第三十八話 違和感
『……じゃあ、二人は今、『サンシャイン・シティ』に居るのか』
夜明け前の空気は肌寒く、大した防寒具も装備していない身体には、少しばかり厳しい。
「ああ。……城ヶ崎、トーマスの電話番号は控えてるよな?」
『持ってる。その、強化版プレイヤーウォッチとか言うやつを作って貰えば良いんだろ?』
街そのものが室内のような終末東京の『シェルター』だが、外界との差を無くすためか、朝から夜までの間に気圧や気温が変化するようだ。やはり、気候が常に一定だと日本人の身体には合っていないからなのか。
終末東京世界の宿に泊まった経験が無い訳ではないが、如何にも客室と云った雰囲気の旅館は『ガーデンプレイス』以来だ。観光目的で訪れる人間が圧倒的に少ないからだろう、これまでは宿と云えばビジネスホテル形式の飾らないものが一般的なようだったが、『サンシャイン・シティ』ではそうでもないらしい。
スマートフォンを片手に、現実世界の城ヶ崎と通話をしていた。朝方だったが、城ヶ崎はバイトが無いようだった。それとも、問題が大きくなって来た事から、控えているのかもしれない。
『ヒカリエ』事件を通してミスター・パペットは、転移型オンラインゲームを開発していた木戸怜士の存在を、露骨に主張してきた。これまでは俺の予測でしか無かったものが、確定的な事実となったのだ。
『そういえば、俺の元居たプロジェクトのチームを当たってみたけど、大して情報は得られなかったよ』
「ああ、木戸怜士について?」
『つーかまあ、あの人と関わりのあった人をメインに、身辺事情をちょっとな。俺にとっては殆ど上司だから、あんまり知らないんだけどな、連絡先』
城ヶ崎には、当時のプロジェクトの内部事情について、探りを入れて貰っていた。
ミスター・パペットが木戸怜士の紛い物であり、城ヶ崎が当時のプロジェクトに居たと判明した段階で、城ヶ崎に依頼をしていた。トーマス・リチャードに聞く手段もあったが、彼は独自で動いている為、常時連絡を取り合う事が難しかったのだ。
そういった意味で、城ヶ崎が当時のプロジェクトに所属していた事は、俺にとっての有利なポイントとなった。
「何か、有効な情報はあったか?」
『いや。実は、殆ど繋がらなくなっててさ。そんなもんかとも思ったけど……終末東京との関係については、結局分からないままだったかな』
今までは、遊びだ。ミスター・パペットが言っていたように、単なるゲームでしか無かった部分がある。命が関係していたとしてもだ。他者操作、トリック、そしてNPC化。……その背景を追ってみると、奴は何か大きな目的の為に、事件を起こしているのだと推測する事が出来る。
デッドロック・デバイスが揃った時が、奴にとっての本戦なのだろう。それまでは、俺達の事も現実世界との関係性も、全てを煙に巻こうとしているのだろう。
犯罪の可能性が高まってきた以上、見過ごす訳には行かない。
「終末東京世界が終焉に向かうって事は、ゲームそのものが終わるって事だろ。……それについては、どう思う?」
『わっかんねー。……でも、『ヒカリエ』でプレイヤーを殺す手段ってのが現れたからな……それ関係かもな、とは思った』
少しおどけた雰囲気の城ヶ崎は既に見られない。ここに居るのは、思慮深い一人の人間としての城ヶ崎仙次郎だった。今まで、如何に城ヶ崎がキャラクターを作っていたかが分かる。
「確かに、それはあるかもな。ここは言わば、ミスター・パペットに取っての処刑場って事か」
『正直、そのくらいの大きい事が無ければ、あんなに思い切った事は出来ないよな』
「……そうだな」
『ガーデンプレイス』までは未だ、ターゲットはNPCが中心だった。プレイヤーも確かに攻撃されてはいたが、この世界で死亡してもログアウトされるだけだ。痛みはあるかもしれないが、現実世界で犯罪になる程の大事ではない。
だが、前回『ヒカリエ』で行われた事は、それまでのミスター・パペットの行動とは一線を画するものだ。あの時、『ヒカリエ』にどれだけの無関係な人間が巻き込まれていたのか分からないが、警察に相談する人間もまた、居るだろう。そうなれば……俺達だけではなく、今度は現実世界の人間達をも巻き込んで、『ミスター・パペット探し』という、一つの大きな捜査が行われる事となる。
