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第76話 便宜

 髪の毛を染めたり、逆に色を薄くしたりする方法についてイリアは詳しくは知らない。

 触るとかぶれるあぶない液体を使ったりするようだ。染料を浸透させるのに水魔法を使うとも聞く。

 いずれにせよ、髪の色を変えるのは20年以上前の流行のはずだった。 

 父ギュスターブも魂起(たまお)こし前の一時期、黒褐色の髪の一部を赤銅色に脱色していたらしい。『白狼の牙』副団長イヴァンがどこからか聞いたという噂ではあるが。

 脱色も染色も髪の毛を痛める。

 最近では美しい髪は艶のある髪の事であるという考えが強くなり、女性は白髪染め以外で髪色を変化させるべきでないという考えが主流。少なくともイリアとイリアの周囲の人間のあいだではそうだった。




 ソキーラコバルの西門はすでにはるか後方。20分走り続け、壁外地域も農地帯も通り抜けている。


 草原の植物は長く伸び、膝丈ほどもある。夏なので成長が早く、牧草としての消費が追い付いていないのだ。

 だが第7中隊の本隊数十人が通った跡は草が踏み倒され、イリアとジゼルが十分横並びで走れるほどの幅で道のようになっている。


 数メルテ後ろを付いてくる、流行おくれの青い髪をしたカミーラ。

 短く刈り上げた襟足以外の部分も全体の髪の長さがイリアと同じ程しかない。

 イリアはイリアでもう(ふた)月散髪していないので、男にしては長めではあるが。


 カミーラのおかげで審査所の行列に並ぶことなく一時滞在許可証を返却、保証金を返してもらえた。

 しかし許可証に刻まれていた文字と数字の組み合わせはイリアの身分証の情報と紐づけられているはずで、あまり乱暴なことをして変な評判になっては困るのだ。

 「王立」という言葉を冠する組織の一員が、なぜここまで粗暴な態度であるのか。不思議である。



「おい、何さっきからチラチラこっち見てんだ。真面目に走れよな、真面目に」


 荷物を背負って、なおかつ鎧をぶら下げた短鉄棍を担いでいるイリアに対して、カミーラは手ぶらである。

 もちろんそうでなくとも走力は比べ物にならない差があるのだろう。

 カミーラは腰に巻いた制服の袖と引き締まった腹の間に両掌を差し入れ、散歩でもしているかのような足取りで二人についてきている。



 言われた通り、真面目に20分ほど駆け続けたろうか。北東大街道の北に広がる森が黒い影となって見えてきた。


 魔境の森と繋がっているので、そこにはどんな魔物が潜んでいてもおかしくはないようにも思える。

 だが実際はせいぜい仮想レベルで10やそこらの魔物しか住んでいないし、積極的に人間を襲いに出てくるようなことも無い。

 なぜ強力な魔物が森の奥地にだけ住んでいるのか、詳しいことは自然学や魔物学の高度な研究の範疇(はんちゅう)だろう。イリアには正確なところはわからない。

 推測するなら、人の生活圏に躊躇(ちゅうちょ)せず入ってくるような性質を持つ魔物から先に人と接触、衝突して命を失い、結果として奥地に住むことを好む魔物だけが生き残っている、と、考えることはできるだろう。



 太陽と共に気温も上昇してきて、そろそろ走る速さを落としたい。

 イリアがそう感じてきた頃になって、前方になにか見えてきた。荷車のようである。

 近づいて見ると、車輪がでかい。

 高さがイリアの目線に近い位置、つまり直径で1メルテ半もあるだろうか。ボロ皮が巻かれている輪体が太く、広げた手の指の幅くらいある。

 荷台は箱型で、車軸が箱の中を貫いている。普通は車軸の上に荷台が載るような構造になっているものだ。

 車輪の直径が大きいので、それだと重心が高くなりすぎてしまうのだろう。


 荷車は二輪で、曳いているのは人間だ。

 一人が前で握り手を曳き、もう一人が後ろから押している。

 イリアジゼルは歩調を荷車にあわせた。中にウシでも入っていそうな箱荷台はいかにも重そうだが、それでもまだ半大人の二人の駆け足くらいの速度は出ている。見れば、先にも2台連なっているようだ。

