第十七話 嘘かもしれない証言の有効性
どうにも、予想と現実が一致しないままで朝を迎えた。
第一発見者の松野が発した言葉は、『ガーデンプレイス』内に宿泊しているプレイヤー達を疑心暗鬼に貶めるには充分な効力を持っていた。深夜の海、光の当たらない砂浜で、旅館へと戻ろうとしている最中、松野は不意に立ち止まったのだ。
『……私、ララさんが小屋の中から出て来るのが見えて。トイレだと思って、入って、そしたら……見付けたのよ』
佐野と松野がどうして夜の砂浜に出ていたのか、等と野暮なことを聞く人間は居なかったが。松野の言葉を慌てて否定するララ・ローズグリーンは、説明した。あの場所は電力の管理室だから、自分は分からない。入る理由が無いと。明智大悟も、ララ・ローズグリーンはそんな事をしない、有り得ないと吐き捨てるように言っていたが。
若しも仮に、テトラ・エンゼルゴールドを殺したのがララ・ローズグリーンだったとして、だ。動機がない。二人共『ガーデンプレイス』の従業員であり、古い仲だ。例え因縁のようなものを持っていたとして、わざわざ人が宿泊している日を選んで殺人をする理由など見当たらない。
松野の証言によって、事件の解決は更に困難な状態になった。止めにサンズが放った一言によって、誰もがサンズの説を信じざるを得ない事になってしまった。
『『ゴースト』ってクリーチャーは、終末東京の世界に恨みを持ったNPCが化けて出て来るもんだ、って聞いたぜ。……普通のクリーチャーとは、事情が違うんじゃないか?』
幽霊ならば、シェルターを素通りして人の住処に現れたとしても、不自然ではないと話した。
そして、朝。
誰一人として口を聞く気にはなれない朝食の場だった。しかしサンズの話が本当なら、昼間の内は何も起こらない。心霊現象は夜に起きるのが通常だ、という事らしい。
……本当に、『ゴースト』?
今の段階では、判別の手段も無かったが。
「恭一、その玉子焼き、いらねえんならくれよ」
「……別に良いけど」
洋食コーナーのバイキングで、一度は取った食べ物を中々食べる気になれず、呆然としていた。料理を運んでいるのは、今日はシェフだ。自らホールスタッフとして働いている。
ウエイトレスのララ・ローズグリーンと言えば、今となっては彼女と接触する事を誰もが嫌がり、入口手前にぽつんと所在無い雰囲気で立っているだけだ。
仮に本人が『ゴースト』を装ってテトラ・エンゼルゴールドを襲ったのだとしても。又は、本当に『ゴースト』に乗っ取られたり、化けられたりしたのだとしても。ララが危険人物だという認識に変わりはない。現状で説明の付く証言が松野の一言しか無いことから、ララは避けられる一方だ。
その様子をぼんやりと眺めながら、コーヒーを飲む。俺はリズに問い掛けた。
「なあ、リズ。NPCでも、バトルスーツを着たり、戦型をインストールしたりって、出来るものなのか?」
ララの事を考えていると気付いたのだろう、ややリズは気不味そうな顔をして言う。
「……うん。リオ・ファクターの適合率とかも含めて、プレイヤーと殆ど差はないよ。プレイヤーウォッチは無いけど、その気になれば職業とアビリティも調べる事が出来る……まあ、NPCの人で冒険者になりたいって希望する人は、殆ど居ないんだけどね」
その言葉に、食べ続けていた城ヶ崎がふと反応して、リズに聞いた。
「そうなのか? なんでさ」
リズは曖昧な微笑みを城ヶ崎に浮かべた。城ヶ崎は分かっていない様子で、首を傾げる。
椎名は……口を挟む様子も見られない。椎名も分かっていないのか。仕方なく、俺は言った。
「プレイヤーと違って、『復活』とか、そういうシステムが無いからじゃないか」
