全人類を敵に回してもこの存在を守り抜こう
その日斎京燃殲夜は本来では絶対訪れない低難易度の渋谷ダンジョンへと足を運んでいた。何か目的がある訳ではない。ただここに来なければ後悔すると直感スキルが囁くのだ。冒険者として何度もこの直感スキルに命を救われている。その為直感を無視するという考えは燃殲夜にはなかった。
:お、配信始まった!
:今日は新宿ダンジョンの最下層攻略の続きかな?
:燃殲夜様今日も綺麗!
ダンジョンに入る際に義務的に始めた配信によりコメントが流れ始めるが、燃殲夜は一瞥もしない。
燃殲夜は日本でただ一人のS級冒険者であり、日本に限れば最強の冒険者だ。だが配信者として最高かと言えばそうでは無かった。というのも配信は本人の意向で行っているものでは無く、研究者達からの要望で記録目的で行っているだけなのだ。なので配信とは言っても燃殲夜は視聴者に向けて喋ることは無い。
無口無表情で淡々とモンスターを薙ぎ払っていく、それだけの配信なのだが次元の違うレベルの強さにより一つのコンテンツとして成り立っている。また燃殲夜が22歳と若くて美人というのも大きいかもしれない。チャンネル登録者は500万人で普段の同接は数万をキープしている。今も始めたばかりだというのにもう1万人の同接があった。
:あれ、ここ新宿ダンジョンじゃないよな?
:渋谷ダンジョンじゃね?
:渋谷ダンジョンなわけねぇだろwww なんで燃殲夜様が今更渋谷ダンジョンなんかに潜るんだよwww
:若いころよく通ったから分かる。ここ絶対渋谷ダンジョンだぞ
燃殲夜は早歩きでダンジョンを進んでいく。本来であればゴブリン達が行く手を遮るのだが、燃殲夜の圧倒的なオーラに恐れをなして彼女の視界に入らない様に隠れる始末。有象無象に興味が無い燃殲夜にとっても都合が良かった。もっとも彼女に興味がある物など存在しないが。
生まれた頃から彼女は感情の振れ幅が狭く、両親ですら笑った姿を見たことが無かった。だが永遠の2番手と揶揄され一度もナンバー1になれなかったコンプレックスから父は娘を最強の冒険者に育て上げようとしていた為、自分の意思が無く従順な娘の姿を見てこれ幸いと幼いころから厳しい訓練を課した。だが燃殲夜はいくら身体がボロボロになっても泣き言一つ言わず言われた通りの訓練をこなした。課した本人の父親が引くほどに。
冒険者になってからもそうだ。父がナンバー1になれと命じたから日本で唯一のS級冒険者になった。そこに達成感等微塵も無かった。ロボットのように命じられたことを行う、そこに彼女の意思も感情も無い。それが斎京燃殲夜だった。
だからこそ直感スキルが囁くからと言って命令もされてない渋谷ダンジョンに潜るのは明らかに異常な事だった。それだけでもおかしいのに、何故か逸る気持ちを抑えきれず彼女は全力でダンジョンを駆け出した。そうしなければいけない予感がしたのだ。その結果本来間に合わないはずの場面に間に合った。
:ドラゴン!? なんで渋谷ダンジョンに!?
:おい、誰か死にかけてるぞ!
:燃殲夜様なら負けないだろうけど、流石に負傷者を守りながらは厳しいんじゃ……
ドラゴンに襲われ今にも死にかけている少年。その姿を見た瞬間、燃殲夜の心臓は大きく跳ねた。初めて彼女の中で感情が生まれた。愛おしいという想い。生まれたばかりの気持ち、それが何か燃殲夜にははっきりと分かっていた。そう、これは――【姉性】!
瞬時に燃殲夜の脳裏に数多の記憶が過る。それは例えば二人で仲良くピクニックに行った光景、例えば作ってあげたカレーを美味しそうに食べる弟の光景、例えばおばけを怖がって1人で寝れない弟の為に添い寝してあげる光景、例えば例えば例えば例えば例えば例えば――例えば【お姉ちゃん大好き!】と笑顔で告げてくる光景。
だがそんな幸せな記憶とは裏腹に、目の前にある光景は腹から血を流して今にも死にそうな弟だった。だから燃殲夜は怒りを爆発させた。
「私の弟に何をしたぁあああああああ!!!」
燃殲夜は弟からドラゴンを遠ざける為に拳でぶん殴って吹き飛ばす。ついでにこれ以上弟を傷つけることが出来ない様に吹き飛ぶドラゴンに追いつき頭をもぎ取り、弟の元に戻る。常人には知覚できぬ速度の行為だった為、視聴者にはいつの間にか燃殲夜の手にドラゴンの頭があるようにしか見えなかった。
:え?
:は?
:え、ドラゴンどこに消えた!?
:燃殲夜さんの手になんかドラゴンの頭があるんだが……
:え? 弟? 燃殲夜様弟いたの?
:俺最古参だけど燃殲夜様が叫んでるの初めて見た
燃殲夜も迅も一人っ子であり、両親同士に面識は無く実は腹違いの姉弟なんて事も無い。そんな事を視聴者が知る筈もなく、瀕死の弟を襲っていたドラゴンにキレたように見えただろう。後にこの時が燃殲夜と迅の初対面と知り宇宙ネコ顔になるのはまた別の話。
焦る気持ちを抑えながら、燃殲夜は惜しむことなく最高級のポーションを迅の腹部にかけた。そして傷が完全に塞がったのを見届けてやっと息を吐く。
何をしても灰色だった燃殲夜の世界は少年――否、弟に出会ったことで色付いた。そしてそんな何よりも大事な存在を危うく失う所だったことに気づき、燃殲夜は決意した。
「貴方が無事でよかった。これからはお姉ちゃんがこの世の全てから守ってあげるからね」
姉として――全人類を敵に回してもこの存在を守り抜こうと。