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終末東京で、俺は戦器を握らない  作者: くらげマシンガン
第一章 『アルタ』編
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第十話 背後を振り返らない覚悟

 新宿駅から少し歩いた所に、老舗の本屋がある。……今になって思えば、椎名美々が軟禁された場所が、俺と椎名が現実世界で実際に出会った場所だというのは。中々に奇妙な偶然だ。


 だからこそ、場所が直ぐに分かった、という事もあるのだが。


 書店の前に到着すると、俺達は入り口の前に立ち、辺りを見回した。……殆どの建物は壊れたり、崩れたりして、現実世界と比べると、より遠くの様子が見渡せる状態になっている。それでいて、この場所だけは、他と比べると随分と原型を留めている。


「『スノーコインの廃ビル』。……『アルタ』の地上を出て直ぐにある、低級ダンジョンだよ。確か最上階以外はダンジョンになってて、外側の広さと内側の広さは一致しないから、気を付けて」


 そういうものなのか。現実世界と比べて、微妙に世界が広いような気はしていたが。駅に到着してから歩いて五分の場所だった筈の此処も、やたらと広いマップのお陰で少し時間が掛かったように感じる。……いや、辺りの建物が壊れていて見通しが良いから、広いように感じただけだろうか。


 上階へと続くエスカレーター。もう片方は、地下へと続く階段もある。今回は最上階に到達するべきなので、俺達は上階へのエスカレーターを使う格好になる。エスカレーターは動作を停止してから時間が経っているのか、脇から植物が生えていた。


「……内部の敵について、何か情報あるか?」


 問い掛けると、リズは頷いた。


「多分、殆どはジャイアント・ラットだと思う。この周辺……地下にも生息していて、ここから引っ張ってきたんじゃないかなあ」


 城ヶ崎が苦い顔をして、目の前のビルを見詰めた。


「げえ……じゃあ、ビルに大量のネズミって事かよ……。趣味悪いな……」


 俺はビルの様子をじっくりと観察しながら、何気無く言った。


「某、黒光りする害虫よりマシじゃないか」


「やめろよ!! 巨大化したあれとか見たくもねえよ!!」


 下水道のようなダンジョンが在るとしたら、可能性は十二分に考えられるのだが。言いながらも、俺はエスカレーターを上がり切った先に、監視カメラの存在を発見した。


 エスカレーターの電力は落ちているのに、監視カメラのランプが赤く点灯している。記録中を示すものだろう。今、俺達はカメラの脇に小さく映っている格好だ。連中は恐らく、このカメラを使って辺りの状況を確認しているのだろう。


 単にエスカレーターを動かしてやる必要は無いというだけで、電力そのものは供給されている――又は、何らかの手段を講じて電力の供給を復活させた筈だ。そうでなければ、わざわざこのビルを使う理由がない。先の映像で見た、檻を持ち上げる為に使われたチェーン。あれもまた、電力で動かされている可能性が高い。


『廃ビルのダンジョン』という環境が彼等にとってベストで無ければ、他に待ち構える場所は幾らでもあるのだから。


「よし。それじゃあ――――行くか」


 リズが茶色いローブを被り、城ヶ崎はパイプを構える。俺は二人よりも先に立ち、エスカレーターに向かって一歩を踏み出した。


 ……作戦、開始だ。


 僅かに、胸が高鳴る。これから起こる出来事と、それを覆す為の一手。それが最善であるかどうかは、実行してみない事には分からない。


 全ての作戦には、リスクが伴う。問題はリスクを許容出来る胆力と、リスクを上回るだけのリターンを望む事が出来るかどうかだ。確定されていない全ての事象は確率でしかない。如何なる想定外が発生する事も考慮して挑まなければ、作戦など絵に描いた餅になってしまう。


 問題なのは、失敗をどれだけ受け入れる事が出来るかどうか。例えば勝率七十パーセントなら、三連敗などざらに起こる。それでも自分は間違っていないと信じた時に、初めて作戦というものは生きてくる。


