第十六話 ガーデンプレイスの亡霊
「はい、人数分のビール、お待たせしましたーっ!! えっと、それからイカの燻製と、枝豆追加と……」
旅館の二階は宿泊客が利用する為の食堂があり、本格的なディナーを楽しめる店以外にも、その後に宴会をやる為の和風居酒屋やカラオケボックス等がある。夕食を終えた俺達は、サンズという男が指定した通りの居酒屋に集合していた。
忙しなく動き回っているのは、真っ赤な猫っ毛を短めに揃えた、活発そうな女性。ララ・ローズグリーンと名乗っていた。これだけの客を相手にするのはあまり経験が無いのだろう、先程からビールを零したり、オーダーを間違えてばかりだ。そんな様子を見ながら、俺は城ヶ崎とリズ、椎名に囲まれてビールを啜る。
リズは特に断る訳でもなく、素直にビールを飲んでいる。俺は宴会ついでに、隣で僅かに頬を上気させているリズに言った。
「……飲めたんだな、ビール」
問い掛けると、リズは小さくピースを作って俺に見せる。
「これでも二十歳なのですよ。……恭くんは?」
「二十三、大学生って嘘も付けなくなったよ」
苦笑して、そう答える。元々大学など、経験は無いのだが。俺の言葉を聞いて、椎名がぎょっとして俺を見た。
「えっ、木戸くん二十三歳なの!?」
「……そうだけど?」
「うっそー……絶対同世代だと思ってたのに……」
それは、年上だったからショックを受けているのか、年下だったからショックを受けているのか。……個人的に、椎名の顔からすると年下説を主張したいが。
十八歳だろう、と云うのも勝手な予想ではあったが。あのリズが二十歳だったのだ。……特に抵抗なく酒を飲んでいる様子を見ると……あまり、邪な想像はするべきではないな。
開始三十分にも満たない内から五杯目に突入しようとしている城ヶ崎が、そんな俺達の会話を聞いてにやりと笑う。
「何だ何だ、年齢の話なんか。人間なんて二十歳過ぎたら皆一緒、ただの飲兵衛だよ」
「それはお前だけだよ」
城ヶ崎の言葉に、さらりと突っ込みを入れておく。
城ヶ崎の年齢は前に聞いて知っている。確か今、二十六歳……二十代前半と後半との差を妙に感じてしまうのは、一体何だろうか。ちょうど同じ事を考えたのか、椎名がうつらうつらとした目で惚けたように言った。
「……城ヶ崎くんは? 年齢」
「俺? 花も恥じらう二十六歳だけど」
酒気に当てられて、花も青褪めて逃げ出しそうだ。
「良かったあ……あたし最年長じゃないわ……」
椎名はのほほんとした笑顔で言った。……大丈夫か。結構酒が回っているように見えるが。
どうやら、残念な事に年上説が有力らしい。城ヶ崎よりも年下なら、それはもう俺からしてみれば誤差の範囲ではあったが。
「……大丈夫か? 椎名、水貰って来るか?」
「木戸くんっ!!」
椎名に肩を掴まれて、思わず硬直してしまう俺。椎名は目尻に涙を浮かべて……そんなキャラでは無かった筈なのだが。
「……なんだよ」
「女の子はー、独り身でアラサーを迎える訳にはいきませんっ!!」
これは参った。まさか、酒癖が悪いタイプの女性だったとは。いや、泣き上戸? 普段の性格からは考えも及ばない椎名の様子に、俺は半ば途方に暮れてしまった。
俺の膝に泣き付いて、独り涙酒を始める椎名に溜息を付いて、俺はホッケに手を付ける。……怖い話大会をやるんだと言っていたが、これでは只の宴会でしかない。始めこそ怖い話で盛り上がっていたものの、既に周囲は何かに怖がる様子など微塵も感じられない者ばかりだ。
「何だよ美々ちゃん、俺が居るじゃねえか!!」
「だって城ヶ崎くん、なんか軽いんだもん!!」
「軽くねーって!!」
「……おーい、内輪で盛り上がるのも良いけど、皆で話しよーぜー」
城ヶ崎と椎名が押し問答を始めた辺りで、サンズという男が見兼ねて手を叩き始める。俺は改めて、周囲に集まった今夜のメンバーを見回した。
グループは三つ。今夜の宿泊客はこれだけで、つまりこの旅館は少なくとも今夜の内は、このメンバーで貸し切る形になるという訳だ。
それぞれ性格の違う面子。先ず目立つのは、このサンズという男を始めとする三人のグループだろう。サンズ、アタリ、秋津林二の三人だ。聞けば、彼等は顔が公開されているにも関わらず、この終末東京の世界で実名でのプレイをしていないらしい。
