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終末東京で、俺は戦器を握らない  作者: くらげマシンガン
第四章 『サンシャイン・シティ』編
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第三十六話 リアル・ライアーの信頼

 時は都合を待たない。嘘を吐かない。それでいて、ただ流されている訳でもない。


 ミスター・パペットを追い掛けている内に、俺は『終末東京オンライン』と名乗るゲームそのものに対しての知識を深めていった。同時に、それらを知って行く事で、木戸怜士と云う或るエンジニアが、『転移型オンラインゲーム』のどういった部分に魅力を感じていたのか、俺は否応無しに知る事となった。


 確かにそれは、面白い。自らの手で、自らも制御の効かない世界を構築する、と云う魅力。一人のエンジニアとして、或いはクリエイターとして、これ以上の事は無いだろう。


 無限に広がる、小宇宙。


 だが、夢を追い求め過ぎた木戸怜士は、太陽に近付き、辿り着く前に翼をもがれて落下してしまった。そのような現実もまた、一つの真実として存在するのだ。


 自らが作ったものに、殺された。


 俺は随分と長期に渡り、木戸怜士の関わっていたプロジェクトには誰か別の企画者が居るのだと思っていた。木戸怜士は純粋に、エンジニアとして携わっているだけだ。企画者は一人で、誰もがその企画者の為に動く駒なのだと。そのような認識でいた。


 だが、関わり方にも色々なレベルがあるのだと、城ヶ崎仙次郎の話を聞いて知った。


 木戸怜士のようにゲームの構築そのものに関わっていた人間も居れば、城ヶ崎仙次郎のように、出来上がったモノをテストするだけの存在も居る。それだけの大人数で制作していた事を鑑みれば、木戸怜士が果たして末端のクリエイターであったのか、それとも企画に携わっていたのか、或いは何処まで携わっていたのか、それを判断する事は難しいように思えた。


 過ぎた出来事について探りを入れる事は可能だが、過去に戻る事は出来ない。究極の所、木戸怜士本人でない限り、それが果たしてどのようであったのかは、分かりようもない部分なのだろう。


 確かに当時、企画者は別に居た。確認はしていた。……だが、企画者が一人居たからといって、あの複雑なゲームが一人の手によって企画されたとは、どうにも考え難い。


 それが、何を意味するか。


 木戸怜士は、企画者として死んだのか。それとも、事故に巻き込まれたのか。似ているようで、大きく違う事だ。


 あの時俺は、木戸怜士が企画者の陰謀に巻き込まれ、悲惨な事故の被害者になったのだと思っていた。


 だが、若しも理解の上で、リスクを承知した上で挑んだのなら――――…………


「起きてください、恭一さん」


 柔らかい声がして、俺は目を覚ました。


 部屋のシャッターは、俺の知らない内に開いていた。普段、開けることは殆ど無いと言って良いものだったが、彼女が俺の家に来る事で、事態は一変した。


 ララ・ローズグリーン。『ガーデンプレイス』から明智大悟に付いて来た、使用人の女性だ。


 使用人根性が染み付いているからなのか、ララが来てからの生活は至れり尽くせりだ。目が覚めると既に朝食が用意されていて、俺はコンビニに行かなくても飯にありつく事ができる。淹れたてのコーヒーは喫茶店顔負けの美味さで、ぼやけた思考を明瞭にさせ、一日の始まりを優雅に演出する。


 どちらも、これまでの生活から考えると信じられない環境だ。出世したものだと思えば気分が良いかもしれないが。家に女性が居るという感覚もどうにも居心地が悪く、やたらと気を遣ってしまう。


 ララに使用人根性が染み付いているように、俺にも孤独な一人暮らし根性が染み付いてしまっているらしい。


 出されたパンを黙々と食し、俺はそんな事を考えていた。


「今日は、遥香さんがいらっしゃるのでしたっけ?」


 彼女から切り出さなければ殆ど会話もない食卓に、ララが話題を持ち掛ける。


「……ああ。何処かで来ると言っていたが、まあ午前中だと思う」


「そうですか。昨日、お茶を買っておいて良かったですね……でも、良いんですか? 昆布茶って塩気が効いてるから、普通のお茶もあった方が」


「良いよ。どうせ飲まないから」


 そんなものかと云ったような顔で、そうですか、とララは相槌を打つが。遥香姉さんは食事の時のみ普通の茶もコーヒーも飲むが、普段は昆布茶でないものを飲んでいる方が珍しいくらいだ。高血圧にならなければ良いが、等と愚にも付かない事を考えた。


