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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

世継ぎを望めない私は王子の未来を奪い続けます

作者: せいかな

「これだけ深い傷ですと……子は望めないかもしれません……」


 気まずそうにべルティーナから目を逸らしながら言う医師の言葉に両親たちが息を呑む。


 重たい空気が流れる部屋の中とは違い、窓の外は晴天でちらちらと木々に積もった雪が花びらのように軽やかに舞っていた。

 空気の澄んだ冬の日の出来事。


 公爵令嬢のべルティーナは第二王子の婚約者だ。

 子が望めないとなるとどうなるか。それは簡単な問題だった。


 寝台の上で身を起こした状態で医師の話を聞いていたべルティーナは掛けていたリネンをきつく握りしめ俯く。

 するとすぐに父がべルティーナの手を取り包み込んだ。


「大丈夫だ……べルティーナ……! お前の勇気ある行動を無下にしないから……安心しなさい」


 じわっと瞳に涙が溜まる感じがした。父の後ろでは母がおいおいと泣いている。


 べルティーナは暗殺者に狙われた王太子を庇って腹部を刺された。三日眠り続けたが、幸い命は助かった。


 貴族令嬢として生まれたからには名家に嫁いで、子を産むことが使命だった。第二王子の婚約者であるべルティーナは王家に嫁いで第二王子の子を。

 だが、それができないべルティーナはすでに世継ぎのある家に後妻として嫁ぐしかない。

 父はできるだけべルティーナの良いように事を進めてくれるだろう。べルティーナは不安を押し隠して「ありがとうございます」と父に微笑む。


 その夜、べルティーナは声を殺して枕を濡らした。


 翌日、第二王子のエドアルドが見舞いに来てくれた。

 エドアルドが事の顛末を説明する。


 王太子を狙った暗殺者は咄嗟に出てきたべルティーナを刺し、暗殺に失敗したと知るとすぐに奥歯に仕込んだ毒を飲んで自死をした。拷問されないようにプロの暗殺者がよくやる手口だ。

 暗殺者は死んでしまったが、王家は何とか雇い主を割り出した。


 第二王子を王太子へと担ぎ上げたい第二王子派の貴族の仕業だった。


「俺のせいだ……すまない……」

「……」


 エドアルドが美しい顔を悔しそうにくしゃりと歪ませ、べルティーナはまた寝台の上でリネンをギュッと握りしめた。

 それは第二王子を担ぎ上げて権力を手にしたい一部の貴族の企みで、エドアルドが王位など狙っていないことなどべルティーナは良く知っている。


「こうならないように、気を付けて振舞ってきたのに……本当に……」


 もう一度エドアルドはべルティーナに謝罪した。


 笑顔を。

 笑顔を作って言わなければ。


 べルティーナはエドアルドに伝える台詞を練習していた。

 自分が取った行動でこうなっているのだ。後悔するくらいなら何もせず一部始終を見届ければよかった。だが、咄嗟に身体が動いてしまった。


「エドアルド様、私……子どもを望めないかもしれないのです……」


 エドアルドの肩がビクッと揺れた。


「……知っている。昨夜陛下から聞かされた」


 どうやら父がすでに王家には伝えてくれていたらしい。であればきっと彼もこの後どうなるかわかっているだろう。

 言いたくないが、言わなければ。

 好きになんてならなければ、これほどつらくなかったのに。


「婚約……解消しましょう……」


 涙を堪えることはできたが、声は震えてしまった。

 妊娠できない可能性が高いべルティーナは彼の隣に立つ資格はない。

 きっと誰か別の女性が彼の隣に立つのだ。そう考えると胸が抉られるようにひどく痛む。



     ◇



 べルティーナは始め、王太子妃候補として名が挙がっていた。

 皆が憧れる優秀な王太子ヴァレリオ。精悍な顔つきで文武両道、品行方正、完璧な王太子として名高い。

 べルティーナもこんな素敵な人の隣に立つことができるのか、と淑女教育に励んだ。

 だが、ヴァレリオはべルティーナより三歳年上で、年齢的なつり合いと政略的な意味合いから、彼と同い年の侯爵令嬢、アウローラがヴァレリオと婚約した。

 べルティーナはアウローラとも交流があり、彼女が淑女として完璧な女性であると知っていた。べルティーナはアウローラのことを姉のように慕っており、彼女が王太子妃に選ばれるのも当然の結果であると納得していた。


