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終末東京で、俺は戦器を握らない  作者: くらげマシンガン
第一章 『アルタ』編
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第四話 そして裸の戦士は猛る

 脳内の思考回路が、焼き切れんばかりに動作を続けている。考えられる選択肢は目まぐるしく入れ替わり、今現在置かれている状況に対しての解をどうにか導き出そうと模索する。


 まるで、思考実験。予め決められた未来の中から、最も望ましいものを現実に起こす作業。


 巨大鼠――――ジャイアント・ラットと呼ばれたそれは、俺達に向かって突進した。


「割れるぞ、横に跳べ!!」


 指示通りに、俺と城ヶ崎が割れる。リズの手を引き、どうにかラットの攻撃を逃れた。地下栽培所の強化ガラスに突っ込んだラットは、前歯を押さえて少しの間、呻いていた。


 ガラスは割れない。……なんという強度だ。


 今のうちだ。そう言うでもなく、俺達は廊下を走る。暗がりの中では俺達人間の視力よりもラットの方が良いのではないかという僅かな恐怖は、一刻も早くこの場所から逃げなければならないと俺を突き動かした。


「すげえな、恭一!! どうして突っ込んでくるって分かったんだ!?」


 走りながら、城ヶ崎は少し感動したような様子で言う。リズも驚いているようだったが。


「……あいつ、右の耳を動かした数秒後に突進して来る。変な笑い方が耳に障るけど、やって来る事は突進か単純攻撃かの二択しかない」


「ってことは、牙攻撃の時は左の耳を……」


「ああ。動かしていた」


 押し殺したように城ヶ崎は笑い、脂汗を浮かべながらも余裕を見せた。


「頼りにしてまっせ、指令隊長……!!」


 城ヶ崎の俺に対する信頼は、別のゲームから引き継いだものだが……余裕など、欠片もなかった。誰かが戦える状況なら、まだ活路はある。しかし、今の俺達は言い得て妙だが、袋の鼠――……この通路から出られなければ、どう足掻こうとも何れ捕まる運命にある。


 嫌な予感がしていた。それは、落下した時の音。


「大丈夫!! そろそろ、『コア・カンパニー』の人達が駆逐してくれている筈だから……多分、梯子さえ登れば……!!」


 先頭を走っていた俺は立ち止まり、後ろの城ヶ崎とリズに制止を掛けた。嫌な予感はまんまと的中し、俺は背後の気配を探った。


 ……幸いにも、目はあまり良くないらしい。この暗闇では、走って来る事をしないのか。道理で、廊下を歩いていたラットは、まだ俺達には追い付いていないようだったが。


「……どうやら、そんなに大丈夫でもないみたいだな」


 そんな事よりも、目の前の障害が問題だ。


 薄暗い空間の中、梯子下の存在を確認したリズが悲鳴を上げた。城ヶ崎は歯を軋らせ、舌打ちをしていた。


 落下音は、始めに一体。遅れて、連続した音が響いていた。……その予想通り、目の前に居るラットは三匹。後ろに一匹。


 挟み撃ちだ。廊下で鉢合わせてしまえば、避ける術は無いと分かっていた。……しかし、他に道も無かった。ラットは俺達の退路に気付いていた。そうでなければ、ここで待機している理由がない。


 ……それだけの知性があるようには見えないが、意外と頭も良いのだろうか。それとも、暗闇が苦手なのだろうか。


 死んた所で、ログアウトされるだけだ。それなら今この場でログアウトしても、結果は同じ――……騒動が収まってから、改めてログインすれば良いだけの話ではなかったか。


 そんなに、難しい話ではない筈だった。


「アアア――!!」


「アアア――!!」


 ラットは、俺達の背後に居る仲間と言葉を交わしているように見えた。その声は耳障りで、聞くに堪えないものだったが――……背後のラットが、トンネル状の空間に同じ種類の声を響かせた。