まあ確かに、名前を公開するしないと云う問題は、ゲームをプレイするそれぞれのポリシーにも拠るだろう。世の中には実名を公開するべきソーシャルネットワーキング・サービスにおいても偽名を使う人間まで居るのだ。別段珍しい話ではない。
俺達も敢えて本名を聞く事も無いかと思い、黙っているのだが。
「えっと、誰まで行ったんだっけ?」
「サンズさんが話したとこですよ」
「おお、そっか俺か」
髭も髪も生やし放題、あまり外見に気を使うタイプでは無いのかとも思える男、サンズ。背は高く、皆をまとめるリーダー気質で、何処となく城ヶ崎に似た豪快さがある。……しかし、城ヶ崎のようにただ軽いだけではないな。相応の落ち着きもある。
ならばどうしてこんな格好をしているのか、という点については、疑問が残る所ではあるが。バンダナと大きなサバイバルリュック。……本人の趣味なのだろうか。
「はい。……ていうかそれ、もう良くないですか? 怖い話って気分じゃないです」
「ええ、ただ飲むだけえ? ……だったら、なんかしようよ。マジカルバナナとか」
「古っ!!」
そして、サンズの取り巻き――……ではないが、背の低い眼鏡の少年。アタリと名乗っていたが、こちらはサンズよりもハンドルネームの意味が分からない。如何にも暗い雰囲気で、無口ではあるが。
「それにしてもアタリくん、さっきの話って本当?」
「松野さん。さっきの話って――――『ゴースト』の話ですか?」
別にコミュニケーションが取れないという程のものではないのだが、どうにも話し掛け辛いイメージがあるな。
最後は秋津林二、こちらは黒髪ツインテールでゴシックロリータ……白黒基調のフリルの付いた服を着ている。縞模様のハイソックス、海辺では片目に眼帯を付けていたが、今は外しているようだ。オレンジジュースを飲んでいるのは酒が飲めないからなのか、それとも未成年だからなのか。
「こわーい。人を乗っ取るクリーチャーなんて」
「……はは、都市伝説ですよ。僕は勿論見た事無いですし、一般的に見掛けるクリーチャーでもないです」
以上の三人が、サンズのグループ。総じてなんと言うべきか、如何にもインドアな連中がこぞって集まったと表現するのが最も正しいようにも思える。確かに旅行という話になっても、ゲームの中で旅行しそうな雰囲気ではある。
対照的にカップルとして海辺で仲睦まじげにしていた二人は、アウトドアな印象がある。俺達のグループにもサンズのグループにも所属していない、どういった理由でこの旅館を選んだのか、いまいち把握できない二人だ。
男の方は佐野利明と名乗った。茶髪のボディボーダーで、肌が黒い。恋人の方は金髪のギャルで、松野涼。二人共、現実世界の海に飽き飽きして終末東京を選んだという事だが……確かに、人の多い海で遊ぶ事がいかに大変かという問題については、外側から見ているだけでもよく分かる。
しかし、どちらもゲームをやりそうな風貌には見えないのだが、誘ったのはどちらの方なのか。
「ねえトシ。やっぱ、今からでもリアルの湘南行っちゃう? リアル肝試しとか嫌じゃない?」
「馬鹿言え。俺は別にゲームの敵キャラとかどうでもいいし、お前一人で行けよ」
「つれなーい」
俺達が四人だから、旅館に泊まっているのは全部で九人。それに旅館のスタッフである明智大悟の十人が、このガーデンプレイス内に現在滞在しているプレイヤーだと云う事になる。
「おっと、いっけねえ。もうこんな時間なのか」
サンズは立ち上がると、手を叩いた。
「お楽しみの所すまねえが、一旦これで解散にさせてくれ。残りたい奴は各自残って、寝たい奴も居るだろ。ここからは自由参加っつー事で」
…………やっと、解放されたか。別に悪い訳ではないが、多人数で集まるのはどうにも慣れない。俺は立ち上がり、旅館のメンバーにいち早く背を向けた。
リズが俺の後を付いて来る。城ヶ崎と椎名は――……まあ、放っておこう。
「だ、大丈夫かな? 二人共……」
「あんなに酔っ払えるんだから、どうにかすんだろ」
仮に何かがあったとしても、戦闘要員である二人なら戦う事が出来るのだから。
