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終末東京で、俺は戦器を握らない  作者: くらげマシンガン
第三章 『ヒカリエ』編
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第三十一話 小心者によろしく

 木戸怜士と云う人物は、最強のゲーマーにして、最高のエンジニアでもあった。


 何か、俺の知らない所で新しいゲームを開発しているのだと云う事は、長い共同生活の中で、ある程度理解している事ではあった。だが、それが終末東京の世界に関係しているのかどうかと云えば、ゲーム制作の現場も完成したそれも見ていない俺にとって、完全に不明瞭で解答を見出せない領域ではあった。


 それがまさか、こんな形で再会する事になるなんて。


「それじゃあ、行って来ます」


 木戸怜士はそう言って、俺のよく知っているマンションの部屋から姿を消す。


 確かこの日は、兄さんが出て直ぐに、俺も家を出た。まだ三人で暮らすようになって日が浅かったし、本来一人暮らしをする予定だった俺は慣れていなかった。


 まだ、投資を始める前の自分。金欠だった俺は、他に頼りになる親戚も居なかった為に行き場が無く、仕方無くそこに暮らしていた。


「ふー、洗い物終わりー。恭一は、今日はどうするの?」


 エプロンを解いた遥香姉さんが、髪留めを外し、家を出る支度をする。俺は振り返り、遥香姉さんに言った。


「普通に、学校行って……今日も、遅くなるから」


 そう言うと、遥香姉さんは腰に手を当てて、俺に怒る。


「もー、また夜遊び? 晩御飯が毎日外食じゃ、いつまで経ってもお金貯まらないよ?」


「……良いんだよ、俺は。どうにかするから」


「栄養だってね、偏るんだよ? 私のご飯、そんなに美味しくない?」


 遥香姉さんが近付いて、俺の肩に触れる。――――柔らかそうな唇。家仕事をして、僅かに上気した頬。細い腰と、包み込むようなソプラノの声。


 その瞬間、俺の心拍数が格段に跳ね上がる。身体が緊張して、碌に声も出せなくなる。その現象が発生する理由を、俺は常に考えないようにしていた。


 本当は気付いているにも、関わらず。


「……まずいとかじゃないから。気にしなくて、いいから」


 俺の意思とは裏腹に、自動的に身体は動く。あの時の記憶の通りに、遥香姉さんの腕を払い除ける。


 俺は、その光景を見守るだけの、さながら『傍観者』だ。


 そのまま鞄を背負い、家を出て行った。遥香姉さんが追い掛けて来られないように、半ば全力で走りながら。


 息が切れ、唐突な運動に胃酸が込み上げてくる。同時に、締め付けられていた胸が、徐々に悲鳴を上げ始める。


 分かっていた。自分の望みは叶わない事も、今置かれている現状がどうにもならない事も、自分はこの場所で唯一、邪魔な存在だった事も。


 遥香姉さんは、怜士兄さんの古くからの知り合いだった。


 別に、人のモノだったから欲しくなった訳ではない。


 良くも悪くも、俺と怜士兄さんは似ていた。ゲームが好きな所を初め、様々な趣味嗜好、肝心な時の決断、ベクトル、その他様々な部分について。


 まるで双子のようだった。好みのものを共有し、二人で同じ世界に挑んで行った。


 唯一つ、『全てにおいて兄さんの方が優秀』だったと云う事を、除いては。


 何もかも、怜士兄さんには敵わなかった。唯の一度として、ゲームでも、人生でも。両親が幼い頃に他界した俺にとって、怜士兄さんはかけがえの無い兄であり、父親であり、最後の障害でもあった。


 俺はずっと、追い掛けていた。


 ――――遠い。余りにも遠い、その後姿を。


「そうだ。そうしてお前は、失った」


 瞬間、世界は暗転し、暗闇に染まった。


 一体、これは何だ……? 今までに終末東京と云うゲームで経験して来た事の、どれとも合わない。何が起こっているのか、推測も出来ない。


 気が付けば俺は、見知らぬ空間に立ち尽くしている。まるでゲームの電源が落ちた時、ログアウトされずに残った時のように。


 …………サーバトラブルだろうか?


「お前は全てを捨てて、単身で逃げた。お前に期待していた全ての人物を裏切った。お前が将来的に返さなければならなかった数多の借りを無視し、無かった事にした」


 いや。……たかがサーバトラブルで、このような、俺に対する精神攻撃のような何かが、起こる筈がない。騒ぎには首謀者が居る。……俺は一体今まで、何処で何をしていた?


