前編<子供>
1.
ここへ来るのは三度目だ。だから空いているトイレの場所も、お風呂の場所も誰に訊かなくても知っている。誰が一番「けんりょく」を持っているかだって。着いたら、桃ちゃんは、まだ折り紙、しているのかな。
「ほら着いたぞ」パパとママと私は、車を降りる。外に出ると建物に面した雑木林から一直線に私だけを狙うように風が吹き、体の奥の方からひやっとする。
全面鉄筋コンクリートで出来た、パパが言うところの「むきしつ」なこの灰色の建物は、中の照明も何だか暗いし、悪い人ことをした人が入るっていう「ろうや」みたいだと、私はいつも思う。着いたらまたたくさん検査されて、たくさん管をつなげられて、おいしくないご飯を食べて、寝るしかやることがない。
せめて今回は窓側のベッドだといいな。今日だって窓から桃の木が、二階の窓を目指すように伸びているから。春にはかわいい花をつけるだろう。桃の花が咲けば、この「ろうや」から、きっとどこか遠く、夢の世界に連れて行ってくれそうな気がする。前回は冬の終わりに退院したから、桃ちゃんと桃の花を見るって約束、破っちゃったもんな。それでも桃ちゃんは、「元気になってよかったね!」って言って先に退院する私を見送ってくれた。
ほっぺたがピンク色で、ママに前買ってもらった植物図鑑にあった桃の花とよく似ていた。桃の花をほっぺたに二つくっつけてるみたいで、桃ちゃんはとってもかわいかった。桃ちゃんと一緒に、桃の花に連れられてどこか遠い世界へ行こう。
そんなことを考えていたら、見慣れた部屋に着いていた。ラッキーなことに、今度は桃の木がよく見える窓側の席だ。パパとママの準備も慣れていて、私はパジャマに着替えてベッドに寝て窓の外を見ているだけ。
ひとしきり準備が終わると、ママが桃をむいてくれた。
「これからなるべく毎日持ってきてあげるからね」
私は桃の花が好きなのであって、桃自体はそこまで好きじゃない。でも私が桃ちゃんの影響で買ってもらった植物図鑑でいつも桃のページを見てその話ばかりするものだから、ママは勘違いしてるみたい。でも桃を持ってくることで、ママの「つみほろぼし」になるならそれでいいや。
早く桃ちゃんに会いたい。お医者さんのいつもの検査が終わったら、早く会いに行こう。
それからたくさんの検査をして、くたくたになった。毎回同じ検査だ。
「状況は、前回の入院当初より良好です」
それを聞いてパパとママはとても喜んでいた。でも体育の時間にいつも通り見学なのに外が寒いだけで苦しくなっちゃったんだから、状況は悪いに決まっている。手術は来週らしい。それまで何をして過ごそう。最近パパが勧めてくれたラジオは意外に面白かった。子供用の番組でクイズコーナーがあったり、知らない音楽が聴けたりして、一人でも楽しい。それに友達の間で流行っている曲とか、学校に行けなくても知ることができた。桃ちゃんにも、ラジオを教えてあげよう。
「また明日来るからね」
やっとパパとママが帰って、私は逸る気持ちを抑えて走らないようにしながら歩いて桃ちゃんが前いた病室へ向かった。ベッドから少し動いただけでパパとママは怒るんだから。トイレだってお風呂だって、いつも一人で行っているのに。
でも覗いてみても知らない子しかいない。病室が変わったのだと、今度は早足で一階の受付窓口に行った。
受付は、前入院していた時には見たことない茶髪の若い女の人が一人いた。
「赤木桃ちゃんはどこにいますか?」
私は受付に背伸びしてカウンターに手を置いて訊いた。
その若い女の人は、慣れない手つきで目の前のパソコンをカタカタした。前いたおばさんならパソコンを見なくても、何階の何号室かすぐに教えてくれたのに。
「あかぎももさんというのは、どんな漢字を書きますか?」
「赤色の赤に、植物の木に、桃の花の桃です!」
私は焦っていてちょっと怒った口調で答えてしまった。その若い女の人は、返事もせずにまたパソコンをカタカタした。私はその間中、足を床にパンパン叩きつけていた。
「そのようなお名前の患者さんは、こちらの病院にはいないようですが……」
私は小さい目玉を最大限開き、その女の人にひんむけて言った。
「そんな訳ないです!二ヶ月前まで、いたんだから!!」
私のあまりの勢いに、若い女の人は椅子ごと少し後ろに下がった。
「では、退院履歴を見てみます……」
またパソコンをカタカタしている。じきに、どこかに電話し始めた。
すると一分経たない間に、見慣れた看護師長さんが来た。この病院で一番「けんりょく」を持っている人だと、ママが言っていた。
その看護師長さんは屈んで、ほとんど泣きそうになっている私と目線を合わせ、シワの目立つ大きくてまっすぐな目で私を見つめた。
「久しぶり。あのね、本当に残念なんだけど、桃ちゃんは、一ヶ月前に亡くなりました。最後まで頑張ってたんだけどね……。あなたが作った折り紙のお守り、最後までずっと手に握ってたわ。最後にあなたに会えたらどれだけ良かったことか……」
私は全部を聞き終わる前に、自分のベッドに今度は走って帰った。胸が苦しい。これは私の病気のせいだろうか。急いでベッドカーテンを閉め、一人でずっと泣いた。窓の外の真っ直ぐ生えた桃の木が、涙で滲んで歪んでいた。
まただ。慣れていたはずなのにまただ。幼い頃から入院している私たちは、当たり前のように、昨日まで生きていた友達が突然死んでしまう。サッカーが大好きでベッドでもサッカーボールばかり触っていた涼くんもそうだった。分厚い眼鏡をかけて本ばかり読んで口数は少ないけど物知りの灯ちゃんもそうだった。なのに、私は桃ちゃんがどうして当たり前のように今もいると思っていたんだろう。
桃ちゃんに教えてもらった桃の折り紙を折って、その中に、「これからまたよろしくね」って桃ちゃんへの手紙まで書いてたのに。私はその桃の折り紙をぐちゃぐちゃにしてゴミ箱に捨てた。いつも優しい桃ちゃん。当時別の部屋でベッドが廊下側だった私を自分の部屋の窓側まで呼んで、桃の木の緑の葉っぱが太陽に当たると、葉っぱが光を窓まで届けてくれてるようにキラキラして綺麗だと教えてくれた桃ちゃん。桃の花言葉は、「女の子の健やかな成長」で、生まれつき病気だったからパパとママが桃って名前にしてくれたのと教えてくれた桃ちゃん。人見知りな私に、涼くんとも灯ちゃんともお話できるよう、いつもみんなの中心で桃の花のようにみんなを明るくしてくれた桃ちゃん。涼くんのときも灯ちゃんのときも、一晩中一緒に泣いてくれた桃ちゃん。
次の日の朝、ママが病院に来た。
「どうしたの!目が真っ赤じゃない!」
私は何も答えなかった。ベッドの布団に丸まって、顔をなるべく隠していた。じきにママは桃を剥き始めた。あの甘い匂いが、今の私にはとてもうっとうしく鼻についた。気づいたらママがテーブルに置いてくれた桃を、私は手で思いっきり払ってしまった。桃が紙皿と一緒にぼとっ、と鈍い音を立てて床に落ちた。熟れた果汁の雫が床にゆっくり垂れる。少しの罪悪感が湧いたが、今更謝る気にはなれなかった。
「何してるの!あなた、桃大好きだったじゃない!」
私は別に桃は好きじゃない。桃の花が好きなのだ。そして桃ちゃんのことが。
「三回目の入院が辛いのは分かるけど、食べ物を粗末にしちゃダメじゃない!ママもおいしい桃を探すのに、昨日からスーパーを駆け回ったのよ!」
ママはまた自分のことだ。私は延々泣いた。ママは落ちた桃を拾って片付けながら、私が泣いている理由を話し始めるのを待った。でも決して話したくなかった。自分が話した時に初めて、それが「しんじつ」になる気がした。
いつまでも私が布団に潜って話さないので、観念してママは席を立った。ママが信頼する「けんりょくしゃ」の所へ行ったのだと私は分かった。十五分後ぐらいに帰ってきた。
「桃ちゃんの件、聞いたわ……。ごめんなさいね、私無神経に桃なんか持ってきて……。でも最後まで桃ちゃんはあなたのことを思ってたみたいじゃない。悲しいけど、桃ちゃんの分まで頑張って生きないとね」
ママは五分前にこう言おうと決めた内容を、まるで幼稚園でやった劇の台本を読むように話した。涼くんのときも、灯ちゃんのときも、同じようなことを言った。
「桃ちゃんの分まで頑張って生きる」って何だろう。私と桃ちゃんは友達だけど別人で、二人が一人になってもう一人の分まで生きるって一体どういう意味だろう。桃ちゃんは私と違っていつも笑顔で可愛くて明るくて桃の花みたいで、私と桃ちゃんは全くの別人なのだ。それに、私が桃ちゃんの分まで生きますと言っても、あの優しい桃ちゃんのパパとママはちっとも嬉しくないだろう。
「……ママ、今日は帰って」
ママはそれでもしばらく私の背中をさすったが、じきに諦めて「また明日も来るからね」と帰っていった。外では桃の木が蕾をつけ始めている。あの中から、桃ちゃんがこっそりあのかわいい笑顔で出てきてくれないだろうか。
二回目の退院許可が出た時、桃ちゃんと一緒に退院すると私は言ったけど、パパとママは小四になった私を学校の勉強に遅れちゃいけないからと無理矢理退院させたんだ。せめて最期一緒にいてあげたかった。あんなに元気だった桃ちゃんが、私が出た一ヶ月後には亡くなっていたなんて。
私は何だか申し訳ない気持ちになってきた。桃ちゃんは最後どんなことを考えただろうか。私のことを思ってくれただろうか。優しい桃ちゃんのパパとママのことを考えただろうか。涼くんや灯ちゃんには会えただろうか。熟れた桃のように目がずっと涙で濡れて枯れることはなかった。
次の日から、ママは桃じゃなくてイチゴとか季節の果物を持ってくるようになった。私はそれを食べたり食べなかったりで、いつまでも植物図鑑の桃のページを見続けた。
心臓が痛むことも薬の副作用でしんどくなることも、桃ちゃんがいないことに比べれば全然辛くなかった。でもママから、「こんな体に産んでごめんね」と言われるのは大嫌いだった。確かに学校で友達ができないことも、勉強についていけないことも辛かったけれど、私は病気になってこの病院に来なければ、涼くんにも灯ちゃんにも桃ちゃんにも会うことは無かったのだ。
私はこの病室にいる見慣れない子達と、また次第に仲良くなるんだろうか。
でもその子達も、また死んでしまうかも知れない。あと何回、こんなことを繰り返すんだろう。私も窓に伸びる桃の木から、桃ちゃんたちのところへ連れて行ってほしい。
しばらくして、私はあのラジオにお手紙を書いた。書き終わると疲れて眠っていた。
外の桃の木は、夜の間も一生懸命病院の窓に近づこうと枝を伸ばしている。その枝の一つ、それについたさらに一つの花が、季節外れに早めに咲いた。一等星の様に光るそれは、優しく私に話しかける。
「ありがとう、ずっとずっと大好きだよ。これからは、あなたの胸の中で咲き続けるから」
目が覚めて慌てて窓を見ても、まだどれも遠慮がちに茶色と緑の服を着た蕾だった。もう一度私は眠り、同じ夢に戻れるだろうか。
大丈夫、あのラジオを聴けば、きっと大丈夫。
✳︎
さあ、今日も始まりました!ど素人アイの人生相談ラジオ。この番組は、人生特に何も世間的に成し得ていなくせになぜかラジオパーソナリティになれてしまった私アイが、リスナーさんのお悩みに、何も成し得ていないからど素人だからこそ、同じ目線で一緒に悩んだり、上手くいけば解決していこうという番組です。どうぞお手柔らかに、最後まで気楽にお楽しみください。
では早速参りましょう!ラジオネーム桃の花のお友だちさん。
「私は、生まれつき心ぞうの病気にかかっています。退院して少しの間学校にも行っていましたが、ちょっと動くとすぐ苦しくなって、同じ病院に何度も入院しています。いつなおるかも分かりません。病院は本当にひまで、ラジオを聞いたりしてひまをつぶしています。なんで自分は学校の同じクラスの子と同じように外であそべないのかと思うといつもかなしいです。お父さんお母さんも私の病気にかなしんでいて、よくおみまいに来てくれますが、『こんな体にうんでごめんね』と言われるのがつらいです。
でももっとつらいのは、同じ部屋で入院する私と同じような年の子たちが、知らない間にいなくなることです。ああ、あの子も死んだんだって、とってもかなしくなります。ついさい近も、私の退院している間に大好きな子が死んじゃいました。ママは、『その子の分までがんばって生きなさい』と言うけれど、その子と私はちがう子だから、『その子の分まで』ってママの言う意味か分かりません。アイさんは、どういう意味か分かりますか?」
お手紙ありがとうございます。可愛い字ですね。暇つぶしにラジオを聴いてくれて本当にありがとう。
読んでいる間悲しくなっちゃって、私も泣いちゃいました。でも私が想像する何倍も、ここに書き切れていないたくさん辛いことがあるでしょうね。
読んでいて思い出したのが、私の尊敬する村山聖さん、という将棋をされていた方です。その方も三歳頃から重い病気で幼い頃から大人になっても入退院を繰り返していました。私がなぜその方を尊敬しているかというと、病床で書かれた手記にこのような言葉があったからです。「人間は悲しみ、苦しむために生まれた。それが人間の宿命であり、幸せだ。僕は、死んでも、もう一度人間に生まれたい。」
「人間は悲しみ苦しむために生まれた」というのは、今の年齢のあなたにはとても辛く聞こえるかもしれません。でも私は、辛い時にこの言葉を知り希望を見出しました。直接村山さんご本人から聞いた訳では無いので勝手な私の想像なのですが、この「人間は悲しみ苦しむために生まれた」というのは、「悲しいことや苦しいことを乗り越えようとすることこそが人間らしさだ」という意味なのかなあと勝手に思っています。
人間は他の動物より高等な脳を持ち、それゆえ大事な人の死とかたくさん辛いことも経験します。もちろん他の動物にも仲間の死はありますが、人間と同じ複雑なレベルで悲しみを認識できている可能性は低いでしょう。その人間特有の悲しみ、苦しみを乗り越えようとすることにも、人間にしかできない、人間らしさなのだと思います。
重い病気に罹りながら人間らしく生きて乗り越えようとしていく過程を幸せで、もう一度人間に生まれたいと言い切れる村山さんの人間としての強さに、私は本当に尊敬を覚えています。村山さんは入院で外に出られない中親から将棋を教えてもらい、その面白さにのめり込んで名人という将棋で一番の称号を目指し命がけで、時には入院する病室から抜け出してでも勝負に臨みました。その結果、羽生善治さん、というお名前はもしかしたらどこかで聞いたことがあるかもしれませんが、今も活躍されているすごい将棋のプロの方と、善戦を繰り広げるまでになられました。
村山さんの話が長くなってしまいましたが、あなたと村山さんが似ているな、と思うのは、まず人間らしい優しさです。村山さんも幼い頃病院で周りの子達が死んでいくことに非常に心を痛め、平和をいつも願っていました。大好きな将棋も、勝ち負けを決めることが本当に自分のやりたいことなのかと思い悩んでしまうほどでした。そして家族から病気のことについて「申し訳ない」と言われても、「家族のせいじゃない、病気があってこその僕だ」と言い切りました。
誤解してほしくないのは、今のあなたに、「苦しむことが幸せだと思え」なんて、そんなしんどいことを言うつもりは全くありません。村山さんもこの境地に至れたのは、大人になってからだと思います。友人を失うことは、自分の病気以上に辛いでしょう。
言いたかったのは、苦しんでいるあなたにしか、他人の死に特別な感情を抱く優しさなど、得られないものがたくさんあるはずです。また村山さんの将棋の様に、何かに夢中になってそこに生きる意味を見出せることもある、ということです。別に将棋でなくてもいい。ラジオでも何でも構いません。そして、希望を持ちながら生きることできっといつか病気を乗り越えられますように。
あと、「誰かの分まで頑張って生きる」って言うのは、確かに難しい言葉ですね。だって、あなたとその友人は、あなたの言うようにあくまで別人ですもんね。私がもし言い換えてあげるなら、「大人になってあなたの病気が治っても、その子達のことを忘れずに生きなさい」という感じでしょうか。
あなたはその子たちから、優しさとかきっとたくさん良いものをもらって生きてこられたと思います。それはあなたにとって、辛いことでもあるだろうけど、生きていく上でとっても大事な宝物になります。それを忘れずに、他人の命を大事に思う気持ちを忘れずに、どうかあなたは生きてください。
それと、ご家族の「申し訳ない」と言うのは、今すぐ言うのをやめてもらいましょうね。それはあなたを救う言葉ではなく、ご家族自身が勝手に抱く罪の意識の様なものを自分で慰めるものでしかないのですから。もし桃の花のお友だちさんさえ良ければ、このラジオを一緒にご家族と聴いてみてください。
今苦しむあなたが、必ず幸せを感じられますように。
えー、また、つい長く話しちゃって一通だけになっちゃいました。このラジオは生放送です。ご相談があればFAXか、メールでお送りください。FAXの場合は、XX-XXXX–XXXXまで。メールアドレスはxxx.yy@5121.comです。
それではまた来週!