実際、あの事件で死んでしまった人間も居るかもしれないのだ。これまで表立った動きの無かったミスター・パペットが、明確な方向性を与えて来たように思う。
『リズリズは、どうしてる?』
ベランダから外の風景を眺めていた俺は振り返り、部屋の中で寝ているリズを一瞥した。
まだ目覚めていないようだ。余程、精神的にダメージを受けていたのだろう。俺が危険でないと分かると少しは安心したようで、それから死んだように眠り続けている。胸は動いているので、よもや本当に死んだ訳ではあるまいが。
「ひとまず、無事だ」
『ひとまず?』
「『ヒカリエ』での事件の時、リズもNPCにさせられてたみたいでさ。そのまま、『サンシャイン・シティ』まで飛ばされて来たらしい」
受話器の向こう側で、城ヶ崎が驚いている様子が目に浮かぶ。
『おい、ちょっと待てよ……それって、じゃあもう、プレイヤーには……』
「いや、手段はある。NPC事件を起こしたのは、ミスター・パペットだ。と云う事は、元に戻す方法を知っているのも奴ってことだ」
『……そうか、あんなモン、元からこのゲームにあったとは思えないもんな……でもよ』
「ああ、分かってる」
リズには、黙っていたが。その予想は可能性としては悪く無いかもしれないが、少なくとも確実ではない。ミスター・パペットを捕らえた先で絶望する可能性は十二分に有り得るし、トーマスの技術力が届かない可能性もある。
NPCにされた時点で、既にリズは現実世界で、半分死んでいるようなものだ。……いや、既に現実世界の身体は動かない訳だから、四分の一と表現するのが正しいか。
窓の向こう側で、リズが寝返りを打った。……あまり、長時間話している訳にも行かないだろうか。今リズは、とても不安定な状態にある。俺が何者かと電話をしていれば、それだけで疑ってしまう事も考えられる。
「一旦、切るよ。ひとまず、こっちは任せて貰って構わないから……城ヶ崎は、引き続き調査を頼む」
『おう、大丈夫だ。何かあったら、また連絡するからな』
「ああ」
そうして、城ヶ崎との通話を終了した。スマートフォンを手にした状態のままで、俺は何とも言えない気持ちにさせられた。
何から何まで、不確定な事ばかりだ。何かの謎を追い掛けている以上、それは当たり前なのだが――……仮説と検証を繰り返す事で人は真実に近付くが、時にはその検証が根こそぎ覆されてしまう事も往々にしてある。それが、何かを探求すると云う事なのだが。
仮設は、ある一つの事実から始まる。多角的に確認をした上でその仮説が正しいとされるなら、それは『信頼される仮説』となる。
つまり、どれだけ確認をした所で、百パーセントでは無いのだ。俺達は、『正しそう』の上に知識や技術を積み上げている。
だが――――…………。
窓を開け、再び部屋へと戻った。その物音で目覚めたのか、リズは少しばかりの唸り声を上げ、その場から起き上がった。
「うん…………? おはよう、恭くん」
「ああ、おはよう」
日毎、俺は得体の知れない焦りを感じ始めていた。
終末東京の世界に関わるようになってから、もう数ヶ月以上の月日が経過していた。俺は未だ、同じ位置で足踏みをしているかのような気持ちにさせられている。ミスター・パペットは何度追い詰めても霞か煙のようにその場から消え去り、俺に怜士兄さんの面影を思い出させては去って行く。
遥香姉さんが問題に参加し、問題が明るみになるに連れて、ミスター・パペットが何らかの手段で、俺に何かを伝えようとしている事に気が付き始めていた。俺を仲間に引き入れたいだけではない、何か他の、別な。
それが、何を意味するか。
「恭くん、今日も一日、こっちに居てくれる?」
「……ああ、元々そのつもりだけど」
そう言うと、リズは嬉しそうにはにかんだ。
「良かった」
あの、怜士兄さんの開発していた転移型オンラインゲーム。その事件と密接に関わる何かが、この終末東京の世界にはあるのではないのか。それとも、終末東京そのものが、あのプロジェクトから派生して作られたモノなのかもしれない。
若しもそうだとしたら、木戸怜士が登場する事も頷ける。それが本物かどうかはさて置いて、俺に木戸怜士の存在を信じさせるには、充分過ぎるアプローチだろう。
リズは起き上がり、俺の手を取った。
「じゃあ、今日は私に付き合ってよ」
リズと云えば、私生活を見られる事について、苦手な印象があった。以前俺が『アルタ』で寝顔を見た時、顔を真赤にして慌てていた事を未だ覚えている。