『この日』に戻るまでの記憶が曖昧だ。まるで、意図して操作されているかのような。夢を見ているかのような――――俺は一体、『この日』に戻る直前に何をしていた?


 俺を煽るような、この声。俺の過去を知っている存在でなければ、こんな事は――――…………


 ミスター・パペット。神の操り人形。


 お前は一体、何なんだ。


 右ポケットに入れていた、俺の携帯電話が鳴る。俺は暗闇の中、それを手に取った。


 …………随分と、旧式のものだ。俺がこれを持っていた時期は、まだ怜士兄さんと暮らしていた頃の事だ。


 そうか。


 まだ、見せ続けるのか。


 怜士兄さんから、メールが届いている。中身を見なくても分かる。昼間に、二人で会えないかと言うものだ。俺はそのメールに返信すること無く、ただ黙って怜士兄さんの指定した待ち合わせ場所へと向かう。


 そうして、昼休みで仕事を抜け出して来た怜士兄さんと、出会って話す。


 遥香姉さんが居ない場など、片手で足りる数しか経験していなかった。だが、その日の怜士兄さんは、仕事中に抜けて俺と会おうとする程、俺に確認しなければならない事があった。……そのように、今では思う。


 怜士兄さんは、俺の事を気にしていた。俺はそれに気付く事無く、自分の事ばかりを気に掛けていた。


 そして――――…………


「恭一、お前さ。……遥香の事、好きなのか?」


 店に入る訳でもなく、ビルの屋上に、わざわざ昼食を購入して出て行った。怜士兄さんは誰も居ないビルの屋上がある事を、初めから知っていたように思えた。


 そうして、俺の下にそのような質問は舞い込んで来た。


「…………どうして、そんな事、聞くんだよ?」


 例え知っていたとしても、口に出して欲しく無かった。見て見ぬ振りをして欲しかった。それは、俺が俺自身の遥香姉さんへの気持ちに対して、罪悪感を持っていたからだ。


 重罪人が自らの罪を隠したがるような。恰もそれを口に出してしまう事で、身の回りの全てが破滅へと向かって行くような、そんな気がしていた。


 そして、それは実際の所、そうだったのかもしれない。


 結局の所、俺は、怜士兄さんと遥香姉さんの間で、『子供』のような存在で居たかったのかもしれない。それが、悪く言ってしまえば間に挟まれて邪魔者扱いされても不思議ではなかった俺という存在に対する、居場所を肯定するためのレッテルのようなモノだったのかもしれない。


 そうでもしなければ、俺は俺自身を支える事も、自分に自信を持つ事も出来なかった。


 何故なら俺は、明らかに『邪魔者』以外の何者でも無かったから。


「兄弟だろ。……お前の考えている事は、なんとなく、分かるよ」


 そう言って苦笑する兄さんに、憎しみすら覚える。


 どうして、放っておいてくれないのか。


 どうして、俺の事を気に掛けるのか。


 どうしたって、その内に、俺が成長して一人で生きられるようになった段階で、怜士兄さんの下を離れる時が来るのに。


 だが、そうではなかった。


 怜士兄さんは、俺の居場所が無いことを気に掛けていた。


 当時の俺は気付かなかったけれど、兄さんは本気で俺の事を心配していた。


 その筈だった。


 そうでなければ、あのような質問は俺の所に飛んでは来なかった。


 怜士兄さんは、俺の心の底にあるわだかまりを、どうにかして取り払いたかった。


「……もうすぐ、学校を卒業する。仕事をして部屋を借りることも、一人暮らしをすることも出来るようになる。……そうしたら、俺はこの家を出るよ」


 怜士兄さんは、あの時確かに、俺に対して手を差し伸べていた。


「……たった二人の兄弟じゃないか。出来る事なら、俺はお前と生きて行きたいと思っているんだ」


 俺が『たった一人』にならないようにと、気を掛けていた。


 学校で友達も出来なかった。見下しているようで腹が立つと、陰口を言われていた事もあった。


 人と話をするのが苦手なのだ。怜士兄さんとしか話をして来なかった俺は、同世代の人間とどうやって話したら良いのか分からなかった。


「もう暫くでいい。……お前に大切な人が出来る時まで、ここに居ないか」


 不安定な俺を、怜士兄さんは支えようとしていた。


 俺はその言葉を、まるで俺への呪いであるかのような受け取り方をして、醜く歪んだ笑顔で、嘲笑した。


「――――――――ええ?」


 泣きそうに、なりながら。


 この上でまだ、遥香姉さんとの事を俺に、見せ付けるのかと。


「俺はあんたが居る限り、自由になれない…………!!」


 馬鹿にされたのだと思った。怜士兄さんの言葉を、当時の俺は、『勝者の余裕』であるかのように受け止めていた。


 そうだ。いつだって怜士兄さんは、どのような面においても勝者だった。……いや、それは俺が、勝手に勝負と認識していただけだ。そんな事が、今になって理解出来ない程幼くはない。


