第九話 落第生の反逆表明
ログアウトして、分かった事がある。椎名の持っていた『デッドロック・デバイス』は、持ったままでログアウトしても、現実世界に持ち込む事は出来ないということだ。
終末東京の世界にある、『突然変異』に関係する戦器や防具が持ち込めないのだから考えて見れば当たり前の話だった訳だが、俺は実際にログアウトするまでその事実に気が付かなかった。通常はステータスウィンドウ内のアイテムボックスに収納されるらしいが、それさえ起きなかった。
ログアウトしたその場に落下したのだから驚きだ。どうやらリズにとっても初めてのようで、『デッドロック・デバイス』特有の現象らしい。
一度ログインし直し、リズに『デッドロック・デバイス』を渡し、夜が明ける。俺は目が覚めると、準備をして直ぐに終末東京の世界へとログインした。
ログイン場所は、リズの部屋。基本的にはログアウトした場所でログインする事になるが、死亡した場合だけは復活場所を保存した地下都市で再ログイン、という形になるらしい。初期登録は、冒険者登録をした地下都市という事なので、俺の場合は勿論『アルタ』だ。
様々な機械ばかりが転がっている、リズの部屋。電気は消えている――……辺りを見回した。
「…………げっ」
リズは未だ、ベッドに潜って眠っている。既に昼前だ、流石にこの時間なら起きているだろうと踏んでログインしたのだが……部屋を出てからログアウトするべきだったのでは無いかと、今更ながらに配慮の足りなさについて自問自答した。ログアウトする時は、気にも留めていなかったが――……後悔とは、先には立たないものだ。
どうするべきだろうか。一度出直すべきだろうか。そんな事を考えているうちに、部屋の窓に目が留まった。……幾らマンションの四階だからと言っても、窓くらい閉めてから寝るべきではないだろうか。それとも、余程空気が悪かったのか。
意外と私生活にずぼらなリズの事が少しだけ可笑しくなってしまい、俺は苦笑しながら部屋を歩き、窓を閉めた。
『デッドロック・デバイス』は……リズの枕元にある。部屋の中は俺が立ち去った時よりも更に混沌としており、コンピュータの前からベッドの上に至るまで、実に様々な機械が所狭しと並んでいた。足の踏み場を探してしまう程だが、何故かこの部屋にはカーテンが無いため、窓の向こう側から差し込む光のお陰で、踏みつける事は無かった。
随分と遅くまで、作業をしていたようだ。俺がログアウトしてからも、ずっと――付けっ放しのモニターに表示されているのは、城ヶ崎の戦器ではなかった。これは――……手袋?
「…………さん」
リズの声がして、我に返った。
何をしているんだ、俺は。眠っている女性の部屋に勝手に入り……いや、ログインしただけなのだが……これでは、泥棒か変質者のようではないか。
外に出て待っていようか。……いや、リズの眠っている状況で内側から鍵を開いて外に出れば、この部屋の鍵が開いたままになってしまう。部屋の鍵を持ち出して外に出るのは、更に不自然だ。携帯電話もまだ作ってはいないし、連絡を取る手段もない。何より、俺がこの場所に立ち寄ったのがばれてしまう。
やはり、ここは一度ログアウトをして、何事も無かった顔をして再度ログインし直すべきだろう。思考してから行動までは早く、俺は音も立てずに時計からステータスウィンドウを開き、ログアウトのメニューを表示させた。
「お父さん」
――――不意に。
リズの言葉を聞いて、思わず視線をリズに向けてしまう。……悲壮な声色で呟いた言葉は、確かに眠っているリズの口から発されていた。
泣いている。
枕を抱き締めるような格好で、眠りながら涙を流している。それは幼い子供のようでいて、その顔を見る限りでは女性と言うより、幼い少女のそれに近い。
