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終末東京で、俺は戦器を握らない  作者: くらげマシンガン
第一章 『アルタ』編
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第一話 美しき地下都市『アルタ』

 間もなく、視界は真っ白な光に覆われた。


 白銀色と翡翠色に光る顆粒状の何かが、空虚とも思える真っ白な光の中を、竜巻のように渦巻いている。その中心に一人、まるで深海に溺れ沈み逝く人間のように、天地を逆転させて脱力した自分自身が落下していく。


 産声を上げる前の赤子が、現世に産み落とされる瞬間のような。あどけない、幼い少年の心のまま。


 目を閉じ、何とも判別の付かない運動力に身を任せる。そこには表現の出来ない心地良さがあった。


 …………不思議な気分だ。


 それは例えるなら、池に丸石を落とした時に似ていただろうか。


 波紋を描く運動力。発生した大きな波は、水面みなもに立てた棒など恰もそこには無かったかのように、些細な障害物は無視して広がって行く。


 そう、その例えで行くなら、俺は『棒』だ。


 或いは、不明瞭に映る蜃気楼。都会のビルの影に隠され、色を失った時のように。紛れ込んだ雑踏の中、小さく縮こまった身体を嘘のように通り抜けていく『雑踏』は、対象物に影響を与えずに先へと進む波の動きに似ている。


 元来、波と呼ばれる大きなエネルギーは小さなものに影響を与えると思われる事が多いが、それは違う。例えば巨大な湖の上に浮かんだ紅牡丹の花は、揺れる波の動きに合わせて上下はするが、左右に動く事はない。


 波形が大き過ぎるのだ。運動力に流されるままに動く存在は、大きなエネルギーと戦う事をしない。だから、必要以上に影響を受ける事もない。


 自分よりも大きなものに衝突するから反射する。言い換えれば、それが『波』なら、小さな波形のエネルギーにこそ影響を受けるものだ。そう考えると、現実世界に存在している自分は、まさに目の前で激しく流れ混ざり合う顆粒状の物質と、大差無いのかもしれない。


 無心のまま、自身を突き動かす『波』を、黙って眺めている何か。


 それは限りなく、ちっぽけだ。余りにもちっぽけが過ぎて、自分よりも大きなものに嫉妬してしまいそうになる。


 澄んだ心臓が全身に血液を送り出す為に、無意識に収縮を繰り返している。


 噛み締めて広がる血は、鉄の味。


 どうして、巨大な湖の上に浮かんだ紅牡丹の花を想像したのだろうか。


『あなたは弱いの』


 くぐもった声は、水面より差し込む屈折した光を深部から眺めている時のように淡く、遠い。


 仕方なかったんだ。


 衝動を抑え切る事が出来る程に、冷静には成れなかった。かといって、背景を分析して正しい解答を導く事が出来るだけの知識もなかった。


 無知、無力、無能。それなのにプライドだけは高い、自意識過剰で視野の狭い、幼い自分。


 伸ばした右腕が、長い髪を掴もうともがいた。その、俺にとっては余りにも遠すぎる後姿に、諦めようにも諦め切れないだけの悔しさを、俺は感じていた。


 いつだっただろう。


 涙を流す事が、出来なくなったのは。




 ◆




 真っ白な光を抜け、世界は今一度反転する。


 仮想的な夢物語にも似た空間。奇妙な体験から一転して、まるで現実的な感覚が蘇ってきた。


 五感は正常に機能している。徐ろに『ワープステーション』に立った自分に何が起きたのかを特定出来ないまま、両眼を開く前に両手を動かした。


 何かの異変が起こった様子はない。しかし、少なくとも自分は無骨でろくに装飾も施されていない電子機器の上に立ってはいなかった。その場所は少しだけ、不安定なようにも思える。


 雑踏が聞こえる。しかし、それは都会で聴く苛立たしい雑音のように、無秩序で、混乱を来たし、挙句どこか作り物めいているような騒ぎの塊ではなく。


 穏やかに揺らめく湖のような、静かで優しさを伴うそれだった。


 初めて、双眸を開く。


 前に広げられた、自身の両手が見える。別段肌理細やかでもない手指の向こう側に見えるのは、さも予定されていたかのように存在する、揺らめく水面の存在だった。


 水。


 瞬間、恐怖を覚える。


 反射的に身を引き、その場から飛び退いた。自分が今、立ち尽くしている場所は水面ではなく、地面だ。よもや水面に直立したまま沈まないという事はあるまい、と気付いたのは、既に飛び退いて背面にある壁に、後頭部を打ち付けた後だった。


