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終末東京で、俺は戦器を握らない  作者: くらげマシンガン
第三章 『ヒカリエ』編
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第二十五話 若者の街、『ヒカリエ』

 地下都市『アルタ』を凌ぐほどの広大な土地を持つ、終末東京きっての大型都市。『ガーデンプレイス』のように蒼穹こそ見えないものの、立ち並ぶ近代的なビルにはどこか、現実味を覚える。


『アルタ』では見ていた、時代背景的に古い建築技術の建物は、『ヒカリエ』に建てられている様子は見えない。代わりにあるのは、デザイナーズマンションのような、美とスタイルに凝ったものばかりだ。


 地下都市の中心にある円形の公園には、噴水と一体化した忠犬ハチ公の姿も垣間見る事ができる。


 噴水の近くに鎮座しているベンチに座り、俺は足を組んで呆然と天井を眺めていた。待ち合わせ場所で、仲間達を待っていた。『アルタ』から『ヒカリエ』までは近く、移動してからそれぞれ、現実世界に一度帰ってから再集合となったのだ。


 俺は気分的に自分の部屋に居たくなかった為、『ヒカリエ』の宿に泊まりながら終末東京世界を観光していたのだが――実のところは勿論気分などではなく、遥香姉さんが来る事を危ぶんでこちら側に来ていた。


 俺から離れろとは言えないが、依存される訳にもいかない。色々と、対応に困るのだ。呆けた表情で缶コーヒーを飲みながら、思わず溜め息を付いてしまった。


 ……まさか遥香姉さんが、終末東京の世界に来るなんて。流れから拒否も出来ず、それとなく付いて来てしまっているが、ミスター・パペットの件には関わらせないようにしなければ。


「何ボケッとしてんの?」


「ゴフッ!?」


 真上から突如として思い浮かべていた顔が現れたが為に、俺は盛大にコーヒーをその顔に吹いてしまった。


「きゃあっ!? 何するのよ!!」


「わ、悪い。一体何の嫌がらせかと」


「声掛けただけじゃない!!」


 もう少し遠くから呼び掛けるようにして欲しい。……いや、どういう状況下であれ、俺は驚いたかもしれないが。


 リズよりも早く、遥香姉さんが到着した。噂をすればなんとやら、である。僅かな綻びも見せない艶やかな黒髪が、それが本物であると俺に告げていた。


 遥香姉さんがタオルハンカチで顔を拭きながら、俺の事を睨み付ける。思わず、目を逸らしてしまった。


「……来たんだな」


「家に行ったら、出ないんだもの。恭一、ずっとこっちに居たでしょ」


「色々と、調べる事もあるんだよ。姉さんこそ、何でまた俺の家に来たんだ」


『ガーデンプレイス』事件の手前、さも当たり前のように姉さんは俺の所に現れたものだが。本当はもう随分と長いこと、俺と姉さんは会っていなかった。正直な所、俺と遥香姉さんとの関係はとうに切れたものなのだとばかり考えていたし、二度と会うことも無いだろうとまで考えていたのが事実だ。


 無闇矢鱈に過去を現実世界に持ち出されているようで、俺としてはどうにも気分が悪い。……いや、遥香姉さんに何か過失がある訳ではない。完全に俺の個人的な問題ではあるのだが。