「先に産まれたってのは、良いよな。世の中のこと、何年か早く知ることが出来るんだから。物事を極める時間も、後から産まれた奴より多いんだから」


 怜士兄さんは黙って、俺の言葉を聞いていた。


「そもそも兄さん、俺の気持ちに、結婚する前から気付いてたんだろ? ……だったら、俺が一人で出て行くまで、結婚するのは待ってくれても良かったんじゃないか。どうせ行き場がなくて、三人で暮らすことになるの、あんたなら把握してたんだろ?」


 初めて、兄さんが、俺に対して申し訳無さそうな顔をした。


 いつも自信と気品を持っていて、誰よりも未来を見通していて、物事に誠実で、熱心だった。俺に対して負い目を感じる事など、絶対に有り得ない出来事だった。


「結婚して、俺の居場所が無くなって、それから『一緒に暮らしていこう』だって? ふざけるなよ…………!!」


 ただ、怜士兄さんが羨ましくて、自分との差が有り過ぎて、それは殊更に怜士兄さんと俺との距離を感じさせる結果となっていて。


 それだけが、悔しくて。


「遥香の事は、謝る。…………持って行ってしまう気がしたんだ。いつか俺よりも色々な事を理解した時に、お前が、俺の周りから全てのものを奪って、どこかに行ってしまうんじゃないかって。俺は、お前と遥香と、三人で居たかったから…………」


 俺達は、まるで双子のようだった。


「詭弁だな」


「…………ああ、そうかも、しれない。本当は、お前が遥香の心を動かす所を、見たくなかったのかもしれない」


「勝者の余裕ってやつか」


 木戸怜士は、確かに優秀ではあった。俺はそれを、まるで神であり、絶対的に越えることは出来ない存在のように感じていた。


 だが、今になって思う。


 木戸怜士は、確かに『人間』だった。


「俺は、俺の道を行く。あんたから離れる事で、初めて俺は『木戸恭一』になれるんだ。金魚のフンみたいに『木戸怜士』に付いて行く事しか出来なかった俺が、初めて…………」


「恭一。……俺が、嫌いか……?」


 どうしてこんなものを、当時の『木戸恭一』の視点で、俺に見せるのか。叫び出しそうなくらいに衝動は胸の奥を渦巻いたが、呼び掛ける事は叶わなかった。


 これは、当時の記憶だ。俺の行動を変えられる訳がない。


 過去は変えられない。『タイムマシン』は、存在しない。自分が一度決めた決断は、二度と元には戻らない。


 だけど。


「…………遥香姉さんの事に限って言うなら、俺は怜士兄さんが嫌いだよ」


 違う。


 そうじゃない。


 出て行かなければいけないのは、俺の方だった。


 遥香姉さんと出会ったのは、俺じゃない。木戸怜士の方だった。俺が後付で好意を持っただけだった。だから、身を引かなければならないのは俺の方だった。


 遥香姉さんだって、俺に恋愛感情があったようには見えなかった。


 俺は怜士兄さんの事が好きだった。信頼していた。兄さんに依存し過ぎていたからこそ、こうして怜士兄さんと同じものを好きになり、対立もした。


 光と影。そのような後ろめたさや苦痛を背負ってでも、怜士兄さんと同じにしたかった。


 それは、怜士兄さんが居なくなってから、初めて気付いた事だった――――…………


「一人に、なりたかったんだろう? ……どうして今更、『仲間』なんてものを求めているんだ?」


 再び暗闇に戻り、誰かが言った。


 あの日俺は、現実世界で『憎悪』という戦器を握り、木戸怜士を攻撃していたのかもしれない。


 思い出しただけでも、鳥肌が立つ。何故なら木戸怜士はその会話の後、仕事上のトラブルで行方不明者となるからだ。


 影は、唐突に、しかし鈍足に、俺へと近付いて来る。


 ひたひたと、足跡を付けながら。暗闇の中を誰にも気付かれないように、姿を隠して背中から忍び寄る。何時もそれには気付かずに、俺は影に身を委ねてしまう。


「お前が、殺したんだ」


 いや。怜士兄さんは、『ゲームに殺された』のだ。


 今だから分かる。証拠が無い当時は事件としても取り上げようが無く、行方不明として片付けるしか無かった。当時のプロジェクトは解散していてもう会社そのものが存在しないし、代表取締役の行方もはっきりとしない。