⒉
僕はその日少しドキドキしながら通学路を歩いた。最近果物の香りつきの消しゴムが`クラスで流行っているらしい。友達のいない僕には誰も教えてくれなかったけれど、西村くんや江口くんや松田さんや赤井さんなどイケてるグループの子たちがみんな同じ文具店で買ったそれを持ち始めて、いつの間にか僕以外のクラスの全員が持っている。
僕は昨日学校の帰り、一目散に走って学校の誰にも見つからないようにその文具店に行き、同じシリーズの消しゴムを少ないお小遣いの中から買った。ぶどうとイチゴの香りはそれぞれ西村くんと松田さんが持っていて同じのを買うのは生意気だと言われる気がしたし、僕はママの剥いてくれたウサギ型のリンゴが好きだったから、リンゴの香りのやつを買った。それを今日から使うのだ。そうすれば、僕も仲間に入れてもらえるかもしれないから。
朝学校に着くと、僕の上履きが無かった。でも大丈夫。いつも近くのゴミ箱に捨てられているのを知っているから。僕は何もないように、いじめられていませんよという顔をして、ガサゴソとゴミ箱から上履きを取り出す。それはいつもとっても惨めなことだけど、今日はあのリンゴの消しゴムを持っている。
授業前にみんなが昨日見たテレビの話をしている中、僕は孤独で暇な人、と見られないようにいつものようにカバンからペラペラの薄い本を取り出す。うちにはテレビは教育に悪いと子供には見せてくれなくて普段こっそりラジオしか聞かないから、みんなが話すテレビの話はよく分からない。消しゴムを買っちゃったから今月新しい本はもう買えず、この本を読むのはもう三回目だ。
孤独な青いウサギが、みんなと違うその毛色で白いウサギたちにいじめられていたけれど、ラズリ王国という国から来た女王様にその青い毛色の美しさを褒められ、白ウサギとも徐々に仲良くなっていく物語。大丈夫、僕にもそんな日が必ず来る。
いよいよ授業が始まって、僕は筆箱からリンゴの消しゴムをこっそり出した。使うのがもったいない気がしてなるべく字を間違えないように、間違えても角から徐々に最低限で使っていた。二限目が担当の先生の体調不良で急に自習になり、隣の席の西村くんが急に大声を出した。
「おい、リンゴの匂いがすると思ったら、ガイコツが、あの消しゴム使ってるぞ!」
ガイコツ、というのは僕のあだ名だ。僕は体が細くて理科室にある骸骨の標本にそっくりだという単純な理由で、西村くん発信でクラス中にそう呼ばれるようになった。
クラス中の視線が窓側の席の僕に集まる。すると松田さんがすかさず、
「げえ、それ女子のやつじゃん!気持ちわりい!」
と言った。
よく聞くと、彼たちのルールでは、女の子はイチゴかリンゴ、ぶどうかメロンが男子専用らしかった。
僕がその消しゴムを慌てて筆箱に隠そうとすると、西村くんは僕の手からそれを無理矢理奪い取って教室の窓から校庭に投げ捨てた。僕は思わず、ひゃあ、と声が漏れた。周りは僕のその間抜けな声を聞いて笑った。真似をする人もいた。
僕の消しゴムを投げた後西村くんはその手で前の席の江口くんの背中にタッチした。江口くんも慌てて近くの赤井さんにタッチした。赤井さんは最悪ー!と言いながら、僕のように大人しい早野さんにタッチした。早野さんは迷惑そうな顔で読んでいた本から少し顔を上げただけだった。そこでその遊びは終わった。僕は自然に涙が出た。それでクラスは大騒ぎになった。
「ガイコツが泣いてる!」「女の子みたい!」「気持ち悪い!」
その合いの手は一度起きると竜巻のように、僕の感情をすべて吸い取っていく。
隣のクラスの保健体育の先生が、騒がしいうちのクラスの様子を見かねてやってきた。僕は保健委員に保健室に連れて行かれた。西村くんや江口くんの、アイツが勝手に泣き出したんだという先生への叫びが背中に聞こえる。
僕は保健室の先生と少し話した後先生がトイレに行った隙にすぐに保健室を抜け出して、校庭に消しゴムを探しに行った。三十分程探して、草むらの奥から見つけた。綺麗な赤色の消しゴムは、土まみれになってしまった。でも水で洗い流す気にはなれなかった。甘いリンゴの香りが消えてしまいそうだから。
次の日から、僕は学校に行けなくなった。今日も僕の上靴は誰かにゴミ箱に捨てられているだろう。そのまま僕が拾わなければ用務員さんが、僕の上靴が入っているとも知らずに捨ててしまうかもしれない。僕の机をタッチしあって、今日も西村くんや江口くんや松田さんや赤井さん達は遊んでいるかもしれない。そんなことをぼーっとベッドの中で考えていた。何も無い天井を見つめる。
お母さんにはお腹が痛いと言ったけど、三日目でさすがに嘘だとバレてしまった。正直に話したけれど、お母さんは「学校のお勉強についていかないと、将来困るよ」としか言わなかった。こんなに傷ついても、学校に行かないと将来困るのだろうか。いじめられた上に将来困るなんて、なんて世の中ひどいんだろう。僕はご飯とトイレ以外、部屋の外に出なかった。お母さんは顔を合わせる度に嫌味のようにため息をついた。でも机の引き出しにしまった土まみれの消しゴムをみるたびに、どうしても学校に行く気になれなかった。
そうして一ヶ月が経った頃、お父さんのラジオをこっそり自分の部屋に持ち込んで夜中に聴きながら、メールを送った。
大丈夫、あのラジオを聴けば、きっと大丈夫。
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さあ、今日も始まりました!ど素人アイの人生相談ラジオ。この番組は、人生特に何も世間的に成し得ていなくせになぜかラジオパーソナリティになれてしまった私アイが、リスナーさんのお悩みに、何も成し得ていないからど素人だからこそ、同じ目線で一緒に悩んだり、上手くいけば解決していこうという番組です。どうぞお手柔らかに、最後まで気楽にお楽しみください。
では早速参りましょう!ラジオネーム仲間はずれの青いウサギさん。
「ぼくは小学三年生です。学校でいじめを受けています。上ぐつはかくされるし、ぼくのつくえにさわるとみんな「きたねえ!」と言って手でべつの子をタッチしあったりします。ぼくはみんなよりとっても細く、みんなからガイコツと呼ばれています。何もわるい事をしてないのに、そんなことをされてぼくはとっても悲しいです。
この前大事にしていた消しゴムを教室から校庭に捨てられて、とうとう学校に行けなくなりました。学校に行かないとお母さんは悲しみます。『学校のお勉強についていかないと、しょう来困るよ』と言います。お母さんが悲しむのはとてもいやです。でも学校には行きたくありません。とっても辛い思いをしても、学校に行かないとお母さんが言うようにしょう来困るんでしょうか。」
メールありがとうございます。可愛いラジオネームですね。私も多分同じ本、昔読んだことあります。
さて、色々と心が痛みますが、まず結論から。学校に行かなくても、将来困りません。それよりそんなに辛い思いをしてでも学校に行く方が、将来大人になってその時はいじめられていなくても、きっとあなたを困らせるはずです。
お母さんの言う「学校に行かないと将来困る」というのは、勉強して良い学校を出ないと職業に就くときに困るとか、他の子と協調性を持って何かを取り組む事を子供のうちに学ばないと、将来他人と協力してお仕事出来ない、という意味かと恐らく思います。
でもそんなこと、あなたが今傷つけられていることに比べたら、きれいな心を持つあなたに汚い言葉を使ってごめんなさい、糞食らえって感じなんです。
私も小学生の頃、「無視ゲーム」と言って、クラスの女子の代表格みたいな子が、誰か一人、その時気に食わない子を急に無視するというのが流行ってしまったことがありました。私はその代表格の子と同じグループにいて、何で機嫌を損ねたか分からないのですが、四番目くらいに無視されました。無視されている間は、他の子も誰も喋ってくれないし、男子から軽く殴られたりもしました。それは期間として一ヶ月も無く、また何のきっかけも無く終わり、元の生活に戻りました。
でも、大人になっても、その時傷ついたことがずっと心に残っている感じがするんです。どこかで他人にまた無視されないよう、機嫌を損ねないよう気を張って、他人に気を遣い過ぎてしまっているようなんです。昔母親が私の一人暮らしの家に来た際、部屋の温度が適切か何度も訊くうちに母から「何で私にまで気を遣うの?」と言われたこともあります。気を遣い続けるのは、ご存じの通り、とっても疲れます。もっと大胆に生きたいと、いつも思っています。
私の話が長くなってごめんなさい。でもそれくらい、傷ついたことは心に残り続けてしまうんです。だから一刻も早く、傷ついたらその場から逃げる必要があります。だからあなたが学校を休んでいると聞いて、私はほっとしています。
でもまだ、本当に学校に行かなくて良いかのお答えにはなっていませんね。青いウサギさんには、将来なりたいものがありますか?例えばお医者さんや弁護士さんなど、世の中には良い大学を出ていないとなれないものがあります。でも、それって学校じゃ無くても勉強できます。一人で教科書を読んでもいいし、ご家族のどなたかに教えてもらうのでもいいでしょう。
もし、まだなりたいものが見つかっていないなら、そんな努力も必要ありません。勉強が嫌いでなければ、気が向いたら、将来やりたいことが見つかった時のために家で教科書をパラパラ開いてみるのでいいです。小三になったら薄々気付き始めている通り、学校の勉強なんてほとんどの人がちょっとの簡単な計算とちょっとの作文以外、将来あまり役に立ちませんから。そうしているうちにもしあなたが興味を持てる分野が一つでも見つかれば、学校でただぼうっと授業を受けている子よりよっぽど意味のあることだと思います。
お母さんが協調性のことを言っているなら、それも大した問題ではないです。だって、そもそもそんなひどいことをする奴らと、協調なんてできる訳無いでしょう。こっちがいくら努力したって、向こうに協調性が無いのですから。
それに協調って、学校の友達とだけするものでも無いです。家族でもいいし、動物を飼っていたらその子達でも大丈夫です。それに、子供の時に学校で学ぶ協調性と、大人になって実践する協調には、少し違いがあります。会社には上司がいるし、上下関係があって同級生や年の近い子達だけと接するのとは訳が違います。学校で友達が沢山出来る子が大人になって、会社でも全く人間関係に困らないかというと、全然そんなことありません。
それにインターネットが発達した現代で色んな働き方が可能になり、一人で仕事をしている人も多く協調性が生きるのに必須とも言い難いです。あと、きっと繊細な青いウサギさんは、既に他人を大事にする協調性を持っている気がしています。それでももし、青いウサギさんがお友達を欲しいなら、他の学校に転校するとか、趣味の習い事をするとか、いくらでもあります。最近では、不登校の子達を専門にする学校もあるようです。同じ様な傷を持った子の方が、仲良くできるかもしれませんね。
それに学校で学ぶことより必要なことがあると私は思っています。自分のやりたいことを見つける、自分らしさを大事にする、自分のことは自分で決める、逃げる時は全力で逃げる、です。
途中で将来なりたいものをお訊きしましたが、大人になると普通は仕事をしないと生きていけません。普通の会社員であれば平日八時間ぐらい、毎週五日ほど、仕事をします。だから、まあ本当はそれだけじゃ無いんですが、仕事そのものがその人の人生だと多くの人が思っています。どうせそんなに時間を使うなら、好きなことを仕事にしたいですよね。青いウサギさんは何をしている時が一番楽しいですか?絵を描く時とか、好きな歌を歌う時、アイドルを応援する時とか、人によって様々だと思います。それに近い事が仕事になる方が良いですよね。