ようやく気付いた城ヶ崎と、黙って聞く事に専念している椎名。……テトラ・エンゼルゴールドの死について、明智があれだけ怒りを見せていたのだ。少し考えれば分かる事だ。
このゲームを始めてから今まで、『リザードテイル』のような都合の良い回復薬こそあったものの、他のゲームであるような死者を蘇生するアイテムというものを、俺達は見て来ていない。プレイヤーは例え死んだとしても、それぞれの所属している地下都市で再生する事が出来る。そういった話を聞いただけだ。
椎名が捕らえられた時、『ミスター・パペット』を名乗る今掛時男が、『記憶の葉』というアイテムをちらつかせた事があった。あれは、一度死んだ場合の復活ポイントを、所属している地下都市から、死んだポイントそのものへと変更する事が出来るアイテムだった。
そんなアイテムが存在すると云う事自体、意図的にプレイヤーの意思によって誰かを復活させるアイテムが存在しない事を暗に示している。若しもプレイヤーをその場で生き返らせる事が可能なら、ログアウト後のログイン位置を元の場所に変更する等と云う、トリッキーなアイテムが存在する筈もない。
『生き返らせる』と表現しないのは、それを可能にしてしまえばNPCにも適用可能だからなのではないか。
俺達の話している内容が、あのロビーに居た受付嬢――――テトラ・エンゼルゴールドの死と関係していたからだろう。城ヶ崎が、苦い顔をして腕を組んだ。
「…………悪い。変なこと聞いちまったな」
「ううん、私も、話してなかったし……」
俺は残っているプレートの上の食べ物を城ヶ崎に渡し、席を立った。全員、唐突に立ち上がった俺に対して視線を向ける。
「今日も、海に行くか?」
「……ああ、まあ一応、その予定だけど」
城ヶ崎が言った。一応と云うのは、盛り上がらない事を考慮に入れての発言だろうな。
「後で行く。先に出ていてくれ」
それだけを伝えて、俺は真っ直ぐにレストランの出入口へと向かって行く。目的としている対象が俺の動きに気付いて、咄嗟に顔を背け、扉の設置されている柱の陰に隠れようとした。
そんなに気不味いのなら、部屋にでも戻っていれば良いのに。どうせホールの仕事はやらせて貰えないだろうに、律儀な女性ではある。
俺は出入口の陰に隠れているララ・ローズグリーンの前に立ち、親指で背後を指差した。
「ちょっと、良いか?」
◆
受付の居なくなったロビーは閑散としていて、人気が無い。ララの話に拠れば、ここのスタッフは殆どが泊まり込みで、言ってしまえば仕事と生活がイコールになっている為、一人欠けると穴を埋める人間が居ないのだと言う。
ララをソファに座らせ、近くの自動販売機から二人分の缶コーヒーを買うと、席に戻る。青褪めた顔をしているララは、一体これから何を聞かれるのだろうと考えているに違いなかった。
場合によっては、テトラ・エンゼルゴールドの件について、犯人扱いをされた上で何かを質問されるケースも有り得る。そのような内容について心配をしているのではないかと想像させた。
あまり、警戒をさせるのは良くない。しかし、誰が犯人なのかも分からない状況で迂闊な事を口にする訳にも行かない。俺は慎重に言葉を選び、缶コーヒーのプルタブを開けた。
「……あまり、気負わないでくれ。別にあんたが殺人犯だなんて決め付けている訳じゃない」
今の段階では、何も情報が無いと云うだけだ。松野がララ・ローズグリーンを犯行現場の目前で発見したと証言しただけで、そこには動機も証拠も存在しない。ララは部屋で寝ていたと話したからアリバイも無いが、同時に松野の言葉が正しいとも言い切れない。
