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終末東京で、俺は戦器を握らない  作者: くらげマシンガン
第二章 『ガーデンプレイス』編
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第十九話 『ゴースト』を、攻略する

『ガーデンプレイス』の空は遠く、床を踏み締める足には力が込もっている。俺達は明智大悟に呼ばれ、部屋を目指して旅館の廊下を歩いていた。


 既にリズはこれから話される内容について知っているのか、僅かに青褪めた様子で俺達の一歩後ろを付いて来る。明智に呼ばれたと云う事は、つまりリズは一度、ミリイ・ロックハインガムの部屋を訪れたと云う事だ。明智がミリイの部屋から出て来ない以上は、誰かが部屋まで向かわないといけない。


 ララの姿が見えない所から考えると、恐らく使いっ走りにするのは危険だと判断したのだろう。


「そういえばシェフのおじさんも、今日の朝を境に、事件が終わるまで退避するって。これからご飯とかどうしよ……」


 落胆したような声色でそう話す椎名。……そうだったのか。しかし、飯の供給が止まるとなると、少し厄介だな。


 明智は何か、食料について対策を考えているのだろうか。……いや、そうではないのか。この旅館のライフラインを握っているのは明智とミリイだ。明智の立場からして、プレイヤーが怪しいと思っていて、且つ明智が巻き込まれたのだと仮定すれば、先ずプレイヤー全員を身動き出来ない程に弱らせてしまえば解決は早い。


 誰も対抗出来ない、強行突破。テトラ・エンゼルゴールドに悲劇があった時点で、さっさとそうしてしまえば良かったのだ…………最も、犯人以外の善良な一般客を巻き込む勇気があれば、だが。


 このタイミングまでシェフを働かせていた。明智とミリイは今日この段階まで、そう踏み切るだけの覚悟を持てていなかったのだろう。


「そうすると、現実的に飯はどうする?」


「私、どこかでパジャマパーティーすると思って、お菓子を沢山買い込んでるよ。暫くはそれ頼りかな……」


 椎名はそう言って、城ヶ崎を睨み付けた。咄嗟のことで、意味が分からずに城ヶ崎が慌て出した。


「な、何? なんだよ」


「一人で全部食べちゃわないでよ?」


「俺はどんだけ大食いなんだよ!」


 程なくして、明智とミリイの部屋前まで辿り着いた。


 城ヶ崎の大食いは兎も角、俺達に残された時間は少ない。ミリイが…………と云うより、明智が、だろう。停電、シェルターの封鎖と、ここまで困難に遭いながらも客を優先してきた明智が、ついにスタッフの保護に走り出した。どう転ぶにせよ、食料が底を尽きる前に何とかしなければ。


 餓死した場合、現実世界に復活した段階で自分の身体がどうなっているのか未だ予測が付かない所にも、若干の不安がある。


 意を決して、扉をノックした。


「一体、何の話があるんだろうな……」


 城ヶ崎がそう言った時、リズが目を逸らした。


 僅かに扉が開くと、中から明智大悟が顔を出した。無精髭と縁なし眼鏡の向こう側に覗いた顔は、少しやつれて見えた。


「……あれ、すまん。俺は木戸を呼んでくれって、エリザベス嬢に頼んだつもりだったんだが」


 その言葉に、少しだけ戸惑ってしまった。リズは目を丸くして、慌てている……この様子だと、勘違いしてしまったのだろう。


 明智はリズを咎めるような様子ではない。察するに、そんなことを気にしている状況ではないのだろう。眼鏡を外すと、こめかみを指で押さえた。


「……すまんが、エリザベスと木戸だけ入って貰えるかい。ミリイがお前さんを呼んでるんだ」


 随分と、疲れた様子だ。目の下にはっきりと浮かんだ隈は、肉体的苦痛だけでなく、精神的苦痛をも訴えていた。その様子に圧倒されてしまい、思わず俺は扉を開けて中に入る。


 他の人間が居てはいけない話。……何だろうか。俺と二人の間に、それ程の何かがあるとは思っていなかったが。リズも俺の後に続けて、扉へと入って行く。


 そして、部屋の扉は閉められた。


 城ヶ崎と椎名には、後から話をしても良いのだろうか。そもそも、どうして俺なのだろうか。その問い掛けは、ミリイに会って顔を見るまで、分からない事だったが――……


「こんにちは。ようこそ、いらっしゃいました」


 そう言うミリイ・ロックハインガムの表情は、柔和だった。穏やかな微笑みと、カーテン越しに流れて来る海風。桃色の髪は太陽の光を反射して輝いていたが、ミリイ本人に生気は感じられなかった。