今は、その様子は見られない。
「良いよ」
「うんっ!」
同一人物でいて、どこか別人のようなのだ。まるで昔から、俺の事を知っているかのような。まるで久しぶりに会ったかのような顔を、リズは極稀に、俺に見せる。
不思議だ。
それだけの奇妙な対応をされる事があるにも関わらず、俺自身、あまり変だと感じていない事も。
握り締めたリズの手は視界からぼやけ、僅かに揺れ動いたように見えた。
◆
実の所、好きか嫌いかの二択で言えば、俺はリズの事を好きな方だと思う。
興味があるか無いかと言われれば興味はあるし、常にひたむきで真っ直ぐに努力する所も、他には無い魅力だ。リズは実生活に追われるからではなく、遠い未来の目標の為に日々努力し、邁進している。
世界を閉ざされた人間として、それは希望にも見える。俺とリズの違う部分として……リズはどれだけ困難な状況に立たされても、弱音を吐くことはあっても、基本的には上を向いているのだ。
虫のように限りある光に吸い寄せられるのではなく、きちんとした意志を持ち、二本の足でその世界に立っている。そう考えると、まるで浮遊するように生きて来た俺の方が、余程『存在の不確定』だ。
「ねえねえ恭くん、イカスミとパクチーのパスタだって!」
「ああ、不気味なチョイスだな」
「ええ、そうかな……美味しそうじゃない?」
「どんな味がするのか、あんまりイメージができないよ」
リズは何度か俺に、この終末東京のゲームを通して、科学的な話をしていた。本当に興味がある様子で、しかし分からない俺に理解させるように、単純で簡潔だった。
親と会うことが出来ない恐怖と戦いながら、しかし絶望していない。若しもそんな人間が、怜士兄さんが居なくなった日に居たとしたら。俺も遥香姉さんも、少しは救われたのかもしれない。
「わあ、こっちは納豆とカレーのパスタだって!」
「ああ、気分が悪くなりそうなチョイスだな」
リズが眉をひそめて、俺の事を睨んだ。
「…………なんだよ」
「もしかして、このお店、嫌だった? それならそうと言ってくれればいいのに」
「いや、別に嫌じゃないけど」
「じゃあ、もうちょっと楽しそうにしない?」
不機嫌になられても、困る。俺は元からこういう性格だし、おいそれと変える訳にもいかない。いや、変わったパスタに対して率直な感想を述べただけなのだが。
また内側に神経を奪われて、リズに愛想の無い態度を取ってしまったのだろうか。……俺の、良くない癖だ。
少なくともリズは美味しそうだと思っていたようで、俺の反応に肩透かしを喰らったようだ。一転してつまらなさそうな顔をしながら、テーブルの上にメニューを立てて俺の姿を視界から消す。
そんなに怒らなくても良いだろうと思うのは、俺だけだろうか。
殺伐とした空気の中、僅かに顔を引き攣らせたウエイトレスの女性に注文を出した。ウエイトレスにメニューを渡したリズは、未だ不満そうな顔をしていた。
「……悪かったよ」
「いいえ、どうせつまんない人間ですから」
水を飲もうとしていた俺だったが、ふとコップを止めてしまった。
「なあ、リズ。……どうしてお前、いつも自分の事を『つまらない』って言うんだ?」
研究好きで、変なものばかりに目を光らせている。どちらかと言うと性格は個性的で、面白い方だと思うのだが…………いや、これを口に出すのは止めておこう。リズは不意に丸い目をして俺を見詰め、直後に手元のコップへと視線を落とした。
その様子に、何らかの事情を察した。
「…………やっぱり恭くんは、恭くんだなあ」
ぽつりと、リズがそのように呟いた気がしたが。
「リズ?」
「あ、ううん。……私、小さい頃から他の子と趣味合わなくって。ずっとつまんないつまんないって言われて来たから、なんか癖になっちゃってね。それだけなんだけど」
誤魔化すようにリズはそう言って、話を中断した。その仕草に、思わず見惚れてしまった。
同時に、ある事に気付く。
全く気付いていなかったが、今日のリズは白衣も着ていないし、服装も何処か普段よりも豪華だ。その手の知識がさっぱりない俺にはよく分からないが、今日は化粧をしているようにも見える。
若しかしたらリズは、今日この日について、思ったよりも楽しみにしてくれているのかもしれない。
俺の発言は、場の空気を盛り下げてしまったのだろうか。……もう少し、リズに意識を傾けてみるべきだろうか。
