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後編<大人>

私は彼を見送ると散乱したパンツやブラジャーをかき集めて洗濯機に乱雑に投げ込み、乱れた化粧を落とし二度目のシャワーを浴びた。

食べ残したピザをサランラップで包み、そのままベッドに入った。さっきまであった温かみがベッドにまだ残っていた。それを抱いて私は寝た。でも眠れなくって、途中でいつも通りラジオを聴いた。


(そう)さんは会社の先輩だ。私たちは職場のレクリエーションを一緒に企画することになり会話が増えた。レクリエーションは営業部長の発案で月一行われ、若手から実行委員が各部門二人ずつ選ばれて持ち回りでボーリングやダーツ、その後の飲み会まで何をするかや、場所の予約まで全部実行委員の二人で実施しなければならない。

想さんと私は年次が違うが同じ部門に同じタイミングで配属になり、実行委員に無理矢理選ばれてしまった。職場では明るく振舞っていたが根が隠キャの私は、最初気が重かった。給料も発生しないレクリエーションなんて無くなればいいと心から思った。

しかも同じ実行委員の想さん(当時は苗字の()()さんと呼んでいた)は私と違って見るからに陽キャで、顔も爽やかだし休日はボルタリングが趣味らしく、鍛え上がった身体がスーツの上からでも分かって、学生時代からモテてきたんだろうなと思っていた。

そもそも男子の友達がほぼいない私はそんなタイプの人とは縁が無く、気が重い理由はそこにもあった。婚活中の先輩の山田さんは、いつも想さんのことを「イケメン君」と呼んでおり、彼の左手薬指の指輪について残念そうにいつも話していた。そのままなあだ名だと思いつつ、イケメンにどちらかというと苦手意識のある私はいつもその話に適当に相槌を打っていた。

ついに私たちの部門が企画する番が一ヶ月後に迫り、想さんと業務後にそのレクリエーションについて打ち合わせをしようということになった。私は職場の会議室でやるのかなとてっきり思っていたが、想さんは打合せ場所として近くの居酒屋を提案してきた。さすが陽キャだと思った。飲みながら話が進むと思えずちょっと気が重かったが、五年も先輩なので仕方が無く着いて行った。

しかし予想外にも想さんは予め色々と考えてくれていたらしく、内容は場所の利用料が安いバレーボール大会にあっさり決まった。どこの体育館が使えそうかも調べてくれていた。

「先輩に色々させて申し訳ないです。私、何も準備してなくて……」

「いいよ、俺五つも先輩だし、前の職場でもこういう系やったことあるから。だるいしさっさと決めちゃお。であのさ、景品の準備とか頼める?」

仕事ができる人とはこういう人かと、入社二年目の私は思った。

それから週一で私たちは同じ居酒屋で集まった。互いのタスクの進捗状況をラインで確認し合ったりもした。私の不手際が途中で発覚しても、いつもリカバリーしてくれた。

「良かったじゃん、当日気づくんじゃなくて今気づけて」

毎回そう言ってくれた。


そしてレクリエーション当日、事件が起こった。私の母が倒れたのだ。元々持病持ちで週末の都度会いに行っていたのだが、平日昼に風呂に入ろうとしてそこで急に倒れ、何とか救急車を自分で呼んだらしい。病院から午後の業務中に電話が入った。

想さんにそれを伝えると、

「こっちのことは気にしなくていいから。今すぐ行ってあげて!」

と言われた。申し訳ないと思いつつ、私は母の病院へ向かった。幸い少し気分が悪くなったぐらいで、二日で退院できた。

色々落ち着いてから、私は想さんにラインを送った。

「すいません。結局当日行けなくて。大変ご迷惑をおかけしました。母はもう大丈夫です。明日から出社しますが取り急ぎ……」

業務時間中だったにもかかわらず、五分後に返事が来た。

「それは良かった! こっちのことは何も気にしないで! 色々準備してくれてたから、当日何も問題無かったよ! それよりもうこっちに帰って来てるんだよね? 明日の夜時間ある? お母さんの快気祝いと打ち上げで、美味しいもの食べに行かない?」

その後すぐにお店のURLが送られてきた。そこはいつもの会社の近くのチェーンの居酒屋では無く、都会のおしゃれな個室の串揚げ屋さんだった。

「分かりました! 明日夜空いてます。よろしくお願いします」

私もすぐに返信した。


翌日私達は仕事を定時で終わらせ、予約してくれた串揚げ屋さんに行った。私がイメージする串揚げは昔家族旅行で行った大阪の通天閣の近くで食べた串揚げ屋さんだが、それより幾分上品で、おしゃれなお店だった。私達がレクリエーションの企画以外で飲みに行くのは初めてだった。


最初私から改めて謝罪し、その後は会社の愚痴で盛り上がった。会話が少し途切れて想さんが二杯目のハイボールを頼んだ時、私の顔をそっと覗き込みながら言った。男性とそこまで近い距離で話すのは初めてで、見えてなくても自分の耳が赤くなっているのを熱で感じた。

「お母さんの具合はいつも悪いの?」

「まあ、前から持病があって……。でもいつもは毎週病院連れて行って薬飲んでれば大丈夫なんです。急に倒れるのは滅多にないことなんです。お医者さんは、近頃の気温差も影響したんじゃないかって。本当タイミング悪く、ご迷惑おかけしました」

想さんは爽やかに笑った。

「あの日のことは本当にもう良いんだって! あんなの適当にやっときゃいいんだから! それより、仕事しながら毎週病院連れて行くのも大変だね。色々訊いてごめんけど、お母さんは何の病気なの? あ、言いたくなかったら別に大丈夫だから!」

私は母の病名を会社の誰にも言ったことがなかった。友人にも無かった。たまに母の為に早帰りや予定を断る時なども、いつも病名は誤魔化してきた。でもあまりにカジュアルに聞いてきた想さんには、言っても良い気が何故かした。

「……鬱病です。倒れたのも、身体のどこかが悪いんじゃなくて、気温差とストレスからじゃないかって。うち、色々事情があって離婚してて、そこから母が鬱なんです。私もそれで眠れない時があって、ラジオを聴いたりして無理矢理寝てるんです。眠れなくても仕事行かなきゃいけないから……。お母さんの分の生活費も稼がないといけないから……」

言った途端後悔した。こんな暗いこと、急に他人から言われて返事をすぐに思いつく方が難しいだろう。でも想さんは意外にもすぐに答えた。

「そうなんだ……。話しにくいこと聞いちゃってごめんね。鬱って確かに眠れなかったりして大変だよね。俺も実は鬱になったことあって……」

「えっ」

思わず心の声が漏れてしまった。

「ははっ驚くよね〜。俺前の職場が四国なんだけど、そこが結構パワハラがキツくて。隣の担当に同期がいて、そいつと励ましあって何とかこなしてたんだけど、ある日会社に行ったら皆上司達がバタバタしてて、すぐに警察も来て。そいつ、パワハラを理由に職場で自殺しちゃってた。そいつの引き出しから遺書も出てきたんだ。そこには上司への恨みと、それだけなら良かったんだけど、俺に一言『ごめんな』って書いてあって。そこから俺その上司達が許せなくて会社の相談窓口に駆け込んだんだ。でも会社は結局それを握りつぶしやがった。遺書で一番名指しにされていた上司が社長の息子だったからね。で、そっから俺は鬱になって会社をバックれた。で、しばらく休んで今の部署に異動してきたってわけ。でも今も会社は大嫌いだよ。仕事は淡々とこなして適当に明るく振る舞っといて、本音は給料をもらう為だけに働いてるって感じ。あ! 沢田さんが辛い時に、俺の暗い話ばっかしちゃってごめん!」

私は想さんを勘違いしていた。人は誰も見かけと違って悩みを抱えたりしているのだ。母のことで正直疲れ込んでいた私は、他人を見る目が知らない間に狭くなっていた。そんな自分が情けなかった。私は罪悪感からかお酒のせいもあってか、知らないうちに涙が出ていた。

「なんで泣いてるの⁉︎ ごめんごめん、そんなつもりじゃなかったんだよ。自分がしんどい時に人の暗い話聞かされて嫌になるよな? 本当ごめん!」

私は涙が抑えられず、おしぼりを持ち手で顔を覆ったまま首を横に振った。

「言いたかったのはさ、とにかく俺はお母さんの気持ちも沢田さんの気持ちも分かるよってこと。何か困ったらいつでも話してよ。会社の人にこんな暗い話したの俺初めてだよ。これからはお互い共有しあっていこうよ」

「……ありがとうございます、私も共有できる方がいて嬉しいです」

その日は私が中々泣き止まない私を見兼ねて、タクシーで想さんが送ってくれた。そして私のマンションに着いた時、

「そんなに思い悩まないで。俺がいるから」

と言って軽く私をハグした。

私は一瞬驚いたけど、泣き顔をこれ以上見られたくなくて慌ててマンションの中に入って行った。

ベッドに入っても、想さんがさっきの話をしていた時のこれまで見たことない影のある顔が頭から離れなかった。今の職場で想さんのあの顔を見たことあるのは、私だけな気がした。昔から心の中で誰にも見せずそっと隠した真っ黒な部屋に、彼なら一緒に入ってくれる気がした。


それから私たちはまたレクリエーションの順番が回ってくる時もそうでない時も、二人で時々飲みに行った。母の話を、いつも想さんは私の目を見て聞いてくれた。既婚者とこんなに飲みに行って大丈夫なのかと頭にはよぎるけれど、母のことから来るストレスから解放される手段は私にはこれしか当時持っていなかった。ちょうど結婚ラッシュの時期で友達と会えなくなることが増えたのと、母と会った日はもうそれだけで身体中のすべてのエネルギーを奪われ、何もやる気が起きなかった。

