プロローグ
二×××年。宇宙は唐突に『突然変異』と呼ばれる、原因不明の秩序変化を起こした。
フォトン、グラビトン、ウィークボソン、グルーオン等といった、既に分かっている素粒子はそのままに。不条理とも言える宇宙全体に及ぶ変化によって、この世に存在する様々な素粒子に新たな概念が追加された。
『リオ・ファクター』。
スペイン語で『川』という意味を持つ単語を借りて新たに名付けられた素粒子は、『空間の概念を飛び越えて移動する』と云う性質を持った、特殊な素粒子だった。
想定スピンは二分の一。スピンベクトルは不明。電荷はゼロ。
『確かに其処にあるのに、何故か確認出来ない』。重力子にも似たゲージ粒子だ。
運動法則も未確定な『リオ・ファクター』は、運動を始める瞬間に陽子・中性子・電子等といった原子郡を吸引し、移動直後に解放すると云う性質を持っていることが判明した。生命体に留まる性質を持ち、意思によって移動を始める。
しかし、今現在でもなお、『リオ・ファクター』を運動させるに至るトリガー、直接的な根拠は分かっていない。
以降、人々は突然変異の影響を受けて爆発的に強化された動物達の襲撃を受け、その数を半分以上にまで減らす事となる。その理由は、口部を細長い針のように尖らせた、全長五ミリから一センチ程度の昆虫だ。
モスキートの類似種と思われる『新型寄生虫』と呼ばれたそれは、動物の体内に潜り込み同化する。その寄生虫の効果で、動物達は『リオ・ファクター』を操る術を手に入れた。
転移する素粒子。それらは自在に電荷を操り、原子を操る。故に始めに生まれたのは、電流だった。その後、爆発、水の出現と、動物達は人類には対抗出来ない程の自然現象を操る強敵となってしまい、人類は絶滅の危機に陥る。人類は進化した動物達を、『クリーチャー』と呼ぶようになった。
俗に言う所の、『魔法』の登場である。
……ページを捲った。
いつだって物語の始まりは、難解なジグソーパズルを広げた時のように、断片的だ。
山になった無数のピースを拾い上げて考える事は、完成形を模索する事だけじゃない。全体から鑑みれば余りにも小さな芸術作品であるそれを眺めて、何かの感情を読み取ろうとする事もまた、ひとつの選択肢だ。
例えるなら物語の冒頭を語る事とは、そういった行動に似ているのかもしれない。
飛翔する『新型寄生虫』は人類を襲わず、また魚や地中の生物には無害。人類は『リオ・ファクター』を通さない鉱物によって作られた『シェルター』に身を隠し、絶滅の危機を逃れる。
そうして生き延び、人類はクリーチャーに抗う為、新たな知恵を身に付ける事となった。
新型寄生虫にも種類があり、どのような自然現象を起こす事が出来るのか、範囲がどの程度にまで及ぶのかは、寄生虫の種類によって決まる事が分かった。養殖したラットを実験体として、人々は新型寄生虫をも養殖し、遂にはそれを人体に投与する実験まで始まった。後の『戦型』の原型である。
ページを捲った。
ロッキング・チェアに座って足を組み、冷めた珈琲を飲み干す。ディスプレイの明かりばかりがくすんだ壁紙を照らし、散らかっている訳でもない簡素な部屋には、コンピュータに机、ベッド、クローゼット程度しか存在しない。
一息ついて、もう一度、取扱説明書を見た。
人類は『魔法』にも匹敵し得る手段を手に入れた。しかし、コントロールは容易ではなかった――……リオ・ファクターの放出までは出来るようになった。しかし、クリーチャーが達成した自然現象への変換は難しく、リオ・ファクターが暴走した人間は死に至るケースもあった。
ならば、変換そのものは機械で行えば良いのではないか。そうして、この世に『戦器』と『防具』が誕生した。人類はようやく、クリーチャーに対抗する事が出来るようになったのだ。