「それと、明智にも連絡しておいたから。今日、来る事になってる」


「えっ、そうなんですか? 何かお打ち合わせでも?」


 ララは驚いていたが、俺は続けた。


「そうじゃなくて、明智の所の方が過ごし易いだろ。向こうは一軒家構えてるし、こっちはワンルームマンションだし」


「私は別に、どちらでも構いませんが……」


 俺が構う。という言葉は、遠い地平の彼方に置いて来る事にした。


 別にララの事を使用人扱いした事は無いが、やたらと世話焼きが過ぎる。食事を作ってくれるのは構わないが、一度入浴の際に背中を流そうかと始まった時には、どうしたものかと思ったものだ。交際経験は勿論、人付き合いそのものを避けてきた俺にとって、それはハードルが高過ぎる。


 世の男子諸君は羨むシチュエーションかもしれないが、残念ながら俺にとっては苦痛でしかない。聖人君子なのではなく、単にビビリなのだ。


 根暗だと言われようが何だろうが、苦手なものは苦手だ。


「ああ、そっか。リズさんに悪いですものね」


 何気無い様子で、ララはぽつりとそんな事を呟いた。俺は思わず眉をひそめて、淹れたてのコーヒーを一口。コーヒー同様、苦い顔になってしまった。


「……どうして、そこでリズが出てくるんだ?」


「え、だって、お付き合いをしているんじゃ無いんですか?」


 何を当然のように、目を丸くして言っているのだろうか。


「どうしてそうなるんだ」


「え、だって、何かとそばに居るので……」


 だっても明後日もない。当人同士の実態から掛け離れた妄想は止めて頂きたい。


 そもそも、惚れただの何だのという話は苦手なのだ。あまり、人のプライベートについて気軽に踏み入るものではない。


『ガーデンプレイス』に居た時も、『ヒカリエ』の時もまだ、遠慮があったように思えるが。やはり、一つ屋根の下で暮らしていれば、自然と慣れて来るものなのだろうか。


 遥香姉さんも似たような事を言っていたが、何度もそんな事を言われていると、いざリズに会った時に意識してしまいそうなので、少しは気を使って貰いたいものだ。


 ララは少し悪い笑みを浮かべて、自身の頭を小突いた。


「ごめんなさい。私、わざと言ってます」


「お前……慣れたもんだな、本当」


「ごめんなさいってば。でも、どうしてそんなに恋愛事を嫌うんです? 別に、違うなら違うで良いじゃないですか」


「それは――……いや、むしろ何でララが俺の恋愛事情に首を突っ込もうとするんだよ」


 遥香姉さんの事が、あるからだよ。ララには、そんな事を言っても通じないだろうが。


 その話をする為には、俺は過去の話からララに教えなければならない。それはこの上なく苦痛なので、俺は黙っていた。俺の問い掛けにララはにっこりと笑って、両手を合わせた。


「それは、恭一さんが好きだからですよ。恋のライバルが誰なのか、知っておきたいじゃないですか」


「何かを企んでいるなら、今のうちに告白した方が身の為だぞ」


「本当ですってば!」


 その時、インターホンが鳴った。


「あ、私、出ますね」


 噂をすれば、元・恋のライバルとやらが訪れたようだ。


 しかし。俺の生活も、変わったものだ。ほんの少し前までは、一日コンピュータのモニターを眺めているだけだった。俺の周りに知人はおらず、遥香姉さんとのコンタクトも避けて来ていた。


 それが今は太陽の光を浴びて、外に出る程度なら抵抗も無くなっている。


 改めて、エリザベス・サングスターの事を思う。悠長に構えている場合ではなく、『ヒカリエ』の事件から姿を消したリズの事を、俺はどうにかして突き止めなければならない。


 クリス・セブンスターを撃ったのが、本当にリズだとしたなら。


 トーマス・リチャードが居た場所に、既にリズは居なかった。今になって考えると、見間違いだったのではないかとも思えてくる。


 白衣と金髪、そして銃。それだけのキーワードが揃えば、それがリズである可能性は極めて高いという事は、よく分かっているのだが。


 俺の中にイメージされているリズと、『ヒカリエ』事件の最後に出会ったリズは、あまりに掛け離れている。


 廊下から部屋の扉を開いて、今日はラフなカーディガンとスカートの姉さんが現れ、俺に笑みを向けた。小さく、手を振る。


「おはよ、恭一」


「おはよう。また、随分と早いな」


「そりゃあ勿論、恭一に会いたかったからよ」


「また歯が浮くような台詞を……」


 俺の言葉に遥香姉さんは含みの有る笑みを浮かべ、座布団に座った。


 今日は、明智も呼んでいる。但し、午後に――……理由は二つ。ララを連れ帰って貰う、という目的が一つ。そしてもう一つは――……あまり、遥香姉さんとの会話を長引かせない為だ。


