第十三話 審判のダイスは投げられた
「恭くん!?」
「恭一、どうした?」
リズと城ヶ崎の制止も聞くことは出来ず、俺は理由を告げる前に走り出していた。脳内で警鐘はけたたましく鳴り響き、胸の奥で渦巻く解答の存在しない葛藤は、やがて血液へと染み渡る。
摩り替えられたのか。
俺の知らない間に、どこかで摩り替えられていたのか。
何時? ……どのような手段で?
分からない。
建物の陰に隠れた黒いローブの男を追い掛ける為、俺は非常階段を駆け下りた。……もう、間に合わないだろうか。歯を食い縛り、一段飛ばしで階段を降りて行く。
黒いローブ。今掛が着ていたものと同じだった。若しも、今掛の上にデッドロック・デバイスを欲しがっている人物が居て、その人物に今掛が誑かされたのだとすれば。
有り得ない話ではない。実際に行動した今掛が共犯者である事は疑いようも無い事実として有るが、同時に首謀者が今掛ではない可能性もまた、否定する事は出来なかった。
「恭一!! 捕まれ!!」
上空から何かがゆっくりと下降していた。見ると、そこには――――城ヶ崎。
有り難い。俺は非常階段の柵に足を掛け、手を伸ばした。
自身に掛かる重力を調節して、下降のスピードを緩めた城ヶ崎の鉄パイプに捕まる。横に移動する事は出来ないが、素早く下降する事は出来る。エレベーターのように緩やかに、しかし階段を降りるよりは圧倒的に速いスピードで、俺達は下って行った。
下降して行く俺達を、サービスイベントとやらを受けに来た野次馬の冒険者達が次々に指差す。その人数はかなり多い……現実世界よりも少ないと云えど、地下都市『アルタ』全域にあの中継を流したのだ。これだけの数が居たとしても、おかしくはない。
いや、若しかしたら別の地下都市まで巻き込んでいるかもしれない。そうなると、最早収拾を付ける事など出来ないだろう。
今掛が逃げる為だと思っていた。…………まさか、違うのか。
本命は今掛だと思わせておいて、何処かで――――何処かとは、一体何処の事を言っている。
「くそっ…………!!」
城ヶ崎が浮力を解除して、俺達は地上へと下り立つ。直ぐに、目的の場所を目指して走り出した。だが、サービスイベントの存在を聞いた冒険者達が、こぞって俺達の邪魔をする。
「若しかして、サービスイベントの企画側ですか!?」
「違います。……通してください、違います!!」
「ここで、一体何をしていたんですか!!」
これだけ人数が居ては、どれだけ声を掛けたとしても端までは届かない。この数、この雑踏。これから一体何が始まるのかと、心待ちにしているように見えた。
何も、始まらない。ゲームはもう既に、終わっていると云うのに。
「恭一、裏路地だ!! 俺が食い止めるから、先に!!」
城ヶ崎に導かれ、俺は細い路地へと入った。俺を追い掛ける冒険者を、城ヶ崎が食い止める…………そして、俺の盾になった。俺は身体のバランスを崩しながらも、どうにか先へ先へと進んで行く。
無かった、筈だ。俺達が掴んだアイテムを入れ替えるタイミングは、無かった筈。そうでなければ、俺達の内側に共犯者が『まだ』、隠れているとしか考えられない。
俺。城ヶ崎。リズ。椎名。……考え難いが、染谷という可能性もあるのか? 有りもしない摩り替えのタイミングが一体どこに存在したのか等と、愚にもつかない事を考えてしまう。
再び大通りへと出て、閑散とした道を走る。道中のクリーチャーは既にサービスイベント参加者に狩られているようで、すっかり通りに生物の姿は無かった。
その全ては煙に巻かれて、やがて空気のように透き通っていく――――…………
「止まれ!!」
人影を発見して、俺は声を荒らげた。
緩やかな上り坂の向こうにある、歩道橋。その上に、人が立っている。……俺を、待っていた? 奴が何を考えているのか、まるで分からない。
