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終末東京で、俺は戦器を握らない  作者: くらげマシンガン
第四章 『サンシャイン・シティ』編
41/54

第四十話 絶対的に強者となるもの

 展望台。


 考える間もなく、走り出した。場所も位置も、まだ覚えている――……俺が走っている間にも、周囲にある大小様々なモニターから、ミスター・パペットの声が聞こえて来る。


 …………いや。木戸怜士の声が、聞こえて来ていた。


「少し、前の話になる。終末東京オンラインが公開されるより前に、転移型オンラインゲームが制作されていた。人が移動し、暮らす事が出来る。当時としては、最も新しい技術だった」


 幾つもの疑問は、宙を舞う。


 これまでとは、何かが違っていた。絵面だけで見れば、それは椎名の時や過去のミスター・パペットの行動と大差無いようにも、見えた。しかし、絶対的に違う部分がそこには存在していた。


 それは、人質に取った人間が、全く何の行動も封じられていない、という点だ。


 捕らえる。殺す。囲う。何らかの手段を用いて人の自由を奪い、思い通りに動かそうと試みること。それがミスター・パペットにとっての『人質』であり、存在価値なのだと思っていたのだが。……しかし、今回のリズは単に眠らされただけで、他に何もされていなかった。


 リズを囮にして俺を誘き寄せている以上、よもや死んでいると云う事はあるまい。


 しかしあのような状態では、逆転の目など幾らでも出て来るだろう。束縛されていない人質をキーワードに、リズを救い出し、捕らえる方法を思いつく事が出来る。


 あまりにも、無防備ではないか。


 ……単に、俺が誘導されているだけか?


「人々はそれを、最も理想的な、白昼夢の世界――――『ファンタジア』と名付けた。人類の住まう新たな環境として、技術革命の礎として、それは開発された」


 ミスター・パペットが言っているのは、怜士兄さんが作っていたゲームの話だろうか。それは、俺の知らない知識だった。あちらこちらにあるモニター越しに、怜士兄さんの声が聞こえて来る。バトルスーツの効果で、俺の走る速度もまた、何倍にも上がっている。


 零と壱に由来する世界から成る、幾つもの変化の姿。この世の真理を追求した者達の成れの果て。そこに呑み込まれ、その存在を失った、木戸怜士という男の事を、俺はまだ覚えている。


「だが、結局の所、研究は失敗に終わった。幻想は幻想のまま、ついに人々の目に触れる事なく、この世界から姿を消したのだ」


 俺は、怒りを覚えていた。同時に、この上ない不安で思考が埋め尽くされ、まるで溺れ、沈み行く寸前だった。


「幻想など、何処にもない。『転移型オンラインゲーム』等と云う技術が完成された時点で、既に世界は終末へと向かっているんだよ。それは、現実もだ…………恭一」


 木戸怜士は、死んだ。


 死んでいる、筈だった。


 同じプロジェクトに居た人間の仕業だと云うのか。あの時あの研究室に居た人間の中に、木戸怜士を利用して犯罪を起こそうと考えている人間が居たと、そういう事なのか。


 確かに、姿が消えてそれ以降、俺は怜士兄さんの姿を見ていない。あの瞬間に俺は怜士兄さんを『死亡した』と判断し、その存在を確保していた『ファンタジア』と名乗るゲームも、世の中に公開される事はなかった。