 見た目には、明智と同じ位だと思われる女性。俺にとっては、一回り近く年上だろう。いや、それ以上だろうか。俺を見詰める視線は何処と無く母親に見るそれのようで、物悲しい感情に支配されそうになる。


 ミリイの服装は、先日の物と変わっていた。身体を起こして、ベッドの上に座ってはいるが。


 様子を見て、直ぐに理解した。


 昨日よりも、状態が悪くなっている。


「どうしても、貴方に伝えたい事があって。木戸恭一……その名前を思い出すまでに、時間が掛かってしまいました。ごめんなさい」


 何かが変わった訳ではない。だが、直感的にそうなのだと分かった。強いて言うならば、唇の色や乾き具合を見て、そう思ったのかもしれない。明智大悟が憔悴しているのは、そのせいなのかもしれないと。


「…………それで、用件は」


「貴方達が此処に来る少し前、不思議な人がこの場所を訪れて来まして。宿泊はしなかったのですが、木戸さんのお名前を呼んでいた事を思い出したので」


 俺はただ、眉をひそめてミリイの話を聞いていた。


 終末東京の世界で、現在エリザベス・サングスター、城ヶ崎仙次郎、椎名美々を除いて俺と特別関わりを持った人間は居なかった。強いて言うならば、今掛時男が該当するが――……あの事件の後で、今掛が終末東京の世界にログインしているとは、どうしても思えなかった。


 そうして、俺は或る、一つの仮定に辿り着いた。リズが青褪めた顔をしていた理由。俺を知っている可能性のある人間で、俺を気に掛けている人間が後一人居ることに、俺はその瞬間に気付いた。


「『ミスター・パペット』と名乗る方を、ご存知ではありませんか?」


 自ずと目は見開かれ、両の拳に力が込められる。同時に気付いたにも関わらず、俺はミリイに向かってざわついた心をそのままに表現するかのような、らしくない表情を浮かべてしまっていた。


 ――まさか。来たのだろうか、この場所に。


 ミスター・パペット。その正体も未だ分からないままだが。ミリイ・ロックハインガムが、何かの事情を知っているようには思えない。彼女は、俺達がこの場所を訪れる少し前に、ミスター・パペットの存在を見たと言ったのだ。抱えている情報は少ないだろう。


「……ミスター・パペットは、あんたに何かを言ったのか?」


 ミリイは目を閉じて、暫しの間、黙っていた。


 何かを考えていた。……何かを思い出していたのかもしれない。ミスター・パペットに言われた言葉が、それ程に衝撃的だったのか。


「この場所に、夜に来て。顔もよく見えませんでしたが……窓を開けて、言ったんです。木戸恭一という男が、この場所に来ると」


 やがて、その話は結末を聞く前に、一つの仮定へと辿り着く。俺はミリイに近付き、屈んで目線を合わせた。


 俺が知っている、奴の情報。何故か予言されていた、俺達の来訪についての事。相変わらず仮面の男には驚かされるばかりだったが、先に確認しなければならない事があった。


「…………『デッドロック・デバイス』の話を、したのか」


 ミリイは、頷いた。


 少し前。ミスター・パペットは、俺達がこの『ガーデンプレイス』に来る事を予言した。少し前と言うと、前日から一週間程度の出来事だったと考えるのが自然だろう。どういう訳か知らないが、奴は俺が此処に来るという情報を掴んでいた。


 若しも。


 若しも仮に、今回の事件も奴が絡んでいるとしたなら。…………事情は、かなり変わって来る。


 明智大悟が、疲れ切った目でミリイの様子を窺っていた。今回の話は、当然明智も知っていたのだろう。……今更ながら、明智が俺達の事を信頼した理由が分かった。


 誰が犯人かも分からないあの状況で、本来なら俺達の言葉を信じる筈もない。旅館の電力を復活させる為には、どうしても明智の協力が必要不可欠ではあったが。良いところで、半信半疑くらいの物だろうと思っていた。


 最も、その予想は佐野利明が襲われる前日、明智に事情を話した時の反応で変わってしまったのだが。


「木戸恭一よりも先に、この『ガーデンプレイス』の何処かにある『デッドロック・デバイス』を奪うと。……だが、奴が訪れるまでは猶予をやると……そう言って、去って行きました」