「いっ!! ……てっ!?」


 視界に星が見えた。堪らず、その場に崩れ落ちるように座り込む。


 湖の奥底、地面に向かって突き刺さっている木柱の上に、恰も梯子を横向きにして組まれたようにも見える足場。梯子程、隙間が空いている訳ではないが…………背中はどうやら、石造りの壁に激突したようだった。これが橋でなくて助かった。ゲームが始まった次の瞬間に川へと落ちる等という、悲しい物語の始まりは避けたい。


 少し落ち着いて、痛みを訴える後頭部を擦り、辺りを見回した。


 湖? ……そして、ここは何だ。釣り堀か?


「ゲーム…………?」


 自らの思考でそこまで辿り着いて、ようやく改めて、不可思議な現実と対面する事となった。一面に広がる湖――――その向こう岸もまた、遠くに見える。正に釣り堀のような足場は湖の縁を沿うように続いていて、背面の地面へと上がるための階段は、自分が立っている足場の少し先。正方形の花崗岩で組まれた階段がある。ちょうど、自身の身長程の高さがあった。


 そうして。


 その瞬間に、俺は初めて、自分自身を認識した。


「……これ、ゲーム、か?」


 自分自身の肉体が、転移している? それとも、意識だけが別の場所に飛ばされているだけ、か? ……転移型のゲームとは、一体何処から何処までを転移するのだろう。


 分からない。少なくとも、目の前にスクリーンが現れて身体の動きと連動するような、如何にも作り物めいた、ちゃちな代物ではない。


 足場の上に立った感覚がある。穏やかに動く、大気の感覚がある。酸素で肺を満たせば、僅かに冷静になった脳に血が巡っていく感覚がある。


 終末東京ワールドエンド・トーキョー、オンライン。


 ……これが本当に、ゲームなのか。あまりにもリアリスティックに作られた世界。試しに木の足場を歩き、階段へと向かってみた。


 身体の重心を傾けると、それに応じて木造の足場はぎしり、と軋む。海では無いだろうに、寄せては返す湖の水は岩壁に当たって反射し、喉が渇くような音を立てている。


 しかし……明らかに普通ではない。やはり、ここは仮想現実なのだろう。


 視線を上に向けると、遥か遠くに見えたのは広大な蒼穹ではなく、白熱灯のような色で発光するライトだった。余りにも眩しすぎる為に直視する事は出来なかったが、その向こう側に巨大なパイプで組まれたかのような、『天井』の存在を発見した。


 ここは地上ではなく、地下だということだ。


 そういえば先の取扱説明書に、人類は『シェルター』に潜り込んで避難したという話があったな。


 ずきずきと痛む後頭部は、しかし時間の経過と共に痛みを減少させていく。足場を通り抜けて花崗岩の階段を上がると、岩壁に隠れて見えなかった本来の景色が、高度と共により遠くまで視界に入ってくる。


 円を形作るように組まれた石畳の広場。どうやら俺は、湖に降りる為に作られた足場の上に立っていたらしい。ヨーロッパの街路にあるような古めかしいガス灯は広場の中央に立ち、その並びにベンチまで鎮座している。


 騒いでいるのは、二人の少年だった。


 オンラインゲームをやるような年齢には見えない。六歳か、少し上か……これは、あれだろうか。プレイヤーではない架空の存在、NPCノンプレイヤーキャラクターという奴だろうか。動きや会話に規則性はなく、全く生きている人間そのままのようにも見えるが。


 広場の向こう側には、街の存在も確認できる。円形の広場は湖に向かって突出するように造られている。湖に沿って並ぶ建造物は、日本の建築とは少し違う造りのようにも感じられる。……いや、確か遠くに見えるあれは、十三世紀頃に中世ヨーロッパで流行った、ゴシック建築と言うものではないだろうか。未来の日本にステンドグラスなど、必要無いようにも思えるが。しかし、所謂和式の建築物もある。


 何しろ、建物ごとに時代観がまるで乖離かいりしている。複雑な風景だ。


 通りを歩く人間も、俺のように白いボタンシャツにジーンズという簡素な格好ではない。勿論そのような格好も見掛けられるが、ロボットのアニメーションに登場するぴったりとしたスーツのような肌着に近いそれを、無骨なアーマーで覆っている人間も見ることができた。


