第二十六話 素性を偽る者達の宴
結局、賛成多数で俺達は『ヒカリエ』コア・カンパニー主催の仮装パーティーに参加する事になった。
だが、俺としてはあまり気は進まなかった。
そもそも、パーティー等という洒落たイベントに参加した事は無いのだ。俺の大して長くもない人生を振り返っても、類似する催し物さえ経験が無い。最も近いのは近所の川原や学校で行われる夏祭り程度だろうか。何れにしても、酷く掛け離れたそれであることに変わりはない。
『デッドロック・デバイス』の情報が聞けるかもしれないのだから、参加しておくに越したことは無いのだが。
慣れないローブを着ながら、俺はそのように考えていた。
外は暗い。陽光から遠く離れた地下の都市とは云え、これが昼間であれば太陽を再現する暖色のライトが天井から星々のようにプレイヤー達を照らすのだ。その光が隠れたという事は、外界も夜の世界に入ったという事。ゴールデンタイムからログインして来るプレイヤー達で、地下都市『ヒカリエ』は最も栄える時間帯に突入していた。
「太陽仮面……」
ララが買って来てくれた衣装は、突飛なものばかりで反応に困るようなものだった。どれもクリーチャーに関係するものだという話だったが、ここまでの旅路では見た事の無いものばかりだ。
太陽に人の顔が書いてある仮面。全身黒いローブに包まれていて簡素だが、まあ着包みの類よりはマシだろう。
「じゃあ、俺は月にするわ。俺っぽいし」
城ヶ崎が俺の取った衣装の隣にある、月の仮面を手に取った。……どうやら、この二種はペアになっているようだ。
どちらかと言えば、性格の点を考慮すれば城ヶ崎が太陽で俺が月、と云った所だろうが――……そんな事が、少しだけ気になった。たかが仮装パーティーの衣装など、何かに影響を及ぼす訳ではないけれど。
「えー、二人がそれ取って行ったら、もう着包みしか残ってないじゃん!」
椎名が不満の声を漏らした。明智は……既に、勝手に着替えていたようだ。
確かに、すっぽりと顔が隠れるのは着包みを除いてこれだけだ。サングラスをするという手はあるが……それにしても、猫耳にバニー……これらは、本当にクリーチャーのモノなのだろうか。
「そういえば、リズリズは?」
城ヶ崎がいそいそと月の仮面を装備しながら言った。
「アイテムの類を補充するとか言ってたな。多分、銃の弾丸が無くなったんじゃないか」
リズの武器は殆どが銃だ。『ガーデンプレイス』ではハットン弾やスナイパーライフルなど、様々な武器を使った。『ヒカリエ』に来るまでにも弾を使っている筈だから、いい加減に不足しているのだろう。
椎名が可愛さと暑さと恥ずかしさの間で揺れている間に遥香姉さんが鎧を、ララが着包みを奪う。明智は元々タキシードにサングラスをして出る予定らしく、残るは猫耳とバニーの衣装だけになった。
「ねえララちゃん……もうちょっとマシなやつ、無かったの?」
「あの、実はこの衣装、私のチョイスではなくて……」
椎名に向かって、城ヶ崎が凛々しい顔で親指を立てた。
「エロいの期待してるぜ、美々ちゃん」
「サイッテー!! マジ信じらんない!! バーカ!!」
…………湧き上がる倦怠感に、俺は本日何度目かの溜め息を付いていた。椎名と城ヶ崎の関係も、相変わらずである。
ホテルの窓から大通りを眺めれば、道は仮装した人間で溢れ返っていた。コア・カンパニーの隣にある巨大なホール、『大聖堂』で行われるらしいが――……参加人数も、それなりに多いのだろうか。『ヒカリエ』最高規模のイベントとして、恥じないものではあるらしい。
仮装した人間達。顔の見えないプレイヤー。殆どの人間が、腕まで隠れている。あの様子では、プレイヤーとNPCを区別する事さえ容易では無いだろう。
――――あの様子では。
不意に、胸の奥をざらついたもので擦られているかのような、嫌な感覚があった。酷く気持ちの悪い何かが――……しかし、その実態が掴めない。
「恭一? どうしたんだよ」
俺は知らず気を引き締め、城ヶ崎に振り返って笑みを見せた。