「ねえ、どうして私のこと、避けるの」


 姉さんが、俺の隣に座る。


 ふわりと、僅かに華やかな香水の香りがする。落ち着いた白いブラウスと薄桃色のフレアスカートは、まるで一枚の絵画のようだ。


 そこだけ時間が止まってしまっている。線の細い輪郭の向こう側に映る景色は淡く、霞んで見えてしまうようで――――どうにも。


「避けてないよ」


 漠然と、そんな事を口にするのが精一杯だった。


「嘘。絶対避けてる。ねえ、何かあるなら言ってよ」


「何も無いって。顔が近い」


「恭一のバカ! 眼力で吐かせてやる」


「や・め・ろ!!」


 視界の端に、金色の影が映った。


 遥香姉さんも、目の前の存在に気が付く。一体何処で何をしていたのか、着慣れた白衣に身を包んだ少女は、俺と遥香姉さんの事を白い目で見詰めていた。


 不機嫌な顔で、俺の事を見ている。


 一体、俺にどうしろと言うのだろう。


「リズ、おはよう。予定通りだな」


「おはよう」


「…………なんだよ」


「べつに?」


 明らかに、『別に』と言う顔ではなかった。姉さんは少しだけ、嬉しそうな顔をしているが――……俺には、その理由が分からない。


 リズは背を向けて、何処かに行ってしまった。集合時間ギリギリまで、何処かで時間を潰すつもりなのだろうか。


「ねえ、リズちゃんって恭一の彼女?」


「どうしてそう思うんだ……なあ、そろそろ離れてくれよ」


「どうしても何も、あんな態度見ちゃったら誰だってそう思うでしょ」


 どうやら、姉さんは俺に彼女が出来た事を喜んでいるらしい。……ぬか喜びも良い所で、そろそろ現実に帰って来て欲しいものだ。ここはゲームの中ではあるが。


 ミスター・パペットの尻尾を積極的に掴みに行こうとしたら、遥香姉さんに尻尾を掴まれてしまった。最も、人数が増えれば増える程にその管理は難しくなっていくのがプロジェクトと云う物なのだから、文句は言っていられないか。


「そういえば、姉さんはもう元素関数とアビリティについて調べたのか?」


「うん、元素関数は爆発だったよ」


「爆発?」


「うん。爆薬を作ったり、爆発を起こしたり出来るみたい」


 その発言には、驚いた。元素関数と言えば自然現象に関係するものだけかと思っていたが、そうでは無いようだ。考えてみれば、椎名の『炎』や城ヶ崎の『重力』に当て嵌まるとは云え、俺には元素関数が無いし、リズは『不確定性』、明智に至っては『治癒』と、最早何を指しているのか分からないものまで元素関数に指定されている。


 俺が考えている以上に、元素関数とアビリティについては自由度が高いものなのかもしれない。


「そっか。ジョブは?」


「賢者」


「やはりか……」


 少なくとも前衛職ではないと思っていたが、やはり賢者だったか。遥香姉さんらしいと云えば、そうなのだが。


「アビリティは?」


「秘密」


「なんでだよ」


「だって、アビリティって、本人のコンプレックスに関係するものが多いでしょ? 私、恭一に見られたくないもの」


 そう言って、不敵に微笑む遥香姉さん。……そう考えると、一体アビリティに何が表示されたのか、何となく予想出来なくもない。その効果については、全くの未知数だが。


 説明書を真剣に読んだのか、遥香姉さんはゲームを始めて間もないにも関わらず、終末東京の事をよく知っていた。勘の良い姉さんの事だから、きっとレベルを上げるのに大した手間も掛からないのだろう。


 姉さんのコンプレックス。意識せずとも、考えてしまう。あの日から遥香姉さんがどのように変わったのかは俺の知る所では無いが、俺に知られたくない事となると、やはり……


「ほら、勝手に人のプライベートについて考えてないで。喉渇いたから、飲み物買って来てよ」


 何かを言われる度に思考してしまう癖を見抜かれ、姉さんは俺に小銭を渡した。頭の中に浮かんだ内容を、引っ込めざるを得ない。


 自分の事を何もかも知られている相手。知らず、やり難さを感じてしまう。


「……分かったよ。何がいい?」


「昆布茶」


「ねえよ」




 ◆




 全員が集まると、早速俺達は『ヒカリエ』の街を幾つかのグループに分かれ、散策する事となった。ミスター・パペットの追い掛けている、次なる『デッドロック・デバイス』が何処にあるのかはまだ見当も付いていないし、何処でミスター・パペット及びその雇われ兵隊と鉢合わせる事になるか分からない。


