第三十三話 Y軸は難攻不落の城となるか
撃ち抜かれた両膝が、既に言う事を聞かなくなっている。
俺だけではない。遥香姉さんも、明智も、ララも、やられてしまった。クリス・セブンスターは半笑いのままで立ち上がり、ゆらり、ゆらり、と悪霊のような動きで椎名に近付いて行く。
何を、馬鹿な。逆上して俺の作戦から離れてしまっては、全てが終わりになる。俺だって、余程降参しようと思った。だがそれでも、首を縦には振らなかった。
振らなかったのだ。『NPC化現象を解除するスイッチ』と引き換えに、仲間になると条件を付け、先にスイッチを押させようとしていた。
椎名美々は、今までとは違った。決死の表情でクリスを睨み付けていた。仲間は俺を含め、全員倒れている。椎名はステッキを構える、と言うよりは、既にステッキを支えにしているような格好で、どうにか笑う膝を堪えて立っていた。
バトルスーツを着ていないのだ。遥香姉さんでさえ、自分が俺や明智、ララよりも役に立たないと分かっていたのか、一切クリスに手を出さなかった。武器を持っている分、まだ椎名は戦略上役に立つ位置にいた。……だが、それはバトルスーツを着た人間が、生身の椎名を護っていた場合に限る。
「…………へえ。何だって?」
感情に身を任せ、叫んだか。……だが、それは今この場で、最も愚かな行為だと言わざるを得ない。
勝利が絶望的な状況では、まだ隠れて戦場から離脱する事や、意識されていない内の奇襲に全てを賭ける事の方が、命を天秤に賭けるだけの選択としては有意義だった。それが、命乞いとは。
クリスは椎名の顎下に銃を突き付け、嗜虐的な笑みを浮かべたまま、問い掛けるように椎名へ流し目を送る。
「もっ……もう……やめてよ。本当に、死んじゃうんだよ? 今すぐ、みんなをプレイヤーに戻してよ」
椎名は唇を震わせ、小さく、途切れるような声で呟いた。
「……確かに、君はちょっと可愛いと思わなくもないけどね。泣き落としなんて低俗な手段で、人が動くと思ったら大間違いだよ」
俺はどうにかして、俺に付いて来てくれる全員を、活躍出来る、優秀なパーティメンバーとして迎えようとしていた。
…………だが、その選択は間違いだったのか。
こんな、無駄な時間の引き伸ばしを行う事に、意味などない。勝敗が決したという事は、クリスは極力、『殺害不可能な』俺へ意識を向けさせなければならなかった。……クリスにとっては何の興味も、条件も持たない椎名では。この状況で、有利な取引対象とは成り得ない。
「人が動く理由というのは、一つしかない。……条件さ。そうしないといけない立場だから、そうしないといけない条件があるから、人が動く。……君は余程、自分の感情に自信があるんだね。泣けば誰がか助けに来てくれる、そんな環境で育ったのかな?」
ミスター・パペットと繋がりがあると疑った、俺への贖罪のつもりか。……見損なったぞ、椎名。
俺は静かに目を閉じ、歯を食い縛った。
「木戸くんっ……!! きっ――――――――」
銃声があった。
その、椎名の僅かな視線の動きを、俺は目で追い掛けていた。
一体、どれだけのダメージだろうか。生身のままという事は、身体の脆さは現実世界のそれと全く同じだという事になる。遥香姉さんは、まだ生きている。
時間は後、どれだけあるだろうか。
一瞬の銃撃に比べると、あまりに長い静寂の時間。俺は顔を上げ、上空から零れる煤に目を見張り。
静かに、意を決した。
「ほら。…………こうすると、喋る事も出来なくなるだろう」
再び、クリスは振り返り、俺の方へと歩いて来る。……今度はすぐに殺す事が出来る人質を三人から四人に増やして、同じ選択を俺に迫るつもりだ、という事はよく分かっていた。
場合によっては、一人くらい殺したって構わない。人数的には、既にそのラインに入って来ている。全員、虫の息だ。判断を一つ間違えれば、犠牲者が出る事も覚悟しなければならない。時間が遅ければ、事故が起きる可能性も考慮しなければならない。
ならば、今しかない。
俺は言う事を効かない足を引き摺り、どうにか仲間から離れた。