第一発見者であり、他に目撃していたのは俺だけ。と云う事は、警戒は必要だ。第一発見者を装う事は、若しもこれが犯人の視点ならば最も偽装工作がし易く、かつ犯人として意識され難いと云うアドバンテージを持っているものだ。場合によっては、松野が自作自演をしている可能性も残っているのだから。
つまり。
まだ、この話は何一つ、先に進んではいないのだ。
「聞きたいんだ。……テトラ・エンゼルゴールドについて。知っている範囲で、情報を提供してくれないか」
ララは少し迷っているようだったが、俺の態度に悪意が無いと判断したのだろう、徐ろに首を縦に振った。
その様子を見て、やはりララ・ローズグリーンは今回の件に噛んでいないのではないか、と予想させた。予想は予想、あまり当てになるような推測では無かったが。
アタリと呼ばれる眼鏡の少年の話に拠れば、犯人は自由自在に刃物を変形させる事が可能な人物。まだ剣術士の事について知識も少なく、そのように武器を変形させるアビリティが存在するかどうかも分からないが、人間を好き放題に傷付ける事が出来る程の運動神経を、彼女は持っていないように感じられるのだ。
普段が演技だと言うのであれば話は別だが、人数が増えた時にまともなホールスタッフが出来ない程、悪く言ってしまえば鈍臭い人間が、あれ程スマートに人間を殺せるだろうか。
…………まあ、推測の範疇を出る話では無かったが。
「事件が起こる手前、テトラ・エンゼルゴールドと接触はあったか?」
問い掛けると、ララは頷いた。
「……停電が起こって、慌ててテトラさんを呼ぼうと、居酒屋を出たんです。部屋をノックしたけれど居なかったから、もう向かっているのかと思って……ロビーに行って、そこでテトラさんとお話しました」
「内容について、聞いても構わないか? 言い辛い事で無ければ」
思えば、未だに停電も回復していない。この旅館では、電力回りを操作出来るのはテトラだけだったのだろうか。仕方の無い事だが、夜に電気が使えないのは少し不便ではある。
ララは頷いて、力無い笑みを浮かべた。
「電力室の鍵が入っている、金庫のパスワードが分からなくなっちゃった、っていう話をしていて。私、一度部屋に戻ったんです。どうしても覚えられなかったから、パスワードを暗号にして、メモしておいたノートがあって」
……それはまずいだろう。安易に思い付く暗号など、容易く誰かに見破られる可能性がある。とは思ったが、言わずにおいた。
「テトラに、読み方を教えた?」
「はい、テトラさんなら問題無いですから。普段は私が管理していますし……」
「それで、金庫を開けたのか」
「ご、ごめんなさい。暗号の内容については……」
「ああ、別に構わないよ。聞く気もない。金庫の中に、金目のものはあるか?」
その問い掛けには、ララは首を横に振った。
「いいえ。お金が管理してある金庫を開けられるのは、支配人であるミリイさんだけです」
ミリイ……ミリイ・ロックハインガム。ロビーで明智大悟と共に現れた、車椅子に座っていた女性だ。……やはり、彼女がこの旅館の支配人だったか。
疑問が解決したと同時に、新たな疑問と解答は導かれた。先ず第一に、犯人の目的は金銭では無かった、と云う事実。だとすれば、プレイヤーの中にテトラ・エンゼルゴールドを殺害する理由が見当たらないと云うこと。
となると、やはり旅館の中での揉め事……? 『ゴースト』説を否定するのだとすれば、テトラ・エンゼルゴールドそのものに何らかの過失・恨みがあり、その為の犯行である可能性が高いのか。
……しかし。
「パスワードの書かれたノートを渡した時、他に人は居なかった?」
「勿論です! 暗闇でしたし、誰が聞いているとも分からなかったので……金庫の部屋まで行って、鍵を掛けてから話しました」
やはり、金庫は目的では無かった。そう考えるのが、自然だろうか。
