第8話 人間と魔族
魔気のあとをたどっていったら、街を出た先の森に入っていた。
しばらく進むと、森の奥に大きな屋敷が見えた。石でできた古い建物で、まわりを高い塀と重たい門が囲んでる。
敷地の中には、武装した男たちが何人もいた。門の前、建物の出入り口、塀の上の見張り台――それぞれの場所に男たちが立ってて、周囲を見張ってる。
俺はそのまま屋敷の前まで出た。マオは少し後ろを歩いてきてる。
門の前にいた男が、目を細めてこっちに一歩出た。歓迎されていないのがよくわかる。
俺は笑顔をつくって声をかけた。
「黒くて小さい猫を探してるんだけど、この辺で見ませんでした?」
男はちらっと俺とマオを見て、無表情のまま答える。
「知らん。消えろ」
後ろの仲間たちも手を武器にかけはじめてる。もう話す気はなさそうだ。
俺は屋敷の扉の方をチラリと見た。空気の流れの中に、魔気が混ざっているのを感じる。
――ここだな。
いったんその場を離れ、ぐるっと回って屋敷の裏側へまわる。
警備の様子と建物のつくりをすばやく見て、死角になる場所を探す。
「こんな面倒なことせずに、正面から乗りこんで一人残らず潰せばよかろう」
「アドバイスはありがたいけど、その作戦は今回は却下です」
……あそこから行けるな。
警備の隙をついて、マオと一緒に裏側の小さな窓に近づく。木の陰にかくれていて、見張りの目も届かない。
鍵穴に手をかざして、音もなく鍵を開けた。
「こっちだ」
これまでやる気を見せなかったマオが、なぜか先に屋敷の中へ入り、先導を始めた。俺はそのあとについていく。
「ここだ」
マオが案内した部屋に入る。
ワイン棚と古びた樽が並び、ぶどう酒のにおいがむせるほど漂っていた。
……ワインの貯蔵庫だった。
「おい」
マオは俺のツッコミを無視して、棚の間を歩きながらラベルを眺めている。指先でほこりをはらいながら、まるで品定めでもするみたいに物色をはじめた。
「……なにが『こっちだ』だよ」
マオはワインを手に取ったまま、すずしい顔で言い返す。
「間違ってはおらぬ。魔気は、あの扉の奥から流れてきておる」
マオがあごで示した先。貯蔵庫の奥――樽のかげに、ひとつだけ分厚い扉があった。鉄板で補強されてて、鍵も二重になっている。ほかのどの出入り口よりも、あきらかに異様な雰囲気だった。
まるで、その向こうに何かを封じ込めているみたいな、そんな感じがした。
俺はその扉に手をかざした。ゆっくりと、手のひらから魔力を流しこむ。光の粒がかぎの隙間をなぞるように入りこんでいき――
カチッ。
重たい音を立てて、錠がひとつ外れた。もうひとつの錠も同じように開く。
扉を開くと、隙間から冷たい空気がすうっと漏れ出してきた。
奥へと続く階段をマオと一緒に下りながら、耳をすませると――
……声が聞こえた。
うめくような声。すすり泣くような声。ひどく小さく、かすれた声たちが、闇の奥からかすかに流れてくる。
階段を降り切ると、そこには牢屋が並んでいた。
ずらっと並んだ鉄格子。中には、魔物たちが閉じこめられていた。
魔物たちは、毛並みのきれいな獣や、翼のある飛行種、小さな角をもつ子供の魔族――どれも弱りきって、檻の隅にうずくまっていた。
「た、助けて……」
「もういや……来ないで……」
鉄格子のあいだから、ふるえる手が伸びてくる。なかには、こちらを見ずに顔を隠したまま、動かない子もいた。
俺はしばらく無言で、それを見つめていた。
「……魔物専門の、奴隷商人のアジトか」
マオがぼそりとつぶやいた。その声はいつも以上に冷たい気がした。
俺はゆっくりと片手を上げる。
手のひらに、淡い光が集まっていく。
「ヒール」
あたたかい光が、檻の中に流れこむ。ボロボロだった魔物たちの体に、その光がそっと触れていく。
傷がゆっくりとふさがり、薄れていく。浅い呼吸が落ち着き、震えていた体が静かに力を取りもどしていく。
俺は魔物たちに笑顔を見せた。
「すぐに出してやるから。あと少しだけ、ここで待っててくれ」
そう言って、俺は背を向けた。下ってきた階段を今度は上っていく。
マオはそれを見送りながら、ぽつりと心の中で思った。
――相変わらず感情を隠すのが下手な男だな。
そのときだった。
背後の牢から、細い声がした。
「……お願い、助けて……」
その声に振り返らず、マオは低く静かに言った。
「おとなしくしておれ。あの男が言ったとおり、すぐに出られる」
それだけ告げて、マオも階段を登っていく。
* * *
俺はワイン貯蔵庫に戻ると、そのまま廊下へと出て、その真ん中で立ち止まった。
そして、両手を開いて、思いきり叩き合わせた。
パァン!!
