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終末東京で、俺は戦器を握らない  作者: くらげマシンガン
第四章 『サンシャイン・シティ』編
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第四十一話 理想郷に消えた光

 終末東京世界よりも遥かに多い、通りを歩く人々。『シェルター』に覆われていない街並み。通り過ぎる自動車、排気ガス、雑踏。路上に転がったままの状態で、俺は周囲を見回していた。俺を見ないように通り過ぎる人も居れば、嘲笑の意を込めて笑いながら、何かを呟いて通り過ぎる人も居る。


 時折、信号機の表示が変わる。通電しているようだ。地上の建物に植物が絡み付いていたり、破壊されている様子もない。


 どうやら本当に、現実世界のようだ。


 予想外の出来事に、戸惑いを覚える。俺は確かに、プレイヤーウォッチを使って『転移』した筈だ。


 ……まさか、ログアウトされてしまったのだろうか?


 そう思い、自身の身体を見るが……バトルスーツを着ている。プレイヤーウォッチがある。……プレイヤーウォッチがあると云う事は、俺はこの場からログアウトする事も可能だ、という事になる。


 そんな馬鹿な事があるだろうか。いや、無い。第一、何処にログアウトしようと言うのだ。現実世界から現実世界にログアウトする等と、狂気の沙汰だ。


 第一、若しも本当に俺がログアウトを選択したなら、自宅に戻って来る筈ではないか。


 一体、此処は何処なんだ。


「ママー、ロボットに乗る人がいるー!」


 ……いや、そんな事はこの際どうでもいい。最も重要かつ緊急な問題は、俺が今この時点で、バトルスーツを着ていると云う事だ。


 目立つ。人目に触れる。…………気分が悪くなった。とにかく、服を買わなければ。


 バトルスーツのポケットから財布を取り出し、中身を確認する――――が、直ぐに気付いた。よく考えて見れば今の俺は、終末東京世界の姿なのだ。当然、財布の中身も円ではなく、この世界では通用しない、レートの上がったドル通貨。……これでは、如何ともし難い。


 資金が無い。場所が分からない。……目眩のするような現実に危うくパニックを起こしそうになるが、踏み止まった。


 何はともあれ、一先ずは自動販売機の陰に隠れて子供の視線をやり過ごす。一方向からの視界を遮断する程度でしか無いが、それでも道路のど真ん中に立っているよりは幾らかましだ。子供を引き連れていた母親が、子供の手を引いて何処かへと去って行く。


 焦っていた感情も幾らか、落ち着きを取り戻す事が出来た。


「そうだ、プレイヤーウォッチ……」


 初めて現実世界から終末東京世界に移動する時、俺は確か、現実世界と同じ服を着ていた。……そう思い、プレイヤーウォッチの中を探ってみる。記憶の通り、過去に俺が着ていた白いボタンシャツとジーンズを発見する。バトルスーツの上からそれを装備すると、バトルスーツはすっぽりと隠れた。


 まるで何事も無かったかのように、俺はその場を離れる。……靴だけが異様に目立っていた。改めて、初めてログインする時に靴を履いておけば良かったと思う。革の靴なら少し派手なブーツと大差無いが、如何せん上がボタンシャツとジーンズでは組み合わせが悪過ぎる。


 だが――……歩き続けている内に、俺の事を注視する者は居なくなった。


「ふう…………」


 思わず安堵して、ビルの壁に凭れる。


 周囲を観察するに、此処は……どうやら、池袋のようだ。東口を出て、少し歩いた所。煩雑にビルは立ち並び、幾つもの細い裏路地がある。何故こんな所に立っているのか、皆目検討も付かなかったが。


 ――――いや、待て。『サンシャイン・シティ』?


 思わず、足を止めた。俺はバトルスーツのまま、この場所に訪れた。あの『転移』の瞬間、俺が一体何を選択したのかは分からない。しかし、若しも終末東京世界の座標と全く同じ場所に、俺が転移して来たのだとしたら。


 ざわざわと、胸の内側で警鐘が鳴った。俺は何か、とんでもない事実を掴んでしまったのではないかと、自らに起こった現象に緊張が走った。


 そうすると、どうなる…………?