「…………いや、何でもないよ」
「結構、面白そうだよな。参加費一人三千ドルったら、結構取るじゃんか」
意外だな。あんまりパーティーみたいなものに興味は持っていないと思っていたのだが。どちらかと言えば、城ヶ崎はパーティーより飲み会、フォーマルよりもラフ。富裕層の楽しみよりも俗っぽいものに興味を抱く方だと思っていた。
城ヶ崎は黒いローブを羽織り、月の仮面を装備した。その格好のまま、外を見る――……背景が夜なだけあって、城ヶ崎の背格好は外の闇に溶け込んでいる。
「まあ、そうだな」
その様子を見て、俺は靄がかかったような胸の奥の何かを、特定するに至った。
「…………城ヶ崎」
月の仮面を外して、城ヶ崎が振り返る。俺は他のメンバーに聞こえないように、城ヶ崎に耳打ちをした。
特に、遥香姉さんが居る前では。あまり、滅多な事はしたくない。
「可能性の域を出ない話だが……仕掛けられるかもしれない」
「仕掛ける? ……って、まさか……」
「ああ。ミスター・パペットだ」
城ヶ崎が喉を鳴らした。……どうやら、俺が何を危惧しているか気付いたらしい。
やはり、城ヶ崎は椎名が考えているような、軟派で軽くて少し抜けているだけの男ではない。『ガーデンプレイス』でも、同じような事を考えていた。城ヶ崎は俺達が考えているよりもずっと慎重で、抜け目のない男なのだろう。
陽気な面構えの向こう側に秘めたもので、人を推し量っているような――……そのような気配が見て取れる。
「『ヒカリエ』の人間のうち大多数が仮装する。人の顔を見ることが叶わないイベントに、若しもミスター・パペットが気づいていたとしたら。……そう、思うんだ。俺は、俺達とは無関係のプレイヤーが多いから、『ヒカリエ』では妙な事は出来ないだろうと踏んでいたが、これは――……」
「……引っくり返るかも、しれねえな」
俺は頷いた。
人口が多いとミスター・パペットが動き難いだろうと思ったのは、黒いローブに仮面という、その希少さ故にのことだ。誰かの目に留まる可能性が高くなるし、大掛かりに人を使おうものなら咎められる機会も多くなる。
必然的に、地下都市『アルタ』の時のように――……大衆を騙すような、大味な作戦を取らざるを得ない。
ところが、今日に限って言えば、『ヒカリエ』全域に渡ってミスター・パペットの存在は地味で目立たないものになってしまう。祭の騒ぎに紛れて、集団で人を動かす事もそう難しい事ではないだろう――……何しろ、顔が見えないのだ。俺達の動きも悟られ難いが、敵の行動も同様に悟られ難く、発見する事が難しくなる。
木を隠すなら森。寧ろ、この状況に限って言えば、ミスター・パペットにとって人口は有利になる。
「気を付けよう。何も起きなければ、杞憂に終わったと思えばいい」
城ヶ崎は頷いた。
「ところで、恭一よ。さっきから、部屋の中をアニマルが歩き回っているんだが」
「猫な。なんだか知らないけど、付いて来ちゃってさ」
「ゲームの世界なんだし、いきなり喋り出したりしねえかな」
「いや……それは、無いんじゃないか」
終末東京の世界に、猫が喋ると云ったようなファンタジー性など、ある意味での空想世界ならではの良さと云うのか、そういった内容が期待出来ない事は、これまでの世界観やアビリティの存在を鑑みても明らかな事だった。
産まれれば死ぬリアリティと言うのか、そのような感性で構成されている。仮に猫が喋ったとしても、あまり可愛らしいものではないだろうと予想する事もできる。
「お、時間だ。皆、そろそろ行こうぜ」
城ヶ崎が衣装を着終えた明智や椎名に言った。もう、そんな時間か。遥香姉さんが振り返って、城ヶ崎に笑みを向けた。
「そうだね。リズちゃんがまだみたいだけど……」
姉さんの言葉に、城ヶ崎が俺に振り返る。
「恭一、悪いけど残ってくれるか? 人数多そうだから、先に受付とか済ませちまうよ」
「ああ、分かった」
城ヶ崎、姉さんと部屋を出て、明智、椎名、ララ、と続いていく。俺はその後姿を眺めながら、ぼんやりと考えていた。