そこまで考えた時、不意に何かが脳裏を掠めた。それは、僅かな違和感だった。
通り過ぎた予感は一瞬で、掴み損ねればそれきり見えなくなってしまう位に小さなものだったが。昨夜見た光景を、今一度頭の中に展開し、考えた。
「……ララ。そうすると、ノートはテトラに渡したって事なんだよな?」
「は、はい」
ピン、ときた。同時に、疑問は不安になり、瞬く間に最悪の展開を予想した。
僅かに綻んだ糸から見えた、真実に最も近い計画。無い所に無理矢理作ったと云うには説得力のある理由について、悪寒を覚えた。
「無かったと、思わないか」
「……え?」
「電力室で、テトラが殺されていた時。お前の書いたノートを、テトラは持っていなかった」
はっとして、既に通り過ぎた記憶を辿るララ。……大切に保管していた物なら、直ぐに気が付いて良いと思うが。しかし、あの殺人の後では気も回らないだろうか。
「他に、何か無いか? 当時の出来事で、重要な事があるかもしれない」
ララは一頻り考えた。ノートが失くなっている可能性を考えることで、全く予想も出来なかった動機が見え始めたからだろう。
そして――――ララは言った。
「そうだ! まだあります。私、居酒屋で働き過ぎて、喉がガラガラで……そしたら、金庫でテトラさんがのど飴をくれたんです。今日は早く休みなさい、って。なので、言われた通りにすぐに寝ました!」
……やはり、この何処かすっとぼけた娘が、テトラ・エンゼルゴールド殺害の犯人だとは。……考え辛いと、俺は思った。
何かの役に立つかもしれないと、ララは本気で思っているようだったが。俺は立ち上がり、ララに言った。
「それはいいや」
「ええっ!?」
真面目に驚愕の表情を浮かべるララだった。
「金庫室に行こう。あの時、パスワードの書いてあった金庫を全て開けるんだ」
「い、今からですか? ごめんなさい、お客様は金庫に立ち入りは……」
遮るように、俺は空になった缶コーヒーをごみ箱に捨てると、言った。
「俺は入らなくて良いし、見なくていい。……いや、今見ても多分、何の意味もない」
「……ど、どうしてですか?」
若しも。
若しもテトラ・エンゼルゴールド殺害の動機が、これから旅館内に居る人間を片っ端から殺す為の、足掛かりだとしたなら。
杞憂ならば良いと、内心で思っていたが。
「中身が無いからだ」
◆
結論から言えば、俺の予想は全て当たっていた――――勿論、悪い方に。
盗まれていたのは、プレイヤー全員分の『プレイヤーウォッチ』。素直な事に、他には何も盗まれていなかった。旅館で腕時計を回収された時から感じていた嫌な予感は見事に的中する事となり、俺達は『ガーデンプレイス』始まって以来の最悪な大事件に、首を突っ込む事になってしまったのだった。
直ぐにララは明智大悟とミリイ・ロックハインガムの二人に事情を説明しに向かい、俺は海辺で何をする事もなく、もう帰ろうかと話していた城ヶ崎、椎名、リズの三人を呼んだ。そして、今現在の俺達が『ガーデンプレイス』からおいそれと出る訳には行かなくなったという事実を説明せざるを得ない状況になったのだった。
その気になれば、旅館の屋上から飛び降り自殺でもすれば現実世界に帰る事は可能だったが。正義感の強い城ヶ崎は犯人が得体の知れないクリーチャーではなく、人間である可能性が高いと知るや、このままで帰る訳には行かないと話し出した。追って椎名が神妙な顔で頷く。
俺としては、リズにログアウトという選択肢が存在しない以上、彼女だけを残してこの場から撤退する訳にも行かなかった。
ララから事情を聞いた明智は一瞬、何かを悟ったような顔で在らぬ方向を見詰め、直後にぽつりと一言、呟いた。
「…………そうか」
その表情に、僅かな違和感を覚えたが。
