第四十三話 荒廃の世界に揺蕩うモノ
終末東京の世界は、まるで未来の地球のようだ。
未来の地球をテーマにして描かれた世界なのだから、当たり前と云えばそうだが。唯のゲームでは語り切れないリアリティが、そこにはある。俺達は幾度と無く終末東京世界を旅し、そして新たな場所へと移動して来たが。最後に感じるのはやはり、その圧倒的な孤独感だ。
その昔、米国から登場したロールプレイングゲームで、荒廃の世界を旅すると云うものがあった。環境汚染が進み、人はガスマスク無しでは地上で生きることが出来なくなり、何時しか地下に篭もるようになったという。
事実は違うが、終末東京世界もまた、似たような価値観から成っている。結局の所、複雑なバランスで生きているものが何かの弾みで狂ってしまえば、元のままで居ることは出来ないのかもしれない。
例えるとするなら、怜士兄さんやトーマス、そしてニコラスが研究していた事もまた、そのような内容に等しい。人類としての制限を超えた研究だ。世界から世界を生み出そうとする事など。
「トーマス、様子はどうだ?」
ニコラスの住処から移動し、俺達は再び、東京の地に戻って来ていた。トーマスの保有している、くたびれた研究所の一室。その場所で、トーマスは俺のプレイヤーウォッチを操作していた。
光の無い場所だ。トーマスは偶々その場所が安かったから購入したと俺に話したが、実の所は都合が良かったからこそ、購入したのではないだろうか。
誰も挑戦した事の無い未知の研究に精を出すには、外界から遮断されていた方が都合が良い。
俺も、同じ価値観を持っている。
「…………よし、これで大丈夫なはずだ」
トーマスはそう言うと、改造したプレイヤーウォッチを俺に手渡した。何が変化しているのか、一目で把握する事は出来なかったが――……トーマスの改良によって、再び俺は今の姿のまま、終末東京世界に戻る事が出来るようになったらしい。
家に帰ってログインしようにも、使えなくなった金やら死んだバトルスーツやらがそのままでは、何かと不都合が多いのだ。今思えば、プレイヤーウォッチの中に格納されていた様々なアイテムが取り出せた事に驚きである。現実世界でこんな事が出来るなら、脅威の発明ではないか。
と思ったが、どうやら商品化されていないだけで、既に現実の発明として存在したらしい。トーマスの話に拠れば、それだけの情報を格納しておくサーバが一般的には流通していないので、実用化はもう少し先の話だそうだ。人間を架空の世界にデータとして移動させる事が出来るのだから、当然それはモノでも出来ると云うわけだ。
最早、現実世界と終末東京世界とを比べて、何が出来て何が出来ないのかを正しく把握する事の方が難しそうだ。
俺の知らない間に、それだけ世界は進化していたと云う事らしい。
「恭一、終末東京に移動する前に、コーヒーでもどうだい」
「休憩、必要か?」
「ちょっとね」
問い掛けると、トーマスは額の汗を拭い、椅子に座った。……どうやら、相当な集中力を必要とする作業を行っていたらしい。改めて、システムエンジニアという職業を傍から眺めているだけの俺には、その苦労など理解しようもない。
くたびれたトーマスの代わりに、俺は電気ケトルの湯量を確認し、インスタントコーヒーを手に取った。無音の空間に、人工的な光。やたらと広いスペースに、作業場と生活空間が混在している。
複雑な印象を覚える場所だ。
「…………嫁さん、居ないのか」
「ハハ。まー、こう言っちゃ何だけど、甲斐性無しって映るみたいでね。結婚もしてみたけど、女性には逃げられてばかりさ」
容易に想像出来る。一般的に見れば、これだけの無茶を平気でやらかす男だ。研究の為になら、世に言う『平凡で幸せな生活』とやらを平気で捨てられる。そういう意味では、怜士兄さんなど比較にならない程に、一般人と価値観が乖離している。この様子では、どうやって金を稼いでいるのかさえ理解も追い付かない。
だが地下の場所であれ、これだけの広い土地を買う事が出来ている。金銭に対して全く無欲という訳でも無さそうだ。
