第6幕:扉一枚隔てた絶望
領主の館の、分厚い扉で閉ざされた応接室。
そこに通されたアーサーは、かつての威風堂々とした次期公爵の面影など微塵もない、ひどくやつれきった姿だった。
「ルビーナを出せ! 私が直接謝れば、彼女は絶対に許してくれるはずだ! アストリード侯爵家の支援がなければ、公爵家が……私の立場が……っ!」
血走った目で喚き散らす兄を、ヴィンセントは応接室のソファに深く腰掛けたまま、氷の彫像のような冷たさで見下していた。
「お静かに、兄上。……奥の部屋で、僕の『婚約者』が微睡んでいる時間ですので」
「っ、婚約者だと!? ふざけるな、お前のような木偶人形がルビーナに相応しいものか! 彼女の優しさにつけ込みおって!」
激高して掴みかかろうとするアーサーの前に、秘書のセオドアが音もなく立ち塞がり、冷ややかな視線で制止する。
「ルビーナに会わせる気はありません。……彼女は、おそろしくお人好しで、世話焼きですからね。今のあなたのその惨めな姿を見れば、心を痛めて同情してしまうかもしれない。僕は、彼女の心を一ミリたりとも、あなたへの哀れみなどに消費させたくないんです」
絶対零度の声に、アーサーがビクリと肩を震わせる。
「だ、騙されたんだ! あのマリエッタという女に! あいつが私をたぶらかしたせいで……」
「おや、ご存知ないのですか? メルヴィル子爵令嬢なら、現在、教会の査問委員会に拘束されていますよ」
ヴィンセントが退屈そうに告げた事実に、アーサーは息を呑んだ。
「彼女が主張していた『聖女の奇跡(光の魔法)』とやら……あれの大半が、子爵家が裏で金をばら撒いて仕組んだ自作自演だったと、王家の監査室に【匿名の告発】がありましてね。証拠の帳簿も完璧に揃っていたため、子爵家は取り潰し、彼女は修道院行きが確定しました」
「な……」
「あくまで法と証拠に基づいた、正当な裁きです。……まあ、その完璧な証拠を王家に提出したのは僕ですが」
冷酷な笑みを浮かべる弟の姿に、アーサーはついに自分の置かれた絶望的な状況を理解し、膝から崩れ落ちた。
信じていた女は詐欺師として捕まり、縋るつもりだった元婚約者は、目の前の恐ろしい弟に完全に囲い込まれている。
「そ、それでも……私は長男だ。公爵家を継ぐのは私だぞ……! 父上が、お前のような不気味な男を当主にするはずが……!」
最後のプライドに縋り付く兄へ、ヴィンセントはとどめを刺すように、一通の封書をテーブルに投げ出した。
それは、ヴォルカリス公爵家の当主――彼らの実の父親からの、正式な通達状だった。
『――アーサーを廃嫡とし、次期当主にはヴィンセントを指名する』
「な、あ……あぁっ……!」
「父上は冷酷な方ですが、家門の存続を第一に考える合理的な方です。次期当主の器がどちらにあるか、正確に天秤にかけられたのでしょう。兄上と同調していた継母殿も、離宮への幽閉が決まったそうですよ」
これで、盤上の駒はすべてヴィンセントの思い通りになった。
喉の奥でひゅんひゅんと情けない音を立てて崩れ落ちる兄に、ヴィンセントは立ち上がり、見下ろした。
「セオドア。この『元』兄上を、領地の外へつまみ出しなさい。……二度と、僕とルビーナの視界に入れないように」
「畏まりました。……さあ、立ってください。床が汚れますので」
セオドアに両脇を抱えられ、アーサーは声にならない絶叫を上げながら応接室から引きずり出されていった。
その哀れな末路に一瞥もくれず、ヴィンセントはふっと表情を緩め、声のトーンを甘く甘く落とす。
「さて……ルビーナが目を覚ます頃ですね。一緒にお茶でも淹れましょうか」
彼が開いた応接室の扉の向こうには、何も知らない愛しい婚約者が待つ、温かく陽の差し込む廊下が続いている。
過去のしがらみをすべて完璧に切り捨てたヴィンセントは、美しい微笑みを浮かべ、彼女の元へと歩き出した――。