 暗闇の中、誰かが俺に声を掛ける。


 それは、『影』だろうか。


「悔しかったんだろう? 憎くて憎くて堪らなかったんだろう? ……お前が欲しがっていたものは、あいつが居なくなった事で、全て手に入る事になった。……それなのに、お前はそれを拒否したじゃないか」


 違う。


 俺は、確かに怜士兄さんの事を厄介者扱いしていた。あいつさえ居なければと、何度も思ったかもしれない……だが、それは表面的なものだ。本当の、本当に真実の所では、怜士兄さんに居なくなって欲しいなどと、思っていた筈がない。


「いや、お前は思っていた。だから、木戸怜士は行方不明者となった――――いや、死んだ」


 初めて、俺は俺の意思で、身体から声を張り上げた。


「違う!!」


 膝を抱えて叫んだ瞬間、俺は最もシンプルで、辿り着くべき解答を見出した。


 ――――――――そうか。


 これが、今回の『ミスター・パペット』とやらの作戦なのか。


 精神攻撃を使って来る事など、初めから計算に入れていた。まさか、当時の記憶を呼び起こす類の攻撃も可能だったとは思わなかったが。


 遠く。後悔した時間は何度でも蘇り、俺の心に傷を付けていく。無意識に、しかし幾度と無く呼び起こされる記憶に胸が苦しくなっても、それを癒やす薬は何処にもない。


 だが、記憶を消したいとは思わない。この行動を取って来たのが、昔の俺だ。


 それは紛れも無く、確かに俺なのだ。


「…………木戸怜士は、死んだ」


 ゆらりと、立ち上がった。


 そうだ。木戸怜士は死んだ。もう二度と、戻って来る事はない。そうでなければあの日、俺が怜士兄さんに言った事も、その後に起こした騒動も、全てはまやかしになってしまう。


 人の足跡は、消えない。過去を悔いる事は誰にだって出来る。だが、それで足を止めようとは思わない。


 そう思える程に、俺は回復したのだと信じたい。


「ミスター・パペット!! お前が木戸怜士の関係者だというメッセージは、確かに受け取った!!」


 長い時の中で、苦しみを背負って来たのだ。


 誰に相談する事もなく、たった一人で生きて、社会から隔離されて生きて来たのだ。


「だが、俺はお前の誘いには乗らない!!」


 消えてしまう程に儚い過去ならば、そんなものは、いらない。


 例えそれが、痛みを伴うものであったとしても。




「――――――――やれ!! ――――――――椎名!!」




 瞬間、爆風があった。


 俺の真横を通り過ぎた紅蓮の炎は、衝撃となって大聖堂の壁を破壊し、貫通し、大聖堂そのものに風穴を開ける。俺の目の前で渦巻いていた暗闇は晴れ、俺は初めて双眸に光を灯らせる。


 入って来た時の光景と、全く違う。大聖堂の二階は一階とはまるで違う簡素な作りで、灰色の石畳に囲まれた室内は、まるで牢屋のようにも見えた。


 俺はララに説明をした時、犯人は『幻覚』を扱う類のプレイヤーだろうと、当たりを付けていた。


 若しも大聖堂の中に入らなければ、その『幻覚』を伴うスキルが使えないのだとすれば。その能力は、気体をトリガーとして発動するモノだろうと予測が付いた。ある一定の濃度になると効果を発揮する、言わば毒ガスにも近い攻撃方法。