 あちらこちらで、人の声がする。騒音の多い現実世界では、誰かが立ち止まっていた所で、振り返る者など居ない。……そういえば、嘗てのララ・ローズグリーンもまた、誰にも見向きもされなかった。


 ――――渋谷。


 その時、気付いた。……そうだ。確か、ララ・ローズグリーンが現実世界に現れた時も、出現した場所は渋谷の繁華街だった。丁度、終末東京世界の場所と一致する。綺麗に地形の同じ世界が二つあるのだ。若しも現実世界に居場所の無いNPCがログアウトしたとして、同じ座標から同じ座標へと移動するのなら、頷ける話だ。


 微かな予測が、確信に変わる瞬間だった。……あると云う事か。終末東京世界から現実世界へと、移動する為の手段が。


 この場所に、リズは居ない。何故だろうか。……或いは、リズは別の場所に転移された可能性もある。トーマスに聞かなければ、詳細は分からないが……何らかの影響で、俺とリズが同時に転移現象を起こしただけなのかもしれない。


 ララが終末東京世界から姿を消す時、まるでログアウトした時と同じような変化が起こっていた。丁度、その時共に居たクリス・セブンスターに変化が起こらなかった事に、驚きもしたものだ。


 つまり、こういう事か。トーマスの作った『転移』現象と、標準で搭載されている『ログアウト』は、どちらも同じ機能。違うのは、現実世界でログインした場所と同じ座標に現れ、当時の状態を取り戻すかどうか。


 俺はスマートフォンを取り出し、トーマス・リチャードに発信した。


『やあ、恭一? どうしたんだい?』


「ちょっと、緊急で話したい事が出来た。会えないか、今池袋に居るんだが」


『池袋……? ああ、『サンシャイン・シティ』の事かな? 恭一、終末東京の携帯電話からコールしてるんだろう?』


 発信番号を確認していたか。しかし、トーマスの予測は外れている。


「いや。現実世界の池袋にいる」


 受話器越しに、トーマスが息を呑むのが分かった。


 彼にとっても想定外なのだろう。このような現象が、このプレイヤーウォッチで発動している事実が。


『――――分かった。直ぐにそっちに向かうよ。二時間後でも構わないかい?』


「ああ、それでいい。東口で待ってるから、着いたら連絡くれ」


『了解。それじゃ、また』


 通話を切り、俺は――――これだけ不可解な事態に陥っているにも関わらず、歓喜に打ち震えていた。NPCであるかどうかは、全く関係が無い。例えプレイヤーだったとしても、終末東京の姿のままで現実世界に出現する事は可能なのだ。


 それが何を意味するか。俺はスマートフォンをポケットに戻し、顔を上げた。




 エリザベス・サングスターは、助けられる。




 ◆




 初めて入る喫茶店のコーヒーは、想像以上に甘かった。


「そうか、じゃあ本当に、終末東京世界からこっちに……」


「ああ。プレイヤーウォッチの効力で転移したことは、間違い無いと思ってる」


 トーマスが到着すると、俺は全ての事情を話した。どうやらトーマスにとっても予想外の出来事だったようで、少し驚いたような顔をして、話を聞いていたが。程なくして、ふむ、と何かを納得したかのように頷いた。


「確かに、私が作ったプレイヤーウォッチの転移機能はね、元々ゲームの中に存在したライブラリを使っているんだ。恐らく開発段階で、デバッグテストなんかの目的で仕込まれた抜道の類じゃないかと思ってる」


 ライブラリを、流用。……確かライブラリと云うのは、自分以外の誰かが作った、様々な目的を達成する為のプログラムの集合体だ。以前、怜士兄さんがそのように話していた。


 或るソフトウェアにおいて、全ての要素を零から作る事は容易い事ではない。例え技術があったとしても、それでは時間が掛かり過ぎるし、効率も悪い。


 だから、自らが作ったモノを善意で共有する者が居るのだ。様々な人々が他者の作ったものを共有し、そうして完成した新しいツールをまた共有することで、総合的なプログラムの完成度と云うものは飛躍的に向上して行く。近年のめざましいロボット・AI技術の進化も、そのような部分的達成・利用のルーチンワークなくしては完成し得なかった。


 終末東京世界にしても、そのあまりに広過ぎる世界を試験するのに、歩いて回るのでは試験を終わらせることは困難だろう。その為に開発されたものだと、トーマスは言っているのだ。