『ガーデンプレイス』に行く時に再会してから、遥香姉さんは積極的に俺と会おうとして来るようになった。『ヒカリエ』の時は終末東京にもログインし、命の危機にも晒された。


 これ以上、遥香姉さんを巻き込みたく無いと云うのが本心だ。唯でさえ傷付いている心を、剣山に突き刺すようなものだ。


 怜士兄さんが居なくなった日から、遥香姉さんの表情には影が落ちるようになった。一時期は本当に生活が困難になる程だった。


 俺と一緒に居れば、傷が広がるのは目に見えている。


「はい、遥香さん。昆布茶です」


「わあ、ありがとう! 気を遣ってくれて……でも実は、最近、昆布茶ダメになっちゃって」


 ララが驚愕し、同時に俺も目を丸くした。


「すいません、他のお茶、今日は切らしていて……私、買って来ましょうか?」


「ごめん、お願いできる? 駅前に、ハーブティーの美味しいお店があるの」


「はい、すぐに!」


 ララが俺を一瞥し、抗議の眼差しを向けてくる。俺は片手で謝罪の意を示し、程無くしてララが部屋から出て行った。


 珍しい事もあるものだ。執拗に昆布茶しか飲んで来なかった姉さんが、ハーブティーとは。特にあの手の香りがするものは、得意ではないと思っていたが。


 遥香姉さんは、ララに軽く手を振った。一息付いてから、ララの淹れた茶に手を出す――……


 時計の秒針の音だけが、部屋の中に響いている。遥香姉さんは不意に、視線を鋭くさせた。


 その瞬間に、俺は遥香姉さんがどういった目的でララ・ローズグリーンをこの部屋から退出させたのか、その意図を理解する事となった。


「…………恭一。話してくれる?」


 遥香姉さんの方も、俺が姉さんに何を話そうとしていたのか、ある程度の覚悟をして来たように思えた。


 俺は意を決して、姉さんに。


「ミスター・パペットと城ヶ崎は、何かの関係を持っていた訳ではなかった。ただ、城ヶ崎は――……」


「ただ?」


「…………怜士兄さんが参加していた、ゲームのプロジェクトに所属していた。テスターだった」


 確かに、城ヶ崎はそう言っていた。そこに、何を疑う事も無かったように思う。しかし姉さんは未だ、獲物を発見した鷹のように目を鋭くさせ、そして子供を発見した鬼のように、情け容赦の無い表情でいた。


 深刻で、辛辣であるとも言えるだろうか。


「そう…………」


 余りにもその表情に迫力があったからだろうか、俺は思わず、遥香姉さんから目を逸らしてしまった。


 若しかしたら本当に、ゲームの世界に木戸怜士が生きているのだと、妄想を抱いたのかもしれない。


 きっと姉さんは、あの日に壊れてしまったのだ。怜士兄さんが居なくなった日の、遥香姉さんの様子は酷かった。今思い出しても、喉元を掻き毟りたくなる程の衝動に襲われる。


 俺は遥香姉さんを、護らなければならなかったのだろうか。……いや。『護れなかった』と云うのが実態だ。


「なあ、姉さん。……もう、この話はやめよう。姉さんは元々、ミスター・パペットに関わっていた訳じゃない……あれは、俺が解決する。姉さんは巻き込まれただけだ。どうして俺が終末東京に姉さんを誘わなかったのか、これでよく分かっただろ」


 そう言うと、遥香姉さんは微笑みを浮かべた。


 その様子に、俺は胸を撫で下ろす…………


「ええ、そうね。……どうして恭一が私を避けていたのか、理由はよく分かったわ」


 事は、出来なかった。


「誰かが、怜士の真似事をしているのよ。それも、大きな事件を起こそうとしている。……これは絶対に、私達の手で解決しなければならないの。家族の、私達二人で」


 改めて、思う。遥香姉さんの傷は、ちっとも癒えてはいないのだと。俺は怜士兄さんと兄弟ではあったが、事件の当事者ではなかった。実際に大切な人を失った立場に居るのは、俺ではなく姉さんだ。