 彼等は一様に、武器を拵えている。……あれが戦闘時の格好、という事だろうか。


 そうして眺めているうちに、気が付いた。


 そういえば俺は、このゲームを始めるに当たり、キャラクターメイクをしていない。一体今の自分は、どんな顔をしているのだろうか。身長も特に変わっている様子はないし、服装も現実世界と全く同じだ。


 ある程度の核心を持っていたが、今一度水際へと戻り、水面に自身の顔を映した。


 ……やはり、同じだ。こうなると、まるで異世界に召喚されてしまったかのようだ。


 無心のまま、水面に映る眼力の弱い仏頂面を眺める。


 その時、ピコン、と何処かで電子的な音がした。


 再び広場へと振り返ると、目の前に円形の光が出現した。中央を残し、筒のように真っ白な発光体が地面から真上に向かって放たれ、やがて消える。光の中心に人体の輪郭が現れ、光が治まるまでの数秒の間に、一人の人間がそこに現れた。


「…………あ」


 そうか。……俺もこうやって、この世界に転移されたのか。


 逆立てた明るい茶色の短髪は、おそらく染めているのだろう。ブロンドと言うよりは黒に近い瞳が、出現すると同時にきょろきょろと辺りを見回していた。年齢は二十代後半くらいだろうか。やや大柄で太っている、ハイビスカスのアロハシャツにブルージーンズの男。


「ログイン、か……」


 どうしても、目が合う。すると、男は少し驚いたような表情を見せた。


「その声、『きよ』か?」


 男がそのように発言したことで、俺にも目の前の男が誰なのかが分かった。


「『バハムート』?」


 答えた瞬間、男の表情が明るくなった。俺の方に駆け寄ると、笑顔で俺の背中を叩く。


「マジかあ!! お前、そんな顔してたのかあ!! はは、なんかオフ会みたいだな!!」


 オフ会の正式名称はオフラインミーティングであるからして、奇妙な状況ではあるがゲーム内で会っているこの状況をオフ会とは呼べない。まあ、特に突っ込む部分でもないので黙っているが。


 力が強い。叩かれた背中が僅かに痛む。ボイスチャットの通りの、表裏のない雰囲気だ。一頻り笑うと、バハムートは俺に向かって右手を差し出した。


「改めて、初めまして。俺、城ヶ崎じょうがさき仙次郎せんじろう。お前は?」


 当然のような自己紹介に、しかし暫しの間、目を丸くしてしまった。


「……本名?」


 架空の世界には、架空の世界の名前がある。それが、今までに体験してきたゲームでは当たり前の常識だった。俺はずっと『きよ』で通していたし、この男は大胆にも『バハムート』という名前で一貫してゲームをしていた。


 旧約聖書に登場する海の怪物とは、大柄だという部分程度しか一致する要素がない。


「ああ、このゲームに限ってはハンドルネームを使わない事も多いみたいなんだ。テキストチャットは無いし、殆ど仲間内だけでプレイするゲームだからな」


「…………そう、なのか」


 別段、名前を公開したからといって影響が出る訳でもない。まして顔が割れてしまったとあらば、本名でゲームをプレイしたくなる心境も分からないではない、か。


 自ら名乗り出てくれたのだ。こちらとしても、名乗り返さなければ失礼というものだろう。


木戸きど恭一きょういち。恭一でいいよ」


「ああ、すげえ恭一っぽい!! 恭一って感じする!!」


 ……よく分からない共感をされてしまった。


 しかし、自然と顔が割れてしまうゲームとは。この終末東京の世界では、滅多な事は出来ないということだ。自身の身代わり――キャラクターを作ってプレイするゲームでは、瞬間的に作成したり削除してしまえる気軽さから、悪事を働いては財産を別のキャラクターに引き継いで消滅させてしまう、という問題が相次いだ事もあったが。


 その辺りは、自身の身分を公開して参加する、ソーシャルネットワーキング・サービスの形態にも似ている。


「おおっ!! やっぱ、飲めるのか!!」


 城ヶ崎は円形の広場に置いてある自動販売機を見て、嬉々として走って行った。背中に背負っているリュックは、何だろう。フリーターだと言っていた気がするから、バイトから帰って来た所なのだろうか。


 ポケットから小銭入れを取り出し、自動販売機に金を投入している。


 …………財布?


