おばあちゃんの長いお昼寝と、帝都へのピクニック
森の奥深く、陽の光すらまばらにしか届かない静寂の中。
小さな木組みの小屋で、セレスはベッドに横たわる「おばあちゃん」の顔をじっと見つめていた。
「おばあちゃん、すっごく冷たくなっちゃったな」
シワだらけの穏やかな顔は、昨日からピクリとも動かない。
呼吸も聞こえず、胸の上下もない。それでもセレスは焦る様子もなく、ただ不思議そうに小首を傾げていた。
『セレスや。私はこれから、とっても長〜いお昼寝に入るんじゃ。だからお前は、15歳になったら帝国の魔法学校に入りなさい。荷物は全部持っていくんじゃよ』
数日前に聞いたその言葉を、セレスは文字通りに受け取っていた。
なにせ彼女は、物心つく前にこの森に連れてこられてから、おばあちゃん以外の人間を見たことがない。「死」という、生命の活動が永遠に停止する現象を知る由もなかったのだ。
「仕方ないなぁ。お昼寝の邪魔しちゃ悪いし、私、一人で行ってくるね」
セレスは部屋の隅にあった麻袋に、おばあちゃんが遺したガラクタ……もとい、国宝級のアーティファクトを無造作に放り込んでいく。
山を一つ吹き飛ばせる『星降る杖』は歩くときの杖代わりに。国家予算の数倍の金貨が入った『無限収納の指輪』は「なんかピカピカしてて綺麗」という理由で中指にはめた。
「ふぅ……なんか、もう喉が渇いちゃった」
準備を終えたセレスは、自分の背丈の半分ほどもある巨大な水袋を持ち上げ、ゴクゴクゴクッと一気に水を飲み干した。
ぷはぁ、と息を吐き出す。
「なんで私って、こんなにすぐ喉が渇くんだろ。それに、全然日焼けしないし……」
部屋の鏡に映る自分の姿を見る。
色素の薄い銀色の髪に、吸い込まれるような紅い瞳。化粧などしたこともないのに、陶器のように滑らかな肌と、誰もが息を呑むほど整った顔立ちをしていた。
だが、セレスの視線はそこには向かない。彼女の視線は、すらりと伸びた手足から、一直線に自分の「胸元」へと向かった。
「……また、1ミリも育ってない」
ぺったんこだった。見事なまでの平野。
おばあちゃんはあんなに豊満だったのに、どうして私は手足ばかりヒョロヒョロと長くなって、肝心なところが成長しないのだろうか。
「まあいいや。魔法学校に行けば、胸が大きくなる魔法くらいあるよね!」
見当違いの期待を胸に、セレスは軽やかな足取りで小屋を出た。
——帝都への道中は、セレスにとってちょっとしたピクニックのようなものだった。
「あ、大きなヘビ」
バキィッ!!
森の覇者として恐れられる『煉獄の大蛇』が、セレスの無造作なビンタ一発で空の彼方へ飛んでいく。
セレスの細い腕から無意識に漏れ出ている魔力は、それだけで熟練の魔法使いの十倍に匹敵する。本人は「ちょっと強めに払っただけ」のつもりでも、その破壊力はもはや大砲だった。
「あーあ、どっか行っちゃった。おばあちゃんみたいに、綺麗にパパッと魔法で火を出して追い払うとか、私にもできたらいいのに……。私ってほんと、才能ないのかも」
自分の異常性に全く気づかないまま、セレスはため息をつく。
彼女の基準はあくまで「賢者」であるおばあちゃんなのだ。比較対象がおかしすぎるせいで、セレスは自分の実力を「人間の中での最底辺」くらいに本気で過小評価していた。
そのまま数日、魔物の群れを文字通り「散歩のついで」に壊滅させながら歩き続けると、やがて巨大な城壁に囲まれた帝都が見えてきた。
「うわぁ……! 人がいっぱい! 建物が大きい!」
帝都の活気は、森育ちのセレスの目を輝かせるには十分すぎた。
しかし、大通りを歩くセレスに向かって、道行く人々が次々と足を止め、振り返っていく。
「おい、見ろよあの娘……」
「なんて美しいんだ。妖精か何かか?」
「いや、あんな洗練された美貌、貴族の令嬢に違いない……!」
ざわめく群衆。しかしセレス本人は、その視線の意味を全く別の方向に捉えていた。
(う、うわぁ……めっちゃ見られてる。やっぱり私、化粧とかしてないから田舎者丸出しで浮いてるんだ……。それに……)
セレスの視線が、すれ違った同年代の少女の胸元に釘付けになる。
そこには、制服らしき服をふんわりと押し上げる、確かな「ふくらみ」があった。
(っ……!! なんでみんなあんなに育ってるの!? 都会の食べ物のせい!? くやしい……っ!)
