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終末東京で、俺は戦器を握らない  作者: くらげマシンガン
第三章 『ヒカリエ』編
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第三十話 乱雑に解は一つしか存在しない

 時間が止まったような気がした。少なくとも俺は、そのように感じていた。同時に、大聖堂の方角から爆音が聞こえ、腕の中の椎名が身を竦める。


 椎名は俯いている。俺の用意した作戦に乗ってくれるのか、どうなのか。


 僅かな猶予があった。爆音の聞こえて来た場所が、少しずつ騒がしくなっていく――……そろそろ、頃合いだろう。ゲームクリアを目論んだ連中と、それらを狩るハンター達の戦いが始まっている。


 ある程度、戦場が熟している必要はあるだろう。ハンター達の体力的な部分に問題が生じなければ、とても少人数で突破出来るような状況ではない。恐らく、人数も。


 背後から、人は来ない――……時折、俺に付いて来た猫が首元を掻いている程度だ。


 誰も、俺達二人に気付かない。


 それなら、問題無い。この作戦を実行するに当たり、最も警戒していたのは第三者の目だった。大聖堂に近い場所だから、可能性も低くは無いと思っていた。


 広場が戦場になった事で、そちらに割かなければならない人数が増加したのだ。


「…………どうすれば、いいの……?」


 来た。


 心臓の鼓動が絶え間無く早鐘を打つ。ついに、椎名の口から聞きたかった台詞を聞くことに成功する。俺は背中から抱き竦める格好のまま、椎名の耳元に唇を近付ける。可能な限り甘く、痺れさせるような声色を意識した。


 緊張は一瞬。相手に悟らせないように、時間稼ぎをするには。


「俺に、付いて来てくれるか?」


 椎名は応えない。


 可能な限り、ここは時間を引き伸ばすべきだ。広場の状況に耳を傾け、慎重に手段を選ぶ。ハンターの側が完全に疲弊するか、若しくはゲームクリア目前の人間がやられた頃、人は入れ替わる。そうなってしまえば、チャンスを逃した事になる。


 最初に攻撃をした連中が未だ五つのアイテムを手に入れられない内に、そのくたびれた戦場に飛び込んで勝ちを目指す。これが最も合理的で、最善の手段である筈だった。


「……俺と一緒に、大聖堂に向かって欲しい。……大聖堂前には、少なくとも十数人はハンターが居ると見るべきだ。椎名も分かっていると思うけど、これは一人で突破する事は難しい。……だから、囮を使う」


「囮、って……?」


 俺は前もって用意していた言葉を、躊躇無く口にした。


「――――明智大悟だ」


 椎名の表情が、固まる。


 予想していた展開だ。椎名は今、俺の言葉の真意を推し量っている段階。こうなってしまえば、後は信じさせるまでにそう時間は掛からない。


「椎名が居なくなった後、明智はお前を探しに行くと言って、ホテルの部屋を出た。一見何でもない事のように思えるが、よく考えてみれば不自然な点が残る。何故、バトルスーツを着ていない、戦器も持っていない人間を探そうとしたのか。その上、明智自身も丸腰だったんだ」


「そう、なの?」


 少なくとも、ここまでは確かな出来事だ。


「さっき見た時は、銃を持っていたが…………どうして、バトルスーツを着ている俺やララと一緒に回らなかったか、分かるか? 仮装パーティーの始まった段階で、バトルスーツを着ていた人間が最も有利になると分かっているゲームで、丸腰の人間が二人集まった所で役になんて立たないだろ」


「そ、それは……………」


 恐らく、明智は道中で何かしらの店から、銃を手に入れる算段を付けていた。だからこそ、俺が作戦を考え易いように、自ら犠牲を払って椎名を探しに行き、人命の確保を再優先とした。


「その時、気付いたんだ。『明智は最初から、銃を手に入れる事を計算に入れていた』んだ、って」


 それは、理由の部分さえすり替えてしまえば、このようにも言い換えられる。


「俺達を確実に一人ずつ、始末する為に」


 椎名が、僅かに目を見開いた。


 俺達二人の時間が止まっている中、外側では激しい剣撃の音が聞こえる。なるべくなら、プレイヤーがあまり殺されない内に決着を付けたいと思っていたが……そう簡単には行かないか。