渋谷の食堂街で晩御飯を食べた後、話しながら帰りに想さんはナチュラルに私の手を握ってきた。何かと未経験な私は、学校の遠足など以外で異性と手を繋いだのは初めてだった。看板のネオンや暗闇の中の星がいつもよりチカチカと眩しく光っていた。路上ミュージシャンが「愛ってなんだ」と古すぎて逆に新しい歌をギター片手に叫んでいる。派手なショッキングピンクのトラックが「高収入ー!」と耳を破りそうなほど爆音で連呼している。でもそんなこと、全く気にならなかった。

想さんの体温が私の肌に伝わる。私は手汗をかかないかとヒヤヒヤする。

そこから私の使う地下鉄まで十分くらい一緒に歩いた。本当は心臓がバクバクしていたけど、そのことについて触れたら手を離されそうで、私は何も言わずに会話を続けた。会社の人に見かけられないかと気が気じゃなかったけれど、何とか会話を続けた。

「私結構うっかりしてて、この前家の鍵をキーケースごと無くしたんですけど、うちのマンション、鍵を指してゴミ置場を開けるようになってて、キーケースごとそこに差したまま会社行っちゃってたんです。しかもそれに気づかないまま家帰ってきて忘れてましたって掲示板の貼り紙見つけるまで気づかなくて」

「ええーーっ! 危なっかしいなあ〜なんか家まで着いて行ってあげたくなるなあ」

ははっと笑って私たちは地下鉄の改札前で別れた。

その頃から私は想さんの連絡が二時間後に来れば、すぐ返せても二時間後を待ってから返す様にしていた。想さんに暇で誰も遊んだりする相手がいないと思われるのは、何だか少し恥ずかしいことのような気がしたからだ。妻子のあるあなたの連絡を、心から待ち望んでいたと思われるのはモテない私のしょうもないプライドに差し障りもあった。


別の日には土曜の昼に次のレクリエーションの景品をロフトに一緒に買い出しに行った。一通り終わったところで、「カラオケ行かない?」と想さんは提案した。私はかなり音痴でカラオケもあまり好きじゃなかったけれど、既に「想さんに嫌われたくない」という気持ちが芽生えていたので、自然と着いていった。

十八番なんて当然無いので、私はこういう時何を歌っていいか全く見当がつかなかった。先輩だけど先に歌い出してくれた想さんの歌中、必死に履歴などを探る。ぐるぐる頭をフル回転させて、結局昔流行ったバンドの曲にした。それは昔母が夜の海を一人で木の舟で渡ってきた帰り、狂った様に一人で部屋で流し続けた曲だった。男性ボーカルなので、声が比較的低めな私にもギリギリ歌える気がした。

「このバンド好きなんだ」

イントロ中、飲み放題のジンジャエールをストローで啜りながら想さんが尋ねる。

「はい、あとこの曲に出てくるような男性が好きで……」

「ふうん」

その気の抜けた炭酸の様な返事に、私はとんでもなく恥ずかしい事を言ってしまったのではないかと、一気に全身に汗をかく。

結局私の声は上ずって小さく音程もズレて散々だったが、二、三曲互いに歌って、歌が途切れた時ふと想さんが私の近くに座った。ふいに、会話の流れも無く想さんは私を抱きしめた。何が起きたか分からなかった。分からないくせに、私は想さんの背中に腕を回した。

そのまま私たちは解散した。私はこれ以上想さんと一緒にいられなくて、別で買い物があると言って別れ、景品の重い荷物を持ったままショッピング街をウロウロ歩いて回った。でもどの商品もまるで頭に入ってこなかった。雑貨屋や服屋を適当に入ったり出たりしながら、一体あれはなんだったんだろうと考えた。でも私は完全に浮かれていた。イケメンに抱きしめられ、まるで自分がモテる女になった気がした。


次会った日は晩御飯を一緒に食べた後またカラオケに行った。私達はまた時々歌ったり、飲んだりただ喋ったりした。少し会話が途切れたところで、さっきまで向かいにいた想さんが私のすぐ隣に座った。

「最近お母さんはどう?」

またあの時と同じ様に、私の顔をそっと覗き込みながらそっと尋ねた。

「……あまり良くないですね。きつい薬に変えた副作用なのか、しょっちゅうこっちが仕事中でも電話かけてくるんです。一回目で出れないと折り返してもずっと泣いちゃって……」

また私は自然に涙が出た。母の話を他の誰にもしないので、無意識に涙が出てしまうのだ。想さんは手で私の涙を拭い、何も言わず強く抱きしめた。

鍛えられた想さんの体の硬さと温かさが、私に伝わってきた。心の澱が解けていくようだった。私はこのまま時が止まればいいと思った。しばらく泣いて私は肩で息をし始め、落ち着きかけた頃想さんはそっと抱きしめていた手を離して私の涙を自分の手でまた拭いた。

しばらく見つめ合って、私達はどっちからともなくキスをした。彼の舌が私の口に入る。これでやり方は合っているのだろうかと思いながら私もその隙間に自分の舌をそわせる。

激しくなってきた頃、想さんがそっと私のシャツに手を入れ、ブラジャーを弄る。頭の片隅に、カラオケの個室は監視カメラがあるのではないかと思ったが、相手も自分も止められずキスしながらなされるがまま受け入れる。

そこからは私の家に向かった。二十五にもなって、私はセックスが初めてだった。初めては痛かったけれど、相手が想さんで良かったと思った。枕に頭をつける時もやさしく頭を持ってくれたし、本番になるまでに優しく身体をずっと撫でてくれた。次にどうすればいいか、耳元で優しく教えてくれた。私は何も抵抗せずそれに従った。

ガッチリとした腕に六つに割れた腹筋。そこからは想像もつかない優しい愛撫。そんな優しいセックスを男性誰もがしてくれる訳ではないと、後から私は知った。もう戻れない罪悪感と優越感とで、私は簡単に絶頂に達した。それにずっと真面目に生きてきて、生まれて初めて道を踏み外す快感の様なものもあった。

終わった後も、しばらく抱きついて私が泣くのを慰めてくれた。そして二時間後くらいに、想さんは家に帰った。


そういったことを、私達は何度も繰り返している。一緒にご飯に行ってから私の家に来るか、職場から直接私の家に来ることもあった。

彼が限界直前に「やばい……」と私の耳元で吐息のように言い、果てていくのが嬉しかった。行為中彼は何度も私に「どう?」と聞いて、私が恥ずかしがって答えられないでいると余計に喜んだ。でも「気持ちいい」と私が返すまでその質問は終わらないので、良いタイミングを見極めて恥ずかしくても答えなければいけなかった。

私は徐々に本能に応じて自ら動けるようになったけど、次第に行為中想さんの左薬指の指輪が私の右手で冷たく、また奥さんにバレないよう日付の変わらないうちに帰っていくことに寂しさを感じた。

冷静に考えれば不倫男であることに間違いないので、次第に自分にとって愛からなのか、性欲を満たす目的なのかは分からなかった。でも当時母という依存先が崩壊し始めていて孤独が本当に自分の中で敵だったので、身体目的でも二〜三時間は自分の相手をしてくれる人がいる事は悪い意味で心の支えになっていた。それに対して正直言えば悪い意味とも思っていなかったし、何の罪悪感も無かった。自分の悩みしか頭に無い私は、それを少しでも解消できるなら会ったことない誰かを傷つけることに何のためらいも無かった。


私達は、前よりもっと色んな体位を試しながら彼と、そして私自身の性欲を満たしていった。乳首を摘まれただけで(あえ)ぎ声を出す私を、想さんは満足そうに正常位で見下ろしていた。生理の時だって、無理にさせられた。

ある日彼の「やばい……」を聞いてからも、ずっと硬く腕で私の背中を抱いて離してくれなかった。私は少しずつ戸惑い始めた。彼はいつだって、コンドームをつけなかった。

「このまま出したらどうなるかな」

「それはだめ」

「なんで?」

「なんでって……」

「赤ちゃんできちゃうもんね、大変だもんね」

「うん、外に出して」

「どうしようかな」

彼の腰の動きが最大限大きくなる。私は抵抗していたけれど、次第に疲れて腕に力が入らなくなってきた。誰か助けてほしい。そう願って本当にあともう少し、というところで彼はいつも通り私の腹に出した。粘っこい白の液体が、腹にぬるい温度で広がっていく。

私はしばらく呆然としていた。彼はいつも通りティッシュで丁寧に私の腹を拭いて、シャワーへ私を誘った。私は我に返っていつもより念入りに洗った。

その後そのことについて彼は何も言わず、しばらくして帰っていった。私はもう一度股の周りを入念にシャワーで洗った。

彼のギリギリを迫るそういうプレイなのだろうか。でも万が一のことが起きて孕むのは私だけど、今持っているもので失うものが多いのは彼の方では無いだろうか。ある種の破滅願望のようなものなのだろうか。私はさっきまでいた布団に着衣の上くるまり、ひたすらガクガクと震える身体を押さえていた。さっき腹に浴びた液体と相反するように、シーツは氷で出来たように冷たい。

次の生理が来るまで私は本当に怖かった。万が一の場合、私は()ろすか一人で子育てするかのいずれかになるのだろう。後者は子供が元々嫌いだからあり得なかった。今の状況で子育てする費用を捻出することも当然難しい。だから多少予定日より遅れても、ナプキンに滲む血を見たときは心からホッとした。それと共に、言いようの無い怒りに震えた。女性側はいつもどうしてこんなリスクを負わなければいけないのか。もしそういうことが起きたとき、想さんは決して責任を取ってくれない気がした。

