第7話 モモとパン
俺は宿の部屋で、手のひらの上にある小さな鱗を見つめていた。
それはレイフォルスが残していった、白銀の鱗だ。光を受けて、淡くきらめいている。それにほのかにいい匂いがする。
「レイフォルスは、これはマオに必要になるって言ったんだろ? それをなんで俺に渡すんだ?」
「知らん。本人に聞け」
窓際の椅子に座って、ワインの入ったグラスをゆっくり揺らしながら、マオが答えた。
朝からいいご身分ですこと。
「それもそうだな」
俺は肩をすくめて、鱗を革の鞄にしまった。カチリと金具が小さく鳴る。
* * *
俺とマオは並んで、街の道を歩いていた。
ギルドへ向かうつもりだったが、途中でふと足が止まった。
建物と建物のあいだの細いすき間に、小さな女の子がいたのだ。しゃがんだり立ち上がったりしながら、何かを探しているようだった。
スカートの裾はほこりで汚れていて、顔には不安がにじんでいる。
「何か探してるのか?」
そう声をかけると、女の子は顔を上げた。目のふちが赤くなっていて、今にも泣き出しそうな顔だった。
「あ、キミは……」
女の子は、ここに来た日に俺たちを宿屋まで案内してくれた女の子だった。
「モモがいなくなっちゃったの……」
「モモってのは……猫とか、犬?」
女の子は胸の前で手を握りしめたまま、小さくうなずいた。
「小さくて、黒くて、おでこに桃のマークがある猫さん。だからモモって呼んでるの」
「なるほどな」
俺は軽く笑って、その場にしゃがみこんだ。
「よし。おじさんが探してやる。こう見えて、探し物にはちょっと自信があるんだ」
「本当に? ありがとう!」
女の子の顔がぱっと明るくなった。
そこへ、冷えた声が背後から落ちてくる。
「次のクエストはどうした。そろそろ宿代も払えなくなるのではないか?」
マオがドレスのすそを揺らして腕を組み、じっとこちらをにらんでいた。
俺は肩をすくめて、振り返らずに返す。
「金がないのは、俺の稼ぎをお前が根こそぎ持ってくからだろ」
「我は働いた分の正当な報酬を受け取っているだけだ」
「今度お前に“ぼったくり”って言葉を教えてやるよ」
軽く言い合ったあと、俺は女の子に向き直った。
「俺はケイゴ。君の名前は?」
「ユウ!」
元気に答える声に、俺は親指で後ろを指す。
「よろしく、ユウちゃん。あっちはマオ。世界でいちばん時給が高くて、猫よりも自由に生きる女だ」
「魔王だ」
「魔王?」
ユウは目をまんまるにして驚く。
すかさず、俺は訂正した。
「違います。マオです。マオさんはあっちで路上吟遊詩人への苦情対応をしててください」
* * *
「モモのおうちに案内するね」
「ああ、よろしく」
ユウがそう言って、俺たちを先導しはじめた。マオと一緒にそのあとをついていく。
たどり着いたのは、壁の塗装がはがれた建物だった。鉄の門が中途半端に開いていて、庭の花壇は手入れされていない。屋根の雨どいも外れかけている。
建物の前には、木製の看板がぶらさがっていた。文字は消えかけているが、ここが孤児院だというのはすぐにわかった。
玄関前では、ひとりの老人と二人の男が話していた。
老人の表情は静かだが、どこか申し訳なさそうな雰囲気がにじんでいる。
対する男たちのうち、ひとりは派手なローブを着た細身の男で、笑みを浮かべているが目は笑っていない。もうひとりは、無言のまま立つ大男。がっしりした体格で、見るからに用心棒といった感じだ。
ユウが俺のズボンをぎゅっと握った。声が少しだけ震えている。
「あの人たち……借金取り……」
そのタイミングで、ちょうど話を終えた三人が動いた。借金取りの二人がこちらへ歩いてくる。
細身の男の視線が、俺たちに向けられた。
「ん……?」
一瞬だけ俺の顔を見てから、男の目がマオに移る。
そして、にやりと口角を上げて、馴れ馴れしく声をかけた。
「お姉さんすごい綺麗だね~。よかったらうちの店で働かない? 特別待遇で迎えるよ?」
マオは反応しなかった。一瞥もくれず、完全に無視。
「つれないねぇ~」
男は肩をすくめて、そのまま後ろの男を引き連れて去っていった。
空気に残っていた緊張が、少しだけ和らいだ。
そのとき、玄関に立っていた老人が目を細めて、ユウを見つめた。