 そうした時に、まず考えられることは。直ぐに思い付くのは、転移する為のポイントだ。いつ如何なる場所にでも自由に転移可能になるのか、それとも抜道は抜道らしく、あるポイントに絞られた機能だったのか。


「プレイヤーウォッチの転移機能を使うと、幾つかの街に行けるように、候補が出てくるじゃないか。あれは、トーマスが作ったものなのか?」


「いや、それがそうではないんだ。アクセスポイントが決められているようで、それを変更するのは簡単な事じゃなかった。世界の内容を調べるだけなら、まあ不都合もないかと思ってね」


 俺の中にあった、幾つかの選択肢。それはトーマスの話を聞く事で、やがて一つに絞られていく。トーマスもまた、俺の質問を前にして、俺が何かを勘ぐっていると気付いたようだ。


「……トーマス。何かを知っているな?」


 険しい表情で俺がそう言うと、トーマスは緊張が抜けたかのような緩い顔をして、苦笑した。


「いや、前にNPCが現実世界に現れるのか、っていう話をしたじゃないか。あの時はどういう仕組みなのか分からなかったけど、まさかこんな、開発段階のライブラリに仕込んでいたなんて、と思っただけだよ」


 二人、無言。


 喫茶店に流れるクラシックは、俺とトーマスの間を通り抜ける。トーマスは俺の表情を、様子を窺っているようだった。間も無く曲が一周して、別の曲に変わる瞬間まで、トーマスはじっと俺の言葉を待っていたように思う。


 だが、俺は何も言わなかった。何も言わず、トーマスの双眸をただ、己の瞳で凝視し続けた……トーマスが根負けし、本音を語る瞬間まで。


「……という言葉では、納得してくれないみたいだね?」


 そうして、やがてトーマスは俺に、そのように言った。俺は慎重に言葉を選び、トーマスが自身の抱えている情報を公開し易いように努めた。


「質問を変えよう。……初めて俺と会った時に、『ヒカリエ』事件を引き起こしたのは、終末東京世界における開発段階のバグが残されていて、それを『バックドア』として誰かが利用したからだと、そういう風に言ったよな。あの短い時間で、どうしてそんな事が分かった?」


 トーマスは、ぴくりと眉と動かした。


 その一瞬を、俺は決して見逃さなかった。


「気になっていたんだ。今回のライブラリにしても、あんたは少し、『知らないと言っていた事』に詳し過ぎる……本来、誰かが作った物なら、それを解析する事は容易じゃない。『オープンソース』っていう概念があるだろう。誰かのプログラムってのは料理のように、レシピを公開されなければ普通の人間には、分析なんて出来ないもんだ」


 俺は、喫茶店のテーブルを人差し指で軽く叩いた。


「以上の事から、俺が分かった事は二つ。トーマス、あんたは終末東京の関係者で、『ヒカリエ』の事件を追っていると言っていたが、『バックドア』の存在は初めから考慮に入れていた、ということ。更に、転移のライブラリとやらを利用した時、現実世界に転移する可能性があると、初めから気付いていたということ。分かるか? 知らないにも関わらず、ある程度は把握していた事になるんだ。それは、矛盾している。……本当は一体、何を調査する目的で終末東京に来たんだ?」


「……いやいや、大した話じゃないよ。何か不思議な出来事が起こっていたから、それを調査しようと思っただけで。解析だって、一応私は、レイジと肩を並べるエンジニアだからね」


 どうやら、並々ならぬ事情があるらしい。トーマスがこれ程に情報を出し惜しみするのは、初めてだと感じる。……何か、俺に足を踏み入れられたくない理由があるのだろう。しかし、俺が引くことは許されない。


「…………まいったな」


 トーマスは溜息を付いて、俺から視線を逸らした。俺の視線に、覚悟を感じたからだろう。


 だが、俺にとってはチャンスだった。トーマスは終末東京に関わっていた人間だと自ら告白し、ミスター・パペットが引き起こした現象に理解がある、と判明したからだ。……唯のエンジニアではない。それを利用すれば、真実に辿り着く事が出来る。


 遂に、辿り着くのだ。『神の操り人形』と称した存在の、仮面の裏側へと。


「分かったよ。……君も、レイジの弟だ。ちゃんと話す……が、辛い話になるぞ」


「ああ。構わない」


 そう前置きを置いて、トーマスは話し始めた。


「私は『終末東京オンライン』の関係者だと言ったが、本当はそうじゃないんだ。……私が関係していたのは、レイジが開発していた『ファンタジア』の方。私達は当時、最前線に立っていたエンジニアだったんだよ」