 木戸怜士と云う男の消失に、誰もが衝撃を覚えたのだ。開発のプロジェクトは崩壊し、未来を断たれ、俺と遥香姉さんもまた、路頭に迷う事になったのだ。


 たった一人の男は、たった一人、孤高と云う名の孤独の下に、その姿を消したのだ。


 そうでなければ。


「展望台の扉は、お前だけのために開けておこう。……そこで、真実を話す事にするよ」


 どうして、何の為に、傷付いたのか。


 あの時、俺に向けて笑い、『ごめんな』とたった一言呟いた男が。何よりも先を読むことに長けた、俺の決して敵わなかった男が。


 俺に背を向けて、最期の言葉を口にした。


 …………生きている筈がない。


 生きているなら生きていると、そう言った筈なのだから。


 展望台へは、直ぐに辿り着いた。人が集まっている――……


「すいません、通して下さい」


 人混みを避け、自動扉に近付いた。ミスター・パペットの指名した男が俺なのだと、気付いた人間が居たのだろう。振り返り、俺を指差しながら何かを呟いていた。


 俺が近付く事で、自動扉が変化した。その材質が不自然に歪み、開いていない扉の向こう側がクリアに見えた。


 周囲の人々には、どうやら見えていないらしい――……これは、俺だけに見えている現象なのか。どうしてこんな事が可能なのか、その真実を探りたくなったが。


 ……プレイヤーをNPCに変える事が出来るのだ。どこまで操作出来るのかは分からないにしても、ある程度の魔法は使えると考えておいた方が良い、か。


 黙ったまま、俺は自動扉に向かって歩いて行った。まるで硝子などそこには無かったかのように、俺はするりと通り過ぎ、室内へと入る事が出来た。


 振り返る。……先程まで見えていたゲートのようなものは、既に確認する事は出来ない。俺を見て、驚いている人間が何人も居た。


 トーマス・リチャードが転移の技術を持ち込んだように、障害物を通り抜ける程度の事は、造作も無い事なのかもしれない。


 俺は外に居る群衆を横目に、エレベーターを目指した。




 ◆




 スマートフォンを、取り出した。


 何度か、遥香姉さんから着信は受けていた。しかし、俺は電話に出ることは無かった。考え、悩んだ末、俺はやはり、遥香姉さんとこれ以上接触するべきではないと、決断を下した。


 俺達は、二人一緒に居ては、新たなスタートを切る事は出来ないと。そう、考えていた。


 エレベーターの中でも、発信は可能なのか。終末東京に、電波の状況など関係無いらしい。そのままで、俺は目的の番号へと発信した。


「恭一? どうしたの?」


 仮に、ミスター・パペットが怜士兄さんだったとして。彼の目的はやはり、自分を転移型オンラインゲームの世界に閉じ込めた張本人を、どうにかしてこの世界へと引き摺り出す事だろう。


 ミスター・パペットとの長い接触の中で、俺は仲間の誰かに裏切り者が居るのではないかと、最早それしか考えられる事は無いと、そのように思っていた。


「…………あれは絶対に、自身の最期を確信して笑ったんだって、そう思わないか」


 だが、そうではないとしたなら。


 若しも本当に、怜士兄さんが生きているとしたなら。


 言いたい事は、幾らでもあった。リズが終末東京の世界から出られないように、怜士兄さんも何らかの都合で、終末東京の世界から出られなくなっている。復讐を考えて闇に染まり、俺と遥香姉さんを仲間に引き入れようとしている。


 その可能性を、どうしても考えてしまう。


 俺達の中に、裏切り者は居なかった。怜士兄さんは俺の背中を常に追い掛け、俺が上手く思考に嵌るように策を練り、ミスター・パペットを演じていた。相変わらず弱く、怜士兄さんに敵わない俺の前に立ち、もう一度俺達は再会する。


 もしも、そうだとしたら。ミスター・パペットの、これまでの計画は異様なほど順調に進んでいる。無い話ではない、かもしれない。


 仮にそうだとして、俺はそれを嬉しいと思うのだろうか。それとも、悲しいと思うのだろうか。


「恭一? どういう意味? ……何の話?」


「いや、何でもない。……また」


「ちょっと、恭一」


 電話を切った。


 怜士兄さんにもう一度出会わせる事が可能なら、遥香姉さんと縁を切る理由も無くなる。


 復讐など、止めさせればいい。怜士兄さんは、元に戻る。リズを救い出す過程で、怜士兄さんも終末東京の世界から助け出せばいい。


 もう俺は、一人ではないのだから。


 あの事件の時プロジェクトに関わっていた、城ヶ崎がいる。俺と同じ立場で物事を考えてくれる、資金力もある椎名がいる。医師をやっていた明智も居れば、NPCから現実世界に救済されたララもいる。技術的な内容で困ったら、トーマスが助けてくれる。


 万全だ。怜士兄さん一人には無理でも、俺と俺の仲間達が怜士兄さんを助ける。そうすれば、怜士兄さんがこの世界でミスター・パペットをやっている理由も無くなる。


 エレベーターの扉が開き、俺は笑みを浮かべた。その向こう側には、ミスター・パペットがいる。昨夜まで俺と共に眠っていた筈のリズが、昨夜のままの状態でその下に眠っている。


