表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/24

死の概念と、優しき怪物の真実

王立アルカディア学園、大図書館の最奥。

一般生徒は立ち入ることのできない『禁書指定区域』の特別閲覧室に、セレス、ソフィア、レオンハルト、そしてクロエの4人が密かに集まっていた。


「……アークライト家の権限を使って、吸血鬼ヴァンパイアに関する最古の文献をいくつか借り出してきた。セレス、お前が自分の力を恐れているなら、まずは『己を知る』ことが制御への第一歩だ」


レオンハルトは分厚い古書をテーブルに広げ、真剣な面持ちでセレスを見つめた。

セレスはソフィアの隣で小さく縮こまりながら、不安そうにこくりと頷く。自分が何者で、どれほど危険な存在なのか。それを知るのは怖いけれど、大切な友達を傷つけないためには、逃げてはいけないと決心したのだ。


「いいか、文献によると……吸血鬼は強大な魔力と身体能力を持つ反面、極端な『燃費の悪さ』を抱えている。彼らの力の源は血液であり、月に一度は必ず人間の血を摂取しなければならない」


レオンハルトが古書のページを指でなぞりながら、厳しい声で読み上げる。

「もし吸血を怠れば、魔力と身体能力は本来の『100分の1』まで低下する。極度の倦怠感、強烈な渇きに襲われ……最悪の場合、餓死……つまり、『死』に至るとある」


「…………え?」


セレスの肩が、ビクッと大きく跳ねた。


「あの、レオン。……『死』って、なに? おばあちゃんみたいに、ずーっと冷たくなって、長ぁいお昼寝をすること?」

「……は?」

レオンハルトは、セレスのあまりにも無邪気で、無知な質問に言葉を失った。


「セレスさん……」

ソフィアが、痛ましそうに顔を歪めてセレスの手を握る。

「セレスさん。……死というのは、お昼寝ではありません。もう二度と、目を覚まさないということです。お話することも、一緒に笑うことも、触れ合うことも……永遠にできなくなることなんです」


「……え?」

セレスの紅い瞳が、大きく見開かれた。

森で、物心つく前からおばあちゃんと二人きりで生きてきたセレス。彼女の周りには、おばあちゃんの他には魔物しかおらず、人間という「寿命のある脆い生き物」の概念を知る機会が全くなかったのだ。


「おばあちゃん、もう起きないの……? ずっと、あのベッドの上で……?」

「……人間には、寿命があるんだ。お前を育てたその賢者殿は、お前を残して、寿命でこの世を去ったんだよ」

レオンハルトが、辛い事実を静かに、だがはっきりと告げた。


「あ……ぁ……」

セレスの瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。

ずっとお昼寝をしているだけだと思っていた。魔法学校で立派になったら、また森に帰って、おばあちゃんに褒めてもらうんだと、そう信じていたのに。


「おばあちゃん……っ、おばあちゃぁぁぁん……っ!!」

遅すぎる、初めての『喪失』の理解。

セレスはソフィアの胸にすがりつき、子供のように声を上げて泣き崩れた。ソフィアは何も言わず、ただ優しく、震えるセレスの背中を撫で続けた。




しばらくして、泣き疲れたセレスが目を赤くしながら顔を上げた。


「……ごめんね、みんな。私、なんにも知らなくて……」

「謝る必要はない。……だがセレス、一つ聞きたい」

レオンハルトが、胃の辺りを押さえながら、恐る恐る口を開いた。


「お前は森で、血を吸ったことはなかったのか? 吸血鬼の吸血衝動は本能だ。……お前が今まで、どうやってその渇きを抑えていたのかが分からない」

「血なんて、吸ったことないよ……」

セレスは首を振る。

「ただ、おばあちゃんが月に一度、すっごく美味しくて甘い『真っ赤な特製スープ』を作ってくれてたの。それを飲むと、体がポカポカして、力が湧いてきて……」


その言葉に、閲覧室の空気がピタリと凍りついた。


「……なるほどな」

レオンハルトは額に手を当て、天井を仰ぎ見た。

「その賢者殿は、お前が吸血鬼であるという業を背負わなくて済むように、お前に気づかれないよう、自分の血を……あるいはそれに代わる魔獣の血を、料理に混ぜて与えていたのだろう。お前が、人を傷つけるバケモノにならないように」


「おばあちゃんが……私のために……」

セレスは、おばあちゃんの底知れない愛の深さに気づき、再び胸が締め付けられる思いだった。


だが、レオンハルトの思考は、そこからさらに『恐ろしい事実』へと辿り着いてしまっていた。


「……おい、待てよ」

レオンハルトの顔から、スーッと血の気が引いていく。

「セレス。お前が森を出て、おばあちゃんのその『特製スープ』を飲まなくなってから、どれくらい経つ?」


「えーっと……魔法学校に入るために帝都まで歩いてきたから……もう、1年近く経つかな?」

「1年……」

「うん。最近はずーっと体が重くて、喉が渇いて……でも、この前の夜、ソフィアの血をもらったら、急にスッキリしたの!」


「…………」


レオンハルトは、ガクガクと震える手で古書の記述を指差した。

『月に一度の吸血を怠れば、魔力と身体能力は100分の1まで低下する』


(……つまり、こいつは。この1年間、ずっと)


レオンハルトの脳内で、これまでのセレスの規格外の行動がフラッシュバックする。


実技試験で山を吹き飛ばした、あの巨大な火球。

ダンジョン最下層で災害級のバケモノを消し飛ばした、あのデコピン。

学園対抗戦の決勝で、敵の『絶対吸収陣』を力技でオーバーフローさせた、あの暴力的な魔力譲渡。


(あいつ……あれ全部、『死にかけの飢餓状態』で、本来の力の『100分の1』のデバフがかかった状態でやってたのか……!?)