泣きながら、彼女は微笑んでいた。
ログアウトボタンを押下する手前で、俺は硬直していた。……夢を見ているのだろうか。穏やかに微笑むその表情は、悲しい出来事があったという雰囲気ではなかったが。
「……たしは、……大丈夫」
陽光程に柔らかくはないが、終末東京の照明は太陽の光に似せて作ってあるため、唯の電球よりは僅かに暖かみを持っている。電気の点いていない部屋に差し込む光の粒は、彼女の頬に当たっては跳ね返り、やがて俺の瞳へと届く。
或いは、それは当人が大切にしていた、二度と戻る事の無い思い出のようなものだったのだろうか。記憶の片隅で風景はモザイクのように解像度を落とし、しかし感情だけが色濃く残っていく世界で。
永遠に、生き続ける。
ステータスウィンドウを閉じてベッドに近付き、リズの金色に輝く長髪を撫でる。そうすると、少しだけ落ち着いたように、リズは甘えるような表情を見せた。俺の右手にすがりつくようにして、頬を擦り付けてくる。
思わず、笑みを浮かべてしまった。
瞬間。
寝惚けていただけなのか、リズが重い瞼を開いた。その覚束ない視線がゆらりと動き、視界に俺を捉える。
「…………えっ」
俺の笑みは硬直し、途端に感情を伴わないそれに変化した。淡い桃色のパジャマはチェック模様だったが、そんな所に視線を動かさなければならない程に、リズの両目は大きく見開かれた。
ああ、実に。
「えっ、あっ、……あー」
「いや、待てリズ、落ち着け。まあ落ち着いて、俺の失敗談を聞いてくれ」
後悔とは、先には立たないものだ。
◆
城ヶ崎はログインするなり気合充分といった様子で、意気揚々と街に繰り出していた。調子に乗っているのか昼過ぎからのログインで、眠っている暇など無いと言っているかのようだった。その手前でリズとある程度の打ち合わせをして、何を揃えなければならないかを検討してあった。
先ず、俺達三人分の防具。これはクリーチャーと戦う為に最低限必要なもので、装備していなければ防御が薄くなり、ジャイアント・ラット襲撃時の城ヶ崎のように、一度攻撃を受けるだけでも致命傷になってしまう。
次に、戦器と戦型。これは城ヶ崎だけが必要なもので、自遊人である俺と科学者であるリズはどちらも有効な戦器を持たない。従って、今回の作戦のキーマンは必然的に城ヶ崎となる。
「うっひょおっ!! すっげえっ!!」
今、俺達は地下都市『アルタ』、コア・カンパニーのすぐ近く――……強化ガラスに遮られ、幾つにも飾られたスーツを見ている。これは、ジャイアント・ラットの襲撃時、地下栽培所で椎名がカーディガンとスカートの内側に装備していたものだ。バトルスーツと呼ぶらしいが、これを装備する事で地上のクリーチャーから受けるダメージを劇的に減らす事が出来るようになるらしい。
リズの話に拠れば、魔法使いのマントやスカーフ、外套のような衣服としての機能を持った装備品は駆け出しの頃には値段が高く、バトルスーツだけを着用して戦うのが一般的だという事だ。
レベルが上がり資金力が付いて来ると、前衛職なら鎧やヘルム、後衛職ならマントやスカーフを購入して、自らのスタイルを決めて行くのが一般的らしい。
しかしながら、バトルスーツだけを着用するとボディラインがくっきりと出てしまう。その現象に嫌悪感を覚える女性は、現実世界若しくは終末東京内の適当な服屋で適当な服を買い、バトルスーツの上に装備するのが一般的なようだ。
改めて、珍しく思えた椎名の戦闘時の服装も、ここではポピュラーな格好である事が分かった。
「ワクワクするなあ、恭一!!」
「…………そうか?」
「俺、こういう起動騎士ダンダムみたいなの着てみたかったんだよ」