銃声のような乾いた音が屋敷中に響く。
音の反響を利用して周囲の物体の位置や形状を読み取る《エコー・ロケーション》を発動した。
廊下の奥、階段の裏、壁の影――潜んでいる気配が次々に浮かび上がった。
「……猫を探すため、というより……呼び寄せるのが目的か」
マオが俺の背を見つめながら、小さくつぶやいた。
やがて、廊下の奥から大勢の足音が近づいてくる。男たちが次々に姿を現した。
剣を抜いた武装者たちが、俺たちを囲み始める。
「テメェどっから入った!」「生きて帰れると思うなよ!」
怒鳴り声が飛び交う中、マオはくるりと背を向け、ワイン貯蔵庫へ戻っていった。
「おい、女! 逃げるな!」
ひとりの警備が叫ぶが、マオは無視して扉を閉めた。
俺は一歩前に出る。
「動くんじゃねえ!」
「……ここが奴隷商人の屋敷だって知らなかったやつは……今すぐ消えろ」
場の空気が一気に張りつめる。
「知ってたやつは……病院のベッドの上でこれまでの人生を悔い改めろ」
一瞬、沈黙が落ちた。
「殺せっ!!」
怒号と同時に、男たちが一斉に襲いかかってきた。
――数十秒後。
マオが再び廊下に戻ってきた。
「猫は奥の部屋だ。行こうぜ」
俺はそう言うと、周りに倒れている男たちをまたぐようにして、先に進んだ。
* * *
目的の部屋の扉は、他の部屋の扉よりも大きく、派手な装飾がされていた。
俺はためらいなくそれを押し開ける。
中には豪華な赤い絨毯、わけのわからない絵画、そして――
ソファにふんぞり返る、でっぷり太った男がいた。その横には、巨大な体格の無表情な男。
「なんだお前ら。誰に許可もらってここに入った?」
太った男の問いかけを無視して、俺は一歩前へ出た。
「お前が、この屋敷の主か?」
太った男は少しも動揺をみせずに、薄ら笑いを浮かべた。
「この家に来て私の名も知らんとはな。私はザルバン、その筋じゃ有名なコレクターだ」
マオは一瞥もくれず、部屋の中を見まわす。そして、ソファ前の小さな檻に目を留めた。
中にいたのは、黒くて小さな猫。
その額には、桃の形のような紋章があった。
「……やはり、探していた猫は魔獣だったか」
マオがつぶやいた。
ザルバンは鼻で笑った。
「それにしても……使えん連中だったな、警備の奴らは。あんな雑魚どもに給金を払ってたのが馬鹿らしい」
その隣で、大男が低い声で答えた。
「所詮、あいつらはただの案山子ですよ。脅しにはなっても戦力にはなりません」
ザルバンは「うんうん」とうなずきながら、今度はマオを上から下まで舐めるように見た。
「でもまあ、女の方は当たりだったな。気の強そうな顔がいい」
気色悪い笑みを浮かべて口元を歪める。
……マオは無表情のまま、ぴくりとも反応しない。
ザルバンは指をパチンと鳴らして、大男に命令した。
「男は殺せ。女は傷つけるな。あとで遊ばせてもらう。ジャイロ、やれ」
ジャイロと呼ばれた大男が無言で前に出た。分厚い床板がギシッ、と軋む。
ジャイロは俺の目の前に立ちふさがるようにそびえ立った。
「……地下にいた魔物たちも、お前が捕まえたのか?」
俺はジャイロの見上げて訊いた。
「そうだ。全部俺が狩った」
ジャイロは不敵に笑いながら、ゆっくりと両手を広げてくる。
「最近は、ザコばっかでつまらなかったんだ。だからお前にはちょっと期待してるぜ」
そのまま、ジャイロのでかい手が俺を包み込むように迫ってきた。
「……そうか」
俺は真っすぐ、その両手をがっちりと掴み返して、手四つの体勢になった。
その瞬間、ジャイロはニヤリと笑った。
「自信ありすぎるってのは、怖いよなぁ」
ジャイロの筋肉がうなり、俺の手を握り潰そうとする。
ザルバンの声が後ろで響いた。「いいぞ、潰せ!」
……数秒。さらに数秒。
ジャイロの額に汗がにじみ、顔色が変わってきた。
「もういいか?」
その一言で、すべてを悟ったようにジャイロの目が見開かれる。
ジャイロの目は恐怖に染まっていた。
「ま、待て、ちょっ――」
その言葉が終わるよりも早く、俺は一気に握りしめた。
バキィッ!!!