 そしてべルティーナは同い年の第二王子エドアルドと婚約した。


「兄上じゃなくて悪かったな」


 彼はべルティーナがいつもヴァレリオを見ていたことを知っているのだろうか。でもそれはただの憧れの眼差し。

 エドアルドの美麗な顔が拗ねたようにむくれている。少し可愛いと思ってしまった。


「それに俺は王太子になろうなんて野心はないから、俺のことを担ぎ上げようったって無駄だからな」


 乱暴な口調で言われてべルティーナは微笑んだ。


「良かったです。私も国母になるには少し度量が足りなかったので……」


 第二王子であるエドアルドは側妃の子で、正妃の子であるヴァレリオよりも何もかもが少しずつ劣る。

 母親の実家の家格も、学力も、剣の腕も。


「俺が兄上よりも良いのは顔くらいだ」


 自信満々に言ってのけ、べルティーナは笑った。実際彼はヴァレリオよりも美麗な顔をしており、どこにいても一枚の絵画のように美しい。

 ただ、口調も所作もいつもやや乱暴なので台無しだ。



 べルティーナはエドアルドと同い年で、共に王立の貴族学園に通い勉学に励んだ。そして気づく。

 エドアルドはヴァレリオよりも劣っているわけではない。そう見えるように振る舞っているだけだった。


 陛下に呼び出されてエドアルドと一緒に謁見した際、エドアルドは完璧な所作に丁寧な言葉遣いで陛下と話をしていた。

 普段からそのようにしているかのような、完璧な王子様らしい自然な振る舞いだった。

 勉学だって、べルティーナにわからない問題があって困っているとエドアルドはわかりやすく教えてくれる。剣技の授業も怪我をしない程度に力を抜いているのだろう。


「完璧な弟王子がいるよりも、完璧な王太子がいる方が国は安定するだろう? 弟は少しできないくらいが一番かわいがられるんだよ」


 国を平穏に保つため、第二王子を王太子にと担ぎ上げる者が出てこないように、彼は自分の役割をきっちりこなしていた。

 ただ粗暴で、王太子よりも劣るだけの王子なら、こんなに心惹かれることはなかっただろう。

 国を大切に想う彼が好きだったから、あのとき咄嗟に身体が動いてしまったのだ。



     ◇



 べルティーナから婚約解消を告げられたエドアルドの答えは……。


「婚約解消はしない」

「え?」

「悪いが、ベルがどれだけ嫌がっても婚約解消なんてしてやれない」

「でも……」


 まさかの答えにべルティーナは動揺した。


「陛下から婚約解消するよう指示があれば従うが、今のところそういう話にはなっていない」

「そう……ですか……」


 べルティーナはそれでいいのかと心配したが、そのうち父から身の振り方について指示があるだろうと、エドアルドに問うのを止めた。


 べルティーナが怪我で学園を休んでいる間に、王太子であるヴァレリオも見舞いに来た。彼もまたエドアルドと同じように「私のせいで申し訳ない」とべルティーナに謝罪する。第二王子派を謳い、王太子を亡きものとしようとした貴族たちは粛清されたと報告を受ける。

 実際の第二王子であるエドアルドの意志とは関係のないものであることは証明されているようで、彼がどうこうなることはないと聞き安心した。

 そしてべルティーナには王太子の命を守った勇気ある行動を称えて王家から褒賞として章飾が贈られた。それをなんともいえない表情で眺める。


 それからひと月半が経ち、べルティーナは明日復学するのだが、結局エドアルドとは婚約解消をしていない。父も今まで通りで大丈夫というが、本当に大丈夫なのだろうか。ざわつく胸を手で押さえる。



     ◇



 学園生活は今までと変わらないものだった。

 べルティーナが王太子を庇って怪我を負い、褒賞を与えられたことは周知の事実で、べルティーナの身体を心配する声も多く上がった。それは本当にべルティーナの身体を気遣う言葉で、嫌みな声掛けは一部を除きほとんどなかった。一部を除き。


