第二十二話 いつか、確かな過去より
まさか、ララの言っていた『のど飴』が、憑依ではなく変身だと決定付ける為の重要な根拠になるとは、三度目の事件が起こるまでは分かっていなかった。
後になって考えてみれば、あの時ララが言っていた内容は、当時の状況を想定して考えると、どこかおかしい。
『そうだ! まだあります。私、居酒屋で働き過ぎて、喉がガラガラで……そしたら、金庫でテトラさんがのど飴をくれたんです。今日は早く休みなさい、って。なので、言われた通りにすぐに寝ました!』
突然の、『ガーデンプレイス』旅館内の停電。明智はミリイのそばに付いていなければならず、ミリイが一人で動く事も出来ない。とあらば、その当時に停電問題をどうにか解決する事が出来たのは、ララとテトラのみだったことになる。
地震や台風の可能性も無く、第三者の悪意に拠る障害の可能性がまだ残っている段階で、テトラが一人で問題を解決すると言い切るのは、少し変に思えなくもない。問題が何だったのかを特定するまで、ララと共に行動していてもおかしくはない。
ところが、実際はそうならなかった。テトラはララに金庫のパスワードを聞いたきり、ララと別れた。そして、宴会の場に居合わせなかったテトラが、ララの声嗄れに気付いて『予め持っていた』のど飴を渡す、と云うのも引っ掛かる点ではあった。
普通、停電が発生した直後に飴を握るだろうか。それとも、何か持っている事情があったのだろうか。
例えばテトラは甘党で、いつも飴を持ち歩いていた。その可能性もあるだろう。機械の技術に詳しく、ララの想像の付かない領域に至っていた。だから、二人で行く必要はなかった。そのように考えても問題は発生しない。
だが、どうしても『ララに渡す為に、予めのど飴を持っていた』ような気がしてならなかったのだ。
小さな気付きではあったが。小さな気付きは、やがて大きな矛盾へと変わって行く。
テトラが本物ではない可能性。
仮に電力室の事情に詳しい人間だったとしたなら、自分一人にしか解決できない電力室の問題について、その鍵が保管されている金庫のパスワードを忘れたりするものだろうか?
「成る程。――――どうやら、仮面野郎の言っていた事は本当らしいな。木戸……恭一、だっけ?」
アタリは挑発的な視線で俺を見下し、眼鏡を外す。奴の瞳が死んだ魚のように見えるのは、降りしきる雨がそうさせているのか、それとも。
仮面野郎というのは、ミスター・パペットの事で間違い無いだろうが。恐ろしいまでの豹変ぶりに、背筋が寒くなる。
終末東京の世界に慣れることによって、相手と自分のレベル差というものが、少しずつ感覚的に分かるようになってきた。元の姿を現したアタリの様子は、リズに化けていた時よりも遥かに凄みがあった。
……若しも、姿を変えた時には能力がセーブされる、と云ったように、何らかの足枷があったとしたら。
最悪の展開を予想することは、避けられない。
「労働者。医者。科学者は寝てるし、気象予報士は突き落としたし……こんな面子でも、勝つ為の手段を持ってんのか? すげーな、どんな裏技だよ」
風は荒れ狂うように吹き、雨は最早どこから降っているのか分からないと思える程、横殴りに俺達へと当たり続けている。
戦闘態勢の俺達に対して、アタリは威圧こそしているものの、一向に攻撃を仕掛けて来る様子が無かった。
……それどころか、素直に感心した様子だった。俺は相手の心理状態が分からず、暫しの間、硬直していたが。
「このゲーム、詳しいの?」
何故か、俺に対して友好的なようだった。
思わず、城ヶ崎と目を合わせた。……話し合いが通じる相手には、思えなかったが。
「……いや、あまり知らないが。他のゲームをやってたことは……ある」