 不意に、背中で俺の服を掴んでいる少女の存在を認識した。


 目を閉じ、解を探す。


「たすけて……」


 背後で震えている少女には、『ログアウト』という選択肢が無いことは、もう気付いていたから。


 ぼんやりと見える薄暗い空間。僅かに、ラットが右の耳を動かす様子が見えた――――来る。


 全身に血が巡る。方法など見付からなかったが、身体の奥底から湧き上がるような衝動は、何かを突き動かした。


「…………せろ」


 それは、細胞とは違う。今までに感じた事のない、別の能力のようにも感じられた。例えるなら、第六感。身体を動かす事では得られない、他の物質を動かす筋肉のようなものが、動いた気がした。


 動け。


 得体の知れない能力に、そう命じた。この状況を打開できるのなら、どのような能力だって構わない。


「失せろっ――――!!」


 一喝の瞬間。


 我武者羅に、暗闇のラット目掛けて拳を振るっていた。何が起こったのか、自分にもよく分からなかった。僅かに光を帯びた右の拳は目の前のラットを一瞬、立ち止まらせた。


 そのままでは突進され、俺達はやられていたかもしれない。ラットが一瞬のみでも立ち止まった事によって、それは間に合った。


 眩いまでの光が、竪穴の上から降り注いだ。暗闇から一転して明るく照らされた廊下に、思わず目を閉じてしまった。


 しかし、それは今までとは違う、解決の兆しだった。


「伏せてください!!」


 女性の声。言われた通りに身を屈めると、竪穴の壁を沿うように円形の青い光が出現した。


 格子状の光。電流のように迸る光は、たったそれだけでラットと俺達とを隔てる障害物となる。考える間もなく、上空から恐ろしい規模の爆炎が降り掛かり、ジャイアント・ラットを攻撃する。


 あまりに一瞬の出来事で、思考はまっさらになった。唐突に去った危機に、呆然と目の前の出来事を眺めている。


 その間、数秒。これだけの激しい爆炎が目の前で発生しているにも関わらず、俺は全くと言っていいほど暑さを感じない――……この、目の前にある格子状の光の影響か。爆炎も、俺達の所までは来なかった。


「キイイ!!」


 俺達の後ろに居たラットは驚いて、地下栽培所の奥の方に逃げて行った。爆炎が収まると、竪穴の上空から順に明かりが点いて行く。作動させなかった電灯のスイッチがオンになったのだろう――……これは、明らかにクリーチャーの仕業ではない。


 廊下に居る俺達が照らされると、上空から人が落下して来た。梯子を使う訳でもなく、数メートルはあるであろう竪穴を難なく飛び降り、地面に着地する。


 ふわりとした亜麻色の髪。ショッキングピンクの線が入った黒い戦闘装束の上から、薄桃色のカーディガンとベージュのスカートを履いていた。踵のないスニーカーは、ファッションと動き易さを同調させたようにも見えたが――……


 どこかで既視感を覚えた優しげな顔は、俺達に向かって微笑み掛けた。


「大丈夫ですか?」


 思考は記憶を探り、過去を辿る。やがて巻き戻された映像は、目の前の女性を映し出す。……そうだ。コア・カンパニーのロビーで、スマートフォンを操作していた人。


 薄桃色のカーディガンとベージュのスカートは、あの時と同じ服装だ。しかし、内側に着ている服が違う。あの時は白いボタンシャツに、ニーソックスだった筈だ。


 奥で怯えているジャイアント・ラットを一瞥して、女性は真剣な眼差しを向けた。手に握られた、魔法の杖と呼ぶには機械的過ぎるスティックを握り、振り被る。


「地下栽培所を傷付けないようにしないと……」


 再び、格子状の光がジャイアント・ラットを取り囲む。……これが、彼女の能力なのだろうか。確実にラットが封鎖された事を確認して、女性は何か、意志のようなモノをスティックに込めた。


 感覚的にだが、分かった。俺が先程、自身の拳に込めたモノと同じ。


「燃えちゃえ……!!」


 気合一閃と言えば良いのか、女性が両手に力を入れた瞬間、スティックの先から爆炎が巻き起こった。……これは、先程も見せた攻撃か。瞬く間にそれはラットに向かい、その存在を焼き尽くす。