 子供も出来ず、家庭を持てず、未来を失った。それがどれだけ途方もない衝撃であり、絶望であったのかは、今になっても俺には理解出来る筈もない。ララ・ローズグリーンが終末東京世界のNPCであった痛みを、誰にも分かち合う事が出来なかったように。


 痛みは、自分一人のものだ。愚痴を言ったり腹いせをした所で、誰かとそれが共有出来る訳ではない。


 だから俺は、外界から心を閉ざす道を選んだのだから。


 だが――――…………


「気を遣ってくれて、ありがとう。でも、必要以上に遠ざけなくても大丈夫だから」


 怜士兄さんが居なくなってから、遥香姉さんがどう変わったか。それくらいは、外から見ていた俺でも分かる。


 触れれば触れる程、様子がおかしくなって行くのだ。欠けてしまったモノを何かで補おうとしたり、穴を埋められずに苦悩する。


 いや、俺に経験が無いだけで、世の夫婦とはそういうモノなのかもしれないが。


 別々に生きていると云うだけで、まるでそれは同一の個体であるかのように。互いに信頼し合っていた。


「仮に私がこの一件からは手を引いたとして……恭一は、あの仮面男の事を追い掛けるんでしょ? 一体、どうやって?」


 俺はそれを羨ましいと、思っただろうか。


 俺には、友人関係のネットワークなど一切無かった。怜士兄さんと遥香姉さんの下に居た俺には、これまでは――……だからこそ、人と人との繋がりと云うものに、憧れを覚えたのかもしれない。


 だが、そうした期待を持つ事でいつも裏切られるのだと、それは身に染みてよく分かっている事ではあった。


「取り敢えず……リズと、合流するつもりだ」


「リズちゃんと? ……どうして?」


「『ヒカリエ』の一件以降、姿が見えない。何かあったんじゃないかと……そう、思っているからだよ。リズも、理由があって終末東京の世界から出て来られない人間なんだ。だが、現実世界に生きる、普通の人間だ……助けたい」


 俺は、クリス・セブンスターと戦った後、リズと思わしき人間が遠方からクリスを狙撃した事について、姉さんに話さなかった。


「リズだけじゃない。終末東京に生きる人達を、俺は助けたいと思ってる。ミスター・パペットは、何らかの形で終末東京の世界を終わらせようと考えているんだって、最近分かったんだ。そのままにしておいたら、あの世界で生きる人達が巻き込まれる」


 城ヶ崎との会話で、城ヶ崎がミスター・パペットと何の接点も持っていない事を、何か具体的に目に見える形で証明された訳ではない。その事についても、何も話さなかった。


 姉さんは目を閉じ、暫くの間、考えていたが。


「そう…………分かった。私は、帰りを待っていれば良いのね? あの日みたいに」


 そのように、呟いた。


 僅かに、胸が傷んだ。何事も無かったかのように家を出て、当然のように帰って来なかった男を――俺は、知っていたから。


「姉さん。……俺は、俺だ。怜士兄さんとは違う……俺の事は、もう忘れて。過ぎた事は無かった事には出来ないかもしれないけど、立ち直って、別の人生を始めて欲しいと思ってる」


 言外に、『帰りを待つな』と俺は、伝えていたが。


 不意に遥香姉さんは、俺に近寄った。決意を持った険相な表情で、ワンルームの狭い部屋の中を移動する。


 俺の目の前まで来ると、右腕を振り被――――…………


「づっ…………!?」


 そうして、俺の視界を星が舞った。


 殴られた直後、ふわり、と頭を抱かれる。その行動に、俺は懐かしさを覚えていた。


 怜士兄さんと衝突したり、学校で嫌なことがある度、遥香姉さんに慰められていた事を思い出す。胸の奥に暖かいものが落ちて来ると同時に、俺は途方も無い寂しさを肌で感じていた。