 服の隙間に見えた肩から、NPCのマークが見えた。


「…………兄さん」


 俺は、エレベーターから展望台の床へと降り。


「恭一。長いこと待たせた、すまないな……手短に話す。聞いてくれ」


 俺達は再び、家族になる。今度は、仲間もいる。俺には俺のネットワークがあり、大切な人も隣で笑っている。全てを手にし、再び太陽の光の下で、照らされた道の上を歩く。


 笑みを、浮かべ。




「エリザベス・サングスターは、『ミスター・パペット』だ」




 そのような幻想に、思いを馳せた。




 俺は笑みを湛えたまま、その場に立ち尽くした。辺りの静寂に、リズの寝息が聞こえて来る。やはり眠らされているだけで、他の何かをされた様子はない。


 堪らず、吹き出した。感情に身を任せ、押し殺したように笑った。


 何処まで歩いても、冷たい闇の中だ。光を求めようと手を伸ばした所で、その手すら見えないのでは足掻きようもない。雨が肌に当たる感触があるのに、凍り付いた風が頬を撫でる感覚があるのに、血が流れているのが分かるのに、それ以外に何も無い。


 そこには、何も無かった。


 左手で前髪を掴むと、伸ばし放題の髪に隠れていた視界が広くなる。顔を隠したまま、双眸はミスター・パペットに。俺は目を見開き、眉を怒らせたまま、口は笑みを浮かべたまま。


「――――なあ、お前は誰だ?」


 仮面の男を睨み、そう言った。


 その男が返事をする前に、俺は走り出していた。この場所には、俺しか居ない。戦い続けて来た仲間が今、ここには居ない。


 ならば、俺がリズを助けなければ。


 沸騰した意識の配下で、冷静な部分が俺に語り掛ける。


 揺さぶりを掛けようとしている事など、明らかだったではないか。ミスター・パペットはどうにかして、俺を仲間に引き入れようとしていたのだから――……。『ヒカリエ』での事件で、今まだ公になっては居ないものの、ミスター・パペットが現実世界で騒ぎになる事は、可能性として考えられた。


 ならば、次に奴が取って来る行動など一つしかない。それは意識に入れていた。捉えている情報が『覆面の男』である以上、ミスター・パペットにはいつでも、『影武者を作る』という選択肢が残っていた。


 奴等はその影武者に、リズを指名したのだ。


 男は仮面に手を掛ける。そうして、それを――――…………いや、待て。


 それは、ない。


「慌てるな、恭一」


 俺は立ち止まった。


 無音の空間。間もなく太陽は姿を隠し、空は雲に覆われるだろう。外界で雨が降った所で、『ガーデンプレイス』とは違い、全体がカプセルに覆われた『サンシャイン・シティ』に変化など無いが。


 光の加減ではない。クリス・セブンスターは、既にやられている。この場に、幻覚を見せる事の出来る者はいない。




「――――いつまで、騙されているつもりなんだ」




 俺のよく知る、彼の口癖。


 肩の辺りまで伸ばした黒髪を、後ろで一本にまとめていた。少し垂れた、優しそうな二重。俺を見ると、口元がふと緩んだ。


 何のトリックだろうか。その他に、考えられる事は。地上で自動扉を使って見せたように、これもまた、何らかのバグ――操作によって――創り出されたものだろうか。


 いや、しかし。声だけなら、どうにかしてまだ再現する事も可能だろうが。その身長。見覚えのある顔。何より、俺だけが知っている筈の、兄さんの口癖は。


「恭一、時間が無い。今は理解出来ない事も多いかもしれないが、とにかく聞いてくれ」




 どうにか。




 思考を。




 絶句し、言葉も無かった。クリス・セブンスターの時は、俺が幻覚を見せられていただけだ。実際に、終末東京の場に木戸怜士が現れた訳ではない。……つまり、初めての現象だった。


 この世界で、俺の目の前に怜士兄さんが現れたのは。


「俺は、この世界に残った残留思念みたいなもんだ。実体がない……だからいつ、俺が消えてしまうか分からない。先に結論から話そう。……この娘の目的は、自分の父親を殺すこと。この『転移型オンラインゲーム』に自分を閉じ込めた男を、殺す事なんだ」


 怜士兄さんの言葉が、空気のように俺の横を通り過ぎて行く。まるで、頭に入って来ない。俺は石像のように、その場に立ち尽くした。


 言葉が、唯の雑音のようだ――――怜士兄さんは、相変わらずの淡々とした喋り口調で、俺に何かを話し掛けて来る。出来の悪いラジオの音を聞いているようだった。或いは、テレビ画面の砂嵐か。


