第二十三話 拳振り翳す者に決意を、去り行く者に涙を
内部から身体を破壊していく明智の薬品は、治癒として効かない以上、使い道は相当に限られるが……全く何の長所も無いかと云えば、そうではなかった。
バトルスーツの介入をさせずに、直接的に相手へと作用する攻撃。その本質は、相手のレベル差を考慮せずとも、確実にダメージを与えることが出来る、という部分にあった。
「なっ……!? 何を飲ませやがった……!! ぐっ……ぎゃああああああっ…………!!」
如何に外殻を強固な装備品で固めたとしても、レベルが高かったとしても。その内側は、脆い人間である事に変わりはない。故に、飲ませる事さえ出来れば必殺。そこまでが難しいとは云え、このメリットはかなり大きい。
唯のゲームだと侮るべきではない。俺達は何処まで行っても、この終末東京の世界においてひ弱な人間でしかないという事を、思い知らされる。
「お前が背を向けてきたものが、どれ程に貴重か。……一度、考えてみたらどうだ」
断末魔の叫びが聞こえて来る。それは勿論、アタリによるもの――……気が付けばサンズだけではなく、屋上には秋津や松野、ララの姿もあった。屋上から伸びる植物の存在に気付いたのだろう。
それは、異様な光景だった。全員に見守られる中、屋上の中央に立ったアタリの身体から、ツタのような植物が止めどなく生えて来る。内蔵から生まれ、皮膚を突き破り、破壊する。それは寄生虫のようにも見えた。
明智大悟はミリイの前に腰を下ろすと、胸ポケットから煙草を取り出し、どうにか手で影を作って、火を点けた。何時の間にか、雨は幾らか小振りになっていた。
「――――『人食植物』。解毒剤として作られる、『解毒植物』に変化が加えられたモンだ。有毒の植物に肉体を侵食される効能。『解毒植物』がありゃ、侵食する前なら毒から身を守る事が出来るが……持ってないだろ、そんなモン」
今になってようやく、終末東京のアビリティが持つ悪戯の正体――のようなもの――に、俺は気が付いていた。
『皮肉』は、人を傷付ける刃となる。己の中にある恐怖。プライド。エゴ。そして、虚栄心……そのようなモノは、長きに渡る人付き合いの中で少しずつ削られ、見えなくなって行くものだ。
人と上手くやっていく為に必要な技術。多人数で動くことを主とする『人間』と云う種族は、誰かと衝突をしないよう、出来るだけ我の強い主張が表に出て来ないように訓練していく。
逆に言えば、『誰かと衝突をする』為には、自らが抱えている我の強い部分、或る意味では弱点とも取れる部分を強化すれば良い。……だから、終末東京のアビリティは人の弱みに付け込んだ内容である事が多いのだろう。
正に、『皮肉』が武器になっているのだ。
アタリは自分の身体を蝕んでいるそれが明智のアビリティに拠るものだと気付き、鬼か悪魔でも宿ったかのような表情で明智に向かって歩いて行く。
だが、その様子は酷く儚いものだった。それまでの全身から湧き出る威圧感や強さ等、微塵も感じさせない。
覚束ない足取りで、既に膝は笑っていた。全身から、植物を生やし。既に口から突き出たそれによって、くすんで濁った声色のまま、アタリは叫ぶ。
「きさまあああああああ―――――!! 解けっ――――!!」
無駄だ。
『人を治すための技術で、人を傷付けてしまったこと』。それこそが明智の弱みであり、明智の恐怖。故に、この終末東京の世界で明智は、自分の弱みを克服出来ないようになっている。明智の技術では、自らが作った『人食植物』を止める事は出来ないのだ。
どうしても治して欲しければ、『解毒植物』を持って来るか、それを作る事が出来る明智以外の医者を連れて来るしかない。
だが、アタリには既にその手段も、時間も残されてはいなかった。
「てめェ、医者やってんだろうが!! 治すのが仕事じゃねえのかよ!! てめェの前に居るのはモブじゃねえ、人間様だぞコラ!! ――――ぐがぁっ!!」
ついに、明智の植物がアタリの喉を突き破った。明智の両肩を掴んだアタリは、しかし既にそれ以上、一歩も身動きを取る事が出来なくなっているように思えた。
今回の舞台が、『ガーデンプレイス』であったこと。アタリを含む他の誰もが、最低限の装備で挑まなければならなかったこと。……それが、明智の『人食植物』を決定打に添えた理由だ。
