第60話 期限切れ
(俺はいったい何をしていたんだ……)
イリアは頭を抱えて自分のうかつさを呪っていた。
ソキーラコバルの一時滞在許可証の期限がとっくの昔に切れてしまっていたのだ。
『イーヴァの止まり木』から出るのは近所の湯屋で行水をするときだけ。歌と踊り、その練習と本番にかける毎日のため、気が付かなかったのだ。
審査所は東門だけではなく西門にもある。来たときは東門で審査を受けたのだが、今日並んでいるのは店に近い西門審査所だ。
荷物は短鉄棍と現金の他に貴重品も入っている財布袋のみ。残りはまだ店においてある。
乱闘があったのは、ほんの8刻前の事。一晩明けての今日は定休日であるが、明日もおそらく営業は出来ないだろう。
ガラス杯や皿、丸卓など壊れてしまった物を何とかしなければならない。
費用は市長のモンローが立て替えて出してくれるらしい。ルアージマル一味の財産からしっかり取り立てるのだそうだ。
長いこと列に並び、ようやく順番が来た入街審査ではしっかり大銀貨1枚の初回発行料金を取られてしまった。期限の切れた古い滞在許可証を返しても返金は無く、それどころか叱られてしまった。
横流しされれば悪用も可能であると言われれば、確かにそのとおりである。
期限内であれば、門を守る簡易審査の警士には本人に発行された許可証かどうか判断するのは難しいだろう。
市長モンローからもらった大銀貨は、そのまま再び市の収入として返還されてしまったわけだ。
防壁内に入り、北区にある『品質保証フォルムボルカ』に急いだ。
10日以上の時間をかけ、女の格好をして金2枚の金を用意したのはあの鎧のためなのだ。
薄暗い路地に面する扉を開ける。依然と同じ、肩幅の広い女店員が店番をしていた。店員というか、店主なのかもしれないがそれはイリアにはどうでもいい。
「こんにちは、黒革の全身鎧を買いに来ました」
「おや? あの鎧の事知ってるのかい? この店に来たことある?」
眉毛がやけに細くなってしまった以外、イリアの容姿はそれほど変わっていないはずなのだが。
第一普通の半分の長さの鉄棍を担いでいる客などそう居ないだろうし、覚えておいてほしいものだ。
それはともかくとして、鎧は売れたりすることなくちゃんとイリアの再来を待っていた。
店員は手早く鎧をイリアの体に着付けていく。
金属製、主に鋼鉄製の全身鎧は基本的に低レベルの人間が一人で着られるような物ではないが、この革鎧は留め帯や留め金などが前面についていて一人でも着られるように設計されている。
染料で染められているのではなく、特殊な樹脂で処理されているために黒いというヨロイ一角の革は、まるで金属のようなカチカチした硬さを持つ。
そうでありながら軽く、柔軟性も残している。
「よく似合うねぇ、寸法もぴったりだし」
「ありがとうございます……!」
「この鎧も喜んでるだろよ、前の持ち主はもう着られなくなっちゃったから……」
「……え?」
実は、イリアには最初から違和感があった。
ただ意匠として格好いいと思っていたが、普通胸部だけを金属板に取り換えることは無い。
防御性能はもちろん高くなるのだろうが、肋骨に守られた胸よりも腹の方が優先的に守られるべきという考えの方が理に適っている。
腹でも胸でも、魔物の角などに貫かれればほぼ死ぬのは変わらない。
「あ、心臓をやられて死んだから改造したとかじゃないよ? 前の持ち主はちゃんと生きてる。体形が変わっちゃったから着られなくなったってだけさ」
「なんだ、そうですか。びっくりさせないでくださいよもう」
「あたしも経験あるけど、妊娠出産するとなかなか戻らないからねぇ」
「……は?」
「やっぱり男用の方が需要が高いからさ。それでおっぱいの所だけ白鉄板に取り換えたんだよ。すごく大きかったから、その女戦士の」
「……」
イリアはごねにごねて、金2枚だった元の値段を金一枚と大銀貨7枚にまで負けさせた。
鎧を着たまま店を出る。季節はもう7月の半ば。夏の太陽光を吸収し、黒革の全身鎧はイリアの体を無駄に熱くさせた。
準備中の『イーヴァの止まり木』で、ようやく手に入れた鎧を店の皆に見てもらった。
右目の上を大きく腫らしたドランがイリアの全身を上から下まで見て、頷く。
「いやぁ、格好いいねぇ。ちゃんとした戦士の格好だよ。そうそう侮られることはなくなるんじゃない?」
「ありがとうございます」
「えー、私は似合わないと思うー。イリーナにはもっとかわいい恰好させたーい」
「おやめナタリア、人の生き方を操ろうとするもんじゃない」
ナタリアを戒めたイーヴァの顔には、ちゃんと年配者としての威厳がある。
「でも私も意外だったわね」
アイーダが右足の手術跡にかゆみ止めの軟膏を塗りながらそう言った。午後には抜糸に行くらしい。
「イリーナ……、いえ、イリアがお金を欲しがってる理由は知らなかったからさ。歌も踊りもすぐに覚える、要領のいいイリアがそんなに前衛戦士志向だとは思わなかったなぁ」
「そうよねぇ。マナ同調適性からいって魔法使いは向かないとしても、お金を他で稼いで魔石剤でレベル上げするって手もあるし」
「……」
ナタリアの発言に対し、イリアは答える言葉を持たなかった。その手はないのである。
自身が戦士失格であるという考えは今も変わっていない。魔物に止めを刺すことが出来ないイリアは立派な鎧を着ていても戦士にはなれない。
にもかかわらず、自分で戦って魔物を打倒する以外にイリアはレベル上げの手段を持たないのだ。
やろうと思えばとんでもない成長素摂取効率を持つ【不殺(仮)】であるが、そういう矛盾を抱えた、非常に不自由なアビリティーなのだ。
「アイーダさんはどう思ってるんですか? その、アイーダさん自身のことについて」
椅子に腰かけ、丸卓の上に右脚を乗せたまま、イリアを見返してアイーダは数秒考えた。
昨晩の乱闘で最後まで立っていた一人である彼女の顔には、腫れもあざも見当たらない。
「……そうね。私はこの体もアビリティーも、神様にもらったものとは全然違う生き方しかできなかった。それでも後悔はしてないし、今は幸せよ。イリアの言う通り、何を与えられ何ができるかではなく、何を目指し生きるのか。それがきっと大事なのかもね」
小部屋の荷物をすべて背負い袋にに詰め込み、イリアはまだ乱闘の跡が残る店内にもういちど出てきた。イーヴァにナタリア、ドランとアイーダ。それに調理係のシモンと踊り子のリリーまで店に集まっていた。
最初にイーヴァに挨拶をすると「金に困ったらまた歌いに来な」と言われた。
それぞれと別れのあいさつを交わしてから『イーヴァの止まり木』を後にする。
明日はいよいよセイデス川にマス釣りに行くのである。