 一体、何を言っているのだろうか。


 俺は『デッドロック・デバイス』等という代物に興味は無いし、探す気もない。そもそも、何をするアイテムなのかさえ漠然としているのだから、奪う理由が無い。


 いや、違う。それは、俺が止むを得ない事情で障害として立ちはだかるだろうと予言しているようにも思える。ミスター・パペットの企みを、俺は必ず邪魔する筈だと。


「…………『ゴースト』?」


 そうして、俺は或る一つの結末を、思い出す事になっていた。


 連続殺人事件。入れ替わる犯人像。これらの出来事が全て、ミスター・パペットの企みだとしたなら。そこには何か、トリックが潜んでいると云う事になる。


 今掛時男の時も、そうだった。様々な思考を巡らせ、絶対的に椎名を救出出来ると確信した策で挑んだ。しかし、ミスター・パペットに一手及ばず、椎名の持っていた『デッドロック・デバイス』はまんまと盗まれる事となってしまった。


 そうして今回も、俺は押されつつある。


 知らず、顔は険しくなる。ミリイを睨みたい訳ではなかったが、意識はすっかりミスター・パペットに向いてしまっていた。


「この間、大悟さんに『テトラ・エンゼルゴールドが襲われた理由を知っているように見えた』と話しましたね。……これが、ひとつの解答です」


 そう言って、ミリイ・ロックハインガムは俺に左手を見せた。


 不自然な形をした薬指。皮膚が盛り上がっている…………変形していると言うよりは、何かが埋め込んであるように見える。リズがその異様な形を見て、ミリイに近付いた。


「まさか……これが?」


 問い掛けると、ミリイは頷いた。


「『デッドロック・デバイス』です。ある方が、是非私に持っていて欲しいと」


 椎名の時と、同じだ。


「だけど、指に直接……?」


「痛くはありませんでしたよ。素敵な方でした……私に、たった一度だけ、外の世界を旅させる権限を与えて下さいました」


 その言葉に驚いたのは、俺だけではなかった。リズ、明智、そして部屋の隅でティーセットを動かしているララまでもが、ミリイの事を見ていた。


 NPCは、ゲームの世界の住人だ。この終末東京の中だけで生きる人間。だからこそ、死んでもログアウトする事が出来ない。それが操作出来てしまうと云う事は、架空の世界の住人が現実世界に降臨してしまうと云う事になる。


「……リズ。椎名に『デッドロック・デバイス』を渡した人間、なんて名前だったっけ?」


「え? ……えっと、何だっけ……トーマス? トーマス・リチャードって人だった、ような」


 ミリイはその言葉を聞いて、ふと表情を緩めた。……同一人物か。椎名美々にアイテムを渡した人間は、終末東京の開発に関わっていた。


 目を閉じたまま、ミリイは言った。


「『デッドロック・デバイス』は、終末世界を最大の幸福に導く為の、最後の手段だと言っていました。絶対に悪用させてはならない、とも……誰にも気付かれぬよう、持っていて欲しいと」


「…………最大の幸福?」


 どういう意味だろうか。ミリイもまた、はっきりと分かっている様子では無かったが……しかし、この終末東京の世界に於いて、何らかの重要なアイテムになっている事は確かだ。


 突然変異メタモルフォーゼとも関係する内容だとしたら。ミスター・パペットが何者なのかは分からないが、今掛を始めとした人間を駒にして使う戦略を用いている以上、何か大きな企みがある可能性が高いと考える。


「私も、元々身体の弱い人間です。現実世界への旅を一度許して頂く代わり、『デッドロック・デバイス』を引き受ける事にしました……それが、このような事態を招いてしまった事は残念でなりません」


 当時はまだ、ミスター・パペットの存在など知らなかったのだろう。ミリイが引き受けようと考えるのも無理はない事だ。今まで一度として、左手の薬指に『デッドロック・デバイス』が埋め込んである、などとは誰にも話さなかっただろう。


 しかし、結果としてミスター・パペットには、ミリイの持つ『デッドロック・デバイス』の位置が分かっていた。そういう事なのだろう。


 ミリイは胸の前で両手を握り、悲壮な表情を浮かべた。


「連中が狙っているのが『デッドロック・デバイス』だとしたなら、最終的に私を狙って来ると思っています。本当にクリーチャーを従えているのか、それは分かりませんが……未だ、誰が『デッドロック・デバイス』を持っているのか、そこまでは判別が付いていないのかと」