「……おいおい、今更逃げようって言うのかい? それは、あんまりなんじゃないかな」
歩くよりも遅い移動しか出来ない今の俺に、クリスは慌てる事をしない。鼠を甚振る猫のように、狡猾な笑みを浮かべ、じっくりと俺を攻撃する機会を窺っている。
タイミングは、一度か。それとも、まだどうにかなるのか。クリス・セブンスターが『NPC化現象を解除するスイッチ』を、自身の懐に入れたのは目視で確認している。
「いっ……!?」
不意に、クリスが苦悶の表情を浮かべ、足下に視線を向けた。
「恭一に……手を、出さないで……」
クリスの左足首を掴み、胸を押さえた遥香姉さんが、どうにか抵抗を試みている。
「――――手を離せよ、女」
まずいな。……殺害が選択肢に入る状況の抵抗は、被害に直結する恐れがある。
俺は、その場に仰向けに横たわった。
「もういいだろ、クリス・セブンスター」
遥香姉さんに意識を向けていたクリスが、俺を見る。手入れのされていない部屋は戦闘の跡という事もあり、酷く汚れている。壊れた壁から降り注ぐ陽光――とは言っても、これは人工的に作られた光ではあったが――がクリスを照らしたその様子は、さながら悪魔のようにも見えた。
……いや、天使か。鮮やかに舞い踊り、銃撃を確実に命中させる腕。束になっても敵わないだけの体術。推察力。直感。
どれを取っても、地に這い蹲っている俺では敵いそうにない。
「ようやく、降参する気になってくれたかな」
俺は、笑みを浮かべた。
遥香姉さんの腕を蹴り、自由になったクリスが俺の所へと歩いて来る。出入口に近い場所であれば、これ以上仲間達が何をされる恐れもない。デッドロック・デバイスは既にクリスの手中にある。それなら、俺を連れて行けばこれ以上、仲間達に危害が加えられる事も無いだろう。
「さ。……行こう、話はそれからだ」
クリスは大の字になって寝そべっている俺を見下ろし、闇に引き摺り込むように、俺に手を差し伸べた。
「…………確かに」
「え?」
大したものだ。残念ながら、このメンバーでは単体のクリスにさえ、抗う事は出来ないらしい。簡単に事が済めば、どれだけ楽だったことか。だが、一筋縄では行かないようだ。
清々しい。これだけ打ちのめされると、それ以上に何も出て来ないものなのか。悔しさ、苦しさ――――そのような感情を、少しは覚えるかと思ったが。
「お前の言う通りかもしれないな。……人は、条件でしか動く事は出来ない。俺もずっと、そんな事を考えて生きていたような気がするよ」
俺は、半分以上麻痺した腕を持ち上げ。手を差し伸べたクリスに、笑みを向け。
「そうだよ。情なんて、本来は殺すべきものなんだ。だから、僕等と共に行こう」
「…………くっ。…………はは、はははははっ…………!!」
真っ直ぐに、その腕をクリスの手ではなく、真上の天井まで持ち上げ。
天を指差し、言った。
「――――――――いつまで騙されているつもりなんだ?」
瞬間。
天井が崩れ、頭上から瓦礫が崩れ落ちて来た。咄嗟に上を向いたクリスは、自身の身体の異変に気付く――――だが、もう遅い。
椎名の異変。それに、もっと早く気付いていれば。最も、先に気付いていたとしても、俺は椎名を泳がせていたかもしれないが――……椎名はどうにかして、先程までのやり取りで俺にメッセージを伝えるつもりだった。
撃たれる直前、椎名の視線が上を向いた。バトルスーツを着ていない現状に怯え、膝が笑っていた椎名。それを思えば、椎名の行動が奇妙な事には自然と意識が向く。
どうして、突然覚悟をし、クリスに声を掛けたのか。
そこには、何らかの理由があった筈ではないのか。
木戸くん、気付いて。
それが、椎名美々が発言しようとした言葉の正体だ。
ほつれた布は瞬く間に一本の糸へと変貌を遂げる。俺もまた、椎名の残したメッセージの意味から、『俺の作戦が間に合った』事を確信した。
間に合った。……間に合ったのだ。何の打ち合わせもしていなかったとしても、きっと、どうにかしてくれると思っていた。
「おらああああああぁぁぁぁぁっ――――――――!!」