『アルタ』『ガーデンプレイス』と見てきたが、ミスター・パペットは自分以外の人物を利用し、俺達や『デッドロック・デバイス』を持つ周囲の人間を脅かそうとしていた。場所が変わり、事件が変わる度に犯人の姿も変わっていたが、今回は少し毛色が違う。


 今掛時男やアタリの時は、まだプレイヤーを手に掛ける事はしなかった。連中にとってNPCは架空の人物だが、プレイヤーは『対人』だという認識があり、一線を越えるような作戦は仕掛けてこなかったように思う。


 だが、今回は違う。『初めから、ゲームそのものがプレイヤーを殺す為のもの』なのだ。これが意味する所は、一つしか考えられない。


 今回の相手は、現実世界で人間を攻撃する事に躊躇の無い人間。言わば、殺し屋だという人物像が浮かび上がる。


「…………えっと…………」


 椎名が、俺の言葉に付いて来られなくなっていた。……まずいな。あまり警戒される訳にはいかない。


 何れにしても、アタリのように暴走した訳でもなく、至って冷静に人を殺すことが出来る人間だとするなら、こちらとしても取る事が出来る作戦は限られて来る。ミスター・パペットにとって弱点に成り得る存在を利用し、徹底的に追い詰めるしかない。


「椎名。お前は、俺達の中に裏切り者が居ると思っている、と言ったな。……実は、俺もそう思ってる」


 剣撃の音が、僅かに鈍くなった。優劣が付き、実際の勝敗へ繋がる道が見えてきた時、突破する為の光は顔を出す。


「そしてそれは、明智大悟だと云うのが俺の意見だ」


 静かに、しかしはっきりと、俺は椎名にそう告げた。


 刹那の時。一瞬、周囲が静寂に包まれる。椎名が顔を上げ、決意を持った瞳で俺を見詰め返してくる。


「……分かった。私、木戸くんを信じるよ」


 俺は、頷いた。


 どちらとも何も言わず、走り出した。不自然な静寂は、交代の合図。だが、その間に幾らかの猶予はあるだろう。勝ったのはハンター側か、それともゲームクリアを企む者か。どちらの場合も、大聖堂に人が向かって行く様子に違いはない。


 そして、広場が最も手薄になる瞬間でもある。


 大聖堂広場に出る直前で一度足を止め、周囲の状況を確認した。焼け焦げた地面、傷付いた通りの物。明らかに、戦闘の跡がある。にも関わらず、人は居ない……大聖堂に入って行ったか、それとも。


 一体、幾つのグループが潜んでいるか分からない。……だが、一度では終わらない筈だ。例えば広場のタイミングを窺っている者が数名居るとして、互いに争っている状況なら、一番最後に登場した者が状況的には最も有利になる。


 だが、それは力量を考慮しなかった場合の話だ。


 あまりに実力に差がある場合に限り、強い者が先に行くことで手出しをする事が出来なくなる。相手の実力が分からないのに一度で勝負を決めなければならないとあれば、そう簡単に動く事など出来ない。


 そこで真っ先に登場して来るのは、『自分の実力に自信を持ったグループ』だ。だから、最初の戦場に足を踏み入れるつもりはなかった。


 今、その『最も実力を持ったグループ』が大聖堂に入り、姿を消した。心理的には、次であれば大丈夫かもしれない、と誰もが考える所だ。


 株式投資の分析には、『エリオット波動』と呼ばれる法則が存在する。株価の上昇を狙うポジティブな流れは、初動の上昇第一波、訂正の下降第二波、優位性が発生した後の上昇第三波、戻りの下降第四波、終わりの上昇第五波、の五波動で構成されると云うものだ。


 大きな上昇は三度。その間に、小休止とも考える事が出来る、静寂と修正のタイミングがある。今の状況は、正にそれそのものだろう。


 そして、初動で今までの流れを崩された後の『第三波』こそが、最も人が流れて来るタイミングだと言われる――――それは、大きな流れに乗ろうとした多数の人間が、一斉に動き出す瞬間だからだ。