部屋の隅に直に座ったまま、腕を組んだ城ヶ崎が少し威圧するような態度で、明智を一瞥した。
「明智さん。……プレイヤーウォッチは、過去に盗まれた事はねえって言ってたじゃねえかよ。……こんなに簡単に、やられちまうもんなのか?」
城ヶ崎の言葉に、辛酸を嘗めるような顔になった明智は、絞り出すような声音で言う。
「……申し訳ない。パスワードは絶対に紙に書くなと、常々言って来たつもりだったんだが」
「ご、ごめんなさいっ……!! 私の責任です!!」
俺達に向かって頭を下げる明智に対して、ララは明智に向かって頭を下げた。……まあ、今更どう足掻いた所で、問題を解決しなければ腕時計が返って来る事はない。リズの話に拠れば、プレイヤーウォッチという物は距離を離せば自動的に俺達の所へ転移されると云う話だが、電力が落とされていて『ガーデンプレイス』から離れる事が出来ない。
封鎖と窃盗。二つの意味を兼ね備えた殺害だった。
完全に、計画的な犯行。俺達プレイヤーを閉じ込める為、意識された行動だ。
「金庫破りなんてのは、超一流の銀行でも過去に事例がある程のもんだ。……セキュリティの甘さは目立つかもしれないが、どれだけ強固でも破られる可能性はある。……仮に俺達が持っていたとしても、何らかの手段で奪われていた可能性もある。そんな事は、今更問い詰めても仕方無いよ」
「……だけど、恭一が一番気にしてたじゃんかよ。なんか、あんまり重要視してなかった俺にも責任があるような気がしてさ」
城ヶ崎も、気にしてくれていたのか。だが、あの状況では俺もプレイヤーウォッチを盗む事に意味は無いと考えた。誰も気付かなくても、無理はない。何しろプレイヤーウォッチを盗む事で得られる効果は、ログアウトを防ぐ程度の物なのだから。
「良いよ、過ぎたことは。誰もプレイヤーウォッチが盗まれるなんて、思って無かっただろ」
だが、犯人にとっては、この旅館に滞在しているプレイヤーのログアウトを防ぐ事には、何らかの意味があった。
それは、一つの事実としてある。わざわざ全員分のプレイヤーウォッチを盗んでいるのだから間違いない。リズが同じ事を考えたのか、下顎に指を添えて、考えるような仕草で言った。
「でも、犯人にとっては、意味があった」
「意味って、でもアイテムは盗めないし。バトルスーツなんかは、全部私達の部屋にあるし……」
椎名が混乱したような顔で言う。俺は椎名に微笑みを浮かべて、しかし直ぐに笑みを消し、腕を組んで部屋の壁に凭れた。
明智大悟とミリイ・ロックハインガムの部屋には、ベッドとティーセット程度の簡易なものしか無い。部屋の中には俺、城ヶ崎、リズ、椎名の四人と、明智とミリイ、そしてララ。合計七人だ。
若しもプレイヤーをログアウトさせない事に意味があると仮定するなら、明智とミリイとララの三人は犯人の候補から外すべきだ。……と、信じたいが。
「犯人の目的として考えられるのは、大量のプレイヤーを殺害したいと思う愉快犯的な行動なのか。……若しくはこの場合、プレイヤーウォッチを盗む事に意味があると考えるよりは、プレイヤーを『ガーデンプレイス』に残す事に意味があると考えるべきだろうな」
珍しく城ヶ崎が、何かに気付いたような様子で言う。
「そうか! リゾートで殺人なんか起きたら、誰だってログアウトするかシェルターを離れたいと思うもんな。それを防止する……つまり、今後も犯行を続けて行くための、犯人を特定されない為の行動ってことか」
事前に『ガーデンプレイス』を離れよう、と話していたからだろう。俺の伝えたい事を、しっかりと拾っていた。俺は頷いて、可能な限り絞られた推測に、僅かな笑みを浮かべた。
明智が、俺の様子に救いを求めるような視線を向けた。