それに職場の若手の中の噂で、彼の夫婦は子供が生まれてからセックスレスらしいと聞いた。それでかつ小遣い制で、性欲を持て余していて、風俗と違って金のかからない私は丁度良かったのだろう。言いようの無い怒りに震えた。

それでも私は想さんとの関係を辞められなかった。そんないつでも千切れそうな蔦を縋ってしか、切り立った断崖絶壁を登ってい生きる術を私は持っていなかった。


ある日想さんに抱かれながらふと、昔好きだったドラマのあるセリフを思い出した。大好きな仲間達との日々を過ごす主人公の女性が言う、「死ぬなら今がいい、ていうくらい、今が好き」というセリフ。

繊細な主人公たちが繰り広げる会話が共感を呼ぶと評判で私も大好きなドラマだったのに、そのセリフだけは共感できなかった。今まで生きてきて、死にたいと思ったことはたくさんあった。でもそれはどれも辛い時で、なぜ主人公は「今が好き」な状態で死ぬことを考えるんだろう。幸せな今なら死ぬことなんて考えず続いた方が良いに決まっている。昔からどこかで理解できないが理解したいと、その言葉だけが魚の骨の様につっかかっていた。

でもそれが、その時急に分かった気がした。その主人公はその次の回くらいで、警察が急に来て学生の頃義母を殺した容疑で逮捕されてしまう。今は幸せでも、未来に来る苦しみをきっと昔から予感していてあの主人公はあのセリフを言ったのではないだろうか。あまりに受け止めきれずそのセリフだけが自分の中で独立して宙に浮いていたが、そんな単純なことがやっと今になって分かった。そして想さんの腰の動きが最大限に激しくなり彼の背中にすがるように自分の両手をまわした時、私は思った。死ぬなら今がいいと。

そうして想さんが帰った後いつも通りラジオを聴いても眠れなくって、私はたまらずメールを送った。



大丈夫、あのラジオを聴けば、きっと大丈夫。


✳︎


さあ、今日も始まりました! ど素人アイの人生相談ラジオ。この番組は、人生特に何も世間的に成し得ていなくせになぜかラジオパーソナリティになれてしまった私アイが、リスナーさんのお悩みに、何も成し得ていないからど素人だからこそ、同じ目線で一緒に悩んだり、上手くいけば解決していこうという番組です。どうぞお手柔らかに、最後まで気楽にお楽しみください。



では早速参りましょう! ラジオネーム 死ぬなら今さん。

「言いにくいのですが、私は今不倫をしています。私は結婚していませんが、既婚者である職場の先輩と不倫関係にあります。きっかけは曖昧ですが、職場である企画を一緒にすることになり会話が増えました。業務後にその件で打ち合わせをし、食事に行くことが増えました。

最初の会話は互いに職場の愚痴でしたが、次第に深い話になって私の母親の病気の話とか、相手の昔辛かった話とか互いの暗い部分を共有するようになりました。そして深い関係の沼にはまっていったら、気づいたら男女の関係になっていました。でも行為後はいつも以上に寂しくてとても辛いです。世間的に悪いことをしているのは分かっています。でも、親に頼れず周りの友人はどんどん結婚していく中で自分は孤独が本当に耐え難く、彼に抱きしめられる時の一瞬の温かさのために、ついついその不倫相手と連絡を取ってしまいます。私はどうすればよいでしょうか。」




メールありがとうございます。

難しい問題ですね。私は、今すぐ連絡を取るのを辞めなさい、とまでは正直はっきり言えません。他人事のように私が思っているように思われるかもしれませんが、仮に「絶対にダメなことだから、今すぐ関係を切りなさい」と私が今言ったとして、あなたはすぐにその通りに出来ますか? 多分無理でしょう。メールで頂いている通り世間的に悪いことであることはあなたも分かっているんですから。人に言われて辞められないのが不倫でしょう。

私は、不倫は良いことか悪いことかは全く別として、人間らしい行為だとは思っています。だって理性だけで考えるなら絶対にしない方がいいのに、感情があるからしてしまうものだからです。人の弱さが出ているんですね。ある意味過度な飲酒やギャンブルと同じです。

その弱さや人間らしさは誰しもが持っているものだし、不倫どうのこうのというより感情からくる人間の弱さ自体、私は好きなので、冒頭申し上げたように頭ごなしに今すぐ辞めろという模範的回答を本来はすべきなのでしょうが、私はどうしてもできないのです。だって理性だけで動く人間はあまりにロボットのようで、人としては愛しにくいじゃないですか。

でも、その不倫相手があなたに飽きて別の人に急に乗り換えても、あなたは何の文句も言えません。結婚や正式なお付き合いのように、約束の上で成り立っている関係ではないのですから。かりそめで出来た関係は、かりそめであっという間に消えるものです。その時深く傷つくのはあなた自身です。

今回自分たちの辛い過去を共有しあって関係が深くなったということですから、余計に別れは辛いでしょう。最初から自分のものでは無かったのに、まるで見捨てられたような気持ちになるからです。弱さで始まった関係は、とても儚いです。それを最初から理解しておいて、今の辛い気持ちも自分だけで乗り越える覚悟を持って、それでも良いなら続けてください。

あ、最後の方、キツく聞こえたらごめんなさいね。でもあなたはここにメールをくれた時点で、このままじゃいけない、と実は思っているのではないでしょうか? これだけは分かってください。今のあなたには孤独を癒す手段がその先輩しかいない様に思っているかもしれないけど、きっとそんな事ないです。例えば、私でも良いんです。私はあなたを抱きしめてあげることは出来ないけれど、話を聞くことは出来ます。寂しくなったら、お母さんのことでも良いのでまたここに、メール送ってください。あなたが本当に大事なものだけを大事にして、強さを持って生きられますように。



えー、また、つい長く話しちゃって一通だけになっちゃいました。このラジオは生放送です。ご相談があればFAXか、メールでお送りください。FAXの場合は、XX-XXXX–XXXXまで。メールアドレスはxxx.yy@5121.comです。


それではまた来週!





鳥になりたい。何のしがらみも無くただ目前で広がる空を自由に飛びたい。

その普遍的願望はあまりに普遍的過ぎて、最早陳腐(ちんぷ)にすら響く。


〈許してください、とは、言えないと思っています。

私はあなた達に、ただ迷惑ばかりかけてきました。

お姉ちゃんには、昔から私がすべき陽太の世話を、一番大変な時にすべてさせてきましたね。あの頃私は不安定で、自分で自分がコントロール出来ませんでした。私は自分がいつかあなた達を壊してしまうんじゃないかと怖くなって、逃げてしまいました。その間、お姉ちゃんは私の代わりにお母さんをしてくれました。陽太に勉強を教えたり、身の周りの世話まですべて。学校の勉強や思春期できっと色々大変だったでしょう。あなたの青春を、奪ったかも知れません。それはどれだけ謝っても、許されないことかも知れません。

それに最近は、一生懸命働くあなたからもらったお金で私達は生活をしているような状況です。どこまであなたを搾取すれば気が済むのだろう。自分で自分に嫌気がさします。お父さんもそうでしたが、私も社会にうまく適合できず、迷惑ばかりかけてしまいました。そんな私なのに、まず働くのではなく休んだ方がいいよとまで言ってくれてありがとう。私はお母さんが生きてくれているだけでいいから、と言ってくれたこと、私はずっと忘れません。あなたが私を生かし続ける理由など、最早無いようなものなのに。仕事も大変なのに、これ以上あなたの悩みを聞いてあげられなくてごめんね。


そして陽太。あなたには嫌われていても、何も文句が言えないと思います。だってあれだけひどい仕打ちばかりしてきたのだから。

それにあなたが小学校でいじめられてきた時も、どうしてあげればいいか分からず、とにかく学校に行きなさいとしか言ってあげられなかった。お姉ちゃんが転校を勧めるのに、金銭面を言い訳にしてさせてやれなかった。私もあなたにとって、あなたをいじめた子達と同じ、敵でしかなかったでしょう。おばあちゃんの家にもっと早く住ませてあげれば良かった。あれだけひどいことばかり言って信じてもらえないでしょうが、あなたを自分の手元から手放すことも、私には怖くて中々出来なかったのです。 でもそれも、全部自分のためでしかなかった。

それと何も言ってあげられなかったけれど、あなたが世間的にマイノリティに属していると気づいてから、あなたは余計に落ち込んでしまいましたね。ごめんね、決してあなたの噂をしてまわりたい訳じゃないのです。あなたが学校であったことを今まで以上に楽しく話してくれて、おばあちゃんは気付いたそうです。私はそんなこと全然気付いてやれなかった。あなたの話をいつだって真正面に聞いてやれなかった。

本当は、お姉ちゃんとも言っていたのですが、人を愛せること自体とても素晴らしいことなのです。世間が決めたくだらない枠に囚われず、どうかあなたの綺麗で繊細な感受性を生かして、人を愛してください。


そしてあなた達から、お父さんを奪ってごめんなさい。あなた達は私に決してわがままを言わない子達だから、離婚するって言った時も何も私に文句の一つすら言わなかった。でもお父さんがあれだけ弱っても、そのお父さんを失うことはあなた達の心の中に大きな傷を与えたでしょう。あなた達は、お父さんに似て、優しいから。

ただこれだけは信じてほしい。離婚してからも、私はお父さんを思わなかった日は一日もありません。ちゃんと今も愛していると、言うことが出来ます。私と同様社会で生きていくのが下手な人なのに、私達をこれまで一生懸命不器用ながら支えてくれた。だから離婚しても、私達の苗字は変えませんでした。