 同時に、有効な作戦では無かった場合は、取り返しの付かない結果を招く事もあるが――……


 信じよう。


 俺はエスカレーターを自力で上がり、小さな空間の向こう側に渦巻く光を発見した……ダンジョン、か。どうやら現在値とは異なる空間に転移されるようだ。光の向こう側に扉はあるが、この様子だと機能していない可能性が高いだろう。


 突然変異メタモルフォーゼと名乗る現象が発生し、世界の因果律は崩壊しているという大前提なのだ。此処とは異なる空間にワープするポイントがあったとして、驚く程の事ではない。


 可能ならば、最上階はこのビルに帰って来て欲しい所だが。


 俺はポケットから『デッドロック・デバイス』を取り出し、掲げる。記録されているであろう、今もなお監視されているであろうカメラの目の前に。


「持って来てやったぞ、『ミスター・パペット』。欲しているのはこいつだろう」


 小さな白い袋からそれを取り出すと、目の粗い画像でも中身が分かるように、近付けた。数秒程それを見せた後で、『デッドロック・デバイス』を白い紙袋に戻し、それをポケットへ。


 その、瞬間の出来事だった。


『……ありがとう、勇敢な戦士達。是非、このダンジョンをクリアして、我々から報酬を受け取って欲しい』


「いい加減、イベント被れはやめろよ」


 まさか声が聞こえるとは思っていなかったが、会話が出来るのならば、それはそれで好都合だ。俺は明瞭に聞き取る事が出来る声を意識して、カメラの向こうの人物にそう投げ掛けた。


「椎名美々は生きた人間だ。……彼女を解放しろ。『在るべき場所に帰せ』」


 カメラの向こうから、押し殺したような笑いが漏れる。相変わらず、声色はボイスチェンジャーを用いて奇妙な機械音声に変わっているが――……やがて笑いは消え、静寂が訪れる。


『……交換条件だ。『デッドロック・デバイス』の引き換えと、椎名美々の解放は、交換条件。君達が無事、このダンジョンを潜り抜けて最上階まで到達する事が出来たら、そこで引き換えを行う事にしよう』


 構わない。この展開は、俺の作戦にぴったりと当て嵌まる。俺は心の奥底で笑い、ミスター・パペットを名乗る人物との会話を止める。


 俺達は扉の手前で渦巻く、白い雲のような光の前に立った。見た目は巨大な光り輝く脱脂綿が停滞して回転しているようだったが、此処に立つことでワープが始まるのは、どのオンラインゲームでもよく見て来た。


 異なるサーバへと飛ばされる場合もある。俺は一度振り返り、リズの存在を確認する。


「リズ。……これが、ダンジョンへの入り口なのか?」


「……うん。私も、移動するのは初めてだけど。突然変異メタモルフォーゼによって作られた、複雑な次元空間、っていう設定みたい。……ごめん、詳しい内容はリオ・ファクターと違って、調査したことないから良く分からないんだ」


「構わないよ、分かる範囲で教えてくれ。普通のマップとの違いは?」


「えっと……クリーチャーの数が多い事と、ダンジョン内でのみ使える有効なアイテムが存在すること……これは、私達には関係無いけど。後は、現在値がステータスウィンドウのマップに表示されなくなる事、かな」


 成る程、一体どうやってダンジョンと云うものが成立するのか、気にならない事は無かったが。言ってしまえば、此処から先は磁場の狂う森のようなもの。自らが歩き、探索した場所だけが真実ということだ。


 兎に角、進もう。覚悟を決めて、城ヶ崎が先陣を切る。続いて、俺も光の上へと進んだ。


 瞬間、夥しい量の光に包まれる。ログイン・ログアウトを行う時も似たような感覚があったが、僅かに感覚はそれとも違う。少しづつ、自分の身体が此処ではない何処かへと分離して行くかのようだ。




 ◆




 まるで、夢を見ているかのような気分だ。


 目の前に広がるのは、沢山の本棚。しかし道は迷路のように複雑で、あちこちに様々な部屋がある。天井は相当に高く、それだけを見ればドームか何かのようだ。


 既に城ヶ崎は、ジャイアント・ラットと戦っていた。敵は一匹、特に苦戦している様子もない。重量感のある動きで鉄パイプを振るうと、地下都市では歯が立たなかったジャイアント・ラットも簡単に吹っ飛び、本棚へと突っ込む。


