第86話 二人きり
州全域で37万人の人口を持つブレニーセルの州都セラボタ。ブレニーセルは狭いながらも他にも多くの大都市があり、州都と言えどセラボタの人口は5万人しかいないらしい。
アビリティー学園ブレニーセル分校はもっと南のコンフェティの街にあり、学園生を含めればそちらのほうが住人は多い。
ソキーラコバルの大防壁ほどではないが、そこそこ立派な防壁の東門。
イリアたちが到着したときにはもう太陽は防壁の陰に隠れてしまっていて、斜陽を反射する薄雲で空は橙色に染まっていた。
王立街道保全隊第7中隊の幹部は今、入街審査の手続きのために向こうの役人と話をしているらしい。
イリアは荷車から降りて、少し先に止まっているもう一台の荷車から同じようにして降りたジゼルに話しかけた。
「ここにはなんていうか…… 粗末な建物の集合、が無いんですね」
ジゼルは自分の尻をさすっている。やはりレベル16のジゼルも1刻半にわたって座りっぱなしは堪えたらしい。道なき草原をそれなりの速度で走り続けた荷車には座席などない。
天板の上に直に座り、落っこちないように太腿の付け根あたりを革帯で固定されていたため、イリアも下半身の筋肉全体が強張ってしまっていた。
「……この街では南側の防壁を取り壊して、毎年、都市の拡張工事をしているらしいですわよ。ソキーラコバルの大防壁もそうすべきだと思うのですけどね。歴史的価値があるとかなんとか、言っていないで」
戦闘小隊員の一人がイリアの荷物を手渡してきた。礼を言って受け取る。ジゼルもフリーデから自分の荷物を受け取っていた。
一般の審査待ちの人々の列は少し離れた位置にあって、王立街道保全隊の面々は北に位置する防壁際の空き地にたむろしている。
門のほうに行っていたカミーラが戻って来た。
「イリアジゼル、ウチらで先に街に入るぞ。隊の方は荷車も入れるらしいから、ちょっと時間がかかる」
「はあ」
審査待ちの、おそらく旅人が大半なのだろう人々の行列は30人近いのではなかろうか。
州都にして北東大街道の通る大都市なので、大人数なのは当然ではある。彼らを差し置いて自分たちの審査を優先させていいのだろうか。
「何を気にしてんだ? ウチらの審査のための係が他に応援で来るんだから、あっちの横入りになるわけじゃねえよ」
「でも、一般の人には通じないと思いますけど。その理屈」
「知らねえよ。何のためにこの堅っ苦しい制服着てると思ってんだ。特別扱いしてもらうためだろうが」
保全隊員は全員きちんと制服を着直している。上半身だけとはいえ真っ白に統一された姿は侵しがたいような気品を感じさせている。ような気もする。
本隊は屋外作業をずっとしていて、しかも戦闘小隊は今日50匹の魔物相手の戦いを繰り広げている。それでも毛織物の表地が白さを保ち続けているのは不思議である。
故郷の州を出て初めての入街審査であったが、もちろんイリアの身分証は完全に機能した。ジゼルも同じような銀合金の身分証を持っていた。
入街税を取られなかった。
さすがにそれはまずいのではと、イリアジゼルは不安になってカミーラに問いただす。
「その辺は隊長がうまくやってくれた。ビソキオスト山の管理不備の、一般人の証言者として公務で入街する事になってる」
「いや、嫌ですよ。いくらなんでも、役人とかそういう人に嘘つくのは」
「別に嘘なんてつく必要はない。もし本当に証言する事になればマクシムたちのことまでちゃんと話せばいい。どうせ単なる隊規違反でしかないし。そもそも、そんな大げさな話にはきっとならねぇよ。偉いさんどうしで話がまとまるだけだって」
イリアにはどうも話がわからない。
「証言しないのに証人として入街する?」
「だから建前だって。こっちには証人だって居るけど、どうします? ってやつ。まあ国と州政府のあいだの、面倒くせえかけ引きだから、イリアは金が浮いてよかったって思ってりゃいいんだよ」
