第四十五話 晴れた日に夢見た
ミスター・パペットは、裁判官の男を撃ち抜いた銃を、モニターに向かって提示した。
『これと同じモノが、終末東京世界の『スカイツリー』各地に落ちている。個数には限りがあるから、注意して欲しい。今現在、この世界に居る全ての人間は『NPC』という扱いになっている』
漠然と、ショッピングモールの中を見回した。古めかしいボディの拳銃を発見し、俺はそれを拾い上げる。
……これか。いつの間に用意していたのか分からないが、どうやら本当のようだ。人の居ないショッピングモールに落ちている所を見ると、『スカイツリー』内部にランダムに配置されたアイテムなのだろうか。
『さて、『NPC』こと、ノンプレイヤーキャラクター。彼等は、このままではログアウトする事が出来ない。ついうっかりプレイヤーウォッチから『ログアウト』を選択すると、その瞬間に命を落とす事になるから注意して欲しい』
やはり、怜士兄さんが死んだ時と同じ状況。事前にミスター・パペットから提示されているのだから、当たり前と言えばそうなのかもしれないが。
自然と、怜士兄さんの事を思い出した。……不思議なものだ。まさか、あの時の兄さんと同じ状況に立たされるとは。
俺はあの時、画面の向こう側で怜士兄さんの死を見守っている側の人間だった。
今は、画面の内側に。
『そしてこの銃は、対象を撃ち抜き、殺害する事で『NPC』から『プレイヤー』へと昇格する為の銃だ』
気付き、顔を上げる。
人質を盾にして要求を突き付け、その要求が達成されるまでは何があってもその場所を離れない。これが通常の立て篭もり事件ならば、犯人は、そのような手段を取るものだ。そうする事で、何よりも目的の達成、第二に逃亡を優先して考える。つまり、時間との戦いになるものだが。
ミスター・パペットが要求したのは、『四十八時間以内に、判決を撤回する事』だ。時間の指定はベターなやり方だが、人質の持ち方が違う。
『現在『スカイツリー』を始めとする、全地域のプレイヤーは『NPC』になっている。この銃をプレイヤーに向けて撃てば、自身の保有しているNPCラベルを、撃った相手に押し付ける事が可能だ。当然、プレイヤーもNPC化はするが、死亡した一定時間後に復活する。……最も、この瞬間にはプレイヤーは存在しない事になるので、問題はNPCに向けて撃つと、どうなるのかについてだが』
ミスター・パペットは、目的を達成する為には、ドーム内の人質だけでは不十分だと判断した。
どのような立て篭もりを行った所で、時間の引き伸ばしを要求するに決まっている。この手の事件は、如何にして人質を極力殺させず、時間を引き延ばすかが鍵となる。何故なら、時間の消費は犯人にとって不利に働くからだ。
なら、どうすれば良いのか。
『NPCに向けて撃つと、撃った人間は『プレイヤー』に昇格し、撃たれた人間は死ぬ。……つまり決断が遅くなった場合、半数以上が死ぬ可能性がある、という事だ』
犯人もコントロール不能な戦場がひとつ、立て篭もり現場に現れればいい。
成る程、ミスター・パペットの作戦は完璧だ。何故このゲームが、『終末東京オンライン』等と云う名を付けられているのか、そこにまで着目していた。トーマスの隠した『デッドロック・デバイス』を必要としていたのも、これが目的か。
『この世界は、プレイヤーIDを発行しなければログインする事が出来ない。この瞬間から、新たなプレイヤーIDの払出しは終了した。つまり、誰の介入も許さないという事だ――……今から四十八時間後、この世界は終末へと向かう。当然世界が無くなれば、ログアウト出来ない人間は全て死ぬ』
ミスター・パペットは、都合、二種類の人質を用意した。
ひとつは、『ミスター・パペットによって捕獲された人間』のグループ。
そしてもうひとつは、『終末東京全土のプレイヤー』のグループ。
前者は、ミスター・パペットの用意した檻に護られている。要求を達成しなければ、終末へと向かう世界に巻き込まれる。世界が終わるのは四十八時間後だが、政府にとってのタイムリミットは四十八時間ではない。悠長に構えていれば、後者が続々と死んでいくからだ。
『終末東京全土のプレイヤーに告げる。生き残りたければ『スカイツリー』内部で銃を探し、自分以外の誰かを撃ってプレイヤーになるしかない』
ふと、異変に気付いた。