 焦げたような臭いが、辺りに充満した。しかし、女性がスティックを振り下ろし、格子状の光がスティックに吸い込まれるように動くと、同時に臭気も吸い込まれたように感じられた。


 あまりに呆気無い、ジャイアント・ラットの最期だった。


「これで、良し、と」


 靴の爪先で地面を叩き、女性はスティックを軽く回転させると、満足した様子で笑った。


「天使が居る……」


 既に、城ヶ崎は女性に魅入っていた。毎度思うが、こいつは惚れ易すぎる。


「おーい、美々ー! 終わったかー?」


 竪穴の上から、今度は男性の声も聞こえた。その声を聞くなり、美々と呼ばれた女性の顔が眩いまでに輝いた。


「トキくん!! 大丈夫、終わったよー!!」


 城ヶ崎が舌打ちをして、口の端を吊り下げて変な顔をしていた。……まあ、女性の様子を見る限りだと間違いなく普通の関係ではない。今時、男相手にこれだけ態度の変化を示すのも珍しいのではないかと思うが。


 リズだけは、助かった事に呆然として、その場にへたり込んでいた。




 ◆




 二人の男女に助けられ、再び地下都市『アルタ』へと戻った俺達。既に日付は変わっていたが、今回の問題について二人共疑問が多かったようで、俺達はどのようにしてジャイアント・ラットの襲撃を受けたのか、質問を受けていた。


 一人は、俺達を実際に助けてくれた女性。椎名しいな美々みみと言うらしい。おっとりとした見た目を裏切らない穏やかな口調で、常に明るい声色だった。城ヶ崎は特に、緩い雰囲気の女性を好む傾向にある――……ナンパを始めなければ良いが。


 何しろ、彼氏付きなのだ。面倒事になっては困る。


 もう一人は、今掛いまかけ時男ときお。すっきりとした茶髪の爽やかなスポーツマンタイプで、意志の強そうな眉が顔のパーツでは一際目立つ。


 因みに、城ヶ崎とは似ても似つかない。


 俺達は、地下都市『アルタ』の大通り沿いにある喫茶店、『ぽっぽ』へと足を運んでいた。名のある冒険者が商品流通を担当している喫茶店で、各地下都市間で同じ商品が販売されている、希少なチェーン店のひとつらしい。


 レジ前のカウンターには鳥籠があり、白い鳩が気怠げな眼差しで俺達を見ていた。深夜の零時を周り、明日の学校や仕事に影響がある人間がゲームからログアウトしていったのだろう。店内に人は少なく、閑散としていた。


 そもそも、このような時間まで運営している喫茶店がある事の方が驚きだが――……考えてみれば、このゲームにログインして来る人間の殆どは、ゴールデンタイムから夜が主流だろう。昼間の内に営業していても、客足は少ないのかもしれない。