あとその時大事なのは、自分の得意なことも合わせて考えることです。例えばアイドルを応援するのが趣味として、人前で目立つのが苦手だったら自分がアイドルになるのはやめておいた方がいいでしょう。でも例えばプロデューサーとか、コンサートスタッフとか、作曲家とか、それに関わるお仕事は沢山あります。
もしこれは?と言うのがあれば積極的に調べてみましょう。それはとても大切なことなのに学校では全然教えてくれなくて、学校では学校の先生以外の職業についてちゃんと知ることが出来ません。図書館で近い本を探してみるとか知り合いに近い職業の人がいれば聞いてみるとか、自分で行動することが大事です。
ほとんどの人が、将来社会人になるまでやりたいことが見つけられず、何となく入れた会社に入ります。でもそれって、想像する以上に苦痛です。やりたくないことをやる時間が、下手したら寝ている時間より長いんですから。これが、自分のやりたいことを見つける、です。学校で出来ない、色んなことを体験してみてほしいです。ラジオを聴くのもその一つですね。
そして、自分らしさを大事にする。例えば繊細だとかわがままだとか、自分らしさって何かなって早めに気付くことです。そう、あの物語の様に、青いウサギの自分らしさは、他のウサギと違って毛が青いことでした。
でも私は、それだけでラズリ王国の女王様に気に入られただけではないんじゃないかな、と思っています。白いウサギ達にいじめられる度泣いていた青いウサギは、きっと繊細で豊かな感受性を持っていたと思うのです。分かりやすく言えば、人の心を思いやり、細かなことでも気づいて気を配れる、といった感じでしょうか。繊細で豊かな感受性があれば、例えば他人を傷つけることはしないでしょう。
勝手な想像で申し訳無いのですが、そのお話が好きなあなたはきっとその繊細で豊かな感受性を青いウサギと同様、持っているのではないかと思います。
これはすごく大事なもので、あなたにしか無いものです。他の人の気持ちが話さなくても分かったり、綺麗な文章が書けたり、自然の美しさにも他の人より気付きやすいかもしれません。さっき子供の頃された嫌なことは大人になっても心に残ると言いましたが、悪いことばかりではなくて、あなたの綺麗な心を磨くことだってあります。それは長所でしかなくて、きっとあなたがやりたいことにも繋がっていくはずです。
そして、自分のことは自分で決める、逃げる時は全力で逃げる、です。今回私は学校に行かない、別の学校に転校するとか、色んな選択肢を申し上げました。逆にどうするれば良いか混乱させているかもしれませんね。
でも、まだ若いあなたに厳しいことを言う様ですが、自分のことは自分で決めるのが大事です。ただあなたはまだ若いですから、勝手に一人で転校したりはできませんよね。もし良ければお母さんと一緒にこのラジオを聴いてください。そして、どうすべきか、一緒に話し合ってみましょう。
お母さんがそれでも今の学校に行きなさいというなら、お母さん、ここまで聴いてギクリとする所はありませんでしたか?子供の頃傷ついたことは大人になっても忘れないとか、人生で誰もが一つはあるはずです。本当にお子さんにとって大事なことは何か一緒に考えてみてください。
お母さんの考えがもしこれでも変わらないなら、学校の先生か、親戚か、誰かもしいれば、信用できる大人一人を見つけてこのラジオを聴いてください。それぐらい正しいことを言っていると、私は自信を持って断言します。
あと大人になっても、逃げる、というのは相当必要な力になります。大人はとにかく何でも習い事など、一度始めたことは続けるように子供にうるさく言いますが、子供の時苦手で嫌いなことって、どうせ大人になってもやらないです。大人の間でもそうです。就いたお仕事が嫌なら、とっとと転職した方が幸せです。自分で決めるように、と言いましたが、最後にはどうかあなたがこれ以上傷つかない選択肢を選んでくださいね。応援しています。あなたが生きているだけで、十分素晴らしいことなんですから。
何だかすごく現実的な話ばかりになってしまいましたが、あなたがあなたでいるだけで本当に素晴らしいことです。最後に覚えていてください、学校にいる皆より大事なものを、既にあなたは持っているんですから。
いつでも私は味方です。
えー、また、つい長く話しちゃって1通だけになっちゃいました。このラジオは生放送です。ご相談があればFAXか、メールでお送りください。FAXの場合は、XX-XXXX–XXXXまで。メールアドレスはxxx.yy@5121.comです。
それではまた来週!
⒊
「お姉ちゃん…」
弟が申し訳無さそうに私の部屋に入ってくる。まただ。私は弟の顔も見ずに、
「自分で剥がして洗濯機に入れておいて。後はやっとくから」
と答えた。
弟は小さい声でごめん、と言って私の部屋を出た。洗濯機のある一階まで降りてまた登る足音の後、向かいの弟の部屋からいつもの泣き声が聞こえる。私はそれを遮断するためにイヤホンでラジオを聴きながら洗濯機に向かった。
お母さんが家を出て今日で一週間になる。今までで最長記録だ。お母さんは、昔はよく食べて太っちょで明るくて優しかったけど、弟が生まれてしばらくしてから、気に入らないことがあると遠くのおばあちゃん家に何も言わずに帰ってしまうようになった。またこの頃から、お母さんは子育てを機に辞めていたタバコを再び吸うようになった。
出て行く前にお母さんはいつも出前代を置いていってくれるけどお母さんがいつまでいないか分からないから、節約のために一生懸命ネットを見ながらカレーを作った。最初は弟にも食べさせたけど、それも三日で飽きたというので、カップラーメンにした。体に悪いとは分かっていたけれど、今自分や弟の健康のことなんてどうでもよかった。
それも飽きたと弟は泣くけれど、元はと言えばお母さんが今回出て行った理由もまた弟のテストの点数が悪かったせいなんだから、黙って食べていればいい。勉強教えてあげてるのになんであんな悪い点数なのか私には理解できない。小四にもなって、未だにお漏らしすることも。
夜中に帰ってくるお父さんに頼んでも、お母さんに電話してくれない。ラーメンに飽きたなら出前を取れと、一万円置いて寝てしまった。明日も接待でゴルフに行くらしい。それは、お母さんが帰ってくるより大事なことなのだろうか。
翌日お父さんにもらったお金で弟が好きなカツ丼を頼んでやったら、大喜びで食べていた。なんて呑気な奴なんだ。
お母さんが初めて出て行って弟がお漏らしした日、私は弟を怒鳴りつけた。
「小四にもなって、何でお漏らしなんかするの!恥ずかしくないの⁉︎ただでさえお母さんが居なくて大変なのに、仕事増やさないでよ!」
弟はわんわんと一時間以上泣き続けた。お母さんに怒られた時と同じ様に泣いた。私がお母さんと同じ様に怒ったからだ。昔お母さんの怒り方を頭の良い友達の優ちゃんに話したら、「それはヒステリックってやつだね」と教えてくれた。意味が分からなかったから帰って辞書で調べたら、まさにお母さんそのままだった。
「私の子が、なんでこんなこともできないの!」と泣き喚き、怒り叫び、汗と涙に肉体がまみれて時々その辺にあるものを投げてしまう。それが始まると当日か翌日にはお母さんはおばあちゃん家に帰ってしまう。そんなことをもう何度も繰り返してきた。
遺伝ってやつなのか、お母さんがいないと私は弟にも「ヒステリック」になってしまう。私はどこかに勝手に出て行くことは無いけれど。だって中二で来年には受験生なのだ。それなのに弟の世話で時間を取られて、中々勉強できない。うちはお金がないから公立に絶対行けと強くお父さんお母さんに言われている。もし公立の高校に落ちて私立に行くことになったら、お母さんは一生帰って来ないかもしれない。
私が弟のご飯を作るためにいつも早く帰る様になって優ちゃんと話すことが減って、優ちゃんは他の子と遊ぶ様になってしまった。でも昼休みとか、時間を見つけて優ちゃんは今でも話しかけてくれる。
でも優ちゃんが他の子と話す最近の流行りのお笑い番組の話とかに、私は追いつけなかった。テレビを見る暇も無いのだ。それでも優ちゃんは名前の通りいつも優しかった。私が話についていけないと分かると、家族で釣りに行った話とかに変えてくれた。
でもそれがまた辛かった。私の家族が最後に一緒に出掛けたのはいつだろう。三年前、お母さんがおかしくなる前、海が好きな私の希望で近くの海水浴に行った以来だ。あの頃のお母さんは海で見た太陽の様に笑っていた。それがどうしてだろう。弟が小学校に行き始め、お父さんが土日も働き出してから、まるで別人になってしまった。
「優ちゃんの家族の話はいつも楽しそうで、うらやましいよ」
「そう?でも喧嘩する事もあるよー。この前もテレビで野球か歌番組見るかお父さんとケンカしちゃって。結局でも、優の見たい歌番組見せてくれたんだけどね」
それはケンカじゃなくて、家族団らんだよ、と言おうとして私はやめた。
お父さんとお母さんがいつも優しいから、優ちゃんも優しいのだ。じゃあ私は?弟を怒る時、いつも泣き喚くお母さんに似ていること、考えない様にしてきたけどいつもどこかで感じていた。私も将来あんな風になってしまうの?結婚して家庭を持っても、子供のテストの点数の悪さやお漏らしに「ヒステリック」に怒るお母さんになってしまうの?
一度そうやって考えたら、私は抜け出せなくてしまう。真っ暗闇の海へ、放り投げられてしまうのだ。昼の海は穏やかだけど、夜の海は静寂で真っ暗で、宇宙のブラックホールのようにすべてを飲み込まれるような錯覚に襲われる。
お母さんが出て行く度、その夜の真っ暗な海を、何の動力もついていない木の舟でお母さんが一人オールで漕いで行く絵が、何故か毎回浮かんでしまう。あんなにうるさく泣き喚くのに、その絵ではお母さんも海も本当に静かだった。私が「待って」と必死に叫んでも、その声は反響して少し海に波紋が出来るだけで、お母さんは決して振り向いてくれない。
夜の舟が突然の波に流されればもう帰ってこないかも知れないと思うと、本当に怖かった。本当はバスでおばあちゃん家に行くだけだからそんな事は絶対無いのだけど、なぜかそんな絵が浮かぶのだ。そしてそんな日は必ず、私も同じような風景で一人木の舟を漕ぐ夢を見る。
そんな時私はいつもラジオを聴く。これ以上、余計な事を考えなくて済むから。
そうしていたら、夜中にお母さんが帰ってきた。一階でお父さんとお母さんが何やら揉めている。
「また子育て放棄しやがって!こっちが仕事しながら面倒見るのがどれだけ大変か分かってるのか!」
嘘つきだ。弟の面倒を見たのは全部私だし、お父さんは一万円くれただけだ。
「あなたが仕事ばっかりで助けてくれないからじゃない!土日もゴルフばかり行って!出来の悪い陽太の面倒見るのがどれだけ大変か知らないでしょう!」
そう言うと決まってお母さんは二階の物置部屋にこもって、タバコを吸いながら最近流行り始めたバンドの同じ曲を延々大音量でかけ始める。
次第に向かいの部屋の弟の泣き声も聞こえる。もうたくさんだ。優ちゃんの家族に入りたい。嘘だ、本当はお母さんがおかしくなる前に戻って、仲良い家族に戻りたい。
そして自分が将来結婚できたら、今みたいじゃなく幸せな家庭にしたい。でももし私にも夜の海で木の舟に乗る時がきたら?