どうにも、『ガーデンプレイス』から帰って来てからの城ヶ崎が見せる態度に、違和感がある。はっきりとは言えないが、少し無理をしているような。
同じような顔を、どこかで見た事があるような気がした。やがてその思考は、彼方へと葬り去られた記憶の片隅へと辿り着く。
そうだ。『ガーデンプレイス』を出る前、姉さんが俺の家に来た時。海に行こうと言い出して、城ヶ崎が俺の家まで訪れた。城ヶ崎に姉さんのことを説明した時、一瞬だけ、複雑な表情をした気がした。
…………何だろう。遥香姉さんの方は、城ヶ崎の事を知らないような様子だったけれど。
「ただいま、疲れたー!」
「目的のものは買えたのか?」
「うん、やっぱりヒカリエの品揃えは違うなあ。弾もそうだけど、手榴弾みたいなものも買っちゃった」
扉が開いて、外からリズが部屋に入って来た。沢山の荷物を抱えているかと思いきや、手ぶらで登場したリズ。プレイヤーウォッチにアイテムを格納する事ができるから、この世界では荷物を抱えて帰って来る必要が無いのだと気付いた。
「随分、遅かったもんだな」
「なんか、途中で調子悪くなっちゃってね。休んでたんだよ」
リズは苦笑して、何でもない様子を気取っていた。
「あれ? 恭くんだけ?」
「皆はもう行ったよ。着替えて、俺達も行こうぜ」
「うんっ!」
ポニーテイルにしていた髪を解いて、いつも着ている白衣を脱いだリズ。ふと、ソファーを見て呟いた。
「え? 私の衣装……アレなの?」
言われて、先程までこの場所で何が起こっていたのかを思い出す。ソファーに置かれたバニーの衣装を見て、リズが青褪めた。
……あまり、見ないようにしてあげよう。
◆
夜になると、地下都市『ヒカリエ』にも幾らかの活気が見られるようになっていく。その中心には、『アルタ』にも存在した、コア・カンパニーの巨大な建物が聳え立っていた。
しかし、『アルタ』で見た時のような、如何にも公共機関と云った物々しい建物ではなく、『ヒカリエ』の建物は強化ガラスで構成された、建物内の様子がよく見えるものだった。視覚的にも風通しが良い。
昼間に見て来た限りでは、この『ヒカリエ』のコア・カンパニーを拠点にゲームを進めている連中も相当数居たように思える。ゲームを始めたばかりのプレイヤーならばいざ知らず、若しも始めにログインされる地下都市が選択出来たとしたなら、『ヒカリエ』を選択する人間は少なくない、と云った所だろう。
そのコア・カンパニーの隣に、負けず劣らず大きなホールがある。その名を『大聖堂』と呼ぶらしいが、宗教などの存在が希薄な終末東京の世界にとって、これは単なる名前でしかない。実際はスポーツやイベント等に使われる多目的ホールであり、利用料も現実世界と同程度は取る、と云った施設だ。
散策をした時も目にしていたが、改めて目前に立ってみるとその大きさが分かる。ゲームの世界であり人口が少ないという理由から、実際はスポーツやライブをする事など殆ど無いのだろうが。現実世界と違うのは、人口が少ないために土地価がべらぼうに安い為、資産を抱えているのが然程問題にならない、という点に尽きるのだろう。
ホテルや戦器メーカーばかりが儲けるのは需要と供給のバランスからだろうが、今後人口が増えて来れば今抱えている土地の価値は上がって行くだろう。そう見越して、取り敢えず持っておくのも悪くはない。
環境が良くなれば、需要が上がる。終末東京の世界も、今後のアップデートでどのように世界が変化して行くか分からないのだから。
「やっと、着いたね」
兎の耳に月光仮面のような目元が隠れる仮面、その上からマントを羽織った奇怪な格好のリズが、俺に対してそう言った。俺もまた、太陽の仮面に黒いローブでは人の事は言えないが。
結局、バニーのきわどい衣装に耐えられず、俺の衣装であったマントを身体に巻きつける事で対応したリズ。仮装とは言うが、やはり周囲にリズのような格好をしているプレイヤーは居なかった。城ヶ崎のセンスも大概だと思いつつ、俺は大聖堂の入口に居る、悪魔のような仮装をした人間に声を掛けた。