 誰もが戦場に参加し、嵐を生み出す瞬間。その時こそ人は平常心を無くし、人が作り出した感情の波に呑まれていく。


 大通りを見据える。瞬間、路地に向かって走る、小さな人影を発見した。


 黒いローブ。仮面を被った男は、俺が期待した通りの人物だった。


 ならば、来る。




「――――――――行くぞ!!」




 広場へと、飛び出した。


 今回もまた、姿の見えない何者かを推し量ろうと、誰もが大聖堂広場の状況を、固唾を呑んで見守っている。そういったシーンでの人の行動と云うモノは、実に不思議なものだ。


 乱雑なように見えて、法則がある。ランダムとは言い切れない瞬間が、確かにあるのだ。だが、関係性を知らない人間にとっては、それは唯のランダムな動きにしか見えない。不思議なもので、人は確率を百パーセントにする事を望み、そこから得られる結果についてはあまり固執しない傾向にある。


 確実を求め過ぎて、勝利への道を閉ざすのだ。


 元より確実に勝てる勝負など、この世には存在しないと云うのに。


「来た…………!!」


 椎名が恐れながらも、周囲の変化に驚いていた。広場から大聖堂へと一直線に走っている俺達に、幾つもの仮装をした人間達が襲い掛かって来たからだ。


 それで構わない。確実を求めれば、今が一番安全だと思うだろう。だが、それらは持たざる者の考え方だ。


 そして、皮肉にも、それを利用するのが最も安全な方法だ。


 走りながら、椎名の仮面に手を掛けた。


「逃げ切れるの!? 木戸く――――――――」


 黙ったままで、椎名の顔に引っ掛かっているそれを、一思いに椎名から引き剥がす。


 時間が、止まった。


 場の空気が固まる感覚があった。近寄って来ている数多のグループは、突如として顔を見せる事になった椎名美々を見て、足を止める。真っ青になった椎名と、その遥か後ろから走って来ている明智とララ。


 大きな流れが、来る。俺はそう、確信した。


 充分だ。


「仲間を疑った人間が、何の制裁も受けずに済むと思ったのか?」


 何を犠牲にして、どう進むのか。


 何処に戦力を集中させ、どうやって戦うのか。


 既に、頭の中に解は見えている。


「お、おい。あいつ…………」


「ああ、間違いない…………!!」


 これだけの人数が広場には集まって来ていると言うのに、椎名を見て即座に攻撃する人間が居ないという事実。血の気が多い強者が場を離れ、残り物を弱者が漁る構図になっているのは、一目瞭然だ。


 ならば、俺達は大丈夫だろうか。


 椎名が背後のプレイヤー達を一瞥する。俺は連中に見えるように、椎名を指差した。


「お前達の探してた賞金首だ!! 好きにしろよ!!」


 そのまま、椎名に背を向けて走り出す。


 ふと、不安が脳裏を過った。


 限りなく、危険な選択肢だ。この作戦を取ると決めた時から覚悟していた事ではあったが。……場合によっては、全滅も有り得るかもしれない。


 しかし、もう止まる事など出来ない。俺達は走り出してしまった――――作戦を変更する猶予はなく、一度出した指示も、もう二度と変更する事は出来ない。


 ならば、信じるしか無いだろう。


 ――――大聖堂の扉を、開いた。


 自分だけが入り、それを直ぐに閉める。直後、扉の向こう側から巨大な爆発の音が響いた。


 肩で息をする、自身の呼吸の音が聞こえて来る。それ程に、大聖堂の中は静寂に満ちていた。


 そこには誰一人として居ない。広いホールを取り囲むように廊下があるから、ホールの中までは見えないが……小さな物音一つ、中から聞こえて来る様子は無かった。


 クリア者はとうにログアウトしてしまったのだろうか。伽藍堂のようになった廊下は相も変わらず広く、何処か寂しい感情が襲って来る。


 クリア者を迎えるのが一階だとすると、ミスター・パペットは上階に居ると考えるのが自然だ。確か、室内を囲うように階段が設置されていた筈だ。そう思い、辺りを見回して階段を探す――……程なくして、白塗りの階段を発見した。


 その上に、誰かが居る。


「恭一」


「――――姉さん」


 辿り着いていたのか。階段の上に座っている遥香姉さんは、俺を見ると天使のように柔和な微笑みを浮かべた。


 その気になれば、一人でも大聖堂に入る事ができる。やはり、木戸怜士の妻か…………同時に、姉さんの頬を涙が伝った痕がある事に気付く。


 昔、懐かしい曲だ。タイトルを何と言っただろうか。何処からか、艶のあるバイオリンの音色が聞こえて来る。


「良かった。……一人で入るのは怖くて、結局こんな所に居たのよ」


「すごいじゃないか。どうやって入ったんだ?」


「夜のうちからすぐ、大聖堂前に来ていたのよ。ノーマークだったわ」


 成る程、その手があったか。確かに、まだゲーム性を理解出来ていない夜の間ならば、大聖堂前が警戒されていなくても不思議ではない。朝になるまではゲームも始まらなかったから、アイテム五つ、という問題を気にしなくて良いと云う事であれば、大聖堂の中に入ってしまえば敵は現れない。