パスタが到着し、リズの顔が急に明るくなった。
「わあ! 美味しそう!」
「そうだな」
つい先日まで辛そうな顔ばかり見ていたから、リズが笑顔になっているのは俺としても嬉しい。どこか胸の奥にあった重みが解消されたような気がした。
リズは鼻歌を歌いながら、フォークを使ってパスタを取っていく。そして、それを何気無い動作で、俺の口元に寄せた。
「はい、あーん」
僅かな、空白。
間抜けにも口を開いたまま、俺は固まってしまった。
中途半端に口が開いているからか、リズは俺の口にパスタを突っ込もうとしはしなかった。俺がタイミングを逃し、周囲で昼食を楽しんでいた人々の何名かが俺達のテーブルを向く頃、既にリズはのぼせ上がる程に顔を紅潮させて、しかし石像のようにその場に固まってしまった。
これは、あれだ。俺は何気無い動作で、食べなければいけなかったのだろう。
よくある、友人間の試食的な…………
「…………あ、ああいや、……あまりにも突然だったもんで……すまん」
「ご、ごめんなさいっ!! 私、調子に乗って……」
頭に血が上って行くのが、嫌でも分かった。リズも俺と似たような反応をして、ぱたぱたと手で顔を仰いでいる。
「……二人きりだったこと無かったから、……ちょっと、舞い上がってる……」
申し訳無さそうに、しかし嬉しさを隠せない様子で、きょろきょろと意味も無く辺りを見回しては、俺の事を盗み見しているのが分かった。
…………これは。
何とも言えない空気に耐えられなくなり、俺は腕を組んで視線を逸らした。……今までに彼女など出来たことがないので知らなかったが、こういうのを『生暖かい空気』と言うのだろうか。
『え、だって、何かとそばに居るので……』
ララの言葉を、思い出す。
リズの気持ちを察してやれと、思っていたものだが。別段意識もしていない相手の事を恋人だと勘違いされるのは、やはり気分が良いものではないだろうと。それは俺も意識していなかった配下の認識として、『俺如きが誰かに愛されることなど有り得ない』と思っていたから、なのかもしれない。
だが、どうだろう。今の行動や、リズの態度。……そのどれも、まるで異性として好きな相手に示すような態度ではないだろうか。
いや、待て。落ち着け。内側ではそう自分に語り掛け、どうにか平静を留める。
「…………」
暫くの間、俺達は無言でパスタを食べ続けた。
雑踏。少ない『サンシャイン・シティ』の人口に溶け込む俺達は、メニューを注文していなければ、この場で逃げ出していてもおかしくはなかった。それでも、『アルタ』や『ガーデンプレイス』よりは、余程人口は多かったが。
不意にリズと視線が合うと、慌ててリズは手元のパスタに視線を落とす。
この状況……何か、話題を作らなければ。気がどうにかなってしまいそうだ。
「あー、昔の終末東京にはさ」
「う、うん?」
リズは誤魔化すように、俺に笑みを向けた。
「今よりも、世界は広かったりしたのか? 水没していない地域とかさ」
気恥ずかしそうな笑顔のままで、パスタをフォークでひたすらに混ぜる。……混ぜ過ぎだ。
「うん、色々あったよ。『突然変異』が起こる前までは、ほとんど現実世界と同じだったし」
そのような会話の中で苦し紛れに出した一言だったが、リズの言葉に俺は驚いてしまった。唐突に興味深い話題が出て来た事に、当人であるリズは気付いていないようだった。
俺はパスタを口元に運ぶ手前、その疑問を口にした。
「…………『突然変異』の前、ってのがあるのか?」
そう問い掛けると、リズは暫しの間、考えた。俺の質問について、直ぐに理解出来なかったようだ。
それ程に、リズにとっては当たり前の出来事だったのだろうか。
「私は、このゲームが始まる時から見てたから」
「始まる時……って、それじゃあとんでもなく長い時間になるんじゃないのか?」
「うん、普通はね。でも、ゲームを進めるために、途中までは時間が速く進むから……私がログインしたのは、ゲームの中に星が出来た時からなんだよね。その時はまだプレイヤーって隔離されている状態で、世界を上から眺める事しか出来なかったんだけどね」
成る程、終末東京が終末東京らしくなるまで、時間は早回しで進んで行ったらしい。確かにそれならば、本来数千万年にも及ぶ時間を、ほんの数分で体験する事も可能だろう。