――――城ヶ崎。
何が起きているのか、クリス・セブンスターが把握するよりも早く、城ヶ崎はクリスの肩を真上から踏み抜いた。初期に見た時よりは幾らか大きな鉄パイプを握り、重戦車のような体躯で細身の男に圧力を掛ける様は、まるで銅像が襲い掛かって来ているかのようだ。
床に亀裂が入る。構わず城ヶ崎は更に重みを増し、二階の床を突き破って一階までクリスと共に落下する。
近くに居た俺も、巻き込まれて落下していく。
地面に着地すると、城ヶ崎はクリスを組み伏せた。俺も近くに落下し、崩れた瓦礫が音を立て、周囲に空間を作る。
クリスが目にするのは黒いローブと、太陽のような仮面の姿だ。それを見て驚くクリスは、ようやく自分が犯した過ちに気付く。
「まっ…………まさか――――」
重力の能力によって、クリスの全身を拘束した状態のままで、黒いローブを脱ぎ、太陽の仮面を外す。
「もう一つあるぜ、人が動く為の条件ってやつが」
そこには、確固たる決意を持ち。何者の言葉にも揺らがない、強い男の瞳があった。笑みを向けるでもなく、どこか悲しそうな顔をして、城ヶ崎はクリスの手にしている二丁拳銃を奪う。
「愛だよ…………!!」
それを城ヶ崎は、適当に放り投げた。
椎名は壁の外、ここに向かって登って来る男を発見した。……それが、全ての始まりだった。だとすれば、最強のポジションに城ヶ崎が構えられるようになるまで、どうにかして時間を稼がなければならない。
つまり、『敵の真上、縦軸を陣取る』こと。
いつかは来ると思っていた。だが、部屋の中央に居る俺には、城ヶ崎がここに来ている事が分からない。仕掛けていたとしても、判別をする事が出来ないのだ――――だから、椎名は動いた。
バトルスーツも着ていない、生身の身体で。ほんの一瞬でも椎名を疑った自分に、後悔を覚えるほどに。
「…………城ヶ崎仙次郎、か。これは、まいったな。最初から、仕掛けていたのか」
クリスは苦笑して、俺にそう言った。幾ら身軽で戦闘に定評のある男と云えど、武器を奪われて身動きが封じられてしまえば唯の人間でしかない。
ちょうど、気付いている所だろう。猫の視点から、俺がどのようにして城ヶ崎が動くきっかけを与えたのか、その根拠を。
「気付いていなかったみたいで、助かったよ。これまで読まれていたら、終わりだったかもしれない」
そもそも、仮装パーティーでとびきり高額の賞金首にされ、仮装が暴かれた城ヶ崎の行く場所など、一つしか考えられなかった。だがホテルに戻って部屋に入った時、そこに城ヶ崎の姿は無かった。
普通に考えれば、仲間でさえも信頼出来るとは限らない以上、何か別の場所に逃げ込んだと思う所だろう。だから俺も城ヶ崎の事について追求しなかったし、敢えて猫に城ヶ崎の影を一度も見せない事で、『今回の作戦から城ヶ崎仙次郎は外れている』と思わせる事に成功していた。
『じゃあ、どうして城ヶ崎くんは……逃げたの?』
気付いたのは、ホテルの一室で椎名に真実を追求された時。
やけに音が真下に響くものだと思った。防音設備が雑ならばそんなものかとも思ったかもしれないが、少なくとも部屋の中で会議を不自由なく行う事が出来る程度には、設備はしっかりとしていた。
それなのに、真下に向かって響いた音。外から聞こえ、別の部屋から流れてきた訳ではなかった。……ならば、考えるべき事は一つしか無い。
もしかしたら真下に空洞があって、城ヶ崎はそこに隠れているのではないか。当てもなく街を彷徨うよりは、遥かに有効な手段だ。
「……恭一、ゲームを終わらせる方法は?」
「スイッチを隠している。探してみてくれ」
それがあったからこそ、俺は『衣装をホテルの一室に置いて来る』という、一つの賭けに出たのだ。
城ヶ崎の顔は、手配書によって割れている。しかし、衣装は役に立たない……あの時の城ヶ崎がどのような格好をしていたのか、少し頭の切れる者なら誰でも覚えているだろうし、格好の標的になるだけだ。
ならば、俺の衣装を着せてしまえば、城ヶ崎は自由に動ける、という事でもある。連中にそれを判別する手段はない。