でも次第にお父さんの病気がひどくなって遂に、私はお父さんの世話を投げ出してしまいました。それはひとえに、私が薄情で怠惰な人間であるということに他なりません。私までおかしくなってしまうのが、ただ怖かったのです。あの人に自分やあなた達の人生をすべて侵食されてしまうのが、恐ろしくてならなかったのです。

あなた達に伝えておらず本当に申し訳ないのですが、お父さんは二年前に亡くなりました。お父さんのお兄さんから連絡がありました。久し振りに見たお父さんは、前よりさらに痩せ、本当に骸骨になってしまいました。葬儀を取り仕切る義兄さんと比べて、私はそこに立っていることしか出来ませんでした。そしてあなた達に伝えた時のショックを想定すると、私はそれを伝えられませんでした。いえ、そう言うとあなた達の為を思って、という風に聞こえるかもしれませんが、ただそれを伝えるのが、また怖かったのです。ただ、ほんの少しだけ安心して欲しいのですが、お父さんは私と同じ終わり方ではありませんでした。早いけれど、寿命でした。たくさん苦労してきたもんね。


私は子育てからも、そして妻としての役割からも、社会人としても、いつも逃げてばかりでした。どれもうまくやれなかった。私の逃げ道は、子供としての自分、つまりあなた達のおばあちゃんの子供である自分、そこにしか無かった。

あなた達のおばあちゃん、私のお母さんは、あなた達の知っている通り、とても優しい人です。私がどれだけ気が狂っても、私を抱きしめ落ち着くまで慰めてくれた。私を責めることは決してしなかった。こんなに不十分な私なのに、「あんたはあんたのまんまでいい」といつも言ってくれました。私はお母さんの様なお母さんになりたいと、ずっと思っていました。でもそれには器の大きさも心の穏やかさも、すべてが足りませんでした。

おばあちゃんが死んで、私は心のすべてを失いました。 親としても不十分、妻としても不十分、社会人としても不十分な私の唯一果たせた役割、子供でいられなくなったことは、私の存在意義すべてを奪いました。それを失えばあとはもう、ただ生きていても誰かに迷惑をかけるだけなのだから。


だから最後まで迷惑をかけて申し訳ないけれど、お母さんは消えます。最低限の物を残してしまっていますが、すべて処分してください。電気やガスなども解約してあります。お姉ちゃん以外に、借金はありません。返せなくてごめんなさい。来る人もいませんから、葬儀は不要です。おばあちゃんの時にやったみたいに、火葬だけで大丈夫です。迷惑をまたかけてしまいます。また身勝手で、本当にごめんなさい。

でもきっと長い目で見てこの方が、あなた達にとって幸せであると思います。先述の通り、私はあなた達に迷惑ばかりかけて生きてきたのだから。


何もかも、うまくやれなくてごめんなさい。あなた達を、これからもずっと愛しています。


私は私のお母さんと夫のいる空へ旅立ちます。私だけ地獄行きかもしれないけれど、もし鳥の様に空へ飛んでいけたら、一番幸せだなと思っています。〉



お母さんが鳥になるため選んだ場所は、家族で昔住んでいた周辺にあった団地の最上階だった。鳥になれずバラバラになったお母さんの姿を見ても、それがお母さんだとはどうも思えなかった。肉体の破片の集合体でしかなかった。荼毘(だび)に付したって、肉と皮が無くなっただけであまり変わらなかった。それから私の視界はいつも、焼けた骨の様に薄い灰色だった。


警察から連絡が来てから、私は弟に何度も電話していたが出ないのでメールした。返事は無かった。葬儀の段になって、私はさすがに再度電話し、彼は八回目くらいのコールでやっと出た。

「僕もうこんなこと嫌だよ。お姉ちゃんだけでやってよ」

流石に余裕の無かった私は、逃げる癖をつけさせすぎたのだと小さく舌打ちして返事をせずに電話を切った。でもあいつに、あそこまでひどい姿になったお母さんを見せるのは無理だとも、一方で思っていた。おばあちゃんの時ですら、三ヶ月は自分の部屋から出なかったのだから。


お母さんの家の整理をしていると、病気がちだった私と桃ちゃんが桃の花を持って病院のベッドの上で一緒に写る写真、弟がウサギ型のリンゴをフォークに刺したまま赤ちゃん用の椅子に座って泣く写真、お父さんが珍しく買ってきたケーキを四人で囲む写真もあった。その光景は、ずっとずっと私の中で消えなかった。その時浮かんでいたシャボン玉がぱんと割れるように急に、初めて涙が出た。

私はお母さんの遺影を、昔プレゼントしたカバのマグカップを持って笑う写真にした。それを最期に見るのも、私だけなのだけれど。

二人が思うよりも、お母さんとお父さんは私達をちゃんと育ててくれていた。そうでなければ、笑顔の家族写真などあるはずがなかった。それがちゃんと私から彼らに伝えられていれば、状況は変わっていたかもしれない。家族に元気出して、大丈夫、とは言っても、感謝している、好きだよなんて、私も弟も言ったことが無かった。それにわざわざ役所に届け出て旧姓に戻さなかった母は、確かに離婚後も父を愛していた。母は鳥になろうとする必要なんて、全く無かったのだ。


二月中旬でも、春のように暖かく晴れていた。ここ連日で怒涛のように必要な手続きを済ませ、公園をぼんやり歩いていると、桃の木が、蕾の更に前段階みたいな小さな小さな膨らみを付け始めている。ずっと忘れていたけれど、振り返れば自分の人生は、あまりにも喪失が多かった。その誰をも、心から愛していた。亡くしてから、もっとそれを伝えれば良かったといつも思ってきた。


四十九日、二十五になっても就職しない弟にも来れば就活用にもなるスーツを買ってやると言ったが、結局来なかった。

それからしばらくして、お盆に弟に電話したら番号が変えられていて、音信不通になってしまった。連絡が絶たれてショックというより、どうやって生きていくつもりなのだろうと思った。私だって、もうこれ以上喪失は懲り懲りなのだ。


私は頼りのラジオを聞くことも出来なかった。ただ自分のベッドの上で、目をつぶった。


大丈夫、あのラジオを聴けば、きっと大丈夫。


✳︎


さあ、今日も始まりました! ど素人アイの人生相談ラジオ。この番組は、人生特に何も世間的に成し得ていなくせになぜかラジオパーソナリティになれてしまった私アイが、リスナーさんのお悩みに、何も成し得ていないからど素人だからこそ、同じ目線で一緒に悩んだり、上手くいけば解決していこうという番組です。どうぞお手柔らかに、最後まで気楽にお楽しみください。


では早速参りましょう! ラジオネーム 鳥になれたらさん。

「私は元々四人家族で、両親と私、弟です。私は今年三十歳ですが、私の二十代は怒涛でした。大学二年目、ちょうど私が二十歳の年に両親が離婚しました。理由は憎み合ってならまだ良かったのですが、父が仕事を理由に鬱になってしまったことです。母が病院に連れて行っていましたがよくならず、母自身と私達の生活を金銭面でも守るために母は離婚しました。それからは一度も父に会っておらず、どこでどうしているのかも私には分かりませんでした。その後、母方の祖母が亡くなりました。祖母はこれまで私の人生で出会った誰よりも優しい人でした。

その頃から母はパートに出ていましたが、働いて五年目くらい、私が今の会社に入社して二年目くらいでパートを辞めてしまいました。理由は会社でいじめにあったとのことです。それから母は新しい仕事を探しましたが見つからず、私から送る生活費で生活していました。それを私がいくら良いと言っても、母は申し訳ないといつも言っていました。

そして私が入社七年目、二十九歳の時。祖母を追うように、母が亡くなりました。母は自殺でした。そしてその時、両親の離婚後会っていなかった父は既に亡くなっていると、母の残した遺書で初めて知りました。

母はパートを辞めてから、徐々に元気を無くしていました。電話や直接会っても、ため息ばかりで、「鳥になれたら(私)と弟の幸せだけがお母さんの幸せなのに、迷惑かけてごめんね」と言っていました。私は何と返していいか分かりませんでした。母が思い悩むのも無理は無いと思いました。やむを得ず父と離婚し、その後も罪悪感に苛まれたと思います。父と祖母が亡くなったことが、自分の命を絶つ決定打のようでした。

それでも私は母と最後一年は連絡をほぼ取らずにいました。自分も仕事で精一杯で、励ます余裕を持てなかったのです。口を開けば、元気を出せと言ってしまって、余計に追い込んでいたかもしれません。父のケアも母に任せきりでした。私も弟も、親の死に目を見ていません。家族の中で罪悪感がずっと、崩れるドミノのように伝染しているように思います。今思っても仕方ないのですが、私は三十代になっても毎日自分を責める日々です。仕事をしても友達と話しても、心はただ虚しくがらんどうの様です。どうすれば、この悲しみを忘れられるでしょうか。」



メールありがとうございます。とても辛いお気持ち、お話いただいてありがとうございます。

仰るように、怒涛の二十代ですね。本当によく、頑張られたことと思います。まずそれぞれの死を強く悼んでいることから、あなた方ご家族は本当に良いご家族だったんだろうな、と率直に思います。ご両親が生前の頃から、互いを非常に思い合ってきたことでしょう。ただ思い合ってきたばかりに、非常にそれぞれが苦しい思いをされたんでしょうね。

あなた達ご家族は、確かに不器用であったかもしれません。家族を守るために、自分が壊れるほど働いてしまったお父さま。子供を守るために離婚したものの夫を見捨てたことに罪悪感を抱き続け、子供の心を守るためにその夫の死を自分の中だけで留めて耐えられなくなったお母さま。そしてそんな親達を守りきれず死んでしまったことを後悔する子供。

