第1話 世界平和をもう一度
魔王を倒して十年、世界は平和どころかひどくなっていた。
人間たちは、戦いをやめなかった。
憎しみも、争いも、何ひとつ消えなかった。
俺が信じた正しさは、ただの思い上がりだったのかもしれない。
そんなことを考えながら、王都の道を歩いていたら――
前から、マオが歩いてきた。
かつて魔王と呼ばれた者。
今は王都でひっそりと暮らしている。
目が合ったと思ったら、マオはぴたりと立ち止まり、さっと道の脇に入った。
ちらっと見ると、手鏡を取り出し、髪を直し、顔を確認している。
(……何してんだ、あれ)
額のあたりを指で触って、ふうと小さく息をついたあと、マオは道に戻ってきた。
そして、まっすぐ俺の方へ歩いてくる。
「……ほう、奇遇だな。貴様とここで会うとは」
「よお、マオ。今日も元気そうで何よりだ」
「ふん、我は常に万全だ。貴様こそ……その顔、何やら思いつめておるな」
「まあな。今日で旅立つんだ」
「ほう。どこへ行くつもりだ?」
「……過去だ」
マオの動きが止まった。
「まさか……禁呪を使うつもりか」
「ああ、昔に戻って、世界平和をやり直したいんだ」
「……正気か?」
「たぶん、もう正気じゃないのかもしれないな」
マオは、しばらく黙っていた。
その目は、まっすぐ俺を見つめていた。
「過去に行けば、今には戻れぬ。それを知ってのことか」
「知ってるよ」
「……そうか。ならば、言っておこう」
マオは目を細め、声を低くした。
「貴様など、いなくなってしまえばいい。世界征服の邪魔ばかりしおって」
「はは、そう言うと思った」
俺は少し笑った。けれど、マオの言葉は、どこかぎこちない。
「――だから、最後に会えてよかった。これが別れだ。……マオ、いろいろと邪魔して悪かったな」
そのときだった。
マオの肩が、びくりと動いた。
わずかに歯をくいしばり、何か言おうとして言えないような顔をしている。
「……な、なぜ今さら、そんなことを言うのだ……!」
「お前には、ちゃんと伝えたかったんだ」
「我は……我は、別に貴様がいなくなろうと困らぬ! 困らぬが……!」
マオは急に顔をそむけて、小さな声で言った。
「……できることなら、禁呪など失敗してしまえばよいのだ……!」
「ひどいな」
「ひどくなどない! 我は魔王だぞ! 貴様の無事など、我が知ったことか……!」
だけど、その言葉のあと、マオはふと静かになった。
「……いや、やっぱり。今のは……忘れよ」
「忘れないよ。お前がそう言ってくれたことは、大事にする」
マオは何も言わなかった。
ただ、ほんの少しだけ、口元がふるえて見えた。
「行ってくるよ」
「……うむ。……気が向いたら、また帰ってこい。どうせ誰も覚えてなどおらぬがな」
「帰れないって、知ってるくせに」
「黙れ!」
マオはそういうと背中を向けてどこかへと行ってしまった。
俺は最後に一度だけ、マオの背中を見た。
そして、旅路へと歩き出す。
戻れない過去への道――
けれど、今だけは、心がほんの少しだけ温かかった。
* * *
森は、しんと静まり返っていた。
風の音も、鳥の声も、どこか遠くへ消えていったように感じた。
まるで、世界そのものが、これから起こることを見守っているようだった。
覚悟は決まった。
あとは、詠唱するだけだ。
「時よ逆巻け……縒り合わせよ……始まりと今を……」
低く、静かな声で言葉を紡いでいく。
まわりの空気が張りつめ、足元に魔法陣が広がっていく。
集中していた。
何も見えず、何も聞こえなかった。
ただ、自分の声と魔力の流れだけが、この世界のすべてだった。
――成功する。
次の瞬間だった。
ふいに、何かが俺の前にぶつかった。
そして――
抱きしめられた。
正面から。
強く、震えるように。
腕が俺の背にまわり、額が俺の胸に当たる。
「……っ、マオ……」
ようやく、そこで気づいた。
いつの間にか、マオがそこにいた。
何も言わず、ただ黙って俺を抱きしめていた。
そして――
禁呪が発動した。
魔法陣がまばゆい光を放ち、風が渦を巻き、空間がねじれていく。
視界が白に染まり、音も重力もすべてが消える。
マオの腕の中で、俺の体はふわりと浮かび――
世界から、こぼれ落ちていった。
読んでくださってありがとうございます!
第1話、いかがでしたでしょうか?
マオが脇道にそれて鏡で自分をチェックしているところがお気に入りです。
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