「まあ、不死になったら別の星に行って、異世界人とでも生きて行くようにするから、心配はいらないよ」
それは、彼なりのジョークだろうか。俺はふと笑って、トーマスにコーヒーを寄越した。
不思議な男だ。こんなにも怪しい部分ばかりを見ているのに、何故か信頼出来る男だと分かる。
ただ、ぶっ飛んでいる訳ではない。彼の人生には、彼なりの理屈があるのだ。その部分について共感出来るからこそ、俺はトーマスの事を信頼しているのだろう。
「それで、神宮寺って男に会った事があるって?」
俺は頷いた。
「彼は今、どこに?」
「それは分からない。だが、前にリズの所属していた終末東京のカンパニー、『バイオテクノロジー』の代表だ。現実世界でどれだけの地位を築いているのか知らないが、ある程度経営が出来る男だというのは間違い無さそうだ」
会った事があるとは言うが、実際の所、神宮寺とは碌に話した事が無い。リズが神宮寺と云う男に対して信頼を寄せていたのは、記憶に残っている事ではあったが。神宮寺はリズを『バイオテクノロジー』から追放した張本人だ。どのような事情があったにせよ、神宮寺とリズの関係はあの時に切れたものだと思っていた。それ以降、接触があるとも聞いていない。
今でこそ、俺は幾つもの都市をトーマスのプレイヤーウォッチを使う事で移動する事が出来るようになったが、元は地上を歩く事でしか、都市間を移動する術は無かったのだ。それを考えると、俺達はそう何度も『アルタ』に戻っていないし、リズが一人で地上を出る事は難しいように思える。従って、神宮寺との会話は無いと考えるのが普通だろう。
神宮寺の方からリズに会いに来ていれば、事情はまた違うのかもしれないが……
「そして、ニコラスの部下だった男か。……あまり、聞かないな。当時のプロジェクトに居た全員の顔と名前を覚えている訳ではないから、そんな事もあるかもしれないけど」
「トーマスは、リズとの交流はあったのか?」
「無いではない……けど、そんなに深く接した訳じゃないよ。そもそも、彼女はゲーム世界でしか生きられない身体だからね」
そうか。あの時、怜士兄さんは最初のテスターだった。若しもあの世界に予めリズが居たなら、怜士兄さん以外にゲーム世界でリズと話した事のある人間は居ない事になる。
「そういえば、仙次郎の住所に人数分のプレイヤーウォッチ適用バッチを送ったんだよね。今頃は届いている頃だと思うけど、彼等の奴も直してあげないと、現実世界から終末東京世界に移動出来なくなってしまうな」
「そうか。もう送って貰えていたのか」
「ああ、なるべく早めの方が良いだろうと思ってね。…………恭一?」
しかし、城ヶ崎を初め、彼等彼女等が終末東京世界にログインして来る事は今後、無いかもしれない。俺は、そのように考えていた。
ミスター・パペットの作戦は盤石だ。……そして、次第に本性を表してくるようになった。事件が起こるとするなら、間もなくだろう――――そうした時に、命の危険を冒してまで成し遂げなければならない事があるのか。
俺にはあっても、彼等には無い。
「…………いや、ありがとう。助かった」
俺は、確かめるように拳を握った。
それに、分かった事もある。
『自遊人』。その言葉の意味を、誰もが否定的に捉えるだろう。実際、終末東京世界に於いてスキルが使えない事は決定的であり、俺はリズの力が無ければ完全に無力のままだった。『敗者の拳』を持つことで、俺は初めてパーティーの中で役割を持てるようになり、活躍の箇所を与えられた。
それこそが正に、盲点だったのだ。誰にも気付き得ない秘密が、『自遊人』にはあった。
「それじゃあ、そろそろ行こうか。場所は『アルタ』で良いんだよね?」
「ああ。一先ず、そこに行ってみるしか無いだろう」
カップのコーヒーを飲み干すと、トーマスは立ち上がった。トーマスは、部屋の隅に置いてある『ワープステーション』から終末東京世界へ。俺は頷き、自身のプレイヤーウォッチを操作し、『アルタ』への転移を選択する。