バトルスーツのお陰で、移動速度は向上している。俺は直ぐにその場所まで走り、歩道橋を一気に駆け上がった。
誰だ。
そこに居るのは、誰。
「君一人では、もう戦う事は出来ないだろう?」
肩で息をしながら、俺はその人物を確認した。
身長は百七十……いや、百六十五か? 男でも女でも、珍しくは無さそうな身長だ。黒いローブに全身を隠されている為に体型が分からず、顔は今掛と同じように茶色のヘルメットに覆われて隠れている。
しかし、俺はその人物から確かに、得体の知れない威圧感を覚えていた。錯綜する思考。目の前の人物が一体何者なのか、特定する事も出来ない。
「…………お前は、何だ? どうして、『デッドロック・デバイス』なんてモノを必要としている?」
何故だろうか。理由を考える事さえしなくなっていたが、その人物に懐かしさを感じている自分が居た。
声すら機械音に変わっている。手袋をしている為、手の形も分からない。それなのに、どういう訳なのか。
「裁きを、与える為だよ。……君も、そうだろう?」
何が、『君もそうだろう』なのか。
俺の事を、知っている人物、なのだろうか? ……いや。こんなゲームに関わっている可能性のある人物で、俺の事をよく知る人物など、城ヶ崎を除けば一人しか見当たらない。
そんな筈はない。……だってその人は、もう死んだ筈で。俺の目の前には、二度と現れない筈で。
なら、この懐かしさは一体何だと云うのだろう。
「私の名は、『ミスター・パペット』。神の操り人形。失われた記憶の幻影」
俺の記憶と、何かを重ね合わせているだけか? ……何も、決定的な事は言われてはいない。さも知っているかのような雰囲気で、俺の言葉を待っているだけなのではないか。
詐欺師のトークスキルに、『コールド・リーディング』というものがある。本当は知っている訳でもないのに、曖昧な言葉で相手を惑わせ、相手の口から真実を引き出す話術。これは、それに似ている。
だが、そうだとするなら。少なくとも、俺の事を知っている人物だと云う事だろうか。
いや、決め付けるな。今更、俺を追い掛ける必要など何処にも有りはしない。そもそも、現実世界に生きる人間かどうかさえ分からないのだ。幾ら、どれだけ、似ていたとしても。
杞憂だ。可能性として、有り得ない。
男は黒いローブの内側から『デッドロック・デバイス』と呼ばれたブレスレットを取り出し、俺に見せた。
「今回『も』、私の勝ちだな。……楽しかったよ、恭一」
瞬間、思考は沸騰し、腹の底から湧き上がる衝動を抑えられなくなった。
「ふざけるな…………!!」
走り出し、歩道橋の上で油断している男に向かって、手を伸ばす。
どうにかして、捕まえようとした。その、仮面の内側を知りたい。……いや、知らなければ。俺は、確認しなければ。
失われた人物の猿真似をする、不愉快なその男を、捕まえなければ。
「また会おう。――――次の、ゲームで」
伸ばした右手は、しかし仮面の男を捕まえるには至らず。男はそれが当然であるかのように、歩道橋から身を投げた。予想もしていなかった行動に、俺は大きく目を見開いた。
冷静さを奪われた思考が徐々に落ち着いて行くに連れて、その場に何か、別の雑音が近付いている事実に気付く。
――――しまった。
気付いた時には、既に遅い。『ミスター・パペット』を名乗る男は、クッションの積まれた中型トラックに紛れ。恐ろしいスピードで通り抜けていくトラックを、バトルスーツの速度如きで追い掛ける事は既に叶わない。
俺は歩道橋から、呆然と去り行くトラックを見詰めていた。
◆
某大手ハンバーガーショップに辿り着いた俺は、慎重に辺りの様子を見回した。東京都新宿区。休日の真っ昼間、ピークの時間帯なだけに利用者は異様なほどに多く、店内は若者で溢れ返っている。