 従って、一人では居ない方が良いが、全員で回っていたのでは明らかに効率が悪い。そう考えた上でバランスを取った結果、俺と共に回る事に決まったのは。


「見て見て!! 木戸くん、アイスクレープなんか売ってるよ!!」


 この『ヒカリエ』の地に来てからというもの、やたらと騒いでいる椎名美々と。


「木戸さん、椎名さんと見て来てください。荷物は私に任せて頂いて」


 俺の斜め後ろに陣取り、決して出しゃばらず、意見を主張せず、木偶の坊と呼ばれても笑顔を見せそうなララ・ローズグリーンの二人だった。


 余りにも異色の取り合わせの為、俺もどう対応して行けば良いものか、頭を悩ませてしまいそうだ。戦闘に秀でている者を上から順番に分けた結果、こうなったと云うだけの話ではあるのだが……。如何せん、その点については俺が最も特殊で活躍の場が限定されている為、選択の余地が無い。


 パーティーの弱点に成り得る俺とリズは分かれていた方が良い。その点についてはララも同じだったが、明智と共に行動させると弱点がより増える為、俺・リズ・明智を分かれさせ、ララを俺のグループに付けたと云うのが事の始まりだ。


 まるで椎名と二人で居るかのような雰囲気だが、斜め後ろに静かな存在感を覚える。


「ララも、好きなもの見て良いんだよ。別に俺も椎名も、お前のご主人様って訳じゃ無いんだし」


「いえ。明智さんが認めたお方なら、私は付いて行くだけですから」


 我先にと走って行く椎名を眺めながら、俺は不意に考える。


 ララは、思えば『ガーデンプレイス』に居た時からあまり自分の主張と云うものをして来なかった。故に俺にとってのララ・ローズグリーンという存在は行き場を無くし、明智大悟に付いて来ただけの女性だと云う認識だったので、あまりその点について深く追及する事も無いと思っていたが。


「あんた、自分の事、あんまり話さないんだな」


 それにしても、仲間は仲間だ。この辺りで、事情を聞いておくのも悪くは無いだろうか。


「私は元々、ミリイさんに拾われただけの存在ですから……そのミリイさんが居なくなった今、これからどうするべきなのか、迷っているんです」


 現実世界には存在しない、血のように赤い髪。ナチュラルな猫っ毛のボブカット。取って付けたようなメイド服。


 俺にとってのララ・ローズグリーンは、そんなイメージでしか無かった。


「テトラさんも、居なくなってしまいましたし……」


 明智が外部の人間だと仮定すると、『ガーデンプレイス』で働いていた人間で、ララが親しくしていた人間は全て死んでしまった。


 そこに、何を考えただろうか。


 改めて、NPCと云う存在の重さを感じる。終末東京の世界に遊びに来ている俺達とは、やはり命の重さが違う――……俺達は、プレイヤーウォッチが奪われる事について警戒し、恐怖していた。だが、ログアウトが出来ない存在であるララ・ローズグリーンは、俺達がこの世界で最も恐怖している待遇に、初めから成っているのと同じなのだ。


 外に出れば四六時中クリーチャーの脅威に晒され、決して休まらず、安心出来ない世界。


 それを言うなら、エリザベス・サングスターもまた、同じ境遇に立ってはいるが。


「そういえば、だけどさ」


「はい?」


 孤独。


 何となく、ではあったが。ララの置かれている立場は、『頼る人間が居ない』という意味で、俺と共通点があるように思えた。だからこそ、普段ならば言わないような台詞を頭の裏側に用意してしまったのかもしれない。