自然と、腹の底から緊張が迫り上がって来る――――俺は、自身も知らない『何か』へと飛び込もうとしているのではないか。そのような、漠然とした不安があった。……雷が鳴る直前の厚い雲を見た時、犬が激しく吠える事がある。例えるなら、そのような察知能力が発揮されているのだろうか。
トーマスがどの程度、感じていたのか知らないが。トーマスの身体が『ワープステーション』の上に乗ると、複雑な電子音と共に身体が消えて行く。
…………俺も、行かなければ。
◆
みんな、私の事を避けるの。……変な事ばっかり言うって。異星人だって。
少女は俺に、そんな事を話した。お気に入りなのか、見た事もない言葉で書かれた凶器になりそうな分厚い本を、固く胸に抱き締めたまま。二人になると、少女は幾らか饒舌に、俺と話してくれるようになった。
当時の俺は、怜士兄さんの後を付いて行く為に必死だった。真っ先に何でも出来るようになり、新しい世界に飛び込んで行く兄さんを目にすることで、自分にも幾らかの影響があったのだろうか。
――――いや。単に、俺が彼女に対して好意を持っていたからなのだろうか。
俺もまた、珍しく少女には自分の話をしていたように思う。
周囲とは違う、当時の俺には見た事もない顔付きの少女が、見た事もない言葉の本を持ち、自分と同じように悩んでいる。その実情に共感し、また喜びを覚えていたのではないだろうか。
怜士兄さんを見慣れていた俺には、全く少女の事は『異常』だとは映らなかった。ただ、研究熱心な女の子だと思うくらいで――……少女は、俺の知らない事を幾つも知っていた。自分の父親を尊敬し、ほんとうに凄い人間なんだと、何度も俺に話してくれた。
少女の父親は、いつも怜士兄さんと何処かへ行く。その度、俺は少女と二人になった。
いつも出会う時、暗い顔をしている。……少女は、俺から見ればただ賢いだけの少女だ。しかし、周囲は彼女の事を認めないらしい。その時、世の中には俺のように、不毛な努力をしている人間など腐るほど居るのだという事実に気付く。
少女はその知識を通じて、人と仲良くなりたいと思っているのだ。しかし、それは周囲の人には、『変な勉強をしている変な女だ』と云う風にしか映らない。それは限りなく、不毛な努力だ。
だが、思う。
俺によく似ている、と。
学校の勉強には、全く興味が無かった。怜士兄さんの行っている研究の方が遥かに難しく、価値のあるものだと云う事は当時から分かっていたし、何より学校の、あの雰囲気が好きではなかった。
誰かが誰かを蹴落とす為に、必死で努力しているのだ。――――幼心に、それは愚かに映った。誰かの為に行われる努力でないのなら、そこに価値はないものだと思った。
そういう人間は、常に誰かを貶める事を考えている。自分とは違うものを一切認めず、自分だけが孤高で誰よりも賢いと思っている。そのような、或る意味では『盛大な勘違い』を孕んだ人間が大嫌いだったし、そういった人間を屈服させる為に喧嘩もした。
そんな俺は、少女の実情に腹が立った。
宇宙の謎を解く。……それがどのような内容であれ、彼女は素晴らしい夢と目標を持っていると思ったのだ。その意味を理解しようともせず、また努力もせず、『つまらない』と吐き捨てる人間が彼女の周りに呆れるほど居るのだと云う現実に、俺は怒りを覚えた。
真実を追う者は、何時の時代も周囲から笑われるばかりだ。
果たして、どちらが下らないのか。自分だけが得をするために勉強する事と、何かの役に立つために勉強をする事。どちらがより優秀かと二者択一を問われた時、誰もが後者を素晴らしいと言うだろう。
だが、現実に認められるのは前者なのだ。
誰もが、自分の立場を守る為に戦っている。――――まるでそれは、戦争だ。戦う者の居なくなった人間は権力と富と云う『戦器』を持ち、自分と同じ『人間』を攻撃する。恨みは怒りを呼び、やがて元の原因が何だったのかも分からず、唯、戦いを続けるだけの存在となる。
唯、戦いを続ける為の。
「――――――――なんだ、これは」
地下都市『アルタ』に辿り着いた。白銀色と翡翠色の空間から晴れて、俺が最初に両眼に捉えた光景は、信じられない内容だった。