それよりも、問題は俺達の方だ。
サンズは宴会の場で、それぞれのアビリティ、得意分野について自己紹介に含めようと話した。……俺はそれを、拒絶したのだ。だからこそ、居心地が悪かったという事もある。
腕時計の無い、ログアウトの許されない空間。抱えているアビリティを公開すると云う事は、俺とリズが戦闘において無力であると云う事をわざわざ公にするようなものだ。……今はまだ、その部分については隠しておきたかった。
しかし、あの発言をした事で俺がプライベートな情報をひた隠しにする男だと、言葉にはせずとも認識された傾向にあることは、間違いようもなかった。
「そういえば、椎名さんのアビリティ、『ラブ・ハート』だってね」
「ラブ・ハート?」
これはまた、とんでもなく乙女な単語が登場したものだ。
「恋愛感情の昂ぶりでリオ・ファクターの出力量が決まる……とか、確かそんな内容だったはずだよ」
椎名は気象予報士だ。この世界で云う所の魔法使いに分類される人間。典型的な後衛戦闘職だ。……と云う事は、今掛時男を失った今の椎名は、戦力としても激減する事を示しているのか。
……いや。しかし、椎名の戦力は変わっていない。彼女にとって、レベル上苦戦する程度の相手がまだ現れていないだけなのか。
それとも…………
「しかし、相変わらず皮肉たっぷりだな、ラブ・ハートなんて。どうせ、ステータス画面上はもっと酷い表記なんだろ?」
「さあ……それは、椎名さんのプレイヤーウォッチを見ないと分からないけど」
旅館の寝室へと続く、静かな通路。スリッパで移動していた俺とリズは、不意に立ち止まる事となった。
目を丸くして、二人共頭上の電球を見上げてしまった。辺りの電気が唐突に消灯され、通り一帯が真っ暗闇になってしまったのだ。咄嗟に左腕を弄るリズだったが、時計は無い――……俺はポケットから圏外のスマートフォンを取り出して、明かりを確保した。
「なんだろ? 停電?」
「らしいな」
それぞれ、今頃は寝室に戻っている頃だろう。これはまた、厄介なタイミングで停電になったものだ。部屋の鍵はカードキーになっているから、一度ロビーに戻って手回し式の鍵を貰って来なければならないだろうか。
踵を返し、非常階段方向へと向かう。嘘のように静寂に包まれた廊下には、俺とリズの足音だけが響いている――……
「……あ、テトラさん!!」
人影を発見するなり、リズは走って行った。廊下の向こう側に、懐中電灯を持った女性の姿があった…………金色の髪に、緑色の瞳。テトラ・エンゼルゴールドと名乗った、受付に居た女性だ。俺達を見ると、テトラは穏やかに微笑んだ。
「停電ですか?」
「みたいですね……電力室が旅館の外にあるから、ちょっと見て来ようかなあ、と思っているのだけど」
僅かな疑問は、頭を過る。
雷も鳴らない、至って穏やかな夜に停電。そんなにも、『ガーデンプレイス』の電力装置は貧弱なものなのか。そもそも、発電方法は風力なのか、水力なのか。原子力を管理出来るような面子が揃っているとは思えない。
テトラは頬に手を当てて、当人も困ったような顔をしている。……聞いた所で、彼女から何か良い返答は期待出来ないだろう。
「……普段から、よくあることなのか?」
「いや、そんな事は無いのですが……多分ブレーカーが落ちたとか、そんな問題だと思いますよ。暫くご不便をお掛けしますが、明日の朝までにはどうにかしますので」
旅館全域に渡って停電が起きているのに、ブレーカーという事も無いと思うが……。
「あ、テトラさん。私達、カードキーしか持ってなくて」
「ああ、そうでしたね……ごめんなさい、私も今は持っていなくて。ララに言って貰えますか?」
それだけを話して、足早にテトラは去って行く。ララ……ララ・ローズグリーン。居酒屋で懸命にウエイトレスをやっていた女性のことか。と云う事は、また宴会場に戻らなければならないのか……
まあ、この停電では流石に宴もたけなわ、解散している頃だろう。湧き上がる溜め息を堪えながらも、俺達は居酒屋へと戻って行った。
◆