 トーマスはそう話したが、俺は驚かなかった。


 心の何処かで、その場所へと繋がっているような気がしていた。トーマスが話す内容にも、ある程度の当たりを付けていた。長いこと、オンラインゲームの登場とその進化を城ヶ崎と共に見て来たが、『転移型オンラインゲーム』等と名前の付くゲームで、俺が終末東京世界以外に知っているゲームなど、その程度しか無かった。


 それは、最先端の技術だった。若しも怜士兄さんがそれまで通りに開発を続けていたとするなら、登場するのは凡そ今くらいの時期だという事も、少し考えた事はあった。


「……終末東京世界は、似たようなもの……『ファンタジア』のオマージュなんだな?」


「オマージュどころの話じゃない。ライブラリも同じ、ソースも同じ。違うのは、モチーフになっている世界が、当時私達の考えていた剣と魔法の世界じゃない、という事だけだった。だから、おかしいと思ったんだ。当時のプロジェクトは解散し、プログラムは当時のプロジェクトリーダーだった、ニコラスという男の下に行った。極秘のプロジェクトだ、ソースもライブラリも公開されていない筈だった。……それで調査を続けていたんだよ、私は」


 プロジェクトリーダー。


 その言葉を聞いて、咄嗟にあの男の姿が思い浮かんだ。怜士兄さんが消える直前、蒼白になって震える指でキーを操作していた男のことを。たった一度、俺は奴を殴り飛ばし、それで全ては終わっていたが。


 ニコラスと云うのは、その男なのだろうか。


 無意識の内に、俺は身を乗り出すようにしてトーマスの話を聞いていた。俺の知らない、怜士兄さんの関わっていたプロジェクトの本体。その場所に関わっていた、トーマス・リチャード。


 こいつは、城ヶ崎とは訳が違う。開発の最前線で技術を提供していた者なのだ。……当然、例の事故についても知識を持っている筈。


「つまり、あのプロジェクトに関わっていた人間としても、予想外の出来事って事なんだな? ……『終末東京オンライン』ってのは」


「そうだね。少なくとも僕は情報を持っていなかったし、寧ろ隠蔽されているように感じたよ」


 そうすると、どうなるか。……当然トーマスだけではなく、当時の最前線にいた人間には連絡が行っていないのだろう。だが、内部の人間がまるで関わっていないのであれば、ゲームは完成に辿り着かないだろう。


 ということは、派閥が巻き起こったと考えるのが最も自然だろうか。ニコラスという男を中心とした、派閥が。


「……ってことは、まずはニコラスに会わなければ、何が起こったかは分からないんじゃないか」


「そうだね。……でも、会わせて貰えないんだ。私はどうも、既にこの世界から爪弾きにされてしまったらしい」


 そう言うトーマスの表情には、陰りがあった。それを見て、俺も気付く。


 トーマスの立場から考えてみれば、今まで自分が開発していたものを、ある日他人に横取りされたようなものだ。何の報告も、相談も無く。


「……そう、なのか」


 きっとそれは、悔しかっただろう。苦労して獲得して来たものは、ある日自分の手を離れ、姿を消した。……一日二日の話では無い。怜士兄さんが関わり始めてから、少なくとも数年以上は経過していた。若しも、トーマスもそうなのだとしたら。


「ニコラスとレイジは、私の親友だった。……私達は、やがて来る地球の末路の為に、大きく分けて三つのプロジェクトを立ち上げた。それぞれ目標もあったから、互いに情報交換しながら、技術開発を進めていたんだよ。レイジは、架空の世界で生きる方法を。ニコラスは、ヒトの身体を再構成して救う方法を。……そして私は、不死について研究していた」


「おい、待て。それって……」


「そうなんだ。『ファンタジア』は、私達三人の研究の成果であり、三人が結束したからこそ完成した技術でもあったんだよ」


 嘗て『ファンタジア』と云う、直球極まりないタイトルのゲーム制作に関わっていた基軸の人間は、たった三人だった。そういう事なのだろうか。


 俺は例の会社がまだ動いていた時に、トーマスの姿を見ていない。つまり、それは――……俺が殴り飛ばした人間は、ニコラスという男で凡そ間違いない、と推察できる。……やはり、怜士兄さんは不慮の事故に巻き込まれたのだろう。プロジェクトの直接的な解散原因がそれだったのかどうかは分からないが、メインとなるエンジニアの死は、プロジェクトに多大な影響を与えた筈だ。


