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無いものねだりと、すれ違う乙女心

王立アルカディア学園魔法科の女子寮。

その一室で、朝陽が差し込むより早く、ゴクゴクゴク……という豪快な水音が響き渡っていた。


「ぷはぁっ……! あー、やっぱり朝の一杯は最高だね。でもまだ足りないかも」


寝巻き姿のセレスは、備え付けの巨大な水差しを両手で抱え込み、一息で飲み干していた。

今日は特に体がなんだか鉛のように重く、だるいのだ。

(おかしいなぁ。おばあちゃんのご飯食べなくなったから、栄養不足かな? それとも私、環境の変化に耐えられないくらいひ弱なのかな……)


自身が月に一度は吸血しなければ文字通り死ぬほど魔力が低下する吸血鬼である自覚もなく、試験で魔力を消耗したセレスは「もっとお水飲まなきゃ!」と的外れな決意を固めていた。


「ん……、セレスさん……? おはようございます……」

「あ、ソフィア! おはよう! 起こしちゃった?」


隣のベッドでもぞもぞと動いたのは、ルームメイトになったソフィアだった。

入学式の日、例の『絶対防壁の指輪』を贈って以来、ソフィアはセレスにすっかり懐き、何かと世話を焼いてくれるようになっていた。彼女の首元には、銀色のチェーンに通されたあの指輪が、大切そうにキラキラと光っている。


ソフィアは目を擦りながら身を起こし、ふと、窓際の光に照らされたセレスの姿を見て、ハッと息を呑んだ。

長い手足。透き通るような白磁の肌。寝起きのボサボサ髪でさえ、芸術品のように計算された美しさに見える。同性であるソフィアでさえ、毎朝見惚れてしまうほどの圧倒的な造形美。


しかし、ソフィアの鋭い観察眼は、美しさの奥にある『危うさ』を見逃さなかった。

(セレスさん、またあんなに冷たいお水を大量に……。それに、昨日よりもさらに肌が青白い気がする。手足も細くて、折れちゃいそう……)


「あの、セレスさん。お水ばかりじゃなくて、ちゃんと朝ごはん食べないとダメですよ? 具合、悪くないですか?」

「え? 全然平気だよ! 私、昔からあんまり日焼けしないし、ちょっと燃費が悪いだけだから!」


からからと笑うセレスに、ソフィアはきゅっと眉を下げる。

(こんなに儚くて、体調も万全じゃないのに、無理して笑って……。私が、私がこの危なっかしい子を支えなきゃ……!)

ソフィアの中で、セレスに対する保護欲と特大の好意が、また一つバグった音を立てて跳ね上がった。


そんなソフィアの重すぎる感情などつゆ知らず。

セレスの視線は、着替えを始めたソフィアの「ある一点」に完全にロックオンされていた。


(…………ある)


シャツを脱ぎ、ブラウスに袖を通すソフィアの胸元。

小柄でふんわりとした体型なのに、そこには確かな質量が、重力に逆らうように存在を主張していた。


セレスは自分の胸元に視線を落とす。

(…………ない)


見事なまでの無。フラット。平原。

手足ばかりがヒョロヒョロと長く育ち、顔のパーツは無駄に整っているのに、なぜかここだけが時を止めている。


「ソフィアってさ……」

「は、はい! なんでしょう?」

「その……意外と、大きいんだね……」

「えっ!?」


セレスの恨めしそうな、それでいてジッと見つめるような熱い視線(※ただの嫉妬)に射抜かれ、ソフィアの顔がボンッと真っ赤に爆発した。


「そ、そんなことないですっ! セレスさんこそ、その、スタイルが良くて……手足も長くて、モデルさんみたいで、とっても綺麗で、私、すごく憧れてて……っ!!」

「うぅっ……! フォローしないでよぉ! 私だって、せめてあともう少しだけ……!」

「きゃあっ!? セレスさん、く、くすぐったいです……っ!」


半ば八つ当たりのようにソフィアに抱きつき、その柔らかさを確かめるようにワシャワシャとじゃれつくセレス。

ソフィアは顔を茹でダコのようにしながらも、(セレスさんから甘えてくれてる……!)と内心で昇天しそうになっていた。




そんな朝のドタバタを経て、二人が教室に向かうと、廊下は少しばかり騒がしかった。

新入生たちの視線が、歩くセレスに向かって露骨に突き刺さってくるのだ。


「おい、見ろよ。あいつがあの『実技試験で山を吹き飛ばした』っていう……」

「ああ。でも聞いたぜ? 筆記はほぼ零点で、ギリギリ合格だったらしい」

「魔力量だけは異常だが、全然コントロールできてなかったからな。うちの先輩が言ってたぜ。『あいつは魔力を練るのが致命的に下手だ』って」


ヒソヒソと交わされる会話。

「魔力を練る」。それは、魔法使いにとって基礎中の基礎であり、己の魔力を体内で圧縮・循環させ、効率よく安全に外部へ放出するための技術だ。

しかし、おばあちゃんから「気合でドーンじゃ」としか教わっていないセレスは、魔力を練るどころか、水道の蛇口(元栓)が閉まった状態で常に魔力がぽたぽたと垂れ(一般人からすれば滝のように)流れているようなものだった。