天井が崩れ、落下して来る。殆どの人間がその場からログアウトしているのか、残されたNPCが出口を目指して走っていた。数は少ない――……俺は直ぐにバトルスーツへと装備を変更し、何が起こっているのかを把握しようと努めた。
次いで、トーマスが転移して来る。俺と同じように、場の状況に双眸を見開いた。……建物はとうに崩れている。崩れた天井の下敷きになった建物が更に崩れ、災害が広まって行く。
喫茶店『ぽっぽ』を発見した。
「染谷さん!!」
「き、木戸くん!?」
崩れた建物に足をやられ、動けなくなった染谷を発見した。逃げ切れなかったらしい――――駆け寄ると岩を退け、染谷を解放した。
「……大丈夫ですか、染谷さん」
だが、ここも危険だ。早く俺達も、上へと上がらなければ――……染谷は一先ずログアウトさせてしまえば良い。そう思ったが、気付いた。染谷のプレイヤーウォッチは、画面が消えている。何度タッチをしても、表示がされなかった。
トーマスが駆け寄り、俺と染谷の様子を確認する。プレイヤーウォッチを見せると、トーマスは驚愕した。……と、云う事は。先程から通り過ぎて行く人間は、NPCだけではないと云う事だ。
「きゅ、急にプレイヤーウォッチが使えなくなってしまって……」
この状態では、ログアウト出来るのかどうかも分からない。――――プレイヤーも、終末東京世界に閉じ込められている。
とにかく、地上に出なければ。足のやられてしまった染谷を背負い、俺はトーマスと頷き合った。崩れ落ちる巨岩を避け、エレベーターホールへと走り始める。
バトルスーツを着ている事は、アドバンテージだ。落ちて来る巨岩を容易く蹴り飛ばす事が出来る。バトルスーツを着ていないトーマスの代わりに、俺は先頭を走り、障害物を跳ね除けて進んだ。
「木戸くん、一体何が起こっているんだ!?」
「俺にも分からないです!!」
混乱している染谷に構っている暇はない。逃げ遅れたプレイヤーかNPCかも分からない人々に、逃げ道を与える。全てを救える訳ではないが――……バトルスーツを着ている数名の人間は救助に当たっているようだが、間に合わない。
崩れた天井が、まるごと落下し始めた。俺とトーマス、染谷の三人はエレベーターホールに跳び込む。
地上に繋がっているエレベーターホールは、どうやら無事なようだ。俺とトーマスのプレイヤーウォッチは使えるのだから、最悪の場合は転移してしまえば済む話だったが――……
地上へと登る為の階段は生きている。
「……恭一、行けそうだ」
「おう」
バトルスーツを着ている人間が撤退し、階段を上がって行く。俺達も続いた――……逃げ遅れた人間が居ただろうか。この状況では、もう分からない。
いつの間にか、トーマスもバトルスーツに着替えていた。……持っていたのか。大きくジャンプし、細かい階段を数段飛ばしで上がって行く。エレベーターなら速いが、階段を使うとなると大変な労力だ。それでも、バトルスーツを着ている状態ならばそれ程苦痛にはならない。
螺旋状の階段は直ぐに終わりが見えた。階段を抜け、洞窟へ。シェルターの出入口を護る門番はおらず、無防備に開いている。
そして。
「きょ、恭一くん…………!!」
「ああ…………」
喉を鳴らした。
天井が抜けると、地下都市と地上を遮るものは無くなっている。地下都市『アルタ』は今や、奈落の底へと続く大穴に変化していた。……先程まで自分達が居た場所が、まるで始めからそうであったかのように、無くなっていた。
新たに生まれたのは、巨大な谷か。それとも、クレーターか。遥か下に、崩れた後の天井が見える。土砂崩れのように木々は埋まり、エレベーターホールは剥き出しになっている。
鳥肌が立った。余りに不自然な光景――……それでいて、先程まで俺達は、潰れた空間に居たのだ。中には当然、逃げ遅れ、巻き込まれた人間も居ただろう。
プレイヤーは無事、ログアウトされたのだろうか。……NPCは、居たのだろうか。
「染谷さん。こうなるまでに、何か不自然な点はありませんでしたか。例えばテレビとか、ラジオとか……」