「えっと、受付がもう済んでる予定なんだけど」
「代表の方のお名前をよろしいですか?」
「城ヶ崎で」
テーブルに腰掛けた悪魔姿の男は、受付票と思わしきプリントを捲っている。やがてピンマイクを通してホール内の人間を呼び出すと、俺達は中へと案内された。
扉が開く――――…………
「……うわあ」
巨大な円形の室内に、リズが思わず声を上げた。天井から吊り下げられた巨大なシャンデリアに、ワインを飲み交わしている幾つもの仮装集団達。立食パーティーとなっているようだ――――巨大な建物を支えている幾つもの柱はシャンデリアの光を反射して薄い水色に輝き、まるでそれ自体が宝石のようだ。
出入口は一つしかない。この広い空間を取り囲むように通路があり、階段を通して二階・三階もある。広い空間を意識して作られた、コロシアムのような造りだ。出入口と反対側にはステージがあり、壇上にスタンドマイクも置いてあった。
「席がございませんので、ごゆっくりお寛ぎください」
それだけ言うと、案内係の男は去って行った。
仲間の姿は確認出来ない。皆、何処かには居るのだろうが……如何せん、人数が多すぎる。仮装までしているのだ……この様子では、探すのは無理だろうか。
「何処に居るか分からないな……一緒に回ろうか、リズ」
呼び掛けて、背後を振り返った。……だが、そこにリズの姿は無かった。
代わりに、昨日拾った猫が俺の後ろまで付いて来ていた。一体、どうしたものかと思ったが――……俺は猫を抱き上げて、その毛並みを撫でた。
「おいおい、こんな所まで付いて来ちゃ駄目だろ……」
やたらと懐いている。……城ヶ崎の言うように、本当に言語を話したら面白いものだが。
すっかり、誰の位置も分からなくなってしまった。仕方無く、俺は猫と二人、仮装パーティーの会場を歩いた。丸テーブルに置かれた幾つもの料理。思わず手を伸ばしたくなるが、猫を抱えているこの状況では食べる事も出来ない。かと言って地面に下ろせば、うっかり誰かが踏み付けてしまいそうだ。
「……休憩用の椅子もあるのか」
端まで歩き、椅子の上に猫を座らせた。
「ちょっと、ここに居てくれるか」
猫は大欠伸をして、それきり目を閉じてしまった。……これなら、当分は動かないだろうか。この雑踏の中で眠れるというのも、大したものだと思ったが。
しかし、話す相手も居ないパーティーの場で、俺に一体どうしろと言うのだろう。リズは人波に揉まれて、どこかに行ってしまったのだろうか。
急に手持ち部沙汰になってしまい、俺は立ち往生してしまった。幾つかの料理を個人用の皿に盛ると、猫の隣に腰掛ける。……そうしてから、食べる為には仮面を外さなければならない事に気が付いた。
器用に、仮面の下から滑り込ませてみようか。下らない事を考えてから皿を隣の椅子に置き、周囲の様子を呆然と眺める。
……楽しそうだ。『アルタ』から今まで、このゲームに人は居るが、それ程多くもないのだろうと思っていたが。こんなにも参加しているプレイヤーは多かったのかと、感嘆もする。
どうだろうか。ミスター・パペットとて、この状況で大量のプレイヤーを前にして、俺達に対して何かを仕掛けてなど来ないのでは。少しだけ、そのような気も湧いてくるが。
しかし、話す相手が居ない。
段々と、眠気に襲われ始める。先程、猫に対してよく眠れるものだと思ったばかりではあったが。考えてみれば、雑踏など眠りを妨げるものにはならない。
例えば、電車のシートに座っている時、一般的に話されている声量のそれが耳障りになる事があるだろうか。あまりにも大きな音だった場合は別かもしれないが、自らに何かを知らせる類のモノでは無かった場合、それを当人が意識する事はあまりない。
寧ろ、子守唄のように聞こえる事さえあるのだ。
何処かで何かが話されている空間とは、まるで別の空間に自分は居るかのような。その会話を上から眺めて、傍観している気分になるのは。
元々、俺は外界から隔離して生きてきた存在だ。乾いて凍てついた氷の上を、何処までも歩いて行く事を決意した側の人間だ。