「ゲーマー? なに、引き篭もってんの? ニート?」
思わぬ展開だった。てっきり、そのまま戦闘に進むものだとばかり思っていたが。アタリは剣を握ったまま、どこか俺に期待したような様子だった。
何を考えているんだ……? これだけの事件を起こして、俺達がそれを阻止する為に今まで動いて来た事に、気付いていないのだろうか。
奴の人間性が、全く読めない。
「僕は普段、斡旋でやってんだけどさ。一緒にやんない?」
「……一緒に?」
悪びれる様子もなく、アタリと呼ばれた少年は言う。……いや、その名前すら、既にどこまで信憑性のあるものなのか、分からなくなっていたが。
「現実世界の金とリンクしてるとか、最高じゃん。このミッション終わったら、五百万ドル入んの。すげーだろ、モブ殺したら五百万だぜ? 現実世界で金稼ぐのが馬鹿らしくなって来ない?」
――――モブ。
「仮面野郎が言ってたんだよ、木戸恭一は仲間に引き入れられれば強いって。僕もそう思う――……あいつは分かってるよ、労働に対する価値ってやつがさ」
そうか。……アタリにとって、テトラ・エンゼルゴールドはゲーム内の背景でしか無かったか。
ミリイの前に立った明智から、怒りの感情を読み取ると同時に。アタリと名乗った少年が、終末東京の世界を『ゲーム』だとしか認識していない事に気付いた。
そして、その態度が酷く傲慢で、自分勝手な思考のもとに行動した結果なのだ、と云う事も。
「知ってんでしょ、もっと効率よくNPCを殺す方法とかさあ。金になるよ? 時給云百円でアルバイトとか、してらんないでしょ」
明智の様子を一瞥する。……歯を食い縛り、どうにか無謀にも突進する事だけは避けようと、堪えているように見えた。
今回の作戦を、完璧に成し遂げるには。少なくとも、明智だけは生き残っていなければならない。
「……アルバイト、やってたのか?」
「一回だけね、すぐ辞めたけど。そもそも、『働いてやってる』って事がどういう事か分かってない。わざわざ時間割いて来てやってんのに、アホかと思ったね」
ミスター・パペットの手駒と化したアタリが、このような事を口にしているという事は。……今掛時男も、買収されていたのだろうか。
やはり、と思う。ミスター・パペットは、この終末東京の世界を舞台に、『デッドロック・デバイス』を使って何かをするつもりなのだろう。その為には、ある程度の資金投資は避けられないと考えている。
そうでなければ、たかがゲーム内のアイテムに対して云百万も金を出すとは思えない。
その為になら、現実世界に疲れた、社会に反抗する若い人間を金で釣る事くらいはする、と云う事だろうか。
「……アタリ。これは、殺人なんだ」
案の定、アタリは何を馬鹿な、と言うような表情になり。俺を、怪訝な眼差しで見詰めた。
「はあ? ……何言ってんの?」
「少なくとも今、お前が相手にしているのは……ゲームのキャラクターなんかじゃなく、人間なんだ。殺せばもう二度と生き返らないんだよ」
アタリの顔色が、変わった。
俺を認めている目から一転して、小馬鹿にするような目に。……どうやら、この瞬間に俺は『無い』人間にカテゴライズされたらしい。
嘲笑と云い、俺への評価と云い。どうやら、現実世界を忌み嫌っているという部分で、俺ともある種の共通点があるのかもしれない。俺は、現実世界についてこれ程の不満を持っている訳ではないが。
不満とは、自分が尊重されていないと感じるからこそ発生するものだ。始めから期待もしていなければ、腹を立てる事もない。
「ふーん、それで?」
要するに奴は、自分の都合を社会に押し付けたいだけなのだろう。