 しかし、突っ込んだ本棚は倒れも、崩れもしない。試しに近くの本棚に触れてみる――……本が固定されているのだ。引き出す事も出来なければ、背表紙にタイトルもなく、何処かその光景は歪だった。


 唐突にリアリティを失った世界。時間は停止され、空間は不自然に歪んでいるようにも感じられる。……これが、突然変異メタモルフォーゼの真の姿なのかと、俺は今更ながらに把握する事となった。


 遅れて、リズが入って来る。三人が揃った所で、本棚に突っ込んだジャイアント・ラットは消滅し、城ヶ崎は振り返った。


「恭一、大丈夫そうだ。これなら俺にも倒せるかもしれん」


「一匹、二匹の話じゃないからな。……期待してるよ」


 真正面から、全てのジャイアント・ラットを倒して行こう等とは、微塵も考えていない。可能な限りの戦闘を避け、上階へと続く道を探すのみだ。この様子だと、普通に探せば、階段を発見するのは少し骨が折れそうだが――……城ヶ崎の元素関数が重力だったお陰で、ジャイアント・ラットの攻撃を回避する事はそう難しい話ではない。


 それぞれ、互いを見詰めて頷いた。


「最上階に辿り着くまでは、絶対に立ち止まらない事だ。誰かが傷付いた場合は、『リザードテイル』を渡して、その場に残す。回復してから、追い掛けるんだ。ここは速度優先で行く。……タイムリミットの正午まで、あまり時間はないから……疲れてると思うけど、もう少しだけ頑張ろう」


 俺は周囲に意識を張り巡らせ、慎重に辺りの様子を伺った。


 頭の中で、ゆっくりと時を刻む。全身の神経が、今か今かと感情を昂らせる。ジャイアント・ラットが現れる様子は無いが、走っている内に何匹と遭遇するだろう。その数まで把握する事は出来ない為、臨機応変に対応するしかないだろうか。


 心臓の鼓動を感じる。カウントダウンは、着実にゼロへと近付いて行く。腕時計の時間を確認する。


 三。……二。……一。




「――――――――行くぞ!!」




 掛け声と同時に、俺達は駆け出した。城ヶ崎が真っ先に走って行き、ジャイアント・ラットの消えた辺りで振り返り、膝を折って両手を組む。


「恭一!!」


 俺は頷いて、城ヶ崎の太い腕に乗った。


 歯を食い縛り、城ヶ崎が目を見開く。唸るような歯軋りの音が聞こえたかと思うと、足下の腕が盛り上がる――――バトルスーツの効果だ。本人の意思に合わせて筋肉の働きをサポートし、人間の限界を超えた動きを可能にする。


 俺は飛距離が安定するよう、位置を確認し、そして。


「おらあああああっ――――――――!!」


 両手を組んだ城ヶ崎が全力で立ち上がり、バレーボールの球を真上に弾き飛ばす動作で俺を真上に投げる。俺は視神経に意識を集中させ、急速に小さくなっていく迷路を見据えた。


 リズにわざわざ入り口手前でダンジョンについて説明させたのは、フェイクだ。あのように説明させる事で、俺達がダンジョンの構造について全くの無知である事を装い、相手を油断させるのが目的だった。


 今頃、俺達が何をしようとしているのか、その真意に気付いて、慌てている所だろう。


 普通に探せば、階段を発見するのは骨が折れる。だからこそ、俺はこの瞬間を偽装する為に動いていた。建物に例えれば二階分、三階分、と持ち上がっていく視線。頭上から迷路の正体を探り、その端々に居る小さな点――ジャイアント・ラット――の位置と、階段の位置を把握する。


 ――――あれか。


 たった一度きりの大勝負。連中は、ジャイアント・ラットを操作する事が出来る。これは疑いようもない所だろう。だとするならば、ダンジョン内のクリーチャーと言えど、操作範囲に入っている可能性は考慮すべきだ。


 俺達の向かう端々にジャイアント・ラットを集結させ、行く手を阻む。体よく疲弊した所で、俺達を捕らえる。……そのような作戦も、不可能ではないと考える事が出来る。だから、これは最も安全に『スノーコインの廃ビル』と呼ばれるダンジョンを抜ける為の、先ず最初の『予想外』だった。