何だ……? ミスター・パペットの声が、木戸怜士のモノでは無い、高いソプラノの声色に変わって行く。
『こちらのドームには、プレイヤーIDを持たない人間を集めた。『ファンタジア』の制作に関わったエンジニア、上場企業している会社の重役、当時の裁判に関わった者……何れも、一度に命を落とせば世界的な騒ぎになる者ばかりだ』
直感的に、俺は危機を感じていた。
どうにかして食い止めなければ、逆転不能な何か。そのような、或る意味での『決定打』を、ミスター・パペットが放とうとしている事が分かったからだ。
やがて、木戸怜士の声は――――完全な、女性の声に。そう、エリザベス・サングスターのそれに、変わった。
『こちらの要求は、『エンジニア失踪事件』を起こした張本人、ニコラス・サングスターを有罪判決にすることだ』
そうして、ミスター・パペットは、仮面に手を掛ける――――…………
『今すぐに、重要権限を持つ政治家を集めて会議に掛けろ。手段は問わない』
輝く金髪。ターコイズブルーの瞳。エリザベス・サングスターが、そこには居た。固く一文字に閉ざされた唇。意志の隠された眼光は、カメラを凝視している。
『良い返事を、期待しているよ』
リズ。
一瞬だけ、その素顔が見えた。リズの声と共に、モニターは消えた――……これ以上の情報は必要無い、という判断だろうか。代わりに映されたのは、遥か上空から映される『スカイツリー』の姿だった。
俺は下顎に指を添えて、思考する。……最早、終末東京全土がミスター・パペットの鳥籠だ。何人もここに入る事は出来ず、そして出る事も叶わない。
入る事が出来るのは、限られた『プレイヤーID』を持つ人間だけだが――……当然、捜索は困難を極めるだろう。名乗り出る者が居たとして、そのプレイヤーIDを別の人間が使えるとは限らない。本人が終末東京の戦いに巻き込まれたく無いと考えれば、外部から捜査の協力を強制する事は難しいだろう。
ならば、ミスター・パペットの要求を受け入れるしかない。だが、その為には一度終了した裁判をもう一度、事件から洗い直す必要がある……とても、直ぐに終わる作業だとも思えない。問題の解決には、本来時間が掛かるものだろう。
だから、ミスター・パペットは人質を盾にして、もう一つのトリックを用意した。……それは、終末東京プレイヤー達の『潰し合い』。焦ったプレイヤーは、どうにかして終末東京の世界から出る事を考えるだろう。しかし、その為にはNPCと化している、他のプレイヤーを殺さなければならない。
……時間を掛けなければ解決出来ない問題だが、四十八時間を待たなくとも、刻一刻と犠牲者は増えていく。終末東京はパニックに陥った人々の戦乱の地となり、間もなくモニターには地獄と化した『スカイツリー』の様子が浮かび上がるだろう。
それが、ミスター・パペットの狙いなのか。
『おい、恭一!! 聞こえてんのか!?』
「……ああ。聞こえてるぞ」
俺は、天井を見上げた。
遠い――……余りにも遠過ぎる、『スカイツリー』の塔の上。これだけ破壊が進めば、エレベーターが動いているかどうか等、定かでは無い。プレイヤーウォッチからマップを開けば、エレベーターの他に、『スカイツリー』最上階へと続く道は一つしか無い事が分かる。
ミスター・パペットとの戦闘では久しく使われていなかった、ダンジョンの存在だ。何故シェルターの中にあるのか、それともたった今作られたものなのか、それは分からなかったが。
俺は、このダンジョンを越えるか、エレベーターが動いていればそれを使うのか、何にしても何らかの方法で、リズの居る最上階まで辿り着かなければならない。
『今、椎名と明智に連絡取ってっからよ!! どっか危なくねえ場所に避難してくれよ!!』
「いや、今回は俺一人で行く。連絡は取らなくていい」
――――――――俺が、たった一人で。
『はあ!? ……おい恭一、強がってる場合じゃねえんだよ!! もう終末東京に命の保証なんかねえんだ!! そうなったらよ!!』
尋常ではない程に、城ヶ崎が声を張り上げていた。
『これはもう、戦争じゃねえか!! なあ、恭一!!』
俺の立場を気遣ってくれているのだと云う事は、直ぐに分かった。
「ああ。……分かってる。それを踏まえて、誰も来なくて良いと、そう言っている」