幼い少年の心を全開にして、店内へと入って行く城ヶ崎。その姿は、圧巻の一言である。
苦笑しながらも、俺とリズも店内に入る。リズもバトルスーツを着て地上に出るのは全くの初めてなので、必然的に俺達全員が、初めてこの店の内部に足を運ぶ事となっていた。
ショーウィンドウに飾られているバトルスーツは高価な物のようで、一般的に売られている衣服のように、多くの安価なバトルスーツはハンガーに掛けられて剥き出しで売りに出されている。試着も可能なようだ。
現実世界の感度で言えば、どの品も十二分に高価だと思うのだが。
店内にはそれなりの客がおり、店員が一生懸命個々のスーツについて、営業文句を謳っている。
「どういうのが良いんだ?」
リズは未だ、ぎこちない空気のままで、俺に作り笑いを向けている。
「見るポイントは機動性と耐久性、あとはまあ、次点で保存性とかかな。安くて良いバトルスーツは、長く保たないのが一般的だから……」
「なるほど」
色も選べるものと、選べないものとある。肌着感覚なのか、多くは黒や白が多いようだが――……中には真紅に光り輝く、派手なものもあった。
確かに、初めて見た時も思ったが、どうにもその姿はロボットアニメのそれらしい。
実際に並んでいる商品を物色して、適当なものを手に取った。見た目は如何にも薄そうで、肌着の代わりのように見えていたが、実際に触ってみると全く違う。柔軟性のある金属といった雰囲気で、力を加えれば形が変わるが、光沢のある見た目には重量感もある。
「全然、外見と中身は違うんだな。硬そうだ」
…………気まずい。
俺の視界に入らないギリギリの位置に留まり、RPGの味方キャラクターの如く後ろを付いて来るリズ。別に関係が悪くなった訳ではないのだが、これは恐らく羞恥心が限度を超えてしまった為だと思われる。
振り返り、リズを見る。思わず倦怠感を絵に描いたような顔になってしまうが、しかし。
「あっ、スーツは収縮性があるから、着る時にはぴったりになるから注意してね。筋肉の運動に合わせて反応して、人間の限界を超えたパワーが出せるようになるの」
流暢な言葉遣いで、プレゼンテーションをする時のように軽やかな舌の動きを見せているが。
リズの視線は、俺の顎下に向けられている。
「機動性の見方はS~Eランクで、ジャイアント・ラットと戦う想定ならEランクでも充分だと思う。職業によって着られる装備に種類があって、自遊人の場合は『NEET』の記述が値札の下に入ってるから、それを見て」
「リズ」
「うん、なあに!?」
「悪かったって」
「恭くんは何にも悪いことしてないよ!? だから何もないよ!? うん、何もない!!」
完璧に動揺していた。
事故とはいえ、完全に無防備な寝顔を見せてしまったのだ。まして、それが異性だったのなら、尚更。誰だって、家族以外の人間に自分の無防備な姿を曝け出す事には、抵抗があるものだ。
これは俺が悪い。……しかし、事故でもあるのだ。だから、収まりが付かない。
俺が困った顔をしている事に気付いてか、リズは電流が流れたように我に返って、初めて俺と目を合わせた。互いの視線が交差すること、数秒。リズは苦笑して頬を赤く染め、目を逸らし、僅かに泣きそうになり……そして、深呼吸をしていた。
表情の移り変わりが激しい。
「……ごめん。……いい加減、落ち着く」
「次からは、部屋の外でログアウトするからさ」
「ううん、私泣いてたみたいだし、多分不安にさせちゃったんだろうなって。ほんと、ごめんなさい。……でも、次からは部屋の外でログアウトしてくれると助かります」
城ヶ崎は前回、外でログアウトしていたからな。同じ事件が起こらないように、俺から言っておかなければ。
どうにか、リズの気も持ち直したらしい。まだ僅かに頬を染めてはいるが、取り乱したりはしないだろう。俺も今回の件については、もう気にしない事にしよう。