アタリの『プレイヤーウォッチを奪う』と云う作戦を、逆に利用させて貰った。限界ギリギリまで耐えれば、アタリが自身の『プレイヤーウォッチ』を取り出す事無く、戦いを終わらせる事が出来ると踏んでいた。
仮にアイテムが入っていたとしても、それらは全てプレイヤーウォッチの中にあるだろう。特に、『毒消し』等のニーズがピンポイントなアイテムは、優先順位が下がるに違いない。
明智は真っ直ぐに、アタリの目を見据えて。しっかりとした、敵意を剥き出しにしていた。激しさは無いが、安定した感情の内側に潜む怒りは、アタリを怯えさせるには充分だったのだろう。
一瞬、アタリが身を引いた。
「お前さんは、有能なんだろう。一人で何でも出来るんだろう。……だったら、一人で何とかしてみろ」
小さな怒りは、しかしアタリを攻撃するには至らない。
いや、恐らくきっと――――既に、殴る価値も無いのだ。この戦いは、終わっているのだから。
始まりは一瞬でも、動き出した歯車は止まらない。泣きながら、アタリは明智の胸倉を掴んだ。澄ました顔で、相も変わらずにアタリの様子を見詰めている明智を睨んだ。
「ざけっ……!! デベェッ!! 絶対殺す!! 今殺す!! ごど、悪魔…………」
お願いだから、助けてください。
何故か俺には、アタリがそのように言っているのだと。そう、感じていた。
だが、明智は絶対に許さないだろう。明智にとってテトラ・エンゼルゴールドはきっと、家族のような存在だったのだろうから。
ララ・ローズグリーンを、危険な目に晒したのだから。
ミリイ・ロックハインガムの、命を狙ったのだから。
「なんじゃ、こりゃあ……」
サンズが苦々しい顔をして、アタリの様子を見詰めていた。人間の身体から、植物が突き出てくる恐怖――……。秋津はサンズの陰に隠れ、松野は胸の辺りで、拳を強く握り締めていた。
だがララは、意外にもしっかりとした眼差しで、アタリを見ていた。
テトラ・エンゼルゴールドを殺した者の末路をこの目で見届けるのだと、そう言っているように感じた。
「なおぢで……ぐだざい……いだい……」
遂にアタリから、弱音が吐かれた。既に身体の形は変わってしまっている。能力を使って人を攻撃する事など、考えていられないのだろう。
巡り巡り。人の行動に対する責任と云うものは、結局は自分に返って来る。自分の決断。配慮。或いは、裏切り。それらを必然的に全て背負って、人は明日への道を歩いて行かなければならない。
無視したものがあれば、当然無視される。攻撃すれば、攻撃される。
愚かな事をしたのだと理解する時は、いつも自分が過ちを冒した後なのだから。
アタリの全身を、白色の光が包み込んだ。
「おがあさん――――――――」
最後にたった一言、それだけを呟き。アタリは、光の粒に呑まれてそこから消えた。
「終わった……のか?」
城ヶ崎が足腰も立たないままで、呆然とそう呟く。後に待っていたのは――――限りない、静寂だった。
座り込んだ明智。立つ事が出来ない城ヶ崎。恐らく、遥か遠くで俺達の様子を見守っているリズ。倒れた椎名。……そして、瀕死の俺。
満身創痍だ。辛い、辛すぎる勝利。たった一人の人間相手に。
だが、結局はアタリも。
「…………弱いもんだ。……人間、……なんてよ」
明智が言った通りだったのだろう。
どんなに強がっても、心の隙は隠す事が出来ない。……アタリは、弱かったのだ。どうにか現実から逃れようと、逃げて、逃げて、こんな所まで来てしまった。向き合わなかった人間に残された末路は、誰かに利用されると云う結末だった。
夥しいまでに広がり、雨に溶けて行く血の痕。呆然とそこに立ち尽くす一同と、ただ自らのネクタイの位置を直す明智大悟の姿がそこにはあった。
――――いや。
今の今まで、明智の後ろで何も言わず、黙っていたミリイ・ロックハインガムが。車椅子に座った状態のまま、その場に座り込んだ明智の肩に、手を乗せた。
「大悟さん」
どうして、顔も見ていないのに分かったのだろうか。
「泣かないで、ください」
声も無く、明智は奥歯を噛み締めて、泣いていた。それはこの惨劇に終止符が打たれたことについて、何かを感じたから、だったのだろうか。それとも、既に元には戻らない惨劇を想っての涙だったのだろうか。