何の理由があって、こんな場所に呼び出すのか。値段の安さである事は疑いようも無かったが、正直喫茶店代くらい、けちな事を言わずに払って欲しい。こんなにも煩い場所では、ろくに話も出来ないのではないかと思ったが。
「あ、居た居た!! おーい、恭一!!」
その激しい雑音を掻き消す程に大きな声が店内に響き、危うく卒倒しそうになった。
終末東京の世界同様に茶色に染めた短髪を逆立てた、筋肉質とメタボの中間に居るような男が、頭部を鷲掴みに出来る程の大きな手を振って、俺の事を呼んでいた。
全身黒一色の俺は真っ直ぐにその男目指して歩いて行き――――そして、通り過ぎる。彼を無視してハンバーガーとコーヒーを注文すると、何事も無かったかのように一度、店員からプレートを受け取り。
再度、何事も無かったかのように彼の向かい側の席に座った。
「どうしたんだよ、恭一」
「でかい声で呼ばなくても探すって。……俺は犬か」
恐らく、同じ事をされても恥ずかしいとも思わないのだろう。城ヶ崎仙次郎は目を丸くして、腕を組んだまま首を傾げた。
「美々ちゃんも同じ反応したんだよな。俺は不思議だよ」
「人目が全く気にならないお前の方が、俺としては不思議だよ……」
城ヶ崎とは、現実世界では初めて会うことになる。聞けば意外と近場に住んでいるという事が分かり、こうして会う事になった訳なのだが。特に用事もなく、終末東京の世界で会っても何も事情は変わらなかったような気がする。
……若しかしたら、カラオケやボウリングなど、この世界でしか楽しめないアミューズメント施設に行きたいのかもしれないが。
「って、椎名に会ったの? リアルで?」
「おー、会ったよ会ったよ。なんか眼鏡なんか掛けててさ! びっくりしたわ、そして俺の好感度は上がったね」
「上がったのか。良かったな」
心の底から、どうでも良い事だった。
「良いじゃん、眼鏡美人。眼鏡外したら、なお美人。その勢いで告白してみたんだけどさ、駄目だったわ」
「したのか!? あの事件の後で!?」
思わずテーブルを叩いて立ち上がってしまう俺。周囲の視線を浴びる事になってしまい、俺は今直ぐここから逃げ出したくなったが――……眼鏡を直して、席に座る。
「ほら、振られた後ってチャンスだって言うじゃんか。俺、割と本気で美々ちゃんの事気に入っちゃってさ」
「気に入るのは良いが、お前はもう少しデリカシーって言葉をだな……」
振られて当たり前だという事実に、本人だけが気付いていない。難儀なものだ。城ヶ崎はどうにかして椎名を俺達のグループに巻き込みたかったらしいが、この様子では当分無理だろう。
前言撤回。男には人懐っこい良い奴だが、女は尻を追い掛け過ぎて引かれるだけだろう、と俺の中で相場が決まった。
「今は考えられないので、もう少し友達として時間をください、ってさ」
その言葉に、再度転倒しそうになった。……どうやら、城ヶ崎も城ヶ崎なら椎名も椎名らしい。これ程雑なアピールをされて嫌悪感を抱かないのは、所謂天然ボケと言うキャラクターなのか、どうなのか。
まあ何にしても、面倒事にならなくて良かった。城ヶ崎がどれ程椎名に好意を抱いたのかは知らないし、正直なところ知る気にもまるで成らないが、友人として続ける事が出来るなら、少しは気を許せる環境を作ってやれれば良いと思う。
俺達のグループ、か。俺は頬杖をついて、窓の外の景色を眺めてしまった。
相変わらず、人がごった返して賑やかであり、悪く言えば煩く居心地の悪い、東京の街。……そして、この世界に来ることが出来ない一人の女性の話を、俺は思い出していた。
「…………なあ、城ヶ崎、さ」
喫茶店『ぽっぽ』でミスター・パペットの映像を見てから三日間。常に『デッドロック・デバイス』は俺の手元にあり、俺がログアウトしている最中はリズの手元にあった。