正直、漫画によくあるハプニングのような出来事というものは、実際に起きたら関係が悪化するものばかりだと思う。恋愛モノの小説では二人の距離が縮まる事もあるが、現実では言語道断だ。そんな事が実際に起こるなら、世の変質者は押し掛け得になってしまうではないか。
……それは流石に、極端過ぎるだろうか。
詰まるところ、俺もやっぱり動揺していたのだろう。
「そういえば、部屋のパソコンに手袋みたいなものが表示されていたけど、あれも装備品なのか?」
白い手袋。手の甲の部分に魔法陣のような、複雑な文様が刻まれていた。手指の第二関節に当たる部分には、宝石のような石が嵌め込まれているように見えた。
俺が問い掛けると、リズは何かを思い出したかのように口を開いた。
「そうだ! 後でね、城くんの戦器を作りに『バイオテクノロジー』に行く時なんだけど、ちょっと恭くんも実験に参加して欲しいの」
「実験?」
「元素関数の検証実験で、手を機械に入れて、数値を測定する段階があるから」
リズの言葉に、疑問が浮かんだ。今回……と言うより、俺は終末東京の世界で戦う事が出来ない。それはリオ・ファクターの放出力ではなく、『元素関数』と呼ばれる特殊能力の属性が存在しないからだ。そこまではコア・カンパニーで検証した事で理解していたし、従って無属性である俺は、地上に出てクリーチャーと戦う事は出来ないと言われていた。
俺の表情に気付いて、リズはくすりと笑う。……何が何やら、リズが何を考えているのかまるで分からない。
「自遊人は、終末東京の性質として『戦器』を持てない。……これは、確かにそうなんだけど。若しかしたら、別の方法で攻撃手段を持てるかもしれないと思って」
「戦器ではない、別の方法?」
リズは不意に真剣な表情になって、頷いた。
「リオ・ファクターが単体でもエネルギーに成り得るかどうか、知りたいの。……私、勘違いしてた。質量が虚数でエネルギーも虚数だから、リオ子そのものはエネルギーを持たないと思っていたの。……でも、虚数でもエネルギーはエネルギーだから」
リズの話している事は、往々にして良く分からない。リズはゲームの世界だからという訳ではなく、研究者だ。この世の真理を探る事に、本質的な楽しさを見出している。
だからなのか、真剣な表情の裏側には、幾らかの期待や希望、好奇心のような要素を垣間見る事が出来た。
「……やっぱり、リズはすごいな」
「ううん、私なんて。恭くんこそ、どうやって美々ちゃんを助け出すつもりなの? ……こう言っちゃ何だけど、どれだけ武装した所で自遊人は自遊人だし、労働者は労働者だよ?」
相手がクリーチャーではなく、人だと想定しての事だろう。確かに、俺はジャイアント・ラットの陰に潜んでいるのは人間だと二人に話していた。
しかし、人間だからこそ、抗う術があるのだ。人目を忍んで、目的を遂行しようとする『意思』。その部分だけにポイントを絞れば、全くの無力でも逆転の目は現れて来る。
「……その研究、期待しても良いか? 俺が戦えるようになるなら、それが切り札になる」
リズは澄んだような無表情になって、冷静に俺の言葉を聞いていた。
「今は、逆転のジョーカー……相手にとっての『予想外』を、可能な限り揃えたいんだ」
無知。無力。無能。この世に存在する様々な環境・分野で、『弱者』と呼ばれる者達。言ってしまえば俺達は今、そのポジションに居る。
成長する手段を持たず、抗う事は出来ず、地べたを這い蹲って生きる屍。弱者とは、そういうものだ。視点を変える事が出来なければ決して逆転の目を持たない、言わば奴隷のようにこき使われる駒。社会とはそういった弱い者が虐げられる世界であり、そしてそれが、可能な限り『精神的に』暖和されている世界であると言える。