「べルティーナ様が休学されている間に編入してきた男爵令嬢ってご存じですか?」


 べルティーナの身体を心配してくれた友人の一人に聞かれた。


「ええ。たしか、最近男爵家に引き取られて……私たちの二学年下の……名前はマリエッタ嬢と……」

「そう、そのマリエッタ嬢。高位の貴族令息に馴れ馴れしく話しかける様子が目立っていて……!」


 どうやら男爵令嬢のマリエッタは第二王子であるエドアルドにもちょっかいをかけているということらしい。


「王子殿下はいつも毅然とした態度であしらっているので、問題ないとは思いますが……」


 そう言って、べルティーナが休学していたときの出来事を教えてくれた。




「ベルティーナ様! エドアルド様のことを解放してあげてください!」


 件の男爵令嬢マリエッタに呼び出されて何事かと思ったら、第一声がこれだ。

 べルティーナはマリエッタに気づかれないようこっそりと息を吐く。


「エドアルド様が私から解放されたいとおっしゃったのでしょうか?」

「い、いいえ……そういうわけじゃありませんけど……」


 嘘を吐くつもりはないようで、べルティーナはホッとした。嘘であるとわかっていたとしてもエドアルドがそんなことを口にしたと聞かされたらきっと動揺してしまうから。


「ではなぜマリエッタ嬢はそのようなことを?」

「だ、だって……」


 チラチラと彼女がべルティーナの腹のあたりを見る。怪我による後遺症のことを言いたいのだろうが、そこは口にするのを止めたようだ。


「このような身体で王家に嫁ぐことが気になっているのですね」

「ええ……まあ……」


 それはべルティーナ自身も気にしていることだが、王子の婚約者として毅然と対応する必要がある。


「エドアルド様と私の婚約は王家の意向もあって結ばれたものです。もしそれに意を唱えたいのであれば、王家に思うところがあると捉えますが……」


 べルティーナがそう言えばマリエッタは「そんなつもりで言ったわけじゃないのにひどい!」と言って水色の瞳に涙を溜める。

 ピンクゴールドのふわふわとした髪の毛に、水色の大きな瞳。小柄でぷるぷると震える様子は庇護欲をそそる。


「なんだか私は悪役令嬢みたいね……」


 流行の小説でピンク髪の男爵令嬢をいじめる金髪の公爵令嬢が出てくる。べルティーナも見事な金髪でこの場面だけを切り取られたら、まさに悪役令嬢のようで、べルティーナはぽそりと呟いた。