 その為の配慮だろうか。


「ただいまー、アレックス。マスター、アレックスと遊んでも良いですか?」


 鳥籠の前で椎名美々が、鳩と戯れていた。彼女の存在を見るなり、白い鳩は小さく鳴いて、翼を動かしていた。店長はだらしなく頬を緩めて、頷いた。


「全然、構わないよ。アレックスは本当に、美々ちゃんによく懐いているね」


「ありがとうございます!」


 その表情に、城ヶ崎が訝しげな視線を向ける。


「……何か良い事でもあったんですか?」


 そう問い掛けると、カウンター前のマスターは嬉しそうに頷いた。


「ついに宝くじが当たったんだよ!! 地下都市『アルタ』の宝くじは当たり易いからね、機会がある度に買っていたんだけど……ついに五百万ドル!! すごいだろ!?」


 どうやら、椎名美々に関係するものでは無かったらしい。城ヶ崎は安堵したような顔だったが、宝くじに興味を持ったようだ。目を輝かせて、マスターを見ていた。


「すげえ……!! 五百万!? 当たるもんですか!?」


「参加人口が少ないからね。一枚当たりの金額は高いけれど、確率としてはリアルより高いんだよ」


 城ヶ崎が音速の動きで俺に振り返り、拳を握り締めた。


「なあ、恭一!!」


「止めとけ。……たまたまだ」


 どうしてこう、金を稼ぐのにギャンブルをしようと考えるのか。俺は溜め息を付いて、会話を中断させた。


 臙脂色の足の長い丸テーブルに、同色の椅子。喫茶店と言うよりバーのイメージだが、ここは一日中酒ではないものを販売しているらしい。


「改めて助けて頂き、ありがとうございました。助かりました」


 リズが丁寧に、頭を下げる、今掛時男は苦笑して、手を振った。


「俺は助けてないって。美々に言ってくれよ」


 城ヶ崎が面白く無さそうな顔をした。正直、その一目惚れには無理があると思う。


 辺りの様子を探っていた今掛の眼光が、すうと鋭くなった。店内には、まだ数組の利用者が残っている。だからなのか、今掛は声を押し殺して、密やかに言った。


 どうやら、本題に突入するようだ。


「さっきの件だけど、どうやらシェルターの扉が開きっ放しになっていたみたいだ……シェルター内側に居る、二名の警備員を抜けて来たらしい。俺は人の仕業じゃないかと疑ってる」


 その言葉を聞いて、城ヶ崎が目を丸くした。俺の見解と、今掛の見解が一致したからだろう。


 だが、その予想は至って自然だ。通常起こり得ない、外敵の侵入。外側を警戒している警備員がやられたとすれば、考えられる原因は一つだ。


「内部の人間による犯行の可能性が高いな」


 俺はそう問い掛ける。今掛が少し驚いたような顔をしていた。


「……誰かから、聞いたのか?」


「いや、聞いてはいない。でもコア・カンパニーに雇われる万全体制の警備員が、真正面から音も無くやられるというのは、考え難いと思ってさ。そんな事が可能な程実力が有るなら、そもそもクリーチャーを送り込む必要が無いしな。……もう冒険者を名乗る人間の戦力は分かった。真正面から戦ったなら、クリーチャーの侵入以前にもっと騒ぎになってる。内側だから油断したんだ。眠らされたとかさ」


 鳩と戯れるのを止めて戻って来た椎名が、会議の真剣さに気付いて席に座る。今掛はそんな椎名の様子に意識を向けながら、言った。


「……まあ、確かに眠らされていたらしい。どういう手段を使ったのか分からないが、二十二時に警備員が入れ替わってから、犯行はその後直ぐに行われたと考えられる。内部かどうかは分からないが、『アルタ』のルールを知っている人間であることは間違いない」


 リズが頷き、城ヶ崎が喉を鳴らした。椎名は真剣に、今掛の話を聞いている。その瞳には、事件の真相を探る以上の意味合いが含められているように思えたが。


 反面、今掛は俺に意識を集中しているようだった。


「やめてくれ。俺と城ヶ崎は、今日このゲームに入って来た人間だ。後ろからの不意打ちだとしたって、警備員を眠らせるだけの情報も手段も持ち合わせてない」


 その言葉の真意を、今掛は探る。そもそも地下の地下まで逃げ込んで隠れていたような人間が、ジャイアント・ラットを送り込んだ張本人の筈はないだろう、という事はあるのだが。


 話を前に進めるため、俺はリズに視線を向けた。


「……それはそうと、リズ。この世界に、クリーチャーを操る『魔物使い』みたいなポジションの職業はあるのか?」


 そう問い掛けると、リズは一瞬、驚いたように目を丸くして――あの無数のジャイアント・ラットが、人の手によって動かされていると考えた俺に驚いたようだ――少し考えた後、口を開いた。


「あるよ。『管理者アドミニストレータ』って呼ばれている職業で、一部のクリーチャーに『リオ・ファクター』を経由して超音波を出して、クリーチャーをコントロールするの」


「ジャイアント・ラットは、その対象だな?」


 リズは気不味そうに頷いた。今掛が腕を組んで、椅子の背もたれに体重を掛ける。……どうやら、まだ俺への誤解は解けていないらしい。リズが納得の行かない様子で、俺から視線を逸らした。


