第85話 命令
【不破】のキリルと【魔蝕】カミーラ、【耳利き】ルーメンと、【不殺(仮)】のイリア。
4人で戦線を作り、背後に【火の導師】ジゼル。レベルは15だが防具が無く、ステータスが魔法型に大きく偏っている。
敵は8匹の角ザルの群れ。
「さっきの、なんとかいう魔法は⁉」
「『新式紫電』は非殺傷魔法だからな。血を流さないようにと使ったが、もうそんなこと言ってられねぇし、殴った方がはやい」
魔法使いの発言とは思えない。まあ水魔法は媒介の水を消耗するので本当の危機の時まで使わないというのはわかる。
ほぼ同時に突っ込んできた魔物の群れ。8匹中2匹がイリアのほうにも来てしまっている。
灰色の皮膚には毛の一本も生えていない。姿かたちこそ最も人間に似ている魔物と言われているが、白目がほとんどないその眼球には感情が宿っているようには見えない。
盛り上がった目の上の筋肉。無いに等しい鼻梁と大きく開いた鼻孔。尖った耳。
剥きだされた大きな黄色い歯の間から威嚇のうなり声が聞こえる。不潔な人間の体臭とも獣臭ともつかない独特なにおい。
嗅覚の記憶と共に忘れたい光景が脳裏によみがえる。全身が強張りかけるのを無理やりに、骨から肉を引き剥がすようにして動かした。
大きく踏み出して距離を詰め、短鉄棍を基本の通りに小さい半径で回し打ち。
腰の高さにあった角ザルの額に命中。人間の指ほどの長さの角がパキリと音を立て、折れてどこかに飛んだ。
左から衝撃。人間に近い体格を持った大きめの個体が木の枝をイリアの肩にたたきつけた。
砕ける枝。よろけるイリア。肩が鎧われていなければ怪我をしている。
指2本分ほどの幅をもった火の帯が、イリアを殴った個体の足から脇腹のあたりまでを下から上に撫でた。
ジゼルの火魔法で火傷した角ザルは「ギッ」と鳴いて体を硬直させ、跳ねあがり、自分を焼いた犯人を睨む。
イリアによる短鉄棍の打ち下ろしがその肩に命中したが、盛り上がった筋肉を打っただけ。効いた手ごたえがない。
右足に角を折られた個体が噛みついている。鎧の脛当て部分に穴が開き、歯が直に触れているのがわかる。イリアは短鉄棍の先端をその側頭部に突きこんだ。
直撃。一瞬停止し、掴んでいたイリアの脚を離し、首を左右にビクビク振るようなな仕草をする魔物。急に恐怖にとらわれたかのよう。
そして成長素の感覚。
「イリア!」
ジゼルの声がしたが、言われなくても見えてはいた。
大きめの個体がイリアの横顔めがけて手を伸ばしてきている。人に比べて太く短い指には真っ黒な分厚い爪が生えている。
顔を防御すると、角ザルの手がイリアの左前腕を握りしめてきた。
鎧を通じて圧力が加わる。とんでもない握力。骨が折れるのではという恐怖で、イリアの思考が乱れる。
ルーメンの直剣が角ザルの背中を突いた。魔物は短く一声鳴いて体をのけぞらせる。自由になった左腕で短鉄棍を持ち直したイリア。
ルーメンはもう反対側に向き直って他の角ザルを蹴り飛ばしていた。
さっきは失敗したが、角ザルの倒し方は人と同じだとハンナは言っていた。改めて間合いを測り、背中の痛みに顔を歪める大きめ個体に向き合う。
助走も無しに跳び上がった角ザル。イリアの頭の上まで跳び上がり、前足後ろ脚の計20本の爪で頭部を狙ってきた。短鉄棍を左右に回転させるようにして、それらを打ち払ったが、手のように器用に動く後ろ足で上半身につかみ掛かられ、イリア自身と同じ程の体重がのしかかる。後ろに踏ん張った左の半長靴の靴底が地面に食い込んだ。
魔物の指がイリアの髪の毛を数十本毟った。それと同時に、短鉄棍で角ザルの右の鎖骨の上を強く打つ。鎖骨は筋肉に埋もれてよく見えないが、その辺りを。
角ザルはイリアを離して尻もちをつくように地面に落ちた。イリアも倒れて同じような姿勢になったが、短鉄棍を杖のように地面に突いてすぐ立ち上がった。
「「おおー」」
感心したような声が上がった。ふと見れば、イリア以外の前衛3人はすでに他の角ザルを無力化していた。
キリルが一匹を地面に抑え込んでいて、あとは全部、倒れている。
首は落ちていない。出血も見えない。だがどうしても、頭の中であの光景に繋がってしまう。
何もしていないのに成長素の感覚。見れば、大きめ個体が四つん這いで逃げ出している。四つん這いで左右にふらふらとよろめきながら逃げるその足取りは、首筋への攻撃がちゃんと作用したことを示している。
最初の一匹、角をへし折った方も逃げたのだろう。すでに辺りに居ない。
「坊ちゃんにしては、まあまあやるな」
「なんですぐ逃げたんだ? 何かコツあるの?」