それでも私は分かっていたのだ。お父さんとお母さんは私達のことを嫌いって訳では無いことを。ただ、自分達のことで今は精一杯なんだ。どうすれば戻れるだろう。私は色んな音を遮るためにラジオの音量を最大にして、メールを書いていた。
大丈夫、あのラジオを聴けば、きっと大丈夫。
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さあ、今日も始まりました!ど素人アイの人生相談ラジオ。この番組は、人生特に何も世間的に成し得ていなくせになぜかラジオパーソナリティになれてしまった私アイが、リスナーさんのお悩みに、何も成し得ていないからど素人だからこそ、同じ目線で一緒に悩んだり、上手くいけば解決していこうという番組です。どうぞお手柔らかに、最後まで気楽にお楽しみください。
では早速参りましょう!ラジオネーム夜の海を泳ぐ木の舟さん。
「私は今の家族が好きではありません。私は中二の女子です。お父さんは仕事が忙しくあまり帰ってきません。土日は会社の人とゴルフばっかりに出掛けて、話しかけてもああそう、と親とは思えないほど他人事です。専業主婦のお母さんはそんなお父さんに呆れています。
あと、私には弟がいるのですが、お母さんは私達に『勉強したの!そんなにサボって将来大人になったら困るわよ!』と言っていつも怒ります。弟は小四で勉強が苦手らしく、テストで悪い点を取って帰って来るたびお母さんは子供みたいに泣き喚きます。きっと大変な子育てにお父さんが参加してくれずに一人で何でもやらないといけないことに悩んでいるんだと思いますが、それを子供に当たるのは違うんじゃないかと私は思います。
お母さんは怒りが溜まり過ぎると、遠くのおばあちゃん家に急に帰ってしまいます。私達が学校に帰ると置き手紙とお金だけ置いてあって、適当に出前を取って食べなさい、と書いてあります。最近一週間以上帰ってこないこともありました。夜遅く帰ってきたお父さんに、お母さんが帰ってくるようにお母さんに言ってよと言っても、『今日は疲れてるから』と追加のご飯代をくれるだけです。
でももっと嫌なのは、お母さんがそうやっていないときに、弟が小四なのに未だにお漏らししてそれを私が洗わないといけないとき、私は弟をめちゃくちゃ怒ります。弟は自分で洗えないし、私が放っておいたら、帰ってきたお母さんに私がめちゃくちゃ怒られるからです。
弟を怒っているとき、私はお母さんみたいになります。お母さんに怒られたくなくて、お母さんみたいになります。でも本当は今のお母さんみたいになりたくないです。将来もし結婚して子供が出来たら、私もお母さんみたいになっちゃうのかなと思います。そう思うと、好きな子がいても結婚したくはないと思います。
遺伝ってすると思いますか?親に暴力を振るわれた人は、自分の子供にも暴力を振るう傾向が高いと夕方のニュースで見ました。優しい友達は親とも仲が良いです。私はそんな家族にとても憧れます。私の努力が足りないのでしょうか?家族だし、昔は仲良かったから、本当は親を嫌いになりたくです。また好きになれるように、お母さんに怒られないように努力すべきなのでしょうか?」
メールありがとうございます。言いにくいこと、勇気を持って送ってくれて本当にありがとう。
さてまず遺伝するかどうかですが、私の勘で申し訳ないのですが、お母さんのその性格は、あなたがそうなりたくないという今の気持ちを忘れない限り遺伝しません。顔は中々変えられないけれど、性格はこれからの生活の影響でいくらでも変えられます。まだあなたは親と住む生活を変えられないかもしれませんが、大人になれば一人暮らしをすることもできます。
そして大学生や社会人になれば、今のあなたの知らない外の世界が世の中にはたくさん溢れています。それは想像以上に広い世界で、今無い自由を体験できます。当然一人暮らしなら家で何をしたって、誰も何も怒りません。そして色んな家庭や地域から来た人と出会って、あなたは驚くことがきっとたくさんあるでしょう。
あなたと同じように親との関係に悩む人もいれば、家族なんて関係無くてどこまでも自分の世界を貫いている人もたくさんいます。遺伝の影響も人には確かにありますが、特に性格面では、それは本当にあなたのほんの一部分に過ぎず、さっき言った外からの刺激でも大きく変化していくものです。
その時大事なのは、「なりたいあなた」を常に意識すること。子供に優しい人、とにかく自分の性格に正直である人、何でも良いのであなたがそうなりたいという人と出会えれば参考にしながら、他には無いあなたらしいあなたを是非作ってください。あなたを産むのは親ですが、あなたを作るのはあくまであなた自身です。あなたにとって必要なものだけ選び取って生きていいのです。
結婚したいという人にもし将来出会えたら、自分の家族のことなんて気にせずに、結婚して子供も産めば良いです。でも、お相手にはこれまであなたが家族に感じてきた辛いこと、全部結婚する前にちゃんと話しましょう。
それは結婚相手もお父さんお母さん同様家族になるから、というのもありますが、あなたがこうはなりたくない、こういうことが辛かったということをちゃんと話しておけば、お相手もそうならないよう一緒に努力してくれるはずだからです。こんな親がいて嫌われないかな、と話すのを躊躇うかもしれませんが、そんなことで万が一あなたのことまで嫌いになるような相手なら、結婚しない方が良いです。
あと、現に親と仲が悪くても自身は幸せな家庭を築けている人が、私の知り合いにも沢山います。だからどうか、思い詰めないで。将来が不安なら、弟さんへ怒る回数を頑張って、しんどいことと思いますが、減らしたり優しい言い方にしたりする努力から始めてみましょう。今のあなたの弟さんへの態度は少なくても「なりたいあなた」では無いようなので。
あと、こんなに辛くても親を嫌いになりたくないというあなたの願い、本当に素晴らしいと思います。本当は、家族だから親を嫌いになってはいけないとか、そんなことは全く無いし、あなたや弟さんを産んだのはご両親の責任で、育てるのもご両親の責任なのに、あなたのご両親は残念ながら今はちゃんとはその責任を果たせてないように思います。毎日ご飯を食べさせれば親の責任を果たしたなんて、親はそんな甘いものではないです。子育てが大変だから悩んでるんだとお母さんの気持ちを思ってやれるほど、あなたは私よりよっぽど大人です。私なら、家出を繰り返しているかも。ただ仰しゃるように、今はお父さんお母さんもとにかく精一杯なのだと思います。
いずれにしろ、今は家族の間で距離が必要な時なのかもしれませんね。家族ってずっと一緒にいるものだし結局大事なものではあるから、時々人の悩みまで自分の悩みになってしまったりして、人と人の境界を引くのが難しいことが多いです。でもあくまで別の人間なので、その境界を越えると良い結果を生まないことが多い。あなたが独り立ちして、物理的な距離が生まれれば、また境界線はちゃんと見えてくるかも。
それにあなたは家族の問題を、まだ大人ではないのに一人で抱え込みすぎている様に思います。それこそ、「夜の海を泳ぐ木の舟」に乗って、一人静かに落ち着ける場所を見つけても良いように思います。
それは何も「家出をしろ」とかそういうことではなく、逃げ込める世界を自分の中だけで切り開くのです。例えば好きな本を探してみたり、好きな曲を聴いてみたり、そういうことで良いと思います。
真夜中の海は静かで誰もいない様に思いがちですが、あなたと同じ様に悩んでいる人が、その海の中には実はたくさんいます。漕げるところまで漕いでみる、先ほどの例で言えば物語や音楽にとことん入り込んでみる。その中で必ずあなたは仲間を見つけられるはずです。
その仲間は、目に見えないかもしれない。でもその物語や登場人物が描かれる背景には、必ず「人」がいます。作家や作詞家、作曲家。編集者やその作家達の人生に影響を与えた人々。更には、その本や音楽を、あなたの様に好きだ、それによって救われた、という人々。今はネットが発達していますから、昔より比較的容易にそういう人を見つけられるでしょう。
その人達みんな、夜の海であなたが木の舟を漕ぐ時に、同じ様に木の舟に乗って出会える人々です。海の上で語らい合うのもいいでしょう。お互いこの航海に出なければならなかった理由を共有し合い、励まし合うのでもいいでしょう。
そういった仲間のいる海へ、最初は一人で構わないから、漕ぎ出してほしいのです。本や音楽でなくても、もし力に少しでもなれるのであれば、このラジオでも構いません。私はここで、小さな白い灯台の下で、いつもあなたを待っています。
あなたは最初少し運が悪かったけど、繰り返しになりますが、これから大人になるにつれて確実にもっと自由に、幸せに生きていけます。あなたの願いが叶うこと、心から祈っています。これまでも、本当によく頑張りましたね。
えー、また、つい長く話しちゃって一通だけになっちゃいました。このラジオは生放送です。ご相談があればFAXか、メールでお送りください。FAXの場合は、XX-XXXX–XXXXまで。メールアドレスはxxx.yy@5121.comです。
それではまた来週!
⒋
「離婚してください」
僕がいつも通り平日の昼間から布団に入ってラジオを聴いていると、背中越しに妻が言った。背中越しでも、妻が泣いているのが分かった。ごめんなさい、と何度も僕に言った。僕は振り向けなかった。謝らないといけないのは僕の方なのに、それは魚の骨のように喉につかえて、うまく言葉にならない。ラジオの声は頭に入っていかないのに、ずっとそれだけを追うようにしていた。不思議と、涙は一滴も出なかった。最初からこうなることは分かっていたんだ。
僕は不動産屋の小さな営業所で働いており、成績はいつも最下位で、万年平社員だった。これまで職を転々としてきて、何度も面接を受けやっと今の会社に入れた。でも気弱な僕はお客様への最後の一押しが出来ず、契約を滅多に取れなかった。営業なんて向いていないのは分かっていたけど、僕にはもうこの仕事しか無くて、有名なエネルギードリンクのCMの様に、崖に必死にしがみついた。でも僕には彼らの様に、物理的にも精神的にも筋力や若さが無い。新入社員にも簡単に追い越された。
それでも僕はもう二度と職を変えないと決めていた。娘と息子、そして妻がいるのだ。娘はずっと僕に反抗期で洗濯物を一緒に洗うのも嫌がるが、誰に似たのか頭が良く至らない親の代わりに弟の面倒も良く見てくれ、家庭教師のように根気よく勉強も教えてやっていた。
息子は僕に似て気弱で、痩せてメガネをかけてしょっちゅう泣きべそをかく姿は、昔の僕そのままだった。今も見た目と根の部分は変わらない。娘は転校を何度も勧めたが、金銭面を理由にさせてやれないのをいつも申し訳無く思っていた。
妻は長年更年期障害に苦しみ僕とよく喧嘩になったが、家を外すことの多い僕に代わって義母の手も借りながら、子育てを何とかしてくれていた。
この家族を食べさせていくことこそ自分の使命だと、いつも言い聞かせてきた。だから土日も慣れない接待に出かけ、休みは月に一度あるかないかだった。
「おい沢田」
ある日部長に会議室に一人で呼ばれた。ごつい手のひらを前後に動かす動作は、言葉が無ければ「こっちへこい」と言われているのか、「あっちへ行け」と言われているのかよく分からない。全身をめぐる血が、僕の体内で冷え切っていくように思った。
「うちの業績が他の営業所より悪いのは知っているだろう。ただうちの管轄エリアは結構もう開拓しつくしてしまっている。そこでコストカットしか手が無いんだ。土日も頑張って働いてくれている君には悪いが、ダントツ営業成績も悪いし、次のひと月で契約獲得出来なければ、心苦しいが進退も相談したいと、所長からも言われている」
部長は言いにくい素振りをわざとらしく見せながら、いつもの堂々とした目で僕を刺すように見つめていた。「心苦しい」なんて嘘だと分かっている。その向かいで僕は文字通り身体が震えた。娘はもうすぐ大学受験なのだ。息子も朝泣きながらも何とか中学に通い続けている。こんな時期にクビなんて、たまったもんじゃない。
長年の接待も虚しく既存顧客とのコネクションの少ない僕は、手当たり次第に新規顧客の元に出向きピンポンして回る日々を過ごした。当然皆門前払いだ。それでも手当たり次第、一件でも獲得しなければ我が家に未来は無い。朝から晩まで、土日もずっと歩き回った。それでも契約は取れない。ネットが普及した今の時代に、急に来た営業マンから家を買う人など、普通いないだろう。
徐々に期日の月末が近づき諦めかけた僕は、その日も営業周り中たまたま通りかかった、古びた薬局に入った。その頃は毎日腹痛がひどかったので、胃腸薬を買おうと思ったのだ。そこはあの象のキャラクターのオレンジ色がだいぶ禿げた状態で入り口に置いてある、昔からの木造の個人商店だった。僕はやってるかやってないのか分からない暗い店の引き戸に手をかけ、恐る恐る入った。いつもなら絶対近づかないような外観だが、とにかく緊急事態だったのだ。
薬が並ぶ棚やショーケースはあるが誰もいない。やっぱり閉店だったのだと踵を返そうとしたところ、八十歳くらいのお爺さんが、陽気にさだまさしの秋桜を歌いながら奥から簾のれんを捲って出てきた。僕もさだまさしは好きだが、あんなに哀愁のある秋桜をこんなに明るく歌う人を初めて見て呆気に取られていると、そのお爺さんは「いらっしゃい」とにまっと笑顔で言った。こちらから見える限り歯が三本位しかない。どことなく体型といい加藤一二三に似ていると思うと少し笑えてきた。
「何の用で?」
「あ、あの、胃が痛くて、胃腸薬あります?」
「ここは薬屋だもの。胃腸薬なんていくらでもあるよ」
そりゃそうだ、と思った所で限界が来た。
「すいません!薬の前にお手洗いお借りできたりしますか⁉︎」
「ああ、いいとも。たんまりしてらっしゃい」
下品な爺さんだと思いつつ、案内された奥のトイレに僕は走った。今時ぼっとん便所だった。用を済ませて戻ると、爺さんは僕にお茶を入れてくれていた。爺さんはその家の古びた縁側まで僕を案内した。僕の緊急事態はトイレで既に事なきを得たが、薬を買わずには出られない雰囲気になってしまった。
「ほれあっためた麦茶だ、カフェインが入ってないから、腹にいいんだぞ」
トイレも借りたのにお茶まで申し訳無いと言いつつ、それまで歩きまわって喉がカラカラだった僕は遠慮しながらも頂いた。このところゆっくり茶を飲む時間も無かったので、久しぶりに体内に温かいものが伝わっていく感覚がしっかりと伝わり、口から胃までの道が心地よく火照った。
僕がやっと落ち着いたのを見計らうと、歯三本の口を開けて爺さんが言った。
「ところであんた、スーツでこの辺歩いてるなんて、営業マンかい?」
「ええまあ、家の販売なんですけど。この辺は他社も含めてすっかり開拓されちゃってて、僕新規で今月中に契約を取れないと、クビになっちゃうんです。子供も二人いてまだ学生だってのに……」
言いながら、僕は役職名の何も無い、「沢田祐樹」という名前と企業名、住所と連絡先だけ書いた名刺を爺さんに渡した。
よく考えたらさっきまで知らなかった爺さんに、なぜこんな身の上話をしたんだろう。思い返せば、会社からの急な無理難題に対する愚痴を他の社員や家族含めて誰にも話していなかったので、誰でも良いから話を聞いて欲しかったのかもしれない。
「うーん、確かにあんたの身なりじゃ、客も家を買う決断する気にはならんわなあ。ガリガリの骸骨みたいな顔に白髪まみれで、そんな分厚い眼鏡をかけてるんじゃなあ。ドラえもんに出会えなかったのび太がそのまま成長しちゃったようなもんだもの」
トイレとお茶の恩義が無ければ、危うく殴りかかりそうだった。なんで歯が三本しか無い、将棋が強い訳でもなさそうな加藤一二三にそんな事を言われなくてはいけないのか。確かに僕の学生時代は、のび太そのものだったから余計に腹が立った。
薬屋の加藤一二三は、ふんっと、一回鼻を鳴らした。
「じゃあ、俺が買ってやるよ」
「え⁉︎今なんて?」
「だから俺が買ってやるって言ってるんだよ。見てみろこの家。最近地震多いだろ?今度来たら一発で倒れそうだし、そろそろ俺も引退で、息子に継ぐ予定なんだ。だから建て直しをちょうど考えてて、そこにちょうどあんたが現れたってわけ。あんた頼んなさそうだけど、嘘はつかなそうだもんな」
