第7幕:策士な涙と、伝家の宝刀
アーサーの廃嫡と、ヴィンセントの次期公爵就任が正式に決まったと報せを受けた夜。
私は自室でひっそりと、王都へ帰るためのトランクに荷物を詰めていた。
(ヴィンス、本当に良かったわ……。これで彼も、日陰者なんて後ろ指を指されずに済む)
彼が次期公爵となるなら、前途洋々な彼の隣に、私のような「兄の元婚約者」という傷物の娘がいては泥を塗ってしまう。
私の「お飾りの婚約者」としての役目は、もう終わったのだ。明日、彼にお別れと感謝を告げて、実家へ帰ろう。
そう決意し、トランクの留め金をカチンと鳴らした、まさにその時だった。
「――ルビーナ。何を、しているんですか?」
振り返ると、扉の前にヴィンセントが立っていた。
いつもより少し青ざめた顔で、私の足元にあるトランクと、私を交互に見つめている。
「あ、ヴィンス。あのね、あなたの次期公爵就任も決まったことだし、私のようなお荷物がいつまでも居座るわけには――」
「ルビーナ」
私が言い切るより早く、ヴィンセントがすがりつくように私の両手を取った。
その美しい濃青の瞳には、見事なまでに大粒の涙が浮かんでいる。
「僕に、あの広大なヴォルカリス公爵家が務まるかどうか……不安なんです。兄上や義母上の残した負債や派閥争い……僕一人では、とうてい処理しきれない。……ルビーナ、僕を見捨てないで。手伝ってもらえませんか?」
震える声、縋るような視線。そして、長身の彼が私を見上げてくるという、破壊力抜群の【伝家の宝刀】。
それを見た瞬間、私の胸の奥で、強烈な『世話焼きの血』がカッと音を立てて沸騰した。
(そうよ、公爵家の立て直しなんて、今まで領地に引きこもっていたヴィンス一人にできるわけがないわ! 悪辣なお義母様たちが、どんな負の遺産を残しているか分かったものじゃないのに!)
「……大丈夫よ、ヴィンス。泣かないで、私がいるわ!」
「ルビーナ……?」
「幸か不幸か、公爵家のあれこれは、昔お義母様から嫌というほど叩き込まれているから安心して! 私があなたの右腕になって、立派な公爵にしてみせるから!」
私は力強く宣言し、足元のトランクをベッドの下へと蹴り飛ばした。
途端に、ヴィンセントの顔から不安の色が消え去り、花が咲くような、とろけるような笑顔が浮かんだ。
「本当ですか? ……ああ、ありがとうルビーナ。君が妻になってくれるなら、これで公爵家も安泰ですね」
「ええ、任せてちょうだい!(……ん? 今、なんだかすごく他人事みたいに聞こえたような……?)」
私が首を傾げた瞬間、彼はギュッと力強く私を抱きしめ、その疑問ごと甘く封じ込めてしまった。
――一方、その頃。
執務室の扉の外では、秘書のセオドアをはじめとする使用人一同が、壁に手をついてズルズルと崩れ落ちていた。
「よ、よかったぁぁ……! ルビーナ様が頷いてくださった……!」
「一時はどうなることかと……。もしあそこでルビーナ様が出て行かれていたら、旦那様は間違いなくこの領地ごと公爵家を火の海にして、我々の首も飛んでいたわ……」
「ええ。我々の明るい未来は、ルビーナ様の『お世話焼き』にすべて懸かっていますからね……」
使用人たちは涙ながらに固い握手を交わし、新たなる公爵夫人への永遠の忠誠を誓い合っていた。
その夜、屋敷中で秘密裏に祝杯があげられたことを、当のルビーナが知るのは、もう少し先の話である。