「だけど、あんな数のクリーチャー、何の為に……」


「何かを探す為だろ?」


 何故か、全員が俺の方を向いた。……若干、気まずい。


「事件の陰に隠れて、出来るだけ沢山の建物に侵入するんだよ。だからクリーチャーを使う。パニックになるだろ。探しているのは人か、物か……クリーチャーが人に攻撃した所を見ると、人の重要度は低そうだから、物の可能性が高いか。少なくとも俺達は襲われたし、攻撃された人間も見ている。犯人は、この地下都市『アルタ』に最近、何かを探しに訪れた人物。職業は管理者アドミニストレータで、複数人の仲間を引き連れている人間だ。ここまでは、分かる」


「ちょっと待てよ。複数人ってのは?」


 慌てて口を挟んだ城ヶ崎に、俺は答えた。


「警備員は『二名』居たんだろ。騒ぎを起こさずに音も無く眠らせるなら、二人以上居るか、透明人間にでもなれなきゃ無理だ」


「そ、そうか……」


 リズが感心したような顔で、俺を見ている。反面、今掛は険しい顔で俺の事を見ていた。


 だが、情報は正しく共有しておく必要がある。


「シェルターの内側を護るのが警備員の仕事なら、外側にも一人、人間が居た可能性が高い。外から叩いて、注意を引き付ける……まあ、悪い方で考えて三人は居ると考えるのが無難だろうな。問題は、それが誰かだ。もう目的の物を見付けて地下都市『アルタ』を離れているか、それとも……」


 ふと、視線を感じて喫茶店の中を見回した。


 数名の男達が、俺達のテーブルをじっと見詰めている。……この声のトーンで、内容を特定されることは無いと思うが。一応、気を付けた方が良いだろうか。


 店内に流れ続けているクロード・ドビュッシーにふと耳を傾け、俺は視線を戻した。


「……随分と詳しいじゃないか、木戸恭一。不自然だな」


 今掛の言葉に、俺は目を閉じて腕を組んだ。


「事実を基にして思考しただけだ、変な情報を握っている訳じゃない。……第一、もし俺が犯人ならこの場で迂闊な事を話す訳がないだろ」


「どうだかな。……最近現れた人間。三人以上。今お前が言ったこと、全部お前達に当て嵌まる事、忘れんな」


 俺が疑わしいと明言したからか、城ヶ崎が今掛を睨み付けた。リズも面白く無さそうな顔をして、じっと今掛の様子を見ている――……椎名が臆病になったのか、不安そうな表情を全面に押し出した。


「……ねえ、やめようよ。仲間内で疑っても仕方ないよ」


 仲間内。それは違うな。声に出して言う訳ではないが、心中で密かにそんな事を考える。


 俺がこの喫茶店で情報を二人に開示したのは、別に二人を仲間だと思ったからじゃない。ただ、冒険者として戦闘が可能な人間に、情報が伝わっている必要性があっただけだ。この事件が終われば、必要以上に話し掛ける事もない。


 若しもこれが人の手によって行われている事だとしたら、もう一度、事件が発生する可能性がある。かと言って、全体に公開したのでは意味がない。犯人が地下都市『アルタ』内部の人間であると仮定するなら、全体に伝われば対策が取られるだけだ。より一層、真実は闇に呑まれ、原因を特定する事は困難になるだろう。


 ……不安そうなリズを一瞥する。


 だから、これは保険のようなものだ。


 少なくとも椎名美々については、この目でジャイアント・ラットと戦う様子を確認している人間だ。他の人間に話すよりも、安全度が少し高い。


 そして、他の目的もある。


「……とにかく、次に事件が起こったら、直ぐに連絡して欲しい。まともな良心があるなら、な」


 最後の台詞は、俺に対して言われたようだった。


 城ヶ崎が不満を全力で表現したかのような顔をして、席を立った。まあ、無理もない事だと俺は思う。関係が遠い知り合いになってしまうと、人は疑いの眼差しを向けられるものだ。必然的に、人は得体の知れない、顔も見た事のない他人より、顔の割れている人間に懐疑心を覚える。