「ヒッ……!!」

レオンハルトの口から、名門の次期当主らしからぬ、カエルが潰れたような悲鳴が漏れた。

100分の1であの天災レベル。デバフが解除された今、彼女の本来の力はどれほどの次元に到達しているのか。想像するだけで、レオンハルトの胃が物理的にねじ切れそうだった。


「どうしたのレオン? お腹痛いの?」

「……気にするな。僕は今、世界の理不尽さと己の矮小さを噛み締めているところだ」

レオンハルトは真っ白な灰のように燃え尽きながら、机に突っ伏した。




「セレスお姉様」


沈黙を破り、ここまで静かに話を聞いていたクロエが、スッと立ち上がった。

セレスはビクッと肩を揺らし、クロエから距離を取ろうとする。


「こ、来ないでクロエちゃん……! 私、血を吸うバケモノなんだよ!? いつか、クロエちゃんを傷つけちゃうかもしれない……!」


しかし、クロエの足は止まらない。

彼女はセレスの目の前まで歩み寄ると、騎士の礼をとるように、その場に片膝をついた。


「バケモノ? それがどうしたというのですか!」

クロエの瞳には、微塵の恐怖も、迷いもなかった。あるのは、ただ真っ直ぐな尊敬と、燃えるような騎士の誓いだけ。


「お姉様が人間であろうと吸血鬼であろうと、私の憧れであることに変わりはありません! 力が大きすぎて他者を傷つけることを恐れ、涙を流す……。お姉様のその『優しさ』こそが、私が背中を預けたいと願った、気高き騎士の魂そのものです!!」

「クロエちゃん……」


「月に一度の血が必要ならば、私の血を飲めばいい! 騎士たるもの、主君のために血の一滴、肉の一片を捧げるのは本望! さあお姉様、遠慮なく私の首筋に噛み付いてください!!」


クロエは勢いよく立ち上がると、制服の襟をガバッと広げ、健康的な白い首筋をセレスの前にグイッと突き出した。


「わ、わわっ!? だ、だめだよそんなの!」

セレスが真っ赤になって慌てふためく中。


スッ……。


「……申し訳ありませんが、クロエさん」

ふわりと甘い花の香りと共に、ソフィアがセレスとクロエの間に、見事なステップで割り込んだ。


ソフィアはニコッと清楚な笑みを浮かべながら、クロエの突き出した首を、無言でグイッと押し返す。

「セレスさんの『専属の食事係』は、この私ですわ。昨日も、今日も、そして明日も。……貴女のその血の気ばかり多い筋肉質な血など、セレスさんのお口には合いません」


「な、なんですって!? 私の血は毎日の鍛錬によって血流が良く、新鮮で栄養満点です! 貧血気味なソフィア殿の血より、絶対に美味いはずです!」

「あら? 私はセレスさんに一番美味しく召し上がっていただくために、毎日鉄分とビタミンを計算したハーブティーを飲んで血の質を極限まで高めておりますのよ? 貴女のような野蛮な血とはコクが違いますわ!」


「ならば飲み比べていただきましょう! さあお姉様、右の首と左の首、どちらからいきますか!?」

「いいえ、私からですわ!!」


「えぇーっ!? ど、どうしてそうなるのー!?」


自分の血を巡って謎の『鮮度と味のプレゼンバトル』を繰り広げ始めたソフィアとクロエを前に、セレスは完全にキャパオーバーとなり、オロオロと慌てふためくしかなかった。


「……ふっ」

そのドタバタ劇を横目で見ながら、突っ伏していたレオンハルトの口から、思わず小さな笑いが漏れた。


(……どれだけバケモノじみた力を持っていようと。こいつは結局、ただの優しくて不器用な少女なんだな)


恐怖は、ない。

レオンハルトは顔を上げ、かつてないほど穏やかな瞳で、騒ぎ立てる3人の少女たちを見つめていた。


自分の力が大きすぎることに怯え、人間という存在に寄り添おうとする不器用な吸血鬼。

彼女がその強大すぎる力を制御し、この世界で生きていくためには、きっと自分たちのような「鎖」が必要なのだ。


(僕が、トップとしてお前を導いてやる。……お前のその規格外の力が、誰かを傷つける刃にならないように。僕が完璧な盤面を作って、お前を制御してやるさ)


名門の次期当主として、そして一人の友人として。

レオンハルトは、セレスと共に歩む『覚悟』を、静かにその胸に刻み込むのだった。


しかし、彼らの穏やかな時間は、そう長くは続かない。

力を自覚し、仲間との絆を深めたセレスの前に、最大の試練——『魔族の全面侵攻』が、すぐそこまで迫っていたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