でもそれは全部強すぎる愛から生まれる感情でしょう。人を心から愛することは必ず苦しみを伴うと、このメールを読んで改めて感じました。みんなが不器用というより、愛が強すぎたのでしょう。

ただどうか、とても難しいことかとは思いますが、どうか自分をこれ以上責めないで。あなたはお母さまが徐々に元気を無くされても、電話や直接会ったりされていたのですよね。生活費も送られていたとのことでした。

最後の一年お母さんとほぼ連絡を取らなかったことやお父さまのケアをしなかったことを非常に後悔されていたようですが、たとえ親子であっても、人間が他の人間を変えるのはとても難しいです。それは親子でも一緒です。どれだけ力を尽くしても、あなたのお父さまお母さまが元気になられていたかというと、こればっかりはどうにも分かりませんが、もしかしたら非常に難しかったかもしれません。

ましてやあなたは無事に大学を卒業し会社で若手の頃から、自分の分だけでなくお母さまの生活費まで稼がねばなりませんでした。あなたがお父さまお母さまのケアに傾注しすぎると、共倒れしていた可能性もあります。よりお父さまお母さまは罪悪感に苦しめられていたかもしれません。

それも推測の域を出ませんが、とにかく言いたかったのは、自分以外の人を救うには本当に悲しいことに、非情なほど限界があります。どこまでいっても悲しいくらい、家族と言えど自分とは別の人間だからです。あなたが限界を尽くさなかったと自分では思っていても、お父さまお母さまの中では精一杯あなたに感謝していたのでは無いでしょうか。だって、「鳥になれたらさんの幸せが、親の幸せ」なんですから。これは本当に心から出た言葉でしょう。

お話を聞く限り、お父さま、お母さまからあなたは優しさという素晴らしいものを遺伝しているように思います。どうかそれを活かして、少しずつでもいいから、自分らしく幸せに生きてください。それがお父さま、お母さまの幸せだということを忘れずに。あと最後に、私も大事な人を亡くした経験があるのですが、必ず夢にお父さまお母さまが出てきます。起きて夢であると分かると悲しくなるかもしれませんが、どうかその機会を大事にしてください。必ず、会いにきてくれているのですから。きっとあなたを守ってくれます。だから、忘れる必要なんて無いです。


今はまだその余裕は無いかもしれませんが、じきに鳥のように、遠い場所へ一人旅などに出かけてみてください。綺麗な景色が、あなたの悲しみを少しずつ溶かしてくれますように。




えー、また、つい長く話しちゃって一通だけになっちゃいました。このラジオは生放送です。ご相談があればFAXか、メールでお送りください。FAXの場合は、XX-XXXX–XXXXまで。メールアドレスはxxx.yy@5121.comです。


それではまた来週!




「子供が出来たら、何ていう名前にしたい? 男の子だったら? 女の子だったら?」

(きょう)(へい)は口角を上げ頬の肉を膨らませ、満面の笑みを私に向けた。

「男なら想、女なら桃子」

「なんで?」

理由なんか無い。その時偶然頭に浮かんだものだった。

その日の曇天は、低い雲がそのまま自分に覆い被さって消されてしまうような、そんな天気だった。

同じ会社の同期である私達は、三年前から付き合いだした。それを機に、私は想さんとも連絡を取らなくなった。不倫はそれ以上の関係を相手に望めない、望めば相手は切り札としてそれまでの関係を切る。いつも相手が一段上から自分を見ているような、不公平な関係だ。

だから恭平が、対等な立場で私を必要としてくれたことは心から嬉しかった。しかも若い男性には珍しく、女性よりも結婚願望の強い男だった。結婚情報誌を相手の家にわざとらしく置かなくても、彼の友人や親など周囲から固めていかなくても、彼は自然に私との結婚話をするようになった。

私は恵まれている。友人の話を聞いていてもきっとそうなのだろう。これまでモテるようなことも一切無くて、初めての彼氏がここまで真剣に私との将来を描いているのだから。

ただ私の気持ちは晴れなかった。その原因は「彼が子供を欲している」ということだった。私は子供が苦手だ。道や公園で子供が泣いていると露骨に耳を押さえてしまう。そうでないと、自分の耳から脳にまで泣き声がスマホのアラームの様に鳴り響き、鼓膜を通って肉体すべて壊れてしまいそうな気がするのだ。

でも同じ様に子供が嫌いな友人も、やはり産まれれば自分の子は可愛いと言った。だから私も大丈夫だよ、と恭平はその温かい手で私の手を握った。

でも私が子供を欲しくないのは、泣き声アラームのせいだけでは無かった。変な言い方かも知れないけれど、産まれてくる子供は、本当に幸せなのだろうか? ちゃんと言うと、幸せにしてあげられるのだろうか?

私は知っていた。子供が親の影響で不幸になるのは、何も虐待やネグレクトなど、極端な例だけではない。私達の親は、常に子供達、つまり私と弟の幸せを願っていた。けれど、私達家族の人生は散々だった。決して親のせいだとは言わない。育ててくれたことに、感謝以外無かった。ただ家族がどれだけ頑張っても、どれだけ互いを思いやっても、幸せにはなれないことだってあるということを、私は誰より知っている。けれど、ただただ幸せな家庭で育って自然に自分も子供を、と考える恭平に、必死に伝えてもそれが伝わるはずが無い。

私は何度も思った。 死にたい。幼い頃は病気で死ぬことがいつも身近で恐ろしかったけれど、大きくなるにつれ、家族が壊れていくにつれ、私は死にたいと平気で思うようになった。本当に死んでしまった父や母を、どれだけ不謹慎だと言い聞かせても、悲しみの裏側でどこか羨ましいとすら思ってきた。

特に弟は、家族の問題だけでなく社会に上手く適合できず何度も辛い目を見てきた。救いの手を差し伸べようとしたけれど、私に出来ることには限界があった。以前彼のマイノリティな部分について、大事な個性だから受け入れていこうよ、と声をかけたけれど、なんで知ってるんだ、お前に何が分かるとそれから口を聞いてもらえなかった。

そんな彼、今の私にとって唯一の家族が、恭平と私、男女の結婚や出産というマジョリティの特権について、心から祝福してくれるだろうか。こちらがマジョリティであることを恨み、彼を苦しめたいじめっ子など敵だらけの世の中に新たな命を生み出すことに、嫌悪感を持つのではないだろうか。正直後者は私も同じ気持ちなのだ。まあ、未だに連絡すら取れないのだけど。

だから、三十歳のタイミングで会社から受診させられる人間ドックがきっかけでそれが見つかったとき、私は上手く辛い顔を医者に向けて出来なかったと思う。早く手術の日が来ないかと、何なら待ちわびてしまった。そんな私に医者も看護師も、こいつはこちらの言っている意味が分かっているのか、と怪訝な顔をした。でもそんなことどうでも良かった。早く恭平に伝えたかった。

「私、子宮内膜症だって」

私の部屋で、皮から作った餃子を呑気に食べていた恭平の箸が止まった。私はキッチンに立ったままだった。

「何それ?」

「人間ドックを会社のあれで受けるでしょ、そん時分かって今日精密検査した」

「そうじゃなくて、大丈夫なの? どんな病気なの?」

「なんか、子宮の内側にあるはずの組織が別の場所にあって、増殖するんだって。私達の年代に多いみたい」

「それはその、子供は」

「子宮を摘出するから無理だって」

「そんな……」

恭平は、まさに心ここに在らず、という感じだった。ラグビー部出身でがたいの良い恭平は、先ほどまでのあぐらをほどき猫背で橋を持ったまま太い腕をぷらんと前に垂らしていた。動物園の安全な環境で、誰に襲われることもない自分の生涯の空虚さに遂に気付いてしまったゴリラみたいだった。その姿が滑稽(こっけい)に感じて、私は思わず吹き出してしまう。

「何笑ってんだよ! 子供が一生出来ないんだろう?」

目の前のゴリラは肩を怒らしている。この際だから、ずっと訊きたくて訊けなかったことを訊いてみようと思った。

「恭平は、どうしてそこまで子供が欲しいの?」

「どうしてって……そんなの当たり前じゃないか? 子供と出掛けたり、趣味の釣りを一緒にしたり、そんな日をずっと夢見てたんだ」

なんかおとぎ話みたいだ。彼はきっと生物の本能に、疑いをかけたことがないのだろう。目の前の男がますますゴリラに見えた。人間だけが、生殖本能に対して避妊など抗う理性も持ち合わせているというのに。

彼は私と違って平和な家庭で育っていた。愛されて育ち、そして常にクラスの人気者であったことが、屈託の無い笑顔に現れていた。一度彼のご両親にお会いしたことがあるが、私が自分の家族の経緯について簡略化しながらも話すと、広大な森から一枚の葉を見つけなければならないように、かける言葉を見つけることに露骨に困ってみせた。だから私はその両親が正直大嫌いだった。

「もっと早く検査に行けばよかっただろう!」

ゴリラが吠えた。私は一呼吸置いて彼に向かい合って座った。

「恭平は、私が子供を産めるから好きだったの?」

「……いや、別にそんな訳じゃ」

「じゃあこんな私と、結婚できる?」

「いや、それは、その……」

そうやってその日彼は何も言えず帰ってしまった。別れよう、とメールが来たのはそれから二週間後だった。やっぱり、と気づけば会社の給湯室で私は一人声に出していた。

彼は結局、私の病気について、私の身体への負担や手術の内容について、訊くことは一切無かった。そう思って、私は初めて涙が出た。泣いていることが悔しかった。彼と付き合いだしたのは、母の葬儀が終わって数ヶ月後のことだった。恭平はその大きく出来た月のクレーターの様な私の凹みをなんとか埋め、私を生かせてくれていたのだ。私の中で、想像以上に彼の存在が大きかったことをその時初めて知った。再び出て来たクレーターは前よりずっと深くって、その深さはもう私の身長を遥かに超えていた。それに私だって、周りの友達みたいに一人のパートナーとして選ばれた証の、光る指輪をつけてみたかった。