「これだな」
城ヶ崎はクリスの懐からスイッチを抜き取ると、直ぐにそれを押下した。瞬間、目に見える電波――……波紋のようなものが辺りに広がり、浸透していく。
俺は服を捲り、左肩に刻まれたNPCのマークを確認した。一瞬、強く光り…………やがてそれは、霞か幻であったかのように、消えて行った。朝から表示されていた時間制限も表示がクリアされ、同じように消えて行く。
プレイヤーウォッチが蘇る。俺は直ぐにアイテム欄から『リザードテイル』を取り出し、自分自身に使用した。足の傷は癒やされ、再び俺は自由に動けるようになった。
だが――――疲労は別だ。
意気消沈して俺は再び、その場に転がった。
「恭一、こいつどうする?」
「こいつじゃないよ。失礼な奴だな」
クリスが抗議するも、城ヶ崎は聞く態度を示さない。俺は懐から手錠を取り出し、城ヶ崎に向かって投げた。
「拘束しといてくれるか。……ミスター・パペットについて、聞き出す事が出来るかもしれない」
「おうよっ! ……って、バトルスーツ脱がせないといけないのか。なんか嫌だな……」
そう言いながらも、城ヶ崎はクリス・セブンスターに手錠を掛けると、クリスのバトルスーツを剥がしていく。どんなに優れた運動能力の持ち主であっても、この終末東京の世界ではスーツを剥がしてしまえば無力化することが出来る。
事が済み、城ヶ崎は唯の人間となったクリスの腕を掴み、立ち上がらせた。大聖堂一階には人が居ない。静寂に満ちているが――……俺は復活したプレイヤーウォッチを確認した。
「城ヶ崎、そいつを連れて二階に上がろう。誰かが上がって来るかもしれない」
「そうだな。……おい、歩け。傷は大したことねえだろ」
城ヶ崎の厳しい態度に、クリスは苦笑した。
「……やれやれ。君が偉そうな口を聞くとはね」
挑発。だが、城ヶ崎は逆上する事もなく、唯、俺に付いて来る。
「うるせえよ。……黙って歩け」
俺も、城ヶ崎に何を言う事も無かった。
落ちて来た穴を使って二階に行く気にはなれない――……俺は一度廊下まで出ると、階段を使って再び二階を目指した。階段を上がる途中、破壊された壁から外の様子を眺める。ゲームの終了した『ヒカリエ』は閑散としていて、プレイヤーの姿も、NPCの姿も確認する事は出来なかった。
前者は唐突にゲームが終了した事に驚き、ログアウトしただろう。後者は――……場合によっては、悲しい結果になったのかもしれない。
そうして、俺は戦場跡に戻って来た。
「…………よし」
椎名。……明智。……遥香姉さん。姿は見えない。死体がそこに無いと云う事は、ログアウトされ、それぞれの居場所に帰ったと云う事だ。
俺は一人倒れている、ララの下に駆け寄った。
「ララちゃん…………!!」
城ヶ崎が悲痛な顔をして、俺に付いて来る。
街から街へと移動するに当たり、持てるだけの『リザードテイル』は確保するようにしていた。俺はアイテムを具現化させると、ララの身体にそれを投与する。
……間に合うのだろうか。再生する余裕も無いなら、こんなモノを使った所で傷は回復しない。それだけの致命傷に成り得る傷を、ララは既に負っている。
顔を起こすと、ララは虚ろな瞳で俺を見ていた。
「…………恭一、さん」
「動くな。傷に響く」
NPCは。現実世界での生命を持たない彼等彼女等は、基本的に一度、この世界で死んでしまえば、それまでだ。生き返らせる手段は存在せず、それきり、無限にも思えるデータ空間の中に散らばる数多の粒子のひとつとなる。
俺はこの作戦において、ララ・ローズグリーンを前線に配置することを止めた。俺達はララ・ローズグリーンをはじめとする、NPCの命を、現実世界と同様――――重いものとして、扱いたかったからだ。
自我があって、人生がある。……何も、変わらない。モラルを持って接するべき存在だ。
「ララ。…………すまない」
俺に、どうにかする術はあっただろうか。
城ヶ崎は、どうにか俺達に間に合わせてくれた。作戦上も、ララが登場するのは最後の最後。リスクは最大限、減らしたつもりだった――……だが、それでも、予定外など、世の中に幾らでも起こる。