ならば、どうすれば良いのか。
視点を変えれば良いのだ。
「おーい、これが良さそうだぜ! 安いし長持ちするし、低レベル冒険者にとっては良い装備だって!」
いつもの大きな声で、城ヶ崎が戻って来る。俺とリズの周囲に立ち込める空気に、目を丸くした。
「装備を揃えたら、作戦を話すよ。……期限の明日、椎名を助けに行こう」
俺は、現実世界で椎名と出会った日、彼女が口にした言葉の事を、思い返していた。
『トキくんは何も変わらなくて、格好良くて。努力の甲斐あってか、告白したらオッケーして貰えたの。……だけど今度は、何かある度に嫌われるんじゃないかって、怖くて』
外見を幾ら取り繕った所で、人が弱い精神で居る限り、人は弱い。それは本人が許可し、その『弱さ』を受け入れたからこそ、存在するものだ。
この世で変える事が出来るのは、自分だけ。どう頑張った所で、他人や環境を変える事は出来ない。
ならば、示せ。
俺達は、前に進む事が出来る。……誰かに振り回されるだけの人生は、もう辞めよう。
きっと俺は、今頃不安な感情に包まれている椎名美々を助け出し、きっと彼女にそう言いたいのだろうと思った。
◆
そして、三日後の指定期日が訪れた。
「なんか、カンパニーっつっても静かなもんだったな。一日中あれじゃあ、空き巣に入られても気付かないんじゃないか?」
地上へと向かうエレベーターは、決して室内の様子を変化させず、しかし目的地に向かって上昇を続けていた。窓は無く、一体どれだけの高度を上がっているのかも分からない空間の中、俺達は扉が開くのを待っていた。
「さっき聞いたんだけど、代表が新しいビジネスを起案したとか何とかで、企画の人間は出払っているんだって。……まだ何も片付けてないけど、一先ずは大丈夫みたい」
俺は、リズと城ヶ崎に作戦の内容について説明したが、犯人の事については意見しなかった。
全員が知っている状況と云うものは、どうしても表面に見えて来てしまうものだ。まして相手は、人間の判断心理を利用したトリックを仕掛けてくる人間。こちらが相手の作戦に気付いていると判断させてしまうきっかけを、どうしても与えたく無かった。
俺達は全員、同じバトルスーツを着用している――……ランクの低い、どの職業でも装備可能なものだ。リズは戦闘要員ではないため、茶色いローブで全身を覆っている。俺はバトルスーツだけを着用しているが、このバトルスーツというものは肌にぴったりと合うからか、全身タイツを身に纏って外に出ているようで、どうにも気持ちが悪い。
城ヶ崎は脂肪が表面に見える事を嫌い、バトルスーツの上からダボシャツとジーンズを身に纏っていた。
「リズリズ、あのカンパニーに居たって本当なのかよ。すげえまともじゃん」
「あはは。……まあ、クビになっちゃったけど」
俺のバトルスーツには、片側のポケットに『デッドロック・デバイス』、反対側のポケットに切り札を入れてある。城ヶ崎は左手に『重力パイプ』と呼ばれる戦器を持っている。リズは護衛用に、銃を仕込んであったが――……今回戦う事は無い予定なので、どうにか逃げ切って貰いたい。
エレベーターの扉が開くと、俺達は出入口へと急いだ。円形の巨大な扉は前回と違い固く閉ざされていて、扉の中にもう一つ仕込まれた小さな扉を前にして、二名の警備員がバトルスーツを着込んで立っている。
「冒険者ですね。地上に出ますか?」
リズが前に出て、若干の緊張を顔に表しながらも、ステータスウィンドウを開いた。
「……パーティーです。パーティーリーダー、エリザベス・サングスター。ジョブは科学者。パーティーメンバーはキョウイチ・キド、自遊人、センジロウ・ジョウガサキ、労働者。登録IDの確認をお願いします」