 まるで出て来たままの身なりだ、財布をすっかり忘れてしまった。若しかして、資金価値まで現実世界と一緒だったりするのだろうか。何しろゲームを始めるまで興味も無かったから、手元に情報が少ない。


 城ヶ崎は戻って来て、俺に缶コーヒーを渡した。


「ほれ。恭一の分」


「……あ、ああ。ありがとう。……えーと」


 呼び方を決め倦ねていると、城ヶ崎は笑った。


「城ヶ崎でも仙次郎でも、何でも良いよ。但し城ちゃんだけはナシな。変な目で見られるから」


 広場の端に柵はない。湖に向かうようにして腰掛け、城ヶ崎は缶コーヒーのプルタブを開けた。俺も城ヶ崎に習って、隣に腰掛けて缶を開封する。


 口に含むと缶コーヒーらしい、安っぽい風味が口の中に広がった。改めて、景色を眺める――僅かに香る、水の匂い。閉鎖された空間らしい、どこか息が詰まるような空気と、遠くに見える鉄の壁、限りある空間。


 その無機質で乾いた美しさに、圧倒される。


「じゃあ、城ヶ崎。……金は、現実世界の金を使うのか?」


 城ヶ崎は先程使っていた小銭入れを今一度取り出し、俺に中身を見せた。


 見た事のない通貨だ。一万ドル……?


「勝手に変換されるんだってさ。単位はドルだけど、価値がおよそ百倍になったって設定らしい」


 財布を忘れてしまったから、細かい金額差は分からなかったが。まあ百倍と言うことなら、ただ名前が円からドルに変わったようなモノなのだろうか。


「そうなのか」


「こっちでも、もう仕事もあってさ。何しろ、電脳世界に転移してるのに、水も食料も摂取できる」


「ああ、やっぱり身体ごと移動してるのか? リアル過ぎるとは思ってた」


「誰が思い付いて作ったんだろうなあ。日本にサーバはあるらしいけど、それが壊れなきゃ第二の地球と大して変わらねーよ」


 城ヶ崎は爛々と目を輝かせて、そう言った。


 飲み干した缶を水辺で軽く洗い、潰してポケットに入れる。


 ……現実の世界では、家庭用ロボットの普及が始まって間もないが。


 まるきり、ファンタジーの世界だ。何処の誰とも知らない人間がこんな物を作っていたと考えると、末恐ろしい。人類の科学技術は、何時の間にかこんな所まで発達していたのか。


 ふと、城ヶ崎の話を聞いていて気になった。


「……サーバが落ちたら、どうなるんだ?」


「強制的にログアウトされるらしいぜ。ベータテストの時に参加してるプレイヤーが、ブログかなんかに書いてた。まあ、正式サービス開始から今まで、一度もハードトラブルは無いらしいけど」


 それは、すごい。初めて公開されたのは、いつだったのだろうか。何しろ、世間から離れて生きてきたから……何にしても、電脳世界に閉じ込められるなんて事にならなくて良かった。


 しかし、これだけリアルな世界も人が創り出した、架空の空間というのは。……何だか、不思議な感覚だ。


「どうして、こんなにすげえのに一部の間でしか話題になってねえんだろうなあ。メディアが取り上げないのが不思議なくらいだ」


 取り上げられていないのか。……それは、確かに不自然ではある。


 城ヶ崎はそう呟いて、左腕に装着されている腕時計に触れた。


 ふと見ると、何時の間にか俺も左腕に時計を着けている。確かログインしたのが十八時だから、これは日本時間のままだ。時刻表示の下に、『MENU』と活字体で書かれたボタンがあった。


 城ヶ崎はそのボタンを押下した。すると、時計の真上にホログラムのようなスクリーンが表示された。


「うおおっ!! すげー!!」


 若しかして、これがステータス画面なのか。俺も城ヶ崎に習って、画面を表示させる。


 緑色に発光するフレームの中に、俺の顔写真が入っている。右上の『×』ボタンで閉じることが出来る所は、コンピュータと動作が似ている。右側は写真、左側は情報で、『KYOICHI KIDO』の文字。その下には、住所――しかし、これは存在しない――そして、電話番号の表示枠。どうやら、これも存在しないようだ。


 ゲーム内に住居も構えられるのだろうか。電話番号と住所は、住居を登録すると表示されるのかもしれないな。


 現在地は、地下都市『アルタ』。この場所の名前なのだろう。


 所謂腕力や体力といったような、数値化されたステータスは存在しない。ステータス画面と言うよりは、身分証明だと言われた方がしっくりくる。


 顔写真の下に、初めてゲームらしい設定が見えた。


【職業:自遊人ニート


 ……職業まで、現実の世界を引き継ぐと言うのか。いや、それとも初期値がこれなのだろうか?