「現実世界で労働の対価になっている金額が『何故安いのか』、もっと頭を働かせるべきだと俺は思うけどな。……アタリ、お前にとっての『今回の仕事』とやらが、周囲にどんな影響を与えるのか。考えた事はあるか?」
だからこそ敵対心を持っているのは、『自分に説教をする、すべての大人について』。
アタリの表情が、不満そうなそれに変化する。……この手のタイプは、やはり話し合いで解決するのは難しい。自分が大事にされていないと不満を並べる人間は、いつも他人の言葉には耳を傾けないものだ。
自分都合を押し付けられない事が『大事にされていない』『尊重されていない』事なのだから、仕方が無い。
「やっぱいいわ、お前。全然面白く無いよ」
俺が反応するよりも遥かに早く、俺の前に走ったのは城ヶ崎だった。空中浮遊をするように、何の前振りもなく突撃して来たアタリと俺との間に、鉄パイプを持って立ちはだかる。
剣と鉄パイプがぶつかる、鋭い音がした。城ヶ崎は野球のバットでバントをするように、両手で鉄パイプを握り、真上から振り下ろされたアタリの剣撃を防いでいる。
「退けよ、オッサン。殺したいのは木戸恭一の方なんだけど」
「おっさっ――――!? 言っとくけどな、恭一と大してトシ変わんねえっつーの!!」
駄目だ。先程と違って、圧倒的に城ヶ崎が圧されている。……やはり、姿を変えている時は通常時よりもパワーが落ちるのだろう。
歯が立たない。堪らず膝をつき、アタリの攻撃に押し潰されそうになる城ヶ崎。だが余程頭に来たのか、城ヶ崎は肩を怒らせてどうにか抵抗していた。
「お前、仕事を馬鹿にし過ぎだろ。働くことの意味も分からねえガキが、賢者にでもなったつもりかよ……!!」
アタリは無表情のまま、ただ城ヶ崎を押し潰そうとしている。ゴミか虫でも見るような瞳だった。
戦闘は避けられないとして。問題は、ここからだ。
初めて出会った時から何となく話し掛け辛い印象を持っていたのは、彼が人と壁を作り、或る領域から先へは行かせないようにしているからなのだと、俺は今更ながらに気付いていた。
そして。現実世界であれば、暴走した子供は親の手によって護られる。そうで無くても、社会の立場を護る警察や大人の手によって、何らかの裁きを受けたり、保護されたり、或いは生活が成り立たなくなり、人と接せざるを得なくなる。
だが、この世界にはそれがない。本来重視されるべき、人間的なモラルや秩序と云った概念の存在が無いのだ。
「分かってんの、お前? 戦車に水鉄砲で戦ってるようなモンなんだぜ?」
アタリが厭らしい笑みを浮かべた時、城ヶ崎の顔色が変わった。
突如として現れたのは、突風だった。目に見えないものに身体を動かされ、城ヶ崎が地面に突っ張る。……そうか。椎名もこうやって、吹き飛ばされたのか。
天候が突然変わったのも。若しかしたら、雨雲を動かせるだけの風力があれば可能な筈で。それはつまり、奴のレベルが尋常ではない数値だと云う事を示していた。
「気象予報士か何かだと思ってんの? ――知らねえかな、僕は『賢者』なんだよ。この世界じゃ、お前よりも上の存在なんだけど」
元素関数について、風に関係する能力の可能性が高いと判断したのは、正解だった。他にも重力、転移……と、俺が知っている限りでは二つの選択肢があったが。最も一般的に持ち得る能力に絞って、対策を考えていた。
ひとつ。若しも風の能力を扱う人間だとするなら、これがゲームである以上、かまいたちのように相手を鋭く傷付ける、何らかのスキルがあっておかしくない。
大袈裟に剣を振り被るアタリ。……だが、あれはフェイクだ。上方から斬り付けるように見せ掛けて、剣は囮。左右に逃げた所を、風の能力で攻撃すると判断した。