「待っていれば、城ヶ崎仙次郎が、ここに来るかと思ったのだけれど――……」


 居なかったのだろう。あの状況にある城ヶ崎では、そこまで頭は回らなかった。最も、中に居るミスター・パペットを叩くのは、一人では無理だ。姉さんのように待つ事をするしか方法は無く、そう考えると外側に居た方が何かと便利ではある。


 まあ、実際問題として姉さんが居なくとも大聖堂に入る目的は達成されたので、その件については問題無かったのだが。


「その猫、パーティーの前から恭一に付いて来てる子?」


 姉さんが、階段の下に居る猫に気が付いた。猫は未だ、俺に付いて来ているが。


「……ああ。こいつにも手伝って貰う予定でいる。そんな事より――……」


「そう」


 姉さんは、続く俺の言葉を聞く前に立ち上がった。


 バイオリンの音は、室内から聞こえて来る。……一階の様子を確認した限りでは、恐らくこの中もまた、一階と同じように円形の広いホールとなっている筈だ。


 険しい表情。しかし何処か、その顔は泣きそうで――――待って、いるのだろうか。若しくは、遠い世界に消えて行った男の亡き後を追い掛けているような感情で居るのかもしれない。


 どうして、怜士兄さんの得意だった曲を、知っているのか。


 俺の問い掛けは、言葉として発される前に空気へと変化し、消えた。姉さんは真っ直ぐに扉へと歩いて行き、一階とまるで同じ格好をした扉の取っ手を掴む。


「恭一。本当に怜士である可能性、って、考えた事ある?」


 扉を凝視したまま、姉さんは俺にそんな事を言う。


 それは、或いは長い時の中で姉さんが望んだ、願いのようなものだったのだろうか。


「…………いや」


 そうして、扉を開いた。


 バイオリンの音色は、より強く。遥香姉さんが中に入っていくに連れ、俺も室内へと足を運んだ。


 若しも、兄さんである可能性。それが本当なら、全力を振り絞った俺の作戦さえ、全て把握されているだろうか。……そんな事を、考えた。


 知略を駆使したゲームにおいて、兄さんは無敵だった。圧倒的な観察力と、洞察力。そこから産み出される手品のようなロジックに、誰もが感嘆し、そして期待していた。


 その男の、未来を。


 室内は暗く、視界は役に立たない。照明のスイッチが何処にあるのかも定かではない。……迂闊に進むのは危険だ。相手が一人で待っている保障はない。


 だが、姉さんは先へと進んで行く。……若しも俺の考えが真実なら、少なくとも人間を手に掛けたことのある男が金で雇っただけの能無しを大聖堂内に置いておくとは思えないが。……確実ではない。警戒しなければ。


