第2話 秘密の手帳
「……起きろ。いつまで寝ているつもりだ」
誰かの声が、耳の奥に響いた。
まぶたが重かったけど、しぶしぶ目を開けると――
「……マオ?」
マオが、俺を見下ろしていた。
地面に寝転がっていた俺のすぐ上で、スカートがひらひら揺れている。
「……おい、パンツ見えそうだぞ」
「なっ……!」
マオの顔がぱっと赤くなる。
そしてそのまま、怒りのままに足を振り上げ――
「この無礼者がァァァァ!!」
頭を踏みつぶそうとしてきた。
「わっ、ちょ、待てっ!」
俺は寸前でゴロッと転がってかわす。
マオのかかとが、俺のいた地面にぐしゃっとめり込んだ。
……地味に怖い。
「殺す気か!?」
「貴様が悪い!」
マオはぷいっと顔をそらしながら、真っ赤になった頬を押さえていた。
はあ、と小さくため息をついて、俺は立ち上がる。
服についた草を払いながら、まわりを見まわした。
知らない森。空気も空の色も、どこか違う。
「……禁呪は、成功したのかな」
「……そのようだな」
マオが、さっきまでの怒りを引っこめて、ぽつりとつぶやいた。
確かに、見覚えのないこの景色。俺たちは、過去に来たのかもしれない。
「……で」
俺はマオを見て言った。
「なんでついてきたんだよ?」
「ち、違う! 我はただ……」
マオがふいっと目をそらす。
「禁呪の邪魔をしてやろうとしただけだ。我のいない世界で好き勝手されるのも、腹が立つゆえな!」
「なるほどな」
「なにが“なるほど”だ!」
俺はマオのその態度を見て、ふっと笑った。
……なんだかんだで、ちょっと安心したのかもしれない。
マオは、まだ俺のそばにいる。
たとえ過去でも――もう一度やり直すこの旅でも。
こいつが隣にいるなら、きっと、悪くない。
そんなことを考えていると、マオが急に、そわそわし始めた。
上着のポケット、腰のポーチ、スカートの裏側――
いろんなところを触りながら、落ち着きなく動いている。
「どうした?」
「……ない。ない、ない……!」
焦ったように辺りを見回すマオ。
「なにがないんだ?」
「て、手帳だ。我の……だ、大事な……その、アレだ!」
言いながら顔が赤くなっていく。
「俺も探してやるよ」
「い、いやいい! 我が探す! 自分で探すから!」
「あのな、二人で探した方が早いだろ。
このままだと誰かに拾われるかもしれないぞ?」
「……そ、そうだな。うむ、それは困る。だから……」
マオはきゅっと口を引きしめて、言った。
「見つけても、絶対に触るなよ! ぜったいにだぞ!」
「わかったよ。触らないって」
そんな大事なもんなら、なおさら早く見つけないと。
俺は手をすっと前に出し、魔力を通す。
「〈エコーロケーション〉」
両手を、パンッと一度叩いた。
音が空気を伝って、森の中に広がっていく。
その反響が、俺の意識の中でかたちになって帰ってきた。
地面、木々、葉っぱ、岩。
その間に、小さな四角い物体が落ちているのを見つけた。
「……あったぞ。あっちの方だ」
「よし!」
マオの目がぱっと輝いた。けれど――
「……あと、その近くに、人がいるな」
「よくない!」
マオが叫んだかと思ったら、風のように走り出した。
「おい、ちょ、待てよ!」
俺もあわててそのあとを追いかける。
森の奥に向かって、二人の足音が響いていく。
……と、そのときだった。
風を切って走るマオの髪が、ふわっと揺れた。
そして、その黒い髪が――
光を浴びて、すこしずつ、銀色に染まっていくのが見えた。
「……おい、マオ……!」
呼びかけても、マオは振り向かない。全力で駆けている。
けれど、俺の目にははっきり見えていた。
長い髪が、流れるような銀に変わっていくその姿。
「ちょ……待て、動揺しすぎて最終形態になってるぞ、お前!」
まじで何が書いてあったんだ、あの手帳。
これは早く回収しないと、いろんな意味で手遅れになる気がしてきた。
* * *
走りながら、俺は荷物から青い仮面と白いコートを引き出して身に着けた。
これで、俺が誰かはわからない……はず。
俺が考える世界平和を実現するためには、目立つわけにはいかないからな。
やがて森の奥――小さな草地に出た。
そこに、冒険者風のひとりの女がいた。
そして、その手に――手帳。
あれはマオの手帳か? 開いて中を読んでいる。
「やばっ……!」
俺が声を出すより早く、マオが叫んだ。
「貴様ああああああああ!!!」
いつの間にか、俺の横にいたマオが、怒りで全身から魔力をあふれさせる。
「我の……日記を……読むなぁぁぁ!!!」
空気がバチバチに震えた。
「ちょっ! マオ、やめ――え?日記?!」
止めるヒマもなく、マオの魔法が女に向かって放たれた。
ビュッ!