それとも――――狂ってしまったアタリを治すことが、自分には出来なかったから、なのだろうか。
しとしとと降り続く雨の中では、煙草の火など一瞬にして消えてしまう。水を吸って皺になった煙草を噛み締め、自身も血だらけのまま、ずぶ濡れのまま。
堰を切ったように泣き出した明智の涙の訳を、俺は多分――――本当の意味では、理解出来ていなかったのだろうと思う。
○
翌日。
結局、椎名はどうにか持ち堪えたようで、旅館のベッドで丸一日程度、死んだように眠っていた。一度ログアウトして一定時間が経過してしまえば、体力は知らず回復していくものらしい。目が覚めて直ぐにそれを聞いた椎名は、迷わず終末東京の世界からログアウトした。
『ガーデンプレイス』に残ってしまう形になるのは仕方が無いが、俺も城ヶ崎も傷だらけだ。無傷で済んだのはリズだけで、その状態で地下都市『アルタ』まで戻る事は厳しいと判断した。
『ミリイはさ――――死んだ嫁さんにさ、似てたんだよ』
ミリイ・ロックハインガムは、その後間もなくして、息を引き取った。
どうやら、雨で相当に衰弱してしまったようだった。傘がどうだという状況では無かったので、俺達は最善の行動を取ったと言える。元より、それ程長く生きられる状況ではなかった。この結末は仕方が無かったと、後に明智は語った。
それでも、俺はミリイの最期、そばに寄り添った明智とララの会話を、今後生涯に渡って忘れる事は出来ないだろうと思う。
『若しかして、蘇って来てくれたのかと思った。本当は辛い癖にいつも笑顔で、事あるごとに『私、幸せよ』って言ってなあ。……人の気も知らねえで』
『そう? ……私、奥さんの気持ち、分かるわ』
手を握り、産まれたばかりの赤子に与えるような微笑みを、明智はしていたように思う。俺はと云えば、すっかり眠ってしまった椎名と城ヶ崎の看病をリズがしていた為、一人意識があるままで、どこに行って良いものかも分からなかった。
最終的に、居心地悪くもミリイの部屋に居座るしか無かった。
……本当は、明智に居て欲しいと頼まれたのは秘密の話だ。
『大切な人と巡り逢えた時の喜びは、やっぱり何にも代えられない物だと思うの。その人は大悟さんに逢って、『この人となら残りの人生を素敵なものに出来る』って思ったんだわ――――それって、すごいことよ』
松野はと云えば、プレイヤーウォッチが戻って来てから直ぐに、ログアウトして出て行った。もう二度と、終末東京の世界に来ることは無いらしい――……本当は別人だったと云えど、自分の姿で佐野が攻撃された事に、ある種の負い目を感じているのだろう。
『そうかァ? ……俺は『もっと幸せにして』って意味だと思って、必死になっちまったけどなぁ』
『奥さん、子供は?』
『……腹ん中に居て。……駄目だったよ』
『そう――――』
サンズは俺を疑った事を詫びて、何処だったか――……『アルタ』とは違う地下都市に、秋津と帰って行った。しかし、こんな事が起こってしまった以上、彼等もまた終末東京の世界にもう一度来たがるかは、疑問が残る所だ。
俺だって、このままゲームを続けたとしても、もう二度とこのような事は起こしたくない。架空の世界と云えど、誰かが死んで行く様子など見たくはなかった。
テトラ・エンゼルゴールドは、二度と終末東京にも、現実世界にも現れる事はない。
それこそが、死んでもプレイヤーである限り現実世界に帰れる俺達と、そうではないNPCとの差であり。
また、明智大悟が必死になって取り払いたかった、冷酷な足枷の一つであった。
『ねえ、大悟さん。……お願いがあるの』
『なんだ?』
ララ・ローズグリーンは、一部始終が終わるまで、何も言わなかった。
『この薬指に嵌まっている『デッドロック・デバイス』はね。……指輪なのよ。もし、次に大悟さんが、残りの人生を共に歩きたいと思えるような人に出逢えたら、これを渡してあげて欲しいの』
『いや、しかし……この世界のアイテムは、現実世界には……』
『持って行けるわ。……本当は、持って行ける筈なのよ。だって、私が行けたんだから。……素敵だったわ、廃墟じゃない地上。危険のない世界――――美しい――――空――――』