審査は無事に済み、街に入った半大人二人はカミーラの案内で街の北に向かった。
薄暗い夕刻の街の雰囲気はよくわからないが、ソキーラコバルの下町よりはなんとなく建物の密集具合に余裕があるように思える。
「カミーラさんは当然として、ジゼルさんもここには何度か来てるんですよね?」
「ええ。王都と往復する際、必ずセラボタには宿泊していました。けれど、アビリティーを得る前の子供でしたから。宿の玄関から次の宿の玄関と言った感じで、ずっと馬車の中に居ました。こうして旅らしい旅をするのは初めての事ですわ」
ソキーラコバル同様に、街の建物の二階の高さには街灯があり、その家の住民だろう人間が窓から体を乗り出して火をつけていた。
自分の荷物を自分で持っているイリアジゼルにあわせて、カミーラはゆっくり歩く。
夕食を食べに料理屋を目指す者や、買い物帰りの主婦。たくさんの人とすれ違いながら10分ほど進んだろうか。
入街審査を担当した警士と同じ、鎖鎧の上に朱色の鎧服を羽織った女性とすれ違った。制服を着ているカミーラと、お互いに目線を交わして通り過ぎる。公の戦力組織に所属する少数派の女性同士、何か感じるものがあるのかもしれない。
たどり着いたのは北門近くの大きな建物。背の低い生垣で囲われたその建物の玄関横の銘板には『ブレニーセル駐屯兵団第4宿舎』と書いてある。
「国軍の宿舎ですの?」
「そうだ。セラボタで厄介になるときはいつもここで泊る」
「じゃあ、宿代とかはかからないってことですか?」
「ああ。またしても金が浮いて嬉しいだろ?」
カミーラは玄関に続く石段を蹴りつけて靴についている土を落としてから、扉を開けて中に入っていった。イリアとジゼルも同じようにして後に続く。
狭い玄関広間にはまだ灯りがともっておらず薄暗い。
「いつもは管理人が常駐してんだけどな。ちょっと誰か居ないか探してくるから、あんたらは食堂で待ってろ。そっちの廊下の突き当りを右。厠はさらに左に進んで突き当りだ」
そう言ってカミーラは玄関正面の階段を昇って行った。
言われた通りに廊下を進み、用を済ませてから食堂と思われる大きな部屋に入った。
床には大きさも形もまばらな石板が敷き詰められていて、隙間は漆喰か灰土のようなもので固められている。
大きな長方形の食卓が8つ並んでいて、座席は全部で80ほどだろうか。
奥に見えるのは調理場のようだ。どちらにも照明が灯っていない。西向きの大きなガラス窓から差し込む西日はもう落ちかかっている。
「なんで誰も居ないんですかね?」
「予備というか来客用というか、ずっと誰かが住んでいる宿舎ではないんじゃないかしら? でなければ、この時間に誰も食事の支度をしていないのは不自然ですし」
イリアとジゼルは食堂の一番奥、調理場近くの卓の側に荷物を置いた。
4つある吊り燭台の、席に一番近い一つに背伸びしたジゼルが魔杖で灯りを点けた。獣脂ロウソク独特の、すこしおいしそうな匂いが漂う。
卓の角の所にはす向かいになるようにして二人は腰かけた。
カミーラはまだやってこない。話すならこの機しかないようにイリアには思えた。
「ジゼルさん、いいですか?」
「ええ」
ロウソクの灯りを受け、ジゼルの灰色がかった青の瞳がまっすぐイリアを見ている。
「ジゼルさんとハンナと一緒に鎌蟲狩りに行った時、俺は自分のレベルを4だと言いました。そして昨日、えっと。カミーラさんが沢の水を飲めばいいって言って、それで……」
「わたくしがイリアのレベルを5だと言ったら、イリアはもう6になっていると訂正しましたね」
「……そうです」
鎌蟲との戦いの翌日にはハンナと別れ、ハインリヒ邸も出ている。
イリアは自分のレベルが5になっていることを、ジゼルに話す機会など無かったのだ。
それなのに、である。
聡明な姉弟子は、伝えていないはずのイリアの秘密を既に知っているとみて間違いないようだった。