命の危険がある場所だ。俺達の中の誰も、戦闘の訓練などしていない。サバイバルも経験していない。だからこそ、若しも被害があったとしても、それは最小限に留めなければならないのだ。
ここから先は、弱者が強者を打ち砕く為の戦い。ならば、考えられるリスクは計り知れない。若しもこの場で逃げる事が選択肢に入るのなら、俺は迷わず一度撤退し、逆転の為の策を練る時間を作っている。
『カッコ付けてんじゃねえよ!! 良いか、俺達はログインしたら今、『ヒカリエ』に居る!! そこからプレイヤーウォッチの転移機能を使って、直ぐに『スカイツリー』まで向かう!! それまで耐えるんだ!!』
「調子に乗るな」
予め、用意しておいた台詞。だが、語気が荒くなってしまうのは避けられなかった。
「今まで役に立っていて良い気分だったかもしれないが、俺からしてみれば、どうにか『役に立たせていた』程度の話でしか無いんだ。ましてこうまでに危険な場所で、お前達のコントロールをする自信なんかない。……強がりじゃない。『居ない方が俺に有利』なんだ。勘違いするな」
自身から発せられた筈の言葉が針のように、俺自身に突き刺さる。
撤退出来ないのだ。『スカイツリー』に一度入ってしまえば、出る事も叶わなくなるのだ。……そんな場所に、城ヶ崎や椎名、明智、ララを連れて行く訳にはいかない。『ヒカリエ』の時は協力して、どうにか脱出するしか選択肢が無かった。……今は、違う。彼等には、『不参加』という選択肢が残されている。
遥香姉さんなど、尚更――……
「したくもない話をさせるな。……足手纏いだって事を悟らせない為に、今まで必死で努力して来たんだ」
俺一人の為に、命の危険を冒すのか。それとも、撤退するのか。
結論など、初めから決まっている。
『…………そうかよ』
「最初の方は、世話になったよ。……でも今は、メンバーの誰よりも俺は強い。弾幕のように周りの人間が全て敵になるゲームで、団体行動っていうのは意外と難しいんだ」
これは、本音でもある。
人が多ければ、当然リスクにも成る。逸れてしまえば戦力は半減し、死の危険だけが付き纏う。共に行動していたとしても、より大きな人数で囲まれれば退避は難しい。
一人ならば、針穴のような隙間を縫って行動する事も可能だろう。
だが、そんな事よりも何よりも、俺は彼等に命の危険を冒して欲しく無いのだ。
「城ヶ崎、ここは退いてくれ」
大切な、仲間だから。
或いは、初めて俺の存在を認めてくれた人間の、一人だったから。
そのような想いは、城ヶ崎に届いたのだろうか。……願わくば、届いていなければ良いと思っていた。俺の発言の意図が見えてしまえば、城ヶ崎は覚悟を決めて、我先にと助けに来るかもしれない。
そうなってしまえば、それは俺の欺瞞だ。助けに来るなと言っておきながら、危険である事をアピールすること。それは、助けを求めているのと同じなのだから。
『……確かに、そういうのはあるかもしれねえな』
「ああ」
作戦などない。人目を掻い潜ってミスター・パペットの所まで辿り着く事が出来るのなら、まだ戦術の組みようもあるのかもしれない。だが、そこまでの道程を戦場にしよう等という発想には、俺は辿り着く事が出来なかった。
言うまでも無く、これはミスター・パペットの仲間にならなかった俺を、避ける為の壁でもあるのだろう。
彼等が居れば、絶望的な選択肢の中に、僅かな明かりが灯るかもしれない。
解決までの道筋を、作る事が出来るかもしれない。
『本当に、大丈夫なんだな。今までで一番やばそうな気がするけど、問題ないんだな』
「ああ」
だが、それは上がったとしても、数パーセントの可能性でしか無い。
俺は、トレーダーを生業としてきた。確率と云うものが如何に不安定なものか、身を持ってよく理解している。勝率七割でさえ、三連敗、五連敗など当たり前の世界なのだ。それが今、『外れました』では許されないのだ。
何よりも、俺が。
『……分かった』
それきりで、城ヶ崎との通話を終えた。
未だ、辺りには建物の燃える音が響いている。悲鳴はしないが、それは建物の中に人が居ない為だろう。スマートフォンを戻すと、俺は一人、建物の壁に凭れ掛かった。
早くここから出なければ、俺も危険だろうか。しかし――……俺は、目を閉じた。
