パペットがこの先、どんな作戦を持っているのかもある程度予想が付いている……俺一人で大丈夫だ。ここは、俺に任せて欲しいんだ』
そう言った時、城ヶ崎が俺の顔を見て、にやりと笑ったのだ。
『そうか。……じゃあ、ここは何としても先に送らないとな』
本当に、時間は無い。ゲーム内のラスボスなどと戦っている時間は、俺には無いのだ。寧ろ、ここを抜けて先に問題を解決してしまい、『ログアウト』さえ可能になってしまえば、それは巨像を倒す事無く、全員を無事に現実世界へ送れると云う事でもある。
最善を追求するなら、ここはその選択肢を選ぶべきだ。どの道、この場所で俺は何の役にも立たない……作戦を指示するだけの『弱点』と成り得るのだから。
「っしゃあああ――――じゃあ、行くぞ恭一ィ――――!!」
城ヶ崎が、巨像のデッドスペースに狙いを定めた。右腕と左腕が塞がり、最早兜からの攻撃しか残っていないクリーチャーに対して、重力を向ける。
先程は光線の攻撃に冷たいものが走ったが、今となってはそれも無い。俺自身に、力は無くとも――――この、圧倒的な安心感。
仲間の盾。
「曲がれっ!!」
兜からの光線は城ヶ崎の重力によって、横に逸れ――……本来の軌道を外れて、白紙の大地に突き刺さる。爆発と砂埃をも推進力にして、俺が城ヶ崎の前に出る。
その背中に、手を。
「行って来い、恭一!!」
「ああ…………!!」
必ず、解決する。
そう、言外に含め。
城ヶ崎が重力の能力を加えた右腕で、俺を投げ飛ばした。
銀色の、扉に向かって。
僅かな距離だが、その速度は凄まじい。着地が心配になる程に――……しかし軌道は低く、まるで地面を走っているかのようだ。巨像もこの動きには対応出来ないようで、突き抜けた俺の動きをどうにか目で追っているに留まっていた。
その間にも、椎名は炎を撒き散らし、明智は隙あらば薬の弾丸を鎧に埋め込もうとしている。ララは小刻みに動き、対象をぼかして目を眩ませる。
銀色の扉に、手が届く。
「よっしゃ、行け――――――――!!」
城ヶ崎が、叫ぶ。
完璧な布陣。何度も練習して来たチームワーク。それは、こんな所で力を発揮する事もあるらしい。
不思議だ。一人一人は同じ人間。能力も種類は違えど、出来る事に限りはある。だが…………全てが揃った時、それはこんなにも大きな力になるのか。
何よりも、心が揺れない。動じない。
着地し、俺は何処までも下を見通せる白い大地の上を転がった。勢いが殺されると、俺は既に銀色の扉と対面していた。
背後を見る事はない。それはもう、俺には許されない行為だ。後は唯、仲間を信頼するのみ。
俺は立ち上がり、銀色の扉に手を掛けた――――…………
「木戸くん、危ない!!」
瞬間。背後で、爆風があった。何が起こったのか、俺には分からなかったが――……巨像の攻撃が、俺に向かって放たれたようにも感じられた。
だが、振り返らない。俺には全く、何のダメージも行っていなかったからだ。舞う砂埃の中、巨像の攻撃から俺を護ってくれた仲間が居た。それだけの話だ。
俺はもう、無条件に背中を任せているのだから。
銀色の扉は、予想通りに開く。……先へと、進む。
「木戸さん!! ――――――――構わず、行ってください!!」
ふと、手が止まった。
その声は、俺が今までに託して来た、どの仲間の声でも無かったからだ。
僅かに、涙に濡れていた。その声の正体を、俺は知っていた。つい先程まで、ダンジョンの中で俺は、彼女の事を疑いながらも引き連れていた。
工藤。
まさか、こんな所に来たのか。
あのダンジョンを抜ける事は、俺一人では絶対に叶わなかった。俺達と共に付いて来ていた訳ではない。工藤は、俺達の後をひたすらに追って来た事になる。たった一人で……ショッピングモールで共に引き連れていた、あの仲間はどうしたのか。今は逃げる事に必死になっている頃だと思っていたが。
工藤は、一人では行動出来ないタイプ――――そのように、俺は分析していた。誰かの指示を待たなければ動けない人間だ。例えそれが、自分の信頼出来ない相手の指示だったとしても、だ。予め定められた未来を叶える事が出来ない。……それは、この終末東京の世界でも、現実の世界でも、彼女のネックになる部分だと思っていたが。
俺の態度によって、何かが変わったのだろうか。
いや――――ここは素直に、喜ぶべきだろう。
「ありがとう」
背を向けたまま、俺は工藤に向かってそう言った。
大丈夫だ。後は、俺の大切な仲間達が、工藤を護ってくれるだろう。事情を察し、引き入れ、共に戦ってくれるだろう。
そういう関係を、俺は作って来たのだ。
誰にも頼らず、誰の手も借りる事無く。
俺は、銀色の扉を開いた。
その先は、暗闇だった。何も無い――……空間のようにも、見えた。だが、俺はその限りない闇の中に、一歩、また一歩、と進んで行った。