「……ユウか」
その声は落ち着いていて、低くやさしい響きがあった。
「おかえり」
「ただいまっ!」
ユウは満面の笑みを浮かべて、駆け寄った。老人のそばに飛び込み、腕にしがみつく。
老人はうなずくと、ユウの頭を一度だけ、そっと撫でた。
* * *
老人がユウの頭を撫でていると、ユウがくるっとこちらを振り返った。
「この人たち、わたしのお友達。えっと……ケイゴさんと、マオさん!」
声には、どこか自慢げな響きがあった。もうすっかり俺たちを“味方”として認めてくれたらしい。
「この人は、わたしのおじいちゃん」
「院長のトーマスです」
老人――トーマスは、俺たちに穏やかにうなずいた。その目には、長い年月、子どもたちを見守ってきた人だけが持つ温かさがあった。
マオは特に反応を見せず、俺は軽く右手を上げて「どうも」とだけ返した。
「じゃあ、行こう! おじいちゃん、またあとでね!」
ユウはそう言って、玄関の脇の細い道を小走りで進んでいく。
俺もついていこうと一歩踏み出したところで、背後から名前を呼ばれた。
「ケイゴさん」
静かな声だったが、言うことを聞かせる凄みがあった。
振り返ると、トーマスがじっとこちらを見ていた。
「……ひと言、言っておきます」
その声は、氷のように冷たく静かだった。
「うちの子どもに、もし何か不適切なことをしたら……あなたに、この国のすべての辞書に載っている“非人道的行為”を、実践でお見せします」
「……それは絶対にしないので、ご安心を」
俺は真顔で返しながら、片手を上げて見せた。
しばらく無言のまま見つめ合ったあと、トーマスはほんの少しだけ目を細め、小さくうなずいた。
どうやら、これで最低限の信頼は得られたらしい。
俺がマオとユウに追いつくと、マオがちらりとこちらを見た。
「何と言われたんだ?」
「ああ。“子どもに手を出したら地獄を見せる”って」
「……妥当だな」
「まあそうなんだけど」
そのまま、裏手へと進む。
塀のかげに、ひとつの木の箱が置かれていた。中には古びた布が何枚も詰め込まれていて、何かを隠すように上にかぶせてある。
ユウが箱の前でしゃがみ込む。
「……ここにモモがいたの」
声はかすかに震えていて、視線は箱から離れない。
「前に、ここで寒そうにしてたの。それで、おうちを作ってあげたんだ」
ユウはぽつりぽつりと話す。
「本当はね、動物を飼うのはダメって言われてるの。うちにはお金がないから……」
一瞬だけ玄関の方をちらっと見てから、小さく続けた。
「だから、おじいちゃんにはナイショなの」
マオが静かに尋ねる。
「エサはどうしていたんだ?」
「わたしの、ごはん……分けてた。朝のパンとか、ちょっとずつ……」
そのとき、ユウのお腹が、グゥ……と鳴った。
ユウは顔を赤くして、お腹を両手で押さえる。
俺はそっと手を伸ばして、ユウの頭に手を置いた。
「よし。あとは任せろ」
その言葉に、ユウの顔がぱっと明るくなる。
ゆっくりと箱に近づくと――
……微かだが、魔気を感じた。
ユウに余計な不安を与えないため、言葉にはしなかった。
静かに視線をマオへ向けると、マオも同じく視線だけを返してきた。
言葉は交わさずとも、俺たちは同じものを感じ取っていた。
これは、ただの迷子じゃない。
俺はユウに向き直り、しゃがみこんで目線を合わせる。
「ユウ。俺たちが猫を探すから、君はここで待っていてくれ」
ユウの目が揺れる。信じたい気持ちと、不安が入り混じったような表情だった。
「……ほんとう?」
「本当だ。任せろ」
俺は親指を立てて笑ってみせた。
「……ありがとう」
ユウはぎゅっと胸元で手を握りしめて、小さくそう呟いた。
「そうだ……これ……」
そう言って、ユウは半分になったパンを差し出してきた。
「モモがお腹すいてると思うから……」
「……ああ、わかった」
俺はそのパンを受け取ると、何があってもモモを見つけると、心に誓った。
読んでくださってありがとうございます!
第7話、いかがでしたでしょうか。
この回は、「猫よりも自由に生きる女」と「路上吟遊詩人への苦情対応」がお気に入りです。
少しでも楽しんでいただけたなら、高評価&ブックマークしていただけると、とても嬉しいです!
よろしくお願いします!