 だから、これもまた、協力関係の代償と云うものだろう。


 俺、城ヶ崎、リズの三人は、今掛時男と椎名美々を前にして、喫茶店『ぽっぽ』を出る事にした。


「すまん、ちょっとトイレ」


 そう言って、城ヶ崎が店内へと戻って行った。城ヶ崎に渡された金で、会計を済ませる――……その最中に、椎名の声が聞こえた。


「最近来た人かあ……そういえば最近、変な旅の人と会ったよ」


「旅の人?」


「うん、トーマス・リチャードって言ったかな。多分関係無いと思うけど……気さくな、良いおじさんだったから」


 どうやら、椎名美々は人を見掛けや雰囲気で判断する傾向にあるようだ。まあ、世の殆どの人間がそうではあるが。


 依然として、数名の男達は今掛と椎名のテーブルを見ていた。……面倒事に巻き込まれなければ良いが。


 レジが二人のテーブルに近かったせいか、俺にもその声が聞こえてしまった。


「……ここだけの話なんだけど、その人がね、『誰にもばれないように、これを持っていて欲しい』って言って、渡して行ったんだよ」


「渡すって……何を?」


「リングのアイテムでね、装備品。何に使うのかは分からないんだけど……どうして、私なのかも……」


 城ヶ崎が戻って来る頃には、会計は終わっていた。俺はレシートを受け取り、その内容を確認する振りをして、二人の話を聞いていた。


 今掛がポケットからスマートフォンを取り出して――どうやら、この世界でも通じるアイテムのようだ――椎名に言った。


「わりい、仕事の電話だわ」


「あ、うん」


 そう言って、今掛は席を立った。テーブルに二人分の代金を置いて、左手で謝罪のポーズを作った。


 城ヶ崎が俺の様子に気付いて、何も言わずに立ち止まった。ちらりと二人のテーブルを一瞥するが、直ぐにスマートフォンを操作している振りをする。


「またかよ、恭一。全くいつも、律儀なやっちゃな」


 レシートの内容を逐一確認する人間は珍しい。さり気なくフォローを入れてくれる所は、何とも頼もしかった。


「美々。面倒事に巻き込まれたら危ないから、誰にも言わずに取っておけよ。変に捨てるよりもそっちの方が安全だから」


「うん。分かってるよ」


「明日、連絡するから。また、コア・カンパニーのロビーでな」


「うん」


 今掛はそう言って、出入口の扉へと向かった――……これ以上、ここに居ても仕方が無いな。俺もようやくレシートを確認し終えた振りをして、城ヶ崎とリズに言った。


「んじゃ、今日はこれでお開きにしようか」


 木製の床を踏み鳴らして、扉へと向かう。今掛は外に出て電話を――……するかと思ったが、俺を待っていたようだった。敵意さえ感じられる瞳でスマートフォンを右手に握ったまま、今掛は俺を睨み付けた。


 俺と今掛の視線が交差する。僅かに緊張を覚えた一瞬、その口は開かれた。




「変な事を企んでいるんだったら、止めておけよ。――――美々に何かあったら、俺が絶対に許さないからな」




 それだけを、俺に伝え。


「――――今掛です……ああはい、いつもお世話になっております」


 今掛は電話を取り、喫茶店を去って行った。


 喫茶店『ぽっぽ』を出ると、大通りに立った。コア・カンパニー側へと向かって行く今掛を横目に、城ヶ崎が舌打ちをして、ついに溜め込んでいた不満を爆発させたようだった。


「なんだ、アイツ。……かっこいい顔しやがって」


 話の論点はそこではないと思う。


 初めてこのゲームに入ってから一転、弱々しい光を放つ天井に目を向けた。左腕の時計を確認する……時刻は一時。既に日付も変わり、深夜帯に突入しようとしていた。


 この時間まで外に居るというのも、不思議な気分だ。若しもこれが現実世界なら終電はもう直無くなるだろうし、夜通し遊ぶ予定でも無ければ、既に帰宅している時間帯だろう。歩いている事さえ、億劫に感じられるかもしれない。