背にしたものは、信頼。託されたものは、希望。そのような、俺の身には到底抱え切れる筈もない想いを胸に抱いて。
◆
扉を閉めると同時に、俺は懐かしい香りを感じていた。立っていたのは、玄関――……木製のフローリング。廊下の向こう側に、リビングのある空間。
玄関を上がって直ぐ左と、少し進んだ右側に扉があって、そこが部屋になっている。左側が俺の部屋で、少し進んだ先の右側の部屋が怜士兄さん。リビングを挟んで反対側にもう一つある部屋は、遥香姉さんの部屋だ。
都合上、玄関から真っ直ぐ見える位置にテレビモニターを置くしか無かった。カウンターキッチンと云う構成上、リビングにテレビの置ける角は二つしか無く、その内一つはベランダへと出る窓があったからだ。
俺は呆然と、その場に立ち尽くした。
「…………でね、南ちゃん、その時に何を言ったと思う? これがね……」
声がする。
俺は土足のまま、玄関から廊下へと上がった。ぼろぼろのバトルスーツは、既に所々穴が空いていた。夕暮れの日差しが入る空間。日光の感覚からして、恐らく夏場だ。時刻は六時前後と云った所だろうか……曜日によっては、二人共帰っている可能性のある時間だった。
廊下を歩くと、僅かに床が軋んだ。
「…………で、…………だったの…………」
何度も、このような光景を見てきた。
リビングへと抜けると、テレビしか見えなかったリビングが少しだけ広く感じられた。カウンターキッチンに立った遥香姉さんと、向かい合うようにリビングの食卓に座った怜士兄さん。
ブラックコーヒー。……夕飯の香り。
怜士兄さんは、俺に目を留めた。
「おかえり」
整った、切れ長の瞳。端正な顔立ちに男らしさを感じさせる、すらりとした眉。
いつも笑おうとして、笑い切れなくて、若干形の崩れた笑顔。
「あっ……!! 恭一、どうしたの!? 靴のまんまで上がってるじゃない!!」
俺は、歯を食い縛った。……しかし、同時に笑みも浮かべていた。
遥香姉さんが駆け寄って来る。平和な、エプロン姿のまま。怜士兄さんは俺の事を見て、穏やかな笑みを浮かべている。
腹が立った。……正直、これだけしつこく同じ事を繰り返されれば、誰だって腹が立つと思った。……ただの記憶を蘇らせている訳ではない。これは俺を追い詰める事で、内側でほくそ笑んでいる行為だ。
いや。……いっそ、清々しいだろうか。
「…………恭一?」
遥香姉さんが、上目遣いで俺の顔を覗き込んで来る。
感情に身を任せたまま、言葉は口から吐き出されそうになった――……それを、ぐい、と腹の底に押し込める。
しかし、俺は思った。……どうせ、この言葉を呑み込んだ所で、吐き出した所で、結果は同じなのだ。ならば、今更我慢する必要も無いだろう、と思えた。
「このやり方には、もう飽き飽きだ。……俺がそう何度も、同じ手で翻弄されると思ったのか」
思ったかもしれない。……いや、思っただろう。何故なら、彼は俺の中では今、『死んでいる』事になっている筈なのだから。
まさか、俺が気付いているとは思っていない。上手く自分の手中に嵌めたつもりで、良い気になっていた筈だ。頭が良い振りをして、こいつは何という馬鹿だと――――馬鹿丸出しだと、喜んでいたのだろう。
「過ぎたものは、もう戻っては来ないものだ。……誰だって知っているな、そんな事は。だが、未練を感じてしまう人間も居る。お前には、分からないのかもしれないが……過ぎた現実を追い掛ける者を『愚か者』だと思ったか? それを弄くり回す事で人が傷付くのを見て、こいつは頭が悪いと思ったか?」
その目に、光が灯る。俺は怜士兄さんの笑顔をはっきりと見据えた。……この上無く、怒りを込めた。
弱点を突くことは、作戦上、悪い事だとは思わない。……だが、俺は嫌いだ。人の弱みを握り、利用し、差別し、使い込んだ後にぼろ雑巾か何かのように捨てる。……味方の振りをして、背中に武器を。戦器を構えて近付く者の事が。
「残念だったな。…………お前の考えている事は、もう全て暴いた。能力があるからと言って、戦う前から勝った気になるな」
怜士兄さんの笑みに、暗い影が映る。
俺は、怜士兄さんを指差し。そして、周囲の幻影を解き放った。吹き荒れる嵐のように空間は歪み、その場に真実の姿を曝け出す。
どちらが馬鹿か、思い知らせてやるべきだ。必ずしも、武器を持つ場所だけが戦場とは限らない。……そして、武器を持って戦う事だけが戦闘でもない。弱者には、弱者なりの戦い方があるのだから。
今此処で、はっきりと宣言するべきだ。
「やるなら堂々と、真正面から戦え。強いつもりなんだろ? 俺が此処まで辿り着いたのも予想外だったりしないか…………なあ、『クリス・セブンスター』」
終末東京も残す所、後2話+エピローグ程度となりました。
最後までお付き合い頂ければ幸甚です。