 今の今まで、忘れていた。ララの立場を考えなければ、俺には何の関係もない話だった。


「ミリイ・ロックハインガムが、『NPCでも現実世界に行ける』って話してたよな」


「そうみたいですね。私は勿論、何も知らないですが……」


「この旅を通してだけどさ。ミリイさんが言っていた『デッドロック・デバイス』の元々の持ち主って奴が、あの人を現実世界に連れて行ったみたいじゃないか」


 取って付けたような理由だっただろうか。後付けには違いないが。


「会えると良いな。……それを、ララが明日を生きるための目標にするってのも、悪く無いんじゃないかと思ったんだ」


 その言葉が、身寄りを失ったララ・ローズグリーンの、何かの支えになっていれば良い、等と。


「……お優しいのですね、木戸さんは」


 どうしようもなく微笑むララを見ながら、そんな事を考えている自分がいた。


 優しくは無い。唯、似たような立場に立たされた人間の思考回路と云うものは、どのような時でも大方似通るものだ。俺もまた、生きる目標を手に入れる為に、酷く苦労をした――……俺の場合は、現実から隔離された空間に退避する事によって、『人生の目的』と云う、最も人間的とも言える考え方そのものを捨て去る事によって今を生き長らえているが。


 人は脆い。災害、死別、隔離、或いは失望や混乱、嫌悪等によって、容易くその根底にあるものを否定してしまう。何処まで行っても自分は自分だと言うが、それは言ってしまえば自らの経験によって、自分と云う存在が常に変化し続けていると云う事の逆説に他ならない。


『自分』とは、過去の経験によって作り出された、或る一つの道筋の鏡に過ぎない。ララが自分自身を殺していると云う事実は、ララが自身を殺さなければ生きて行く事が出来ない境遇に立たされている、或いは立たされていた、という一つの証明になるのだ。


「はい、木戸くん。アイスクレープ」


「……おお、買って来たのか」


「チョコバニラいちご、どれがいい?」


「バニラ、かな」


「ララちゃんは?」


「あ、私は苺が」


 それぞれに通りで買って来た菓子を手渡すと、椎名は建物の陰に貼ってあるチラシを指差した。小さいので、目で追うことが難しい……何かの催し物のようだが。


「仮装パーティー、やるんだって」


「仮装パーティー?」


 椎名に言われ、壁に貼られているチラシに近付き、まじまじと眺める。地下都市『ヒカリエ』最高規模のイベント、と少々大袈裟過ぎるのではないかとも思える程の見出しがあり、覆面を被り踊っている男女が背景になっている。


 当然のように夜間スタートで、まあパーティーと言えば夜なのだろうが――……珍しいな。仮装パーティーなんて、あまり公に宣伝するような代物ではないと思っていたが。


 まあ、現実世界における常識など、このイレギュラーな要素が幾つもあるゲームの世界では、あまり気にもならないのかもしれないが。


「私、仮装パーティーなんて行った事ないけど……ちょっと、興味はあるんだ。皆誘って、行ってみたいな」


「…………俺も?」


「当然だよ!!」


 椎名は目を輝かせてそう言うが……俺としては、あまり気乗りしない。そもそも、人が集まる場所と云うものが苦手なのだ。集団の中に居て孤立する人間などは世の中に腐るほど居るだろうが、敢えてその一人に成るために潜入しようとも思わない。