クリス・セブンスターが、俺の想定よりも強かったというだけ。たったそれだけで、これ程に危険な事になる事もある。
だが、ララをひた隠しにしていれば、明智大悟一枚では、本当の意味での予想外を発生させる事は出来なかった。……結局の所、ララを隠したが為に俺達は全滅し、同じ結果を生んだかもしれない。
最善だ。考えられる限りの、手を打った。
「…………恭一さんの、せいでは、ないです」
ララは震える手で、俺の頬に触れる。
城ヶ崎は静止したまま、事の成り行きを見守っていた。クリス・セブンスターは……薄笑いを浮かべたまま、言葉も発さずにいる。
「ありが、と…………」
そうして。
ララは、目を閉じた。
『ガーデンプレイス』を出てからの、ほんの短い期間。去るテトラ・エンゼルゴールドと、ミリイ・ロックハインガムと、大差の無い終わり方で。
俺は『ヒカリエ』に到着して、ララに言った言葉を思い返していた。
『ミリイ・ロックハインガムが、『NPCでも現実世界に行ける』って話してたよな』
『そうみたいですね。私は勿論、何も知らないですが……』
『この旅を通してだけどさ。ミリイさんが言っていた『デッドロック・デバイス』の元々の持ち主って奴が、あの人を現実世界に連れて行ったみたいじゃないか』
ララの手を握り締める両手に、力が篭もる。
『会えると良いな。……それを、ララが明日を生きるための目標にするってのも、悪く無いんじゃないかと思ったんだ』
涙は流れない。……泣く事で自分を許す行為を、俺は忘れてしまったから。
もう動かないララ・ローズグリーンの瞼を降ろし、俺は静かに立ち上がった。
「言っておくけど、他人に情なんか抱いているうちは、本当の意味で生きて行く事は出来ないよ。君たちの国は平和だろうけど、いつ僕達と同じになるか、分からないんだから」
クリス・セブンスターは、今までに出会った事の無いタイプだ。このような状況でも、今ここに自ら手を掛けた人間が命を落としたとしても、至って冷静なままでいる。
だが、それは俺にとっては好都合だ。
「そうだな。……確かに、お前の言う通りかもしれない。だが、お前自身もそのままでは、ログアウト出来ないんじゃないか?」
クリスはプレイヤーウォッチをしていない。仮面の内側が晒される可能性を鑑みれば、何処かに隠しておくのは当たり前だ。全てのプレイヤーがNPCと化した状況下で自分だけプレイヤーだという事が分かれば、袋叩きに遭ってもおかしくはない。
微笑を浮かべ、クリスは答えた。
「……まあ確かに、ここでこうしていても仕方ないよね。どうせこの世界で僕を殺す事は出来ない訳だし、まあ負けたのは癪に障るけど、認めない事は無いよ」
「そうか。じゃあ、さっさとミスター・パペットについて洗いざらい話して貰おうか」
命を賭けて繋いだ、ミスター・パペットへの道標だ。『ログアウトさせず、行動力を奪う』ことに、俺がどれだけの神経を注いで来たか。
どの道、こいつの報酬については、既に作戦失敗で支払われない。なら、早くログアウトする道を選ぶはずだ。
「まず、お前は何者だ。ミスター・パペットと、どういったルートで繋がった」
「まあ、それは残念なことに、個人的に依頼のメールが来ただけなんだよね。差出人もよく分からないし、アドレスも固有のものだったよ。よく覚えてる、確か――――…………」
その時、何処からか小さな銃声がした。
あまりに唐突な事で、俺も城ヶ崎も、身動きを取る事が出来なかった。警戒もしていなかった――――笑みを浮かべたままで、クリスは口から血を吐いた。
外は静寂に満ちていて、小さな虫の羽音さえ、聞こえそうなものだった。足音には警戒していた。大聖堂の壁が破壊されているとは言え、この位置、この場所では、他の建物からクリスを撃ち抜く事は出来ない。
不可能な、筈だ。大聖堂の階段を上がる以外に此処へ来る術はなく、その音を俺が見逃す筈もない。
「…………まいったね。どうやら、用無しは死ね、って事らしいよ」