「まあ動機は分からないけど、犯人像はある程度特定出来るな」
「……ど、どうして?」
僅かに戸惑いを見せた椎名に、俺は人差し指を立てて見せた。
「テトラ・エンゼルゴールドは、大小様々な切り傷によって殺害されていた。従って犯人は、刃物の扱いに長けた人間であり、多くの場合はプレイヤー、現実世界の人間だろう」
城ヶ崎が俺の目を見て、確信を持った笑みを浮かべた。
「プレイヤーのログアウトを防ぐ事が犯人像を特定されない為なら、犯人である自分はプレイヤーの可能性が高いってことだ。若しもNPCが犯人だとするなら、プレイヤーを残しておく意味が無いからだな」
俺は頷いた。但し、例外はある。旅館内の人間にプレイヤーを痛めつける動機を持っている者が居た場合に限っては、俺達プレイヤーを『ガーデンプレイス』に閉じ込める為に、テトラ・エンゼルゴールドを殺す可能性はある……だが。明智やミリイ、ララがそんな目的の為に、テトラを斬る可能性……あまり、考えたい方向性ではない。
シンプルに。プレイヤーは、自身が犯人だと特定されない為に他のプレイヤーを『ガーデンプレイス』に閉じ込める。その方が、可能性は高い筈だ。
「分かっている中で旅館に居るプレイヤーのうち、剣術士は『サンズ』と『佐野利明』の二人だ。相手は刃物を扱う事に長けた人間、そうでなくても前衛職の可能性が高いだろう」
椎名が普段のふわふわとした雰囲気は微塵も見せずに、ぽつりと呟いた。
「前衛職……」
今掛の事を思い出しているのは、一目瞭然だった。
「何れにしても、今夜だ。若しも犯人の動機が『NPC殺し』だったとしても、『愉快犯』だったとしても。『ゴースト』を謳っている限り、今夜も殺人は起きるだろう。この二人の行動に注意して、動き出したら押さえればいい。……それで、プレイヤーウォッチも戻って来る筈だ」
城ヶ崎が俺に含みのある笑みを浮かべ、遂に重い腰を上げるのかと、今までよりも少し明瞭な声色で言った。
「じゃあ、役割分担を決めないとな。……指令隊長、指示を」
茶化したような言葉に、思わず笑ってしまった。
「指令隊長じゃないって。……まあ、城ヶ崎と椎名は戦力的に分かれた方が都合が良いだろうな。俺とリズじゃ、実際の戦闘になった時にかなり不安だから……無難な所で、前衛城ヶ崎・援護リズ、前衛俺・後衛椎名でペアを組んで、二人を監視すれば良いんじゃないか」
椎名がやや緊張したような面持ちで、徐ろに頷く。リズは慣れた様子で、笑みさえ浮かべていた。
城ヶ崎が気合いを入れるかのように両の太腿を叩き、立ち上がった。
「りょーかい。そんじゃまあ、今日が勝負だな」
会議を終え、それぞれの役目を把握したチーム。その団結力にだろうか、明智がくたびれた様子ではあったが、僅かな期待と驚きに満ちた眼差しを向けて、俺達を見ていた。
暫し、目が合う。
「……お前さん達は、一体何なんだ? 何かのチームなのか?」
その問いには、城ヶ崎が自信満々に答えた。
「唯のゲーマー集団……でも、普通よりはちょっとだけ、組織力の高いチームだよ。リーダーが優秀だからな」
城ヶ崎の、俺への無類の信頼は一体何なんだろうか。俺としては、あまり持ち上げられ過ぎても困る所があるのだが。
戦略の決まった仲間達は順に、明智とミリイの部屋から出て行く。俺は少し気になることがあり、その部屋に残っていた――……残されたララに、明智が視線を向けた。
「ララ。……お前、暫くはこの部屋で寝るようにしとけ。少なくとも、問題が解決するまでは」
「は、はい……」
俺を残したメンバーが部屋を出て行ったことを確認してから、俺は明智に向かって歩いた。出入口から、部屋の奥、窓の方に向かっていく。明智はそんな俺の様子を確認してから、まだ質問があると確信したのだろう。口を開いた。