 踊りも苦手なら、日常会話もそれ程得意ではない。今更ながら、自分の社会的コミュニケーション能力の低さに呆れる。


「ほら、城ヶ崎に連れて行って貰ったらどうだ。お前が誘えば、喜んで行くと思うぞ」


 最も、城ヶ崎が文化的な芸術作品に興味を持つとも思えないが。


「城ヶ崎くんが参加するのはどうでも良いけど、私は木戸くんにも参加して貰いたいよ」


 余りにも酷い発言だった。


「いや、俺はこういうの、あんまり……」


「リズちゃんにも声掛けるよ? 私達に何かあったら、木戸くんも居ないと大変じゃない?」


 ……成る程。俺はどうやら、保険のようだ。


 駄目だ。椎名の顔が、俺も来いと言っている。俺に対する配慮よりも、明らかにこの眼の前にある特殊なイベントに対する好奇心が勝っている。


 俺は小さく溜め息を付いた。


「……分かったよ。他の皆も行きたいって言ったらな」


「やった!! ねえ、ララちゃんも行ってみたいと思わない!?」


 唐突に話を振られて、ララが挙動不審な動きを見せた。決断を急ぐ椎名の言葉は、先程までララの消極的さについて考えていた俺を、何とも言えない気持ちにさせたが。


「あ、あの、私は、皆さんの好きな方で……」


 彼女なりの遠慮なのか、それが彼女の意思だと考えているのか。何れにしても、何かに対する決断をするという行動そのものを、酷く戸惑い、躊躇する傾向にある。


 あまり、良い傾向ではないな。俺が目的を伝えた程度では、この悪癖は治りそうにない。


 彼女の方針を変更させるに足る、何らかの大きな出来事。それが無ければ、ララはきっと何時までもこのままだろうと思えた。


「ところで、お前って何で城ヶ崎にそんなにきついんだよ」


 何気無くそう言うと、椎名は急に仏頂面になって、言った。


「ええ、だってなんか軽そうなんだもん。私、ナンパ男と裏切り男は世界で一番嫌いだから」


 それは、椎名の経験が大きく影響しているのだろうけど。


 それが今掛時男を取り巻く事件に終始するのなら、俺にも少し思う所がある。


 地下都市『アルタ』での出来事について、俺は『ガーデンプレイス』で起こった出来事と合わせて、改めて考えていた。椎名の元恋人である今掛時男は、果たして何処までミスター・パペットの味方だったのだろうか。


 勿論、誉められた事をしていないのは確かだ。だが、『ガーデンプレイス』で結果的には明智の薬にやられたアタリも、ミスター・パペットの直属の部下では無いようだった。ただ、金で雇われただけの兵隊に過ぎない――……それが分かってから、俺は新たな疑問を抱えていた。


 つまり、今掛時男は、一体どのような動機でミスター・パペットと手を組んでいたのか。


 若しもそれが『金』と云う事なら、俺達が思っている以上に、問題は込み入っている。何時如何なる時代でも、金と犯罪はこの世で最も大きな問題に成り得るのだ。


 例えば、金が無ければ何か大切なモノを失う状況だったとして。金を稼ぐ為に手段を選んでいる暇が無ければ、その人間が犯罪を冒したとして、一概に愚かだったと言う事が出来るだろうか。


 若しも死に関わるような問題だったとしたら、尚更だ。


「――――そうかな。城ヶ崎は、外見だけで判断しちゃいけない人間だと思うけどな」


「えー! そうかなあ」


 アタリにしても、何かの問題を抱えている人間だった事は間違いがないのだ。ならば今掛時男にとって、道を踏み外さなければならない状況でミスター・パペットに唆されたのだと予想する事は、そこまで道理を外れていないように思える。


『でもさあ、邪魔しないでくれよ。これは俺とデブ子の問題で……あいつも、俺がヒーローみたいに助けに来るのを期待してんだよ。……こんな出来損ないで、何も出来ない俺を頼ってんだ。……ヒヒ、あいつも馬鹿だよなあ』


 一口含んだアイスクレープは、現実世界のそれよりも、幾らか甘く感じられた。




 ◆




 一周して、俺は俺なりに『ヒカリエ』のマップを頭の中に叩き込んだ。


 この巨大都市『ヒカリエ』は円形の地下都市で、東西南北にそれぞれ出入口を構える。各出入口は十字を描くように広い直線の道によって繋がれていて、何処かの出入口に辿り着けば、遥か遠方にもう片方の出入口が見える、という作りになっていた。


 十字で区切られた土地にそれぞれ明確な区分けがある訳では無かったが、住宅地よりもカンパニーの方が多かった『アルタ』に比べ、ショッピングモールに充実した武器・防具売り場など、より消費者向けの店舗が揃っているように感じられた。その事からも、この巨大都市に人が集まっている理由が分かる。