「い、いや、分からない。いつも通りだったよ。突然、轟音がして……外に出たら、天井が落ちて来て……」
情報は無いのか。
辺りにクリーチャーは居ない。恐らく、既にこの場所から逃げているのだろう。それが異例の事態であることは、一目で分かる。外に逃げた人間達は――最早、それがプレイヤーなのかNPCなのかも、一目では判断出来ない――それぞれ話し合い、別の街に逃げる事を考えているようだった。バトルスーツを着た数名の男達が、無防備な民衆を集め、取り纏めている。
俺の所にも一人、歩いて来た。
「君は……コア・カンパニーに所属している人間じゃあ無さそうだね。狩りの帰りだったのかい?」
「ああ、いや、俺は…………ログインして来たら、この状態だったんだ」
見た所、彼はプレイヤーのようだ。屈強な身なりに、平常心を持っている。先程まで、崩れ行く『アルタ』から人々を護っていた男達だろうか。彼は自身のプレイヤーウォッチを見ると、溜息をついた。
「そうか、それは気の毒に。……こんな事、経験していなくてね。プレイヤーウォッチも、突然使えなくなってしまったし……サーバトラブルかな」
いや。恐らく、そうではないだろう。この世界に来て間も無い頃、城ヶ崎が終末東京の事を、『過去に一度もサーバトラブルの無いゲーム』だと話していた事がある。仮にサーバトラブルだったとして、プレイヤーウォッチだけがピンポイントで使えなくなるような障害は起こり難いのではないだろうか。
もっと、例えば突然世界が真っ暗になる事や、強制的にログアウトされてしまう等、直接的な内容になると思われる。
「ここから一番近いのは『ヒカリエ』だから、一先ず俺達はそこを目指そうと思うけど。……君は?」
「いや、俺はいい。好きに行ってくれ」
変わった男だと思われただろうか。バトルスーツの男は怪訝な顔をして、しかし「そうか」と頷いてから、民衆の所へと戻った。そのまま、『ヒカリエ』目指して地上を歩いて行く。
男達の姿が見えなくなるに連れ、俺は染谷だけでも『ヒカリエ』を目指させるべきかと、そのような事を考えた。……だが、現実にはそうしなかった。それは、ある一つの予感からなるものだ。
『アルタ』にこのような災害が訪れたとして、『ヒカリエ』が大丈夫かどうかは、分からない。
若しも本当に比較的安全な場所を当たるのなら、地上に都市を構える『ガーデンプレイス』や『サンシャイン・シティ』を目指すべきだ。だが、そのどちらも、この場所からは遠すぎる。パーティーならば到達も出来るだろうが、見ず知らずの武装もしていない団体で行けるとも思えない。
どの道彼等は、『ヒカリエ』で立ち往生だろう。ここよりは安全だろうが、絶対に安全とは言い切れない。
俺は、自身のプレイヤーウォッチを確認した。……大丈夫だ、転移は使える。ならば、染谷を一度現実世界に送って、それから改めて原因を調べればいい。
「…………あれ」
そう思ったが、転移の項目に『リアル』の表示が無くなっていた。『アルタ』に来る前、確かにトーマスがプレイヤーウォッチを改造し、項目を追加していた筈だったのだが。
「なあトーマス、プレイヤーウォッチなんだけど――――――――」
そう言いつつ、振り返った。
トーマスは、その場所に居なかった。…………いや、居た。居たが、それは地上ではなく、潰れた地下都市『アルタ』の上。底無しの大穴の上に、トーマスは浮いていた。
俺は、目を見開いた。
「トーマス!!」
染谷が驚愕していた。俺は昂ぶる感情を抑えられず、叫んだ――――気を失っているのか。トーマスは目を閉じ、宙に浮いている。その直ぐ隣に、見覚えのある黒いローブ姿の人間がいた。
一体、何時からそこに居たのか。いつの間に、トーマスはやられていたのか。音も無かった。地下都市の階段を上がる瞬間まで、トーマスの姿は視界に捉えていた。
ならば、たった今、トーマスは捕まったのだ。
現れたのは、ミスター・パペット。……また、怜士兄さんの亡霊か。俺に最後の警告を出しに来たのだろうか。
それとも。
「――――ねえ恭くん、それを私にちょうだい?」