どれだけ進んでも、終わりは見えない。温もりを手放した人間に、再び灯る体温はない。
そう、分かっていた筈だったのに。
『あなたは弱いの』
不意に。
急速に、意識は現実へと舞い戻る。顔を上げ、今まさに目を閉じる瞬間に視界に映った何かを、俺は決して逃すまいとした。
探す。確かに見たはずの存在を、捉えようと視線は目まぐるしく動く。立ち上がり、段々と陽気に大きくなっていく雑踏を一刀両断するかのように、大きな声を出しそうになった。
――――が、その声はどうにか抑え込む。見つかってすらいないこの状況で大声など上げようものなら、目標に逃げられて終わるだけだ。奴は、半分眠りこけていた俺の事を見逃した。若しも俺だと気付いていたなら、何かをされていてもおかしくはない。
この、仮装をしている俺なら。
「――――あ」
仮装の可能性はあるのではないか。
その真実に、気付いた――――そうだ。このパーティーで、黒いローブに仮面の人間など幾らでもいる。それは、ミスター・パペットに似た人間が、この中には沢山居るということだ。
気になる。そうではないかもしれない、と分かっていたとしても。せめて、その存在がどこに行ったのか、それだけは把握しておきたい。
だが――……居ない。そう思った瞬間、ある事に気が付いた。反射的にローブを捲り、左腕が露わになると、最悪の予感は確信に変わった。
「…………ちょっと待ってくれ」
一体、何が起きたと言うのだろうか。
辺りに騒ぎは起こっていない。まだ、大半の人間が気付いていないようだ。それもその筈だろう、今日この場に居る人間は誰もが仮装をしていて、普段当然見える筈のものが見えていないのだから。
眠気を覚えたのは、この状況下では俺くらいのものだろう。タイミングを計られたとは思えない。――――ならば、どのタイミングでも良かった。或いは連中が酒に酔い、程良く頭が回らなくなった段階だったのだろう。
未だ目を閉じている猫を抱きかかえると、不満そうな声を漏らした。
「ごめんな、ちょっと我慢してくれ」
探さなければ。
どんな手段でも構わない。仲間を探さなければ。そう思ったが、辺りは全て仮装した人間。プレイヤーかNPCかの区別さえ付かないのだ、似たような衣装がごまんとある中で特定の人物を探す事など、容易ではない。
どうする。リズはどうだか分からないが、城ヶ崎達は全員まとまって大聖堂に向かった筈だ。だとするなら、俺とリズ以外の全員は一箇所に集まっている可能性が高いはずだ。
城ヶ崎は月の仮面に黒いローブ。椎名は猫耳、ララはリザードマンの縫い包み。明智がタキシードに一風変わったサングラス。遥香姉さんは鎧のような衣装だった筈だ。
探さなければ、その組み合わせを。人が多い為に走ることが難しい。俺は人混みをかき分け、仮装している幾つものグループを見た。
数名は、こちらに振り返る。だが――……俺の知っている組み合わせではない。時折誰かは同じ衣装を着ているが、集まっていないのなら違う人間である可能性が高い。
殆どの人間が、この『ヒカリエ』で手に入る衣装を身に纏っている筈なのだから。
「すいませんっ!! ちょっと、通して下さい!!」
加えて太陽の仮面越しでは、視界も狭まっている。いっその事、もう仮面を脱いでしまいたいが――……俺がこの場所に居ると、連中に伝える事だけは避けたい。
先程、ミスター・パペットは俺の目の前を横切っている。ならば、俺の姿と衣装を紐付けてしまえば、この仮装が役に立たなくなるかもしれない。
この場所で、俺だけが、自分の素性を公開する事になってしまうのだ。
見付からない。……やがて、余裕が失われて行く。多くの場合、集まっているだろうと言うだけで、他のグループに声を掛けられれば会話をするだろう。だとすれば、俺達のグループの中で何人かが抜け、別のテーブルに紛れ込んでいる可能性も否定出来ない。
あまりにも早く、賽は投げられてしまった。まるで、俺達が今日この場所に来る事を、知っていたかのように――……
「――――――――え?」
知っていた、のだろうか?