「まあ、私がいくら彼を解放したいと思っていても、私からどうこうなんてできませんから、別の権力者に当たってください」


 マリエッタは目に涙を溜めていた割に、それを溢すことはなかった。ただ悔しそうに唇を噛みしめているようだった。

 感じている疑問を口にする度胸があるのはいいことだ。べルティーナも彼女を見習うべきかと考えた。



「エドアルド様?」

「なに?」

「なぜ、私たちは婚約解消をしないのでしょうか?」


 王宮の庭でお茶をしているときに単刀直入に聞いてみた。


「俺がベルを解放してやれないからだ」


 マリエッタにはべルティーナがエドアルドを解放しろと言われた。誰が誰を解放しないのかよくわからなくなってしまう。


「私たちの婚約は政略的なものでしたよね?」


 貴族間の力の均衡を保つために婚約した。


「ああそうだ。だから陛下は婚約を継続するようにと言った」

「でも……」


 べルティーナは子どもができない身体かもしれないのに……。そう言おうとしたが、女としての機能を失ったかもしれないと思うと辛くて口に出来なかった。

 それからもマリエッタは色んな男子生徒にちょっかいをかけているようで、最近では高位貴族の令息たちを侍らせて、女子生徒たちからひそひそと言われていた。


「エドアルド様ー!」


 彼女は堂々とエドアルドにも声を掛けており、べルティーナは眉を顰める。

 エドアルドも不快そうに「気安く名前を呼ばないでくれ」とあしらっているのでホッとした。



     ◇



 放課後。べルティーナは王宮で王子妃教育があり、エドアルドと一緒の馬車で王宮へ向かう。

 いつもべルティーナよりも先に待っているエドアルドがまだ来ていない。約束の時間を過ぎても来ないので、べルティーナは付近を見回しエドアルドを探す。



「べルティーナ様と婚約解消しないのですか?」


 聞こえてきた声にぎくりとした。

 咄嗟に校舎の影に身を隠す。


「しないよ」


 聞こえる会話はマリエッタとエドアルドのもの。どうやらエドアルドはマリエッタに捕まり遅くなっていたらしい。


「でもっ……べルティーナ様は怪我をして……お腹を切られて赤ちゃんの出来ない身体になってしまったのでしょう?」


 会話の内容にべルティーナの脈が速くなる。ドクドクとうるさく心臓が鳴っていた。


「だからなに?」


 エドアルドの返事は素っ気ない。


「そんな身体で王子妃だなんて……! 未来がないじゃないですか!」


 はっきりと言われて心が凍り付く感じがした。


 ――ああ、私には未来がないんだ。


「それじゃあ、エドアルド様は幸せになれない!」


 ――私ではエドアルド様と幸せになれないのね。


 だれもハッキリと口にしなかったから、厳しい現実から目を逸らしていた。


 全身から血の気が引いていく。

 エドアルドとの婚約を継続すると、べルティーナはエドアルドから幸せを奪い続ける女になるらしい。


 べルティーナが呆然としているとエドアルドの声が聞こえた。


「子ができない。未来がない。だから婚約解消をしろと?」

「そ、そうです!」


 本当に彼女は聞きづらいことを。言いづらいことをはっきり言ってくれる。

 若いから? 市井暮らしが長いから? 無神経にずけずけと言いたいことを言う彼女が同じ人間とは思えなかった。


「じゃあ俺は一生未来がないままでいい」

「え?」


 地を這うような低いトーン。

 マリエッタがエドアルドの答えにびっくりしたような声を上げた。べルティーナも黙ったまま驚いた。


「で、でも……エドアルド様は王子様で……」

「気安く名前を呼ばないでくれ」

「お、王子殿下は……国のために……」

「国の未来は兄上が考えてくれる。兄上は優秀だから、俺が何かをする必要はない」


 エドアルドの冷たい声にマリエッタの声が震えていく。


「べルティーナ様と結婚しても……」

「子ができないからなに? それが君になにか関係ある?」


 国の未来を憂いていたようだが、それは先ほど一蹴されていた。


「え……あ……な、ないけど……殿下は、し、しあわせに……」

「子ができないと幸せになれないのか?」


 エドアルドが冷めた目でマリエッタを追及する。


「子ができないべルティーナは一生不幸で未来がないって言いたいのか?」


 直球の言葉がべルティーナの胸に刺さる。

 そんな言葉を言わせたマリエッタの方も動揺しており、マリエッタは「そ、そんなつもりで言ったわけじゃ……」と目を泳がせてしどろもどろになっていた。


「俺は子の産めるべルティーナと結婚したいわけじゃない」


 ――っ……!