閑散とした旅館、『ガーデンプレイス』。その事件が終わり、アタリが居なくなると、嘘のようにシェルターの電力は元通りになった。まるで、アタリではない何者かが、意図的に電力を元に戻したかのように。
俺は今、海を眺めて砂浜に座っている。
『ねえ、大悟さん。――――――――私、幸せよ』
それが、ミリイ・ロックハインガムが、恐らく最愛の人であっただろう明智大悟に言った、最期の言葉だった。
それきり部屋から出て行ってしまった俺には、その後明智大悟が、ララ・ローズグリーンが、どれだけ泣いたのかを知らない。
或いは、嘘のように微笑みを浮かべて、涙を流していたのかもしれない。
せめて、そのような美しい光景であれば良いと、俺は考えていた。
全ては俺の空想であり、また『そうであったらいい』等という、意味もない希望ではあったが。
「恭一」
鳥の声が聞こえる。照り返す太陽が少しずつ昇り、朝焼けを見ていた俺も気が付けば太陽の暑さを感じ始めていた。背中から呼び掛けられた声に俺は振り返り、見慣れた気の良い親友の顔に微笑みを返した。
「城ヶ崎」
「すまねえな、ずっと眠ってたみたいで。……二人は?」
「リズは明智の所に居る。椎名はとっくに起きて、ログアウトして行ったよ。また、体力が回復したら戻って来るらしいから……そうしたら、四人で帰ろう。『アルタ』に」
「そうだな……アー、なんか数日の出来事だった筈なのに、めっちゃ長く感じたわ。疲れ取りに来たのに疲れてんの、ウケるよな」
背伸びをして気楽にそう言う城ヶ崎に、俺は思わず笑ってしまった。
「ウケてる場合じゃないだろ。……お前、そろそろバイト復活じゃないか」
「ゲッ……そう、復活どころの場合じゃねえよ。いつからだっけ? ……無断欠勤してたらやべえ……一旦、ログアウトしないとな」
「すぐ、戻るか?」
「ああ。荷物取って来る」
俺は走って戻って行く城ヶ崎の背中を眺めていた。
「――――城ヶ崎」
不意に。
「おう?」
気が付けば、俺は城ヶ崎を呼び止めていた。恐らくこの『ガーデンプレイス』での事件が始まってからずっと気になっていた事を、今更になって聞こうとしている自分が居た。
海風は唯、俺達の間に吹き続けている。
「……お前さ」
どうして、テトラ・エンゼルゴールドが殺されたり、佐野や秋津が攻撃されていく中、平常心を保つことが出来たんだ。
それ所か、今掛時男の時に比べて冷静だった。見た目は軽いが、内側では冷静に炎を燃やす男だと云う事は、始めから分かっている事ではあったが。
それにしたって、通常は椎名のように、臆病になるのが一般的だ。恐怖に負けて、本来の実力を発揮出来なくなるもの。
俺は城ヶ崎を呼び止め、その疑問を――――…………
「…………いや、何でもない」
何かがあった。そんな事は、見れば分かる。それなのに、『何かあったのか』等と軽率な発言をする事は、どうしても躊躇われた。
頭に疑問符を浮かべたまま、目を丸くして俺の事を見ている城ヶ崎。だが、俺の様子を察したのか、そのままの笑顔で言った。
「んじゃ、一旦荷物まとめて戻るからさ。四人で『アルタ』に帰る時に、また連絡くれよ」
「……分かった」
そうして、会話は終了した。
或いは、それは普段から人の様子の変化に過敏な城ヶ崎が、自身の過去を隠すために行った行動だったのかもしれない。
「木戸さん!! 城ヶ崎さん!!」
出入口の方から、ララが駆け寄って来た。この旅館に来てからずっと着ていた、メイド服のままだが――……背中に大きなリュックを背負っている。赤い猫っ毛のショートヘアが、朝日に眩しい。
ばたばたと駆け寄って来るララは、少し焦っているようだった。
「この度は……この度は、本当に、どうもありがとうございましたっ!!」
現れるなり、腰から深くお辞儀をするララ。俺は軽く手を振って、ララに返答した。
「いや、全員で頑張ったからこそ解決出来たんだろ。俺達だけの力じゃないよ」
「そーそー。ララちゃんが可愛かったから、俺も本来の実力が出せたと言える」
すっかり、城ヶ崎の軽口は元に戻っていたが。どうやら、ララはただ礼を言いに来たというだけではないらしい。
「それでですね、明智さんと私なんですが……当分、木戸さんのパーティーに加えて頂けないでしょうか!」
「……俺の、パーティーに? ……いや、俺のパーティーでは無いんだけど」
