第91話 同行者
「ジノーク周辺に出る魔物は中級の下の方だけって聞いてたんですが」
昼食前にカミーラに聞いたことである。
マルクたちが明日一日で片を付けようとしているなら日帰りの距離という事。
見通しのいい平原を駆けるのとは違う。魔境の森を警戒しながら進むのならせいぜい数十キーメルテ程度。その範囲に馬喰らいアギトが潜んでいることになる。
マルクは頷き、茶卓の上から陶器茶碗を取って一口飲んだ。
「もともと馬喰らいは群れを作らない。だからすこし変な言い方になるが、はぐれというやつだね。もっと奥地にしか生息していないはずが迷い出てきてしまったらしい」
「……1頭ですよね?」
「そうだね。たくさん居たら大変だ」
副隊長が黙って茶卓の上の皿をとりあげ、イリアに差し出してきた。中皿の上には硬く焼いた菓子が10個ほど乗っている。乳脂の香りがするそれを一つ手に取って、イリアはさらに聞いた。
「……失礼かもしれませんけど、隊長のレベルはいくつなんですか? 馬喰らいアギトの仮想レベルは、たしか50前後だったと思うんですが」
戦闘小隊員の中にカミーラよりずっとレベルが高い者は居ないと思われる。そのカミーラのレベルは32だ。街道保全隊は馬喰らいアギトを相手にするのには、いささか格が不足しているのではないか。
「私は【細心】のレベル41。だが隊で私が一番高レベルというわけじゃなく、オレグは44あるよ」
「オレグ?」
マルクが半笑いで顎で示したのは副隊長だった。
マルクのアビリティーの【細心】は『成長系』アビリティーの一つ。格の低い魔石からでもある程度成長素を摂り続けられるという性質。かなり有用ではあるが、そもそも『成長系』アビリティー自体パッとしない種別だ。
イリアは左に座るオレグ副隊長を見た。
隻眼では戦えないというつもりはない。だがそもそも、ひげまで半分白くなっているオレグは腹回りもだいぶ太くなっていて、現役の戦士と言えるのかどうか。
「ふふっ。やはり戦士団頭領の息子だね。勇猛な『白狼の牙』の面々に比べれば、我々などは貧弱に見えて、不安で仕方ないと言ったところか」
「……そこまでは言いませんが」
「心配するのもわかるよ。戦闘小隊に比べて本隊のレベルは、むしろ平均すれば高いわけだが、私自身もこんなだしね」
そう言ってマルクは右ひざの上に組んでいる左の靴を指の関節で叩いた。コツコツという音がして、その中身が肉体でないことを知らせる。
「まあ君が気にする必要は無い。保全隊本来の職務とは違うが、王政府から派遣されている代官が、同じ王政府所属の我々に依頼してきたこと。聞かないわけにはいかない。なによりジノーク住民の安全にかかわる事だしね。」
「……防壁をあんな風にしておくから……」
「壁があろうとなかろうと、早急な対処は要るよ。イリアは宿に帰ってこの事を早く隊員に伝えてやってくれ。みんな後二日間で王都に帰り着くと、はめを外し過ぎているかもしれない」
言われた通りにイリアは夕暮れの街を走り、『上宿ライノック』に着くと一階の大食堂に向かった。カミーラと戦闘小隊のフリーデ。そのほかにもう少し年かさの女性隊員2名が一つの卓に集まり、野菜の油煮をつまみにブドウ酒を飲んでいる。茶碗を持ってすこし所在なげにしているジゼルの姿もあった。
イリアがカミーラにマルクからの伝言を伝える。カミーラ以外も女性隊員は全員真面目に話を聞いていた。女性陣は大食堂のあちこちに居る十何名かの男性隊員に比べ、そこまで酔ってはいないようだ。
「わかった。……フリーデ、マクシムたちが泊まってる宿知ってるか?」
「はい上長」
「じゃあ知らせてきな。機転きかせて、なるべく早く全員に情報共有させて」
フリーデは出て行き、残った三人は大食堂の隊員めがけて散っていき、話を伝えている。何時かイリアが斧を借りた大柄な男が、卓の上に突っ伏して寝ている所をカミーラに蹴飛ばされている。
「ということは、明日一日わたくしたちはお休みという事になりますのね」