息が詰まった。
トーマスのプレイヤーウォッチから、指も触れずに何かが具現化する。…………現れたのは、『デッドロック・デバイス』。自然に俺のプレイヤーウォッチからも、今までに獲得し、保管していた『デッドロック・デバイス』が出現した。
『アルタ』。『ガーデンプレイス』。『ヒカリエ』。これまでに手に入れたデッドロック・デバイスは、何れも俺とトーマスの手で管理されていた。残された『デッドロック・デバイス』は確か、ミスター・パペットに。
「おいっ……!! 待て!!」
宙を浮遊する、『デッドロック・デバイス』。反応も間に合わず、それらは俺の懐をすり抜け、『アルタ』の大穴へと向かって行く。染谷を背負っている状態では、満足に身動きを取る事が出来ない。
それらは全て、ローブの内側に吸い込まれて行った。
「木戸くん、私を降ろすんだ……!!」
今更染谷を降ろしても、最早どうにもならない。全ての『デッドロック・デバイス』が揃い、それらはミスター・パペットの手元に集まった。
…………いや。もう、『ミスター・パペット』等と呼ぶべきではないのだろうか。
「ふふふ…………揃った。ずっと、探していたの……トーマス・リチャードも貰っていくね。この人が居れば、私は現実世界に帰れるかもしれないでしょ?」
黒いローブの内側から、光が漏れる。
やがて、衝撃波のようなものが発生し、砂埃が舞い上がった。俺は堪らずに目を閉じ、溢れ出る光に身動きを取る事が出来なくなった。
俺の中から、大切な何かが零れ落ちるように。
光は放出され、やがてその勢いを弱めていく。
「でも、その前に……私は、絶対に許せない人を一人、この世界に引きずり込まないといけないから……」
目を、開いた。光は収まっていた。
――――何も、起こっていない。黒いローブの人間は相変わらず宙に浮いており、トーマス・リチャードも相変わらず、その隣に居る。二人は変わっていない。変わったのは――――その前にもう一人、人間が浮いていると云う事実のみだ。
「始めるね」
俺は、目の前に現れた、その少女を知っている。
金色の長髪。白い肌。目は閉じていて、口も動いていない。…………だが、紛れも無いエリザベス・サングスターが、そこには居た。バトルスーツを着せられ、その上から『デッドロック・デバイス』が装着されている。
手首。足首。腰。肩。首。指。関節の様々な部位に、輪が嵌められている。……まるで、拘束されているかのようだ。
水の中に居るかのように、長い髪は揺らめいている。リズ自身が僅かに発光しているのか、その周囲は金色に明るい。両手両足を不自然に広げ、眠っているかのように脱力している。
「ニコラス・サングスターに復讐するの。恭くん、邪魔しないでね……」
不自然だ。
若しもリズがミスター・パペットなら、何故黒いローブの人間は、未だにその後ろに立っているのか。『デッドロック・デバイス』は確かに、黒いローブの内側に吸い込まれた。ならば、あの黒いローブは宙に浮いているだけで、中身の無いモノなのか。
何故、リズは目を開かない。唇が動かない。
「ホントは仲間に入れてあげようと思ったんだよ? でも、恭くんがあんまり、邪魔ばっかりするから……」
染谷には、何の事情も分からないのだろう。ただ目の前に起こっている出来事に、目を丸くしているだけだ。
俺はリズを指差し、叫んだ。
「エリザベス・サングスターは、ニコラスの事を『お父さん』と言う!! お前は偽物だ!!」
そう言わなければ、正気を保っていられなかっただけだ。
痛いほど、胃が締め付けられる。歯の根が合わない。……リズの『リオ・ファクター』が暴走したとでも言うつもりか。……ここに来て、そんな事が起こる筈がない。……とは、言えなかった。
俺の思い描いたシナリオに、狂いは無い。……しかし、最悪の確定事項がひとつ、この場に追加された。
「……そうだね。私はもう、『エリザベス・サングスター』ではないかもしれない」
来る。
そう思った時、目の前のリズが突然目を見開き、不自然に顔を歪めて、笑顔を作った。