 このダンジョンは、初心者向けの低級ダンジョン。だからこそ、一見迷路のようになってはいるが、容易く迷路の状態を確認する事が出来るのだ。


 天井付近の壁に、非常口の看板が設置してある。一見迷路なように見えて、実はカンニングが出来るというものだ。事前に情報通のリズから聞いていた、『スノーコインの廃ビル』攻略方法だった。


 ジャンプは頂点に達した所で勢いを失い、やがて落下を始める。俺は着地に備えて体勢を整え、空中で一回転して地面へと舞い戻る。


 着地。


 僅かな衝撃が、身体を疾走る――――しかし、この程度ならば何も問題はない。改めて、バトルスーツの有能さに驚かされる。……低レベルでこの性能なのだ。可能な限り高価な装備を整えた場合、一体どれ程の能力を発揮するのか、皆目見当がつかない。


「左、右、左、左、T字路直進、後は道なり。それが最短通路だ。道中ラットの数は階段までに四体。――いけるか?」


 俺の問い掛けに、城ヶ崎は鉄パイプで左手を叩くようにして、笑みを浮かべた。


「よゆーっす!!」


 既に右から、ラットがこちらに走って来ている。通路の端々を巡回させて、どのような状況にも対処出来るようにした所を、慌ててこちらに向けていると云った所だろう――……させるものか。決して無駄な時間など作らない。既に俺は、階段までの構造を把握しているのだから。


 リズが銃を取り出し、こちらに向かって走って来ているラット目掛けて発砲した。瞬間的な銃声音。ラットは唐突に前進の勢いを失って後方へ吹っ飛び、奇声を上げて転がった。


 対クリーチャー用ハンドガン。威力は大した事が無いが、戦闘要員ではない科学者でも持てる万能な武器だ。


「良い腕だぜ。大したもんだ」


 城ヶ崎が親指を立てて笑いかけると、リズは照れたような笑みを浮かべた。


「……へへ、ありがと」


 言いながら、俺達は走り出す。


 俺の指示した通りの道を、地面を蹴って直走る。簡素なビルの床はしっかりとした走り心地で、砂の地面のように身体を滑らせるのは難しそうだった。


 という事は、放物線を描いて着地する時の衝撃については、少し警戒しなければならない、という事か。地面、環境を視野に入れつつ、自らが生み出した作戦に若干の軌道修正を加えていく。


 そろそろ、現れる頃だ。


「城ヶ崎、セットアップ!! 地面が滑らないから気を付けてくれ!!」


「おうよ!!」


 角を曲がった時、こちらに向かって走って来ていたジャイアント・ラットと遭遇する。俺は腕を上げて城ヶ崎に指示し、城ヶ崎は鉄パイプを構える。曲がり角に向かって最も外側を走っていた俺が、ジャイアント・ラットを視界に捕らえた瞬間、城ヶ崎に向かって右手を振り下ろす。


 ――――今だ。


「アクション!!」


 まだラットの姿も見ていない城ヶ崎が、曲がり角の先に向かって鉄パイプを振り下ろす。まさか見えない位置から攻撃されるとは思っていなかったのだろう、直進していたジャイアント・ラットは憐れな悲鳴を漏らし、城ヶ崎の鉄パイプに潰された。


 消滅するまでに、時間は掛からない。……俺は城ヶ崎の能力について、その圧倒的な攻撃力をリズから伝えられると共に、確かな弱点も把握していた。城ヶ崎の重力操作能力は、今現在発生している重力について、その強弱を調節する、というものだ。


 万物に重力は存在する。だが、弱い力を増幅させる事は、余計なエネルギーの消費にもなる。


 故に、最も重力の強い『星』の重力を範囲内で調節する事が、城ヶ崎にとって最も有効に能力を使うことが出来る手段。勿論壁や天井など、目的の方向へ重力を強化する事も可能なのだろうが、それには必要以上のリオ子を消費しなければ、達成する事が出来ない。