 彼方に飛んだ意識の欠片が、一向に戻って来る気配を見せない。


「この世界が構築されるに当たり、生物が人の形を目指す為に、一人のNPCを登録しておく必要があった。彼女はそのモデルだ。この世界でなら永遠に生き続ける事が可能な、唯一のNPCとして――……」


 悪い夢を見ているのだろうか。目の前に広がる光景に、何ら現実味を見出す事が出来ない。……いや、そもそもこの世界は、現実世界ですら無いのだった。人間の都合に合わせて都合良く歪曲する、捻くれた世界でしかなかった。


 捻くれた世界は、捻くれた世界として――――ああ、そうだ。思えば、『負け犬の勘違い』というアビリティもまた、捻くれた俺には打って付けの特効薬だった。


『夢なら、見るよ。……ずっと、夢を見ているみたいな気持ちだから』


 彼女の言葉を、思い出す。


「エリザベス・サングスターは、その過程で生贄にされた人間だ。……いや、既に人ではない。彼女は、終末東京世界のバグなんだ」


 今、はっきりと分かった。都合の良いぬるま湯に浸かっているような気がしていたのは、俺の勘違いだ。負け犬は、負け犬らしく。


 夢など、何処にも無い。存在しないのだ。或いは、存在しないからこそ、それは夢なのではないか。


「彼女は、NPCなんだ」


『ちなみに、武器や防具はちゃんと装備しないと、効果が無いよ?』


 脳裏に、彼女の声が響いた。


 兄さんがリズに手を翳すと、リズの左肩に記されていたNPCのマークが、形を変える。今までに幾度と無く見て来た、マーカーで色付けされたような印ではない――……焼き痕を付けられたかのような、痛々しい刻印に変わった。


 兄さんはそれを、じっと見詰める。


「……この娘は、言ってしまえば二重人格のようなモノなんだ。片方は、終末東京世界を愛するエリザベス・サングスター。もう片方は、実の父親を憎むエリザベス・サングスター。そのどちらにも、未来はない。正に、『神の操り人形』だな」


 神の操り人形。ミスター・パペットが、俺に言った言葉だ。


 ……本当に、そうなのだろうか。それまでのリズとは、全く一致しない。今このタイミングで怜士兄さんが出て来たと云うのも、何か出来過ぎのようにも思える。


 まるで、俺を誘っているようではないか。


 いや――――…………そうでは、ないのか。


 怜士兄さんは不意に、悲しそうな笑みを浮かべた。


「それだけ、どうしても伝えたくてな。……この世界に来てからのお前が、あまりに不安定だったもんだから」


 まるでログアウトをする時のように、粒子に呑まれて怜士兄さんが消えて行く。……だが、行先は現実世界ではない。それよりも遥かに、暗くて深い――――海の底のような、プログラムの塵となる。


 俺はその様子を、黙って見ていた。怜士兄さんは、リズの身体を抱きかかえる。完全にその姿が粒子の中に消えてしまう前に、展望台の柵に向かい。


「お前は、こっちに来てはいけない。……恭一。この娘は、お前ごとプログラムの彼方に消えるつもりだ。……俺のように」


 リズを、宙に向かって投げた。


 俺の目には、まるでスローモーションを見ているかのようだった。…………どうする。リズはバトルスーツを着ていない。ログアウト出来ない彼女は、このまま落下すれば確実に死亡するだろう。


