愛の日記と、魔界からのヤバすぎる仕送り
空は血のように紅い満月に照らされ、学園全体が魔界の王ヴラドと王妃エリーゼの放つ『絶対的な死のオーラ』に押し潰されようとしていた。
絶体絶命のピンチ。
それでも、レオンハルト、クロエ、ソフィアの3人は、背後のセレスを守るために一歩も引かず、己の命を投げ打って最強の吸血鬼夫婦の前に立ちはだかった。
「……セレスさんには、指一本触れさせません!」
その悲壮なまでの覚悟を前に、娘を「極悪非道な拷問」から救い出しに来たはずのヴラドとエリーゼは、完全に宇宙猫のような顔でフリーズしていた。
(なぜ、拷問官であるはずの人間どもが、娘を命懸けで庇っているのだ……?)
張り詰めた沈黙。
誰もが息を呑み、次の瞬間に世界がどうなるのか予測できない、極限の緊迫感。
その、張り詰めた糸を。
「わー! ほんとに私の本当のパパとママなんだ! はじめまして!」
「…………え?」
レオンハルトたち3人の背後から、ひょっこりと顔を出したセレスが、満面の笑みでハサミをいれるようにあっさりと断ち切った。
セレスは、命懸けで自分を庇っている3人の間をトテトテとすり抜け、ポカーンとしている魔界の王と王妃の目の前まで歩み寄った。
「パパとママ、すっごくかっこよくて綺麗だね! ずっと探してくれてたの? ありがとう!」
「セ、セレス……おお、我が愛しき娘よ……!」
「セレス! 無事でしたか! ひどい怪我は……その、泥を無理やり食べさせられて、お腹を壊したりはしていませんか!?」
ヴラドとエリーゼが、涙ぐみながらセレスの無事を確認しようと手を伸ばす。
しかし、セレスはそんな両親の心配をよそに、自身の『無限収納の指輪』をごそごそと漁り始めた。
「んー? 泥? チョコレートパフェのことかな? あれすっごく甘くて美味しいんだよ! あ、そうだ! パパとママ、遠くから来てお腹空いてるでしょ?」
ポンッ。
セレスが取り出したのは、魔法薬学の授業で作った(そしてなぜかまだ温かい)あの伝説の『神の霊薬』が入ったタッパーだった。
「チキンスープ、飲む? 私の自信作なの!」
「チ……キンスープ……?」
世界を滅ぼそうとしていた最強の吸血鬼夫婦が、タッパーから漂う家庭的すぎる鶏肉の匂いを嗅いで、完全に毒気を抜かれて瞬きを繰り返す。
「そうだ、パパとママに見せたいものがあったんだ!」
セレスはタッパーを一旦レオンハルトに押し付けると(「熱ッ!?」とレオンが悲鳴を上げた)、再び指輪の中から、今度は一冊の古びた革表紙のノートを取り出した。
「これね、おばあちゃん……私を森で育ててくれた人間の『賢者』のおばあちゃんが遺してくれた、日記帳なんだ」
「にん、げんの……賢者の日記……?」
ヴラドが恐る恐るそのノートを受け取る。
エリーゼも寄り添い、二人はその古びたページをそっとめくった。そこには、力強くも、どこか温かみのある文字がびっしりと書き込まれていた。
『〇年×月。森の近くで、人間の奴隷商人の馬車を吹き飛ばした。荷台の中に、銀髪の赤ん坊がいた。吸血鬼の生き残りだろう。だが、私を見つめるその紅い瞳があまりにも無垢で……私は、この子を置いていくことができなかった』
「あっ……」
エリーゼの口から、小さな声が漏れる。
『〇年△月。肌着にセレスと名前が書かれていた。私は不器用な老いぼれだが、この子が可愛くて仕方がない。今日は初めて魔法を教えた。才能の塊だ。末恐ろしいが、自慢の孫娘だ』
『〇年□月。この子が吸血鬼であるという業を背負わなくて済むよう、月に一度、私の血を混ぜた特製スープを作って飲ませている。だがいつか私が死んだ後、心優しいこの子が己の正体に気づき、絶望する日が来るかもしれない……打ち明けるべきだろうか』
ページをめくるごとに、ヴラドとエリーゼの手が、ガタガタと震え始めた。
そこにあるのは、憎き「人間」の姿ではない。
ただ純粋に、血の繋がらない異種族の赤ん坊を愛し、慈しみ、その未来を案じる『一人の不器用な祖母』の、深すぎる愛情の記録だった。
そして、日記の最後のページ。
『私はもう長くない。セレス、私の愛しい孫娘。どうか自分の力を恐れないでおくれ。人間も、魔族も関係ない。種族の壁を越えて、お前を心から大切に想ってくれる友達と出会い、ただひたすらに、幸せになっておくれ。それが、おばあちゃんのたった一つの願いだよ』
「…………ッ」
ポタッ、ポタポタッ……。
古びた日記のページに、大粒の涙が染みを作っていく。