 エドアルドの言葉にべルティーナはバクバクと鳴り響く胸を押さえた。

 震えるマリエッタとは反対に、べルティーナの胸に熱いものが込み上げる。


「どんなべルティーナだっていい」


 エドアルドの言葉がべルティーナの心が切なく締めつけられる。


「彼女と一緒にいるためなら、王子なんて身分すらいらないと思ってる」


 真っ直ぐな彼の言葉が心地いい。視界が滲む。

 べルティーナは耐えられず、みっともなく顔を押さえてその場にしゃがみ込んだ。


「で? なんだっけ? 俺の婚約のこと、まだ言う?」


 エドアルドの冷たい声がまだ聞こえている。マリエッタの震えた声も聞こえてくる。


「差し出がましいことを言って申し訳ございませんでした」


 パタパタと彼女の足音がべルティーナの方へと近づく。

 校舎の外壁を背にしゃがみ込むべルティーナを見つけたようで、マリエッタはビクッと身体を揺らすが、気まずそうにべルティーナにペコリと頭を下げて去っていった。


 それから少ししてエドアルドの「ふう」と息を吐く声が聞こえた。


「うおっ……!」


 彼もまたしゃがみ込むべルティーナを見つけて驚いたように声を上げた。


「え? ベル……? い、いつから……?」

「ご、ごめんなさい……聞くつもりはなかったんですが……私の名前が聞こえたから……」

「えっ!? 泣いてる?」


 べルティーナはボロボロと大粒の涙を流していた。


「す、すみません……!」


 ハンカチを取り出し目元を拭うが止まらない。


「たぶん……始めから聞いちゃって……エドアルド様は私と結婚しても、未来も幸せもないって……」


 べルティーナが答えるとエドアルドが「ちっ」と舌打ちをする。


「あの男爵令嬢、勝手に自分の物差しで話しやがって……!」


 エドアルドはイライラしたようにガシガシと頭を掻く。


「べルティーナごめんな。俺はお前を解放してやれない。陛下に言われたんだ」

「え?」

「べルティーナの幸せを願うなら、婚約を解消して幼子のいる家へ後妻として嫁がせる方が良いんじゃないかって」

「それは……」


 べルティーナも医師から子が望めないかもと言われてすぐ、そういった未来を想像した。エドアルドではない、別の子持ちの男性と結婚する未来。

 陛下としては自分の産んだ子を抱けないのであれば、継母という形にはなるが、子を抱ける環境を与えてやるべきではと考えてくれたようだ。


「俺はベル以外と結婚するつもりはない……! でも……他で子どもを作るつもりもないから、お前に子どもを抱かせてやるという未来を与えてやれない」

「……」

「あの男爵令嬢の物差しで言えば、俺はお前から未来を奪い続けるんだ……!」


 エドアルドの言葉に心が揺さぶられる。

 べルティーナはふわりと微笑んだ。


「それってとっても素敵ですね」

「は?」

「私も……エドアルド様といられるなら、未来なんていりません」

「ベル……」


 エドアルドはべルティーナの目元の涙を親指の腹で拭ってから、彼女のことを軽く抱きしめた。



     ◇



「それで……エドアルド様は私から未来を奪い続けるっておっしゃったのです。本当に奪い続けるのは私の方なのに……」

「素敵な話じゃない。私感動しちゃったわ」


 王太子の婚約者アウローラは目を真っ赤にしてべルティーナの話を聞いていた。


「私……子が望めないってどういうことかあんまり理解していなくて。怪我の痛みもなくて、今まで通りで普通ですし。でも……あの男爵令嬢にはっきり言葉にされて、そういうことなんだと、とても衝撃でした」


 べルティーナが悲しげに俯くので、アウローラの胸がキュッと締めつけられる。


「エドアルド様には格好つけて未来なんていらないって言っちゃったけど……やっぱり……」


 べルティーナはまだ吹っ切れていない様子だ。だからアウローラは極めて明るく言う。


「諦める必要はないのでは?」

「え?」

「だって、医師は可能性の話をしただけで、絶対に妊娠できません、とは言っていないのでしょう?」

「え、ええ……」


 アウローラが確認した話では、医師は『子は望めない()()』と言って、『望めない』と断定はしなかった。今の医療では断定できるような検査はないようだ。


 べルティーナはぎこちなく頷く。


「私はこの先王太子妃になって、世継ぎを求められるのだけど、絶対に子を産めるという保証はないわ。可能性では、怪我をしたべルティーナよりも妊娠しやすいのかもしれないけど、絶対に世継ぎを産まなきゃいけないって状況は最悪。場合によってはヴァレリオ様は側妃や愛妾を娶られるかもしれないわ」