人々は再び地上に生きる権利を持つため、戦器と防具を持ち、クリーチャーへと立ち向かう――……
…………ストーリーはここまでか。
読み終わり、俺は深い溜め息をついた。
こういう凝った世界観が好きな事は知っていたが、これはやりすぎだ。……やるならもう少し、簡単なゲームにして欲しいものだ。
ちょうど、そんな事を考えていた時だった。P2P技術を応用した音声通話ソフトのテキスト記入欄に、顔も知らないインターネット上の友人からメッセージが届いた。
ピコン、と目の前のモニターから音が鳴る。
『バハムート:ワールドエンドトーキョー、届いた?』
紹介人だ。全くタイミングが良い。
俺は説明書を片手に、右手でキーボードを叩いて自称『バハムート』とやらにメッセージを返した。
『きよ:特殊ハードがあるゲームだなんて、聞いてないぞ』
『バハムート:布教の為に五万も使った俺に感謝するんだな。まあ良いから、とりあえずワプステ乗ろうぜ』
ワプステ……『ワープステーション』か。
ロッキング・チェアを回転させ、綺麗に片付けられた部屋の入口側を見る。先程開いたダンボールは田舎から果実が送られて来た時に見るような程度のサイズで、その隣には大の大人が一人乗れる程度の体重計に良く似た機械が無造作に転がっている。
……説明書にも書いてある、黒い円盤型の機械。中央に足を乗せるラインが引いてあるそれは、つい三十分前まではダンボールの中に収まっていたものだ。
薄暗い部屋に、不気味な円盤のオブジェクト。……思わず、怪訝な表情を浮かべてしまう。再びチェアを反転させて、俺は自称『バハムート』に返事をした。
『きよ:コンセント入れて、この体重計に乗ればいいのか?』
『バハムート:体重計って』
不自然な所でメッセージは途切れ、バハムートは沈黙した。
少し気になってしまい、再度テキストウィンドウにメッセージを打ち込む。
『きよ:なんだよ』
『バハムート:いや、検索してみ』
体重計と表現したのが、そんなに不自然だったのだろうか。
言われた通りに、インターネットで検索を掛けた。……『ワープステーション 体重計』。検索の一番上に、某動画サイト運営会社が管理する百科辞典がヒットした。
……内容を確認。
どうやらこの手のゲームを崇拝している一部の信者に『体重計』と言うと、本当に怖いらしい。住所を割り出し、襲って来た例もあるのだと書いてある。
しかし、転移型のゲームとは。まだ世に出回るようになって、日が浅い。クオリティも高くはないと聞いたが……終末東京についての記事は発見できなかった。
『バハムート:お前それ絶対にゲームで言うなよ? 俺までとばっちり受ける』
そんな狂信者が居るゲームに誘わないでくれと考えたのは、果たして俺だけだろうか。
『きよ:分かったよ。まあ、続きはゲームでな』
終末東京オンライン。一体どういった内容のゲームが始まるのかは分からないが、とにかく円盤に乗る事によって、新しいゲームを体感する事が出来るらしい。電源を繋いで、鼠色の絨毯に無造作に置かれた『ワープステーション』と呼ばれる機械の上に乗った。
そうすると、自然と部屋の光景が視界に入って来る。
自分以外に誰も居ない、六畳一間の薄汚れたアパート。空っぽの冷蔵庫に、生活感の感じられない部屋。唯一コンピュータだけが置かれた机の上では、未だにディスプレイが不気味に光り続けている。
…………突然変異か。
知らず頬は緩み、伽藍堂のように空虚な胸の奥に色褪せて寝惚けた質感の感情は、想いとは違う幻想のような表情を纏わり付かせた。
ご都合主義だと、口には出さずとも考えてしまうのだろう。
若しもそんな物がこの世にあるなら、本当に世界を一変させて貰いたいものだ。