「げえ、職業『労働者アルバイター』って何だよ……」


 隣で城ヶ崎が、そう呟いた。……どうやら、現実世界の職業をある程度引き継ぐらしい。なんとも言えない倦怠感に目を閉じ、俺は溜め息をついた。


 ゲームの世界も世知辛い世の中になったものだ。一体何をする職業なのか分からないが……まあ、良いだろう。甘んじて、自遊人の身分を受け取ろうじゃないか。


 初期の職業なんて、ゲームを進めていくに当たり、変わって行くのが常識だ。その昔、モンスターを育てる携帯ゲーム機が流行った時に、一番弱いモンスターを育てると最終的には、最強のモンスターになるという設定があった。まだ、この『自遊人』の文字に一喜一憂すべき時ではない。


 そもそも自遊人が弱いのかどうかさえ、まだ分からないじゃないか。


 不意に、その下に目を留めた。


【アビリティ:負け犬の勘違いピュアハート


 ――――人差し指が、止まった。


「……ん? どうしたよ」


 城ヶ崎の声にも反応出来ない程に、一瞬、思考が宙を彷徨う。


 真っ白になった頭は、考える事を拒否した。即座にステータスウィンドウを閉じると、俺は今一度、目を閉じる。


 落ち着け。……たかが、ゲームの世界の設定じゃないか。深呼吸を数回繰り返すと、俺はしかし、胸に渦巻くやり切れない想いに駆られた。


 こういうものは、もっと冗談の通じる相手に使うべきだ。


「オア――――――――!!」


 瞬間、隣の城ヶ崎から悲鳴が上がった。そう、こんな反応が出来る奴……城ヶ崎のアビリティも、酷い内容なのだろうか。


 つい、城ヶ崎のステータスウィンドウに視線を向けてしまった。


【アビリティ:重量変化ヘビーウェイト


『重量変化』だと言っているのに、ヘビーとは。まるで重くなる事限定だと言われているかのような読み仮名だ。……『重量変化』である以上は、軽くする事も可能ではないかと思うのだが。


 しかし、この風貌に『ヘビーウェイト』。何かを狙ったとしか思えない、傷を抉るような設定だ。……可哀想に。


「引越し業者は体力が命なんだよ!! ゲームのアビリティ如きに、あの重労働が分かってたまるか!!」


 ……まあ、どう言い訳したとしても、脂肪はそれなりにありそうだ。


 城ヶ崎の反応を見ていて、気が緩んだ。……そうだ。所詮、ゲームの中の設定じゃないか。この世界で生きる事が出来ると言ったって、このステータスが俺自身を表している訳ではない。


 アビリティの名前そのものはセンスが良いとはとても思えないが、まあそんなモノなのだろう。海外から登場したゲームである可能性もまだ、否定は出来ない。


「効果は、重力子を操る……? よく分かんねえな。恭一はどんなアビリティだった?」


 城ヶ崎の言葉に俺は苦笑して、ステータスウィンドウを開き直した。城ヶ崎が身を乗り出して、俺のアビリティを見る。


「負け犬の勘違い……? なんか格好良いな」


 俺には、城ヶ崎のセンスがよく分からなかった。


「体内に保有される、リオ子の成長を助ける……? なんだそりゃ」


「さあ……」


 アビリティの説明を読み上げると、城ヶ崎は頭に疑問符を浮かべて首を傾げた。確かに、これを見ただけでは一体何を意味する文章なのか、よく分からない。リオ子とは……確か、取扱説明書にはリオ・ファクターの事だと。


 それが一体何だったのかさえ、今となってはよく覚えていない俺だったが――……


「体内の『リオ・ファクター』含有量は、レベルによって変化する。負け犬の勘違い(ピュアハート)のアビリティを持っている人間は、その成長率が他の人間よりも遥かに高い――――」


 それは、ふとすると風に流されて消えてしまいそうな、小さな声だった。


 何時の間にか聞こえなくなっていた、広場で遊んでいた二人の子供の声。その代わりに聞こえてきたのは、俺と城ヶ崎が眺めている湖と同じくらいには透き通った、綺麗なソプラノの声色だった。


