第77話 保証
イリアは森の少し奥まったところで斧を持って立っていた。
そばにいるのはその斧の持ち主である大柄で筋肉質な保全隊員の中年男。
目の前にあるのは根元の太さが一抱えあるクリの木だ。頭上を覆う枝にはまだ未熟な緑色の実がたくさん生っている。
クリ類の木としてはそこまで大木ではない。イリアは斧を右肩の延長線上に掲げ、腰の高さの位置に振り下ろした。
ゴッと音がして刃が樹皮に食い込む。引き抜いて、もう一度。
3回繰り返して、今度は少し角度を水平に近くなるように、また斧を叩きこむ。大きな木っ端が飛び散って、クリの幹に切り込みができる。白い傷口が目にまぶしかった。
そうして10分ほど、合計60回ほど斧を叩き入れて、直径の三分の一の深さまで|
楔形の傷を入れることが出来た。
まだ未熟で重さのあまり無い実は落果しないものだが、イリアの周りには何らかの理由で発育が悪かった実が、衝撃によって数個落ちてきていた。
最後にもう一度力いっぱい斧を叩きつけて、それで落ちてきた実がイリアの頭に直撃した。クリの実はイガで覆われている。イガを覆う無数の鋭い刺がイリアの頭皮を痛撃した。
「~~~ッ!!」
「ぶははははははっ! 大丈夫か⁉ おい!」
頭を抑え、歯を食いしばりながら、大笑いする中年男に斧を返した。痛む部分を押さえた掌を何度か見る。出血まではしていない。
「よっしゃ見てろよ坊主。カタキ取ってやるからな」
男はそう言って左腕一本で斧を振るった。まるで短剣かなにかのように軽々と左右に振り回される、柄まで鋼鉄製の斧。木っ端が次々にはじけ飛ぶ。
男にもイガが何個か降り注いだが、気にするそぶりも無い。
もともとこの男の斧を貸してもらおうと考えたのはそれが他の隊員の使っているものに比べてずっと小さかったからだ。実際その、長さ7デーメルテほどの斧は4キーラムほどで、イリアにも使い慣れた重さであった。
男が片手で斧を使いだすまで気付かなかったが、どうも右腕が不自由なようだ。ズボンの腰帯に親指を挟んだままである。
制服を背中に羽織って袖を首で巻いている。あと上半身に身に着けているのは袖の無い肌着だけだ。
男の左腕は驚くほど筋肉が隆々としているが、右腕はやはり、よく見れば少し細い。
あっという間にクリの木の傷は深さも幅も倍まで拡大。少し下がってろと言われてイリアが従うと、男は右足で幹を押し込む。メリメリと音を立て、ゆっくりと木は向こう側に倒れた。
「ま、ざっとこんなもんだ。手伝ってくれてありがとよ」
「いえ、手こずってしまって、かえって迷惑かけました。大事な斧を貸してもらってすいません」
「気にすんな。確かに俺専用だがどうせ支給品だから」
男の後をついて森の外に向かって歩き、イリアは目論見がうまくいかなかったことについて考えた。
もう何百年も、ずっと昔から分かっていたことなのだが、森を形成している大型樹木はマナの影響を受けている。自然学の学者が古代の記録と現代の森の様相を比較して分かった事らしい。
『マナ大氾濫』以前の世界では、樹木の成長速度は現在の半分から三分の一程度であったようなのだ。
しかも木というものは、標高や北か南かと言った地理的な違い、それによる日照や気温の違いにより、もっとずっと場所を選んで生えるものだったという。
千年前のこの辺りの森林には針葉樹くらいしか生えなかったらしいのだ。
今のように蔓樹木や常緑広葉樹が入り混じって生えているのは、あり得ない光景だったのだという。
つまり、大型樹木はマナの影響を受けた生き物、半魔物と言える。
場合によっては【不殺(仮)】は木を切るだけでレベルを上げられるのではないか。そんなことを考えて、イリアはやってみたわけだ。
しかし、イガの直撃を受けた時に気づいたが、木を切り倒すのは実は殺害に当たるのではないか。
魔物を殺害した場合には昏睡状態になる上に、成長素も得られないことは皇帝粘菌で確認済み。魔石を持たない半魔物の場合もきっとそうだろう。やってみなくては確かめられないことではあるが。
植物を殺さずに「打倒する」という状況がどうしてもイリアには想像できなかった。