一体、このパーティーはエリザベス・サングスターが作ったものだと、何時になったら理解して貰えるのだろうか。……この様子では、当分無理か。
背中のリュックを見せ付けるララ。互いに目を見合わせてしまう俺と城ヶ崎だった。
「良いの? ここは」
「はい。『ガーデンプレイス』のシェフを始めとする数少ないスタッフさん達も、一度故郷に帰って貰う事にしました。当分、この旅館を閉めようと思うんです」
そうか。こんな事があった後じゃあ、このままの少ないメンバーで、この先『ガーデンプレイス』で続けて行く事に問題を感じる者が居てもおかしくはない。
そうだとすれば、一度休暇を取るのも悪くは無いのかもしれない――……長い、休暇を。
砂埃が舞い上がり、それはララのスカートを撫でていく。明るさを増していく空間の中に、決意を持った眼差しがひとつ。
どのようにして、ララ――明智もだろうか――が、そのような結論に至ったのかは、俺には分からなかったが。明智は兎も角、ララがパーティーに加わると云うのは、どうにも気が引ける事だった。ララ・ローズグリーンは終末東京の人間だ。いざと云う時にログアウトする事も出来なければ、一度死亡すれば二度と生き返る事は無い。
下手を打てば、またテトラ・エンゼルゴールドのような、悲しい犠牲者を増やす事になるかもしれない。
「……ララ。これはまだ、パーティーのメンバーにも話していない事なんだけど」
堤防の上に、リズの姿が見えた。明智の部屋から出て来たのか手を振って、俺と城ヶ崎を呼ぼうとした瞬間のようだった。……だが、その声は止まった。俺と城ヶ崎に、ララが何かを話していると気付いたからだろう。
俺はその姿を一瞥して、再びララに向き直る。
「俺は、『ミスター・パペット』の目的……なのか、野望なのか、それとも使命なのか……分からないが、それを阻止する為に動こうと思っている」
つい先程まで軽いノリで話していた城ヶ崎の目が、ふと鋭くなった。リズにも聞こえるように、大きな声を意識した――リズもまた、俺の決断には驚いているようだった。
「俺は都合二度、『ミスター・パペット』と対峙している。一度目は地下都市『アルタ』、二度目はこの『ガーデンプレイス』……何れの場合も、ミスター・パペットを名乗る男は、弱い人間の弱みを突いて、利用して仕向けて来るんだ」
「弱い人間……アタリさんのように、ですか」
俺は頷いた。
同時に、意識せずともこれまでの事が脳裏に蘇って来る。
椎名の事を気に掛けている様子だったのに、結局は利用する事に決めた今掛時男。さも良い人を装ってサンズのパーティーに介入し、それが罰だと言わんばかりの態度で潔く裏切り、利用したアタリ。
どちらの場合も、当人にとっては許される事ではないと思った。その全ては、『デッドロック・デバイス』等と云う、何に使われるのかもよく分からないアイテムの為だった。
「……ミスター・パペットは、人のプライドとか、或いは劣等感、羞恥心……そういうものを利用するんだ。まるで、終末東京のアビリティみたいに――――そんな奴が自虐的になり、人を殺す。誰も救われない……誰も得をしない……人が、壊れて行くのを感じるんだ」
それは、これまでの事件を通して得た、俺の一つの結論だった。
ララが緊張の為か、喉を鳴らした。城ヶ崎は砂浜に座り込み、リズは堤防の上からじっとこちらの様子を窺っている。
「得をする人間は、たった一人。……ミスター・パペットだ」
今回は、『デッドロック・デバイス』は守り切った。だが、あれだけのレベル差がある相手だったのだ。今掛時男の一件を通じて、俺の力量というものがどの程度のモノなのかを理解した上で、仕向けて来た手先のようにも思える。
不愉快だ。
誰にでもなく、俺はそう思った。
「今後俺は、ミスター・パペットと真っ向から対立する。『デッドロック・デバイス』の奪い合いにも、進んで参加するつもりだ――――奴は俺にこう言った。自分は神の操り人形だと。失われた記憶の幻影なんだと」
俺の良く知る人物に似せて作った、紛い物。俺の心の一番深い部分に土足で踏み込んで、傷付けて荒らしていくもの。
幻影。良いだろう。これだけ俺を意識されては、俺とて立ち上がらない訳にも行かない。終末東京を含む、ゲームの世界――特に、戦略ゲームの世界――は、俺の得意分野であり、帰るべき場所だった。