『ガーデンプレイス』に来た時、ミスター・パペットは最後に書き置きを残して行った。その内容は、まるで俺にヒントを与えるかのような謎掛けだった。
『何故、ミスター・パペットは、ガーデンプレイスに木戸恭一が来る事を予言できたか?』
把握されている? 俺達が地下都市『アルタ』から『ヒカリエ』へと向かう事も、ここの仮装パーティーに、参加すると決まったという事も。
いや。そんな筈はない。『ヒカリエ』へと向かう最中も周囲に気を配ったが、跡を付けたり聞き耳を立てたりするような輩は居なかった。少なくとも外側からは、俺達の行動を確認する事は出来なかった筈だ。
外側、からは。
地下都市『アルタ』で起こった椎名の事件。不可解にも、摩り替わる筈の無い場所で奪われていた『デッドロック・デバイス』。
「ない」
――――――――裏切り者がいる。
「それは、ない」
心臓を鷲掴みにされた時のような痛み。胃液がまるごと引っくり返るかのように、気分が悪くなった。浮かんだ言葉を掻き消し、それ以上何も考えないように意識し、俺は周囲に気を配った。
だが、どうしても頭の中に蘇って来てしまう。
俺は。……甘いのか。
繋がっているようで、心の何処かでは繋がっていなかったのか。俺の心の内側に溶け込み、弱みを見せて共有した振りをして、虎視眈々と喰らう機会を伺っていたのか。
そしてなお、この状況でも俺の仲間だと言い張る誰かが居るのか。
それとも、このように不安を煽る事こそがミスター・パペットの作戦である可能性もあるのか。
分からない。想定出来ない内容、そして放って置いても不利になる要因こそが、人を最もパニックに陥らせる原因と成り得る。走っても居ないのに息は上がり、視界が真っ暗になるのをどうにか堪える。
リズ。――――――――エリザベス・サングスター。
どうしてお前はいつも、肝心な時に居なくなるんだ。
「ねえ、ちょっと!!」
肩を捕まれ、振り返った。銀色のメイル。中世のチェーンメイルのような衣装に、同色の兜。その様子はまるでナイトだが、その声から、中に居た人物を特定する事が出来た。
「…………姉さん」
俺はようやく、冷静な思考を取り戻しつつあった。
「やっぱり、恭一? ……ちょっと、大丈夫? 誰を探してるの?」
兜を外して、姉さんが俺に姿を見せた。俺は少しばかり安堵した――――だが、他のメンバーは見えない。やはり、散り散りになってしまったのか。
姉さんは、不安そうな表情で俺を見詰めている。当然だ、姉さんは俺とミスター・パペットが戦ってきた、これまでの状況を知らない。何も知らずゲームに参加して来て、何も知らずに巻き込まれているだけだ。
これ以上、姉さんを巻き込む訳にはいかない。
「……姉さん。『プレイヤーウォッチ』はある?」
遥香姉さんの表情が、一瞬驚きの色に染まり――……そして、曇った。やはり、姉さんもだったか。これでは、ログアウトするという選択肢を取る事が出来ない。
俺は姉さんの肩を掴み、仮面越しに姉さんの目を見た。
「よく聞いてくれ、姉さん。今すぐホテルに戻って、俺が良いと言うまで中に居るんだ。何日滞在してもいい、金は俺が出す」
「……何か、起きているの?」
起きている、等というレベルの話ではない。辺りを見れば、何かに疑問を持ったような人間がようやくぽつりぽつりと現れ始めた。程無くして、この場はパニックに陥るだろう。つい先程、俺が同じ現象に陥ったように。
姉さんは、まだこの世界に来て間もない。これがどれだけ危険な状況であるのか、理解が出来ていないのだろう。だとするならば、選択肢は一つだ。何としても、ミスター・パペットと姉さんを引き合わせないようにしなければ。
「今はまだ、何も聞かないでくれ。後で事情を説明するから」
「…………分かったわ」
たった今、恐らく『大聖堂』内に居るプレイヤー全ての『プレイヤーウォッチ』が消えた。俺に分かるのは、それだけだ。人間は皆、一様に仮装している。ターゲットなど決められる筈がない。ならばと云う事で、恐らくミスター・パペットは大掛かりな作戦に出たのだろう。
大掛かり、か。大掛かりが過ぎる。俺は出入口に向かって行く姉さんの背中を見詰め、そう思った。
NPCには残酷だが、プレイヤーを意識して攻撃のターゲットにするとは思っていなかった――……『アルタ』での出来事は、まだ穏便に済ませていたと云うだけの話だったのだろうか。……恐らく、そうなのだろう。奴は、このゲームに参加している人間を使う事に戸惑いなど覚えていない。
現実世界でも犯罪になる可能性のある出来事を、堂々とするとは思っていなかった。こんな事をすれば、流石に問題になり兼ねない。
「諸君」
背後から明かりが灯り、姉さんが立ち止まった。冷たく凍てついた声色に、自らの瞳孔が見開かれる感覚を覚えた。
まだ、姉さんがこの場所を出ていない。――――まだ、待ってくれ。
「突然の事だが、諸君らの左腕から『プレイヤーウォッチ』が消えた事と思う」
俺は振り返り、その男を見た。
全身を黒い衣装で包んだ、仮面の男。先程俺の目の前を通り過ぎた男が――――ステージに立ち、スタンドマイクを握っていた。これから始まる事に誰も準備などは出来ておらず、ただ俺だけが、この『ヒカリエ』でこれから何が行われるのかを薄っすらと予想していた。
今回だけは、この仮装パーティーに参加した人間全てを巻き込み。
「これから、ゲームを説明しよう」
戦争が、始まる。