「……そっか。だから、無差別に人を襲うんだ」


 ぽつりと、リズが呟いた。


「どうして、そんな話を、俺に?」


「ミスター・パペットは、『木戸恭一よりも先に』と話していましたから。私にとっては、貴方だけが唯一、ミスター・パペットに敵対すると分かっている存在なのです」


 詭弁だ。


 誰にでも無く、そう思う。


 そもそも、ミスター・パペットの口から『木戸恭一』という単語が出たのだ。言葉など幾らでも操作出来る――……俺がミスター・パペットの関係者ではないと云う証拠が無ければ、安易にこのような話をするべきではない。


 部屋に居る明智、ララを一瞥する。


 二人共、やたらと疲れた顔をしている。そうして、気付いた――……安易な決定では無かった。ミリイ・ロックハインガムは、自分達の力だけではこの問題を解決出来ないと判断した。その中で、最も敵である可能性が低い俺達を――――いや。城ヶ崎と椎名も外しているのだ、名前が登場した俺だけに、未来の可能性を賭けたのだろう。


 それは、大変な決断だったに違いない。


 …………しかし。未だ、如何にも関係無さそうな奴を選ぶべきだったのではないのか。俺なら、敢えて木戸恭一を候補から外すが。


 どいつもこいつも、一体俺の何を見て信頼を寄せているのだろうか。やるせない思いは、渦を巻いた。


「……出来る限りの事はする。前回の俺の予想は、外れていた……申し訳ないが、策を組み直すから……もう少しだけ、待ってくれないか」


 言葉は断続的に発された。一度失敗した俺に、新たなリスクを取るに足るだけの策を考える事が出来るのか。……あまり、自信が無かったからだ。


 人間の実力は負けている時にこそ、その真価を問われる。……俺は今、試されているのだろう。


「俺も、手伝おう」


 視界の隅で、明智が言った。


 パイプ椅子に座って、何かを思い詰めているようにも見えた。外された眼鏡は胸ポケットに、やつれた表情の向こう側には、確かな決意の色が確認出来る。


「ミリイの事はララに任せる。攻撃は最大の防御って言うだろ。好きに使ってくれ」


 それは、俺にとってはありがたい事だったが。


「……良いのか? ミリイ・ロックハインガムが対象だと分かった以上、あんたには想像以上に辛い役割を課すことになるかもしれないぞ」


「望む所だ。ミリイは何があっても、俺が護る」


 それは、力強い言葉だったが。事件が起こってから今日までの間、ろくに寝てもいないのではないかと思えるような顔だった。戦闘の前に倒れないと良いが。


「よろしくお願いします。……これが、私の今持っている情報の全てです」


「……外の城ヶ崎や椎名に、この事を話すのはまずいか?」


「構いません。私にとって信頼出来るかどうかが分からなかったので、一度外して頂いただけですから」


 ミリイはそう言うと、頭を下げた。……確かに、ミスター・パペットから直接名前が上がって来ているのは俺だけだ。俺が信頼する人間であれば、俺の口から話す事は構わないという事か。


 未だ解決の兆しさえ見えないのに、背負うものが増えてしまった。だが――……逆に、より真剣になる為の良い薬になっただろうか。


 俺は立ち上がり、溜め息を付いた。また今回も、ミスター・パペットが関わっているのだとしたら。そう考えると、迷いが晴れていく。


 前回は、一手遅れを取ってしまった。今回はもう、失敗は出来ない。必ずミリイ・ロックハインガムの『デッドロック・デバイス』を護り、もうNPCを殺させない。


「……分かった。ミスター・パペットのご指名じゃあ、仕方が無いな」


 その二つを達成する事が、俺の使命だ。




「俺。リズ。城ヶ崎。椎名。……それから、明智さん。この五人で、『ゴースト』を攻略する」




 はっきりと宣言した事で、ミリイの表情も幾らか緊張が解けただろうか。明智は寧ろ、これから俺が何をするのか、興味を持っているように見えたが。ララはと言えば、何か自分に出来る事が無いかと思っている様子だったが。これ以上、NPCである人間……復活出来ない人間に、無茶をさせる訳には行かない。