ジゼルが油煮の中から小さなウリの実を鉄串で取り出し、食べながら言った。
「ジゼルさんは心配じゃないんですか? 馬喰らいですよ?」
「平気でしょう? あのマルク隊長が隊員を危険にさらして蛮勇に走るなんて、あるとは思えませんし。勝算があって決めたことだと思いますわ」
仮想レベル50の魔物と言えば、イリアの父ギュスターブでもそこそこ成長素が摂れるほどの、本当の大物だ。
それくらい高格の魔物となると、もう適したレベルの数人で隊を組んで狩るようなものではなくなる。戦士団なら遠征に出かける戦力全てで挑むのが当たり前という、そういう相手になってくる。
とはいえジゼルのいう事ももっともな気がした。マルクは理知的な人物で、自分の部下に愛情もある。
いくら心配でも自分が反対したところで大人の決定が覆るはずもなく、また手伝えることも無い。
考えても仕方がないことのようなので、イリアは自分のことをすることにした。
昼食が遅かったのでまだ腹は減っていない。イリアは厨房から水だけもらって席に戻り『浄水』の練習を始めた。
水に指を浸しながら最小限の小さい声で呪文を唱える。
この数日、毎晩こうして練習をしているが、やはりまだ何も起きていない。
ジゼルはじめ魔法の先達の話によれば、最初にマナを精霊に食われるときは制御も効かずに一気に全部持っていかれ、余剰マナだけでは足りずにアビリティー本体まで侵食されて気分が悪くなり、倦怠感を覚え、酷いときは気絶したりするらしい。
なので魔法の練習はいつでも寝床に就ける状態になるまで始められないのだ。
馬喰らいアギトと戦うために飲みすぎるなという連絡は、夜が更ける前に全隊にいきわたったらしい。
そのまま『上宿ライノック』に泊ったイリアは翌朝早くに目を覚まし、身支度してから一階に降りた。
食堂の外に小さな井戸があり、小さな金属桶で水を汲み、顔を洗って歯を磨いていたら、やはり身支度を整えたジゼルがやって来た。
「おはようございます」
「おはようイリア、早いですね。ゆっくりは寝られませんでしたか」
「はい。やっぱりまだ少し、心配してしまう気持ちがありまして」
宿に隊員はすでに誰も居ない。
カミーラ含めて全員が、日の出直後にジノークを出発しているという。
「そんなに心配なのでしたら、一緒に狩りの様子を見物に行きましょうか」
「はい?」
「見物のための臨時隊が北の広場でたくさん結成されてるみたいですわ。屋台なんかも出ていてお祭りみたいなのですって」
「……はい?」
朝食を急いでかきこんで北広場に向かうと、ジゼルの言った通りの有様だった。
老若男女数十名が武器や防具を持ったり持たなかったり。わらわらとたむろしては数人から十人ほどで集まっている。
イリアは鎧は装備しなかった。万が一馬喰らいに襲われるとしたら、その牙の前には革鎧など紙と変わらない。
肩から水筒をぶら下げ、いちおう短鉄棍と無刃の短剣だけは持ってきていた。
ジゼルは服装こそふだんの旅装だが、旅の間中きっちり結い上げていた赤みの強い金髪を今日は解き、背中で波打たせている。
隊を組んだらしい10人組が北に向かって走り去っていった。広場には新たに住民らしき普段着の人々が集まってきている。
「なにか思っていたのと違うんですけど」
「どうしましょうか、先に隊を組んでからお昼を選ぶべき? それともお昼を買ってから隊を組むべきかしら?」
ジゼルがよくわからないことを言いながら炭火焼きの屋台に向かう。
途中で二人組の男に声を掛けられた。
「ねえ、君も大物狩りを見物に行くの? だったら俺らと隊を組まない? 半大人だろ? こっちもあまり速くは走れないんだ」
栗色の髪をイリアと同じくらいに伸ばした若者。それとよく似た風貌のもう一人。話しかけているのは背が高く、少し年上。小さい方はイリアと同じくらいだろうか。
小さいと言っても、そばに寄れば若干身長で負けているようだった。