月夜に照らされて僅かにその存在を主張する波は、しかし物語で見る美しさを伴わない。ふとすれば吸い込まれて自分自身の居場所さえ定かでは無くなってしまうのではないかとも思えるような、漆黒の闇だ。窓の向こう側は暗闇に包まれていて、自ら進んで出て行く気にはなれない。
俺達は、この『ガーデンプレイス』で二つの部屋を借りる事にしていた。片方は男子部屋。片方は女子部屋だ。当然、俺と城ヶ崎が同じ部屋――……旅館の中には二つのベッドがあり、片方では酔っ払い尽くした城ヶ崎が豪快ないびきをかいて眠りこけているが。
どうしても俺は熟睡する気にはなれず、部屋に備え付けてあるソファに座り、グラスに氷水を注いで飲んでいた。酔いを覚ます為でもある。
窓の外を眺めながら、俺は一人、考えていた。
何か、不吉な予感がする。俺達に害が及ばなければ、今のところは何ら問題は無いが――……どうにも、引っ掛かっていた。未だ復活しない電力。停電が起こったタイミングと、宴が終わったタイミング。
旅館に預けたプレイヤーウォッチ。プレイヤーとNPCとの区別をしないと公言する意味。
断片的な疑問は具体的に思い描くまでには至らず、漠然と脳内を浮遊しては消えていく。しかし、その中でも具体的な問い掛けが、不意に脳内に出現した。
仮に『ガーデンプレイス』全域で電力が失われたのだとすれば、即ち『シェルター』から外へ出る事もまた、出来なくなったのではないか。
電力は直ぐに回復すると、ロビーの受付嬢、テトラ・エンゼルゴールドは言っていた。現在の時刻は夜、三時過ぎ。停電が起こったのが丁度日付の変わる辺りの時間だから、都合三時間程度は停電が続いている事になる。……一応、状況を確認しておく意味はあるだろうか。
そのような事を考え、俺は重い腰を上げた。半身をベッドの外にはみ出して寝ている城ヶ崎を一瞥し、テーブルの上に置いてあった部屋の鍵を軽く真上に投げ、右手で持ち直す。部屋に備え付けてある非常用の懐中電灯を拝借していく。
続け、部屋を出た。
貴重品やバトルスーツでさえ、部屋の中に置いてあるのだ。俺は部屋の鍵を閉め、それをポケットに突っ込んで一人、歩き出す。既に深夜だ、流石にこんな時間に旅館の廊下を彷徨いているのは俺くらいのものだろう。思いながら非常階段を降り、広いロビーまで出た。
受付に人は居ない。……まあ、当たり前か。テトラは今頃停電復旧に勤しんでいる頃だろうし、他の人間は寝ているだろう。ならば、ロビーに鍵を返す事は出来ないか。俺は鍵を持ったまま、旅館の外へと出た。
……知らず、右手に力が入る。バトルスーツを着ては来なかったが、『敗者の拳』だけはポケットに詰めて来てしまった。未だ何も起きていないのに、気持ちだけが先へ、先へと昂ぶる。
どうにも、『ガーデンプレイス』に来てから自分の様子がおかしい事には気付いていた。久し振りに姉になど会ったからだろうか。このタイミングで海に来てしまった事に、身体は拒否反応を示しているのかもしれない。
「きゃ――――――――!!」
だから。
知らずのうちに様々な事を警戒していた俺が、真っ先にその悲鳴を聞いたのは、半ば必然だったのかもしれない。ちょうど、シェルターの出入口が確かに機能していない事を確認した瞬間だった。
声は旅館から遠く離れた場所で聞こえていた。俺は真っ直ぐに、声のした方へと走る。……先に旅館まで戻って、城ヶ崎だけでも起こして行くべきだろうか? 若しもクリーチャーの襲撃だとしたら、俺一人が相手にする事の出来るクリーチャーなど高が知れている。加えて俺は今現在、バトルスーツも着込んでいない状態だ。
しかし、その選択は直ぐに消滅した。たった今、シェルターから人物が出入り出来ない事を確認した所なのだ。と云う事は、即ち外部から何かが侵入して来ることそのものが、停電した瞬間からは絶対に無くなったと云う現状を示している。通常『シェルター』内部にクリーチャーが侵入する事など稀な出来事であり、悲鳴がそのせいだとは考え難い。
ならば、他にどのような事が考えられるか。走り続ける最中、俺は一人、可能性を模索し続けていた。
人の可能性。……殺人未遂? 暴行の可能性もある。相手は女性だ。
現在、ログアウト出来ない状態にある――……