 俺達は向かって南側に位置している喫茶店『ぽっぽ』に集合する事にしていた。別にホテルを取らなければいけない訳では無かったし、どちらかと言えば常に自宅へと一瞬で帰る事の出来るこの世界でホテルを取る意味など無いようにも感じられたが、結局の所、俺達は現実世界よりも幾らか安いホテルを借りる事にしていた。


 バトルスーツに着替えたり、一時的に休息を取ったりと、何かと使う事が多い。それが、このような世界にもホテルや旅館が相当数ある理由なのだろうと思う。


 夜が訪れると、城ヶ崎を筆頭に、俺達もログアウトしなければならない理由が出て来る。遥香姉さんの居る今、俺が向こうの世界の家に帰る事は無いが――……ホテルの近辺を散歩するのも、いい加減に飽きた。そもそも、昼間に再三散策をして来ているのだ。回る所など、もう残ってはいない。


『デッドロック・デバイス』に関係する情報は、とうに見付かる事は無かったが……まあ、何日か居る間に何か情報が見付かるかもしれない。そうでなければ、次の街に向かうと決めるだけだ。


 月は見えない。街灯の明かりだけが道を照らす中、俺は漠然と道端を歩いていた。


「あ、やっと見つけた。恭くん」


 呼び掛けられて、振り返った。


 今日一日、特に接触する機会も無かった少女だ。エリザベス・サングスター。夜に残るのは俺とリズ、そしてララくらいのものだ。若しかして、俺が一人になるタイミングを待っていたのだろうか。


 そう思える程に、リズの瞳には俺に対して何かを質問したいと云う欲が見て取れる。


「そのうち戻るんだから、ホテルで待ってりゃ良かったのに」


 そう言うと、リズは少しだけ不機嫌そうな様子で答えた。


「朝までに戻る保証なんて、してなかったじゃん」


「ま、それもそうか」


 リズがこちらに駆け寄って来る。すっかり通りに人は居ない……深夜の二時も回れば、ログインしているプレイヤーもゲームをやり込む人間だけに限られて来る。そういった連中はこの時間、地上へクリーチャーを狩りに出ているから街には人が居ないのだ。それも、このゲームを始めてそれなりに経験が付いて来たからこそ分かるようになった事だったが。


 地下都市に帰るよりもログアウトした方が早いゲームで、ホテルを取っていない人間に地下都市に戻る理由は無いのだった。


「ねえ、恭くん。良かったら、ホテルに戻って少し話さない?」


「ああ、どの道そろそろ戻るつもりだったけど」


 ホテルに戻れば、この時間はララが居る。特に気にはしないだろうが――……リズが聞きたがっている内容を察するに。


「別に、今ここで聞いても良いけど?」


 此処で聞いた方が、都合が良いだろう。


「じゃ、ここで…………聞こう、かな」


 リズは躊躇している様子だったが。


 言うまでも無く、姉さんの事についてだろう。俺の方から勝手に話してくれる筈も無く、と云った所か。


「……あのね、恭くんの、お姉さんの事についてなんだけど……血が繋がってる訳じゃ、ないんだよね?」


「ああ、遥香姉さんは俺の兄貴の妻に当たる。直接的な血縁関係は無いよ」


 唐突に現れて、皆が混乱しているようだった。それでも一時の違和感など、遥香姉さんの存在が周囲に認められ、慣れて行くに連れて消滅していくものだろうが、今は致し方ない。