「た、たしかに……」

「ヴァレリオ様の隣に立つ権利は誰にも譲るつもりはないけど。そういう状況になるまでは諦めないわ」


 アウローラが強い意志を示すと、べルティーナも何かを決めたかのようにキュッと唇を引き結ぶ。


「たとえ健康に見える女性でも、子どもが出来る、出来ないなんて、誰にも分らないことなの」

「そう、ですよね……! わ、私も……! 子ができない歳になるまでは諦めません!」


 べルティーナの決意を聞いてアウローラは微笑んだ。


「それでいいの。一緒に頑張っていきましょう」

「はい」


 べルティーナはアウローラに取って可愛い妹のような存在だ。彼女の前を向く姿が見られてホッとした。



「アウローラ嬢。べルティーナの様子はどうでした?」

「エドアルド殿下。気になるならお茶会に参加してくださっても良かったのに」


 べルティーナが教育の時間だからと席を立って少しするとエドアルドがやってきた。


「女性だけの茶会に参加するわけにはいかないでしょう」


 エドアルドがムスッとしている。


「ところで殿下はいつからべルティーナのことが好きだったのですか?」


 アウローラが澄まして聞くとエドアルドがゴフッとむせる。


「す、好きって……っ」

「好きでしょう?」

「す、好きだけど……」


 エドアルドが目を泳がせてから答えた。


「そうだな……自覚したのはベルが兄上を庇ったときかな……」

「え、自覚遅……」


 あのときはべルティーナとエドアルド、アウローラと王太子のヴァレリオの二組が偶然同じタイミングで馬車から降り、王宮の門の前で顔を合わせたので、その場で軽い挨拶をし会話をしていた。

 暗殺者は馬車の影に隠れており、気づいたときには暗殺者は騎士よりもヴァレリオの傍にいた。

 アウローラは暗殺者に背を向けており暗殺者の存在に気づかなかった。


「ベルに守られる兄上に嫉妬したんだ……」

「え……」

「ベルは自分の命よりも兄上のことを守ろうとした。彼女はきっとまだ兄上のことが好きなんだ……」

「それって……」


 アウローラから暗殺者の動きは見えていなかったが、べルティーナとエドアルドの動きはよく見えていた。

 一瞬の出来事だったが暗殺者の刃物が見えたとき、アウローラはその一秒がものすごくゆっくりに感じた。だが、足が地面にくっついたように何も動くことができなくて、ただ、その様子を見ていることしかできなかった。

 アウローラができたのは血を流して倒れるべルティーナを見て悲鳴を上げることだけだった。


 あのときの出来事は鮮明に覚えている。

  それでもトラウマになることのなかったアウローラはきっと図太いのだろう。


 あのときベルティーナが咄嗟に動き出したのは、エドアルドがヴァレリオを庇おうと動いたから。


 初めにヴァレリオのことを守ろうと動いたのはエドアルドだった。だが、べルティーナはエドアルドが前に立つのを見て、その場を奪うようにヴァレリオの前に立った。エドアルドの視線は暗殺者に向けられていたので気づかなかったのだろう。


