名門の重圧と、規格外のチキンスープ
帝都の一等地にそびえ立つ、歴史と権力の象徴——アークライト公爵家の本邸。
その最奥にある、重厚なマホガニーのデスクが置かれた執務室で、冷え切った沈黙が流れていた。
「……恥さらしめ」
地を這うような、絶対的な威圧感を伴う低い声。
レオンハルトの父であり、現アークライト家当主である男が、氷のような眼差しで息子を見下ろしていた。
レオンハルトは、大理石の床に片膝をつき、深く頭を垂れている。
「学園対抗戦での優勝、見事な結果だ。……だが、あの優勝インタビューでの醜態はなんだ。貴様は、全帝国からの注目が集まるあの舞台で、アークライトの次期当主たる己の無力を公衆の面前で晒し、あまつさえ平民の小娘に手柄を譲っただと?」
父の言葉は、鋭い刃のようにレオンハルトの胸を抉る。
「……申し訳ありません、父上。ですが、あれが真実なのです。彼女の規格外の力がなければ、アルカディアは敗北していました。僕は、己の虚像で家名を飾ることに、耐えられなかった」
「お前は甘い!!」
ダンッ!! と、父が杖で床を強く叩いた。
「真実などどうでもいい! 貴族とは、上に立つ者とは、結果と名誉を独占してこそ価値があるのだ! 仮にあの娘がバケモノじみた力を持っていたとして……ならば、したたかに利用し、その手柄を己のものとして帝国の歴史に刻むのが、支配者たるアークライトのやり方だろう!」
父の怒声が、執務室の空気をビリビリと震わせる。
「手柄を他人に譲り、己の弱さを吹聴するなど……名門の跡取りとして、これ以上の恥辱はない! 貴様のその『甘さ』が、我が家の威信にどれほどの泥を塗ったか理解しているのか!」
「……っ」
レオンハルトは、奥歯をギリッと噛み締めた。
利用しろ。手柄を奪え。それが貴族の正しい姿なのだと、頭では分かっている。これまでの自分なら、父の言葉に押しつぶされ、その通りに生きていただろう。
だが、今のレオンハルトの碧眼に宿る光は、決して死んではいなかった。
(……それでも。僕はもう、偽りの英雄にはならない)
あの時、セレスが見せた底抜けの優しさと、圧倒的な力。それに触れてしまった以上、もう嘘はつけない。己の弱さを認めたからこそ、見えた「本物の強さ」への道があるのだ。
「……次はないぞ、レオンハルト」
父が、氷点下の声で最後通告を突きつける。
「アークライトの血に、敗北者と偽善者は要らん。次の武闘祭なり、実地訓練なりで、己が真の支配者であることを証明してみせろ。……できなければ、貴様から家督を剥奪する」
「…………はっ。肝に銘じます」
レオンハルトは深く一礼し、執務室を後にした。
背中にのしかかる重圧は、以前よりも遥かに重い。だが、不思議と心は晴れやかだった。
(証明してみせるさ。虚像の威光ではなく、僕自身の本当の実力で。……あの規格外のバケモノに、いつか肩を並べるために)
レオンハルトは決意と共に、学園へと歩みを進めた。
場面は変わり、王立アルカディア魔法学校の『魔法薬学』の実習室。
薬草の青臭い匂いと、大鍋がグツグツと煮える音が響く教室内は、先ほどの重苦しい雰囲気から一転、活気に満ち溢れていた。
「本日の課題は、基礎中の基礎! 『体力回復薬』の調合です!」
白衣を着た教師が、教壇から声を張り上げる。
「班ごとに分かれ、支給された薬草と清水を使い、最も純度の高いポーションを作り上げなさい。抽出温度の管理と、分量の正確さが命ですよ!」
「ふん、魔法薬学など、魔力コントロールの延長線上に過ぎない」
実習室の最前列の班。
そこには、名門の重圧を(とりあえず今は)心の奥にしまい込み、いつもの自信に満ちた表情を取り戻したレオンハルトの姿があった。
彼はピンセットとスポイトを駆使し、薬草のエキスを『ミリ単位』で正確にビーカーへ滴下していく。
さらに、極小の炎魔法でフラスコを温め、温度を寸分の狂いもなく一定に保つ。その無駄のない洗練された所作は、もはや芸術の域だった。
「完成だ」
数十分後。レオンハルトの手元には、不純物が一切なく、太陽の光を浴びてキラキラと神秘的に輝く、最高純度の『最上級回復薬』が完成していた。
「おおっ! さすがはレオンハルト君! 学生の身でこの純度のエクスポーションを作り上げるとは、完璧な調合です!」
教師が拍手喝采を送り、周囲の女子生徒たちからも黄色い歓声が上がる。
(ふっ……見たか、父上。これが僕の実力だ。薬学においても隙はない)
レオンハルトはドヤ顔で腕を組み、密かに胸を張った。
一方その頃
セレスのいる調理台では、完全なる『異次元のクッキング』が始まろうとしていた。
「体力回復のポーションかぁ……。要するに、元気が出る飲み物を作ればいいんだよね!」
セレスは魔法薬学の知識などミリも持ち合わせていない。
彼女の脳内で「元気が出る飲み物」=「森でおばあちゃんが風邪を引いた時に作ってくれた、美味しいスープ」という恐ろしい変換が行われていた。
「えーっと、まずは美味しいお出汁が必要だよね! だから、お肉!」
ドンッ!