俺の両手の中で、ジャイロの骨が砕ける音が響いた。
「うああああああああああッ!!!」
悲鳴を上げて、ジャイロが崩れ落ちる。でかい体が床にのたうち、両腕を抱えて呻いていた。
「これで廃業だ。転職しろ」
……部屋の空気が凍りついた。
そして、ザルバンの顔が見る見るうちに青くなった。
ソファからずり落ちるようにして、俺にすがってきた。
「だ……誰に雇われた!? ワシは十倍出す! 奴隷もやる! どれでも好きなやつを連れていけ! だから、命だけは――頼むッ!」
その姿を、マオが冷ややかに見下ろしていた。そして、呆れたようにぽつりと呟く。
「……火に油だな」
「命乞いなら地下にいる魔物たちにしろ」
俺はこぶしを握り締めた。
ザルバンの悲鳴が、屋敷じゅうに響き渡った。
* * *
夕暮れの森を背に、俺とマオは魔物たちを見送っていた。
さっきまで地下に囚われていた、いろんなタイプの魔物たちが、俺たちの前にずらりと並んでいる。
「……ぁぅ……」
魔物たちは俺たちに何かを伝えようとしてる。でも、俺にはその意味はわからない。
それでも俺は笑って、言葉を返した。
「次に会うときは、もっと楽しい出会いにしよう」
俺の言葉も、魔物たちはわからないだろう。けど、気持ちは伝わった気がした。
魔物たちはそれぞれ、森へ、空へ、大地へと帰っていった。
……ただ、一匹だけ、動かないやつがいた。
モモだ。
黒くて小さな、額に桃の形の紋様がある猫が、マオの肩の上にちょこんと乗ってる。
「……その猫、魔獣だったんだな」
俺がそう言うと、マオはちらりとモモを見て答えた。
「ああ。かなり珍しい種だ。我も書物でしか見たことがない」
「マオにくっついてるのは……やっぱり、マオが元魔王だからか?」
その瞬間、モモがぴくりと耳を立てた。
そして、くるっと俺を見て――
「フシャーッ!!」
ちっちゃな体で全力威嚇してきた。
「……俺が嫌われてるのは、俺が元勇者だからかな?」
そう言って俺は苦笑した。
モモはふんっと鼻を鳴らして、マオの肩の上で落ち着いていた。
* * *
王都に戻り、俺とマオはまた孤児院の裏手にきていた。
「モモぉ……!」
ユウの細い腕の中で、モモが少し苦しそうに抱きしめられている。
モモも小さく「にゃあ」と鳴く。
安心したような、甘えるような声だった。
ユウはその場にしゃがみこむようにして、モモをぎゅっと抱きしめた。
顔をうずめながら、肩を震わせて泣いている。
「よかった……よかったよぉ……」
その声はしゃくり上げていて、胸の奥からあふれていた。
ユウの目には涙が浮かんでいた。
「ありがとう……ケイゴさん、マオさん……ほんとうにありがとう……」
モモに顔をすりつけながら、何度もお礼を言ってくる。
その横で、マオが俺にしか聞こえない声で聞いてきた。
「……魔獣と人の子だが、構わぬのか?」
俺はユウとモモに目を向けたまま、ゆるく笑った。
「問題ないだろ。人間と魔族だからって、仲良くなれない理由はないさ」
マオは、その言葉にちらりと俺を見た。
一瞬だけ、驚いたような顔をして――すぐに視線をそらす。
けれど、そっぽを向いたまま、小さくつぶやいた。
「……確かに、そうだな」
「……それじゃ、そろそろ行こうか」
俺がそう言って背を向けかけた、そのとき。
「ニャッ!」
モモがユウの腕からぴょんと飛び出して、ひょいっとマオの肩へのぼった。
そして、そのまま当然のように丸くなって座り込んだ。
「……モモ?」
ユウが手を伸ばすと、モモは「にゃっ」と短く鳴いた。
その姿を見て、ユウがぱっと顔を明るくする。
「マオさん、モモの飼い主になってあげて!」
マオの肩の上で、モモがまた小さく「にゃ」と鳴く。
「お願いしますっ!」
ユウのお願いに、モモも続けて鳴いた。
マオはこっちを見る。
俺は肩をすくめて言った。
「……いいんじゃないか」
マオはユウに視線を戻して、それからモモに向かってぼそっと言った。
「……好きにしろ」
その言葉に、ユウが両手を上げて喜びの声を上げた。
「やったーっ!!」
モモも「ニャアッ!」と嬉しそうに鳴いた。
マオの肩の上で、小さなしっぽが一度、ふわりと揺れた。
読んでくださってありがとうございます!
第8話、いかがでしたでしょうか?
この回は、「次に会うときは、もっと楽しい出会いにしよう」というセリフがお気に入りです。
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