これだけの広い世界だ。それがどのように作られていたとして、不自然ではない。
「じゃあ、リズは本当の本当に初めから、まだNPCなんかも誕生する前から、この世界を見て来ているのか」
「まあ、映像みたいなものだったから。見て来たと言うより、知ってるだけだけど……」
だが、そこで疑問も生まれる。手早くパスタを食べ終えた俺は若干身を乗り出すようにして、会話に興味がある事を動作で示した。
「ログインしたのは、いつ頃?」
「それは分からないよ、時間の感覚なんて無かったし……恭くん、急にどうしたの?」
「いや……そうすると、リズをこの世界にログインさせたのは、誰なのかと思って」
リズは少し笑って、それが何でもない事だと言うかのように、両手を動かした。
「お父さんだよ。……言ってなかったけど私、このゲームが初めてじゃなくて。最初は、別のゲームにログインしてたんだ」
と云う事はつまり、リズの父親は、転移型オンラインゲームの制作に関わっていたと云う事になる。
一体、何処から何処までだ? ……怜士兄さんとも、何らかの関わりがあったのだろうか?
「……終末東京の世界に来てから、親父さんには?」
「会えてないよ。たぶん、私が現実世界でも生きられるように、今も頑張ってくれてるんだと思う。……このゲームに入ってからは見てないけど、別のゲームで最後に、お父さんはそう言ってたから」
いや。……その予想には、確証が無い。
リズにとっては転移型オンラインゲームに関わっている人間など、自分の父親くらいしか知らないのだろう。……だが、俺の兄さんや城ヶ崎のように、転移型オンラインゲームの開発に関わっていた人間が相当数居た事は事実としてある。リズの父親が本当にリズを終末東京の世界に呼んだのかどうかは、疑問が残る所だ。
……いや。常識的に考えれば、我が子がゲーム内に現れたとして、安心させる目的でも一度は電話なりで確認を取ると考えるべきだろう。この世界は、現実世界と電話で通話をする事が出来るのだから。
「電話は?」
「ううん。掛かって来ないし、私からは分かりようもないし……」
リズをこの世界に招いたのが、リズの父親である可能性。
寧ろ、低いと見るべきではないのか。
……俺が勘繰り過ぎているだけだろうか? リズの父親について俺は何も知識を持っていないし、性格的にそうだった、と云うだけの話なのかもしれない。少なくともリズは、父親が自分を召喚したのだと信じている――……確かに、そうだろう。リズが終末東京の世界に来てから今まで、父親との接触は無かったと言う事になるのだ。それはもう、何年も。
若しも何らかの企みがあったとするなら――そう、例えばミスター・パペットなどが、意図的にそうしたのだとしたら――既に事件は起こっていて不思議ではない。
だが、現実は起こらなかった。だから、リズの父親はリズをこの場所に配置し、生かしながら現実世界への復帰を試みている。……そう考えるのは、自然なようにも思える。
……しかし、リズに父親から何の連絡も来ていないと云う事実もまた、依然としてあるのだ。ならば、この間は事件を起こす為の準備だという可能性も……あるのではないだろうか。
これは、今直ぐに答えを出せるような内容ではないか。
「そうだ恭くん、『サンシャイン・シティ』にはね、映画館があるみたいなの。一緒に行ってみない?」
「あ、ああ」
折角の楽しい雰囲気を、俺の質問で壊してしまった。リズは気にしていないようだったが……ぎこちなく苦笑しながら、俺はリズに返答をした。
……そうだ。リズは今、心を癒す事を必要としている。俺から傷口を抉るような事をしてどうするのだ。そのように、今更ながらに後悔した。
だが、俺はどうしてもリズの言葉が頭から離れなかった。会計を済ませて店を出るリズと、それに付いて行く俺。リズは楽しそうにしているが、俺の笑顔は仮面のようで、リズの会話は耳に入らなかった。
若しも、誰かがリズを終末東京世界に召喚したのだとしたら。
それとも、リズが自ら望んでこの場所に来たのだとしたら。
いや――――――――まさか。
ある予想が、俺の中に生まれた。しかし、それは俺がこれまで考えて来た事を、根本から否定する仮説に他ならなかった。だからこそ、俺はその考えを固く閉ざし、目の前のリズに集中するのだと何度も自分に言い聞かせた。
若しも…………リズが、『ログイン』していないのだとしたら?