本当は子宮を全摘出しなくたって、病気になった箇所だけ摘出することも出来たし、医者もそれをしきりに勧めた。でも万が一病原部が残っていたら将来がんに発展するリスクもあるというし、生理の度にひどい腹痛に悩まされ職場で耐えきれず何度か倒れたこともある私には、選択肢が最初から一つしか無かった。それにどれだけ手術が大掛かりになろうと、幼い頃を思い出せば何も怖くなかった。

周りに相談したら、と医者は言うが、自分の身体のことぐらい自分で決めたかった。だから恭平にはその他の選択肢について、伝えなかった。


私が「私」として、愛されることは無いのだろうか。身体目的でも、生殖目的でもなく、「私」として。異性愛者だって十分辛いよと言っても、弟にとっては嫌味と受け取られてしまうのだろうか。

私はしばらくして病気や人間関係のストレスで、職場で倒れてしまった。生理痛ではなく、鬱病と診断された。あまりに聞き慣れた病名だった。


休職要と書かれた診断書を精神科からもらった帰り、私はあのラジオにメールを送った。


大丈夫、あのラジオを聴けば、きっと大丈夫。


✳︎


さあ、今日も始まりました! ど素人アイの人生相談ラジオ。この番組は、人生特に何も世間的に成し得ていなくせになぜかラジオパーソナリティになれてしまった私アイが、リスナーさんのお悩みに、何も成し得ていないからど素人だからこそ、同じ目線で一緒に悩んだり、上手くいけば解決していこうという番組です。どうぞお手柔らかに、最後まで気楽にお楽しみください。


では早速参りましょう! ラジオネーム ゴリラの元カノさん。

「私には三年程付き合った彼氏がいたのですが、最近振られました。理由は、私の子宮に病気が見つかり、子供を産めなくなってしまったことでした。彼は早く結婚し、子供をもうけることを強く望んでいました。でも私は、元々そこまで子供を望んでいませんでした。自分の家族について色々と辛い経験があり、産んでも幸せにしてあげる自信が無かったのです。だから正直、病気で子供を産めなくなったこと自体については、あまり辛くありません。

ただ、子供が産めないと分かってすぐ私と別れる決断をした彼氏には、心底残念な気持ちでした。三年付き合ったのですからそれなりに思い出もあるし、普段の彼の言動からこうなる気は何となくしていたけれど、どこかでそれでも私を選んでくれることを期待する自分がいました。

女性であるということを、猛烈に辛くなることがたまにあります。結局世の中の色んなことは男性に主導権がある気がしてなりません。この辛い気持ちを、どうすればよいでしょうか。」



メールありがとうございます。内容とラジオネームとの落差に思わずくすっと笑ってしまいました。お許しください。

さて、とてもお辛いでしょうね。病気だけでも辛いのに、それを周囲が支えてくれないというのは、下手すれば病気より辛いことかもしれません。

このメールを最初に読んだ感想は、そんなこと言われてもあなたにとって何も慰めにならないことは重々承知していますが、そんな奴と結婚しなくて良かったな、ということです。

仮に彼があなたの病気を一旦受け止め、二人だけで今後の人生を歩んでいくことを選んだとしても、どこかで「子供が欲しい」と言う願望は消えずに燻っているのではないでしょうか。それはいつ、時限爆弾の様にあなた達を襲うか分かりません。

「家族について色々と辛い経験があり」とのことですが、であれば余計、結婚相手なら本来そこを擦り合わせる必要があったのでしょうね。 あなたの辛い経験について話し、「俺がこう支えるから大丈夫だ」、とかそういう言葉が前もってあれば、結果的にあなたが子供を産めないにしても、あなたの今の気持ちはきっと大きく違ったのではと思います。

でもきっとあなたには、それを事前に打ち明けられない何かがあったのでしょう。それは彼の「子供が欲しいのは人として当たり前」という態度や、あなたの悩みを受け付けようとしなかった何かしらの態度かもしれません。

子供というのは、人生や結婚において、誤解を恐れずに申し上げると、現代ではオプション的扱いだと思います。まず結婚自体が人生のオプションであって、するかしないかは個人の自由。その上で結婚した場合子供を産むか産まないかは二人の自由。もちろん産んでからは義務に変わりますが。彼にとっては、その位置付けや順番が違ったのでしょうね。

順番、というのは、本来まず結婚が先にあるということです。それは、「結婚相手をまずお互い大事にする」ということです。彼の今回の態度には、それが見えません。大事な恋人が病気になったなら、全力でまずそれを支えるのが先決であって、子供が産めないなら結婚も無しで良い、相手も不要、というのは、結果的に子供も幸せに出来ないように思います。母を大事にしない父など、子供にとって幸せな家族であるはずがありませんから。

まずはご自身の身体を大事にされてください。その上であなたが人生のオプションである結婚を望むのであれば、今まで申し上げたようなことをちゃんと理解出来る相手が良いと思います。それはあなた自身の心も含めて、大事にすることに繋がります。



えー、また、つい長く話しちゃって一通だけになっちゃいました。このラジオは生放送です。ご相談があればFAXか、メールでお送りください。FAXの場合は、XX-XXXX–XXXXまで。メールアドレスはxxx.yy@5121.comです。


それではまた来週!





早く老後になってほしい。人生は長すぎる。私はいつもそう思ってきた。


私は会社を休職した。もう既に、六ヶ月経っていた。社会の安定したルートから外れた恐怖を打ち消すように、私はいつものモーニングが安いカフェで一心不乱にノートに文字を書き連ねた。それはこれまでの人生についてだった。

幼い頃病気で苦しみ友人を亡くしたこと、弟が学校で(いじ)められて一時期不登校になったこと、母が更年期の時期家からしょっちゅういなくなったこと、親が離婚したこと、両親ともに鬱病になったこと、祖母の死、不倫をしていたこと、両親の死、それをきっかけに弟と音信不通になったこと、病気になり、恋人を失ったこと、自分も鬱病になったこと。

医者に勧められたカウンセラーに、これまでの辛かった人生経験を振り返る様に言われたからだ。細かく出来事だけではなく感情まで書く様に言われたから、想定外にもノート三冊分にもなってしまった。それをカウンセラーに提出したら、今読む時間が無いから後で読むね、と言われた。その次の面談では、あなたは何でも自分に責任があると思い込む認知の歪みがあると言われた。それから、大学の心理学の教科書にあったような認知療法が始まった。

この経験について、あなたは自分を責めているけどこういう風には考えられない? とカウンセラーが尋ねていく。親について自己の反省が多いが、親なのだから、子供のあなたが全てを救う必要はないのではなど。

でもそのカウンセリングは私にとって根本的に何の意味も無かった。自分の今や過去の感情は自分の中ではその時点で絶対的にリアルなのであって、こう考えられたのではないかと赤の他人に言われても、捏造(ねつぞう)されているに過ぎない。自分の感情に嘘をつくのが認知療法なのだろうか。

「あなたの親御さんは、何ていうか弱いところもあるけど、あなたも必ずそうなるって訳じゃないから……」

そうカウンセラーが言ったところで、私は耐えきれなくなって自分の三冊のノートをカウンセラーからぶんだくり、その日のカウンセリング代だけ置いて病院を飛び出した。大事な感情を奪われて、肉体だけが走っている様に思えた。

父も母も弱くない。優しさが人より強すぎただけなのだ。何度もそう言い聞かせながら、家まで走って帰った。本当に全部あのカウンセラーはこのノートを読んだのだろうか。自分の見解に合う色眼鏡をかけながら読んだのだろうか。いい年した女が小学生の徒競走のように必死に汗まみれで走っていくので、すれ違う人が何事かと振り返るがそんなことどうでもいい。

息を切らしたままベッドに倒れこんで布団に丸まり、私は無駄になったノートをまた読み返した。我ながらそれなりに、散々な人生だ。


ふと、自分の人生についてラジオに投稿するのは大丈夫なのにカウンセラーと一対一で話すのはなぜ難しいのかと思った。答えは簡単で、あのラジオはいつだって私の返してほしい答えだけ返してくれた。それにラジオは相手の顔が見えない。私は誰かに自分の辛さを分かってほしいのに、これまであのパーソナリティ以外に自分の悩みや感情を話したことが無かった。さっきみたいに、相手の何気ない反応に傷ついてしまうのが恐いから。

それに自分の中だけに感情を抱え込みやすい私は、昔から親しんできたラジオや音楽のように、自分の思うままを発信することに密かな憧れを抱いてきた。勤めてきた会社では、心の底からどうでもいいことを、上司の意図に合わせて資料化し段々意味の分からないものに何度も修正させられ、まるで自分の意思のあるもののようにプレゼンさせられることしかできなかったから。


自分の溢れそうな感情を思うとこの苦労して書いたノートを無駄にするのが惜しくなり、ふと繋げて小説のようなものにしてみようと思った。小説もラジオ同様一方的だし、仮に誰かが読んでも情報を徹底的に遮断すれば嫌な反応は自分に入ってこない。