 今なら、分かる。


「まあ、元々ゲーム世界を追い掛けていたレイジや、どうにかして奇跡的な治癒方法を創り出そうと足掻いていたニコラスと違って、私は『ファンタジア』の制作にあまり協力的ではなかった。……それが、最終的に爪弾きにされた原因だと思っているけどね」


「どうかな。今更連絡を取る気が無いだけじゃないか? 終末東京だって、ニコラスが引き継いでやっているとは限らないだろ」


 俺がそう問い掛けると、トーマスは苦笑して目を閉じた。


「レイジが死んだ。……私も、プロジェクトに参加していない。あのゲームを完成させる事が出来るのは、最早ニコラスだけだと思っているよ。そこに、途方もない努力家でも居ない限りは……あの複雑な仕組みと知識は、会得し切れないだろう」


 しかし、そうすると疑問は湧いて出て来る。


「待てよ。だって、『ファンタジア』とかいうゲームは殆ど完成していたんだろ? だったら、細部を治すくらいならある程度の能力を持ったエンジニアにでも出来るんじゃないのか?」


 その時俺は、きっと本来ならば聞いてはいけないことを、トーマスに聞いてしまったのだろう。


「ログアウトに失敗した」


 トーマスは悲しそうな顔をしていた。恐らく、当時の事故について思い出しているのだろうと感じた。あの時、画面の向こう側に見えた兄さんは、モニタが消えると共に姿を消し、二度と現れる事は無かったが。


「現実世界に帰って来る事が出来なかった。……それだけなら、まだ良かった。バグを孕んだプログラムは、当人の情報をゲームの世界から消す所までは正常だった。だが、再構成が出来なかった。……その時、私は外に出ていたから、詳しい事情は分からない。でも、後でそのように説明されたよ」


 知られざる、本当の出来事。


「そうして――――世界にその名を轟かせる予定だったレイジ・キドは、私達の前から姿を消した」


 現実世界に帰って来る所が問題で、そのせいで兄さんは戻って来られなかった。


 成る程。確かにそれが真実だとしたなら、『ファンタジア』プロジェクトの再始動など無理がある。当時の開発者達が感じた絶望は計り知れないものだっただろう。仮にバグが治ったとして、自らの命を賭けてまで、それを試験する者が居るかどうか。


 或る意味では、怜士兄さん一人だけが巻き込まれたからこそ、事件は闇に包まれたのかもしれない。続けて二度、同じ事が起これば。ゲームを試験していた者も、試験させていた者も、どちらにも不幸が訪れる。


 自らの命を賭けたゲーム開発など、正気の沙汰とは思えない。……誰も、手を出す筈がない。当時のプロジェクトに参加していた者は、誰も。


「……そうか。それなら、分かる」


 どうしようもなく、俺はそのように呟いた。トーマスは苦笑し、過去を忘れたようだった。


 過ぎ去ってしまった出来事は、元には戻らない。トーマスもそれを知っているからこそ、敢えてニコラスに口を出す事はしなかったのだろう。


 しかし。俺は立ち上がり、プレイヤーウォッチを確認した。時刻は既に夕刻を下回っていたが、バトルスーツを着ている今の状態で、時間がどうだと言うのも何処かナンセンスな気がした。問題は、資金か。俺の財布はログアウトしなければ、元には戻らないが――……プレイヤーウォッチを確認した。やはり、ログアウトの項目を選ぶ事は出来ない。


 終末東京世界から現実世界への転移機能は、話を聞く限りでは開発段階の代物なのだろう。元より、片道切符の予定だった可能性もある。架空の世界に生きる人間が、現実世界へと移動する事が出来る唯一の手段。抜け道なのだとしたら。


 クレジットカードは健在だ。終末東京世界に持ち込む事が出来るのは、現金だけだった。電子マネーの類を持っていれば、移動も出来て楽だったのだが。如何せん、電車に乗ることが極端に少ない俺にとって、電子マネーを持つという選択肢は無かった。