さっきまでの冴えない爺さんが、急に神々しい天使に見えた。背後に金色に光り輝くオーラのようなものも見えた様な気がする。
「本当ですか!!ありがとうございます!!!」
僕はその場で予算を訊き出しパンフレットを見せた。その爺さん天使は、あっという間にこれがいい、と七ページ目の一五百万の平屋を指差した。
「契約するには何が要るんだ?判子とか、免許証とかでいいのか?」
「この場でご契約頂けるんですか?ご家族にはご相談とかされなくて大丈夫ですか?」
「家内はとっくに亡くなってるんだ。息子はこんなボロ屋より、俺の最後の遺産でこんな新築にしてやるんだから何も文句無いだろう」
「ありがとうございます!!」
こんな奇跡があるなんて。今までの人生散々な仕打ちを受けてきたが、初めて神様というものの存在を信じた。
僕はその場でサイン頂き、必要書類の取り寄せも全て手伝った。そしてしばらくさだまさしの素晴らしさについて語り合い、せめてもの御礼で一番高い胃腸薬を買って鼻を膨らましながら秋桜を陽気に歌って営業所に戻った。契約の報告をすると最初部長は信じられないという顔をしたが、印のついた契約書を見せるとようやくごつい手を叩いて褒めてくれた。
その日はケーキを買って帰った。駅前の店で、テレビの取材も来たことのある」人気店らしい。妻の好きなモンブラン、娘の好きなガトーショコラ、息子の好きなショートケーキ、僕の好きなチョコレートケーキが、花びらの細長い小さな花々をあしらった茶色の箱に詰められている。これが夢の光景だ、と思った。
滅多に無い事に、素直に喜ぶ息子以外、妻と娘は最初訝しい顔を見せた。今日の顛末を話すと、特に妻はコロッと顔を変えて今までに無いくらい喜んでくれた。そうだ。久しぶりに見たが、この屈託無い笑顔に僕は惚れたんだった。この頃には妻の状態もすっかり落ち着きまた笑うことが増えていた。僕は慌てて写真を撮った。
翌日まだ高揚した顔で出社すると、見慣れない痩せた婆さんの叫び声とうちの部長のそれをなだめる声が耳に入ってくる。
「こんな家、契約出来ません!」
婆さんは細く尖った目を逆八の字にし、口も尖らせて叫んでいる。右手には我が社定型の契約書のコピーだ。
「あ、おいお前!やっと来たのか!!」
僕が部長に手招きされ呼ばれた。昨夜からの高揚から一転、嫌な予感で一気に身体が冷め、血の流れがゆっくり速度を落としていった。
「お前が昨日契約した家、この奥様が契約出来ないって言ってるぞ!お前、ちゃんとご説明
「は、はい。確かにこの、安田則夫様に、ご説明の上、ご契約頂きました」
「あんたんとこの会社は、家族の同意も確認しないのかい⁉︎」
「安田様に確認したところ、奥様は既に亡くなられていて、薬屋を継がれる息子さんの同意は得られると……」
婆さんは、はああとまるで毒ガスをこちらへ吹きかけるような大きな溜息をした後、より語気を強めた。
「私はこの、安田則夫の妻です!それに、息子は東京で会社員していて薬屋を継ぐ予定なんか無いんです!薬屋はあの人の趣味で仕方なく今は開けてるけど、あの人が死んだら閉めるんです!あの人は認知症で訳分からなくなってるのよ!あんたん所の会社は、老人を騙くらかして自分たちの儲けだけ上げる、血も涙も無い会社なのかい⁉︎」
僕は全身の血の気が引いていくのを感じ、目の前が全てぼやけて見えた。昨日のあの人の良さそうな爺さんが認知症?契約は無効?じゃあ僕は……呆然自失として返事が出来なくなってしまった僕を見兼ねて、部長が落ち着いた声で返した。
「そういうご事情でしたか。それは大変失礼致しました。ちょっと社内で色々相談させて頂きます。近日中に必ずご連絡致しますので、今日の所は他のお客様もいらっしゃいますので一旦お引き取り願えませんでしょうか?」
「必ずだよ‼︎うちに一五百万なんて金、ある訳無いんだからね!」
婆さんが帰った後、営業所内はこれ以上に無いほど静まり返った。僕が視線を動かすと、一斉に皆視線をパソコンへ戻した。婆さんが外に出ると、部長が、ネチッと、舌の分厚さまで分かるような粘り気のある舌打ちした。
「おかしいと思ったんだよ。ハッパかけた途端、契約取ってくるなんて。事情は今ので十分分かったから、今日の所はお前は帰れ。後は俺が本社の法務部門と相談しとくから」
僕は蚊の鳴くようなやっとの声ですいません、とだけ返し、営業所を出た。
その後は昨日の今日ですぐ家に帰る訳にもいかず、家の近所の公園のベンチに座り一日中鳩に餌をやる老人を眺めた。あいつも認知症なのだろうか。だから、こんなつまらないこと一日中続けられるんだろうか。僕もあそこ側に行けば早く楽になれるだろうか。頭の中には、あの爺さんの明るい秋桜が頭の中で止まらない。たまらず僕はいつものラジオをかけた。
その日の夜遅く、前日と打って変わって食欲も無く横たわっていると、部長から業務用携帯に電話があった。
「おい朗報だ。契約、結局有効になりそうだぞ。法務部門曰く、認知症でも本人でしか契約取り消せないらしい。で、お前が対応した爺さんは絶対契約すると言い切っている。婆さんがどれだけ騒いでも、こっちの契約は有効だ。それに認知症って言ってるのはあの婆さんだけで、爺さんは病院に行くのを嫌がって認知症の診断も正式には受けてないらしく、判断能力は十分あるって認められるだろうってさ。まあ、息子さんが働いてるみたいだし、ローンは組めるだろう。お前のクビつないでやったんだから、感謝しろよ」
部長のいつもの強引な剛腕でまさに首の皮一枚つながったが、僕は本来すぐすべき返事が出来なかった。なんとか出そうとする声は、あ、とか、う、とか、単語にもならなかった。
これが僕の仕事なのか?たとえ相手が同意していても、あの婆さんが言うように、老人を騙したとしか言えないのではないか?現に爺さんが居ないと言い張った嫁は実在したのだ。あの小さな薬屋で、一五百万、ローン無しで用意できるなんて言ってておかしいと思ったんだ。
それでも僕は、自分のクビを守るためだけに十分にそこを確認しなかった。むしろ、確認することを避けていた。目の前にいる奇跡の天使を、逃す訳にいかなかったのだ。気づいたら、携帯を持ったまま倒れていた。
「おい、聞いてるのか⁉︎」
部長のいつもの怒鳴る声が微かに、耳鳴りぐらいの音量で聞こえる。
そこから僕は会社に行けなくなった。医師からは過労とストレスによるものだろうとのことだった。何度も布団から出ようとするが、いつも着ていたスーツを見ただけで悪寒と吐き気がしてしまう。
妻が鬱病の診断書を貰ってきて、代わりに会社に送ってもらい病欠扱いとなった。その診断書をぼうっと眺め、僕の病気は何と難しい漢字を使うのだろう、と他人事の様にも思った。気づいたらその病名をひたすら念仏しながらチラシの裏に書き連ねていた。そうして無駄な時間を過ごす間、激しい焦りと頭痛とが何度も僕を襲った。
カーテンを開けて下を見ると、何人ものスーツを着たサラリーマンが電話しながら歩いている。僕よりみんな若かった。気が狂って叫び出しそうだ。僕は二度と外に出なかった。
夜も眠れないので医者にもらった薬を飲んで寝ると、ひどい悪夢を必ず見た。ある日はあの爺さん天使が、羽が折れ川に溺れていた。助けようとしても、僕は泳げない自分の身を案じて飛び込めない。じきに爺さんは見えないところまで流されていった。
そして僕はあっさり会社をクビになった。
妻は毎回通院に付き添ってくれた。僕はただ出された薬を毎日飲んだ。
勉強や学生生活に頑張る娘と息子に僕の惨状を見せまいと、僕の篭る部屋に妻は子供達を入らせないようにした。妻の話では、娘は第一志望の国立大学に合格したらしい。金銭的に家から通える大学にすることに元々なっていたが、妻は安いアパートを契約し娘をそこに住ませた。全ては気の狂った僕から逃がすためだった。妻は長年専業主婦だったが、パートを始めた。僕の通院日以外は、毎日パートに行った。息子は転校し義母の家に預けられた。
そうやってあっという間に二年が経った。俺は鬱病から躁鬱病に診断が変わっていた。躁状態の時は何でも出来る気がして、ハローワークに通ったりした。あまりにハツラツと話し、五十代の僕でも仕事がごくまれに決まることもあった。でも鬱の波が来たら結局決まった職場に行けず、ハローワークの職員にも何度も怒られた。
妻からはお願いだから家で大人しくして、他所様に迷惑をかけないでと言われた。家族を守るためにやってるんだと僕は腹が立って、何故かその場で逆立ちをした。そしたら天井の電球が割れた。割れた電球の破片が妻の指に当たって少し血が出た。こいつは死んだような僕よりちゃんと生きている、そう思った。妻は泣き崩れた。
僕は気持ちが収まらず気づいたらテレビを投げたりしていた。それは昔の更年期の妻の姿に似ていただろう。あの時僕は何も止めず冷ややかにその様子を傍観しほとぼりが冷めるの待つだけだった。でも妻は僕を何度も止めようとした。
その翌日、離婚を申し出られた。理由は娘と息子の生活を守るのにこれ以上金銭的、精神的余裕は無いというものだった。
妻は泣いている。僕は何故か泣けなかった。こうなることは当然だと思った。
それにこれ以上、僕も家族に迷惑をかけたくなかった。
妻は出て行き、僕は一人になった。見兼ねて、僕の兄が近くの病院に入院させてくれた。病院でやることは薬を飲むこととまずいご飯を食べて寝ることとラジオを聴くこと以外何も無い。テレビもあるがどうもうるさく感じる。娘は幼い頃これほど退屈な毎日を過ごしていたんだと今になって気づく。
たまらず妻(正確には元妻)に電話をかけたこともあったが、出てくれなかった。眠るたびに、家族の夢を見た。僕はそうなって初めて、あの時出なかった涙がやっと今溢れ出したように毎日泣いた。気を紛らわすため、僕はメールを書き始めた。
大丈夫、あのラジオを聴けば、きっと大丈夫。
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さあ、今日も始まりました!ど素人アイの人生相談ラジオ。この番組は、人生特に何も世間的に成し得ていなくせになぜかラジオパーソナリティになれてしまった私アイが、リスナーさんのお悩みに、何も成し得ていないからど素人だからこそ、同じ目線で一緒に悩んだり、上手くいけば解決していこうという番組です。どうぞお手柔らかに、最後まで気楽にお楽しみください。
では早速参りましょう!ラジオネーム季節外れの秋桜さん。
「僕には妻と娘、息子がいました。いました、というのは即ち離婚されてしまいました。きっかけは、僕が鬱病になったことです。僕は昔から働き者であるものの気が弱く、人間関係に思い悩む度職場を転々としてきました。でも僕が三十五のとき娘が産まれてから、ずっと同じ職場で働いてきました。仕事のできない僕は、ずっと平社員で薄給でした。土日の接待で何とか立場を守ってきたので、家族にあまりかまってやれないことが歯痒かったです。それでも嫌なことに耐えながら、贅沢はさせてやれないまでも妻と子供のためずっと頑張ってきました。娘は誰に似たのかしっかり者で頭が良く、高校でもずっとトップの成績でした。
でも娘が大学合格直前に、僕はあることをきっかけに限界が来てしまいました。会社に行こうとしても、足が動かないのです。それから僕は会社をずっと病欠で休みました。妻が嫌がる僕を無理矢理精神科に連れて行ってくれました。最初鬱病の診断が出たのですが、じきに躁鬱病の診断が出ました。一向に良くなりませんでした。それでも妻は定期的に病院に連れて行ってくれました。元々お荷物社員だった僕は、すぐに会社をクビになりました。
そして病気で二年経ったある日妻から、子供達と妻の生活を守るため、離婚したいと言われました。僕はとても辛かったけれど、嫌だとは言えませんでした。僕は家の中でもお荷物になっていたことに、一番辛さを感じていたのです。娘は今大学進学し一人暮らししています。
妻の更年期障害などここには書ききれないぐらい問題も多い家族でしたが、僕は確かに家族を愛していました。それを自分の弱さきっかけで壊してしまったのです。妻は今の家を僕に残し、引っ越しました。程なくして、僕の兄が病院に入院させてくれ、僕は生活できています。周りに助けられてばかりの僕です。病院には同じような経緯で入院された方も多く、励まされる一方今も妻と子供達に会いたいと言う気持ちが止まりません。どうしようもなくなった時僕は元妻に電話したことがありますが、出てくれたことはありません。でもきっとそれでいいのです。会ってもまた不幸にしてしまうだけだから。
妻は結婚している間ほとんど専業主婦でしたが、僕が病気になるとすぐパートに出て、ずっと働きながらとても安いアパートを借りていると聞いています。娘も一生懸命勉強して、成績優秀で塾も行かず入学金も免除で国立大学に入りました。でも、奨学金をかなり借りているようです。息子は春から高校生ですが僕に似て気が弱く、うまく生きていけるだろうかと毎日心配です。最後まで支えてやれなかったことを、申し訳ないという気持ちが今も消えません。」
メールありがとうございます。とても辛い思いをされて来ましたね。
まずは、お兄さまのおかげで病院にいながら生活できているとのこと、とても安心致しました。このお話を読んでいて一番辛くなったのは、登場人物に誰も悪い人がいないということなんですよね。奥様、娘さん、息子さん、そしてあなた。誰もが一生懸命生きようとしています。
まずあなたは自分を責めるのを辞めましょう。これは私の想像の域ですが、奥様はあなた自身がこれ以上家族のことで負担を感じないよう離れたのもあるのかな、なんて思います。もちろん記載いただいている通りご自身と娘さんの生活を守るためでもあったでしょうが、きっとあなたは奥様との暮らしの中でも、家族を守れない自分を責める言葉をたくさん仰ったのではと勝手ながら想像します。それは奥様も相当辛かったでしょう。
現に、あなたは辛いながらも娘さんが高校を出るまで必死に働かれたのです。それは当たり前のように思うかもしれませんが、誰もができることでは無いです。命がけで働いた。だから決してこれ以上罪悪感を持たないでください。
献身的に病院に連れて行ってくれた奥様も、きっとあなたと離婚したことに罪悪感をお持ちでしょう。だから自分はアパートを借りてあなたに家を残してくれたのもきっとそんな気持ちからでは無いでしょうか。その罪悪感を奥様にずっと持っていて欲しいとあなたは思いますか?きっと思わないでしょう。
自分で「気が弱い」という方は、得てしてとても優しい方だからです。あなたが思っている様に、奥様もあなたに罪悪感を持って生きてほしくないと思います。色んな責任を持って必死に生きてきたあなた、どうかこれからはお兄さまの支えの元、なるべく自由に生きてください。遠くで奥様とお子様の幸せを祈りながら。ご家族もきっと、あなたのことを思い続けていますよ。
最後に、話がズレるかもしれませんが、秋桜がお好きなのでしょうか?頂いたラジオネームの「秋桜」には、花の色によって異なる花言葉があります。ピンクなら「乙女の純潔」、赤なら「乙女の愛情」「乙女の調和」、白なら「優美」「美麗」「純潔」、黄色なら「野生的な美しさ」「自然美」「幼い恋心」など。
その中で、少し街中などで見かけるのは珍しいかもしれませんが、黒い秋桜もあります。真っ黒というより少し茶色っぽいので、別名「チョコレートコスモス」ともいうそうです。
その花言葉は、「恋の終わり」「恋の思い出」「移り変わらぬ気持ち」。ちなみに私はこの黒の秋桜の花言葉が一番好きです。「恋の終わり」が来ても、「移り変わらぬ気持ち」。この花言葉だけ、分かりやすくストーリー性を感じるんですよね。
先に申し上げた様に、家族の形が変わっても、「移り変わらぬ気持ち」を、あなたも、ご家族の皆さんそれぞれも持ち続けていることと思います。そんなことを、街で秋桜を見かける時期になれば少し思い出して頂ければ幸いです。
私にとっては秋桜と聞くと、幼い頃車でよくかかっていた歌が思い出されるんですけどね(笑)。その歌をきっかけで、漢字の「秋桜」を「コスモス」と呼ぶようになったそうですよ。
余談でしたが……。
えー、また、つい長く話しちゃって一通だけになっちゃいました。このラジオは生放送です。ご相談があればFAXか、メールでお送りください。FAXの場合は、XX-XXXX–XXXXまで。メールアドレスはxxx.yy@5121.comです。
それではまた来週!