 曳いている男たちは、やはり白い制服を身に着けている。

 後ろのカミーラにイリアは振り向いた。


「この荷車って今朝、門前広場には居ませんでしたよね?」

「ああ、昨日のうちに糧食(りょうしょく)やなんか整えて、外れくじ退いた連中と一緒に壁外に出してあったんだ」

「じゃあ、第7中隊って全部で何名なんですか?」

「42人」


 ジゼルも後ろを向き、話に加わって来た。


「糧食、ということは野営もしますのね?」

「そりゃ10泊もするからな。ウチらが全員泊まれるような村が都合のいい場所に無いこともある。つーか、野営じゃなくても昼食うから、ウチら」


 そういえば保全隊員は荷物を自分で背負ったりしていない。糧食や、その他生活に必要な物はみんな荷車に積んであるという事なのだろう。



 別に荷車の後をついて行く必要は無いとカミーラが言った。

 荷車の左脇を追い越して先に進む。6人の荷車の係の年齢はまちまちである。

 本当はあまり速度を出したくないと言いたかったが、カミーラはもちろんジゼルもそれほど辛そうにはしていない。イリアも意地を張ってさらに何分か進む。

 いよいよ森の木々が間近に見えるところまで来た。


 白の制服を身に着けた男女。イリアから見える範囲では十数名ほどが作業しているのが見える。

 追い越してきた3台のとは別に、1台の荷車が森の側面をゆっくり移動していた。

 伐採作業に隊員が使っている大きな斧や鋸はそれに積まれていたのだろう。今朝、門前広場ではそんな目立つ物は見かけていない。



 隊長のマルクが居た。向こうもこちらに気づいたようである。


「やあ、追いついたね! それでどうする? 君等は先に進んで私たちを待っていてもいいが」


 カミーラが前に出て反論した。


「いや隊長、こいつらそんなに体力ないぜ。歩かせてやったほうがいい」

「そうかい? ではしばらく我々の側にいたまえ」


 そうして3人はマルクの後に付いて歩くことになった。



 マルクが森と草地の境界を南西に移動するにしたがって、隊員に曳かれる荷車もついて行く。通り過ぎてきた方から大きな斧を担いだ隊員がやってきては、マルクに何か報告し、追い抜いて少し先の森の中に入っていく。

 あちらこちらから斧が木に打ち付けられる音が聞こえてきて、緑の葉を生い茂らせた高い木がミシミシと音を立てて倒れていくのが森の中に見えた。


 時折マルクが直接、伐採すべき木を指示することもある。

 森と草原の境目、手前の方に小さい若木があるのだが、それには手を付けない。少し奥まったところの大木を狙い切り倒しているようだ。

 理由が分からないのでイリアは聞いてみた。


「単純な話だ、イリア少年。奥の方にある少し大きな木。あれをあと数年放置したら大きさは倍になるだろう。そうしたら切り倒すのが難儀になるし、倒れる時危険になる」

「……つまり優先順位って感じですか、ね?」

「そうなる。全部の木を伐採する必要は無いしね。我々は開拓団ではなく保全隊だ。現状維持が仕事だから」


 イリアがノバリヤを出てソキーラコバルを目指す道中、行き会った州立の保全隊は倒した木を街道近くまで運んで周辺住民に薪として配っていた。

 王立保全隊はそういうことをしないらしい。材木が欲しい者が居ればここまでやって来て持っていけばいいという方針なのだろう。



 そのまま昼すぎまで、森のほとりを進んでいく本隊に同行した。速度は徒歩と同じだ。

 幅が数メルテの小川が横切る所にさしかかり、そこで遅い昼休憩になるようだ。

 糧食を積んだ荷車が追い付き、隊員たちが群がる。

 ジゼルがマルクに話しかけた。


「たしか、この小川はセイデス川からの分流でしたわね? これを少し南に下ればジバシャ村があるはずですわ」

「うむ。そうだね」

「でしたらわたくしたちは村まで行って休ませていただこうかと」


 カミラが後ろから文句を言ってきた。


「いや嬢ちゃん、そんな勝手な事されちゃ困る。ウチはここで昼食べるから。あんな辺鄙(へんぴ)な村なんか行きたくねえから」

「でも……」

「ジゼル譲、イリア少年。よければ隊員らと一緒に昼食を取ろうじゃないか。気にする必要は無い。なにしろ40名以上の大所帯だし、もともと多めに持ってきている。君ら二人に食べられたからって足りなくなったりしない」


 マルクの言葉が終わるか終わらないかのうちにカミラは荷車の方に行ってしまった。イリアジゼルもついて行くしかなかった。


 左目に革の眼帯をした年かさの隊員が皆に配っていた昼食は、焼きが強くふくらみの悪いパンに、何かの肉の燻製を挟んだものだった。

 野菜が無い。大きさだけはそこそこある。


 森の木陰に入って、三人で肉挟みパンをかじる。

 ジゼルとイリアは水筒の中身を飲んでいるが、カミラは硬めのパンをものともせず、ぱくぱくと噛み砕いてはのみ込んでいた。


「でも、いいんですかね。ここまでいたれりつくせりにしてもらうのは、ちょっと気が引けるというか」

「ああ? そんなもん気にする必要ねえだろ? 坊ちゃんが食ってるそのパンの値の千倍も貰ってんだよ、隊長は」

「……えぇ?」


 パンを口に運ぶ手が止まったイリアを見て、口の中のものを飲み込んだジゼルが慌てたように弁明した。


「違法な賄賂なんかではありませんのよ? きちんと申請した公開の献金です。こうして実益を分けていただくのは、ちょっと灰色ですが、同行するだけならそもそも保全隊に負担はかからないはずでしたし……」

「ウチは直で迷惑被ってるけどね。まぁ金貨10枚も積まれてんだから、多少の便宜は当たり前ってもんだわ」


 肉パンを食べ終えてカミラは川の方に行ってしまった。

 つまりはハインリヒの出した金によってこの状況は成立しているらしい。

 イリアだけ(ただ)でそれに乗っかっているわけだが、思い悩むのはすぐにやめた。

 ハインリヒにとってイリアは孫娘の付き添いなのだ。その役割をきちんと果たせばそれでいいのだと割り切ることにした。


 昼食を食べ終わっても誰も動き出そうとはしなかった。どうやら保全隊は休憩したまま一番暑い時間をやり過ごすようだった。

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