確認していたから、間違いない。俺の手にある時に摩り替える事は不可能だ。常に持っていたし、何かのアクシデントが発生する余地も与えなかった。
始めから偽物だった、という可能性も無いと見るべきだろう。デッドロック・デバイスの消失が確認されてから、直ぐに事件は起こった。あの時摩り替えられていたとするなら、既に拉致済みの椎名を囮にして、アイテムを探す必要などない。
アレックスの身体に傷がある様子は無かったし、恐らく一直線に俺達を目指して飛んで来ていた。
だと、すれば。摩り替える事が出来るタイミングは。
…………俺は、当時の状況を思い返していた。
ダンジョンに入って、リズがリタイアした時。回復薬『リザードテイル』に重ねて渡した、本物の『デッドロック・デバイス』の包み。
それから――……
「なんだ?」
「…………いや、何でも無い」
止めよう。そんな筈はない。そんな事をしても、何処にもメリットは無い筈だ。
ゲームに古くから携わっている人間だと言うだけで、証拠も不自然な様子も無い人間を疑うのは、間違っている。俺は目を閉じ――――思考を、彼方に捨て去った。
「すまん、メール…………美々ちゃん!?」
城ヶ崎が跳び上がるような態度でスマートフォンを操作し、受信したメールを勢い良く読み始めた。
その顔は瞬間、狂喜に染まり、そして落胆し、段々とその顔が衝動的なそれに変わって行く様子を、俺は漠然と眺めていた。
「……何が来たんだ?」
最早、城ヶ崎は半泣きで俺を見ていた。……大して興味も無かったが、仕方なく俺は右手を城ヶ崎に差し出す。手渡されたスマートフォンを自身の側に向け、受信されたメールの内容を読んだ。
『こんにちは、城ヶ崎さん。椎名です。……交際の件ですが、前向きに検討してみようかなと、思っています。今はまだ、どうしても決断出来ないけれど……。騙されてしまった恋を、早く忘れたいという気持ちもあるので』
俺は顔を上げ、城ヶ崎を見た。
「良いじゃないか」
「もっと下!!」
面倒だが、再度スマートフォンに目を向ける。
『気持ちもあるので。……ですが、私から見て城ヶ崎さんは、やっぱりどうしても太り過ぎのような気がしてしまいます。普通の人なら気にならないのだと思いますが、私自身、太り過ぎていた時期があるので、一緒に居ると思い出してしまって、辛くなってしまうと思うんです。……だから、お付き合いは少なくとも、ある程度痩せてからという事にさせてください』
…………これは。
吹き出しそうになるのを、どうにか堪える。俺は湧き上がる失笑を口元で止め、城ヶ崎にスマートフォンを返した。そんな俺の様子を見て、城ヶ崎の怒りのボルテージは一気に上昇した様子だった。
「何が可笑しいんだよ」
「いや、だって…………」
ついに耐えられなくなってしまい、その場で腹を抱えて笑い出してしまう俺。……まさか交際の条件が、ダイエットとは。城ヶ崎の性格からして、今の体型を変えるのには相当な苦労を要するだろうと思えてならない。
しかし、このように誰かと話して出来事を共有する事など、本当に久し振りだと感じていた。気の合う仲間と云うものは、こんなにも居心地が良いものだったのだろうか。
「俺は太ってるんじゃないっ!! 配送業者は、体力が命なんだァァ――――!!」
春先の少し眠たげな空気の中、まるでそのような空気を感じさせず、慌ただしく動く東京の街。すっかり忘れていた『友達』とやらとのコミュニケーションを久し振りに体験した俺は、笑いながらも考えていた。
――――『週末』東京も、悪くないかもしれない。
ここまでのご読了、ありがとうございます。序章はここまでとなります。
拙文で恐縮ですが、もし興味を持って頂ければ次章もお付き合い頂ければ幸甚です。