二名の警備員は目を丸くして、俺達を見ている――……その様子に、笑ってしまいそうになった。大方、俺達のパーティー構成を聞いて、理解出来ないと考えている所だろう。
その反応は悪くない。連中にとって予想外である程、俺達に有利だ。
「構わないけど……お嬢ちゃん達、初心者? 無所属のままで地上に出るのは危険だから、カンパニーで訓練を積んだ方が……」
「いえ。……お願いします」
リズの固い口調に、仕方無いと云った様子で中年男性はバトルスーツのポケットからペンライトのようなアイテムを取り出し、リズのステータスウィンドウからコードを読み取る。俺と城ヶ崎もステータスウィンドウを表示し、内容を確認させた。
「……大丈夫かい? あんまり、無理しないように……そうだ、これを持って行きなよ」
そう言って、警備員の中年男性は救急セットのようなアイテムを俺達に渡した――……これは、『リザードテイル』か。城ヶ崎の左腕を治療するのに使った薬だ。これは、ありがたい。
「ありがとうございます」
未だ不安気な顔をして、中年男性は俺達を見ていた。リズは非戦闘員だ。此処からは、城ヶ崎が先頭を歩いた方が良い。
城ヶ崎に目配せをして、城ヶ崎は頷く。俺とリズの前に出ると、小さな扉を開いた。
瞬間、光が漏れる。……まだ、時刻は午前中だ。東から昇る陽光が、眩いまでに俺達を包み込む。
その輝きに目が慣れるまでに、数秒の時間を要した。
「何かのイベントでもやるのかい?」
中年男性は言う。城ヶ崎は少し得意気な顔をして、その大きな体格に似合わぬ少年らしさで、中年男性に笑みを浮かべた。
「いえ。――――彼女を、助けに」
恰も城ヶ崎の彼女であるかのように言っているが、全くそんな事は無い。中年男性は目を白黒させて、俺達の事を見ていた。
外界に出て、扉を閉める。前回は夕暮れ時だったが、今回は違う。透き通るような青空は何処までも広がっていて、雲ひとつ無い鮮やかな晴天だった。以前と同じ、廃墟と化して植物の絡まったアスファルトにビル、様々な公共施設。とうに役割を失って色褪せた信号機が、案山子のように立ち尽くしている。
クリーチャーの姿は幾つか発見出来るが、まだ俺達に気が付いている様子はない――……リズがごくりと、喉を鳴らした。
「っしゃあ!! やるか!!」
城ヶ崎が捲る部分のないダボシャツの二の腕を捲る代わりに強く叩いて、歩き出した。俺達も城ヶ崎の後を追う。
俺達はまだ一度も、バトルスーツを身に纏った戦闘をしていない。だから、先ずは慣れる事が必要だった。近くに居る小さな兎のクリーチャーを見付けると、城ヶ崎は走り出す。
「リズリズ!! 情報!!」
言いながらも既に城ヶ崎は狙いを定めていた――――速い。普段の城ヶ崎が持つ運動性能から鑑みても、圧倒的なスピードだった。こうして見ると特別に身体を鍛えている様子も無い椎名が、地下栽培所の竪穴を落下して何の衝撃を受けている様子もなく、無傷だった事も頷ける。
「えっと……『フェアリー・ラビット』!! 普段は敵意を示さないノンアクティブのクリーチャーで、ターゲットになると顔が巨大化して牙を剥くのが特徴だよ!!」
「了解っ!!」
城ヶ崎はフェアリー・ラビットに跳び掛かるようにして、前方に跳んだ。中型車を縦に二台並べても楽々飛び越えられる程の、驚異的な跳躍力。元から城ヶ崎の運動性能がそこまで低くない事も、機動力に関係しているのだろうか。
跳び上がった城ヶ崎は、しかし不自然な迄に落下速度を速め、恐るべき圧力でフェアリー・ラビットに飛び掛かった。大上段に構えられた鉄パイプが、風を切る音を立てて真っ直ぐに振り下ろされる。
「ヘビーウェイトォォォッ――――――――!!」