 プレイヤーの問題は、プレイヤー間で解決しなければ。少なくとも、NPCである彼女等に非は無いのだから。


 何か、ヒントはあるだろうか。せめてもう一度、事件が起これば……運悪く、次の標的がミリイにならない事を願う。


「今夜は、城ヶ崎と椎名をこの部屋に待機させる。構わないか?」


 問い掛けると、明智がふと笑って言った。


「構わないよ、指令隊長」


 ……何だか、嫌な呼び名が定着しそうで怖い。


 今日一日を乗り切り、どうにか『ゴースト』の尻尾を掴む。……今までに与えられた情報だけでは、解決出来そうに無かった。


 しかし、ミスター・パペットが噛んでいるとするなら、犯人は人間だ。


 今掛の時も、こうだった。何かがおかしい事は分かるのに、その真相に中々辿り着く事が出来ない。やはり、『ゴースト』の都市伝説を使ったトリックだと考えるべきではないのか。


 盗まれた、メンバー全員分のプレイヤーウォッチ。テトラ・エンゼルゴールドが、真っ先に狙われた理由。


 犯人は、何らかの手段を用いてプレイヤーを操作しているのだろうか。……それとも、狂気に貶めるだけの何かを持っているのだろうか。


 アイテム? ……若しくは、アビリティだったりするのだろうか? アビリティに様々な種類がある事は、俺達のケースだけで十二分に理解できる所だ。無い話ではない。


 何れにせよ、今の段階では推測の域を出ないか。


「……あれ? ミリイさん、私を残した理由は……?」


 リズが目を丸くして、自身を指差していた。既に聞いている事ばかりだったのだろうか。ミリイとリズの視線が交差する――……ミリイはきょとんとして、頬に手を当てて首を傾げた。


「恋人を追い出すというのも、失礼かなと」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は吹き出していた。直ぐには意味を理解出来なかったリズが顔を真っ赤にするまでの凡そ五秒の間に、俺は速やかに扉を開いて廊下へと出た。


「違いますっ!!」


 ……あまり、こういうのは得意じゃない。




 ◆




 俺は、自由に動けるようにしておかなければならない。城ヶ崎と椎名を予定通りに明智・ミリイの部屋へと送る。仮に俺が狙われた場合、どうにかして今夜は切り抜けなければならない。


 仮にミリイ・ロックハインガムが今夜のターゲットになった場合、『ゴースト』の魔の手からミリイを救出しなければならない。そう考えた場合、前衛とは云え労働者の城ヶ崎だけでは、事態に対処し切れない可能性がある。かと言って椎名一人では、スピードに任せて突っ込まれた時に為す術もなくやられ兼ねない。


 従って、ミリイの部屋に城ヶ崎と椎名。ここまでは確定だった。俺とリズで、どうにか『ゴースト』の裏の顔を暴こう、と云うのが今夜の作戦なのだが。


「……リズ。一応、出られる準備だけはしておいてくれよ。もう直、旅館の中を回るぞ」


「うんうん、分かってるよ!! 全然大丈夫!!」


 部屋の隅で窓の外を眺めながら、リズはそう言った。


 余程、日中にミリイから言われた言葉が効いたのか、リズは俺と目を合わせてもくれない。俺はポケットの中の『敗者の拳』を確認しながら、思わず溜め息を付きたくなる衝動をぐっと堪えた。


「そんなに俺の恋人扱いされたのが嫌なのか」


 別段見てくれが良い訳でも無ければ、気が利く訳でも無い。だが、これ程までに避けられてしまうと少し悲しみを覚えない事も無い。


「ちがっ――――」


 と思っていたのだが、リズは猛烈な勢いで振り返り、俺の目を見た後。


「――――……ちが、います」


 萎れた花のように、再び首を垂れてしまった。


 ……今のは、否定なのか? ……それとも、肯定だったのだろうか?