 べルティーナはエドアルドを守るために前に出た。彼女が守りたかったのはヴァレリオではなくエドアルドだ。


 アウローラはそれをエドアルドに伝えようと一瞬声を発してすぐ口を噤む。

 言ったところで、彼はまた「俺のせいだ」と自分を責めてしまいそうだから。きっとべルティーナはエドアルドに罪悪感を与えることなど望んでいない。


 ――彼女への恋心を自覚できただけでも十分かしら……


 二人はお互いを尊重し、想い合っている。彼女の気持ちなど今アウローラが伝えなくても、エドアルドが気づく日が来るだろう。


「エドアルド殿下、彼女はちゃんと前を向いていましたよ」

「そうですか」

「どうせなら、婚約解消の話が出たときに陛下に食って掛かったというお話も聞かせてあげればよかったのに」


 ヴァレリオから聞いた話だが、エドアルドは陛下に婚約解消するよう言われた際、断固拒絶の意を示したらしい。是が非でも引かない様子に陛下は渋々折れたという。

 エドアルドが次男だから認められたことで、彼は「次男で良かったと心から思った」と長男であるヴァレリオに何度も「先に産まれてくれてありがとう」と言っていたらしい。


「そんな話を聞かされたら重たいと思うじゃないですか」


 エドアルドはそう言ったが、彼女の未来を奪うと宣言した時点で十分重たいのでは、とアウローラは思った。



     ◇



「無神経に失礼なことを言い、申し訳ございませんでした」


 マリエッタがべルティーナに深々と頭を下げる。

 放課後、エドアルドとの待ち合わせ場所へ行こうとしたら謝罪がしたいと言う彼女に捕まったのだ。


「マリエッタ嬢はエドアルド様のことが好きなのでしょうか?」


 べルティーナは気になることを聞いてみた。


「いえ……そういうわけじゃ……」

「では……ルペイド公爵令息やゾンターク伯爵令息?」

「別に……」


 べルティーナは首を傾げる。なぜ彼女は高位貴族の令息たちにちょっかいをかけていたのか。


「お父様から名家に嫁げるように頑張るんだぞって言われたんです」


 なるほど。


「お父様の言うことを聞けるいい子にならないと……」


 市井で暮らしていた彼女は母を亡くて男爵家に引き取られた。父親に見放されたらもう後がないから彼女は必死なのだろう。


「マリエッタ嬢、あなた試験では学年上位をキープしているようですね」


 張り出される試験の学年順位はいつも五番以内に入っている。市井暮らしだった彼女はいい成績を残すために相当努力をしているのだろう。彼女はぎこちなく「はい」と返事をした。


「あなたはとっても賢い子なのね。それに素直で、自分の意見をはっきり言える。自分の聞きたいことを聞けるのはとてもいいこと。私もあなたのことを見習おうと思ったの」

「……」

「名家に嫁ぐには……淑女であることが大切だと家庭教師(ガヴァネス)からしつこく学んだわ」


 べルティーナが教えてやると俯いていたマリエッタは前を向く。


「淑女……」


 淑女は自分から男性に媚びを売ったりなどはしない。素直な彼女にはきっとべルティーナの想いは届くだろう。


「いつか……あなたが名家に嫁いで夫人になった際には、一緒にお茶会でもできると良いですね」


 公爵令嬢と男爵令嬢では身分差がありすぎて一緒にお茶会をするのは無理だろうが、彼女が高位貴族に嫁げばそういう未来もあるかもしれない。

 彼女のことは嫌いになれなかった。素直に謝罪ができるところなどは好感がもてる。

 べルティーナは最後に彼女に微笑みを向けてから踵を返す。

 エドアルドが待っている。そう思って足を踏み出した時「べルティーナ様っ!」と大きな声を張り上げてマリエッタがべルティーナを呼び、べルティーナは振り返る。


「べルティーナ様はエドアルド王子殿下のことが好きなのでしょうか?」


 少し距離が出来たからかやや大きめの声で問われた。だからべルティーナも少し声を張り上げた。


「好きです! 彼の未来を奪い続けたいくらい!」


 そう返事をするとマリエッタは再びべルティーナに深々と頭を下げた。

 そしてべルティーナは歩き出す。


 急いで校舎の角を曲がると、校舎を背に立っているエドアルドがいた。マリエッタと会話をしていた場所はすぐそこだ。


「えっ!? エドアルド様……!?」


 彼は顔を真っ赤にさせて口元を両手で押さえていた。


「まさか……聞いて……」

「ご、ごめん……たった今来たところだから、全部聞いていたわけじゃないんだが……」


 以前にあった状況と反対の状況になってしまったようだ。

 全部聞いていたわけではなくても、この様子では最後の部分はばっちり聞かれている。

 これはもう開き直るしかない。


「エドアルド様」


 はっきりと宣言しようと真っ直ぐにエドアルドを見つめた。

 だが彼は「待って」とべルティーナを制止する。


「俺から言わせてくれ」

「え?」


 彼は跪いてべルティーナの片手を取る。


「好きだ。べルティーナ」

「っ……!」

「ベルの未来は俺が全部奪うんだ。代わりに与えてやれるものなんて、俺の愛くらいしかない。それでも俺と一緒にいて欲しい。べルティーナ、俺と結婚してくれ」


 べルティーナは一筋の涙を零して「はい」と返事をし、エドアルドは彼女の手の甲に口づけを落とした。


 穏やかな日差しが二人を包む春の日の出来事。

 心地良いそよ風がべルティーナの髪を靡いた。学園の卒業式はもうすぐだ。


拙い文章でしたがお読みいただきありがとうございました。


ハピエンのタグは付けておりませんが、空から見ている神様は、二人の未来にハッピーエンドを届けてくれると作者は信じています。


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