 ならば、若しも俺がトラップに引っ掛かったとしても、外側から『密室』を破壊する手段があれば良いと思っていたのだ。


「なっ…………!? 椎名美々…………!? どうして…………!!」


 そして、ミスター・パペットの仮面の向こうから聞こえて来る声もまた、木戸怜士のそれとは違う。


 遥香姉さんが、隣に倒れていた。……その、涙の筋を確認した。


 十中八九、人の記憶に働き掛けるスキルだ。だとするならば、遥香姉さんには別の記憶が見せられていたのかもしれない。


「裏切ったんじゃ、なかったのか……!?」


 そう考えている間にも、俺は走り出していた。


 お前は。お前だけは、許さない。


 まだ、誰もが動きを停止している時間。予想外に身体が止まる一瞬こそ、最も相手が油断して、緊張を解いてしまう瞬間でもある。


 バトルスーツを着込んでいた俺の瞬発力は、おいそれと反応出来るようなものではない。『自遊人』という職業を背負っていても尚、俺はこの世界である程度、自分自身を鍛えて来ていた。


 リズや城ヶ崎を始めとする、仲間と共に。


「言わば、この大聖堂はお前にとっての『鳥籠』のようなものか…………!!」


 ミスター・パペットの目前まで迫り、右腕を振るった。そうして仮面ごと、ミスター・パペットを殴り付ける。


 重たい感触があったが、クリーチャーを殴るに比べれは遥かに軽いものだと感じた。人間の身体は軽く、いとも容易く大聖堂の内壁に向かって一直線に飛んで行く。


 そのまま、ミスター・パペットは壁に激突した。


 仮面が外れる。


「木戸くん!! ……大丈夫!?」


 良かった。広場の人間は、全員片付ける事が出来たのか。……それなら、今回俺が立てた作戦のうち、既に半分は通過したようなものだ。


 多勢に無勢。椎名達の実力を、人数も力量もブラックボックスなあの場所に置いて来た事こそが、俺の最大の『賭け』だった。


 俺は椎名に、静かな笑みを返した。


「…………恭一?」


 遥香姉さんが、目を覚ました。俺は直ぐに姉さんに駆け寄り、抱きかかえて身体を起こす。


 余程、辛い過去を見ていたのだろう。遥香姉さんは随分と憔悴していて、放って置いても倒れてしまいそうな儚さを伴っていた。


 随分と、質の悪い事をする。そう思ったが、思えばこの『ヒカリエ』でゲームが始まった瞬間から、今回はとびきりに質の悪いゲームばかりが展開されていた。この程度の事は、想定内だったと考えるべきだろう。


 遥香姉さんが自我を保っていた事が、何よりも嬉しいことだ。


「端で少し、休んでいて。……すぐにケリをつけるよ」


「あの、怜士は……」


 遥香姉さんから目を離し、俺はミスター・パペットへと視線を向けた。


「あれは、怜士兄さんじゃない――――――――悪魔だ」


 ミスター・パペットは――――いや、ミスター・パペットを名乗る者は、既に立ち上がり、俺の方に顔を向けていた。


 高い身長に、白い肌。日本人ではないようだ。金色の髪は前髪が目元を覆う程に長かったが、その向こう側から艶やかな青い瞳が、こちらの実力を推し量るような視線で覗いている。


 ちっとも、効いていない。当然のように、バトルスーツを着ている人間か。


「いやあ、まったく驚いたよ。一体、どんな魔法を使ったんだい?」


 声色はどことなく優しげだが、既に獲物を狩る肉食獣のような、鋭い視線で俺達を見ていた。


 ……隙がない。これまで今掛時男とその取り巻きやアタリなど、様々な人間を見て来たが――……ひとつ、次元が違うように感じられた。まだララと作戦を立てていた時から、今回の敵は危険だと何度も話していた。


 予測が当たり過ぎるのも、少し対処に困るだろうか。俺は溜息を付いて、姉さんを壁際に向かわせた。


「何の事かな、ミスター・パペット……いや、なんて呼べばいい? ミスター・外道の方が良いか?」


「それは酷いな。外道と言うなら、君の方だと思っていたけれど」


 椎名が、俺の隣に駆け寄って来た。


 思ったよりも遥かに速い参戦だ。椎名が最初の包囲網突破に対し、有効な切札になるとは考えていたが。もう少しは粘る事が出来たかもしれない。


 いや。それも、喉元を過ぎたからこそ思える事だろうか。今回の攻撃は、かなり苦しかった。


 何かに気付いたような顔をして、金髪の男は口元に手を当てた。


「…………若しかして、猫が監視カメラになっているって、初めから気付いていたのかい?」


 俺は薄っすらと笑みを浮かべ、腕を組んだ。


「――――おいおい、それはクロスワードパズルの解答を人に聞くようなもんだぜ? 自分で考えろよ」


 金髪の男は、俺の態度に厭らしい笑みを浮かべる。


 強がってはいるが、このような顔をする男に俺は未だ会ったことがない。顔だけでも、かなり危険だと分かる――……人を殺す事に何の躊躇もしない人間だ。ミスター・パペットは、こんな奴まで使いこなすのか。