「……随分と、信頼されているみたいだな」
「諸事情でさ。……あんまり、仲間を背負うみたいなのは得意じゃないんだけど」
これは本心だ。俺自身に大した能力が無いことは、終末東京内でのステータスから考えても、はっきりとしている事。代わりにどうにか頭を使って切り抜けようと云う訳だが、それが諸刃の剣である事は、自分自身が一番良く知っている。
どれだけ俺が忌み嫌った所で、腕力と権力と云うものは、やはり強大なものだから。
「それより、教えてくれないか。明智、あんたは何故テトラ・エンゼルゴールドが襲われたのか、その事情を知っているように思えた」
ぴくん、と明智が反応する。ミリイが何かを悟ったような顔をして、目を閉じて微笑みを浮かべた。
おろおろとした様子でララは未だ、どうしたら良いのか判別が付かずにいる。
「…………どうして、そう思った?」
「さっき、ララからプレイヤーウォッチが盗まれた事を聞いた時に。……何か、分かっていたような風じゃなかったか」
聞くと、明智は押し殺したように笑った。
「おっそろしいな、お前さんは。年上に敬語を使わないのは、その勘の良さから来るのかよ?」
「いや、単に敬語が苦手なんだ。可能なら気にしないで貰えると嬉しい」
「そこまではっきりしてると、寧ろ清々しいな」
俺は、窓の外の様子を眺めた。
正午を過ぎて、日が傾き始めている『ガーデンプレイス』の昼下がり。外には佐野と松野が遊んでいる様子が見えるが。サンズのグループは、この場所からは見えない何処かに居るのだろう。
推測を組み立て、次は何処に問題が発生するのか。事件についての予測を立てる。
先回りしなければ、結果は付いて来ない。相手に悟られれば、対策を立てられる。限られた情報の中から綻びを見付け、その場所を根拠にリスクを背負う。
全ての戦術に置ける、基本の考え方。そして、世間から隔離された世界に生きる、弱者としての俺の戦い方。
そんな事を、考えながら。
「何となく、だが。木戸恭一、だったか。お前さんが危険な人物じゃ無さそうな事は、理解した」
どちらかと言えば、性格が悪い人間のように映りそうなものだが。明智に取っては信頼に足る何かを、俺は掴んだと云う事なのだろうか。
だが、明智は微笑んだまま首を振った。
「でも今はまだ、何も聞かないで貰えないか。……俺も中々、サラでは人を信じられない人間でね。根拠の無い期待に安く情報を売る訳には行かねえのよ」
どちらかと言えば。明智のその言葉は、俺にとっては信頼出来る一言だった。以前の椎名のように、口先だけで容易く人を信頼する人間は、何処かで騙されて戦況を引っくり返される危うさに満ちている。
俺は頷き、明智に笑った。
「分かった。……結果論ではあるけど、俺も今回の問題に足を突っ込んだ人間だ。もう誰も死なない内に、犯人を俺の手で特定出来たらと思っているよ」
参ったとばかりに、明智は両手を挙げて降参のポーズを取った。光の入らない部屋から俺が出ようとする頃、唯の一度も口を開かなかったミリイ・ロックハインガムの声が、すっかり気を落とした明智の耳元で囁かれた。
その言葉が一体何だったのか、距離の遠い俺に聞き取る事は出来なかった。しかし、恐らく身体の悪い女性であるミリイが次に狙われた時のリスクを鑑みれば、どのような言葉であったとしても、それは明智大悟を奮い立たせるに足る内容なのだろう、と予想をさせる行動ではあった。
常にミリイに寄り添っている明智の様子を見れば、二人が只ならぬ関係である事は、直ぐに察しが付く内容だったからだ。
扉を開き、外に出る。空気が流れる感覚が頬を擦り抜ける頃、俺の覚悟は決まっていた。
今夜が、勝負だと。