 それが、何時でも家に帰ることが出来る空間というのは非常に気楽だ。……最も、俺には夜通し遊ぶような知り合いも居ないのだが。


「ところで城ヶ崎、もう一時だけど。……バイト、良いのか?」


「げっ!!」


 そう問い掛けると、城ヶ崎は左腕の時計を確認して、途端に慌て出した。


「やべえ、明日は早番なんだよ。……悪いな恭一、今日はこれで上がるわ」


「ああ、お疲れ」


 そう言うや否や、城ヶ崎はいそいそと時計からステータスウィンドウを開く。暗闇の中に緑色の光が生まれ、城ヶ崎の顔を僅かに照らした。


 城ヶ崎はリズに向かって、微笑んだ。


「リズリズも、また明日」


「あ、うん。そうだ城くん、フレンドコード交換しようよ」


 どうやら、『城ちゃん』にあまり良い反応を示さなかった城ヶ崎を、リズは『城くん』と呼ぶことに決めたようだった。


「そうだな……いや、今度にしよう。恭一、交換しといてくれよ」


「ああ、分かった」


「じゃあ、お疲れ」


「お疲れ」


 そう言うと、城ヶ崎の周囲に真っ白な光が現れた。少しだけ辺り一帯が明るくなり、城ヶ崎は光に包まれて行く。


 そうして、城ヶ崎仙次郎が地下都市『アルタ』から姿を消した。


 今日のグループの中では、最も喧しい人間だ。急に辺りに静寂が訪れたような気がして、ふと消失感を覚える。地下都市『アルタ』の夜は暗く、星の明かりまで忠実に天井の光源が再現していた。


 ひんやりと冷たい空気は、俺の頬を撫で、眼球を乾燥させる。


「恭くんは、ログアウトしなくていいの?」


 喫茶店の明かりが、リズを背中から照らした。ふと店内に目を向けると、既に椎名美々の姿もそこからは消えていた。喫茶店『ぽっぽ』は、俺達の立っている大通りに面している出入口を除いて、他に出入口は存在しない。


 つまり、ログアウトしたということだ。


「ああ、まあ俺は仕事も無いしな」


 リズこそ、こんな時間までゲームをしていて良いのか、とは聞かなかった。ふと彼女は俺に向かって微笑むと、大通りの向こう側を指差した。


「そしたら、ちょっと私の家でお茶でも飲んでいく? ここから近いんだ」


 こんな時間に女性の家に行くのも、気が引けたが。不意に、喫茶店『ぽっぽ』から男達が数名、出て来た。


 皆一様に、黒いスーツにサングラスを掛けていた。その姿はどうにも不自然ではあったが――……男達は黙って動いた。


 黙って動き、エリザベス・サングスターを取り囲むように立った。


「えっ……」


 何が起こったのか分からず、リズが驚愕して男達を見ていた。……こいつらは、喫茶店でずっと俺達を見ていた奴等だ。その理由も分からなかったが、何故か警戒されているようだ、とは薄々気付いていた。


「リズ。……こんな時間で申し訳ないが、ちょっとカンパニーまで来て貰えるかな」


 そう言って、サングラスを外した。


 瞬間、リズの顔色が変わった。どうやら、二人は知り合いという事らしい――……俺は腕を組んだまま、その様子をじっと眺めていたが。


 乾いた空気に、声が響く。俺は、目の前に居るエリザベス・サングスターという少女と初めて出会った時の事を、思い出していた。


 一人で広場まで歩いて来た姿はどうにも寂しげで、当てもなく歩いているのではないかと予想させた。薄汚れた白衣は、彼女に何か良くない出来事があったのだと予想させるには充分だった。


「代表……」


 その一言で、彼女が恐らく、彼女の所属している『カンパニー』で何らかの出来事が起きたのだという事実が、俺にも分かり始めていた。





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