 瞬間的に、目を見開いた。時間帯の関係なのか、先程まで煌々と光り輝いていた白熱灯は色を変え、辺りは薄紅色の光に包まれて、少しだけ暖かく、柔らかな空間に変化した。


「あっ…………」


 俺が気付いた事に、気付いたのだろう。その反応に、振り返る。


 少しだけ緊張したように唇を真一文字に結び、顔を引き攣らせていた。


 どくん、と、心臓は脈打つ。


 流動的な、時間の変化を感じる。静寂の中でも、僅かに聞こえて来るかのような心臓の鼓動。ひとりでに駆け出し、無意識に自分自身の心を揺さぶる何か。


 自然と、瞳孔が開いた。


「恭一?」


 城ヶ崎が俺の反応に気付いて、同じように背後を振り返る。


 円形の広場。その中央に、少しだけ頼りなくも見える撫で肩の少女が居た。閉じてコートのようになった白衣の中央を両手で握り、湖の方から吹き抜ける風に服を靡かせた。


 橙色の光が、舞い上がる。


「ご、ごめんなさい。どうしても、気になってしまったので」


 どうしてだろうか。


 振り返ったその一瞬だけ、彼女の向こう側に何か、別のものが見えたような気がした。まるで幻影のように、何かと何かが重なるように、視界の一部だけが解像度を落とした。


 顔面は硬化していた。反応しようにも、反応する事は出来なかった。薄汚れた白衣に身を包んだ少女は、あまりにも美しい金色の髪と、ターコイズブルーの瞳を持っていた。


 人工的に作られた夕暮れの赤に照らされて、その色を変化させていた。


「うわ、外国人? ……ハーフ?」


 城ヶ崎が気軽な反応を示していた。


 赤色灯の光源が織り成す深いコントラストに映える、肌の色は白。


 だが俺は、その少女を見て――――ざわざわと、胸の内側で蠢く何かに、強い感情を覚えていた。


 見目麗しいと言うよりは可憐な雰囲気の彼女に、恋心を抱いたのか。……或いはそれは、強烈な敵対心にも似た。


 少女が俺を見て、少しだけ驚いたかのように目を丸くした。


 どくん。


 再び、心臓は音を鳴らす。


 ずっと、待ち続けていた。探し続けていたような、気がするのは。


「えっと……君、大丈夫? 顔色、悪いよ?」


 俺の様子がさぞ奇妙だったのだろう。少女はぎこちない笑みを浮かべて、不安そうな眼差しで俺を見ていた。


 俺はぎこちなく、機械のように、無機質な動きで立ち上がる。


「恭一……?」


 一度覚えた血の味は、実際には存在しないにも関わらず、口内で弾けるように広がる。


「ちなみに、武器や防具はちゃんと装備しないと、効果が無いよ?」


 はぐらかしたように、少女は言った。


 俺は部屋着のままゲームを始めてしまったから、当然靴も履いていなかった。


「君の名前は?」


 そう問い掛けたのは、俺の方。


 胸の前で両手を組んで、僅かに怯えて垂れた瞼の向こう側からこちらを見る少女に、俺はそのように問い掛けていた。記憶の中の何かと繋がるのではないかと、心の内側で期待していたのかもしれない。


 いや、期待していたのだろう。


「……エリザベス・サングスター。名前も見た目もこんなんだけど、ずっと日本に居るから、日本語は大丈夫だから」


 だが、彼女がそのように発言した瞬間、俺に変化が訪れた。


 頭の中に引っ掛かっていた何かを、その正体も不明なままに虚空へと放り出してしまったかのような、脱力感に襲われた。思わず活目してしまうような端正な顔立ちも、その瞬間以降、只の他人のようにしか見えなくなっていた。


 堰を切ったように、我に返る。


 俺は一体、記憶の中の何と重ね合わせたのだろう。口に出して言える程はっきりとは繋がらなかったし、少女は紛れも無く、俺にとっては初めて見る存在だ。


 しかし、確かに何かが、ブレたような……


 ならば、それは路上の黒猫を二度発見するようなもの。デジャ・ヴュのようなモノだったのかもしれない。


「ああ、大丈夫。ごめんな、何処かで見たような気がして」


 そう言うと、少女は驚いたかのように目を丸くして、薄桃色の唇を動かした。


 何と言ったのだろうか。声は出ていなかった。艶やかに光を反射する唇に思わず視線を向け、虚無の空間に葬られた言葉の意味をどうにか理解しようと、視線は動いた。


 声には出ていない、分かる筈も無い言葉。


 示されていない意思表示は、屈折した光を表現する夕暮れの赤に包まれて、消えた。



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