テトラや佐野が受けていた大小様々な剣撃は、剣に拠るものではなく、風の能力に拠るものだったからだ。
ならば、どうするべきか。
「翔べ、城ヶ崎!!」
瞬間、まるで嘘のように城ヶ崎の身体が真上に向かって跳ねた――……ジャンプする動きは見せたが、筋力に対してあまりに跳び過ぎだ。アタリの仕掛けた剣も急にコントロールが効かなくなり、恐ろしい速度で城ヶ崎の元居た場所を斬り付ける。
そう、城ヶ崎の周囲の重力が瞬間的に軽くなったのだ。
「調子に乗ってんじゃねえよ――――!!」
そして、逆転。宙に浮いた城ヶ崎は、急速に方向転換し、加速する。真下に居るアタリの動きを重力の増加によって封じ、その場に恐ろしい勢いで落下していく。
流石のアタリにも、焦りの色が見えた。右手を城ヶ崎に向かって差し出す。あの動きは…………恐らく、風。
「うおおっ…………!?」
生み出された突風に、落下途中の城ヶ崎が減速し、悶えた。たかが風圧で城ヶ崎の身体を抑える事など出来ないだろうと思っていたが……全力の攻撃でも、こうなってしまうのか。
だが。俺は既に、アタリに向かって走っていた。奴の攻撃は、細い綱の上を渡るようなもの。範囲内の重力を増加させる事が出来る城ヶ崎にとって、真上からの攻撃は正に十八番。今は能力が拮抗しているように見えるが、この状態では少し意識を逸らされれば、たちまちコントロールを失う筈。
右手に『敗者の拳』を装備する。この場合は注意を逸らす事が出来れば何でも良いので、一見無駄なようにも思えるが――……後の布石の為だ。
俺の攻撃手段は、何時も同じパターンだと思い込ませる。
「アタリ!! 呆けていて良いのかよ!!」
リオ・ファクターを使わず、殴り掛かる。アタリは俺を一瞥すると、鼻を鳴らした。
瞬間、全身を鋭いものが襲った。
「恭一!!」
宙に浮いた城ヶ崎が、俺の身を案じて叫ぶ。その一瞬を逃す筈もなく、アタリは真上の城ヶ崎から離れ、安全な位置に移動した。
重力を超強化した城ヶ崎が、風の影響を無くして落下する。屋上に着地する直前に重力を元に戻したのか、どうにか地面にヒビは入らなかった。
嫌な音がした。
「城ヶ崎!!」
足を痛めたか。脂汗を浮かべて、声も出ない様子だった。
俺はと云うと、その場に崩れ落ちて動けなくなった。……風の攻撃で、足をやられたらしい。分断されてはいないが、立つのがやっと、という所だろうか。
だが、動かなければ。
「バーカ。ハナから、全員同時に相手にするつもりだっつの」
吐き捨てるように、アタリは言う。
……やはり、一筋縄では行かないらしい。アタリは剣を握ったまま、俺に向かって歩く――……既に、城ヶ崎は敵ではないと判断したか。或いは、司令塔である俺を先に潰すべきだと判断したのだろうか。……おそらく、その両方だろう。
俺はどうにか、その場に座った。
「現実世界での労働の対価が『何故安いのか』だって? ――――良いぜ、教えてやるよ」
余程、現実世界に恨みがあると見える。……ミスター・パペットは、人の弱さを利用する存在だ。それくらいは、俺にも分かっている。
アタリの弱さ。社会的な立場の低さ。また、それに対するコンプレックス。そのようなものが現在は利用されている。
柵を背にして座り込んだ俺の肩に、アタリの右足が食い込んだ。
堪らず、顔を顰める。
「舐められてんだよ!!」
どのような事情がアタリにあったのかは、俺には分からないが。完全に暴走したアタリが、俺の肩を何度も蹴りつける。
「普段何もしてねえ癖に、文句ばっかりうるせえんだよ!! 横からぶちぶち文句を言ってる奴の下で、誰が働くっつーんだよっ!!」
どうしようもなく問題なのは、そのような感情に身を任せた行動でさえ、この終末東京の世界では武器に成り得る、という事だ。