 そして、城ヶ崎のリオ・ファクター適合率はそこまで高くは無いのだ。


「セットアップ!!」


 俺は再び、右手を振り上げた。城ヶ崎は遥か前方から走って来るジャイアント・ラット二体に対し、放物線を描くようにして前方に跳び上がる。


 そうすると、城ヶ崎の攻撃は確かに威力が高いが、方向性は『上から下』に限定され、それ以外の攻撃とは威力がまるで変わって来る、という問題が生まれる。高く跳躍すれば威力は上がるが、ジャンプをした瞬間から攻撃の軌道は限定され、相手に察知され易くなるという問題もある。


 攻撃手段として、あまり器用ではないのだ。


「アクション!!」


 前方向に二回転。勢いを付けた城ヶ崎が鉄パイプを構え、その場へと急速に落下する。鉄パイプを振り下ろすと、走って来ていた二体のジャイアント・ラットを巻き込み、強力な重力が発生する。


 結果、鉄パイプに触れていないにも関わらず、二体のジャイアント・ラットはその場から消滅した。城ヶ崎は何事も無かったかのように立ち上がるが――……しかし、僅かに疲労が見られる。


「……あんまり力を使い過ぎるなよ、城ヶ崎。最上階まで保たないと意味が無いぞ」


「分かってる。……まだ、力加減がよく分かんねーんだよ」


 T字路を通り過ぎると、前方に階段が見える。フロアの構造から考えると、随分と不自然な位置にある階段だが――……空間が捻じ曲がっている、という設定なのだろうか。


 既に、ジャイアント・ラットの姿は無い。背後から、こちらに向かって走って来る音が聞こえる。追い掛けて来ているのだろうが、バトルスーツを着た今の俺達は、ジャイアント・ラットの最速よりも速かった。


 最も走るのが遅いリズに合わせているから、体力に若干の余裕もあったが。……リズは、そうは行かないようだ。既に少しずつ、息が切れ始めていた。


 最上階と言っても、この状況ではどれだけ上がれば最上階に到達するのか、まるで分かったものではない。階段を跳躍して一気に登り、俺達はその先へと向かう。


 再び城ヶ崎が俺を持ち上げる体勢になり、構えた。俺はその腕に乗り、もう一度、全く同じショートカットが始まる。


 最初のカンニングで、ジャイアント・ラットが既にこちらへと向かっている可能性が高い――……案の定、数匹のラットが曲がり角から現れ、一直線に俺達を目指して来ていた、階段の位置は、直ぐに分かる場所にある。


 飛び越えるのは難しいだろうか。城ヶ崎と手を組んで跳躍して、ようやく本棚の上部分に到達する程背の高い壁だ。簡単に覗かせないよう、天井はこんなにも高くなっている。……あまり、無理はしない方が良いな。


 城ヶ崎は既に、数匹のラット目掛けて走り出していた。リズは先程上がって来た階段を目掛けて――……銃を構えている?


 ――――しまった。


「城ヶ崎、階段からラットが上がって来てる!! リズを守るのが先だ!!」


「えっ!? ちょ、待っ…………」


 銃声が響いた。リズは階段の下目掛けて発砲し、その間に俺は落下していく。階段から現れたジャイアント・ラットが、リズ目掛けて牙を剥いた。


「きゃっ……!!」


 リズの銃ごと両手を喰うように、ラットが噛み付いた。


 続け様に、銃は撃たれる。城ヶ崎はもう階段際に戻る事を諦めたのか、進行方向から襲い掛かる四匹のラット目掛けて、攻撃を仕掛けていた。


「リズ!!」


 俺は地面に着地し、すかさずリズの腕に噛み付いたラットを蹴り飛ばした。目を固く閉じて銃を乱射するリズの肩を抱き、直ぐに階段下へと視線を向ける。


 どうやら、殆どはリズが撃ち殺したらしい。大した狙撃力だと思いつつ、俺はリズを連れて階段の陰へと移動した。


「……大丈夫か?」


 ジャイアント・ラットが消滅すると、リズは肩で息をしながら、本棚の壁に背を付けて座り込んでしまった。見ると、腕にくっきりとラットの牙の痕がある。血が流れているようだが……リズはまだヒートアップしているようで、瞳孔を見開いたままだった。