「うおおおおおおおぉぉぉぉんッ!!!」
突如、魔界の王ヴラドが、学園中に響き渡るような大声で号泣し始めた。
「人間……!! 人間、いい奴らじゃないかァァァッ!! 奴隷商人から助け出してくれた上に、我が娘にこれほどの愛を注いで育ててくれていただなんて……!!」
「おばあちゃん……! おばあちゃん、ありがとうございます……! ありがとうございますぅぅっ!!」
エリーゼもまた、化粧が崩れるのも構わず、顔をくしゃくしゃにして泣き崩れた。
「パパ、ママ……?」
「すまなかった、セレス!! 父様と母様は、人間を……お前の大切な恩人たちを、誤解していた!!」
ヴラドとエリーゼは、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら、レオンハルト、クロエ、ソフィアの3人の前にバサァッ!と勢いよく平伏した。
もはや土下座である。魔界の絶対王者が、人間の学生に向かって、地面におでこを擦り付けているのだ。
「ええええええッ!?」
レオンハルトが、あまりの急展開にパニックを起こして後ずさる。
「娘と! 我が愛しき娘と仲良くしてくれて、本当にありがとう!! 先ほどは極悪非道な拷問官だの冷凍泥だのと勘違いしてすまなかった! 君たちは、命懸けで娘を庇ってくれた、最高の友人だ!!」
「ええ、ええ! セレスを『私のです』と言ってくれたお嬢さん! あれは奴隷宣言ではなく、深き友愛の証だったのですね! どうかこれからも、うちの娘をよろしくお願いしますわ!!」
ソフィアの激重な愛の宣言すらも「深き友愛」と超解釈(ある意味間違っていないが)され、両親は3人の手をガシッと握りしめてブンブンと上下に振り回した。
「あ、いや……その、セレスにはいつも助けられてばかりで……」
レオンハルトが引きつった笑顔で答える。
「騎士として当然の務めです! お父様、お母様!」
クロエがなぜか誇らしげに胸を張る(家族面をするなとソフィアが横から睨んでいる)。
「ふふっ、誤解が解けてよかったね! さ、冷めないうちにみんなでチキンスープ飲もっか!」
セレスの呑気な声に、ヴラドとエリーゼは「おお! 娘の手料理……!」と再び号泣し、親子水入らず(+巻き込まれた3人)の、平和でカオスな夜のピクニックが、学園の中庭で急遽開催されることとなった。
空を覆っていた黒雲はいつの間にか晴れ渡り、美しい星空が、和解した彼らを優しく照らしていた。
◆ ◆ ◆
それから、数週間後。
「……おい、セレス。また届いたぞ」
「あ! パパとママからの仕送りだー!」
学園の女子寮の前に、馬車三台分にも及ぶ巨大な『黒い木箱』が山積みにされていた。
あの日以来、すっかり学園と和解したヴラドとエリーゼは、「娘の友人たちへのお礼」と称して、魔界から定期的に仕送りを送ってくるようになったのだ。
「開けるぞ……」
レオンハルトが、胃の辺りを押さえながら、恐る恐る木箱の蓋を開ける。
『娘の友人たちへ! 今日は魔界の特産品、絶品フルーツを送るぞ! みんなで食べてくれ! ヴラド&エリーゼより』
手紙と共に箱の中に入っていたのは、ドクン、ドクンと脈打ち、紫色の毒々しい瘴気を放っている『生きた果実』の山だった。
「ひぃぃッ!? なんだこの禍々しい果物は! 瘴気で周囲の草花が枯れていってるぞ!!」
レオンハルトが悲鳴を上げて後ずさる。
「おお! これは魔界の深淵でしか採れない『冥界の林檎』! これをかじれば、三日三晩悪夢にうなされる代わりに腕力が数倍になると言われている幻の果実! ありがたく鍛錬に使わせていただきます!」
クロエが目を輝かせて、そのヤバい果実を素手で鷲掴みにする。
「まあ。これだけ栄養価が高そうなら、煮詰めてジャムにすればセレスさんの貧血予防にピッタリですわね」
ソフィアが、一切の恐怖を感じることなく、エプロン姿でお玉を構える。
「わーい! ソフィアのジャム、すっごく楽しみ!」
セレスは何も分かっていないまま、呑気に万歳をして喜んでいる。
「…………僕が、まともすぎるのか? それとも、こいつらが狂っているのか……?」
レオンハルトは、脈打つ果実の山と、それに群がる女子3人を前に、己の常識が完全に崩壊を起こしていくのを感じていた。
最強の吸血鬼の両親という「規格外のパトロン」を手に入れたセレスの学園生活は、これまで以上にハチャメチャで、そして誰よりも愛に溢れたものになっていくのだった。