 今掛時男やアタリのように、精神的に弱い部分を突いたようには思えない。……ならばやはり、金銭で動いているのか。


「そうだね。まあ、君達を殺してからゆっくり考えるかな」


 思わず、喉を鳴らした。


 騙さなければ、勝ち目はない。初めから、そんな事は考慮の内に入っていた。後は、俺の編み出した作戦で、何処まで奴を追い詰める事が可能なのか。今回の勝敗は、その部分に委ねられていると思って良い。


 決定的な予想外を、幾つまで積み上げる事が出来るか。だが、弱腰になっていては話にならない。相手を萎縮させるような要素は、出来るだけ多い方が良い。


 まるで、自分が異次元の存在であるかのように思わせるには――――…………


「じゃあ、君も僕の能力が何かについて、考えた方が良いかもしれないね?」


 ――――ふと。


 脳裏に、あの男の姿が過った。


「……名前は知らないが、能力なら分かるぜ。元素関数は『毒』か、それに準ずる何か。気体を使う。職業は銃を使う何かだろ。ローブの内側から見えてるぜ」


 思えば、木戸怜士はこうやって、俺に手品を見せ続けていたのかもしれない。


 人間を神であるかのように思わせるマジック。その種と仕掛けが分からない俺は、尊敬し、同時に羨みもした。


 だが、木戸怜士もまた、人間だと言うなら。


「……すごいね。確かに職業は銃士ガンナー、元素関数は『神経毒』だよ。でも、アビリティは見てないから分からないんじゃない?」


「ああ、それは流石に分からないな。……でもさ、多分引っ掛けに使う類の奴だろ?」


「どうして?」


「お前の性格が悪いからさ」


 金髪の男は、嗤った。


「……確かに、そうかもしれないね。僕はクリス・セブンスター。偽名だけど、クリスって呼んでよ」


 木戸怜士の使ったマジックは、俺にも使えるのかもしれない。


「『ヒカリエ』内の人間を元に戻す方法、お前は知っているんだろ? ……今直ぐ、元に戻して貰おうか」


「まあ、僕を行動不能に出来たら、考えない事もないよ」


 男は未だ、余裕の態度を崩さない。……俺も。


 胸を張り、腕を組む。まるで脅威ではないのだと、クリス・セブンスターと名乗った男に笑みを返した。湧き上がる不安と逃げ出したくなる衝動を押し殺し、戦器を持たず、丸腰のまま。


『敗者の拳』について何処まで知られているのか。場合によっては、俺の武器は全て封印する事となるかもしれない。


「さあ、『ミスター・ゲーマー』の弟が、何処まで面白い事をしてくれるか。見ものだね……!!」


 兄さんは、周囲からはそんな風に呼ばれていたのか。


 クリスは、二丁の拳銃を引き抜いた。


 ……騙されていれば、楽に逝けたかもしれない。


 今、俺はプレイヤーですらなく、殺されれば現実世界でも立場を失う状況にある。そして、それは俺の仲間達も皆、同じ状況なのだ。そんな中、少なくとも殺しに躊躇はしない、恐らく人を殺す手段も豊富に知っている男と対峙しなければならなくなっている。


 素人が何人居た所で、勝ち目は無いかもしれない。そこに勝機を見出す事は、難しいかもしれない。


 だが、俺が不安になっていれば、誰もが不安になる。


「お前は、殺さずに捕らえる。元々、そのつもりだった……ログアウトされたんじゃ、意味が無いからな。だから、手を打たせて貰った……『猫は使う』って言っただろ、クリス。降参するなら今のうちだぜ?」


「じゃあ是非、降参するしかない状況にさせてくれよ」


 恐らく、言葉で何を言った所で、実際に力で屈服させなければ、クリス・セブンスターは言う事を聞かないだろう。……ならば、戦うしかない。


「同じ手は二度通用しないぞ、クリス・セブンスター。お前の能力と戦器は把握した」


 大丈夫だ。こいつは、逃げない。もう危険だと認識した時には、プレイヤーウォッチを奪っていればいい。


 覚悟を、決めた。


「この『ヒカリエ』全域を取り巻く『鳥籠』を…………攻略する…………!!」


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