旅館でも砂浜でも無い。少し離れた所にある林の中から、悲鳴が聞こえたのだと分かった。サンダルではなく運動靴を履いてきて良かったと内心で思いつつ、暗がりの林へ懐中電灯を向ける。
……何処だ。こちらから光を発しているという事は、何か危険を及ぼす可能性のあるものが身近に居た場合、自身の居場所を安易に教えている事にもなるのか。……そのような感情から一度、明かりを消したが。何れにしても、夜行性の生物でも無い以上は光で照らさなければ、周囲の状況など見えない。
慎重に、林の中へと足を踏み入れていく。
「…………誰か、居るのか?」
声を掛けたが、返事はない。林の中に、薄っすらと外壁のような存在が見える――……小屋があるのか? よく見れば、出入口の扉がある事も分かる。そして、扉は開かれている。
そのすぐ手前に、尻餅を付いている女性の存在があった。酷く怯えているらしい。くすんだ金髪に、焼けた肌。……海辺で戯れていたカップルの女の方。名前は確か……松野涼だ。
「大丈夫か?」
声を掛けて近寄ると、女性は腰が抜けているようだった。一体、何にそこまで怯える必要があるのか……遅れて、こちらに足早に近付いて来る足音があった。
「おい、涼!! 大丈夫か!!」
カップルの男の方。……佐野利明だ。俺の存在を確認すると、僅かに驚いたようで、目を丸くしていた。
「アンタ、確か……」
「木戸だ。奇遇だな、こんな夜更けに」
言いながらも、松野の見ている方向へ、懐中電灯を照らした――――瞬間、俺と佐野の表情が強張った。
「ひいぇっ……!?」
佐野が素っ頓狂な声を出して、その場に尻餅を付いた。……直ぐに、旅館に助けを求めなければ。頭の中では分かっていても、身体は動くことを許さなかった。
其処には、無残にも身体をバラバラに切断された――テトラ・エンゼルゴールドの姿があったからだ。
◆
場には、暗澹たる空気が立ち込めていた。騒ぎを聞き付けて他のメンバーが到着する頃には、第一発見者である松野涼も幾らか落ち着いたように見えた。
「恭一!! 大丈夫か!?」
城ヶ崎が最後に到着し、既に他のメンバーは一堂に会していた。そこには、明智大悟やミリイ・ロックハインガム、ララ・ローズグリーンの姿もある。明智は一人、室内に入り、テトラの状態を確認しているようだった。
状態が状態だ。流石に俺も、少し気分が悪くなった。先のジャイアント・ラット襲撃事件で、既に死体は見ていたが――……自分が話したことのある相手だと、より性質が悪い。
明智と共にテトラの様子を見ていたのか、室内からアタリが登場した。サンズと秋津の二人に、何かを報告している……俺は意識して、アタリの言葉に耳を傾けた。
「……全身、めった刺しみたいになっていますね」
サンズの隣で、秋津が縫いぐるみを抱えて身を震わせた。……眠っていたのか。
「怖がらないでください、秋津さん。……いや、怖がっている場合じゃないんです。次は、僕達の番かもしれない」
「わ、分かってるわよ……それより、言ってたおかしな点っていうのは見付かったの?」
アタリは頷いた。……おかしな点。城ヶ崎が何やら話し掛けようとしていたが、リズが俺の様子を見て制止を掛ける。
「確かに刃物で切り刻まれた痕はあるんですけど……長さも傷口もバラバラで、針で刺されたみたいな痕もあれば、ばっさり切断されている痕もあって。どうも、普通の刃物ではないみたいなんですよ」
アタリの言葉を聞いて、サンズが頷く。……こんなやり取りをしている位だから、こいつらはシロなのだろうか。……いや、それさえもフェイクという可能性もあるか。
まだ、何かを断定するには時期が早過ぎる。
「ってことは、相手は自由自在に剣の長さを変えたり、太さを変えたりする剣士の可能性が高い、ってことか……今回の宿泊客に、剣術士ってどれくらい居たっけ?」
「僕の知っている限りでは、サンズさんと……あと、佐野さんですかね。部屋に剣術士用のバトルスーツを持って行くのが見えました」
「職業とアビリティは、公開しないっつー話になっちまったからな……」
ちらり、と俺を一瞥するサンズの視線に、俺は意図して気付いていない振りをした。