 展望台だ。生身の人間が耐えられる高度ではない。


 それで、良いのか。このまま行けば、騒ぎの元凶が消えて無くなるだけか。




 ――――――――違う。




 その瞬間に、俺の中で、全ての事象が繋がった。


「退け!! 兄さんっ――――――――!!」


 弾かれたように、俺は走り出した。消え逝く兄さんの横を通り過ぎ、今までの俺には到底出し得ないスピードを発揮して、兄さんの横を通り過ぎる。


「恭一!?」


 制止も聞かない。エレベーターの手前から柵の向こう側まで、一秒と掛からなかった。これまでに見た、どのプレイヤーよりも速い。爆発的な速度で、それでいて無駄のない。


 何だ、俺は。どうにかなってしまったのだろうか。


 だが、思考は澄み渡る。先程までのノイズに塗れた推測は、半分眠っていたのではないかと思える程に。崖際に立った俺は、直ぐに下を見る。


 リズの身体は地面へと向かって落下していた。既に意識はない。


 迷わず、展望台から飛び降りた。


「リズ!! 目を覚ませ!!」


 飛び降りた俺の落下速度も、異常な程だった。直ぐにリズの身体を捉え、首から背中にかけて、しっかりと両腕の内側に抱き込む。


 バトルスーツを着ている俺なら、死にはしないだろうか。だが、腕の中にいるリズは何をどう足掻いた所で、衝撃には耐えられないだろう。


 何か、生き残る手段はないのか。歯を食い縛り、落下の風圧に恐怖を覚えながらも、俺は目を大きく見開いて、思考した。


 例えリズがミスター・パペットでも、最早俺には何の関係も無いことだ。


 ようやく、気付いた。この状況になるまで、俺には答えを導き出す事が出来なかった。だが、これで確定した。思えば、ヒントは幾らでもあったのだ。


『アルタ』で俺たちを欺いた、デッドロック・デバイスを奪う方法。


『ガーデンプレイス』の最後に提示された、書き置きの意味。


『ヒカリエ』事件を起こす事で、仕掛けたかった本当の内容。


 そのどれも、ミスター・パペットが……いや、エリザベス・サングスターのもう一つの人格とやらが計画を遂行する為に、必要だったものだ。人目を欺き、その中に種を仕込む事で、次の目的へと進んで行く。


 何かの行動に真の目的を仕込もうとすれば、自ずと綻びは浮かぶ。それは、些細な言葉の違いや、隠されている事を暗に示す無駄な行動によって。その綻びの欠片を繋ぎ合わせる事で、内側に秘められた本音が見えて来る。


 だが――――若しもこの仮定が真実ならば、俺は考えを改め、覚悟を決めなければならない。


「おい、リズ!!」


 そうだ。


 俺は自身の左腕に装着された、プレイヤーウォッチへと手を伸ばした。そうして、トーマスが俺に託した終末東京世界の『綻び』を作動させる。


 場所は、何処か良いか。……何処でも構わないだろう。問題は、本当にこれを実行する事でリズが助かるかどうかだ。


 それは、『転移』。


 プレイヤーウォッチを装着している俺は、確かに別の街へと転移出来るだろう。だが、その転移の仕組みが分かっていない俺にとって、この状況で『転移』の機能を発動させた時に、リズが俺と同じようにワープする事が出来るのかどうかは、完全に未知数だった。


 大丈夫だろうか。……だが、迷っている時間はない。展望台から落下し、他に手段が無いのだ。これが失敗するならば、そもそもリズを助ける事など初めから無理だった。


 ――――――――行こう。


 プレイヤーウォッチの機能を選び、俺は転移を選択した。リズを抱きかかえている状況で、はっきりと画面を確認する事は出来なかったが――……一度操作した事のある内容だ。見えなくとも、ある程度どの位置にコマンドがあるのかは把握しているつもりだ。


 風を切る音に混じり、微かに聞こえる電子音。その音だけを頼りに、俺は場所を選び――……そして、これで実行、の筈だ。


 作動を示す軽快な電子音が鳴り、俺の行動が確定された事を示した。僅かな自信は確信へと変わり、俺は笑みを浮かべた。


 地面が近い。遥か遠くに見えていた筈の景色が拡大されていく――……落下速度を増し、時間が経つ毎に風を切る音も、景色の移り変わりも、激しくなっていく。


 俺達は頭から落下している。堪らない恐怖を覚えた。実際には起きていない、落下の衝撃に身体が震える。


 だが、大丈夫だ。


 全身が光り、俺は空中で身体を分解されていく。終末東京世界のデータとして――……リズは。リズも、大丈夫だ。俺と同じように、白銀色と翡翠色に光る粒子へと変化していく。


 こんな所で、終わる訳には行かない。


 まだ、リズと話さなければならない事が沢山ある。エリザベス・サングスターとは、一体何者だったのか。彼女がどうして、この世界に居るのか。助かる道はあるのか。


 彼女の言葉は、本当なのか。


 失わせない。ミスター・パペットにとっては、リズの身体など然したる重要性を持たないのかもしれないが。




 ◆




 これは、何時の記憶だろうか。


 眩いまでの白い陽光に照らされて、俺は立っていた。地面が近い――……身長が未だ、高く無いという証拠だろう。周囲の人間が驚くほど巨大に思え、俺はその人の陰に隠れて立っていた。


 駅前だ。何処の駅なのかも定かではないが、電車の音が聞こえる。子供の視界は狭く、それだけでは場所を特定する事が出来ない。俺の首が辺りを確認していない。


 手を握っている。これは、兄さんの手だ。懐かしく暖かく、大きな手だ。


 兄さんは目の前の大柄な男性と、何かを話している。他国語だろうか、俺には会話の内容を判別する事が出来ない――……だが、握られた手はまだ白く、小さい。小さな身体から見上げる兄さんはとても頼もしく思えたが、俺の知っている最後の兄さんから考えると、あまりに若い風貌だった。