5.
赤い絵の具、黄色い絵の具、茶色い絵の具。
僕の胸は、確かに高鳴っていた。でもそれは自分でも気づかなかったけれど、目の前の白いキャンバスに対してではなかったのだ。
新しい地域へ転校して、僕は平和な日々を取り戻すことが出来た。もう西村くんも江口くんも松田さんも赤井さんも、僕を馬鹿にする人は周りに一人もいない。おかげでまた毎日登校出来るようになった。今まで休んだ遅れを少しでも取り戻そうと、小学校の内容からだけど、僕は少しずつ自主的に勉強もするようになった。
僕のリンゴの消しゴムを見て、高一の最初に隣の席になった川上くんに声をかけられた。
「それ、いい匂いだね。お腹空くな」
そう言って、僕に笑いかけた。小学校の時西村くんがグラウンドに放り投げたこの消しゴムを、川上くんは褒めてくれた。僕は心の底から嬉しかった。転校して本当に良かった。
話を聞くと、川上くんは僕と一緒で高校生になるタイミングでこの地域に引っ越してきたらしく、中学からの友達はいないらしかった。
「陽ちゃん、新しい学校はどうだった?」
家に帰ると、おばあちゃんは優しく僕に訊いた。おばあちゃんはいつでも僕に優しかった。それはおばあちゃんの元々の性格もあるだろうけど、昔おばあちゃんの家に行く度に僕の悪口をお母さんが言っていたから、可哀想だと気遣ってくれているというのもきっとあると思う。
お母さんは出来の良いお姉ちゃんにはそんなことないのに、出来の悪い僕には悪魔の様に怒鳴り続けた。だからお姉ちゃんは何も悪くないと分かっていても、疎ましい存在だった。怒ったお母さんは眠り姫に出てくる悪い魔法使いのようで、僕は自分がいじめられていることも誰にも相談出来なかった。それが悪化すると、おばあちゃんの家にお母さんは消えてしまった。その時おばあちゃんはいつもお母さんの目を盗んで、「陽ちゃんは悪くないよ」と電話をくれた。子供を育てるのが親の仕事なんだから、陽ちゃんは悪くない。お母さんは今少し台風の様だけど、いつか晴れる日が来るから。それまでの辛抱だよ。
お母さんに晴れの日が来ても、今度はすぐにお父さんと別れる羽目になってしまった。でもそのことがきっかけで、僕は転校も出来ておばあちゃんと暮らすことができた。お母さんのことをちゃんと好きかは自信が無いし離れたお父さんに罪悪感は湧くけれど、おばあちゃんは今の僕のお母さんみたいなもので、それで僕はやっと気持ちが安定し、新しい学校に行くことも出来るようになった。
それにおばあちゃんの作るご飯はいつもナスのおひたしとかサバの味噌煮とか渋い和食ばっかりだけれど、それは慣れれば昔よく食べたカップラーメンより断然美味しくて徐々にたくさん食べられるようになり、僕はほんの少しだけ、普通の体型とまでいかないけど、大きくなることができた。もう僕を誰も「ガイコツ」とは呼ばない。
「隣の席の子と友達になれたよ!川上くんっていうんだ」
「そうかい!それは良かった。今日は陽ちゃんの好きな肉じゃがにしようね」
おばあちゃんは前の学校で僕がいじめられてたのをきっとお母さんから聞いて知っていたから、相当心配してくれていたんだと思う。笑った時の目尻のシワが、いつもより深かった。その日はずっと、「陽ちゃん学校でのお話聞かせて」と言って、僕は入学式の日の川上くんとの出来事を三時間ぐらいに引き延ばして喋った。おばあちゃんはずっと、笑った時のお母さんのような顔をしていた。川上くんのおかげで、僕は大好きなおばあちゃんをこんなに喜ばすことも出来た。なんて有難いんだろう。
僕と川上くんは、すぐに友達になれた。同じ週刊漫画を読んでいて、毎週月曜になればその話で持ちきりだった。僕は少ない小遣いで毎週はその漫画を買えなかったから、買えない週は本屋の立ち読みで川上くんの話に合わせられる様にしていた。給食も一緒に食べた。トイレで食べないと、こんなに学校の給食もこんなに美味しいんだと知った。
「川上くんは何の部活に入るの?」
「僕は美術部。ほら、運動も音楽も出来ないし、漫画の絵を描くのは昔から好きだったからさ」
運動や音楽が出来ないのは僕も同じだし、漫画の絵を描くのは僕も好きだった。もちろん同じ美術部に入った。
それでもその美術部は想像していたよりもガチで、漫画の絵なんか描いている場合じゃなく美術の怖いおばさん先生である吉本先生指導の元、僕らは人生で初めての油絵を学ぶことになった。
でもそれは意外に楽しかった。水彩画の様に同じ場所は一度塗って終わりではなく、何回も同じ場所に色を塗り重ねて、そこに質感や光沢などを表現していく。吉本先生はそれを「真実の色に近づけていく」と言った。
何より教科書の端っこに落書きばかり書いていた僕が、イーゼルに真っ白なキャンバスを立てかけて油の量を調整しながら、色を塗り重ねていく。その姿を鏡で見るだけで、すごく高尚な人間になれた気がした。吉本先生から「沢田くんの絵は繊細ね」と、他の子の中では珍しく褒められたのも僕を良い気にさせた。川上くんも「流石だな」と褒めてくれた。
川上くんも当初の想定とは違った様だけど、美術部を楽しんでいる様だった。美術部の男子は僕達だけで、あとはみんな女子だった。僕は女子に未だに慣れなかったけど、明るい川上くんはすぐに女子とも仲良くなれた様だった。天然パーマで細い、お父さんによく似た僕と違って、サラサラヘアで鼻筋の通った川上くんは、よく見れば「イケメン」の部類に入るんだろう。川上くんは女子にゴキブリを見る様な目で見られたことは、人生で一回も無いんだろうな。僕なんかと友達でいてくれることが、奇跡の様に思えた。
川上くんは塾に通っていたので、美術部に毎日は顔を出せなかった。そんな日は僕も元々部活を休んでいたのだけど、それでもおばあちゃんと二人でずっと家にいて、くだらないワイドショーや再放送のドラマにああでもないこうでもないというのはあまりに退屈で、それなら絵の続きを描こうと川上くんのいない日も美術部に行くようになった。
普段川上くんと仲の良い、僕は話したことない岡田さんが何を狂ったか僕に急に話しかけてきた。
「何描いてるの?」
僕は久しぶりの女子との会話に全身の体毛が毛羽立ち、危うく筆を落としそうになった。
「え……あ、あのリンゴ。好きだから」
僕はお母さんの剥くウサギ型のリンゴがまだ好きだった。おばあちゃんは頼んでも、「形はなんでも食べられればいい」と言ってやってくれなかった。もしかして、どんなものか見たこと無いのかもしれない。
「ふうん」
訊いてきたくせにその声の調子は興味無さげで、両手を後ろに組んで岡田さんは話し終わっても僕の側を離れようとしない。何だか僕は怖くなってきた。僕の目を見て「気持ち悪い」と言った小学校の時の松田さんの顔が、フラッシュバックする。そろそろ離れてほしいな、と思った。
「あの……」
「ねえ!明日って川上くん部活来るかな?」
「え、ええっと、来るんじゃないかな。水曜は塾が無いって言ってたから」
「そっかあ」
それだけ言ってまた岡田さんは体をクネクネさせた。この人は何を考えているんだろう。何の目的があって今ここにいるんだろう。絵に集中できない。
「あ、あのね、これを、川上くんに渡してくれない……?」
それは水色の便箋だった。岡田さんの字で、ラメの青いペンで「川上くんへ」と書いてある。
「え、明日来るから、岡田さんから自分で渡せばいいじゃん」
「そんなの無理!とにかくお願いね!じゃあ」
そう言って岡田さんは便箋を無理矢理僕に押し付け、カバンを持って慌てて美術室を出て行った。まだ画材も放ったままで。これじゃ、筆が固まってしまうのに。僕は仕方なく帰りに自分のものとついでに岡田さんの筆も洗った。
そう言えば、岡田さんはさっきの会話で「川上くん」と二回言ったけど、僕の名前は一度も言わなかったな。僕の名前、知ってるのかな。そう思いながら、僕は岡田さんから預かった便箋を自分のカバンに入れた。
いくら経験の無い僕だって、その手紙が何なのかは理解できた。水色の便箋には、分かりやすく青いラメのハートのシールが貼られていたし、やっぱり川上くんはモテるんだ。そう思いながら帰宅するうちに、僕の心臓は家に近づく程うるさい音を立て、僕の肋骨を殴るようだった。痛くて、僕は倒れてしまうんじゃないかと思った。普段聞こえないはずの心臓が、はっきりと音を立てた。何だろう、この気持ち。
おばあちゃんの「おかえり」も無視して、僕は二階の自分の部屋、僕が生まれる前に死んだおじいちゃんの昔の部屋の、ベッドに倒れこんだ。気持ちに、身体が追いつかない感覚だった。
気づいたら、絶対ダメだと何度も言い聞かせたのに僕は例の水色の便箋を開けた。後でバレないよう、ゆっくり破らないようにハートのシールを剥がす。
それは丸い文字で、短い文章だった。
「川上くんへ
舞美です。この間は楽しかったね。一緒に見た海、とっても綺麗でした。
その時川上くんが青色が好きって言ったから、この便箋にしてみたの。
私、川上くんのことが好き。お付き合いしてください。
あの時キスしてくれたから、川上くんも同じ気持ちだよね?