 理由は、分からなかったが。


「恭一。……これだけは、覚えておいて。今、表面的には仲良くしているように見えても、『他人』である以上、いつかは裏切られるわ」


 冗談で言っている訳でも、姉さんの性格が悪い訳でもない。


 遥香姉さんもまた、信じていたものに裏切られた人間だったから。そして、だからこそ俺は、遥香姉さんから離れたいのだろう。


 俺達二人は、何処まで行っても、胸に穴が空いた状態のままで呆然と生きているだけの、さながら骸のような存在だ。木戸遥香という存在は、その事を否応無しに思い出させる。


「そういうものよ。それは、避けられない――……裏切る人には、裏切られる人の気持ちが分からない。逆もまた然り……ね」


 決して、満たされない。そしてそれは、時が経っても修復される事はない。


「私だけよ。恭一の事を誰よりも分かっているのは、私だけ……誰も、死の危険を冒してまで助けてはくれないでしょう?」


 遥香姉さんは俺の両肩に手を添え、真っ直ぐに俺を見詰めた。


 期待をするな、と。


 釘を差されたようにも思えた。二度、三度と裏切られ、また同じ過ちを繰り返す事はない。少なくとも木戸遥香だけは、俺の事を経験から、唯一理解している存在であると。


 それは、確かだ。


 確かに、そうなのだが。


 その剣幕に、俺は堪らず目を逸らしてしまう。


「最後は、私を頼りなさい。きっと恭一の救いになるって、信じてるから……」


 その言葉を最後に、遥香姉さんは立ち上がった。ララが帰って来る前に、出て行くつもりなのだろう。


 心の奥底に眠っていた――いや、眠らせていた――俺の、疑念。思考から必死で追い払い、選択肢から外していた。それを遥香姉さんの言葉によって、強引に引き出された。


 ――――いや。遥香姉さん、違うんだ。今までは確かにそうだったかもしれないが、『今回だけは』それはない。


 そう言う事が出来ていたら、どれ程に楽だったか。


 地蔵のように固まった俺は、姉さんの去り際にも立ち会わず、歯を食い縛ったままでいた。




 ◆




 自身の身体が転移される感覚と云うものは、不思議だ。初めて終末東京世界にログインした時も似たような事を考えたが、何処か身体がそこには無いかのような、ふわりと浮いているかのような、奇妙な意識の持ち方をする。


 太陽の光が差し込む、終末東京都市の中では『ガーデンプレイス』『スカイツリー』に続く地上の都市、『サンシャイン・シティ』。『シーサイド』『デンキガイ』と続き、俺はその場所のマンションの屋上に身体を出現させた。


「おっと…………」


 場所は選ぶ事が出来ないようだ。プレイヤーウォッチのステータスウィンドウを開いたまま、俺はどうにか着地点を判断し、両足を地面に着陸させる。極力下に衝撃が無いようにと思っていたが、鉄筋コンクリート製のマンションならある程度の音がしても問題は無かった。


 俺は、消えたエリザベス・サングスターの所在を追う事について、トーマスに相談していた。その一つの回答が、トーマスが寄越した、この――――新しいプレイヤーウォッチの存在だった。


「……大したもんだな」


 どうしてトーマスが、入退室の禁じられた『ヒカリエ』に居たのか。気になる所ではあった。どうやらトーマスは初めからNPCの称号を持っていなかったようだし、後からログインした訳でも無ければ、『ヒカリエ』のNPCゲームに参加していた訳でも無かった。


 トーマス・リチャードは、転移型オンラインゲームに関わっていたエンジニアだ。この位の物を作る事は、不可能では無いと云う事らしい。


 新たな機能は二つ。一つは、自由に都市間の転移をする事が出来るようになった事。もう一つは、プレイヤーウォッチにアイテムとして収める事が出来なかった『デッドロック・デバイス』等のアイテムを、通常のアイテムと同じように格納する事が出来るようになった事。


 この二つの仕様変更点は大きく、俺は移動する為の足の問題と、デッドロック・デバイスの保管場所についての問題、これらを同時に解決する事が出来るようになった。


 問題なのは、これが俺にしか与えられていないと云う事だが――――これは、何処かでトーマスに人数分のプレイヤーウォッチを依頼する事にしようと思う。


「さて…………」


 俺は、『サンシャイン・シティ』の様子をぐるりと見回した。『アルタ』が工業施設、『ガーデンプレイス』が観光地、『ヒカリエ』が巨大なショッピングモールだとするなら、『サンシャイン・シティ』はさながら巨大ゲームセンターのようだ。辺りにあるのはカラオケ、ボウリング、ダーツにビリヤード、ゲームセンター、パチスロ、果てはカジノ……そこら中で機械音が響き、人口も若い世代に集中している。


『ヒカリエ』で人の様子を観察して分かった事だが、どうやらNPCもまた、都市間をある程度移動し、それぞれに最適な生活環境を手に入れているらしい。NPCにとってはクリーチャーと遭遇する事など当たり前だろうから、戦う事が出来る者なら移動は苦にならないのだろうか。