 しかし、格好が良い。


 思わず俺は見惚れて、雄弁に話す様を見ていた。


 怜士兄さんに憧れるほど、半分の自分は惨めになる。どうして、自分とこんなに差があるのか。まるで、自分自身の価値が皆無であるような気がした。怜士兄さんは俺の手を決して離さなかったが、しかし俺を見てくれる時間は、とても少なかった。


 まだ若い二人。当時の兄さんには、手厚く俺の面倒を見ながら金を稼ぐ事は難しかったのだろう。


 ふと、視界がぶれた。何処かで感じた事があるような、空気が震動して形を変えるような、不思議な感覚だった。


 怜士兄さんと話している大柄な男性の横にも、小さな少女が立っている。どこか虚ろな瞳で、光が灯っていないように見えた。


 この世の全てを諦めたかのような、小さな身体には相応しくない程に、陰りを持った瞳だった。


 俺は、その少女の事が気になった。自分とは違う美しい金髪を持ち、人形のように鮮やかなターコイズブルーの瞳を持つ少女は、まるでその場に固定された石像のように動かず、決して俺の瞳を見ようとはしない。


 笑ったら、可愛いのに。


 そう思った時、小さな俺の心臓が激しく脈打った。俺と同じ位には小さな少女は、彼女を見ている俺の存在に気付いて、しかし何かを喋ろうとはしなかった。


 話さないだけではない。少女は明らかに、怯えていた。初めて出会う筈の俺に、何かの影を重ねて恐怖していた。


 俺は考える。少女がどうして恐怖しているのか、理解出来なかったからだ。何か、安心させるような一言を掛けてやりたかった。どうしよう。何が考えられるだろうか……


 その時、何かを話し掛けたような気がする。……いや、俺は話し掛けた。彼女の手に持っている本を指差し。


 その本、面白そうだね、と。


 その言葉によって金髪の少女は俺の方を向き、ターコイズブルーの瞳に光を灯らせて、頬を紅潮させた。


 何だ、この記憶は。一体何時のもので、これが真実なのかどうかさえ定かではない――いや、だが確かに、何処かでこんな事があったような気もする――あったのか。俺が思い出せていないだけで、そのような事が。


 そうか。


 初めてエリザベス・サングスターに出会った時、俺は何か、前に出会った事があったような気がして。確か、それを彼女に言った。


『ああ、大丈夫。ごめんな、何処かで見たような気がして』


 その時、彼女は驚いたかのように目を丸くして、何かを呟いた。


 風に紛れて、正しく認識する事は出来なかった。……いや、声が出ていなかったのだったか。俺には聞き取る事の出来なかった、虚無の空間に追いやられた言葉。


 あの、唇の動き。




『やっぱり』




 双眸を見開くと、蒼穹が続いていた。意識が覚醒した瞬間、俺は反射的に素早く起き上がった――……自分は、一体どうなったのか。それを確認する為に、周囲を見回した。


 視界に映るのは、街並み――……しかし、『サンシャイン・シティ』ではなかった。その事実を確認し、俺は安堵した……確かに俺は、プレイヤーウォッチを使って転移した。どうにか、地面に当たる前に移動する事が出来たのか。


 車の走る音が聞こえる――……周囲の人間が俺を振り返り、何かを呟いては去って行く。


 リズは居ない。


 既に意識を取り戻して、何処かに行ったのだろうか。


 それにしても俺は、何処に転移したのだろう。リズを抱きかかえながらの操作だったから、画面を確認する事は出来なかった。見た所、自分が今立っている場所は、俺が知っている終末東京世界のどれとも一致しない。


 リズを探す時、『アルタ』を始めとする終末東京世界の街は、殆ど回った筈だったが。俺が行った事の無い街が、まだ残っていたのだったか。咄嗟の事で、よく分からなかったが。


 …………しかし、何かがおかしくないだろうか。


「あの人、大丈夫かな……」


「駄目だよ、変態だって! 無視しなよ」


 俺を見て、呟かれた言葉だ。女子高生か――……


 その瞬間に、違和感の正体に気付いた。


 車の走る音。学生。見れば、誰もバトルスーツを着ていない。




 ここは――――――――現実の、世界。



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