 俺だって、まさか終末東京の世界に関わって来るなどとは考えて居なかったのだ。他の皆に理解が出来なくて当然だ。


「そっか。……でも、じゃあ、家族なんだ。恭くんの奥さん、とかじゃなくて?」


「いないって、そんなの。考え過ぎだ」


 そもそも、誰とも付き合った事さえないのに。そのような嘲笑を含めたつもりだったが、リズは俺の瞳を真っ直ぐに見てきた。


 それはまるで、嘘を吐いた子供を叱る時のような瞳に見えて。思わず、心臓が早鐘を打つような一瞬があった。


「ううん。……なんだか、恭くんがお姉さんを見る目が、ちょっと何か、違うような気がして。……何かあったのかなあ、って」


 俺は、固まってしまった。


「ごめん、何でもないよ。気にしないで」


 鋭いと、思う。


 自分自身でさえ騙して、すっかり何事も無かったかのように振る舞っているつもりだったのに。


 抱えている記憶と云うものは、本人が思っている以上に外面に作用する。それは分かっていたが、それにしてもリズのこの鋭さは何だろうと、暫しの間考えてしまった。半日を共に過ごした椎名でさえ、俺にそんな質問を投げ掛けては来なかったのに、何故大して話もしていないリズが。


 ……俺はまだ、引き摺っているのだろうか。とうに終わった事で、もう二度と帰っては来ないものなのに。


「気のせいだよ」


 だが、俺はリズにそのように、答えた。リズは俺の返答に少しだけ寂しそうな笑顔を見せたが、直ぐにそれは元通りになる。


 今はまだ、何かを言うようなタイミングではないと感じた。リズはまだ、遥香姉さんの事を何も知らない。現実世界で、俺が何をしたのかと云う事も、また。


 終末東京の世界だけで生きる。それは本人にとっては寂しい事でもあるのだろうが、逆に言えば、不必要な社会のしがらみに捕らわれず、生きて行けるという側面もあるのではないか。


「――――あ、猫」


 リズが気が付いて、振り返った。小さな虎猫が、真っ直ぐに俺とリズに向かって歩いて来ていた。


 こんな時間に、腹でも減ったのだろうか。虎猫は俺の足下まで歩くと、餌をねだるようにズボンに擦り寄って来る。


「持ってないぞ、食い物なんか」


「あ、私、にぼし持ってるよ」


「……持ってるのか」


「なんか、この辺りは猫が多いみたいで。昼間に買っておいたんだよね」


 リズがポケットから煮干を取り出し、猫にそれを与える……そんなに猫が多かっただろうか。俺の所には、これまで寄って来るような雰囲気は無かったけれど。


 南の方はあまり深く歩き回らなかったから、それが猫と出会わない原因だったのかもしれない。


 リズが煮干を与えるも、猫は俺の足下から離れようとしない。食べてはいるのだが、俺がその場を離れそうとすると嫌がって、行く手を阻んだ。


「すごいね。好かれたのかな」


「何もしてないよ」


「フィーリングじゃない? 動物にもそういうの、あるみたいだし」


 あまりフィーリングと云うもので好き嫌いを判断する事はないので、よく分からないモノの基準に思えたが。……まあ例えば、一般的には何となく相性が良さそうだ、何となく一緒に居て楽しそうだといった理由で人付き合いをしていく人間も居るようだから、そうなのだろうか。


 人間の外面程信用出来ないものはそうは無いだろうと思っていたが。思考の裏側で、僅かに日中の椎名を思い出していた。


「……あの、恭くん、さ」


「どうした?」


「…………ううん、なんでもない」


 猫が食べ終わった事を確認し、踵を返して、歩いて来た道を戻って行く。夜のしんと冷えた大通りは相変わらずの静寂ぶりだったが、その背中から一声、俺に向かって鳴く動物の声がする。


 ……二声。……三声。


 リズが苦笑して、俺の顔を覗き込んだ。現実世界では殆ど外に出ない俺としては慣れない現象に、こめかみを指で押さえて溜め息をついた。


「連れて行く?」


 夜の大通り、人は居ない。無視をして帰るには、この閑散として静寂に包まれた環境は気分が悪い。


 ああもう、仕方無いな。



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