 敢えてダンジョンに行く事も無いだろうから、危険も少ないのだろう。


 しかし、これだけの街を回っても、リズの姿を確認する事は叶わずにいた。念の為、『アルタ』や『ガーデンプレイス』も探してみたが、居なかった――……他のNPCは兎も角、リズは死の危険を誰よりも恐れていた。本当は、『ヒカリエ』に居なかった事でさえも、俺としてはかなり驚愕する所だったのだ。


 …………おや。


 路上を歩いていたプレイヤーと思わしき二人組の男が、俺を指差している。


「おい、あいつ今、空中からログインして来たぞ……」


「え、マジ? 見てなかった」


 ……あまり、目立つのはまずいな。男から逃げるように、俺は反対側の通路に向かって飛び降りた。


 ここで無いとするなら、残っているのは最早『スカイツリー』だけだ。現実世界と変わらず、東京に構える巨大な電波塔。順番に回っていたが、しかし……


 俺はプレイヤーウォッチに登録されている、リズのフレンド情報を見た。初めて出会った時に、交換していた――……これを使えば、相手がログインして同じ街に居た場合、その位置は自ずと分かる事になる。


 だが、リズの表示は一向に現れない。そして今回もまた、目に見える範囲に表示されてはいなかった。


 確かに、相手から自分の位置を見えなくする事は出来る。だが、リズが敢えて俺に対して、そのように振る舞う必要はない。だとするならば…………


 最悪の予想を、俺は考慮から外した――――いや、外そうと試みたが、外すことは出来なかった。


 この『サンシャイン・シティ』と、『スカイツリー』にリズが居ないという事実。それが確定してしまった時、考えなければならない事は二つある。


 どちらも、最低の展開だ。


「くそっ…………」


 一つ。エリザベス・サングスターは『ヒカリエ』事件でNPCとして死亡しているか、プレイヤーとして死亡し、ログアウトされている。


 一つ。エリザベス・サングスターはミスター・パペットに操られているのか、又は本人であり、俺に現在地が分からないように表示を消している。


 今の所、この二点以外に思い付く選択肢は無い。


 どちらの展開も、受け入れたくはない。……無いと、信じたい。俺達はずっと、ミスター・パペットと戦って来た。


 その正体が仲間内に居たとなってしまえば、最早何がなんだか、分からないではないか。


 ミスター・パペットは、確かに俺を仲間として迎え入れようとしていた。


 僅かに、胃が痛む。


「リズッ…………」


 不意に。


 俺がそう呟いた瞬間、遥か遠くで振り返る人間の姿があった。あまりの衝撃に、俺は思わず双眸を見開いて、その存在を確認してしまった。


 瞬間、細胞が意思を伝達する。今の今まで、どれだけ探しても見付からなかった女性を、視界に捉える。


 まさか――――…………


 金色の長い髪。振り返った瞬間、その隙間から、コバルトブルーの瞳が覗いた。俺の存在を確認し、瞳孔を見開く。


 心臓の鼓動が、高鳴る。同時に、幾つかの疑問は渦中から表層へと向かって浮き上がり、駆け出すと同時に迷いを生んだ。……しかし、止まる事は出来なかった。


 どうして、こんな所に。白衣を着ていない、リズは白いボタンシャツにチェックのスカートと、一般的な服装をしている――……だが、リズだ。俺の存在に気が付き、そして反応している。


「リズ!!」


 声を掛けた。立ち止まっているリズに対し、俺は駆け寄る。


 笑顔になる事は出来なかった。それよりも、今現在の状況に対して、事情を共有したいと思う気持ちの方が先立っていたが――……立ち止まったリズは、俺の声を聞き、僅かに表情を歪め、そして。


「ひっ…………!!」


 次の一瞬、俺はリズの取った行動に、頭が真っ白になってしまった。


 リズは踵を返して、その場から一目散に逃げ出した。バトルスーツを着ているのか、その速度は俺が思っていたよりも、異様に速い。俺は足を止めなかったが、これが通常の状態であれば、思わず立ち止まってしまう所だっただろう。


 リズが走り出した一瞬、俺はリズの表情に違和感を覚えて、それを凝視してしまった。明らかに、俺の存在を確認して、その表情は恐怖――……一色に染まっていた。


 他の誰でもない。俺は姿を偽っている訳ではない。俺の顔を見て、リズは恐怖を感じたのだ。


 どうして――――…………?


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