セレスはどこから取り出したのか、丸々と太った立派な『生鶏肉』を、ポーション用の大鍋に豪快にぶち込んだ。
「は……?」
隣で優雅にエクスポーションを眺めていたレオンハルトが、目を丸くして固まる。
「お次はお野菜! おばあちゃんが『体にいい草』だって言ってたやつ、指輪の中にまだあったかなぁ……あ、これだ!」
セレスは自身の『無限収納の指輪』をごそごそと漁り、一本の謎の草を取り出した。
それは、七色の光を放ち、周囲の魔力をギュンギュンと吸い寄せる、見たからにヤバい植物だった。
(……お、おい嘘だろ……。あの七色の葉脈……神話にしか登場しない、死者すら蘇らせるという幻の霊草『世界樹の若葉』じゃないのか……!?)
レオンハルトの特級の知識が、その草のヤバさを瞬時に弾き出し、胃の辺りがキリキリと痛み始める。
しかし、セレスはそんな国宝級の霊草を「ネギの代わりかな?」くらいの感覚で、ブチブチと手でちぎって鶏肉の入った鍋に放り込んだ。
「よし! あとは煮込むだけだね! ……でも、火の付け方が分かんないや。あ、そうだ!」
セレスは、鍋の底に右手の人差し指をチョン、と当てた。
「ダンジョンで教わったみたいに、魔力をギュッと練って……指先からちょっとだけ流し込めば、直接温かくなるはず!」
「——っ!? ば、馬鹿野郎、やめろぉぉっ!!」
レオンハルトが、今日一番の絶叫を上げてセレスに飛びかかろうとした。
セレスが行おうとしているのは、魔力を熱に変換して鍋を外から温める魔法ではない。
彼女の指先から『規格外の密度の魔力』を直接鍋の水分に混ぜ込む、古代の文献にしか載っていない超危険な『魔力直接抽出法』だった。
少しでも魔力の波長を間違えれば、鍋の中身とセレスの超高密度の魔力が反応を起こして教室ごと吹き飛ぶ。
「えいっ」
しかし、レオンハルトの制止は間に合わず、セレスの指先から極太の魔力エネルギーが鍋に注ぎ込まれた。
——カッ!!!!
大鍋から、太陽を直接持ち込んだかのような、眩い黄金の光が溢れ出した。
爆発は……起きない。
セレスの無自覚ながらも完璧すぎる魔力循環コントロールが、鍋の中の『鶏肉』と『世界樹の若葉』の成分を、分子レベルで完全に融合・抽出させてしまったのだ。
「ふぅ……いい匂い! 鶏肉のポーション、完成ー!」
光が収まった後。
鍋の中には、黄金色に透き通る、とんでもなく食欲をそそる香りのスープ(?)がタプタプと揺れていた。
その匂いを嗅いだだけで、教室中の生徒たちの疲労が一瞬にして吹き飛び、肌ツヤが良くなり、なんならちょっと筋肉量が増え始めるという異常事態。
「な、なんだこれは……!?」
教師が震える手でセレスの鍋に近づき、お玉で一口すくって口に運んだ。
「…………っ!! お、おおおおおぉぉぉっ!!」
次の瞬間、教師の背中から光の翼が生えた(ように見えた)。
「細胞が……若返る! 枯渇していた魔力が、泉のように湧き上がってくる!! こ、これはただの回復薬ではない! 魂そのものを高次元へと引き上げる、『神の霊薬』だぁぁぁっ!!」
教師は感動のあまりポロポロと涙を流し、大鍋の前で祈り始めてしまった。
「えへへ、先生お腹空いてたんだね。いっぱい食べてね!」
ニコニコと笑うセレス。
その横で、レオンハルトは自身が作った最高傑作の『エクスポーション』が入ったフラスコをそっと背後に隠し、白く燃え尽きたような目で遠くを見つめていた。
(……鶏肉と謎の雑草を、魔力直火焼きで煮込んだだけのスープに、僕の完璧なポーションが……負けた……? いや、もう薬学どころか料理ですらない……コントだろ、あれ……)
ワイワイと盛り上がる中、セレスはふと、自分の喉を指で押さえた。
(……なんか、お肉の匂い嗅いだら、もっと喉が渇いちゃったかも)
これだけ凄い回復スープを作っておきながら、セレス自身の吸血鬼としての『本能の渇き』は、全く満たされていなかった。
むしろ、周囲にいる健康になった生徒たちの血の匂いが、より一層鮮明に感じられるようになってしまい、彼女はこっそりと、小さく生唾を飲み込むのだった。
名門の重圧と、規格外のチキンスープ。
レオンハルトの胃腸の受難は、まだまだ終わる気配を見せない——。