光の刃のような魔法が一直線に飛んでいく。
「くっ!」
女は反射的に体をひねって避けたが、かすって腕を焼いた。
「罠か! 何者だ!?」
低くつぶやきながら、剣を抜き、腰を落とす。
剣を抜いた瞬間に“気配”が変わる
重みのある、無駄のない型。
俺は、その構えに見覚えがあった。
「……まさか、リサ師匠……?」
若いけど、間違いない。未来で俺に剣を教えてくれることになる、この世界の現役の勇者、リサだ。
向かい合っているだけで強烈な覇気を感じる。
若くても師匠は師匠か――
「待てっ!」
俺はコートをはためかせ、青い仮面をつけたまま、二人の間に飛び込んだ。
「やめろ! 俺たちは敵じゃない!」
だが――
「仲間がいたか! まずはその趣味の悪い仮面ごと、お前から叩き斬ってやる!!」
リサの刃が俺に向かって振るわれる。
その剣を俺は、紙一重でかわし――
すれ違いざまに、手刀を首筋へ当てた。
「っ……!」
リサは目を見開いたまま、ゆっくりと崩れ落ちた。
「……悪いな、師匠」
俺はそっと体を支え、やわらかく地面に寝かせた。
そのとき――
「……見たな……」
背中に、ぞくりとした気配が走る。
振り返ると、マオがぶつぶつとつぶやきながら立っていた。
「……見たな……我の……我の日記を……」
「あー、マオさん……? もう怒りをおさめて――」
「見た者には……死を……!」
マオの足元に魔法陣が広がる。
「……おいおい、嘘だろ」
嫌な音が空を引き裂いた。
真上に、巨大な魔法陣。
その中心から、赤黒く光る隕石が――落ちてきた。
「マジかよ!」
足が勝手に動いていた。
俺はすぐにリサの前へと立ち、剣を強く握りしめる。
「っはあああああああ!!」
全身の力を込め、腰をひねり、
剣を――バットのように――振り抜いた。
ドガァァンッ!!!
とてつもない衝撃。
風が爆ぜ、地面がめくれ、耳がキーンと鳴った。
隕石は空を切り裂くように弾き返され、そのまま遠ざかっていく。
「手首いかれるかと思った……」
だが――
「……あ」
そのかけらの一つが、山のほうに飛んでいくのが見えた。
──ボォンッ!
山のてっぺんで、小さな爆発が起きた。
「……誰にも当たってないといいけど……」
剣を地面につき、俺はようやく息を吐いた。
森に静けさが戻る。さっきまでの騒ぎが嘘のようだった。
ふと見ると――
マオが、その場にぺたりと座り込み、目を閉じてすーすー寝ていた。
「……なんでだよ」
あの魔法をぶっ放して、寝た。久しぶりに最終形態になったからガス欠か?
師匠は気絶中。マオは爆睡中。
「……やり直しの第一歩、にしては騒がしすぎるだろ、これ」
誰がここまでハードモードにしろって言った。
だけど――この騒がしいやり直しも、悪くないかもな
読んでくださってありがとうございます!
第2話、いかがでしたでしょうか。
マオが日記を手帳と言ってごまかしたり、動揺しすぎて最終形態になるところがお気に入りです。
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