「ようこそ、此処まで辿り着いたか。……素晴らしい」


 また、木戸怜士ではないという保障も、何処にもない。当然、木戸怜士である保障など無いのだが。


 しかし、この再現度の高さは。声色から話し声に至るまで、そっくりそのまま――――アタリのように変身出来るアビリティだろうか? ……それとも。


「広場の前に、私の仲間が居たと思うが……それもクリアして、ここに来たのだな」


 やはり、大聖堂に居るのは奴一人だ。そして、奴一人でも俺達全員を相手にして勝てる自信を持った男。


 波の初動。ゲームを用意した人間が最も強いのは、どの世界でも共通する法則だ。


 いや、この世の真理とも言えるかもしれない。ルールを作る者が、そのルールにおいて絶対的に強者なのだ。


「仲間を裏切り、見捨て、一人で此処に来たのだな。その先に光は無いと分かっていて、それでも此処に来たのだな」


 だが、奴の言葉が、俺の救いだ。


 俺は胸を張り、ミスター・パペットに応えた。


「――――そこに光が無いなら、作るまでだ。『例えたった一人でも』、お前を越えられれば全員が助かる」


 ミスター・パペットは押し殺したような声で嗤った。暗闇の中、僅かに何処からか漏れた光だけが、奴のシルエットを淡く照らす。


 言うべきか、言わざるべきか。それが今後の戦況にどのように響くのか。それは分からなかったが――……結局の所、俺はその言葉を口にする事に決めた。


「姿を見せろ、ミスター・パペット。……どうせ、本物じゃないんだろ」


 仮面の内側は殺し屋だ。慎重なミスター・パペット……『親玉』とも言うべき存在は、こんな大聖堂の中で待機している事は無いはずだ。『アルタ』でも、『ガーデンプレイス』でも、そうだった。ならば、多数の見知らぬプレイヤーを巻き込んだゲームで、自分の素性を晒すような真似は絶対にしないと考えて良い。


 その情報について、俺が騙されていた方が都合が良いのか、それとも理解させた方が都合が良いのか。この場合は、後者だ。


 意識を逸らさなければ、勝利は見えない。相手の思惑には、気付いていない振りをして――――…………


 ――――――――仮面が、外される。


「えっ――――」


 思わず、声を漏らした。


 我が目を疑った。仮面の向こう側に居た男を前にして、俺は。


「久しいな。恭一」


 バイオリンの音色が、ふと静まった。男が演奏するのを止めたからだ。制止した空間の中に、人影は三つ。一つは俺。もう一つは遥香姉さん。…………そして。


 からくり時計から、鳩が顔を出すかのように。コア・カンパニーの大時計が時刻を刻む音に釣られて、正と負の連鎖が作り出した借り物の世界に、それは現れた。


 大太鼓を鳴らすような、心臓の鼓動。身動き一つ取る事が出来なくなった室内に、何処からか漏れた光が差し込む。


 噛み締めて広がる血は、鉄の味。


「…………怜士?」


 呟いたのは、遥香姉さんの声だったのだろうか。


 彼方より現れた地縛霊にも似た男の姿に、ふと意識が遠のく。幻影にも似た世界にその身ひとつで飛び込んだ自分が、何かに解体されて溶けて行くかのようだ。


 湧きて流れる水のように、白銀色と翡翠色に光る顆粒状の物質に混ざり、何処かへと運ばれる。無心のまま、自身を突き動かす波を、黙って眺めている自分。


 無力だ。




 ◆




 夢を見ているのだろうか。自分は一体何をされたのか、それさえ定かでは無かった。


 気が付けば俺は、真っ白な空間の中に居た。白銀色と翡翠色に光る顆粒状の物質は、未だ俺の目の前で螺旋を描くように、揺らめいている。朧気な光の中に居るようでいて、髪は波打っている。穏やかな湖の底に居るような気分でもあった。


 何時だったか、エリザベス・サングスターが言っていた。光とは粒子であり、波の性質も持ったモノなのだと。それが架空の世界であれば、このように実際に感じる事も出来るのだろうか。


 いや。何かをされたのではなく、元からこうだったのだろうか。


 ゲームであって、ゲームではない。『終末東京』の世界と云う物は、奇妙で現実感を伴わない物ばかりだった。


 …………誰も、居ないのか?


 声を掛けたつもりだったが、音が反響しない空間なのか、頭蓋骨に反響する自身の声すら認識する事は出来なかった。夢幻のように浮遊する何かの物質。そして、その中を揺蕩う俺と云う存在。


 手を伸ばした。……初めて、視界に粒子以外の物が映る。……いや、それだけではない。


 終末東京の世界とは、一体何だったのだろうか? 突如として現れて、誰が作ったのかも分からない、噂話にすらならない不思議なゲームの話。


 ゲーム――――…………


「恭一」


 目を、覚ました。


「いつまで寝てるの? 早くしないと、もう怜士は支度済んでるわよ」


 朝食はいつも、シリアルに牛乳。あと、遥香姉さんが作ってくれた玉子焼きなどの簡素なもの。俺も学校に通いながらアルバイトをしていたし、遥香姉さんも怜士兄さんも共働きだったから、どうしても朝は手を抜いてしまっていた。