今もう一度、俺はその大舞台に立つ。
「誰が付いて来てくれるか分からない。……でも、確かめたいんだ。この世に神は居ない。仮に居たとしても、『操り人形』程度なら恐れるに足らない」
自分に言い聞かせるように、俺は話していた。
「だから、若し『アルタ』で平凡な日々を望むんだったら、俺からは離れてくれ。死ぬ危険性もある。俺は一人でも、挑むつもりだから」
ミスター・パペットは、人を動かす為に数百万の単位で金を使っていた。……現実世界でも、何が起こるかは分からない。
場合によっては俺が死ぬ危険性だって、十二分にあると見ている。少なくともNPCを殺す事に躊躇はしないだろう。これまでも、そうだった。
「おう相棒よ、水臭いじゃねえか。……当然、俺は一緒に行くぜ。恭一の決断は俺の決断だ」
城ヶ崎が我先にと、立ち上がって俺に笑顔を見せた。
「私も、恭くんに付き合うよ。終末東京の世界で勝手な事されると、困る」
リズが続いて、堤防の上から声を掛けた。
話は決まった。俺達は、『デッドロック・デバイス』を探すため、今後積極的に動き始める。このゲームを、『ゲーム』にする為。或いは、現実世界ともリンクしているであろう企みを止めるために。
ミスター・パペットの裏にどのような想いがあるのか知らないが――……少なくとも、手口には共感出来ない。奴等の企みを暴く事が、このゲームを穏やかに進める鍵にもなる筈だ。
「協力するよ、指令隊長」
リズの後ろから、明智が現れた。少しくたびれた笑顔の目元には、薄っすらと隈が出来ていたが。
ようやく、明智もゆっくりと眠れるようになるだろうか。
「リズから聞いたぜ、お前さん等のこと。ニートにフリーター、お嬢様、アルタの妖精……まともに現実世界でビジネスのコネクションを持ってる奴が必要だろ。俺も参加させてくれ」
「なっ……なにをー!! 人が自立してないみたいな事言いやがって!!」
城ヶ崎は憤慨していたが、明智は笑っていた。……だから、指令隊長は止めろと言うのに。既に何を言っても無駄か。
何にしても、明智が参加してくれるのは有り難い。明智は現実世界で医者の職を持っている――……俺達よりは、外界に詳しいだろうか。
「それじゃあ、決まりだな」
俺は、これから共に終末東京を歩み行くメンバーを、ぐるりと見据え。
「ログアウトして準備をしたら、またここに集合。一度、地下都市『アルタ』まで戻る。それから、次の目的地に向かうぜ」
地下都市はまだ、それなりにある。デッドロック・デバイスは、別の街にもあるに違いない。
そこでまた、ミスター・パペットの企みと出会う事だろう。
俺達は順番に、旅館へと戻って行く。荷物をまとめて、一度ログアウトしなければならない。その間、ララを一人にしてしまうが――……まあ、旅館はもうやっていないのだ。問題は無いだろう。
ふと、戻って行く明智大悟の左手に、視線が行った。
薬指に、小さな青い宝石の付いた指輪がはめられている…………あれが、ミリイ・ロックハインガムの言っていた『デッドロック・デバイス』か。指に埋め込まれていたのは、指輪だったからなのか。
椎名の持っていた『デッドロック・デバイス』は、腕輪だった。
ここまでアイテムと括ってきたが、装備品が主なのだろうか。
……まあ、これから分かる事か。そう思う事にして、俺もまた、旅館へと戻って行く。
「やはり君は、面白い」
声がして、振り返った。
しかし、そこには誰も居なかった。まるで海風に流されるかのように、消えた声――……確かに、背後に居たような気がしたのに。
それは恐らく、ミスター・パペットのものだろう、と。聞こえた台詞の一部から考えて、俺はそのように思っていた。
そこに居ない。だが、確かに奴は今の今まで、そこにいた。それを裏付けるかのように、砂浜には封筒に入れられた、謎の手紙が落ちていた。
それを拾い上げ、俺は思う。
――――ご指名は、俺。
相変わらず、奴は『ゲーム』を続けている…………まるで騒ぎの場に駆り立てられるかのように、遠い過去に悪戯をするかのように。
……負けるものか。
消えた幻影を前にして、俺は一人。胸の内に決意を秘め、そこには居ない、あの男に背を向けた。