事情が公開される前にログアウトさせよう、と云う事だろうが――……一体、何処から。辺りを見回したが、それらしい人影はない。事情が全く、飲み込めなかった。
作戦。手段。結果。その全てに、納得が出来なかった。
「お、おい……恭一!!」
「分かってる……!!」
何処だ――――何処を探せば、正解に辿り着く事ができる。復活した機動力を限界まで利用し、出入口まで走った。……違う。そもそも、この位置ではクリスを背中から撃ち抜く事は出来ない。
「残念だったね…………まあ、現実世界に戻ってから先は、お金の相談かな。木戸恭一くん」
俺は、血を吐いたままで俺に微笑みを浮かべている、クリス・セブンスターを確認して。
クリスの全身から光が発される瞬間を、確認した――――…………
「なっ…………!?」
そうして。
確かに、光は発された――――クリス・セブンスターではなく、ララ・ローズグリーンの死体から。
白銀色と翡翠色に光る粒子は、ララ・ローズグリーンを取り囲み、その身体を分解していく。驚愕に目を見開いたクリス・セブンスターは、全身を痙攣させ、咄嗟に胸を押さえていた。
「えっ……!?」
クリスを押さえていた城ヶ崎が、異変に気付いた。慌てて、クリスの服を破り、左肩を露出させる。
「馬鹿な…………!! そんな機会は、与えなかった…………!! 与えなかったのに…………!!」
俺は、見た。
歯を剥き出しにして、狂ったように叫ぶクリス・セブンスターの左肩に、確かに、『ヒカリエ』でのゲームを始めた時と同じように、『NPC』の文字が刻まれていた。
城ヶ崎がクリスから手を離し、蒼白になったまま、数歩、下がった。ララの身体は分解され、そう――――まるで『ログアウト』されたかのように、その場所から消えて行く。
それとは正反対に、何の反応も起きる事無く、ただ生命を終えようとしているクリス・セブンスターを残して。
「城ヶ崎!! 『リザードテイル』だ!!」
「あっ……!! わ、悪い!!」
言いながらも、俺はクリスに向かって走った。……生身の身体を銃弾が貫通している。間に合わないかもしれない。
クリスの驚き方を見ると、とても作戦だとは思えない。
叫び声はやがて悲壮と絶望の入り混じった掠れ声となり、そしてそれも――――消える。
駆け寄り、クリスの状態を確認した。
「…………駄目だ」
既に、息を引き取っていた。
「恭一……すまん、俺……」
「いや…………」
咄嗟の事だ。思い付かなくても無理はない。……俺は立ち上がり、クリスを上から見下ろした。
問題は、この現象が、少なくとも二つの信じられない『手品』によって、発生したと云う事だ。
…………考えろ。思考を休めるな。自分にそう言い聞かせ、疲労した頭と肉体に鞭を打ち、どうにか状況を推測しようとした。
第一に。クリスは、俺達と戦った時から『プレイヤー』だった。この、戦闘に関して誰よりもプロフェッショナルな男が、戦う前に自分自身の状況を確認しなかったとは思えない。
つまり、クリスは俺達と戦っている最中に、何らかの驚異的な方法で、『プレイヤー』から『NPC』にその存在を書き換えられた、と云う事だ。
そして第二に、クリスを撃ち抜く方法。背中から撃ち抜く為には大聖堂の階段を上がるか、姿も見えない状態で、壁を貫通して射抜かなければならない――……俺はバトルスーツを着ている。聴力に劣りがあるとは思えない。
…………そうだ。起こる筈がない。
こんな、ことは。
「何故だ……。一体、どうして……」
まるで、手品のようだ。こんな事を俺に仕掛けるのは――――…………
否が応でも、脳裏に見知った男の顔が思い浮かぶ。
そんな筈は無いんだ。怜士兄さんは、とうの昔にその存在を消したのだから。
…………いや、待て。
本当に、大聖堂の階段を上がって来たのではなく、壁を貫通して狙ったのだとしたら。
「恭一!?」
城ヶ崎に返事もせず、俺は今度は、クリスの背中を狙う事が出来る、壁の位置まで走った。
そうだ。……それしかない。『ヒカリエ』は敷地の中央にコア・カンパニーと大聖堂を構える作りだ。三百六十度、辺りには大聖堂を見る事の出来る建物――そう、丁度俺とララが登った廃ビルのように――があり、壁を抜く方法さえあれば、直線上に捉える事が出来る。