 ベッドに寝ているのは、俺だ。天井から見下ろすように、俺は俺を見ている――……遥香姉さんが俺を揺さぶり起こしている。懐かしい、東京にあるタワーマンションの一角。


 程無くして、俺が目を覚ました。遥香姉さんが柔和な笑みを浮かべて、俺の頭を撫でる。


「やっと、起きた」


 これは、記憶か? ……いや、それにしては随分と立体的な。夢を見ていると言うには、少しリアリティが有り過ぎるような。


 外は晴天だ。俺は物質の概念もなく、壁を通り抜けるようにして外を眺める。……誰も、俺に気付かない。当然のように、俺から何かに干渉することも出来ない。


 俺の寝ていた部屋にはベッドと、コンピュータ。……そうだ、確かこの頃は、タッチパネルが過去の物となり、AIが本格的に実業務に入る少し前。遊び心で作られた『対話型オペレーティングシステム』は一時期話題を呼び、未来の恋人とまで呼ばれたのだったか。


 その後、AIによるロボットが名乗りを上げるようになる……目まぐるしく変わって行くITの世界も、こうして見ると日進月歩で進化していた事が分かる。


 ゲームと言えば、家の部屋一つを使って暗闇にし、プラネタリウムのように映像を投影してその中で動いて遊ぶ、『ルーム』が主流だった時代。いや、今も大して変わりはない。終末東京が次世代を歩み過ぎているのだ。


 まだ、俺が学生の頃。とは云え、何十年と経っている話ではないが――……


 俺が起床し、顔を洗って身支度を済ませる。それに合わせるように俺は吸い込まれ、俺へと入って行った。


 リビングには、いつものように仲良く談笑をしている、夫婦の姿。


 胸の奥が締め付けられるように傷んだ。台所で調理をしている遥香姉さん。キッチンは古風なものが良いと言って聞かず、機械が主流な時代でも尚、手料理を研究し続けていた。


 そして――――…………


「おはよう、恭一。学校、遅刻するんじゃないか?」


 怜士兄さん。


「いつも通りだろ。……二人が早過ぎるんだよ」


 俺は先程まで、『ヒカリエ』の大聖堂に居た筈だった。それが、このような場所に居る――……一体、どうして? ミスター・パペットが怜士兄さんだったと判明した直後、まるでログアウトされたかのように俺の身体は何処かへと飛んで行った。


 そして、どうして平和だった頃の記憶に直面しているのか。……終末東京の世界は、過去にも行く事が出来たのか……?


「……じゃあ、そろそろ俺は行くかな」


 ふと、脳裏にエリザベス・サングスターの顔が過る。彼女は終末東京の世界で、タイムマシンを作る事を目標にしていた。若しもこんな事が可能なら、とうにリズはタイムマシンの製造に成功していておかしくない……いや。そもそも、これは現実世界での俺の記憶ではないか。


 混乱している。


 根本的に、何かが違うのだ。しかし、あまりに奇妙で唐突な出来事に頭が回っていない。


 過去に戻って来たとは言っても、俺の身体は動かない。ならば、これは何だろうか。怜士兄さんが、俺に何かを伝えようとしているのか。


 …………兄さん。立ち上がると、鞄を持って俺に振り返った。


「そうだ、恭一。今仕事で作ってるモノなんだけどな。実は、ついに完成したんだよ」


 その言葉には、覚えがあった。


「例の、ゲームのこと?」


 寒気がした。思い出したく無かった記憶が蘇って来ると同時に、俺は今現在再生されている、この映像のようなものが何なのかを把握した。誰が何の目的でこのような物を俺に見せているのか分からなかったが、しかし確かにこれは、あの日の記憶だ。


 怜士兄さんが、『行方不明』になった時の。


「今度また、見学に来ないか。ポールに許可取ってみるから」


「…………分かった」


 若しかしたらこれは、俺への戒めなのかもしれない。


 過ぎ去った時間は、俺から罪悪感だけを奪って行った。全てを捨てて、逃げ出した日のこと。まだ生きる上で問題を解決する事が出来なかった、あの頃。


 無力を痛感した俺のこと。


 ――――ああ、そうだった。あの時確かに、怜士兄さんはそう言った。まるで今俺がログインしている、この終末東京の世界のように。城ヶ崎に誘われた時、俺はこの事実に気が付かなかった。


 当事者では無かったからだ。結局の所、俺は怜士兄さんの事について、何も理解していなかったのかもしれない。


「こいつは、面白いぞ。現実世界から離れて、自分の身体で冒険するゲームなんだ。世の中に出れば、きっと恭一も夢中になると思う」


 気分が、悪くなった。


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