 何を考えているのか、いまいちよく分からない反応だった。


「まあ、立ち直ってくれ。今日は大事な日だから。俺も気にしない事にするから」


「そう、だね。ごめん、場違いで……」


 椎名と違って、リズの口から恋愛話は中々出て来ないものだな、と思っていたが。……若しかすると、苦手な部類なのかもしれない。考えてみればリズに恋愛経験があるかと云うと、外見を除けば機械オタクで物理オタク、おまけに常時白衣と来ている。唯一関係が有りそうなのは神宮寺と呼ばれた『カンパニー・バイオテクノロジー』の代表と思われる男くらいだが、女性と言うよりも娘と見られていたように思う。


 つまり、初心うぶなのだろう。とても二十歳とは思えないが、しかし。


「……それなりに、遅くなって来たな」


 時刻は深夜一時。こうも夜更かしが続くと、俺も流石に疲労して来ているが……それは皆同じだ。事件を解決するまでは、文句を言う訳には行かない。


「ミリイさんがターゲットにならないと良いな」


 俺の言葉に、不意にリズは表情を暗くさせた。消えそうな笑顔だったが……何事かと、俺はリズを見る。


「そうだね。ミリイさん、最後まで明智さんのそばに居たいだろうし」


 含みのある言葉だった。まるで、今日明日にでもミリイ・ロックハインガムが死ぬと言っているかのような。


 いや。俺はリズの内側に隠された言葉の意味に気付き、思わず眉根を寄せて聞いた。


「…………リズ。ミリイさんの病気の事、知ってるのか?」


 一体何の病気なのか、俺には分からなかったが。俺はリズに近付いた。目の前まで歩くと、リズは俺の服の裾を掴んだ。


 掴まれた指に、力が入る。


「……転水病。終末東京の世界だけで起こる、特殊な病気だよ。リオ・ファクターが良くない方向に暴走して、体内の水分がどんどん身体から出て行っちゃう。そんな、病気があって。……多分、それだと思う」


 終末東京の世界でしか、起こり得ない病気もあるのか。しかし、リズの態度は普通ではなかった――……今にも涙を零すかのようで、それは俺に、自ずと悪い展開を連想させた。


「……あと、どれくらいだ」


「分かんない。……でも、身体の下の方から上に向かって乾いて行くの。最初は足が動かなくなって、それで……今日、唇が渇いてるのが見えたから」


 だったら、明智大悟は。……ミリイの最期の瞬間を見届ける為に、頑張っていると言うのだろうか。


「次は目で、視力を失って……そこから先は、早いんだって何かで読んだの。大事じゃないと良いんだけど……」


 この世界で、リズの言った事が外れた試しはない。リズが見て転水病だと思うのであれば、きっとそうなのだろう。


 リズは誤魔化すように、笑った。この上なく空虚な笑みだったが、それは俺達に『ゴースト事件の真相を突き止める』という、本来の目的を思い出させた。


「ごめんね、忘れて。……直接聞いた訳じゃないし、多分違う病気だよ。ただの風邪かも」


 明智とミリイの関係について、俺達は何も知らない。それがどれだけ深いものなのかも、絆がどれだけ強いものなのかも、永遠に未知のままだ。


 しかし、リズの言っている事は正しい可能性が高い。明智は尋常ではない程にミリイと一緒に居るし、ミリイの部屋から出て来る事をしなかった。俺の目から見てもミリイ・ロックハインガムの状態が悪化している事は見て分かったし、旅館に到着した時こそ見ていた車椅子での移動も、今となっては見る事が無くなった。


『ゴースト』のせいだろうか? 勿論、その可能性もある。無闇に外へと出る事も無い、と判断したのだろう。


 だが、それだけでは無いとしたら。


「……行こう、リズ。俺達の手で、ミリイさんを護るんだ」


「……うん」


 やはり、俺達はどれだけ取り繕っても、終末東京の世界で死ぬ事について、プレイヤーは全員、軽視していると言わざるを得ない。


 どれだけの痛みがあったとしても、やはり先の人生に影響が出ない気軽さは、俺達に『死』という選択肢をちらつかせる。死ぬ程痛いけれど、その痛みを乗り越えればゲームをリタイア出来ると知っている。彼女等NPCには、それが無いのだ。


 初めて俺は、『ガーデンプレイス』に来た時に明智大悟がプレイヤーウォッチを回収した意味を、その肌で感じていた。プレイヤーとNPCを分けるという事の意味は、視覚的な区別を無くす、という意味だけでは無かったのかもしれない。


 安易に死を選ぼうとする、選ぶ事の出来るプレイヤーとの差を、極力縮めたかったのだろう。


 働いているのはNPCだったのだから。


「誰かっ!! ――誰かあああ!!」


 声が聞こえたと同時に、部屋を飛び出した。


 ミリイ・ロックハインガムが、『ゴースト』に為す術も無く殺される。……その展開だけは、避けなければ。



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