バトルスーツを着込んだアタリの蹴りは、何でも無い唯の蹴りと言えど、身体に響く。わざわざ肉体的に攻撃を仕掛けて来るのは、俺が言った言葉が余程頭に来たからだろうか。
「僕が居ねえとレジ番なんか居ねえじゃねえかよ!! 居てくれるだけで有り難いと思えよ!! 先公もそうだよ!! 遅刻されたり寝られるのが嫌なら、もう少しまともな授業しろっつーんだよ!!」
相手のレベルが高い事は、作戦を立てた段階で分かっていた。正攻法では勝ち目が無いことも。
「てめえもだ底辺が!! 労働の対価だと!? てめえみたいな無能が何も言わねえから、僕が巻き込まれるんじゃねえかよ!! はっきり言えよ、『こんな金で働けるか』ってよ!!」
ならば、どうするか。そのハードルを攻略する為には、予想外を用意する必要があった。
この男に悟られない、とびっきりの予想外があるとすれば。
初めて至近距離でアタリを見ることで、その耳元に装着してある小さな機械に目を向ける。何度も蹴られ、脳を揺さぶられながら。
「無能!! 無能!! 無能!! 無能!! 無能ッ――――!!」
そうか。
アタリ。お前も、立場の弱い人間だったか。
時には辛酸を嘗めるような思いをし、時には地べたを這い蹲り、生きてきたのか。……それとも、唯の裕福な家庭に生まれた、我儘な人間だったのか。
まあ、どちらでも構わない。
「…………気は済んだか?」
何時の間にか肩で息をしているアタリに対し、俺はそう言った。
決して、屈しない。どれだけの力による圧迫があったとしても。ハンディキャップを背負わされ、絶望的な状況に立たされたのだとしても。
「察しの通り、俺は誰の役にも立たない。社会的に何の立場もない。生活も対して良くはない」
アタリが、俺の事を鼻で笑う。
俺は、下からアタリを睨み付ける。
「だが――――仮に俺が経営者なら、絶対にお前は雇わない」
不平不満を述べることで環境に適応する位なら、初めからそんな環境に居るべきではない。
「――――はあ?」
「子供のように癇癪を起こせば、誰かが助けてくれるか? そりゃ、随分と良い生活をして来たんだな」
アタリの顔が歪んだ。自分が甘ったれだと言外に含められた事に気付いたのだろう。……だが、俺は引かなかった。
本当に苦難へと立ち向かう人間に、不平不満を言う余裕はない――――そうしなければ、生きて行けないからだ。不幸自慢をする人間の多くは、自分が如何に幸福であるかと云う現実に気が付いていない。
どうしようもなければ、対策を考えるしかない。文句を言う前に、動かなければならない。
それが、選択肢の少ない人間の本質だ。
「今が嫌なら、少しは頭を使ったらどうだ」
俺は右手を上げ、それを真っ直ぐに、真下に向かって振り下ろす。
「――――俺は少なくとも、現実に文句は言わない」
これが、最初の予想外だ。
アタリの左肩に、突如として襲い掛かる高速の物体。目を向けていない、気付いてすらいないアタリに避ける事は勿論出来ず、そのまま肩を貫通する。
一手目。
「なっ…………!?」
貫通した肩から、血が噴き出る。今の今までダメージすら受けていなかったアタリに、初めて攻撃が加えられる。
スナイパーライフル。ハンドガンばかり使っていたリズが、突如としてハットン弾を繰り出した時――松野が逃げ込んだ扉を破った時――に、候補に上がっていた。若しかしたらリズは、俺の予想以上に様々な銃を扱えるのではないか、と。
勿論、科学者である以上は、本職には敵わないだろう。だが、予想もしない攻撃が来るという意味では、銃の専門職より勝る部分がある。
「城ヶ崎、セットアップ!!」
「来たか…………!!」