◆
結局、その日は一日中リズに付き合い、気が付けば俺達は、旅館まで戻って来ていた。『サンシャイン・シティ』から見える本物の空は、まるで現実世界と同じように星が散りばめられ、幾つもの光を放っている。
旅館の夕食は、豪華な装飾の施されたテラスの席だった。旅館の中からウエイターが出て来て、俺達の席や周囲の客に、上質なワインを注いで行く。
多少緊張しながら、リズはそれを見ていた。
「…………こういうの初めてだから、緊張しちゃうな」
「そうなのか? ずっとここに泊まっていたんじゃないのか?」
そう問い掛けると、リズは恐縮したように笑った。
「泊まってたけど、実は素泊まりにしてたんだ。部屋は好きだけど、こんな料理を注文するほど、お金に余裕があった訳じゃなかったし……」
「……良いのか? 飯代、俺が出しても構わないけど」
「ううん! 私が誘ったんだから、いいの!」
こうして眺めていると、思う。
ここは現実世界とはまるで違う、夢の世界だ。
戦うべき相手は『クリーチャー』なのだ。人間ではない。だから俺達は戦器を握り、自分達とは全く姿の違う、分かり易い『敵』を相手に戦闘し、日々を生きる事が出来る。
リズが夢を見ているようだと言っていたが、確かにその通りだ。外敵と戦わなければならない事を除いて、この世界には望むものが全て揃っている。
一日を使って、ただ観光目的で街を歩いた事など無かったが、不思議な気分だ。
「それじゃあ、乾杯しよっか。……何に?」
「任せるよ」
いや、存在しない事が、夢のようなのだ。
現実世界の、しがらみ。人と人との、醜い争いも。
俺達は現実世界で、皆が『戦器』を握っている。戦う外敵の居なくなった世界で、誰もが目の前に居る同族目掛けて、いつ何時でもこれを持ち出せるのだと、脅して回っている。
地位。名誉。富。力。その他、様々なものを、戦器として。
「…………それじゃあ、私達の出会いに」
まるで結婚式のスピーチに抜擢された友人のように、固い口調で話すリズ。俺は思わず、笑ってしまった。
「笑わないでよ!」
「くくく……いや、すまん。あまりに似合わなくて」
「もう……」
二つのグラスが、小気味良い音を奏でた。
第一、出会う等という段階ではないだろう。とっくに俺とリズは出会っているし、もう何度も話した後だ。化粧といい、格好といい、今日のリズは随分と格好を付ける傾向にある。
形式的なものを気にすると言うのか、何か形式ばった事をしようとしている、と言うのか。何を考えているのか、と苦笑してしまいそうになったが。
ワインを一口飲むと、リズは少し緊張したような様子で、俺に硬い笑みを浮かべた。
俺は、なんとも言えない笑顔で。
「きょ、恭くん」
ふと、何者かが自分に囁き掛けた。俺の求めているものは、この場所に全て揃っているのだと。
「あの……今日は、ログアウトしないで貰えたら、良いな、って……」
海の方から夜空に花火が上がり、俺達を色とりどりの淡い光で照らしていた。