そう言ってきたのはルーメンと、角ザルの片腕を極めて膝で胴体を押さえ込んでいるキリルだ。カミーラは黙ってニヤリと笑っている。
「イリア。平気なようでしたら、もう一匹もあなたが倒したらいいと思いますわ」
ジゼルの言葉。振り向くとその顔はまじめそのものだ。イリアに無理を押し付けようというような意地悪な顔ではない。
ジゼルの提案通り、キリルが解放した個体と1対1で戦った。
既に片腕を負傷していた相手に対し、イリアは圧勝した。
相手が戦意を失い体を縮こませると同時に、全身に満ちるレベル上昇の感覚。
8匹の角ザルの群れで、生き残り見逃されたのはイリアが倒した3匹だけであった。
「一体どういうことだね⁉ これは!」
「少し先で大将鎖ヘビが腹を裂かれてて、そのせいで集まったらしき共生種の群れに襲われました。先行していた戦闘小隊が我々を心配して戻ってきてたおかげで事なきを得ました」
戦闘終了後、ほどなく。本隊と一緒に合流したマルクに対してカミーラは嘘の報告をしている。
イリアジゼルの方を向いている戦闘小隊の面々は「頼むから言わないでくれ」と表情で語りながら両掌を合わせていた。
「どうします? わたくしは、二人とも無事だったので別にいいのですが。もともと迷惑をかけているのはこちらですし」
顔を寄せてきたジゼルが小声でイリアに聞いてきたが、イリアはあまりそういうことを考える元気がない。
見渡せばそこらに散らばっている、数多の魔物の死体。結局、合計で50匹近い魔物の群れの半数を殺してしまっていた。
人と魔物の関係を思えばこんな光景にいちいち心を痛めてはいられない。
それは分かっている。
イリアの体からはずっと嫌な汗が流れ続けている。鎧が蒸れて暑いからという理由ではない。
単純に慣れていないだけと言えば、そうかもしれなかったが。
「そうか。やはりセラボタ市政府に通達した方がいいな。角ザルのような群れる魔物を管理魔境で繁殖させるのは無理があるのだ」
カミーラの報告に結局マルクは納得したようだった。
実際問題として、確かにマクシムたちが大将鎖ヘビを解体したのは迂闊であったわけだが、あんな数の魔物の群れがこの地域に出たことについての責任は魔境の管理体制の問題な気もする。
ビソキオスト山がどのレベルの者が挑む想定で管理されているか知らないが、50匹の群れを相手に無事でいられるレベルの者が低級魔物の魔石でレベルを上げられるとは思えない。ここは有用で安全な魔石資源地になっていないと言える。
「それで? イリアはどんくらい魔石食うんだ? いくら食ってもいいぞ、この場にはお前以外適正なレベルのやついねぇからな」
そう聞いてきたのは報告を終えたカミーラだ。
保全隊員が全員イリアの方を見ている。それが決まらない限り、死体の処理が始められないとでも言いたげな雰囲気である。
「俺はいいです。一つも摂る気はありません」
「何言ってんだ? イリアも立派に戦ったんだから、誰も文句は言わねえよ」
「いや、ちょっと最近ステータス不適応症が怖くて。控えてるんです」
「嘘だろー。ならもっと慎重にするんだった。もったいねえし面倒くせぇ……」
「あの、わたくしはいただきますわよ? 体格の立派な個体から順に抜いてくださいませ」
「ん? ああ、レベル15ならぎりぎりいけるのか。個体差あるから外れも出てくるけどな」
ジゼルは合計8つもの魔石を摂取し、レベルが16になった。
25匹もの魔物の死体処理はかなり面倒くさい。
角ザル縒りマシとはいえ、子攫いイヌも味が悪い。まともに金になるのは毛皮くらいであるが、これも夏毛では値が落ち、たぶん脱毛皮としての需要しかない。魔物の平均と比べれば小さいので衣類にはしにくく、雑用袋の材料になるだけ。
どうせ一頭分で銅貨10枚ほどにしかならないということで、特に立派なもの3枚だけを剥いで残りは埋めてしまうことになった。
作業に1刻半。地魔法で深く掘った穴に全ての死体を埋め終わった。
「よし! ではこのまま全隊でセラボタまで一気に向かうぞ!」
マルクが宣言した。時刻はすでに日の11刻も半ばに近い。
「いや無理だ……でしょう。隊長。イリアとジゼルが居るんですから」
カミーラは異を唱えた。
「残り約16キーメルテの距離だが、荷車の上に座ってもらえばいい。荷物は戦闘小隊が持ち、二人の乗った荷車も戦闘小隊が曳くこと。それで文句はないな? マクシム」
第7中隊長は真っ直ぐにマクシムを見ている。
その視線に体を硬くしたマクシムは、短くはっきりとした返事で命令を受諾した。