「終末東京の、亡霊。……『ゴースト』なのかもね」
瞬間、地震が起こった。
「うわあっ!!」
驚いて叫んだのは、染谷。
立っていられなくなり、その場にどうにか這い蹲る。……背負っていた染谷もまた、地面に投げ出された。『デッドロック・デバイス』が揃った時、世界は終末に向かう。……具体的に何が起こるのか、それは分からない部分だったが。
強烈な地震の中、左肩が傷んだ。辺りの木々が倒れて来る――……どうにか身体を庇い、地震の収束を待った。
「なんだ……何が起こった……!?」
少し、弱くなっただろうか。
身動きを取る事が出来るようになり、直ぐに自身の左肩を確認した。そこに現れたのは、『NPC』の文字。『ヒカリエ』で起こった事と同じ事が、今の俺にまた、起こった。
しかし、今度はプレイヤーウォッチも残っている。操作して確認するが、そこに『ログアウト』の文字が残っていた。
「木戸くん……!? これは、一体……!?」
染谷も同じように肩を確認し、俺に問い掛けるが。分かる筈もない。……だが自然と、俺の脳裏に或る出来事が蘇った。そしてそれは、この場で最も思い出したく無い出来事だった。
立ち上がる。未だ宙に浮いている、少女を見る。……紛れも無く、エリザベス・サングスターがそこに居る。俺を見て、笑みを浮かべていた。
不自然な、笑み。
「ねえ、恭くん。……覚えてる? 今、この世界はね、『NPC人数無限大』っていうバグを孕んだゲームに変わったんだよ」
ログアウトは出来る。……だが、俺達はNPCだ。その二つの要素が組み合わさった時に何が起こるのか、俺は知っているような気がした。
いや、気がしたのではない。俺は、知っているのだ。何故なら一度、この目で見ているのだから。
「そう、『あの時』と同じだよ」
思えば、木戸怜士は、そうして死んだのだ。
そして、その事実を知っている人間は、あの時プロジェクトに居た人間を除けば、一人しか居ない。
そのゲームの中に居た人間だ。
「…………リズ」
「怖い顔しないで、恭くん。……お祭りをするの。この世界で一番高い建物の上で私、恭くんを待ってるからね」
まるで、機械音声。リズは笑顔を浮かべたままで、その口も動いてはいない。……だが、喋っている声は確かに、リズ自身のものだ。
俺は何も言わず、その場に立ち尽くしていた。
「もし私に協力してくれるなら、上まで来て…………ね」
その言葉だけを残し、リズが消えて行く。同時にトーマス・リチャードと、隣に居た黒いローブの人間もまた、同じように消えた。
そうして、その場にはようやく、静寂が訪れた。
「木戸くん、今のは……」
「ごめんなさい。……少し、考えさせてください」
全ての事件を、統合して考える事。それだけが、この場を解決する為のたった一つの道筋だ。
どのトリック、パフォーマンスが、何を示しているか。真実は、表面的な部分にはない。だが、限られた選択肢の中から裏側を覗き込んだ時、唯一どの状況下でも当て嵌まる選択肢と云うものは、絶対に存在する。
それを把握しなければ、救い出す事が出来ない。
「本物と、偽物……そう。その組み合わせのはずだ……」
囚われた人間と、これから起こる出来事。ヒントは充分にある。真相は分かっている。
だが。分かっている事と、『成し遂げる事』は別だ。
この場に、仲間は居ない。今の俺にある武器は、自分自身の身体とバトルスーツ、そして『敗者の拳』。それだけだ。
「…………『スカイツリー』に、行こう」
「えっ?」
俺は立ち上がり、蒼穹を見上げた。
……やるしかない。結論は、それしか無いのだろう。
戦器を持てない俺だけが、これから起こる事件を解決する為に動くことが出来る、唯一の武器であったとしても。
「『この世界で一番高い建物の上』。多分それは、『スカイツリー』だ」
戦器を持てない、俺だけが。
ここまでのご読了、ありがとうございます。
第四章は、これにて終了となります。
次章、最終章となります。
年明け辺りから投稿出来ればと考えておりますので、
もしよろしければもう少しだけ、お付き合い頂ければ幸いです。