……そう、なのだ。確かに、この場で今現在、最も殺人の可能性が高い人間と言ったら、やはり俺なのだろう。今掛の時とは違い、今度は疑われて当然。俺はサンズの『職業とアビリティを自己紹介に含めよう』という提案を断った、張本人なのだから。
最も厄介なのは、停電が発生した事によってシェルターの出入口が塞がり、外部との接触、その一切を取る事が出来ない状況下で起こったという事実だ。予め『ガーデンプレイス』に入っていた人間以外に、外部の犯行という可能性はない。即ちそれは、どういった形であれ、この宿泊客と『ガーデンプレイス』のスタッフの何れかに容疑者が居ると云う事だ。
誰もが、殺人犯に成り得る――――この中に居る、誰もが。
「……一体誰だ、こんな事しやがったのは」
ようやく部屋から出て来た明智大悟が、額に青筋を浮かべて尋常ではない怒りを見せていた。そばに居たララでさえ、あまりの剣幕に身を引いてしまう程だ。
無理もない。……彼女はおそらく、長らく明智と共にやって来たスタッフの一人なのだろう。
「今すぐ出て来い。全員殺されたく無いならな」
「まあちょっと、落ち着いて下さいよ、明智の旦那。まだこの中に犯人が居ると決め付けるような段階じゃないっしょ」
明智を宥めるように、サンズが前に出た。へらへらと笑うサンズに睨みを効かせ、明智は握り拳を胸の前に出す。
「内部の犯行だよ、サンズ。……分かるだろ、停電していて外部との連絡は付かない状態だ。そうでなきゃ、幽霊でも居るって事になるか?」
明智が冗談で言った事は、明らかだったが。
場の空気が、変わった。……一体、何を考えているのか。俺には全く理解の出来ない現象だったが――……皆、先の宴会兼怖い話大会で唐突に出現した『ゴースト』というクリーチャーの話を真に受けているように見えた。
ある訳が無いだろう。ある訳が無いと言っていた。夏の肝試し関係のイベントで登場するような根も葉もない噂が仮に終末東京の世界では実在するクリーチャーだったとして、だ。それがたまたま『ガーデンプレイス』に現れ、たまたま話をした当日の夜に出現すると言うのか? ……いや。無いだろう。
恐らく、この場では最も終末東京事情に詳しくないだろうと思われる佐野が、両手を広げてサンズやアタリにアピールをした。
「そうだよ、『ゴースト』……! さっき言ってた、それなんじゃねえか? ここはゲームの世界なんだろ?」
「それはない……と思うが」
思わず、口を挟んでしまった。佐野がどういう訳かと俺を見ているが――……サンズが困ったような顔をして、俺に言う。
「どうしてそう言えるんだ? 今この場では、あらゆる可能性を想定しておかないといけないだろ。『ゴースト』かどうかは兎も角、クリーチャーの可能性は考えても良いんじゃないか?」
「誰かが連れて来たってんなら、話は別かもしれないけどな。この辺り一帯のクリーチャーとは、戦ってきた……刃物を使うようなクリーチャーと言ったら、この辺りでは『リザードマン』だが。奴等は待ち伏せをするタイプのクリーチャーだったから、自ら敵陣に乗り込んで行ったりしないよ」
「『ゴースト』の可能性は」
「それこそ、夢物語だって。たまたま昼間のうちに紛れ込んで、昼間は何もしないで夜に殺人? ……しないだろ。基本的に『シェルター』ってのは、管理者がクリーチャーでも引っ張って来ない限りは、中にクリーチャーが入る事はまずないもんだと思って良い筈だ」
俺の言葉に、リズが頷く。……犯人を特定できる内容では無いが、得体の知れない化物に怯えるよりもマシだろう、という判断だった。
「……そうだね。『ガーデンプレイス』の出入口は、他のシェルターと違って転移式だから。クリーチャーがうっかり入っちゃう事はまずない……バグのレベルだと、思う」
と、云う事だ。困ったように苦笑するサンズ、未だ怯えているアタリと秋津。佐野と松野の二人は事態にさっぱり付いて行けていないようだったが、明智はやり場のない怒りをどうしたら良いのか、迷っているように見えた。
俺は、一同をはっきりと見回し。
「つまり、神話でも怖い話が現実になった訳でもない。……居るんだ、この中にテトラ・エンゼルゴールドを殺した人間ってのが……確かに」
そう、言った。