暫く、無心のままでいた。鎧を着た男達は、どうなったのだろうか。ある程度の人質を捕まえた後は御役御免かもしれないし、NPCである事を考えると、戦闘に参戦している可能性もあるのかもしれない。
直接的に、ミスター・パペットがリズであると云う事が、一般の人間も含めて認知された。同時に、トーマスの居る半透明のドーム内にニコラス・サングスターが居ない事も分かった。そうでなければ、リズが顔を出さなければならない理由がない。
だとすれば、ニコラスを動かす為にミスター・パペットは、仮面の内側を公開した。あれを見たニコラスは確実に動いて来るだろうし、彼が動かなくとも捜索されるだろう。終末東京事件を解決する為に、警察が動く事によって。
俺は、動じない。
まるで透き通った水の中を見ているかのように鮮明で、クリアだ。事件の真相は、既に手中にある――……他の誰にも、分からない。俺だからこそ、この事件が何故起こったのかが分かる。
しかし。それは悲壮に満ちていて、儚い。祭の後に見る夢のようなものだ。余りにも精巧に考えられた事件でありながら、一本の細い糸のように、張り詰めて今にも切れてしまいそうだ。
足場の上に立った感覚がある。穏やかに動く、大気の感覚がある。酸素で肺を満たせば、僅かに冷静になった脳に血が巡っていく感覚がある。
悲しい。だが、涙は出ない。
遂に、枯れてしまったのだ。
「――――――――よし」
五感を研ぎ澄ます。右手に装備された、『敗者の拳』を今一度確認する。能面のような顔をして迫り来る緊張の波に乗り、その流れのままに神経を尖らせる。
一本道だ。やる事は単純明快。だが、俺に出来るだろうか。武器を持たない。スキルも無い。今度は、仲間も居ないのだ。
いや。…………やるしか、無いのだ。
この戦いに、己の生を賭けるとしたら。惜しくは、無いだろうか。
「…………今更か」
思わず、笑みが零れた。
木戸怜士が死に、木戸遥香の下を離れた瞬間から、俺に生きる意味など無かった。その薄暗い洞窟に足を踏み入れ、こちらに向かって手を伸ばして来る者が居た。
そうして俺は、外に出た。新たな仲間。新たな信頼。
パートナー。
惜しくは無い。届かなければ、俺がどう足掻いた所で助ける事など出来なかったと云う結果になるだけだろう。
戦わずして、死ぬのか。足掻いてから、死ぬのか。
答えなど、始めから決まっている。
「俺は、弱い」
何度も教えられた言葉を噛み締め、手を握る。
行こう。
◆
俺は今、『スカイツリー』シェルター内で最もツリーから遠い位置にいる。
ショッピングモールの末端。逃げ回っている内に、随分と遠ざかってしまった――……周囲に小さな建物があるとは云えど、『スカイツリー』内部は基本的に大型ショッピングモールによって構成されている。鎧男から逃げる為、その中に潜り込んだのだった。
まるで、日本で三世紀中頃から流行り出した、前方後円墳のような形をした建物。最も、円の部分は塔が立っているのだが。
巨大なショッピングモールは『スカイツリー』中央に聳え立ち、その外側を広い外路がぐるりと一周する。更にその外側に小さな建物が集まっているから、塔まで辿り着きたいと思うのであれば、大通りを通って行かなければならない。
以上の地形から、作戦は二通り考えられる。広い外路を爆進する意味など無いので、必然的に燃え盛るショッピングモールの中を突き進むか、外側の小さな建物まで向かい、陰に隠れて『スカイツリー』入口まで向かうかしかない。
燃え盛る、とは云え、当初と比べて幾らか火の手は弱まっている。雨が降らないこの場所で火が消える事は無いだろうが、どうやら建物そのものは火に強い材質で出来ているようだ。
とは云え、上空から何かが落下して来る可能性もある。慎重に辺りを確認しながら、俺はショッピングモールの中を進んだ。
「窓が無いのが、助かる所ではあるか……」
手持ちの武器は、先程家電売り場で手に入れた、プレイヤー復活用の拳銃。右手に『敗者の拳』。武器ではないが、プレイヤーウォッチの中に、リザードテイルが三個。……以上だ。
迂闊に拳銃を発砲する訳には行かないので、どうしても戦闘を避けなければならない立場。その状況から、俺はショッピングモールの中を突き進む選択を取った。
大通りが戦闘地帯だと仮定するなら――……どうしても、そうなるだろう。建物の中がこのような状態である以上、外に炙り出された人間達は死闘を繰り広げる。何も知らず、『スカイツリー』に参入して来る人間を狩る者も現れるだろうし、言い出したらキリがない。