今度は、事情が違う。飛び跳ねた城ヶ崎に対し、アタリの表情から余裕の笑みは消えていた。
ここから先は、詰将棋。予め動きの決められた駒を、予定通りに動かすだけだ。俺は立ち上がり、屋上の扉へと向かって走った。
「何だ……!? まだ何か隠し持ってんのか……!?」
頂点に達した城ヶ崎が再度加速を付け、アタリに向かって鉄パイプを振り下ろす。だが、今度は涼しい顔で防御、とは行かない筈だ。先に俺を攻撃しようと動いていたアタリは、今の銃撃が背中から来た事さえ、まだ判別出来ていないだろう。
城ヶ崎の攻撃を防御したアタリが、続けて数発の銃撃を受けた。
「あの女か……!? いや、奴は部屋から出て来ていない筈……!!」
部屋から出て来ていない筈……か。確認していたのだろうな。その耳に装着してある機械で、物音のようなものを。
テトラの時も佐野の時も、アタリは対象を眠らせる事によって、アリバイを持たせないように動いていた。だが、騒ぎが起きれば目が覚める程度の睡眠薬にしなければ、『ゴースト』を装い、恰も今まで取り憑かれていたのだと思わせる事が出来ない。
発見された時に深い眠りに落ちていれば、明らかに眠らされたのだと分かってしまうからだ。
ならば、必ず何らかの手段で、対象が眠っている時間を把握する必要があった。
発信機を人に着ける方法は、何処かで回収しなければならない問題が付き纏う。若しかしたら、室内の何処かに設置をしたのかもしれない。そう当たりをつけて調べていた所、興味深いものが手に入った。
俺は傷だらけのまま立ち上がり、それでも、アタリに笑みを浮かべた。
「案外、『ゴースト』が近くに居たりしてな」
「野郎…………!!」
三回目の事件。秋津の泊まっていた部屋の扉だ。鍵の嵌る小さな穴に、小さな機械が取り付けられていた。そのままでもロックする事が出来るような、本当に小さな機械だ。
だが、若しもそれが発信機だとしたなら。鍵が回る音くらいは、何時でも聞くことが出来る。
そうして部屋の状態を聞いていたのであれば、リズにはとっておきの手段があった。
「調子に乗ってるんじゃねえよ……!!」
銃弾の攻撃でさえ、何処から飛んで来るのかが分かってしまえば、アタリは避ける事が可能らしい。風は吹き荒れ、リズの攻撃はアタリに届かなくなった。
俺達の誰かが対象になると気付いた時、最も狙われやすいのはリズなのではないかと、俺は予想していた。
最も俺に近く、最も俺が攻撃する事を躊躇しそうな存在で、最も動かし易い存在。佐野の時のように、後衛に変身して前衛を排除するという目的で動いた時には、椎名よりも絶対的にリズが有利だと判断した。
椎名の武器は、これまでの事件で把握されている。対してリズが『ゴースト』に向かってリオ・ファクターを使った事は、全く無かった。
リズには戦う為の能力が無いのだから、当然だ。だが、相手から見れば警戒するべき対象だった筈。
三度、アタリに銃弾が襲い掛かる。タイミングもランダムに、攻撃される場所も分からないアタリには、反撃のしようがない。
「くっそ……!! デブだけ抑えても仕方無え……!!」
だからこそ、椎名ではなくリズに変化する。不確定要素は、出来る限り排除した方が良いと思うに決まっている。
だからこそ、生きるのだ。
『存在の不確定』と云う、アビリティの存在が。
「デブじゃねえ!! 体育会系と言えっ!!」
二手目。
謎の射撃と城ヶ崎の構えに耐えられず、アタリが後方に引く。城ヶ崎の動きは素早く、着地すると直ぐにアタリ目掛けて突進していた。
アタリにどの程度のダメージが行っているのかは、分からない。だが、リズの攻撃だという事を考えると、アタリにそこまで大きな負荷は無いように感じられた。