聞こえた銃声も、小さかった。僅かなものだった。
大聖堂の壁を確認した。
そこには小指ほどの、小さな穴が空いている――――…………
俺は力強く、大聖堂の壁を殴った。
「おい、どうしたってんだよ!! 恭一!!」
城ヶ崎が駆け寄って来る。
壁が崩れ、視界が広くなっていく。辺りに人は居ない。小さな穴のあった場所から、直線上の距離。直ぐに、俺は視線を向ける。
城ヶ崎が到着し、俺の見ている方角に目を向ける。
そうして。
城ヶ崎が、目を見開いた。
「えっ…………」
一瞬の事だった。直ぐに、その少女は建物の陰に隠れ、姿を隠してしまった。
遠目にも、確かに見えた。流れるような金色の髪に、いつか『ガーデンプレイス』で見た、スナイパーライフルを構えた少女の姿。
そして…………白衣の、少女の姿が。
「え……? あれ……?」
城ヶ崎が、明らかに焦りの色を見せていた。
俺は。
「ざけんなっ……………………!!」
大聖堂から近場の建物へと飛び移り、文字通り真っ直ぐに、その建物を目指した。湧き上がる、得体の知れない怒り。意味もなく殴り掛かりたくなる衝動を堪え、瞳孔を開く。
何故。どうして。……そんな言葉ばかりが、どうしようもなく、俺の頭の中で踊り狂う。
何が起こったんだ。……今、何が起こっていると言うんだ。まるで、解明不能なマジックをモニター越しに見せられているかのようだ。
もがけばもがく程、真実から遠ざかって行く。追い掛ければ追い掛ける程霞んで消えてしまい、輪郭を捉える事すら出来なくなってしまう。
民家の屋根から、廃ビルの屋上へ。
一気に、跳んだ。
「おおおおおおおっ…………!!」
リズ。
…………リズ。
『私のお父さん、『転移型オンラインゲーム』の開発者だったんだ』
もう此処まで来たら、信じるしかないのか。エリザベス・サングスターが、ミスター・パペットと関係していると。
信じたくは無かった。それを肯定してしまったら、俺が初めてリズと出会ったその時から、全ては仕組まれていたのだ、という結論に達してしまうからだ。
それをどうしても、俺は肯定出来なかった。
『下らないとか、つまらないとか、『本物』に生きている人は言うんだと思う。……でも、私にとっては、この世界が『本物』だから。ここが、私の生きる世界だから』
あの時俺に話してくれた事は、全て嘘だったのか。俺は――――この旅を続ける事で、若しかしたら何処かで、リズが本当に現実世界へと帰る事の出来るきっかけが掴めれば、なんて。
そんな事を考えていたと云うのに。
ログアウト出来ない人間が、ミスター・パペットと通じていてもメリットが無い。
…………無い、筈だ。俺は唯、彼女が。
ビルの屋上に、到着した。
「リズッ…………!!」
直ぐに、辺りを探す。腕を引いて、連れて帰る。
仮に通じていたとするなら、どうしてもそうしなければならない、何らかの理由がある筈だと。
そんな想いを、胸に抱きながら。
「うわぁっ…………!?」
俺は、建物の陰に隠れた出入口から――……出て来た男の首を咄嗟に掴み、地面に組み伏せた。
気が昂ぶっている。張り詰めた弦が限界の状態でなお、切れてしまいそうな程に圧力を掛けられ、苦しさを覚えていた。
「ゲームはもう、終わった筈だろう!? 私は調査に来ているんだ、頼むから攻撃しないでくれ!!」
くすんだ茶色の短髪。青い瞳はリズと同じだったが、どう考えても別の人物だ。両手を挙げ、俺に降参の意思を示していた。
目を、丸くしてしまった。
「…………あんたは?」
焦っているようだが、冷静ではいるようだった。不思議な雰囲気のある男で、まるで何時でも逃げ出す事が出来ると言われているかのようだったが。
「私は、トーマス・リチャード。このゲームに関わっている……いや、関わっていた者だよ。……君は?」
俺が『ヒカリエ』でのゲームを抜けて、この場所に尚残っていると云う事を、把握されての自己紹介だという事は。
直ぐに、察しが付いた。