その場合、隠れるとするなら視界の悪くなる小さな建物の周辺、つまり大通りの外側である可能性が高い。従って、細かい路地にはプレイヤー化する銃を発見出来なかった人間が集まる筈だ。
それは何故か。ショッピングモールよりも、上空から物が落ちて来ない分、安全を買う事が出来るからだ。加えて、仮に攻め込まれたとしても、建物から建物へと移動する事で逃げられる可能性が高くなる。
逆説的に、ショッピングモールには人が少なくなる。
柱の陰に隠れ、通路を進んで行く。
息を殺して、辺りの様子を窺う。……炎の燃える音は、未だ続いている。長時間煙を吸うことは避けたいが、この場では姿勢を低くして歩く他にない。
この世界なら、バトルスーツの性能でどうにかなったりしないのだろうか。……可能性は半々と云った所か。過信できる情報など、これまでの旅で見て来なかった。
――――よし。今の所は、誰も居ないようだ。
「何か、振り回すだけでも武器になるものがあればな……」
辺りの殆どは燃えている物なので、拾い上げても仕方が無い。火を避け、次に隠れる事の出来る物陰を探す。
一瞬でも、気を抜くことが許されない状況だ。騒ぎになれば物音を聞き付け、人が集まって来る可能性もある。
ショッピングモールという構造上、仕切りは多いが、廊下は基本的に一本道だ。通路は端から端までかなり長い距離が一本道になっており、その瞬間だけは見晴らしが良くなる。
炎の陰に隠れ、自動販売機等のオブジェクトを利用し、身を隠す。そうして中央を対策し、直ぐに通路の両脇にある商用スペースへと身を隠す――――…………
「ひっ――――」
考えるよりも先に、身体が反射した。視界の中央に飛び込んで来た人影。俺は身を屈め、拳銃を構えたまま地面に伏せる。
この『スカイツリー』内部、俺は銃を持っている側の人間だ。弱気に出る必要はない。商用スペースの中に隠れていた人間に、予め銃口が向いている。別のゲームで鍛えた銃の腕は、役に立っているのかどうか。
洋服売場の陰。最も、殆どの服は燃えている真最中だが。人が集まる可能性が低いからと言って、誰も隠れていない筈がない。何処かには人間が居て、大概、このようなリスクを伴う場所に隠れている人間は二種類。そのどちらも、バトルスーツを着ている人間だ。
「動くな。動けば撃つ」
先ず、一つ――……最も危険視している人間は、銃を手に入れ物陰に隠れ、この場所に来た者を狙い撃ちする、FPSで言う所の所謂『芋虫スナイパー』だ。リスクを避けたい彼等は、相手が反応する前に撃つと云う手段を取る。
そして、もう一つは。
「…………う、撃たないでください…………!!」
銃を手に入れなかった人間。
目の前に居たのは、バトルスーツを来たボブカットの女性だった。高校生位の見た目に見えるが、どうなのか。俺を見て、明らかに怯えている。戦闘慣れしているようには見えない。
髪の色は黒い。一見して、プレイヤーに見える……この状況では誰もがNPCになっているので、確認する事は出来ないが。俺は銃を下ろし、直ぐにショッピングモールの中に避難した。
「運が良かったな。……俺はあんたを撃たない」
最も、人が居た所で狙っていたのは頭ではなく腕だったし、その自信もあったのだが。
隠れる事が出来そうな場所には、予めポイントを定めておき、飛び込んで伏せる。ゲームでは爆弾等のアイテムがあるので投げておいたりもするが、現状ではこれが最善の手段だ。
ボブカットの女性は胸を撫で下ろした。俺は女性から目を離さず、その様子を観察する。
戦器は持っていない。プレイヤーウォッチの中なのか……銃を持っていないからと云って、銃を奪う為に襲い掛かって来る可能性も考えられるシーンだ。油断してはいけない。
「……ど、どうしてですか?」
「プレイヤーに戻りたくて、ここに居る訳ではないからだ。俺は、この事件を起こした張本人を追っている」
「張本人……? ミスター・パペットですか……?」
そう言えば、音声は大きく流れていたな。恐らくあれは、外部のスピーカー。モニターが無くとも、全員に周知されるようにと配慮しての事か。
しかし、それを知っていて、隠れている。