城ヶ崎の身体に、風の刃が襲い掛かる。回避する方法も存在しない攻撃を前にして、城ヶ崎は唯、鉄パイプを手に突っ込むだけだ。
ある程度のダメージは織り込み済み。リズの攻撃も、致命傷には届かない事を視野に入れている。城ヶ崎に達成して欲しい事は、既に伝えてあった。
「この世界で、僕に勝てると思うな!!」
身を小さくして突っ込む城ヶ崎は、さながらアメリカンフットボール選手のタックルのように顔を隠し、アタリの目前を目指す。道中倒れる事は出来ないし、そうなれば作戦は崩壊する。
だが、城ヶ崎なら。
アタリの目前まで到達すると、初めて顔を隠していた両腕を開放し、左からアタリを攻撃した。
「ギャッ――――!!」
攻撃を喰らって吹っ飛んだアタリが、丁度、屋上の中央に到着する。城ヶ崎が力尽き、その場に前のめりに倒れ込む。
ゲームの世界と銘打ち、非情を貫き通す事を覚えただろうか。現実世界での自分に疲れ、この終末東京の世界でなら思い通りに出来ると、思い上がっただろうか。
目まぐるしく変化する戦況の中、俺は屋上の扉に手を掛け、姉さんの泣き顔を思い出していた。
あの日を、忘れない。
「アタリ!! 俺を見ろ!!」
扉を開いた。
城ヶ崎の到着が遅れたのは。秋津を安全な場所に隠すと同時に、ある人間を探しに出ていたから、と云う事があった。硬直し、動きを止めさせる為に必要だった存在。
恐らく、今回の宿泊客の中では、最もアタリに近いと思われる人物を。
三手目。
「僕に指図してんじゃ…………!!」
立ち上がったアタリが、憤怒の形相で俺を睨み付ける。振り返れば当然、屋上の扉を開いた俺と、扉の向こう側に居た存在が、視界に入る事になる。
例えば、消えたアタリの存在を探しに行った。或いは、この事件の間、何らかの形でアタリに情報操作され、事件とは無関係の場所に居た。そのような可能性は、十二分に考えられる。
アタリが『ゴースト』である可能性を、欠片も考えなかった。場合によっては責任を擦り付けられ、犯人に仕立て上げられた可能性もあっただろう。
その男を見て、アタリは目を見開き。
同時に、アタリの背中に居る明智が、俺に向かってアイテムを投げつけた瞬間でもあった。
呆然としたアタリの口から、微かに、吐息が漏れた。
どうしてその男が、此処に居るのかと。そう思ったに、違いなかった。
俺は、『敗者の拳』を握り締めた。
「アタリ……」
サンズは、アタリの豹変ぶりを前にして、唯、呟く。
俺も、一度はこの男が犯人なのではないかと疑った事があった。結果として、それは間違っていたが。
『敗者の拳』を握り締めた俺に向かって、アタリが咄嗟に風の刃を向ける。俺はその刃に真っ向から対抗し、拳を振り抜く。
「馬鹿が!! お前が相打ちに出来た時とは、事情が違うんだよ!!」
アタリが叫んだ――――…………
だが、奴は大きな勘違いをしている。
俺は、アタリの攻撃に対して勝負を仕掛けたいのではない。その大きく開かれた口に向かって、あるモノを押し込みたいだけだ。
だが、自身の背中で何が起こったのかを考える余裕の無いアタリにとっては、俺の振り抜かれる拳に合わせて、背中から何かが飛んで来ている等とは思うまい。
まさか、『小さな錠剤』が自分の口目掛けて飛んで来る、等という予想も。
「過信したな、アタリ」
全身に、刃が食い込む。姿形の無いものに傷付けられ、意識が飛ぶのを堪えるのがやっとだ。
やはり俺は城ヶ崎のように、身体に物を言わせた行動をするのは向いていないらしい。
だが――――俺の殴った錠剤は、アタリの口に入り。反射的にアタリは、それを飲み込む。
「レベルだけが全てじゃない……!!」
これで、王手だ。