 屈み込んでリズの目を見ると、激しく不安定だった呼吸が徐々に落ち着き始めた。


「痛っ……」


「しっかりしろ。俺の目を見るんだ」


 ラットの動きが、予定されていたよりも速い。ダンジョン内のラットの方が、地下都市よりも動きが良いという事はあるのだろうか。それとも、ラットを操作している人間のレベルが関係しているのか――……リズはようやく肩の力を抜いて、俺に力無い笑みを見せた。


「……生き、てる、……はは」


 ログアウトが出来ない為に、恐怖のレベルが俺達とは桁違いだ。


 俺と城ヶ崎はやられた所でログアウトされるだけだから兎も角、リズには余り無理をさせたくはない。……この辺りが、潮時だろうか。


「おーい!! 大丈夫か!?」


 進行方向から襲い掛かるラットを退治した城ヶ崎が、直ぐに俺達の所へと向かって走って来ていた。俺は立ち上がり、城ヶ崎と視線を合わせると、首を横に振った。


「リズはここまでにしよう。あまり負荷を掛けたくない」


「そうか、分かった」


 城ヶ崎は特に反対するでもなく、俺に頷いた。座り込んだままで項垂れるリズに、俺はポケットから『リザードテイル』の包みを渡した。リズはそれを受け取ると、俺から視線を逸らした。


「……ごめんね。役立たずで」


「充分だ。俺と城ヶ崎の所に、ジャイアント・ラットは集結する筈。二階に上がって来た以上、一階は手薄になる可能性が高い。……でも、慎重にな。銃の弾はまだ残ってるか?」


 リズは頷いた。


「大丈夫。警備員から偶然にも『リザードテイル』を貰ったし、まだ余裕がある。俺達の事は心配しなくて良い」


 リズは『リザードテイル』の包みを握り、顔を上げて俺に笑みを見せた。……俺と城ヶ崎も、笑顔を返す。


「……追い掛けられそうなら、回復してから追い掛けるから」


 強い女性だと、心の底で思う。今、独りになろうとしているのだ。本当は恐怖で身動きを取る事さえ難しい状況の筈だ。


「んじゃー悪いけど、後でな、リズリズ」


 それだけの言葉を交わし、俺と城ヶ崎は進行方向へと向かって走り出した。


 背を向ける事はない。黙って立っていれば、このダンジョンでは瞬く間に不利な状況に陥ってしまう――……全員が危険に晒されるだけだ。複雑な迷路の中で次々に現れるジャイアント・ラット。そのような構図を作りたかったからこそ、連中は入り口付近で俺達にラットを差し向ける事をしなかったのだ。


 ならば、階段際から離れれば離れる程、ラットのコントロールは俺達に向く筈だ。それに比例するように、リズの安全度は上がる筈。……最早、三人で引き返す事など出来ないのだ。


「……大丈夫かな、リズリズ」


 俺は進行方向を真っ直ぐに見詰めたままで、城ヶ崎に返事をした。


「今は、信じよう。作戦通りにやるんだ」




 ◆




 二階、三階、と上がって行くと、段々と迷路は複雑になっていく。天井付近のカンニングをした所で、そこまでの最短距離を直ぐに把握する事は難しくなっていた。


 だが、それは同時に最上階まで辿り着く為の距離が、着実に縮まっている事も意味していた。城ヶ崎の攻撃力は圧倒的で、唯のジャイアント・ラット程度ではまるで相手にならない程の破壊力だった。


 何しろ何匹居ようとも、殆どの敵が一撃で粉砕されていくのだ。同時に、戦っている城ヶ崎はラットの習性を覚えると行動が最適化され、倒すまでの無駄な跳躍・無駄な威力が抑えられて行った。


「ふんっ!!」


 鉄パイプを野球のバットのようにスイングさせ、ジャイアント・ラットを殴り飛ばす城ヶ崎。その先にあるものを確認して、俺はふう、と溜め息を付いた。


 ――――通路の先に、白い光。ダンジョンの入り口にあったものと同じだ。つまりそれは、ダンジョンの終わりを意味していた。


 良かった。実際にダンジョンを攻略した事が無いリズの情報では、この最上階が果たしてダンジョン内部のものなのか、それともビルの中に帰って来るものなのか、それだけは判断が付かずに居た。染谷を通じて喫茶店に居る冒険者達に話を聞いて、情報として持っていただけだったが。