舞美より」
僕は気づいたら便箋を放り投げ一階の洗面場に走り込んでいた。どうしよう。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。そう思うのに、昼に食べた焼きそばの匂いが口まで上がってくるのに、僕はうまく吐けなった。
「大丈夫かい⁉︎」
おばあちゃんが飛んできた。でも、何も返せなかった。僕は体調が悪いのか、悪いとすればなんで悪いのか、何も分からなかったからだ。僕はまたおばあちゃんを無視して自分の部屋に篭った。おばあちゃんは僕の部屋の前をしばらくウロウロしていたけれど、深く追及してこなかった。
次に意識があったときには、水色の便箋と中の手紙はそうめんの様に細かい紙切れになっていた。特に「キス」の箇所は念入りに破った。
いつの間に川上くんと岡田さんは海に行ったのだろう。美術部でそんな課外イベントみたいなものは無いし、二人はクラスも違う。僕はふと、川上くんに遊ぼうと言って珍しく断られた、先々週の土曜な気がした。「先約があるんだ」。そう言った川上くんの顔は、今思えば少し頬と耳がリンゴの様に赤くなっていた気がする。気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。
どうして僕はこんなに嫌悪感が湧くのだろう。「男女の恋愛」なんて僕の人生には無縁だったからだろうか。僕はただ川上くんが羨ましいのだろうか。ならば親友の幸せをなぜ素直に喜んであげられないのだろう。そう思いながら僕はおばあちゃんが作ってくれた晩御飯も食べず、自分でも意味不明の涙を流し続けた。おばあちゃんは心配そうに僕の部屋の襖を開けたが、布団にくるまって寝たふりをした。でも出来るだけ、泣き声は布団に押し付けて外へ聞こえないようにした。
僕は次の日、学校には行ったけど美術部を休むことにした。熱烈なラブレターを破ってしまった手前、岡田さんに合わせる顔が無かった。川上くんも会うなり「顔色悪いぞ?大丈夫か?」と言っていたし、うまく体調不良で乗り越えられると思う。なのに、なのにだ。
「……渡してくれた?」
岡田さんは昼休憩にトイレから教室に帰る僕を捕まえて言った。
「いや……その、美術部のときに渡そうと思って」
「それじゃ私のいる場になっちゃうじゃん。いくら沢口くんでも、あれが何なのかぐらい言わなくても分かるでしょう?部活の前までに渡してよ」
岡田さんはやっぱり僕の名前をちゃんと知らなかった。そして明らかに苛立って、左足の踵を床につけて足の裏を廊下に叩きつけてバンバンと鳴らしている。あの時の松田さんと同じ目をしている。冷や汗が背中を伝う線をはっきりと感じる。どうして僕がこんなことに巻き込まれなくちゃいけないのだろう。
「……分かったよ」
それだけ言い残して僕は自分の教室に逃げた。どうしよう。あの手紙はもう無いのだ。それに、それに……。
「遅かったな」
昼休憩ギリギリ終わる手前に帰ってきた僕に、川上くんは声をかけた。
「なんか、二組の岡田さんと話してなかった?」
さっき岡田さんの怒りを一身に受けた僕の様子を、川上くんは遠くから見ていたのだ。何だかとても情けなかった。
「あうん、なんか、部活のことでさ」
「そうなんだ。……俺、沢田に話しがあるんだ。今日部活行かず俺の家に来ない?」
「え!うん、もちろん行くよ!」
神からの救いだと思った。これで美術部に行けない言い訳をする必要もなく、岡田さんと顔を合わせずに済む。僕に黙って岡田さんと海に行ってしかもキスまでしたのだと思うとむしゃくしゃしたけれど、やっぱり川上くんは僕の親友だと思った。
初めて入った川上くんの部屋は、思ったより男の子っぽい感じがした。好きな漫画のキャラクターのポスターを貼っているのは僕と同じだけど、ミニ四駆や、見たことないロボットのフィギュアもあった。僕も昔はそれらに興味が無い訳では無かったけど、お母さんにねだってもテストの点数が悪いことを表立った理由にして買ってもらえなかったことを、今になって思い出した。心臓を一瞬だけぎゅうと掴まれた感覚だ。
何より漫画の棚がすごくて、僕が立ち読みで怒られない程度で本屋を立ち去るのでいつも読めなかった漫画も、川上くんは全部持っていた。小学校をその時期休んでいて行けなかった修学旅行先よりも、よっぽど夢の国だと思った。
「うわあ、これ読んでもいい?」
「いいけど、その前に……」
川上くんは僕の座る真ん前に、ほぼ互いの膝がつくくらいの、正座でいた。僕は何故だか、悪い予感しかしなかった。
「……俺、美術部の岡田さんと付き合おうと思うんだ。明日には告白する」
目の前で言われているのに、プールの中で聞こえるチャイムみたいだった。ぼやけて輪郭が無い。僕はまた、昼に食べたカレーが喉元まで来るように思った。
「元々可愛いなって思ってて、この前の土曜、近くの海まで一緒に行こうって誘ったんだ。一世一代の賭けだったんだけど、どうやら向こうも俺に気があるっぽくてさ。いい感じになって思い切って帰り際キスしても、向こうも嬉しそうに笑ってたし。沢田とはこの高校で一番最初に仲良くなったし、一緒に美術部も入ったから、ちゃんと事前に報告した方が良いと思って。そう言って、明日振られたらシャレにならないんだけど」
そう言いながら自分の頭を掻く川上くんの顔は、自信に溢れていた。
頭を押さえつけられて、海にざぶんと落とし込まれたような感覚だった。耳に水がたくさん入ってきて痛い。何も聞こえない。息が出来ない。陸に上がることも出来ない。視界がぼやける。目の前に川上くんがいる。それでも彼の顔は波で歪んで見える。僕は必死に目を凝らす。綺麗な切れ長の目、筋の通った鼻、僕のより主張の強い出っ張った喉仏、リンゴのように赤い綺麗な唇……。
気づいたら、僕は川上くんに馬乗りになって、彼の唇に自分の唇を重ねていた。彼の唇は想像よりも柔らかくて、いつも隣の席から香る、川上くんの汗の匂いをより強く感じた。
「何すんだよ⁉︎」
僕は川上くんにすぐに反対側に押され、尻もちをついた。漫画の棚に頭を打ち付け、何冊か床に落ちるバサバサッという音がした。
「お前、そういう趣味だったのか⁉︎」
海に浮かぶ熱帯魚の様に綺麗だった川上くんは、獰猛な猿に変わっていた。
「ああ、気持ち悪い!」
そう言って川上くんは洗面所に行った。口を洗っているらしかった。その間僕は落ちた漫画を棚に戻した方がいいのか迷っていた。部屋に戻ると、
「もう、友達じゃない!出て行ってくれ!」
川上くんはそう言って僕の背中を強く押して家から追い出した。一瞬の出来事で、何が起きたか分からなかった。まだ海を泳ぐ様に、僕は呼吸せずふらふらと意識なく、耳に水の詰まったまま、自分の家の方向へ向かったようだった。帰りは雨で、埃のような匂いがしたことだけ覚えている。
びしょ濡れで帰ると、小さなダイニングテーブルにおばあちゃんのメモがあった。
「勉強して出来る様になりました。冷蔵庫にあります」
ふと冷蔵庫の方を見ると、下に赤い池があった。僕は海じゃなく、赤い池を泳いできたのだろうか。はっとして足元を見ると、僕の白い靴下も赤で染まっていた。
「おばあちゃん!」
既に遅かった。池ではなくやはり海だった。
おばあちゃん、僕男の人が好きなんだ。友達としてじゃない。多分、恋愛相手として。
それでも僕のこと、好きでいてくれる?
その時一番聞いてほしかった言葉はもう、海の中で届かなかった。それに最後に僕は、おばあちゃんと何を話しただろう?昨日は結局、僕のせいで何も話さなかった。
僕は最初で最後の友達と、一番の理解者を同時に失った。僕はもう、自分も誰も、信じられなかった。
どの部屋にいたって、ベッドから見上げた天井は同じ景色だった。四隅の角に、吸い込まれるような気持ちになる。布団に顔まで包まる。こうして僕は、一生羽化しない蛹になるのだ。そうやってまた学校を休んでいた時と同じように、そっとイヤホンを耳にさしラジオを聴いた。
大丈夫、あのラジオを聴けば、きっと大丈夫。
✳︎
さあ、今日も始まりました!ど素人アイの人生相談ラジオ。この番組は、人生特に何も世間的に成し得ていなくせになぜかラジオパーソナリティになれてしまった私アイが、リスナーさんのお悩みに、何も成し得ていないからど素人だからこそ、同じ目線で一緒に悩んだり、上手くいけば解決していこうという番組です。どうぞお手柔らかに、最後まで気楽にお楽しみください。
では早速参りましょう!ラジオネームリンゴのウサギさん。
「僕は学校で無視されています。小学校の時もそうだったのですが、転校して高校では最初大事な友達がいました。でも彼とも、僕のせいで、友達ではなくなってしまいました。
きっかけは、彼に恋人が出来たことでした。彼女ばっかりに構って遊んでくれなくなったとかではなく、僕は好きだったのです。その友達の男の子のことを。彼が彼女のことを好きなのと、同じ意味で。
その恋人達がキスをしたと知って、僕は悔しくてその友達に気づいたら僕もキスをしていました。彼は『気持ち悪い』と言って僕を突き放しました。小学校の時から、それは僕の一番傷つく言葉でした。僕はその子のことが好きだったんだと、その時初めて気づきました。
それから噂はあっという間に広まって、僕のあだ名は『ゲイ』になりました。転校してまた学校に行ける様になっていたのに、僕はまた高校も行けなくなってしまいました。ネットで学校の掲示板を見ると、『ゲイのガイコツが遂に登校拒否、彼の悲惨な将来についてみんなで予測してみよう!』という投稿とともに、ここには書けないほどのひどい言葉が並べられていました。これがデジタルタトゥーというやつでしょうか。同時に僕を育ててくれていた大事な家族も亡くし、僕はずっと一人ぼっちです。
どうして異性を好きになればみんな持て囃すのに、同性を好きになるとこんなに辛い目に合わないといけないのでしょうか。悪いことなのでしょうか。僕は女の子を好きになれれば良かったと、ずっと思っています。」
メールありがとうございます。色々と大変でしたね。まずは亡くなられたご家族のご冥福をお祈りいたします。
そして、学校でも本当に辛い思いをされましたね。同性を好きになることはもちろん、決して悪いことではありません。リンゴのウサギさんの様な方は、世の中にたくさんいらっしゃいます。その人達を差別したり嫌がらせしたりしない様、社会全体で声高に同性の恋愛を認めるよう、叫ばれるようになってきました。
それでも現実社会で、リンゴのウサギさんの様に辛い目に遭っている方は残念ながらたくさんいらっしゃるのも事実です。「異性を好きになるのは当たり前、同性は恋愛対象では無い」という古い価値観がまだ、この社会に根強く残っているんです。非常に残念なことだと思います。
そんな古い価値観が、この世から消えてなくなること、それを私も祈っています。また例えば同性婚を認める様求める動きは、裁判など色んな場所で活発になっています。
私がそういうことを知ったのは、ある一つの漫画からでした。それは、女性同士の恋愛を描いたお話でした。登場人物はカップルとして運良く両思いにはなれてすごく微笑ましい関係なのですが、それでも恋人がいると言うと周囲に相手は男だと当然の様に決めつけられたり、親には早く結婚しないのかと口うるさく言われたり、同性カップルだと異性カップルより条件が厳しく一緒に住む部屋を借りるのも一苦労するなど、同性愛のリアルな悩みが鮮明に描かれていました。でも彼女達は、周りの仲間に助けられながら、そして互いを励ましながら、様々な壁を自分達で乗り越えていきます。もし、漫画がお好きな様であれば、ぜひリンゴのウサギさんも読んでみてください。まず今のあなたに必要なのは、「一人じゃない」と思えることの様な気がしています。
あなたが今回好きになったお相手は、きっと魅力的な方なのでしょう。でも、恋愛の価値観は古かった。周りの生徒達と同じように。それはある意味、狭い世界で生きる、例えるなら小さな小さな、自分で作った水槽の中の熱帯魚のような、決して広い海を見ることの出来ない可哀想な生き物だと思います。それと比べて、あなたは大海を泳いでいます。きっと理解してくれる人が現れます。
掲示板の話も、ひどく卑劣な行為だと思います。狭い環境に閉じ込められた生き物ほど、互いの小さな差をこれ見よがしに大きいことのようにして言い回る暇な輩が出てくるものです。ネットなんて肉体を離れた世界にそれが残っても、みんなが忘れればもうそれは無いものと同じです。すぐに彼らはそれに飽きますし、タトゥーでもなんでもありません。それに彼らが必死に今だけ書き集めているのは、あなたの欠点ではなく彼らの心の狭さ自体なのです。
社会は少しずつ、確実に変わり始めてはいます。私の周りにも同性カップルはいますし、それは当たり前だと思っています。
それに、ただ単純に、男とか女とかそんな区分けはどうでもよく、人を愛せることは尊いことです。どうかその火を、今は辛いでしょうが、絶やさないでというか、無いことにしないで頂きたいです。あなたの心のままに、人を愛すること。それが「真実の愛」だと思います。どうかそれを探し続けてください。
あなたが大人になる過程で、素敵な方とめぐり合って、堂々と自由に恋愛できる日が来ますように。心から祈っています。
えー、また、つい長く話しちゃって1通だけになっちゃいました。このラジオは生放送です。ご相談があればFAXか、メールでお送りください。FAXの場合は、XX-XXXX–XXXXまで。メールアドレスはxxx.yy@5121.comです。
それではまた来週!
6.
