第79話 出向組
昼食後もやはり昨日同様マルクの後を付いて回る。自分の手で伐採作業をするわけではない第7中隊長だが、しょっちゅう報告に来る隊員の相手をしていて暇では無さそうだ。
報告の内容はなにか専門的な言葉でイリアにはよくわからない。基準木がどうとか、生息痕跡がどうとか言っている。
カミーラとマルクは会話を交わす様子が無いので、合間を見つけてイリアが話してみることにした。
「あの、マルクさん。『浄水』がマナ出力20でも使えるっていうのは本当ですか?」
「ん? なんだイリア少年、君は水精霊に適性があるのか。いいね! 20なら、まあいけるんじゃないか?」
「『並』でも?」
「『並』なら無理だろう。25は欲しいね」
イリアは眉をしかめてカミーラを振り向き、睨んだ。
「んなわけねえよ! ウチは感覚じゃわかんねぇけど、発動消費が12標準当分マ量で、瞬間随意性消費が——」
なにかごちゃごちゃと言っているが、意味は取れない。
マルクが何かに気づいたような顔をした。
「ああ、そういうことか! わかったわかった。イリア少年。『浄水』を使いたいなら今夜私たちの幕屋に来なさい、話の食い違いについて説明してあげるから」
そう言ってまた仕事に戻ってしまった。
ともかく、約束を取り付けたのでよしとする。
伐採作業に参加する事も出来ず、イリアとジゼルは退屈なのでしりとりをしながら歩いた。途中からカミーラも参加したが、聞いたことのない方言のような語彙が出てきて、そのたびに実在する言葉なのかどうかの議論になる。「シバく」というのは懲罰のために殴ることを言うらしい。
イリアには進行方向右に広がる森の陰がだんだん薄くなってきた気がした。そのあたりで、本隊を追い越して先に野営予定地に向かうようにと指示が出る。
作業を終えれば保全隊員たちはイリアたちを置き去りにする速度で移動するので、先行しないと足並みをそろえられない状況があるのだ。
カミーラを先頭に、3人で走る。土地に水気が少ないせいだろうか草はあまり育っていない。だがよく見れば硬い土の上にわずかに痕跡が残っている。やはり先行している者が居るらしい。
半刻ほど走ればあきらかに森の陰は薄くなっていき、とうとう途切れて若木の一本もなくなった。しばらくすると進行方向の右が崖になっているのが分かる。先行者の痕跡は崖の縁に沿うように続く。
崖下を覗き込めば大きな川。セイデス川の流れに行き会ったようである。
崖の高さは20メルテほどだろうか。セイデスの流れはゆったりとしていて、崖の表面は岩盤質だ。崩れたりする心配はなさそうだったが、落ちることを想像するとなにやら怖い。
同時に崖の険しさは魔物が襲ってくる可能性を否定していて、ある意味では天然の防壁になっていると言える。
さらに四半刻。西に流れていたセイデスが南にむかってほぼ直角に曲がっている場所に着いた。崖もそれに合わせ角のようになっていて、そこに7人の保全隊員が居た。
一人の隊員が崖の上から放尿している。ジゼルが目をそらした。
7人のうち一人は女性隊員だった。イリアには初めて見る顔に思われる。
カミーラに気づいた女性隊員は、暗い顔をして近づいてきた。おそらくは二十代前半。カミーラよりは少し年下だろう。
「あの、カミーラ上長……」
「わかってる。あと、上長じゃねえ。今は平隊員だ」
カミーラは女性隊員を引き連れて、6人の男性隊員のところに歩み寄った。
「野営地の安全確保したら、本隊の迎えだろ。さっさと行けよ」
「おっかねえなぁ。迎えなんかいらねえだろ、あっちは34人も居るんだ。まぁ数ばっかかもしんねぇけど?」
おどけるように言ったのは放尿していた男だ。使ったものはもう仕舞っている。
他の者も男の調子に合わせるようにへらへらと笑っている。小さく笑声を立てた者も一人いた。