謎の敗北感と嫉妬にギリィッと唇を噛みながら、セレスは魔法学校の入学受付場所である、巨大な広場へと逃げ込むように足を進めた。
広場には、新入生らしき若者たちが長蛇の列を作っていた。
どうやら、簡単な魔力測定を行ってから受付をするらしい。セレスも列に並び、自分の番が来るのを待った。
「次、そこの君。この水晶に触れてみてくれ」
試験官の気怠げな声に促され、セレスは台座の上に置かれた透明な水晶玉にそっと手を伸ばす。
(おばあちゃんみたいに上手くできないけど……ちょっとだけ、魔力を込めればいいんだよね?)
ぽんっ、と軽く指先が触れた瞬間だった。
——カッ!!!!
「「「うおっ!?」」」
水晶玉から、まるで太陽が爆発したかのような、暴力的で強烈な光が放たれた。
周囲の人間が思わず腕で顔を覆うほどの閃光。しかしその光は美しく澄んだものではなく、乱気流のように荒れ狂い、バチバチと不快な音を立てて周囲の空気を震わせていた。
(な、なんだこの尋常じゃない魔力量は……!? だが、あまりにも荒削りすぎる……!)
試験官が目を丸くして震える中、セレスは「あ、やば、強く叩きすぎたかも」と慌てて手を離す。
その光景を、少し離れた特等席から冷ややかな目で見つめる集団があった。
中心に立つのは、燃えるような金髪と碧眼を持つ、いかにも高貴な雰囲気を漂わせた少年——レオンハルトだ。
「……おい見ろよ、あの女」
レオンハルトの取り巻きの一人が、鼻で笑うように声を上げた。
「魔力だけは無駄にあるようだが、あいつは魔力を練るのが下手だ。力がダダ漏れで品がない」
「ええ。とても我らがレオンハルト様の、あの洗練された炎には及びませんね」
取り巻きたちのヨイショに、レオンハルトは「ふん」と短く鼻を鳴らした。
「……ただの田舎娘だ。図体ばかりデカい魔力など、実戦では何の役にも立たん」
そう言い捨てて背を向けるレオンハルトだったが、彼の碧眼の奥には、ほんのわずかな焦燥と警戒が隠されていたことに、取り巻きたちは気づいていなかった。
一方のセレスは、試験官のドン引きした顔を見て完全に勘違いをこじらせていた。
(あーあ、やっぱり私、魔力の扱いが下手くそすぎて引かれちゃったんだ。おばあちゃんが見たら呆れるだろうなぁ……)
肩を落として受付へ向かおうとしたその時。
ドンッ、と誰かと肩がぶつかった。
「あ、きゃっ……!」
「わっ、ごめんなさい!」
小柄な少女がバランスを崩し、抱えていた大量の書類をばら撒いてしまう。
セレスは慌ててしゃがみ込み、書類を拾い集めた。
「ごめんね、前見てなくて。はい、これ」
「あ、ありがとう……ござい……」
書類を受け取ろうと顔を上げた少女——ソフィアは、セレスの顔を見た瞬間、ピタリと固まった。
ふんわりとした柔らかい雰囲気を持つ彼女の瞳が、セレスの容貌に吸い込まれるように見開かれる。
(なんて……綺麗な人……)
ドクン、と。
ソフィアの心臓が、今まで経験したことのない奇妙な音を立てて跳ねた。
息をするのも忘れるほどの美しさ。しかし、ソフィアの鋭い観察眼は、単なる美貌以外の「違和感」を即座に見抜いていた。
(……この人、なんだか顔色が透けるように蒼い。それに、少し息が上がってる……? 体調が悪いのかな)
ソフィアが心配そうに声をかけようとした瞬間、セレスの視線は別のところに釘付けになっていた。
しゃがみ込んだソフィアの胸元。制服のリボンをふんわりと押し上げる、確かな「存在感」。
(…………負けた)
セレスは心の中で血の涙を流しながら、またしても猛烈な喉の渇きを覚えるのだった。