「あれか!!」


 城ヶ崎が光を見て、嬉しそうな顔をして言った。……流石の城ヶ崎も、三階まで上がるに連れて息を荒らげていた。俺は走る以外に殆ど何も行動をしていないから、城ヶ崎に比べると余裕はあったが。


 何れにしても、これで条件はクリアだ。この先に何が待っているのか分からないが、デッドロック・デバイスを交換条件にして、椎名美々を助け出す事は出来るだろうか。


「行こう、城ヶ崎」


「おうよ、相棒!!」


 俺と城ヶ崎は一直線に、白い光に向かって走る。既に殆どのジャイアント・ラットは、城ヶ崎の鉄パイプを前にして消滅していた。どのような方法を用いているのか分からないが、何れにしても、クリーチャーを操る為には何らかの手段でマーキングをしている筈だ。それはつまり、追い掛けて来るジャイアント・ラットを粉砕して行くことで、相手の操作出来る駒を着実に減らしてきた事を意味する。


 躊躇無く、白い光の前に立った。入り口で起こった事と全く同じ、身体が分解されて行くような感覚が全身を満たす――……顆粒状の物質に変化され、捻じ曲がった空間から秩序を保った空間へと、流されて行くように移動する。


 ざあ、と視界は変化していく。夢のような空間から、朧気に部屋の様子が見えて来た。書店ではなく、会議室のような――……広い部屋だ。ホールと言っても良いかも知れない。


 純白の壁。机は何処にも無く、白い光の向こう側に小さな扉が見える。辺りを見回すと、それ以外に取り立てて目立つ物はない。


 ……いや、ある。


 頭上を見ると、少し高い天井に檻が括り付けられている。


 これは、喫茶店『ぽっぽ』で見た映像と同じ物だ。


 視界がはっきりとして来た。ダンジョンから出ると、俺と城ヶ崎は広いホールに出現した――……映像の撮影された部屋。チェーンは部屋の隅に繋がっていて、ボタンを押下して巻き取られるような仕組みが設置されている。


「ここは……」


 城ヶ崎がぽつりと、呟いた。現在値を確認すると、その檻に目を向ける。ジャイアント・ラットと戦っている時は冷静だった城ヶ崎も、檻を見て幾らか、怒りのボルテージを上げたように見えた。


 真正面を向き、城ヶ崎は鉄パイプを握り締めた。


「……美々ちゃん、今助けんぞ」


 俺と城ヶ崎は、歩幅を揃えて前へと歩く。部屋の中には誰も居ない――……辺りの様子を警戒しながら、空気の振動に意識を集中させる。歩いて行くと、真正面に見える扉だけではなく、右側にも通路があることが分かった。扉は部屋から見て外側に開かれていて、壁の色が同じな為に直ぐには把握する事が出来なかった。


「なんだ? ……居ねえのかな」


「城ヶ崎、ストップ」


 椎名を探しに行こうと足を向けた城ヶ崎を右手で制し、俺も立ち止まった。……何処からか、断続的な音が聞こえて来る。それは段々と近付き、その音を大きくさせている。


 片方は、足音。もう片方は……手を叩く音、だろうか。


「素晴らしい……!!」


 右手の通路から、人が現れた。その姿を見て、城ヶ崎が鉄パイプを構える。俺も武器は持っていなかったが、両の拳を握り締めて、胸の前で構えた。


 ……首謀者の登場か。黒いローブに身を包み、奇妙な機械音に声色を変えた男。ローブの内側は顔が隠れるように、目も鼻も、口も描かれていない茶色の面を装備している。


 改めて実際に目視で確認すると、面と言うより、ヘルメットに近い物のように見える。


「ようこそ、勇敢なる冒険者達。……『デッドロック・デバイス』は用意してあるかな?」


 俺は奴から目を離さないように、左のポケットに手を伸ばした。



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