気合、一閃。
フェアリー・ラビットが城ヶ崎の動きに反応して、顔面を巨大化させた。食虫植物のように元の三倍程の大きさになった口は大きく開き、城ヶ崎の攻撃を迎え撃つ。
鉄パイプから先にフェアリー・ラビットに接触した城ヶ崎は、ラビットの鼻っ柱に打撃を与えた。その瞬間、ラビットの周囲の地面に亀裂が入り、アスファルトが割れる。
城ヶ崎のアビリティ『重量変化』は、城ヶ崎本人に限定された能力ではなかった。打撃の瞬間に周囲の重力を強化し、フェアリー・ラビットの動きを鈍くしたのだ。
変化は一瞬。直ぐに城ヶ崎の周囲を取り巻く重力は元に戻り、城ヶ崎は鉄パイプで殴った反動を利用して、後方に宙返りをした。巨大な戦艦のようでいて素早い城ヶ崎は右手で鉄パイプを握ったまま、左手と両足で地面に着地する。
フェアリー・ラビットは城ヶ崎の動きに付いて来られず、全身を痙攣させ――――光の粒となって、消滅した。
その間、数分にも満たない攻防。暫くの間、静寂が訪れた。
「…………ひひっ」
堪らずといった様子で、城ヶ崎が口の端から声を漏らした。……圧倒的だ。これなら、ジャイアント・ラット相手でも使い物になるかもしれない。
「……使い心地はどう、かな?」
リズは未だ、不安な様子ではあったが。城ヶ崎の顔を見れば、それが完璧である事は疑いようもない。立ち上がった城ヶ崎は、不気味な程に一人、押し殺したように笑っていた。
テンションは高いが、ゲームをやっている時はそれ程熱くもならないのが城ヶ崎だ。酒とギャンブル、女くらいにしか特別な興味を示さない事は、俺が一番よく知っている。
「痺れる――――――――ッ!!」
だからこそ、俺は城ヶ崎のこんな様子を、今までに見た事がない。
「最っ高だよリズリズ!! 完璧だ!! ていうか俺、最強じゃね!? マジでこれいけるって!! 振動パックのCM出られるってこれ!!」
言っている事は良く分からなかったが、とにかく城ヶ崎の少年心には、強く響いたらしい。何時に無く瞳を爛々と輝かせていて、何かの達成感すら伺える。
リズが安堵して、胸を撫で下ろした。……仕様設計から作成まで、およそ二日だからな。リズもまた、驚異的な能力の持ち主だ。
「見てたか、恭一!! これが俺達の、今の戦力って事だぜ!!」
「おう、頼もしいよ」
城ヶ崎の言葉に、俺は苦笑して頷いた。しかし、城ヶ崎はふと真剣な表情になり、俺に不敵な笑みを浮かべた。
その表情を見て、我に返った。……城ヶ崎は決して、ハイになって暴走するようなタイプではない。軽いテンションの内側で、虎視眈々とチャンスを狙い、機会をものにする力を持っている。……どうやら今回も、例外ではないらしい。
「勝てるかな、これで」
気付いているのだろう。
若しもこれがゲームの範疇を超えて、明らかな悪意を持って仕組まれた出来事だとしたら。如何に城ヶ崎が現実世界と比べて遥かに強くなったと言っても、相手も同じ立場であり、生半可な攻撃では倒れない準備をしている筈だ。ならば、それ相応の覚悟をしなければならない。
……さて。これだけ優秀な仲間に恵まれたんじゃあ、鮮やかに問題を解決しなければ、嘘というものだろう。俺は城ヶ崎に笑みを返し、言った。
「勝てるかどうかじゃない。……勝ちに行こう」
城ヶ崎が俺の肩を叩いて、豪快な笑みを浮かべた。
「頼りにしてまっせ、指令隊長!」
今掛は俺達の事を、足手纏いだと言った。……誰が、足手纏いになど成るものか。人の強さは、腕力や権力、立場等で決まりはしない。
人の強さは、心の強さ。どれだけ配慮し、苦心の末になお思考し、勝機を見出す事が出来るかどうかに掛かっている。
車通りのまるで無い車道に足を踏み入れ、俺達は今、密かに反撃の狼煙を上げ、進み出した。