「トーマス、金を貸して貰えるか。とにかく一度、家まで帰りたい」


 唐突に動き出した俺に、トーマスは疑問を覚えているようだった。


「あ、ああ。それは構わないけれど――……」


 終末東京オンライン。怜士兄さんの開発していたファンタジア。そして、ミスター・パペット。……与えられたキーワードは充分。既に俺は、この難解なパズルを解くための鍵を持っている。


 だが、鍵を使う為には鍵穴が必要だ。謎の根本を握っている、最も真実に近い人間の言葉。それさえ手に入れば、俺は何の躊躇も無く行動を起こす事が出来るだろう。


 俺は多少困惑しているトーマスを見下ろし、言った。


「それと、ニコラスって男の居場所を教えてくれ。日本に居るのか?」


「えっ…………!?」


 俺か、ミスター・パペットか。二つに一つだ。既に目的は分かっている。事が起こる前に対処しなければ、巻き込まれた後ではどうにもならない可能性がある。


 奴は、用意周到だ。これまでに発生して来た事件は俺を嘲笑う為のゲームのようでいて、確実に経験を積み上げて来ている。それが分かったのだから、もう立ち止まってはいられない。


「ちょっと待ってくれ。彼に会って、一体どうするつもり――――」


「ひとつ、言っておく。十中八九、そのニコラスって男は終末東京オンラインに関わってない」


 その発言を聞いて、トーマスは少し驚いたようだった。溢れ出る疑問を飲み込み、続く俺の言葉に意識を傾ける。


「話の中では、ニコラスって男は人の身体を再構成して、人を救う方法を考えていた……そうだったよな。よく考えても見てくれ、終末東京の何処にそんな要素があったと思う」


「それは……だけど、レイジの事件の後だ。気が変わったのか、人柄さえ変わってしまった可能性もある」


 俺は一度、そのニコラスという男に会っているのだろう。あの時、誰もが彼の一挙手一投足に視線を、耳を傾けていた。俺が登場したのは恐らく、バグが発覚した少し後。どうにか救済をしなければと、動いている最中だった可能性が高い。


「トーマス。……多分俺は、ニコラスに会っているよ。あれだろ、髪が長くて、痩せてる、鷲鼻の……兄さんが消える直前、多分兄さんを助けようとしていたのがそいつだ」


 黙ったまま、トーマスは頷いた。


「俺はニコラスが、怜士兄さんを殺したんだと思っていた。……それは半分当たっていて、半分間違っていたのさ。バグを生み出したのは彼ではなかったかもしれない。でも恐らく、ログアウトを担当していたのは彼だったんだろう。俺はニコラスを訴えようと思った。でもあいつは、転移型オンラインゲームが未だ世の中には出ていない技術だと分かって、『自分は何も関係ない』って言ったんだ」


「…………そうなのか」


「当時はふざけるなと何度も思ったが……冷静に分析してみれば、奴は元々人を救うつもりで、その仕組みに手を出していたと分かった。それが失敗した事が、認められなかったんだろう。残ったプログラムにしても、若し本当に証拠を隠滅したいんだったら、全て破棄してしまえばいい。世の中に公開される事、仕組みが発表される事そのものが、ニコラスにとっては不利になる筈だ。だが、奴は自分の手で保管する選択を取った。それって、まだ捨て切れないって事だろ。自分の夢をさ」


 トーマスは緊張した面持ちで、静かに頷いた。


「奴は臆病だ。命に関わる技術を自分で開発する事に、責任を持ち切れなかった。……当時の技術を使った転移型オンラインゲームなんて、ニコラスの手で公開される筈がない。奴がそれをするということは、つまり当時の事件を自らひっくり返して、『ゲームで人が死ぬ方法があります』って言うようなもんだ」


「…………た、確かに」


 ニコラスに出会う事で、盤上に配置されるべき、全ての駒が揃う。今までに出会ってきた人間の全てが、終末東京の関係者だ。……そして、エリザベス・サングスターを――リズを――中心として事件は起こり、物語は終焉を迎える。


「ニコラスは犯人ではなかった――――…………つまり、居るんだ。ニコラスからプログラムを盗んで改造した、途方も無い努力家ってやつが、本当に」


 その時、本当の意味で、終わるのだ。


『終末東京』と名乗る、ひとつの物語が。



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