小柄なカミーラは、大柄な尿男に向かって歩み寄っていく。腕を伸ばせば届きそうな距離。下から睨みあげているようだ。
「戦闘小隊が安全確保の役目怠けるんなら、お前らいったい何しに隊に居んだ? ふざけたことヌかすくらいなら、さっさと辞めて自由労働者組合行けや」
「……なんだよ、熱くなんなよ、お前だって軍からの出向だろ」
地べたに座り込んでいた5人のうちの一人、一番若そうな男が立ち上がった。髪の毛の色が白っぽい。眉毛は銅色なので、脱色しているのかもしれない。
「カミーラはいいよな、お客さんのお守りしてるだけだからさ。昨日だって宿に泊まったんだろ?」
「そうだがなんだ? 別に贅沢したわけじゃねえ、宿賃もウチが自分で払ってる。その大事なお客さんに、これ以上出向組のだらしねえ姿晒すってんなら、わかってんだろうな。おい」
後ろに居るイリアたちにはカミーラの表情は見えないが、とても怖い声を出す青髪の後頭部の向こう側は何となく想像できた。
男たちのうち4人が、渋々と言った感じでイリアたちが来た方に歩き出した。尿男と脱色髪も含まれている。舌打ちの音も聞こえてきたが、カミーラのドスの効いた「ダラダラすんな」の声にシバかれるように走り出した。
残った3人の戦闘小隊のうち、男性二人はカミーラから目をそらし続けている。
魔法使いであるカミーラは殴り合いの喧嘩などに向いていないと思うのだが、よほどレベルが高いのだろうか。あるいは軍での階級が他の者より高かったのかもしれない。
そんな風に思ったが、結局なぜカミーラが彼らに対して強い立場で居るのかイリアは聞かないことにした。
やがて半刻ほどして、マルク率いる荷車隊が崖上の野営地にやって来た。
日のあるうちに急げ、という隊長の一声の元、隊員たちが荷車から引き出した幕屋を設営していく。
昨日今日と昼食のパンを配っていた眼帯の男が設営場所の南東の端、風下のほうで大きな急造カマドに火を焚き始めた。
さっきカミーラに話しかけた先行の隊の女性隊員が荷車から大きな深鍋を運んで来る。本当に大きく、中にイリアを入れれば丸ごと煮られそうである。
そうこうしているうちに、他の本隊の者と、迎えに行った戦闘小隊の4人が戻ってきた。42人の保全隊員が集まった状態を初めてイリアは見たことになる。
カミーラが大きな樽を担いで運んでいる。
イリアジゼルも手伝おうと歩み寄った。
「いいからあんたらも早く幕屋建てろよ。暗くなるぞ」
「ああ、それもそうですわね……」
「ジゼルは西の端の方に立てろ。女がそっちで集まるからな」
そう言ってから、鍋を運んでいた女性戦闘小隊員を大きな声で呼んだ。彼女の名はフリーデというようだ。フリーデに案内されてジゼルは西の方に行った。
イリアはマルクの幕屋の側に建てるべきだと言われたので、そうする。
第7中隊長の幕屋は中に数人泊まれそうな大きなものだった。真ん中に一本大きな支柱を立てる、基本的で古い様式。
地面に埋める部分を含めれば4メルテはあるその支柱は荷車に積まれていたはずがない。おそらく森から切り出して運んできた物のはずだ。
何度か使っているので、既にイリアにとって自分の幕屋の設営は慣れたものである。マルクの幕屋の支柱と、斧などの伐採用具を入れていた荷車の間で吊り綱を張り、ぶら下げるだけ。
無くても何とかなるのだが内部の空間を確保するための小さな鉄杭も4本打つ。
終わったので調理場の方に行ってみる。
赤々としたカマドの火の上の大鍋に眼帯の男がナイフで切った野菜を放り込んでいく。そのたびに鍋から水音がする。横には空になっている樽。
根菜に、太い草の茎にしか見えない野草。ペリベ村で買ったのだろう、高級野菜である珠菜も何個か、ざっくり切られて入れられた。
今夜の夕食は野菜たっぷりの煮込みのようだった。