ちょっとした思い付きでした検証は、イリアが木こりの仕事さえできない見込みであると気付いただけで終わったのだった。
戻ってみれば、座り込んだり寝転んだりしている隊員はもういなかった。休憩時間は終わっていたらしい。
ジゼルが居たあたりに走って戻ると、カミーラと二人で待っていた。
「なんだコラ、どこ行ってやがった」
「すぐに出発しましすわよ、イリア。午後は本隊を追い越してペリビ村まで先行した方がいいそうです」
「はい、すいません」
額の筋肉を鋭く隆起させているカミーラに、ジゼルに預けていた荷物を背負わせてもらい、イリアは森に沿って南西に走り出した。
すぐに小川が見えてくる。
小川には今作ったばかりという感じの丸太橋が掛かっていた。一本丸太ではなく、切り倒したばかりの樹皮が付いた幹が5本並べてある。
そこを渡って少し行くと、伐採作業をしている隊員が森の中に見えた。白い制服は目立つので、薄暗い森でのお互いを視認するのに便利なのかもしれない。
他にも何人か、作業中の隊員をやり過ごす。
そして何人か、作業を終えた隊員が斧や鋸を担いですごい速さでイリアたちを追い越して行く。女性隊員がカミーラになにか景気のいい声をかけていた。
四半刻ほどして3人は荷車隊に追いつく。
丸太橋のような不安定で凸凹した場所を移動するために、荷車の車輪は太く大きくなっているのだろう。
昼食を放出した分荷が軽くなっているはずの荷車隊を追い越し、さらにしばらく行くと本隊の指揮を執るマルクに行き会った。
「やあやあ、また会ったね。疲れていないかい?」
「問題ありませんわ」
「この先に5キーメルテほど行くと、ペリビ村住民が使っている林道に突き当たる。そこから南に下って村で宿をとるといいよ」
「えっと、本隊の皆さんはどうするんですか?」
「我々も村に向かうが、村内に入るのは物資調達の係だけだ。他は周辺で野営をする予定だよ」
作業中の隊員と比べればイリアたちの方が移動が速く、そして作業をしていない時は保全隊の方が当然速い。
平均速度なら近いのだが、いまいち足並みが揃わず、もどかしい。
言われた通りに西に向かって進む。
どうやら先行隊が居るらしく移動した跡はあるのだが、本隊を追い越したので草原の草が十分に踏み倒されていない。
カミーラが後ろから近づいてくると、イリアの左肩を叩いてきた。
「よおイリア、こっからはウチらが二人で前行くぞ。譲ちゃんが草を蹴散らして汁まみれになっちゃ可哀相だからな」
「わたくしの事も名前で呼んでくださいまし。それに、余計なお気遣いは無用ですわ」
ジゼルはそう言って、頑として後ろに下がろうとしない。
「めんどくせぇな。もうあんたらの足の速さもわかったから、ウチが後ろを行く意味がねえんだよ。草が深いからなんか潜んでるかも知んねぇし、こっからは基本的にウチが前で、お前ら後ろだから。言うこときけジゼル」
結局ジゼルはレベルの低いイリアが先を行くことを許さず、カーミラ、ジゼル、イリアの順で縦に並んで進むことになった。
マルクの言った通り林道に行き当たり、そこから南にさらに数キーメルテ。
中規模の村が見えてきた。
ベルザモック州の西の端にあたるペリベ村は広い農地に囲まれた農村だ。だが王国の主要4街道の一本が貫いているからなのか、どこか都会的な雰囲気がある。
防壁など無いのでゆったりを土地を使って建てられた住居の集合は街道を挟んで南北に別れている。もうすぐ日が暮れるという時刻。カーミラは最初からどこに泊まるかの見当をつけてあったようだ。
南側にあった小さな宿屋。部屋数は6つで、既に3部屋が埋まっていた。
宿の若い女主人はイリアが居ることに懸念を示した。どうやら基本的には女性用の宿であるらしいのだ。
「心配いらないよ、まだガキだから。客にも私らにも、なんかできるようなレベルじゃない。こっちのお嬢さんと力比べしたって勝てないよこいつは」
「けどねぇ……」
「なんかしでかしたウチがちょん切ってやるから。頼むよ」
イリアは自分一人本隊と一緒に野営すると主張したが、カーミラが何度も繰り返す不穏当な保証によって最終的には宿泊を許可された。
宿賃は一泊小銀貨3枚。それぞれが自分で支払った。