鎧男が街に現れた辺りから、もう隠れていたのか。普通に考えて、火の手が上がれば人は外に逃げるものだ。と云う事は、敢えて火のある場所に隠れるのが安全だと考えた人間だと云う事。
見た目はおっとりとしていて鈍臭そうだが、頭が働く人間でなければ此処には居ないだろう。
「……ミスター等と名乗っているが、女性だ。まさか勘違いはしていないと思うが、これは現実世界も絡んだ事件だ」
「それは、分かっていますが……警察が来るまで隠れていた方が良いのでは……?」
「少し、訳有りでな。……引けない状況なんだ」
最も、警察が何処まで役に立つのかは不明だ。要求を呑んだからと云って、ミスター・パペットが本当にゲームを元に戻し、人質を解放するのかどうかは分からない。明らかに政府にとって不利な条件だ。
加えて、プレイヤーIDの新規発行も封じたとあった。今からソースコードの解析など、出来る者は居ないだろう。その為に、終末東京や『ファンタジア』の制作に関わったエンジニアを人質に取っているのだ。
恐らく、解決は難しい。
「ここに隠れていた方がいい。銃なんて奪わなくて良いから、出来る限り逃げ回って、時間を稼ぐんだ。ミスター・パペットは四十八時間以内に世界が終わると言っていたが、四十八時間も掛からずに状況を逆転させる」
「あ、あなたが……?」
「そうだ。……だから、逃げているんだ」
可能性の話ではない。俺は、やらなければならない。だからこそ、そうした意思を持って、俺はそう答えた。
二十四時間だ。十分な猶予を持って解決しなければ、その後の展開が未知数である以上、無駄に終わる可能性がある。……例えば、四十八時間後に終末を迎えるとして、それがどの程度のスピードで進行するのか分からない。
タイムリミットの直前にミスター・パペットを捕らえたとして、その瞬間にゲームが終わってしまえば、結局の所誰も助からない。プレイヤーを元に戻す手段があるのかどうかも、NPCを助け出す方法があるのかも……人質として捕まっているトーマスを救い出し、NPC現象を元に戻し、プレイヤーがログアウトするまでの時間。その位は見ておいた方が良いだろう。
「それじゃあ。幸運を祈っているよ」
そう考えると、全く時間はない。仮にエレベーターが止まっているなら、ダンジョンを抜けるまでの時間。最上階で何が起こるか分からないという不安。走り切る事が出来るのかどうか。
「待ってください」
俺は、振り返った。
「私も、連れて行ってくれませんか……?」
ボブカットの女性は、恐る恐ると云った様子でこちらを窺っている。
二昔以上前のレトロなRPGを彷彿とさせる状況だと思いつつ、俺は手を振った。
「申し訳ないが、断る。会ったばかりのあんたを信用できない」
第一、連れて行ったとして何をやらせると言うのか。役割の持てない者を引き連れて歩けば、無駄な危険が増えるだけだ。
悪いが、自分の身は自分で守って貰おう……そう考えていた時だった。
女性はプレイヤーウォッチを操作し、戦器を取り出した。巨大な弓……いや、これはボウガンだろうか。
成る程、遠距離攻撃専門だったか。道理で、あの中距離では銃を持った俺に手も足も出なかった筈だ。逃げる為だけではなく、自身の得意な間合いを意識した上での隠れ場所。小さな建物が並び視界の悪い大通りの外側では、反撃する事は難しかっただろう。
やはり、惚けているようだが頭の回る女性だ。
「あ、あの……私、工藤小凪って言います。……あと四十時間ちょっと、ここで逃げ切れる気がしないんです。……絶対役に立ちますから、協力させて貰えませんか」
さて、どうするべきか。
信用仕切れないリスク……しかし、遠距離攻撃は俺の持たない分野だ。本当に動けるのなら、これは優秀なパーティメンバーになるだろう。
確かに、ここに居て死を待つ恐怖というものはあるだろうが。何も解決しなければ、直に終末が来て巻き込まれるだけだ。
「……仲間は?」
「居ません。……今は、いません」
…………リスク、か。
どうせ取るなら、出来る限りのリスクを許容しなければ勝利も無いか。彼女は巻き込まれた人間だ。言わば、運命共同体とも言える。ここで腐っているよりは、有効利用するべきか。
「…………木戸恭一だ。ついて来い」
「は、はいっ!」
背中を取られたら、それも運命だったと思う事にしよう。元々、一人で辿り着くのは無謀だった。
戦力増加の賭けだ。ここは、乗る。