「……目障りだな」


廊下の反対側から、取り巻きを引き連れたレオンハルトが歩いてくる。

彼の鋭い碧眼が、セレスを冷たく射抜いた。


「図体ばかりの魔力を持て余し、垂れ流して歩くなど、魔法使いとしての品格に欠ける。貴様のような粗野な人間が、同じ学び舎にいること自体が不愉快だ」

「えっ、あ、ごめんなさい……。私、田舎者だから、そういう難しいことよくわかんなくて……」


シュンと肩を落とすセレス。

彼女は「自分の魔力が強すぎるから垂れ流している」のではなく、「魔法の才能がなくて、力が漏れちゃってる(=弱い)」と本気で勘違いしているため、レオンの厳しい言葉も「成績ギリギリの落ちこぼれへの説教」として素直に受け取っていた。


そんなセレスを庇うように、ソフィアがスッと前に出た。


「レオンハルト君。言い過ぎではありませんか? セレスさんはまだ、ここの環境に慣れていないだけです」

「ふん。お友達ごっこなら他所でやれ」


レオンハルトは鼻で笑い、踵を返す。

しかし、背を向けた彼の表情は、先ほどまでの冷徹なものから一変し、ギリッと奥歯を噛み締めるような険しいものになっていた。


(……あの圧倒的な魔力の奔流。実技試験で見せた、的を外し山を吹き飛ばしたあの一撃。あれがもし、威力だけの試験だとしたら……完全に負けていた……)


名門アークライト家の次期当主として、幼い頃から血を吐くような努力を重ね、完璧に魔力をコントロールしてきた自負がある。

だというのに、あの無自覚な少女の存在が、自分の積み上げてきたものを根底から揺るがしているような、得体の知れない焦燥感をレオンハルトに抱かせていた。




その日の放課後。

寮の部屋に戻ったセレスは、ベッドにバタンと倒れ込んだ。


「あー……疲れたぁ……。なんか今日、すっごく体が重い……喉も渇くし……」


吸血もせず魔力を無駄に垂れ流し続けているセレスの体温はいつも以上に低く、呼吸も少し荒くなっていた。


「セレスさん、大丈夫ですか!?」

慌てて駆け寄ったソフィアが、セレスの額にそっと手を当てる。

「ひんやりしてます……。それに、手が氷みたいに冷たい……!」


「ううん、平気……。ちょっと、お水、もらっていい……?」

「お水ばかりじゃダメです! さっき食堂で、栄養がありそうなトマトジュースをもらってきたんです。これを飲んでください!」


ソフィアがコップになみなみと注いでくれた、ドロリとした赤い液体。

それを見た瞬間、セレスの喉がゴクリと大きく鳴った。

なぜか無性に、その赤い色に惹きつけられる。


「あ、ありがとう……」

受け取ったコップを両手で包み込み、一気に飲み干す。

濃厚なトマトの風味が口に広がる。……が、セレスの心の奥底で、何かが「これじゃない」と訴えかけていた。少しだけ体は楽になった気がするが、根本的な『渇き』は全く満たされていない。


「ふぅ……ごちそうさま。ソフィアは優しいね」

「そんなことありません。私……セレスさんの力になりたいんです。実技試験の時みたいなすごい魔法、私には使えませんけど……でも、セレスさんが辛い時は、いつでも頼ってくださいね」


ソフィアは、セレスの冷たい両手を自分の小さな手でギュッと包み込んだ。

その手の温もりが、今のセレスにはたまらなく心地よかった。


(ソフィアの手、あったかいなぁ……。なんだか、すごく……美味しそう……)


ふと、そんな物騒な感情が頭をよぎり、セレスは慌てて首を振った。

(ちがうちがう! 私、お腹減りすぎておかしくなってるんだ! 友達を美味しそうって思うなんて、どんだけ食いしん坊なのよ私!)


セレスが無自覚な吸血衝動を必死に誤魔化している間にも、季節は巡る。

次なる試練、『ダンジョン実習』の日が、すぐそこまで迫っていた——。

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