そうして私はまたいつものカフェに駆け込み、これまでの出来事を繋げた。

あのパーソナリティのように、自分の意図にそぐう理解者も登場人物として付け足し、淡々とした日記を所々会話形式にしたりして書き直した。

ただ、この先、オチはどうしよう。早く老後になってほしい。人生は長すぎる。私はいつも思ってきたそれを思い出した。それに特に人生のうちでも今が、一番将来が見えない状態なのだ。分からない自分の将来に嘘をつくのも嫌だったので、主人公は不治の病で三十代のうちに殺してやった。離島の病院で大好きな海を見ながら死んでいく。欲しかった未来が勝手に向こうからやってくる。事実に一つだけ理想を混ぜた、自分にとっては完璧なオチだ。

でも改めて書いた小説を読み返すと、私達家族はみんな不器用で社会とうまくやるのが苦手だったけど、確かに相手を思いやり、それぞれの方法で家族を愛し力強く生きてきた。共倒れしてしまうほど強く。これだけは間違いないと確信を持てた。あのカウンセラーはやはり間違えている。主人公もそうやって満足し大好きな海を見て死を迎えるという、自分なりのハッピーエンドだった。

私はそれをネットの小説サイトに投稿した。もちろんコメント欄は閉じた。

でもそれがまさかそのサイトの新人賞を受賞し、書籍化までされるとは思いもしなかった。

私の処女作は三度も重版になった。それで勤めていた会社を、副業禁止だった事もあるしどうせ続けられないと思っていたので、長い休職の末辞めた。


一番驚いたのは、長らく音信不通だった弟から一言「読んだよ」とメールが来たこと。感想も何も書いていないが、弟のことも正直に弱虫でどうしようもない奴みたいに書いたのにとりあえず怒ってないようで、また何をしているか知らないが何とか生きられているようで安心した。

それと同時に、私がペンネームを使っていてもさすがに実の弟が読めば私と分かるか、とちょっと笑えた。私は自分の作品については何も触れず、父と母の共同墓のある寺の名前だけ返しておいた。弟からは一言、「ごめん、ありがとう」と返事が来た。

私は弟が別に嫌いでは無かったが、彼との距離感は今のままぐらいがいいと思った。そして彼もそう思っているに違いないと確信めいたものがあった。離れていても、彼がなるべく自分に合った仕事に就き、愛せる人を見つけられていればいいなと、幸せを願うぐらいの気持ちはある。


のちについた担当編集は次回作についてどうするか息巻いて話してきた。

最初は社会への経済的な貢献なんかより、自分や他人の内面にしか興味が無く妄想癖のある私にとって小説家は天職のように思えたが、いざ書こうとするとどう考えたって私はもう何も書けない。だって他の作家のような創作力は無く、自分の人生をなぞるしかしたことない凡人なのだから。伝えたいことは、全て最初の本に書いてしまったのだから。

勉強の為に片っ端から名作と言われる本を読んでも、子供の頃病院の中で孤独に耐えかねて読み漁った本を再度読んでも、すごい高い崖の上から天才に、凡人は凡人の生活に帰れと言われているような気がしてならなかった。

それに私は職を失い生きていけなくなることに、両親のことを思うと極端なほどにトラウマがあり、毎日通帳と睨めっこをしていた。

次第に担当編集からかかるようになった催促の電話を無視し、私はまたあそこへメールを送った。


大丈夫、あのラジオを聴けば、きっと大丈夫。


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さあ、今日も始まりました! ど素人アイの人生相談ラジオ。この番組は、人生特に何も世間的に成し得ていなくせになぜかラジオパーソナリティになれてしまった私アイが、リスナーさんのお悩みに、何も成し得ていないからど素人だからこそ、同じ目線で一緒に悩んだり、上手くいけば解決していこうという番組です。どうぞお手柔らかに、最後まで気楽にお楽しみください。


では早速参りましょう! ラジオネーム ただの伊佐坂おばさん。

「私はしがない小説家もどきです。諸事情により三十代で会社員を辞め、あるきっかけで一念発起し書いた処女作では運良くとある新人賞頂きましたが、その後は世間的に言うヒット作に恵まれていません。

処女作は私小説のようなもので、辛かった親の離婚や死、家族の離散を主題に小説化し、そのリアルな目線から描く物語で有難いことに多くの反響を頂きました。ただ自分の人生経験に頼った作品しか私にはどうやっても書けず、前出以上の経験が独身で平凡な生活の私には起きていないことから、最初の作品を超える作品を書けていないのが実情です。

世の中には私小説だけでは当然無く、面白いSFや歴史物などもたくさんありますし、例えばこの前読んだA先生の作品では死刑囚の刑務官の実情と死刑囚とのリアルな交流が描かれていました。当然それは作者の経験した内容では無く、徹底的な取材や研究、そして圧倒的な創造力により成されたものだと理解はしております。ただ私が実際に自分の世界と全く関係ない世界について書こうとして、実際に足を運び熱心に取材を重ねても、どうしても納得行く作品に繋がらず無理に書き始めてもどこか中途半端で、担当編集者からも原案段階でボツを食らう日々です。

やはり他の先生と比べて、どこまでいっても他人事でまさに血の通っていない作品になってしまうのです。生活費も徐々に苦しくなり始めています。ただ会社員は過去の経験から自分にはもう適性が無いと感じています。私には他の先生方のような創造力が無く、所詮日記のようなものを書く才能しか無かったのだと思い知らされる日々です。ラジオパーソナリティのアイさんにお訊きするのは非常に恐縮ですが、私は今後どうしていくべきでしょうか。」



メールありがとうございます。


最後に書いて頂いた通り作家さんの世界からは門外漢な私ですのでお答えするのは恐縮ですが、出来るだけ歩み寄ってお答えしていきますね。

私もご相談を日々お受けするに当たり、自分の経験していないことについてもしお答えするとすれば非常に苦労し、自分の経験から膨らませて想像力が必要となると思います。

それと作家さんの創作とには大きな違いがあることは重々承知しておりますが、仰るようなSFや歴史物も、いきなり自分の住む世界とは異なる異世界という形から入るのでは無く、日々の生活で感じた感情や妄想がきっかけとなって、たまたま舞台が異世界だった、という場合もあるのではないかと生意気ながら思ったりするのです。

例えば誰でもAIが人間の能力を超えて地球を侵略されるのでは、という想像をしたことがあると思います。そういった作品はこれまで幾つもありますが、そこから「人間の感情までも完全にコピーする能力」をAIが持つとどうなるでしょうか。職場で誰とランチを食べてどのグループに属せばAI界でうまくやっていけるだろうかとか、家の風呂掃除は面倒だから何とか他人、正確には他AIですね、にしれっと押しつける方法はないだろうかとか、私達が日々気にするくだらない悩みを持つAIも現れるかもしれませんよね。

何だか私のくだらない物語とも言えない話をしてしまってお恥ずかしいですが、要は舞台が何であれ、物語というのは全て人間の感情とどこかで地続きなのでは無いかと思っています。だって書くのはいつも人間だから。

それにあなたは最初に私小説でヒットに恵まれたんですよね。生々しい出来事や感情のリアルな描写が、ご自身の仰る通り世間的に受けたのでしょう。あなたの人生は、本当に処女作に書いた以上のドラマや出来事はありませんか?

私はそんな人間いないと思っています。仮に平凡な他人と同じ経験をしていたとしても、人によって感じ方は無限にあるからです。元となる実体験は何も大事な人の死とか大きな出来事で無くとも、もっと小さなことでも良いかもしれません。

私が最近読んだB先生の小説では、どの学校にでもある様なスクールカーストが主題でした。自分の身の丈にあったグループに初期段階で属せないと孤独な学生生活を送るはめになるとか、クラスの代表格の子が始めた流行は絶対で、それに反する行動を取った子は異常者として皆に無視されてしまうとか、大人になってすっかり忘れていたけど、私は子供の頃を思い出し自分にしか無い昔の古傷のような感情を抉られるような思いをしました。でも読後感は嫌な感情では無く、例え物語の中でも同じ様に苦しむ人がいて、あの頃の自分に読ませてやりたいという思いと、これまで平凡にも苦労して生きてこられた自分へのある種誇りの様なものを感じました。

題材は何でもいい、リアルな感情をリアルに描くことで確実に読者の感情を掴むことがきっとあなたの得意分野なのでしょうし、きっと多くの作者さんが意識されていることでは無いかと素人ながら思います。

またあなたは今三十代とのことですが、年をとるにつれて経験も増え物の感じ方も変わるでしょう。現に、会社員の頃のあなたと小説家のあなたでは、物事の見え方が違うはずです。私もラジオパーソナリティをやる前後では、価値観など大きく変わりました。仕事で付き合う人間も変わるでしょう。C先生の本では、一風変わった文芸編集者が主人公で、かなり個性の強い作家達との触れ合いの中で徐々に友達もいなかった孤独な自らに変化を生んでいくお話でした。

生活費にもそろそろ困りそうとのことでした。もしいくら思い出しても小説の題材が無いならば、これは本当に気乗りすればですが、以前の会社とは全然別のお仕事を思い切って始めてみると言うのもありではないでしょうか。私が大好きなD先生は、ガソリンスタンドでのアルバイト勤務経験からそれを題材とした小説を書かれていて、私はガソリンスタンドでのバイト経験も無ければ主人公の取る世間的には異常行動に驚くことも多かったですが、結婚や正社員であることを正しい大人の生き方とする周囲への葛藤や自分なりに世間の正解に合わせようとする努力など、共感できる場面も多くページをめくる手が止まりませんでした。

そこまで出来なくても、親しい友人の仕事や家庭の話、もしくは昔の思い出話など深くとことん聞いてみるのでもいいでしょう。親しい友人であれば感情面でも深く共感できるでしょうし、昔の思い出話でも、あなたが忘れていた生々しい感情が友人から出てくるかもしれません。周りにいる変わった人を登場人物にしてみるのもいいかも。

更に言うなら、もし元となるものがあなたの体験談から来ていたとしても、その時感じた感情面だけを核にして、全然違う登場人物、物語に昇華することだって出来るように思います。女が男だということも出来るし、そもそも性別なんて無い世界にもできるし、年齢が全然違っても、人が動物だということも、空や木など自然とすることだって出来るはずです。一介のしょうもないラジオパーソナリティーがそんなことを言うのは僭越ですが、表現には無限の可能性があると、私は信じています。


繰り返しになりますが、門外漢からの発言大変失礼致します。あなたにとって「そんなことは分かってるわ!」「そんなことはとっくにやってるわ!」という発言もきっとたくさんあったと思います。でもそんなラジオパーソナリティの頓珍漢な発言に腹を立てる小説家のお話も読んでみたいものです。それくらい、ヒット作になるか否かに囚われずあなたの良さを活かした、あなた自身の作品であればいいなと心から願います。あなたの背中を少しでも押せていますように。次回作が書けたら、こっそりでも良いので作品名、教えてくださいね。例え何年後でも、必ず私は読みますから。


えー、また、つい長く話しちゃって一通だけになっちゃいました。このラジオは生放送です。ご相談があればFAXか、メールでお送りください。FAXの場合は、XX-XXXX–XXXXまで。メールアドレスはxxx.yy@5121.comです。


それではまた来週!