旦那と離婚してからも、社会人になった娘はよく私のアパートに来てくれていた。普段パートに追われるばかりの毎日の中で、娘が遊びに来てくれるのは本当に嬉しかった。そんな日は娘が好きだった肉屋のコロッケを必ず晩御飯で出してやった。
引越し先は家賃四万のボロアパートでテレビも買えなかったので、一緒に昔からよく車の中で聴いていたラジオや音楽を聴いて過ごしたりした。
パートは配送業の品出しだった。離婚前住んでいた近所の奥さんが多く働いていたので、紹介してもらった。仕事は忙しいながら知り合いも多いので、たまに冗談を言うのが息抜きだった。私は離婚直後なので、懸命に働き皆が入りたがらない年末年始や連休も、時給がいいので積極的にパートに入るようにしていた。
「沢田さん!」
ある日、九連勤目に二十歳くらいの若い社員の杉本さんに声をかけられた。
杉本さんは他の十名程度の社員の中でも一番若いが一人だけ大卒という理由で、社員の中でもリーダーとして扱われていた。その苦労もあってか、年の割に白髪が目立っていて、目の下のクマは私より濃い。
「急な大量の発送依頼が来ちゃったの。悪いけど、今日は残業でここにつきっきりでお願いできない?」
「分かりました!」
「本当にいつも助かるよ!他に残業頼める人いなくって。ありがとう!」
そう言うと杉本さんは別のレーンへ足早に指示出しに走って行った。顔はいつも汗を大量にかき、作業服の腰にタオルを挟んでいた。陽太も将来、あれくらい仕事に精一杯になれる子になってほしい。
その日は確かにいつもには無い量の発送だった。それぞれの段ボールに必要な配送物や発送先の書いたシールが貼られ、それに合う日用品などをピックアップしてトラックへ送る。もうすぐ年末なので、大掃除系の商品の発送が多いようだった。私とあと社員さん五人くらいで、その日の夜二十二時頃に業務を終えた。
「お疲れ様!エース!」
そう言って杉本さんは缶コーヒーを私に奢ってくれた。自分より半分以上年下に奢ってもらうなんて人生初めてだ。身体はガチガチに固まっていたが、缶を持つ手からじんわりと温もりを感じる。今日は年末で時給がいいから、来月の給料もいいだろう。息子の誕生日が近いから、娘と一緒に買い物に行って久しぶりにケーキを買ってやれるかもしれない。あの子はどれだけ落ち込んでも、ショートケーキを前にすれば、あの人に似た心許ない、でも素直な笑顔を見せてくれた。それを楽しみに、浮かれて帰った。
しかしそれが、不幸の始まりだった。
昨日の発送に、大量に誤りがあったのだ。発送先の薬局から、クレームが社員さんに朝一入った。
「クイックルワイパー百個って言ってんだよ!何で千個も届いてるんだよ!他にも色々他店から発注品がおかしいって話が来てる!説明に来い!」
その薬局はショッピングモールの中に大型店舗として多く出店するチェーン店で、うちの大事な得意先でもある。私が朝出社したときには、社員さんが皆謝罪に出ていなかったので、何が起きたか私は昼過ぎまで分からなかった。そして昼休みにパートのみんなで弁当を食べているところで、戻ってきた社員さんからアナウンスで呼び出しを食らった。社員から名指しの呼び出しは良いことがない。周りで弁当を囲んでいた他のパートも、ザワザワしていた。心が瞬間冷凍で、外の寒さより冷えた。
社員専用の職員室に呼ばれた。見慣れない人も含めて、数人の社員が、珍しく全員似合わないスーツで座ることなく突っ立ている。その醸し出す気怠い雰囲気に気圧され、そのまま逃げ出したい気分だった。
「昨日の発送でミスがあった」
沈黙を破ってぶっきらぼうに、杉本さんが言った。
「シール貼ったのお前だよな?一つずつ、発送先と発送内容がずれてたんだよ。発注数もおかしい」
私はさっと青ざめた。普段は発送先と発送内容をデータ上で紐付けている。それが昨日はあまりの発注数に専用のパソコンが途中で容量オーバーになり、私はパソコンを見ながら手打ちで発送先と発送内容、発注数を打ってそれらを紐付けてシールを印刷し、それを段ボールに貼っていた。今思えば、老眼で一段ずれ、数字も間違っていたのかもしれなかった。
「……申し訳ありません」
「申し訳ないで済まないんだよ!」
杉本さんは力任せに近くにあるロッカーを殴った。
「得意先の富士井薬局、もううちと発送契約は終了するって今朝言われた。全国三百拠点だぞ?どれだけの損失か分かってんのか?いっぱいシフトに入ってくれて慣れてるから頼んだのに、これじゃ給料返して欲しいぐらいだよ!」
もうここで何を言ったって取り返しはつかなかった。喧嘩前の若頭の様に叫ぶ目の前の杉本さんは、昨日缶コーヒーを奢ってくれた人と同じ人とは思えなかった。
「まあ、パートに損害は負わせられないから、せめてもうこんなこと起きないように、シフトに入るのを極力外してくれ。あと来ても、トイレ掃除な」
昔のバラエティの様に上からどんっと、タライを落とされたような衝撃だった。タライに繋がる紐を引っ張ったのは、自分自身だ。
「そんな!娘と息子がいるんです!今まで通りシフトに入らせてください!」
「うるさい!俺だって子供はいるよ!これから俺はお前の尻拭いで本社に謝りにいくんだぞ!これ以上迷惑かけないでくれ!クビにしないだけマシだろう!」
杉本さんに子供がいるのは初耳だったが、ぐうの音も出なかった。全て私がやらかしたことなのだ。冷えた血液が、今度はぐんぐんと過呼吸になるほど駆けて行った。
それから私は月二十五日働いていたところ月五日にされ、来てもトイレ掃除など雑用ばかりだった。トイレ掃除の担当はもう一人いたが、八十くらいの爺さんで酒臭く歯がほとんど無くて、元々皆から避けられていた。業務上仕方なく勇気を出して初めて話しかけてみたが、呂律が回っておらずロクに会話にならない。あの人の行く先ももしかしたら、こんな感じなのだろうか。
仲良かった他のパートは、社員に睨まれるのを気にしてか私から話しかけても挨拶そこそこに皆足早に去って行った。これは実質退職をこちらから宣言するのを待たれているのだと悟った。それでも私は働き続けた。給料は今までの十分の一になった。杉本さんはすれ違うたびに舌打ちし、小声で「早く辞めろよ」と言ってきた。それが十回ほど続いて、私は限界が来てしまった。
ある日私のアパートに娘が泊まった夜、いつも通り狭い部屋で二つ布団を並べ横になった。しばらくして、何の前振りもなく振り絞るような声で私は言った。
「お母さん、仕事辞める」
娘は急な告白に、返事に困っているようだった。
「職場で大きいミスをしてから、社員さんとかにいじめられてて。どうでも良い雑用だけさせられたり、それでも悪口言われたり。ずっと我慢してたけど本当に辛くて……。悪いけど頑張って新しい就職先探すから、しばらく生活費貸してほしい。姉ちゃんは離婚した時に引越し用に借りた分をまだ返せてなくて、もう私からの電話にも出てくれなくて……」
私はその日の前日夜から、それを言おうと決めていた。翌日昼間会った娘に「お母さん今日なんか元気無いね」と言われながら。でも私は打ち明けるのに夜まで待った。それまで気まずい時間を作りたくなかったのと、寝ながらなら話している間娘の顔を見なくて済む。どこまでも自分本位で嫌気がさす。
娘は何も言わず泣き始めてしまった。生活費の要求に泣いているのではなく、私がそこまで追い込まれていたこと、そして家族の度重なる苦労に泣いているんだと何も言わなくても分かった。だって娘はとっても優しい子だから。そんな娘をここまで泣かせて、私は何て情けないことだろう。特に娘には、手のかかる弟の面倒など昔から苦労ばかりかけてきた。
それから娘は私に、月十万仕送りしてくれた。母に面倒を託していた息子の生活費の仕送りと私の生活費を、そこからなんとか捻出した。娘は入社二年目で月の給料が二十万程度だろうから、相当苦しかっただろう。
それからも娘は、電話をくれたり時々泊まりに来てくれたりした。
最初の方は私も娘に対し努めて明るく話していた。娘からもらったお金は、もちろん返すつもりだった。
ただハローワークに行ったりしながら色々仕事を探したが、五十代の女で長く専業主婦をしていて特に資格なども無く、中々仕事が見つからない。ごく稀に年齢制限の無い募集を見つけ面接までこぎつけても、結局若い子だけが採用された。
娘が私の家に泊まりに来たときは、近所のファミレスなどで外食するときはこれまでと逆で娘が自然と払うようになっていた。娘が私に仕送りしたお金が私の生活費なので、誰が払おうが結局娘のお金で払っていることになるからだ。私はそういった変化にいちいち情けない気持ちになった。親である証が、どこからも消えてしまったように感じた。
私がパートを辞めて既に二、三年は経っていた。娘にすぐに就職すると言ったのに中々働けない。正直私は仕事探しを少しずつサボるようになっていた。焦りは増すばかりなのだが、身体が鉛のようで布団からどうやっても出られないのだ。そんな状態のあの人やあの子にあれだけ怒ってきたのに、自分も同じ状況になったのが皮肉に思えた。
そう思っていると、ある日夢にあの人が出てきた。元々ガリガリだったがさらに痩せて本当に骸骨のようになり、窪んだ目でこちらをじっと見つめている。何を言うでもなく、私をまっすぐ見つめている。
ふいに、旦那の兄に離婚を告げた際「弱った途端見捨てやがって」と言われたことを思い出した。私が泣いても、夢の中の旦那は弱々しい笑顔で私を見て立ち尽くしている。ごめんね、と身体よりか細い声で私に話しかけ、そのまま粉々の骨になって風に乗り消えてしまった。
私は気づいたら羽根が生えて鳥になって、その風に舞う骨を一つ一つ拾い集めようとした。でもそれは粒子状で何万もあって、桜の花びらの様に風に舞う。一人では掬いきれない。
目が覚めたら、自然と涙が頬を伝っていた。
どうして私は旦那も娘も息子も守れないんだろう。特に娘には迷惑ばかりかけてきた。息子にも散々八つ当たりの様に叱ってきた。いっそ私がいない方が、娘と息子にとって幸せなんじゃないだろうか。
そう思って耐えられなくなった私は、気づいたらスマホを手に取ってメールを打っていた。
大丈夫、あのラジオを聴けば、きっと大丈夫。
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さあ、今日も始まりました!ど素人アイの人生相談ラジオ。この番組は、人生特に何も世間的に成し得ていなくせになぜかラジオパーソナリティになれてしまった私アイが、リスナーさんのお悩みに、何も成し得ていないからど素人だからこそ、同じ目線で一緒に悩んだり、上手くいけば解決していこうという番組です。どうぞお手柔らかに、最後まで気楽にお楽しみください。
では早速参りましょう!ラジオネームカバのマグカップさん。
「生きている意味が分かりません。いきなり暗い話でごめんなさい。夜眠れず今これを書いています。私は五十代で、二十四歳の娘と二十歳の息子がいます。息子は昔からいじめられっ子ですがマイペースで、娘はしっかり者で私が更年期で不安定だった時期もよく弟の面倒を見てくれてました。旦那とは四年前に離婚しています。離婚理由は、旦那が鬱病になり会社をクビになったことがきっかけです。私は旦那を病院に通わせましたが良くならず、娘も大学に通う時期で私のパート代だけではとても四人の生活を支えられず、生活の為に離婚となりました。そこから私は子供達と自分の生活の為に必死にパートを頑張ってきました。
なのに、私は最近そのパートを辞めてしまいました。理由はある日パート先で大きなミスをしてしまい、それから社員さんに皆が嫌がる雑務だけをさせられるようになり、次第に周りの冷たい目にも耐えられなくなったからです。今は娘から月十万送ってもらって生活しています。そこから生活費を何とか捻出しています。娘は入社二年目で給料も二十万程度でしょうから、苦しい思いをさせています。
私は迷惑もかけたけどこれまで、子供達の幸せだけを第一に考えて生きてきました。子供達の幸せが私の幸せでした。二人が初めてハイハイが出来た日のこと、息子がいつも泣き虫なのに、運動会の徒競走でこけてしまっても泣かずに起き上がって前を向いてビリでもゴールしたこと、私の誕生日に娘が、少ないお小遣いから私に似てるからという理由でカバのイラストが入ったマグカップをプレゼントしてくれたこと、全て昨日の様に覚えています。なので、今は娘に負担を掛けていることが本当に辛いです。決して人の悪くなかった旦那を、生活の為に見捨てたくせに自分も仕事を続けられなかったこともずっと罪悪感でいっぱいです。もう今、何の為に生きているか分かりません。
それでも中々この歳で何の資格もなく、再就職先も見つかりません。正直言って、最近は職探しもろくに出来ていません。そんな自分が本当に情けないです。子供達の為に、私はいない方が良い、死にたいとも思っています。長くなってごめんなさい。」
メールありがとうございます。暗いとか長いとか、全くこちらは問題ないので気になさらないでくださいね。
まず、娘さんに金銭面で負担をかけていることにすごく罪悪感を持っている様ですが、母親は、子供に金銭の苦労をかけない為に生きているものなのでしょうか?金銭の苦労をかけないことが良い母親の条件なのでしょうか?
あなたが今とても悩んでいることを一旦除けば、とても良い親子関係の様に思います。あなたの優しいところが、お子さんにも遺伝している様に思うからです。お子さんの為にも離婚という辛い道を選んだこと、お子さんの思い出をいつまでも忘れていないこと。きっとそういった優しさや強さにお子さんたちはこれまでたくさん助けられてきたことでしょう。そんな優しいお母さんを持つ優しい子がお母さんに一番望むことは何でしょうか?まさかお金だと思いますか?あなたが大好きなお子さんが、そんな現金な子だと思いますか?
娘さんもあなたと同じ様に、職場で悩むことがきっと多いでしょう。弟さんは学生さんでしょうか?そちらもきっと人間関係とか、悩みは尽きないのではないでしょうか。そんな時に優しく話を聴いてあげることの方がよっぽど大事だと思います。そこまで遺伝してしまっているとしたら、「人に迷惑をかけたくない」というあなたの性格まで娘さん息子さんも持っているかも知れません。親が自分の悩みを共有できる存在であること、それはお金に換え難い価値だと思いませんか?
再就職先を探し中とのことですが、あなたがすべきことは今本当にそれでしょうか?一刻も早く娘さんに負担を掛ける状態から解放されたいというのは分かりますが、弱っているあなたに厳しいことを言う様で非常に恐縮ですが、「死にたい」とまで思うあなたに、仕事をするのは無理だと思います。
まずすべきことは、自分に対するケアでは無いでしょうか?旦那さんとの離婚も、私が思う何倍も辛いことだったかと思います。優しいあなたを相当苦しめたでしょう。あなたが弱いのではなく、あなたは「死にたい」と思い詰めるまでの辛い体験を実際にされたのです。
ケアって具体的には、例えばゆっくり休む時間を取る。病院に行ってみる、などです。病院は旦那さんのこともあって、行ってもよくならないという思いもあるかもしれません。それでも良いから行ってください。薬をもらって、良くなるんだと信じて飲んでください。で、それを娘さん息子さんにも出来れば伝えてください。仕事が見つからないとか死にたいとかより、娘さん息子さんは自分の問題に真正面に向き合う前向きなあなたの姿に、きっと喜んでくれると思いますよ。
そして、自分の悩みは娘さん息子さんに相談してください。娘さん息子さんの悩みを聞いてあげる代わりに、あなたの悩みも相談してください。娘さん息子さんもあなたのおかげで十分人の悩みも聞ける大人の年齢になったのです。とっても良い関係なのに、一番大事なことをお子さんと話し合えていないような気がします。いつまでも「母は自立していなければ」という考えを持ち続ける必要はありません。自分が汚いと思うことも包み隠さず話してください。それぞれがそれぞれに何を求めるのか。改めて話し合う時間を取ってください。何度も言いますが、それがお子さんの為でもあるのです。
あなたが「子供のために死にたい」ではなく、「あなたと子供のために生きたい」に変わる日が来ますように。
えー、また、つい長く話しちゃって一通だけになっちゃいました。このラジオは生放送です。ご相談があればFAXか、メールでお送りください。FAXの場合は、XX-XXXX–XXXXまで。メールアドレスはxxx.yy@5121.comです。
それではまた来週!