「車で黒い秋桜畑を抜けると、動物園に出た。

入ってみるとカバが人ぐらい大きな歯ブラシで歯みがきされていて、気持ち良さそうにこちらにつぶらな瞳を向けた。私は彼女に手を振った。彼女はゲップで答え、私は大いに笑った。


次のコーナーに目を向けると、たくさんのウサギがいた。白いウサギの群の中で、一匹目を引くのがいた。そのウサギの毛は青かった。青というより、瑠璃色に近いかもしれない。それはあまりに気品があって美しく、その集団の中で女王様の様に見えた。


頭の良いゴリラは、私に手を振った。胸には、小さな子供が抱きかかえられていた。その子供は決して母の胸を離さず、その温かい光景に体温がこちらにまで伝わってくるようだった。私は何故だか、胸がしめつけられた。そんな私にゴリラは木から抜いてきた桃の花を手渡し、ウィンクをして見せた。


よく見ると、園内では桃の花がたくさん咲き誇り、枝は私の手を引く様に見えた。しばらく見とれていると花の色と同じ、可愛い妖精が木の上を舞いだした。私は一緒に踊りを踊った。木についた(さなぎ)は開き、金色の(りん)(ぷん)で私達を幻想的に包む。

そこはまるで踊り場の様に地面に灯りがあって、涼しい風が吹き私の髪も踊らせた。


私は桃の木や妖精、蝶たちに手を振って再び車に乗り、夜の浜辺に出た。浜辺には細い木が頼りなく植えられていた。木にはリンゴがなっていた。私はそれを切って、将棋の駒のような形の木の方舟(はこぶね)とオールを作った。木を切るうち、なぜか頬を涙が伝った。でもその木は小さな声で囁いた。『役立たずの僕を君の役に立ててくれてありがとう、痛くないから安心して』。

そこから木の方舟に乗って、一人オールを漕ぎ始めた。私に決まった行き先は無く、一等星を目指しただ漕いだ。浜辺の近くにあった家々は、小さくなっていった。台風が通ったのか、ひどく荒れたこともあった。それでも必死に漕ぎ続けた。オールに押し出される海は、藍色の波を立てた。波が次第に落ち着いて舟から海を覗けば、黄色や赤やオレンジなど、様々に色鮮やかな熱帯魚が広い海を気持ちよさそうに泳いでいた。


空では海鳥が時々鳴き、私を追い抜こうとしていた。彼女の目には、何故か涙が浮かんでいた。私がまた涙を流すと、その鳥は『あなたは誰より優しい、あなたの未来に不幸などあるはずない』と囁き、見えない所まで飛んで行ってしまった。


もうどこまで遠くへ来たか分からなくなったところで、暗闇の奥に小さな白い灯台が見えた。そこからは、なぜか女性の声でラジオが聞こえた。私は瞬きも忘れ、舟を漕ぎ続けた。


その灯台に近づくと、一人だと思っていた海にたくさんの舟が集まっていることに気づいた。


私は彼らに声をかけた。どうしてここに集まっているの?


彼らのうち、陽気な一人が答えた。決まってるだろ? ラジオを聴くため、そして気の合う仲間でパーティをするためさ。


彼らは初めましての私も、輪に入れてくれた。パーティの為にそれぞれが作ってきたチョコレートケーキやカレーやカツ丼やピザやコロッケや温かいコーヒーなど、得意料理をたくさん分けてくれた。

彼らはお腹いっぱいになって気が良くなると、それぞれに好きな歌を歌い始めた。私も下手な歌を、躊躇いなく歌うことができた。また、好きな本について語らい合う者や、夜なのに日傘を差して、一人読書に耽る者もいた。読み終わると彼はショートケーキを食べる。子供達は折り紙をして遊んでいた。


遠くの方で、互いに舟を近づけて、キスをしあう姿も淡く見えた。二人はキスが終わると一つの舟に乗った。その時お互いのスカートをひらりと翻し、それがレースのようにふわふわと風に漂っていた。

木の方舟は、たまにはいいけれど、基本的にそれ以上近づいてはならないという彼らの境界線の役割もあると、私はその時気づいた。


辺りは真っ暗闇なのに、空には月ではなく、気弱な太陽が微笑を浮かべていた。その柔らかい光に涙を流すと、『僕とあなたの距離は遠いけれど、ずっと見守り、そして感謝しているよ』と微笑んだ。


私がようやく瞬きすると、それらはすべて、たくさんの人々も彼らの舟も、目の前から全て消えてしまった。

悲しくて泣いていると、一等星が落ちて私の薬指にぶつかり、一層光が瞬いて黄金の指輪に変化した。溢れた光は海に散らばって、一面燦々と輝いた。

よく耳を澄ますと、灯台からさっきと同じラジオだけが流れていた。

そのラジオからは確かに聞こえた。

『あなたは一人じゃない。私がここにいます』

だから私は、ここに来ればまた彼らに会える。そう信じることができた。」


✳︎


さあ、今日も始まりました! ど素人アイの人生相談ラジオ。この番組は、人生特に何も世間的に成し得ていなくせになぜかラジオパーソナリティになれてしまった私アイが、リスナーさんのお悩みに、何も成し得ていないからど素人だからこそ、同じ目線で一緒に悩んだり、上手くいけば解決していこうという番組です。どうぞお手柔らかに、最後まで気楽にお楽しみください。


では早速参りましょう! ラジオネーム あら奇遇ですね! 藍さんからです。


「眠れない夜や悩んだ時は、必ずこのラジオを聴いてきました。私は色々大変な事が多かった家族にも、アイさんからのお返事を自分なりに咀嚼(そしゃく)し伝え、出来ることは実行してきました。現実は上手くいく事もあれば上手くいかない事も多々あって大事なものをたくさん失ってきたけれど、アイさんは私の、そして家族への欲しい言葉をくれて、本当に感謝しています。

正直前回のメールを送った時、安定的な生活を取り戻すため小説家を辞めた方がよいかとも悩んでいたのですが、自分の生い立ちからのトラウマを初めて乗り越え、やりたい事を続けてみようと思いました。次回作は、昔から家族で大好きなラジオを主題にしようと考えています。それならまた、自分の血の通った文章を書ける気がするから。

そして、絵本を描いてみたいという新たな夢も芽生えました。理由は、昔学校で居場所の無かった弟がある一つの絵本に励まされ、生かされていたことを思い出したからです。その絵本は昔、私が図書室で借りた小説の文庫本を原作として、まだ漢字があまり読めない弟に大事な箇所だけ抜き出して人を動物に変換したりしながら、簡単なある絵本にしてプレゼントしたものでした。

他人の中に理解者が居なくても、本に共感や救われることがあるのは素晴らしいことだと思います。私に子供はいませんが、自分の絵本で昔の弟の様に前を向ける子が一人でもいれば素敵だと思っています。

新たに始めた塾講師のバイトをしながらなのでいつになるか分からないけれど、また出来上がったら読んでください。この前の放送を聴いて、才能が無くてもいい。誰か分かってもらえる人に読んでもらえればいいのだから、と思えるようになりました。結局これまで大事なものを失ったしまだまだ人生は前途多難だけど、これからもアイさんのラジオを聴いて生きて行こうと思います。いつも本当にありがとうございます。」




メールありがとうございます。感謝のお言葉、身に余ります。

まずは次回作、楽しみにしていますね!

これからもこのラジオと共に、自分のペースで時々休みながら、自分の大事なものだけを大事にして生きていきましょう。

どうかこれから、他人に傷つけられることがあっても、思い通りにいかないことがあっても、気にせず生きてください。

あなたはこれまで、苦難があるたび私をラジオパーソナリティにして、時には自分が家族自身になって、時には過去に遡って、私にメールを送り、自分や家族の支えになる言葉を見つけて、自分で答えを出してきました。そんな想像力豊かなあなたが、自分に合う仕事をやっと見つけられ、ほっとしています。

これからも、あなたの中にいて、あなたが欲しい言葉を送り続けます。

今日もあなたの中の真っ黒な部屋をラジオブースにして、小さな白い灯りをつけラジオをお届けします。

あなたの良さは、私が一番知っています。


だって私はあなただから。



えー、また、一通だけになっちゃいました。このラジオは生放送です。ご相談があればFAXか、メールでお送りください。FAXの場合は、XX-XXXX–XXXXまで。メールアドレスはxxx.yy@5121.comです。


それではまた来週!


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